仮面ライダー:RE   作:大荒鷲

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CHAPTER-0:『REsurgence』‐⑦

 どうにも寝苦しい、と健輔は自室の煎餅布団の中で本日何度目になるか分からない寝返りを打った。

 体はクタクタでアルコールが僅かに残留している頭は絶えず揺らめいている筈なのに何故か意識がハッキリしたまま、一向に沈んでいく気配がない。煙草をふかしてみても却って目が冴えていくばかりで逆効果だったし、本を読むとかネットでも見るとか出来ればいいのだが生憎とそんな洒落たものはここには置いてない。適当にコンビニとかで強めの酒でも買ってきて、適当に導眠剤代わりに煽ってみるかとも考えたが、それも却下だ。今は1円でも金が勿体ない。

 今更布団が硬いとか3畳しかない部屋が狭苦しいとかそんな贅沢な問題ではない。そんなのは5年近くになる日雇い労働の日々で既に慣れっこだ。意識を占めるのは別の問題だ。

 

 山下幹夫というどっちかと言うと目立たない方だった仕事仲間の存在。だからこそそ半年前、目立たない同僚があろう事か本社の現場監督に食って掛かるという一面を見せた事には驚嘆を禁じ得なかったわけだが。ここでは本社の人間と言えば神にも等しい雲上の存在で逆らう事はおろかタメ口をきく者すら、荒くれ者揃いの飯場にあってさえ一人もいなかったというのに、あの山下はあっさりと僅かなやり取りで相手から譲歩を引き出してしまった。大した成果でこそないが「お上絶対」の現場においてはまさしく風穴を開けるが如し出来事だったと言えるだろう。

 実際あれ以来現場において“ハートマン軍曹”が威張り散らす事はなくなったし、待遇もやや――本当にそんなレベルだが――改善された。相変わらず工事は本社の烏合の衆っぷりが災いして遅々として進まないが、現場は以前ほど張りつめてはいない。単純に上で頭ごなしに威張り散らすだけの能無しが大人しくなるだけで、人の心というのは案外穏やかになるものらしい、あれ以来なんとなく周囲から外れていた山下も自然と人夫達の輪に混ざっているようになったと思う、相変わらず何を考えてるのか分かり難い所はあるにしても。

 

 しかしなんとなく親しくなったと思えば思う程に、アイツは何者でどうしてここに来たんだろう、と変に気に掛かるようになって行った。過去の事は詮索しないのが暗黙の了解とは言え、基本的に飯場に集まる人間達とは総じて健輔のように肉体労働でしか生計を立てる術を知らないようなタイプかもしくは何かしらの後ろ暗い事情を抱えた、凡そ世間のルールから逸脱したはみ出し者だ。

 総じて世の酸いも辛いも舐めた者のみが知っている老獪さは有していても、基本的に言葉や知識、謂わば弁論で相手の優位に立つ術を知っている者は皆無と言っても良いだろう。実際健輔は労働基準監督署なんて知らなかったくらいだ。

 

 「ひょっとして逃走中の知能犯だったりして…なんてな…」

 

 ふと想像してみる、実は山下はオレオレ詐欺であくどく稼いでいた特殊詐欺グループの構成員で警察の一斉摘発から逃れ、現在は各地の日雇い労働に潜んだりしながら捜査の包囲網からなんとか逃れようとしているとか…。なんかあり得る、微妙に。少なくとも当時は案外そんなもんかも、と思っていた。

 大体山下幹夫という男はどうにも日雇いの肉体労働で稼ぐタイプには見えない。背こそ170センチ以上あるが、腕も腰も細く、見るからに繊細そうな印象さえ抱かせる。ほんの1ヵ月前に入社してきた時はまだ肌も未成熟な大根の如き青白さで、周りの男達からは「カイワレ大根」等と呼ばれてさえいたのだ。以前まだ萩之茶屋にいた時にあいりん地区の生活状況を実際に体験してその記録をルポルタージュにするのだと息巻いている駆け出しジャーナリストに出会った事もあるが、そいつも同じように如何にもそこら辺の大学生と言った風情のモヤシっぷりで、すぐにただの肉体労働者ではない事は察しがついた。

 咄嗟に現場監督相手にハッタリをかませる度胸や以前に見せた得体の知れない凄み等を考えても山下が世間一般にいう普通の人生を謳歌していた訳ではない事は察せられる。

 

 別にそれ自体はだいぶ前の話だし、今更どうでも良い。だが“ハートマン軍曹”にとってはそうではなかったようで、あの一件から5カ月ほど経った頃辺りからだろうか、事あるごとに山下の動きをつぶさに捉えようとしているのが現場でも見て取れるようになった。その目にはどこか探りを入れるような、怯えが混じっているような、とにかく尋常じゃない色を湛えていた。

