もしも中原ミズキが某スパイ映画みたいな超有能リコリスだったら 作:那珂テクス
それではどうぞ。
「は〜……面倒くさい」
都内の下町にひっそりとたたずむ、小さな和風喫茶、リコリコ。
そのカウンター席で、端正な顔立ちの和装美女──中原ミズキが物思いに耽っていた。肩肘をついてため息をつく姿は、さながら深窓の令嬢を思わせる。
惜しむらくは、頬を支えるものとは反対の手に、開封済みの一升瓶が握られていることだろうか。
「おいミズキ、もう飲むのか? まだ昼間だぞ」
カウンター越しにその様子を見ていた黒人男性──店長のミカが、思わず顔を顰める。ところがミズキはそんな彼を歯牙にも掛けず、ついに酒を注ぎ始めた。
「当ッ然! 飲まなきゃやってられないっての!」
「お前なぁ……」
並々注いだ酒を一気飲みする。ミカは最早この呑兵衛を止められないと悟り、放置することを選んだ。
客の1人でもいれば止めやすいのだが、この店はそもそもの客入りが少ない。しかもそのほとんどが常連のため、白昼堂々と酒盛りをする不良従業員を誰も止めようとしないのだ。
まして客が1人もいないとなれば、この女が日本酒を取り出すのは必然とすら言える。
一体いつからこんなことになってしまったのか。
何度目かもわからない嘆きを頭の隅に追いやりつつ、ミカは本題を切り出すことにした。
「それにしても、まさかラジアータがクラックされるとはな。さすがウォールナットといったところか」
「外部から『ほぼ』独立してるってだけだし、侵入される可能性は常にあったわ。何もかも隠そうとするくせに詰めが甘いのよ、DAは」
「昔っからね」という一言で締め、2杯目に口をつけるミズキ。ふと顔を上げると、ミカの顔に珍しくこちらを気遣うような色が浮かんでいた。
「……抜かれたと思うか? お前のことも」
「さぁ。バレてるんじゃない? 永遠に隠し通せる秘密なんてないわよ」
「随分余裕だな」
「投げやりなだけですぅ〜」
冗談めかして酒を仰ぐが、ミズキは本当に投げやりになっていた。
──リコリス及びDAは、その活動の全てにおいてラジアータに依存している。故にそこには、ありとあらゆるデータが集中管理されているのだ。
そんな機密情報の海に潜り込んだウィザードハッカーが、
ほぼ間違いない推測に気が滅入っていると、卓上のミカのスマホに着信が入った。
非通知だ。
「……もしもし」
『ウォールナットだ。中原ミズキに代わってくれ』
──一瞬、2人の思考が止まった。
だがそれは次の瞬間に復旧し、凄まじい勢いで回転を始める。
状況を鑑みて、電話口で「ウォールナット」を名乗るこの人物は、ほぼ間違いなく本物。ないしはその関係者だろう。ミカ個人の携帯番号を知る人間は限られるし、すぐ側にミズキがいることを確信した上でコンタクトを取っているからだ。
恐らくは、ミズキのスマホが監視されていることを知っていて、敢えてミカに電話してきた。
まるで全てを見ているかのような手腕だ。ミズキは内心で舌を巻きつつ、スマホを受け取った。
「もしもし」
『取引をしたい。今後3年の専属契約を条件に、ボクを今すぐ助けてほしい』
予想よりもずっと切実な依頼だった。
「……あんた追われてるの?」
『元依頼人とDAにな。地雷を踏んでしまった』
「イ・ヤ・よ! 知ったこっちゃないわ。お得意の
にべもなく断っているように見えるが、これはミズキの交渉テクだ。
顔も正体も知らない上での通話という唯一の接点から、可能な限りの情報を引き出すための駆け引き。
そして彼女の思惑は、思いの外すぐに成就する。
『「ナンバーズ」』
「ッ」
その言葉を──外部の人間からは絶対に聞き得ないキーワードを聞き、思わず声を詰まらせる。予想が当たってしまった。
『個人的に調べさせてもらったよ。極秘機関の中でも、さらに極秘の部門とはな。特にお前の功績には目を見張る』
「……あんた、元依頼人にも同じことしたんでしょ。知らない方がいいことだってあるのよ」
『同じようなことを言われたな』
束の間の沈黙が訪れ、ミズキとミカは顔を見合わせる。
最早この取引に応じないという選択肢は無くなった。これまでのわずかな会話だけでも、DAが秘した奥の奥の情報まで知られていることが分かったからだ。
ミズキの正体が露見したことはまだいい。例えそれで刺客を送り込まれたとしても、長年1人で複数人のリリベルを制圧してきた彼女にとって、大抵の敵はどうにかなる。
しかし『ナンバーズ』の事実を吹聴されると、間違いなく現役リコリスに多大な犠牲を生むことになってしまう。
それだけは許せない。
絶対に。
『安心しろ。まだ誰にも話しちゃいないさ。そしてこの先も一生語ることはない……あんたらが助けてくれたらな』
「はんっ。誠意が足りないっての誠意が。プロにお願いするなら必ず出すものがあるでしょ」
『強情だな。ならこれでどうだ?』
続いて伝えられた報酬額に、ミズキは思わず目を剥いた。
「はぁ!? 相場の3倍もあるじゃない!」
『ボクも必死なんだ。全額前払いにしてやるから、頼むよ』
アイコンタクトを交わすミズキとミカ。
こうなったら、もうやるしかない。
「分かったわ。でもまずはあんたの安全確保が最優先よ」
『契約成立だな。どうすればいい?』
「現在地は?」
『都内』
「2時間後に池袋駅中央1改札口で。身軽にしときなさい」
『了解。その携帯を持って行ってくれ。着いたら連絡する』
「分かったわ。ところであんた男? 女?」
『それは会ってのお楽しみだ』
「……あんた、顔割れてるの?」
ウォールナットは追われてると言っていた。楠木からの連絡がない以上、DAはまだ何も掴んでいないのだろう。
だがそれ以外の組織が追っている場合、ミズキ1人で対処する必要がある。
今はとにかく情報が欲しかった。
『DAにはまだ。だがもう1つの方は……』
「元依頼人ね。素性は?」
『……アラン機関だ』
◇
ウォールナットとの通話が終了した直後。
ストレスが限界値を突破したミズキは、たまらず愛読の結婚情報誌に手を叩きつけていた。
「はぁ~、ここにも母となるべき才能が今、結婚という障害に阻まれてるのよ!」
このように情けない叫び声を上げるきっかけになったのが、店内の小型テレビから流れるニュースだった。曰く、新婚時代のスポーツ選手を見出したのがアラン・アダムス──つまりはアラン機関であり、その支援のおかげで当該選手は大活躍をするに至ったのだという。
そう。ミズキがこれから葬ることになる、アラン機関の者の支援によって、だ。
「不満だわ! 今すぐ私にいい男を支援しなさ~い!」
運命とは、何故彼女にとって斯くも残酷なものなのか。
行き場のない怒りに身を震わせていると、背後から突然声を掛けられた。
「あの」
「……あんた誰?」
「本日配属になりました、井上たきなです」
黒髪の、どこか人形めいた雰囲気のリコリスは、そう名乗った。
──集合時間まで、あと1時間52分。
原作で姫蒲がマンションを爆破したのはもう少し後ですが、今作ではこの時点で実行済みにしています。その方がスムーズに喫茶リコリコへの依頼に繋がると思ったからです。
次回のヒント:ボーン・アルティメイタム、ウォータールー駅