「おいおい…。なんだよその姿は…?」
不意に自分達の間に割って入った闖入者…。その異形の姿を捉えた《スカルマン》は仮面の奥の顔を歪めた。それが驚愕故なのか呆れによるものなのか、だがそれ以上にどこか可笑しさすらこみ上げてくる。
それは全身を黒い装甲で覆った現代的なデザインの鎧武者――少なくとも他に形容する言葉が見当たらない、異質な戦士だった。メカニカルなデザインのアーマーが全身を覆い、腰の所には右側にバイクの操縦桿のような物が備わり、中央から不可思議な光を放っているベルト状の装備帯が付いていた。頭部もまた自分と同じような仮面で覆われているが、十字架のような形状をしたバイザーが、赤い光を発しながら明滅している。さしずめ悪魔祓いだな、どんなセンスか知らないが何とも酔狂な奴には違いない。最も格好に関しては自分も人の事は言えないけどな、と内心苦笑する。
ただのコスプレ人間ではない事は先程見せた尋常じゃないパワーが証明している。間違いなく自分や隣に佇む《ガロ達》共々人外…この世の理を踏み外した側に立つ者の姿だ。それが今こうして敵対者として佇んでいる、それは即ち「アイツ」が遂に自分の存在を認識し、始末するための刺客を送り込んできたという事の何よりの証左ではないか。これが笑わずにいられるだろうか!
「その姿…アンタも俺とご同類だよなぁ?誰の指示でここに来た、えぇっ?」
《スカルマン》は目の前に佇む方の異形に問いを投げかける。しかしそれ――《エースゼロ》というコードで呼ばれている――は一切受け答えする事もなく、腰ベルトにささった銃のような機具を左手で抜くと、それをゆっくりと掲げた。
なんだ西部劇らしく銃撃戦がお好みか、と揶揄しながら《スカルマン》も同じように銃を相手に向ける。しかし次の瞬間《エースゼロ》はそれを遥か頭上に掲げると《スカルマン》の存在など無視して発砲した。必要以上の轟音と共に発射された弾は遥か上空で炸裂すると、ピンク色に近い光を発し、周囲に光をしばしの間照射した。
彩光弾か…!その光景を見ながら《スカルマン》は思わず歯噛みしながら、己の迂闊さを呪った。主に通信や救命活動に用いられる数分の間光を発し続ける信号弾と呼ばれるタイプの弾種だ。恐らくこの光を見てすぐにでも警察が駆け付けて来るだろう、そうなれば突破出来ない事はないだろうが、かなりの手間と時間を要する事になる。それは出来れば避けたい事だった。
チラリと《エースゼロ》の背後で倒れている土枝健輔に目を向ける。あの様子だと恐らく気絶しただけで死んではいないだろう、自分の姿を見た者を始末すべきか否かで言えば正直気は進まないが取るべきは前者、これまで大勢の命を奪っておいて何を今更、と心の声が語りかけてくるのは承知だが、その一方であくまでその場に居合わせただけ、あのドラ息子とは無関係だし、ボイスチェンジャーの性能が確かなら――と本気で思っている自分がいる事にも驚いた。いっそ彼を担いで逃走するか、とでも思ったが前の前に佇む十字仮面にそんな余裕が許されるとは思ってない、実際《スカルマン》がほんの数瞬抱いた葛藤を《エースゼロ》は見逃さなかった。
瞬間《エースゼロ》がこちらに目掛けて手の甲部分に仕込まれた銃器のような装備を発射してきた。《スカルマン》は咄嗟に右に避けて直撃を避けようとしたが、それはまるで意志を持つように軌道を変えるとそのまま《スカルマン》の左腕に絡まりついた。それは先端に三本爪状のアンカーが取り付けられた細い鎖で、腕に絡まると同時に巻取りを始めたのかきつく締まりだす。
マズイなこの状況は。《スカルマン》は仮面の奥の顔を歪ませながら、チェーンを振りほどこうとするが硬いだけでなく多少の粘性も備えた特殊な金属らしい、自分のパワーを以てしても強引に振り切る事は難しそうだ。おまけに悠長に相手をしている程、時間的余裕もないと来た。
「なるほど
だが《エースゼロ》もそんな甘い相手ではなかった。敢えて射出したチェーンを自分の手で掴むとそのまま目一杯の力を込めて薙ぎ払うように振り回し始める。
「うおぉっ!」
恐るべき膂力だ、地面にしっかりと足を付け、抵抗する間もなく《スカルマン》の体は砲丸投げのように振り回され、付近で佇んでいた《ガロ》目掛けて投擲された。二つの異形の姿同士が衝突し、《ガロ》が鈍い咆哮を発する。避けるか受け止めるかして援護しろ、これだから碌に知性もない不適合体は…!と言っても詮無い愚痴を吐きながら、隙を作らないように瞬時に体を起こそうとしたが、常人にとっては早すぎる立ち直りも目の前の《エースゼロ》には無限にも等しい間だった。気が付いた時には既に《エースゼロ》は地面を蹴って、《スカルマン》の間合いにまで肉薄していた。即ちそれは自分にとっても拳の有効範囲という事だが、如何せん向こうは既にストレートの拳を繰り出す所まで来ている、カウンターを狙うにはこちらの出が遅すぎだ。だが…!