 何かヤバいのでは…?と思った健輔はそれとなく、山下にその事を伝えていたのだが、当人はケロリとした顔で「アイツに出来る事なんてありません」と気にも留めていない風だった。だがだんだんそうもいかないように思えてきた。たまの休日に皆で呑みに出た時の事、近所の呑み屋街の一角でふと粘ついた視線を感じた健輔は、思わず振り返ると果たしてそこには探るような視線でこちらを注視する“ハートマン軍曹”の姿があった。魚のように濁ったその黒い目は健輔や周りの人夫達を素通りして、確かに山下だけを捉えていた。

 明らかにこちらの、というか山下の事を探っている。そう確信した健輔だったが、一方で何故、という疑問も確かにあった。以前の意趣返しを企んでいるのか、だとしてもなんで今になって…?

 疑問は尽きなかった。そんなある日、山下の持ち物や彼の触ったものが突然なくなる、といった事件が頻発し、酷い時には山下の部屋が家探ししたように荒らされている事さえ起きた。申し訳程度に他の人夫達の持ち物や部屋も荒らされていたが、山下に関してだけやたら執拗な雰囲気がした。個人的には“ハートマン軍曹”がなにか嫌がらせでやってるんじゃないかと思ったが、なんの証拠もない。

 

 流石にこれはおかしい。それが3週間近く続くと、とうとう堪忍袋の緒が切れた健輔は仕事終わりに“ハートマン軍曹”に詰め寄りに行った。その日、たまたま手洗いに寄った帰りに官舎の周りをウロウロしている奴の姿を目撃し、疑いが確証に変わったと言うのが大きかった。証拠もなんもある訳ではないが、とにかくきな臭い雰囲気を嗅ぎ取ったのは確かだ。

 

 「いい加減にしろ、なんで俺達の周りをコソコソ探ってるんだ!」

 

 “ハートマン軍曹”の胸倉を掴み上げて、そう問いただした。以前ならこんな事は出来なかっただろう、だが半年前の一件でコイツが所詮威張り散らすだけしか能のない臆病者だと分かってしまえば。もう遠慮も会釈も必要ないとさえ思えた。そんな奴が俺達の仲間に何しようってんだ!その憤りに駆られて、健輔はいつになく激しい勢いで“ハートマン軍曹”にそう問いただしたのだった。

 流石に健輔に見つかるとも、反対に吊るしあげられるとも思ってなかったようだ。“ハートマン軍曹”は明らかに動揺の表情を浮かべて、しばらく御池の金魚の如く口をパクパクさせていたが、やがて健輔の表情をジッと眺めだしたと思ったら、今度は唐突にクツクツと喉を鳴らして、乾いた笑い声を漏らし始めた。

 

 「何笑ってる!何が可笑しいんだよ、アァン⁉」

 

 コイツとうとう気が触れたか?その不気味な感触に慄いた健輔は、しかしそんな惧れを振り払うように“ハートマン軍曹”をプレハブの壁面に叩きつけながら、久しぶりに凄んでみせた。高校時代やんちゃしてた時期によくやってた奴だ。

 だがそんな似合わない凄みも“ハートマン軍曹”にとっては笑いの材料を投下するようなモノだったらしい。余計可笑しそうに咳のような笑いを溢しながら、“ハートマン軍曹”は「そうかそうか」と一人納得するように口元をグニャリと歪めた。

 

 「そうだよなぁ…お前さんはなぁ~んにも知らないんだよなぁ――」

 

 嘲りと憐れみが混ざった、濁った笑みだった。コイツ一体何言ってるんだ…?動揺が体に伝わって掴み上げていた手が緩んだらしい。“ハートマン軍曹”は努めて穏やかに健輔の拘束を解くと、肩をポンと叩き、息を吹きかけるように耳元で囁いた。ゾワゾワとした悪寒が全身を駆け抜ける。

 

 「なに…まだ確証はないんだがな…ひょっとしたら俺はスゲェ情報を掴んだかも知れないんだ…。時期に確証が掴める…そうしたらお前さんもきっとぶったまげるぞぉ…」

 

 停滞した溝川のように澱んだ声で“ハートマン軍曹”はそう語り掛けると、身を翻して現場事務所の方に戻っていった。なにやら薄気味悪い予感が体を強張らせ、健輔はそれ以上奴を追及する事は出来なかった。

 

 ――それが“ハートマン軍曹”を見た最後の日だった。

 

 

 

 次の日の昼頃、“ハートマン軍曹”が突然死んだと告げられた。というかそういうやり取りが本社の人間達の間で為されているのを、たまたま人夫の一人が聞き、それがあっという間に広がったと言うのが正しい。

 昨夜の深夜、退勤の途中に事故にあったらしい。聞いた話によるとかなり酷い事故だったそうで、特に遺体の損壊が酷く、奥さんと子どもは――奴にも家族がいたのだとその時知った――その見る影もない姿に絶句するよりなかったらしい。警察は特に事件性はないと判断したようだが、何故か事故現場では異形の怪物の噂が囁かれ、ただの事故におかしな尾ひれを残したそうだ。

 

 「先輩」

 

 健輔があまりの衝撃に立ち竦んでいると不意に後方から声が掛けられた。見ると山下が涼しい表情でこちらを覗き込んでいる。

 健輔は“ハートマン軍曹”が死んだらしい事を山下に伝えると、本人は無表情に「聞いてます」と素っ気なく返しただけで、すぐに踵を返した。

 

 「それより早く昼飯の時間ですよ、モタモタしてると時間が無くなる」

 

 もう興味も失くした、という感じの酷薄な声色だった。何とも思わないのかよ!と思わず声を荒げたが、山下本人は振り返りもせずに「…自分には無関係です」と素っ気なく呟いただけだった。

 確かに。健輔もそれ以上何も言える事はなかった。自分達には何も関係ない、単にムカつく現場監督が1名、事故で死んだだけ。それ以上でもそれ以下でもなく、自分達の生活にもなんだったら現場の進捗にも全く影響はない。なんだったら明日には代わりの現場監督が派遣されてきて、アイツの穴埋めをするだけで、自分達にとってはそいつとウマが合うかどうかその事の方が余程重要だった。でも――だからと言って――!

 “ハートマン軍曹”は最期、自分に何を伝えようとしていたんだろう。アイツはどうやらお前の周りを探っていたみたいだけど、お前はその事を知っていたのか。お前は何かアイツに探られるような秘密があるのか…。いくつかの疑問が頭をもたげては口に出す前に消えていった。何かそれを声に出してしまったら、取り返しのつかない事になってしまう気がした。

 

 ふと顔を上げると、だがしかし山下の肩が僅かながら震えているのが見えた気がした。泣いているのとは明らかに違うが、コイツもコイツでなんだかんだ言っても“ハートマン軍曹”の死に動揺しているのかも知れないな――そう思った次の瞬間――一瞬こちらを振り向いたその顔に――ほんの僅かな間だけ――喜悦の表情が浮かんだ――ように見えた。

 

 ――ゾクリ

 

 瞬間これまで感じた事もないような恐怖の感情が頭からつま先までを駆け抜け、健輔の皮膚を粟立たせた。まるで山下幹夫という人間を覆う皮袋が崩れ落ち、その下に眠る異形の骸骨が嗤ったように見えた。

 

 なぁまさかとは思うが…。

 

 アイツはお前が殺したのか?なんでだ、アイツはお前の何かを探っていたのか?そんな疑問が喉から出掛けた直後、「先輩」と少し強めな声がし、目の前でパアンと小気味の良い音が響いた。

 思わず目を瞬かせると「なに呆けてるんだ?」と言った感じの表情で山下が両腕をこちらに向けていた。どうやら猫だましのような事をされたらしい。先程愉悦の形に歪んだように見えたその顔は驚くほどいつもの山下幹夫そのものだ。

 

 「先輩はいつも気に病みすぎです。悪いとは言わないけど…そのうち心に堪えますよ?」

 

 どうやら“ハートマン軍曹”の突然死や遺された家族の事を気にして、落ち込んでるんだろう、と――そう解釈されたらしい。それだけ言うと山下は今度こそ踵を返して去って行く。その後姿に先程感じた異形の面影は綺麗サッパリ消え去っている。

 結局健輔はバカバカしいとそれ以上追及する事はなかった。表情の事だってきっと気のせいだし、自分の勘なんかアテになる筈がない。

 

 どうあれアイツはもう俺達の仲間なんだ、飯場では過去を詮索しないという掟は過去に何かを背負う者同士の礼儀でもあれば、面倒事に巻き込まれないようにするため、どうせ短期間で別れるそれまでの関係だからと割り切るドライで打算的な一面も内包している事は否めない。

 しかし健輔にはそれ以上に仲間とみなしたら何があっても信じぬく、決してその仲間を誰かに売り渡してはならない、という自分なりの信念みたいなものだ。どうせいつか路地裏の片隅でゴミみたいに死ぬ身の上だ、せめて自分の信念くらい持ってても良いじゃないか、それを失くせば俺は本当にただの野良犬だ――。

 そんな下らない思い込みに囚われて、仲間を疑うとは俺も随分臆病になったよな、と健輔は皮肉っぽく苦笑する。思えば高校時代から随分遠くの世界に来てしまった、あの頃はこんな世界の一端なんて知る由もなかったし、ましてや自分がそこに身を投じているなんて完全に想像の埒外だった。それなりに世の辛酸を舐めて変わってしまったのだろう、その変化が果たして正しい事なのかは分からなかったが。