「――舐めるなぁっ!」
《スカルマン》は咄嗟に自分の背後で蠢いている《ガロ》を掴むと、盾にするように相手の拳に向けて突き出した。強靭な威力で以て放たれた打撃は的確に《ガロ》の体に突き刺さり、悲鳴のような叫びが森に木霊した。《ガロ》の声だ。その叫びは獣のようでありながら、どこか女性の嘆きのようにも聞こえる悲痛さだ。
そこに僅かながら動揺したのか、《エースゼロ》の挙動に刹那の隙が生まれた。だとしたら甘いと言わざるを得ないだろう、いくら半分人間の面影を残していても、そいつは所詮実験台のバケモノだ、人間らしい知性など既になく、命令に従う事だけの獣だ。しかし今はそれがありがたい、お前の命取りになる。
「《ガロ》ぉ、そいつに組み付け、死んでも離すなっ!」
少なくとも命令に忠実という点でこのバケモノは実に有能だった。瞬時にその蜘蛛のような脚で《エースゼロ》を挟み込んだ《ガロ》はそのまま異形の左腕と普通の人間らしい右腕で抱擁するようにその体を締め付ける。そのまま更に追い打ちを掛けるように、なんとかその体を押し返そうと藻掻く左腕に容赦なく鋭い牙を突き立てた。
「ぐううぅぅぅぅぅぅぅっ…」
これまで言葉の一つも発しなかった《エースゼロ》が初めて苦悶の呻き声を漏らす。どうやら「毒」が注入され始めたらしい。ああなったらほぼ助かる見込みはない、その時点でほぼ勝利を確信した《スカルマン》だったが、ここで慢心するような愚は侵さない。
「――自爆しろ…っ!」
受諾。その声が脳内にハッキリ聞こえた。《ガロ達》の最後の手段だ。彼らの体内にはその体を瞬時に炎上させるに足るだけの炸薬が仕込まれている。万が一戦闘不能になった際に目撃者を確実に始末しつつ、証拠隠滅にもなる。実に合理的なシステムだ、合理的過ぎて虫唾が走る。だが今はそれを実行する必要があった、目の前の襲撃者を確実に倒すため、そして何より――この憐れな半人間をいい加減楽にしたいと思ったのもある。
だがしかし――
「おぉおぉぉぉぉぉぉっっ!」
直後組み付かれている《エースゼロ》の体から蒸気のような白煙が吹き始めた。まさかアイツも自爆する気じゃないだろうな、と思ったのも束の間、《エースゼロ》の右腕が電撃のような速さで動き、奴を拘束している《ガロ》の左手脚がバターのように寸断された。今度こそ悲痛な絶叫が森中に響くような音響で放たれ、切り裂かれた《ガロ》の体から真っ黒い血液が滴る。
その隙をついて《エースゼロ》は目の前の巨躯を蹴り飛ばして、その反動で距離を取ると左手からもチェーンを発射した。鎖の先の爪は《ガロ》の体に深々と突き刺さり、更に肉を抉り取るように浸食していった。先程告げた自爆コマンドが発動仕掛けているのか、次第に《ガロ》の体が沸騰するように熱を放ち始め、蒸気が上がる。
その頃合いを見計らって再び《エースゼロ》は力任せにチェーンを振り回すと、擲弾のように《ガロ》を上空に放り投げた。次の瞬間臨界を迎えた《ガロ》の肉体が一瞬不吉に光ったかと思うと、その異形の姿は爆発四散した。先程の彩光弾とは比べ物にもならない輝きと轟音、衝撃波が放射状に吹き荒れ、更に最悪な事にその爆発が周辺の木々に火をつけ、火災が誘発され始めた。
最早一刻の猶予もない、《スカルマン》の焦りを敏感に感じ取ったのか、《エースゼロ》は更に追撃を仕掛けてくる。右腕のチェーンが横鞭のように振り回され、本能的な危険を察知して即座に背後に飛び退ると案の定鞭の範囲内にあった木々が両断される。見ると前とはうって変わって鎖は赤熱化し、それが
確かに危険な武器だ、現に《エースゼロ》は左腕にも握ったチェーンをヌンチャクのように振り回しながら、確実に《スカルマン》の動きを封じてくる。だがそれ故に密着の間合いに隙が多い、どこか奴の動きには迷いがあるのを敏感に感じるのである。もしかしたら抹殺ではなく捕縛するように仰せつかっているのかも知れない、そういう所はなんだかんだでこの国らしいと思うが、だとしたら自分も随分と安く見られたものである。殺す気でいる者と命を奪えない者、戦いの場においてその差は絶対だ。
《スカルマン》は敢えて飛び回るのをやめ、地面に着地すると腰のホルスターから拳銃を抜き放つ。それを見た《エースゼロ》も鎖を振り回す動きを止め、こちらとの間合いを図った。今二人が対峙しているのは距離にして凡そ20メートル程度、鎖のリーチを上回ってはいるが、奴なら一瞬で到達し、接近戦のレンジに持ち込めるだろうが銃ならそれより速く相手を撃ち抜ける。
《スカルマン》は慌てて動かず、銃を相手に構えるが恐らく相手も相応に防弾仕様の筈だ。闇雲に撃っても効果は薄いだろうが、この距離なら確実に首やバイザー等の急所に当てられる。
膠着状態は時間にしてほんの数秒だった。突如《スカルマン》は発砲するでもなく、《エースゼロ》に向けて走り出した。最短距離の正面ではなく、向かって左側から回り込むような軌道だ。
予想外の行動に一瞬《エースゼロ》がバイザー奥の目を見開いた――と思う。傍から見れば睨み合いに焦れて接近戦を仕掛けてきたようにも見えるのだろう。だがやはり相手も対応は素早く、すぐに右手に仕込まれたチェーンを相手に向けて発射した。漆黒の闇の中に赤化した鎖とその先の鋭い爪がギラリと輝く。
それを待ってた!
《スカルマン》は走りながら即座に拳銃を構えるとチェーン先端のアンカーユニットに向けて弾を発射した。常人にとっては走りながらの射撃も暗闇の中、ピンポイントに鎖の先端だけを撃ち抜くのも困難な所業だったが、自分にとっては造作もない事だ。最も一瞬の行動選択の結果が命取りになりかねない戦いの場では内心冷や汗ものだが。
放たれた弾丸は狙い違わず、アンカー部分を破壊し、自分に向かっていた鎖の軌道を変える事に成功した。まさかの事態に《エースゼロ》は続けて左手の鎖を発射しようとしたが、先程と比べてコンマ0.3秒反応が遅い。格闘の癖から気付いたのだが恐らく奴は右利き、そして左手は《ガロ》との戦いで負った傷があり、動きが鈍い。そして《スカルマン》にとってはそのほんの少しの隙で十二分だった。
《エースゼロ》が二発目のチェーンを発射した時、《スカルマン》は既に相手の頭上の高さまで跳躍し、悠々とそれを回避しながら放物線軌道のまま、跳び蹴りを放っていた。相手も咄嗟に両腕で防御の体制に入ろうとしたが、間に合わずその仮面にまともに《スカルマン》の蹴りが突き刺さる。その衝撃は凄まじく《エースゼロ》はそのまま数メートル以上吹き飛び、地面に叩きつけられて漸く止まった。
常人なら今ので確実に首の骨が折れるかして死亡する勢いだが、やがて《エースゼロ》はゆっくりと起き上がる。動きは先程と比べて精彩を欠いてはいるが足取りはしっかりしており、脳震盪などはなさそうだが、一方でまともに蹴りを食らったマスクはグシャグシャに砕かれ、幾多もの複雑な亀裂が入っていた。
流石にタフな奴だな、と賞賛の一つでも送ってやろうかと思ったが、どうせ碌に口も開きもしない奴なのだし言っても無駄だなと思っていると、《エースゼロ》は半壊状態のマスクを脱ぎ捨て、無造作に足元に投げ出した。
果たして炎に照らされた闇の中に《エースゼロ》の素顔が晒される。
破壊された仮面の破片で切ったのか頬や額に血が滲んではいるものの、まだ少年という形容が通じる顔立ち。乱雑に短くカットされた髪とムスッとへの字に曲げられた口元も相俟って余計に幼い印象を与える。自分よりも遥かに若い、下手すれば15,6くらいの少年…、こんな奴が刺客なのか…?その事に少なからず《スカルマン》は動揺を禁じ得なかった。
だがそんなこちらの事情などお構いなしに少年は猶もこちらに肉薄し、拳打や蹴りを放ってきた。それらを捌きながら、そう言えば先程《ガロ》に左腕を嚙みつかれ、本来ならとっくに「毒」が回っていてもおかしくない筈なのに、という点に思い至る。負傷している左手のみ微かに動きが鈍いが、逆に言うとそれだけで、常人を遥かに超越している己の動きに追従し続けている。成程その出で立ちに惑わされもしたが、やはりコイツは自分達と同じ突然変異のバケモノなのだな、という確信が改めて湧き上がっていく。