 だが健輔の心にはどうしても晴れない部分が残っていた。それは喉の奥に詰まった異物が()()()となるように、健輔の心から離れてくれる事はなかった。

 

 

 「だぁっ!やっぱ眠れねぇっ!!」

 

 そんな事今更考えても詮無い、と再び万年床に横になって今度こそ眠りにつこうとしたがやはり一向に睡魔は襲ってこなかった。こりゃあ完全に不眠症だな、少し外で頭を冷やしてこよう、と健輔は無理矢理自分を納得させるとパジャマ兼普段着のスウェットの上から作業着をジャンバー代わりに羽織り、なるべく音を立てないようドアを開けて忍び足で階段を降り始めた。

 こりゃあうっかり目撃されたら泥棒かなんかと勘違いされそうだなとどうでも良い事を考えながら、ひとまずは公園を一周してみるかという結論に至った。簡易宿舎が建てられている公園の南側に一番近い出口から出ると特にこの辺でも古くからの住宅地に繋がり、更に10分程度歩けばコンビニにぶつかりもする。まだ3月の寒さは身に染みると考えれば暖房の入っているコンビニ店内で雑誌を立ち読みしたいと思わないではなかったが、小汚い男が一人延々と立ち読みしてたら営業妨害になりかねない上にあそこはおでんやらカップ酒やら誘惑が多すぎる。ここは健康的に未だ造成中の公園をウォーキングと洒落こむのも乙なものだろう。

 

 そう結論付けて気付けば南口付近まで歩いてきたは良いが、ふと目を凝らすと南口から人が一人足早に出ていくように見えた。

 この暗闇ではあまりハッキリ姿は見えないが飯場の作業着を着ていたようだったし、更に言うならその背中は山下のもののように見えた。アイツだとしたらこんな時間になにしてるんだと思ったが、すぐに俺も人の事など言えない事に気付き、思わず笑いだしそうになった。アイツもひょっとしたら寝苦しいのかも知れないし、というかそもそもあの背中が山下のものかどうかも分からないのだから。なんか四六時中アイツの事ばかり考えている気がする、良くない兆候だこれじゃあまるで「その気」がある人だ、と失礼千万な言い訳をしながら、健輔はそれ以上の考えを打ち切った。

 

 どうも今日は変な事ばかり考える、さっさと公園を適当に周回して早めに眠りにつこう。

 歩くか走るかは迷ったが夜の公園を走っても足元がおぼつかないし、最悪転んで足を捻挫しかねないので、仕方なく歩く事にした。どうせこの公園の広さならぐるりと一周するだけでも15分は潰せるし、と結論付けて土の地面の感触を確かめるように心持ちゆっくりと歩きだす。夜の帳が降りた世界にただ一つ響く靴音、見上げれば一面満点の星空が――なんてハードボイルド小説みたいなお約束もなく、掘り起こされた地面は土を蹴る音すら響かせず、万年不夜のこの街で星空など望むべくもなかった。代わりに月は明るい。

 

 もともとこの公園には1万本以上の木が植えられていたそうだが、今やその殆どが根こそぎ薙ぎ倒され最早見る影もない。当初の公約では伐採する木の総数は元々の半分という事だったようだが、明らかにそれより多く斬られており、結局役所の言う事なんていい加減なもんだと思う。特に自分達が主に担当している南面は体育館の建設やら何やらで禿山も同然になっているが、北面は流石にまだ森林公園の面影を残している。工事工程が遅れに遅れてる南面と違って、北面は殆ど整備も済んでおり、丁寧に敷き詰められたタイルや人工林のような味気の無さは感じさせない程度には整理された樹木の植え方もあってなかなか歩く分には気持ちの良い空間だ。俺が設計したわけじゃないけど、俺達が造った公園だぞ、と少しだけ自画自賛してみるが、そんな虚栄心を見透かすように3月らしい寒風が健輔の全身を貫き、一瞬で鳥肌が粟立つのを感じれば、北口から住宅地の方に出て、公園を周回する計画だったが、まだ部屋の中の方がマシだ、不眠症でも良いからやっぱり早く戻ろうという気になってきた。こうして何かしようと思い立ってもなんだかんだ言い訳を拵えてはすぐに諦めるのが己の悪い所だぞ、という心の声からの突っ込みは盛大に無視することにして。

 