それなら何の遠慮もいらない、と思う所だが、しかし状況は格段に良くない。既に最初の信号弾が上がってから5分近く立とうとしている。恐らく最寄りの交番はとっくに異変に勘づき、近くの署の応援も到着しかねない頃合いだ。このままバケモノ同士で不毛な殴り合いをするメリットがこちらには無さすぎる。
「なあ、アンタも警察は困る身の上だろ、ここは引いた方がお互いのためだと思うぜ?」
焦りを悟られないように、さも余裕そうな口調でそう告げるが相手は例によって何も返答しようとしない。それが殊更に《スカルマン》の神経を逆撫でする。なんなんだこのガキは、もしかして口がきけないのか…!
「このまま俺と俺と心中する気か…、なんとか言えよ、えぇっ!?」
どうにも自分のペースを乱されているようで腹立たしい。その苛立ちがつい口をついて出た。すると向こうの少年も舌打ちするように口を歪ませ「…五月蠅い」、と低く呟いた。その声と同時に腹部に鋭い痛みが走り、《スカルマン》は大きく後方に跳ね飛ばされていた。
なんとか空中で受け身を取って着地には成功したが、装甲とスーツを貫通する勢いで体にめり込んだ衝撃は臓腑を震わせ、その奥の神経すら痛めつけたような気さえした。見ると《エースゼロ》は右掌底を大きくこちらに突き出した、独特の構えで臨戦態勢を取っていた。今のは恐らく掌底突き、しかも何か特殊な拳法の型だ。
やはり悠長に撤退を許してくれるような相手ではないらしい、なにより戦いの最中に引き際を考えた方が負けだ。気付くと周辺に既にパトカーのサイレンの音がどんどん近くなり、機動隊の大型輸送車と思しき車の気配も感じる。どうやら意地でもコイツを始末してその後、警察達を徹底的に殲滅する必要がありそうだ、と《スカルマン》が覚悟を決めたその時、
「キュイィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!」
満月に影を差すように何かが過った、と思った途端、鋭い雄叫びが《スカルマン》と《エースゼロ》を襲った。同時に十数本のダーツのようなモノが《エースゼロ》に襲い掛かり、彼はそれらを回避する事を余儀なくされた。大きく開いた二人の間合いにその影が降りたつ。
影の正体は鳥のような姿をした人間――いや最早人間と呼んで良いものなのか分からない――だった。
頭部の形状は鳥そのもの。体は墨のように黒く変色し、光沢を帯びている。左手から右足に掛けて袈裟斬り状に羽毛のような形の硬質な突起を複数生やし、鱗に覆われた脚はまさしく猛禽類の如き巨大な鉤爪が鋭く尖っていた。第三者が見れば間違いなく《ガロ》と呼ばれた怪生物と同質のバケモノ、という感想を抱いただろう。
だがその瞳――地面に降り立ち《スカルマン》をジッと見つめる両眼には確かな人らしい知性を備えていた。
「――いつまで遊んでいるつもりだ…。引き時を見失うなミキト」
「…
静かな、だが確かな人間の言葉でその怪物は《スカルマン》に告げた。その声に《スカルマン》は歯噛みしながらもここは素直に了承する道を選ぶ事にした。目の前の少年相手に互角の対決に持ち込まれ、引き際を見失う程の無様を晒してまで、撤退を選ぶのは正直屈辱以外の何者でもなかったが、それも全て自分の蒔いた種だ。目の前の男――因みにコードは《モズヴェルノム》だ――の言う事は正しい。《スカルマン》は「っ…分かった…」と絞り出すようにこの場の撤退を了承した。
「少年」
新手の闖入者相手に依然警戒を解かない《エースゼロ》の方に向き直って《モズヴェルノム》が突然口を開いた。
「今回は我々の負けと言う事で良い。だから今日の所は君も素直に引いてくれたまえ」
「…そう言われて了承すると思うのか…?」