 そのまま元来た道を引き返すのも癪なのでせめてそれ以外での部屋までの最短ルート――野球場のルートを半時計周りに歩いて依然造成中の遊歩道を通って行こうと決め、一端は道を戻ると途中で向かって右に折れて、野球場の前を横切っていく。森や自然と違ってこういう無機質な人工物は夜の闇に堕ちると酷く硬質で冷たい感じがする、人が使ってないなら猶更だ。何故かやたら不気味な存在感を放つ球場を無視して健輔は足早に歩を進めた。最もこの先は木々も散策路も整備途上なのであまり早歩きも出来ないのだが。

 

 ガサリ。

 

 半ば程行った所で突然草木の擦れるような音が聞こえ、健輔はギクリと立ち止まった。ふと音のした方を見やると特に誰もいない、が冷静に考えれば猫でも通ったんだろうというとなるのが当たり前で我ながらのヘタレっぷりに嫌気がさしたが、よく耳を凝らすと何やら囁くような声も一緒に耳に入ってくる。明らかに人の声としか思えず、しかも茂みの奥から。

 

 「だ、誰だ…こんな時間に…!?」

 自分もそのうちの一人だろうが、とかまさか幽霊じゃあるまいな、とかこんな新設の公園に出る幽霊があるか、とかどうでも良い事を一度に考え、やっと絞り出した声は案の定上ずっている上に夜の闇に碌に反響もせずに消えていくだけだった。少なくともその声の主には全く届いていないのは未だに微かに聞こえるヒソヒソ声が証明している。

 ええい、なんなんだクソと自棄になって、こうなったら茂みに直接分け入って正体を直接見てやろうか、と思った矢先にこれまで囁くようだった声が一際ハッキリ聞こえてきて健輔は瞬時にその身を硬直させた。

 

 「んん…んねぇ…こんな所でスるつもりぃ…?」

 「どうせ人なんか来ないよ、まだ工事中なんだから…」

 

 耳に飛び込んできたのは酒に酔ったような男女の嬌声と啄むような搔きまわすような水音、それが何を意味するのかは流石に健輔にも理解でき、慌てて咄嗟に手近な低木の陰に身を隠した。心臓が妙にバクバク鳴っているのはよもや自分の声や発した音が向こうの相手に聞こえやしなかったかという疑念か、はたまた見てはいけない聞いてはいけない世界に踏み込んでしまったような罪悪感と否が応でも想起される行為への情景故か…。

 いずれにせよ自分が立ち寄って良い状況ではない事に変わりはなく、健輔に思いつく事は可及的速やかにこの場を退却する事だと察した。本来なら勝手に敷地に入り込んだ輩に何か物申す事があるのだろうが、それは本社の人間が居たら勝手にすれば良い事であって自分には関係ない。

 とは言えなるたけ音を立てたくないとなると足早に去るのも難しく、暫くは地面を四つ足で這ってひっそりと距離を取ろうとしたものだが、これがなんとも犯行現場からコソコソ立ち去る空き巣、いや拾い食いの現場を目撃されてとっとと逃走する野犬の構図で、我ながら惨めだ。この5年間風俗で女を抱いた事はあっても、カノジョなんて望むべくもないのは分かってはいるのだが、それにしたって世間とはかくも不公平なモノである。

 

 不意に恵麻(えま)の事を思い出した。高校時代散々バカをやってた時期に付き合ってた人生唯一のガールフレンド。やたらスピード狂で俺の後ろに座っては「もっと速くぅ~」なんてせがんで、その癖ヘルメットが嫌いでいつもバッサリ切った金髪を揺らしていた。恵麻とは地元を飛び出して以来会ってないし、住所が定まらないので勿論手紙のやり取りもしてないが今はどうしているのか、なんてこの所思い至る事もなかった。かつては僅かな文面のメールだけでも心躍り、連絡が来ない時間がもどかしかったにも関わらず、いつの間にか音沙汰もなく不意に思い出すだけの記憶に堕してしまっている。人は変わっていくし、こんな状況にも結局慣れていくのだ。

 そう言えば恵麻とは()()()()()()()()()の3人でアメ横をほっつき歩いていた時に出会ったんだった、あの二人も今どうしているのだろう…。

 

 と明後日の方向、しかも性懲りもなく過去に思考を飛ばしかけている自分にうんざりした健輔は頭を振って余計な思考を追い出した。今すべき事はさっさとねぐらに戻って明日に備えて寝る事、ガラにもない事するからこんな事になるんだと十数分前の自分の決断を呪いながら、流石にこれだけ離れれば大丈夫だろうとすくっと立ち上がった。その刹那――

 

 「キャア″ァァァァァァァァァッ!」

 

 つんざくような悲鳴、それも確かな人間の女性の声が健輔の耳朶を打った。先程の嬌声とは明らかに異なる恐怖や嫌悪の混ざった声だ。戻って様子を確かめてみるべきかと逡巡したのも一瞬、もし勘違いだったらその場で直ちに穴を掘って自害したい気持ちになる事請け合いになるのも承知で健輔は来た道を引き返す事にした。

 突然木々を掻き分けるような音と共に前方から黒い影が現れ、なんだと思う間もなく健輔と正面から衝突した。咄嗟に影をその手で受け止める事には成功したが、受け身を取るには至らず、その重さを引き受けた身は憐れもんどり返って背中を地面に強打する羽目になった。思わず呼吸が止まりそうになる程の衝撃に危うく意識までをも手放してしまいそうになったが、自分にのしかかる体制になった小さく柔らかい感触と荒い息遣いの生々しさを知覚し、あと一歩の所で踏みとどまる事が出来た。

 

 確認するまでもなく腕の中の軽い感触といい、先刻の声といい、今その手にかき抱いているのは間違いなく女のものだと分かり、不意に林の中で乳繰り合っていたって事は…と場違いな思考を巡らせそうになったが、それも暫くもがくように健輔の腕の中で動いていた女の口から「助けてください!」とほぼ悲鳴のような声が発せられるまでだった。

 

 「助けるって…一緒にいた男に何かされたのか?」

 

 「違います…!バケモノ…()()()()が…!」

 

 バケモノ。その言葉の意味を反芻するのにしばしの時を必要とした。それが過ぎれば予想の斜め上を行く発言に健輔がまず最初に思ったのは「この女、大丈夫か?」という事だった。もしかして良くない薬でも盛られたんじゃあるまいな、まずは落ち着かせないと…としかし、この場においてそういった常識的な反応は却って女を恐慌に陥らせるだけだったようだ。女は手足をジタバタ動かして健輔から離れようとする。

 こりゃあ落ち着かせるのに苦労しそうだな…と考えた矢先、再び茂みがガサリと音を立て、暗闇の中に一際大柄な体躯が姿を現した。その音を聞いた女性の悲鳴が一際高くなり、もしかしてさっきの男か?と思って暗がりに目を凝らしたが、その瞬間健輔は己が盛大に過ちを犯していた事に気が付いた。木々の隙間から差し込む月の光に照らされ、今目の前に現れたその姿はまさしく――

 

 「ッ…!()()()()…」

 

 “ソレ”はそうとしか形容の出来ない姿、少なくとも健輔の知る世界での「普通」ではない事は一目瞭然だった。

 全身を薄汚れた包帯で覆ったその姿は、しかし明らかに人間の形をしていない。長さが常人の2倍はある左腕の先には鋭い爪が並び、下半身は特に腰回りから臀部にかけてが異常な程肥大化しており、そこから伸びる左足も節足動物のように変形し、あろうことか2本生えている。

 何より醜悪なのがその頭部であり、そこだけは包帯の大半がはだけ、人、それも女と思われる素顔を晒していた――但し()()()()()()()()()。口は耳元まで裂け、口腔内には不揃いな乱杭歯が無数に生えており、左半分は焼け爛れたような真っ黒い皮膚に覆われ、目のある位置には無数の赤い単眼が欄々と輝いていた。よくみると包帯に包まれた体も左半身の皮膚は同じように変色している。総じて“ソレ”は右側は僅かに人間の面影を残してはいるものの、もう片方はそのまま別の生物のパーツを無理矢理貼り付けたような――まさに「バケモノ」そのものだった。

 

 そのバケモノは倒れている健輔達の姿を正面に捉えると、裂けた口元をグニャリと笑みのような形に歪めて開く。その口腔内には――恐怖に歪んだまま固定されたような表情を浮かべた男の生首が咥えられていた。まさか先程の声の男か…!?と認識したのと同時に途端に嘔気がこみ上げてきた。よく見るとその歪な両手にはバラバラにされた人体と思しきパーツが握られている。

 

 「イヤァァァァァァァァァッ!来ないでえええええェッッッッッ!」

 

 さっきまで一緒にいた男の無惨な姿を捉えた所で女の恐慌は頂点に達したようだ。組み敷いた健輔を押しのけるように立ち上がると脱兎の如く駆け出していくが、混乱故か足元が不安定で覚束ない。横に押し出された衝撃で健輔も気絶だけは免れた。

 しかしバケモノの方はそんな女を見逃しはしなかった。口に咥えた男の生首を吐き出すと女の方に首を向け、唾棄するようにその裂けた口腔から針をショットガンから弾を打ち出すように発射した。針は女の逃げ足よりも早く背中やふくらはぎに突き刺さり、その衝撃で彼女は足を獲られたように地面に倒れ込んだ。しかし悪夢はそれだけでは終わらない、さらに女の叫びが悲痛なモノになっていく事に気付いた健輔がなんとか体を起こして駆け寄ろうとすると、地面に倒れた彼女は涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら必死に両手を動かして、地面をのたうち回っていた。なんと既に彼女の両脚は針が刺さった所を中点に壊死したように変色し、動くたびに融解していく。

 

 (ウソ…だろ…なんなんだよ一体…!)

 

 健輔がへたり込んだままその場から一歩も動けないでいると、徐々に這うように――その体つきのせいであまり速く動けないらしい――バケモノが女に覆いかぶさっていき、

 

 「キシャァ“ァ“ァ“ァ“ァ“ァ“ァ“ァ“ァ“アッ」

 

 次の瞬間、気味の悪い奇声を発するとその大口を開き、同時に左腕と足で引き裂くように女の体を解体し始めた。二本の節足が女に突き刺さった時、怪物の奇声に合わせるように女が一際高い悲鳴を上げたがその声も次第に弱くなっていく。鋭い爪と足先の鋏が肉を抉り、無理矢理千切られた四肢と臓物が辺り一面に散らばり、気が付くと夜の森には怪物の唸り声とグチャグチャという咀嚼音だけが響き――

 

 「う、」

 

 突如――腰を抜かした健輔の前に何かが投げ出される。それは鮮血に塗れながらも先程まで確かに生きていた女の顔の半分だけで――

 

 「――うあ゛あ゛あ゛ああぁぁぁぁっ!」

 

 理性を保っていられたのはそこが限界だった。あまりにも非現実的、この世の物とは思えない地獄のような惨劇とそれを引き起こしたバケモノに対する恐怖、混乱、生理的嫌悪それらの感情が綯交ぜになり、ひとしきり叫びを上げれば先程は抑えていた嘔気がこみ上げ、気が付けば健輔は足元に吐瀉物をまき散らしていた。暑くもないのに気持ちの悪い汗が全身に流れ、体を芯から凍えさせていく。

 そんな健輔の叫びを聞いたバケモノは女を解体する手を止め、健輔の方に向き直る。左の昆虫のような表情のない目が捉えた獲物を睨めつけるように妖しく光り、もう片方はまるで小さな生き物を弄ぶ子どものような嗜虐心を唆られた人間の瞳で健輔を捉えた。舌なめずりするように口元を歪めると、ゆっくりと――だが確実に腰を抜かした健輔の方ににじり寄ってくる。変形した足は動くたびにガチャガチャと鋏を打ち鳴らすような音を立て、それがバケモノの処刑宣告のように思えた。

 

 「来るなぁ…!来んなよ…来ないでくれぇ…っ!」

 

 死ぬ、いや殺される。身も世もなくその時健輔はそう確信した。

 いや単に死ぬだけならまだ良い、あの女のように毒針で体を溶かされ、生きながらにして全身を喰い千切られて、あのバケモノの餌にされるのだ。この世界に入った時からいつかどこかの路傍でゴミのように打ち捨てられて死ぬのだと悟り、心の片隅でそれはイヤだなと思いながらも何もかも諦めて生きてきたつもりだった。でもこんなのはもっとイヤだ、だってこんなのあまりに理不尽ではないか…!母親も親友も恋人も…全てから引き離された挙句にこんな所で無惨に喰い殺されるなんて。確かに俺は学も生産性もないただの野良犬だ、でもこんな死に方しなきゃいけないほど悪い事なのかそれが…!

 

 「助けて…誰か…!死にたくない、死にたくないよ…っ!」

 

 もし助かったら今度こそ母さんにちゃんと孝行する、養父とだって正面から話すし、友とも恋人とももう過去の事だって逃げずに向き合うから…!やり直せる事だったらなんでもやり直す、だから神様…もしいるなら、もうちょっと俺に生きる時間を下さい…!その言葉が声に出たのかは知らない、だがその刹那――

 

 「止せ、《ガロ》!」

 

 木々を震わせるようにその声が暗闇から響いた。瞬間こちらににじり寄ってきていたバケモノは動きを止め、その異形の相貌を後方に転じる。茂みの奥から足音が聞こえ、何かがこちらに歩いてくる気配を感じた。

 助かった…のか…?なんだかよく分からないが先程とはうって変わって大人しくなったバケモノの姿を見て健輔はボンヤリとそう思った。顔は既に汗か涙か鼻水か涎かも分からぬほど、グシャグシャになり、股間の辺りもじっとりと湿っているのを感じた。やがて闇の奥からそのシルエットが月明かりの下に姿を現す。淡い月の光を受け、その銀色の仮面が幽鬼の如く鈍く輝いた。

 

 「全く…、代議士のドラ息子だけの筈だったってのに…。余計な目撃者を増やしちまいやがって…」

 

 如何にも不快で不本意だ、とでも言いたげな不機嫌な男の口調。舌打ちするように口元を歪めているが、分かるのはそれだけで、それ以上のその人物の感情は読み取れない。その人物の顔は口元以外銀色のドクロを模した仮面で覆われていた。マットな質感のレザースーツに仮面と同じ色の鎧を身に着けたその姿は――!

 

 「ス…《スカルマン》…!」

 

 実際その姿を見るのは初めてだった。だがこの1年あまり一度だってニュースでその名と姿が報じられなかった日はない程、今や日本中がその存在の動向を注視していると言っても過言ではない。悪趣味な仮面を被り、一人でこの国へと攻撃を仕掛けた稀代の犯罪者…。そいつが今目の前に立っている事、加えてその脇に佇むバケモノの存在自体どこか夢のような出来事だ。

 

 だがそんな事は何の慰めにもならない。怪物が大人しくなった時一度は助かったと思えた希望が急速に塗り潰され、絶望の色に染まっていく。何のことはない、バケモノの次はもっと危険なただのコスプレ殺人鬼が現れただけ、このままコイツに殺されて自分も憐れな《スカルマン》の犠牲者にカウントされる、それだけの事だ…

 

 「頼む…。やめて、殺さないで…っ!」

 

 もう完全に萎え切って動く気配すらない足を必死に引きずって、せめてカラカラの喉から声を絞り出す。そんな健輔の無様な様子を《スカルマン》は暫し苦虫を嚙み潰したように口元をへの字に曲げ、眺めていたが、やがて大仰そうに溜息を吐くと、腰元から何かを抜き取るとそれを健輔に向かって突き出した。

 

 「アンタもとことん不運だよな…。恨むならアイツを恨んでくれよ…!」

 

 人を殺す事にとことん快楽を覚えるような嗜虐芯に溢れた声ではない、意外と理性的で下手すれば穏やかとも思えるような声だった。何より思っていたよりずっと若い…不意にどこかで聞いたような声だなと思ったが、それも眼前に突き付けられたそれが拳銃だと気付くまでだった。無情なまでに昏く冷たい銃口が健輔に否応なしに死を連想させる。

 

 ごめん、やっぱ俺ここまでみたいだ。その言葉は誰に向けられたモノなのか、自分にも分からなかった。やがてその先からまばゆいまでの閃光が瞬き、健輔の命を消し飛ばす――筈だった。

 

 「ウオォォォォォォォォォォォォォォッ!!」

 

 転瞬、地響きのような咆哮――いや雄叫びか――と共にナニカが現れた、いや正しくは「降ってきた」と表現した方が適切か。本日三度目となる非常識な来訪者は先程まで《スカルマン》が立っていた場所に向かって大跳躍から自由落下の勢いを加味して拳を振り下ろした。咄嗟に身を躱した《スカルマン》だが、その拳を打ち付けられた地面はクレーターの如く、大きく抉られ、その衝撃波はまさしく暴風となって《スカルマン》、そして健輔の体を大きく吹き飛ばした。

 

 (なんなんだよ一体…!)

 

 吹き飛ばされた勢いのまま、森の木の一本に背部を強打する。今度こそ息が止まりかねない痛みが全身を突き抜け、意識が急速に薄れていく中で健輔はせめて唐突に出現した鋼の暴風の正体を見極めようとした。

 ボンヤリとした視界に映るのは鋼鉄の鎧のように見える背中…正直敵か味方かも分からない。次に目が覚める時、果たして自分は生きているのかそれとも涅槃にいるのか、そんな事を薄っすらと考えながら健輔は意識を手放し、夜よりも昏く深い暗黒に落ちていった。

 

 

    

・・・・・・・・・

 

 

 「おいおい…。なんだよその姿は…?」

 

 

 《スカルマン》が戸惑ったように、もしくは嘲るように問いを投げかけた。隣に佇む蜘蛛と人が溶け合ったような異形の怪物が威嚇するように吠える

 それに対していちいち答える筋合いはない。自分の任務は明白だ、目の前にいるこの悪趣味なドクロ男を倒す事、それに尽きる。

 奴に対抗し得る力量はあると自負している、迷いはない、この黒い鎧が齎してくれる力も十分自分に応えてくれる。ならば自分がすべき事は可及的速やかにそれを果たすだけだ。

 

 (任務開始――!)

 

 赤く染まった十字型のバイザーの向こうに佇むターゲットをしっかりと捉え、黒い鎧の戦士――《エースゼロ》は臨戦の構えを取った。

 

 




久し振りにスカルマン登場。ついでに怪人も登場。あ~長かった!!!

今回戦闘パートのつもりでしたが、長くなりすぎたので謎の新戦士が登場したタイミングで終いです。
次回はたぶんみっちり戦う事になります。


乞うご期待。
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