《モズヴェルノム》の提案に対して少年が憮然とした表情で答える。目の前の相手に先程の型の構えを見せ、臨戦態勢を解かぬまま、「…お前達を捕らえる事が俺の任務だ。任務はやり遂げる…」静かに、だが有無を言わさぬ口調で少年もまたそう告げた。
「ふっ…生真面目な事だ…行くぞミキト」
どこまでも頑ななその受け答えに《モズヴェルノム》が思わず苦笑する。そういう仕草も実に人間的だが、次の瞬間その体が大きく変形しだした。両腕がより肥大化し、特に指が大きくの伸びて鳥の翼のようなフォルムを形成する。併せて上半身もその翼椀を羽ばたかせるに足る筋肉量を得るためなのか、胸筋が大きく盛り上がっていき、最終的には一回り程大きくなったその姿はまさに巨大な怪鳥そのものだった。さっきまで両腕だったその翼をはためかせるとその巨体がふわりと浮き上がりだす。《スカルマン》は咄嗟に《モズヴェルノム》の脚に捕まるが、その重量でさえも妨げにはならない、二人の影は一気に地上を離れ、月明かりの空に飛び出した。
「逃がすか…!」
勿論それを黙って見ている《エースゼロ》ではなく、無事だった左手の鎖を射出しようとしたようだが、その瞬間、以前に彼目掛けて発射され、地面に突き刺さったままだったダーツ――《モズヴェルノム》の羽毛状の突起物だ――が一斉に起爆した。爆発と言っても小規模な花火程度のモノだったが、一瞬目を眩ませるには十分な威力で、その僅かな隙をついて《スカルマン》と《モズヴェルノム》の二つの異形は闇に消えていった。
・・・・・・・・・
完全に不覚を取った。
満月の夜空に消えていく影をただ遠巻きに眺めながら《エースゼロ》は歯噛みした。その途端これまでの戦闘で蓄積した疲労がグンと押し寄せて、高熱に浮かされるような感覚と共に、地面に片膝を突きそうになったが、かろうじて急いでこの場を立ち去らねば、という使命感が倒れ込みそうになるのを防いでくれた。やはりシステムもまだ完全ではないのかも知れない、なんとか格闘戦で食らいつく事は出来たが、それにしてもシステムの恩恵ありきであり、それもこの通り限界ありの代物と来たものだ。
それに加えて完全な任務失敗、それもあと一歩という所で――。あの奇怪な鳥人間の襲撃さえなければ、と詮無い事を考えてみても、事実は覆らない、むしろたらればに依存している内は達成など望むべくもない事だ。こういう結果になった以上今自分がすべき事は速やかに、それも警察の手に掛からず、この場を離れる事、せめて無用な騒ぎを起こせば失敗どころではない。肉体の休息も成し遂げられなかった事への後悔もその後についてくるべきものでしかない。大丈夫だ、命ある限り次の機会は必ず訪れる――。
そう、命あってこそだ、それを失ってしまえば永遠にそのチャンスは巡ってこない。
周囲を見渡すと、かつて人だった者、そして今は無惨な血の跡と骨肉の破片が転がされていた。恐らくあの《ガロ》とか呼ばれていた獣の仕業だろうが、それを指示したであろう骸骨男もまさに人を人とも思わぬ、鬼畜の所業と呼んでも良いだろう。所詮自分はアレと同類なのかと思うと再び暗澹とした気持ちがこみ上げてくるが、決定的に違うものがあるとすれば…。
(――すまない、助ける事が出来なかった)
二つの遺体を前に今は静かに手を合わせる。所詮それがただの気休めでしかない事も自己満足に過ぎない事も百も承知だ。ただ今のこの状況では火に葬し弔う事はおろかせめて花を手向ける事すら叶わない。非力な自分を恨んでくれて構わない、必ず仇は取るから――。
そう、少なくとも自分はまだ人間だ、人の痛みに共感し、死を悼む事の出来る、面倒くさく不条理で得た物よりも失った物の重さしか実感出来ない、ただの。例え自分にあるのがこの歪んだ力とそれを同じように振るう事だけなのだとしても。
そこまで考えた所でふと、そう言えば自分が来る直前まであのバケモノに襲われていた人影があった事に気が付き、すぐ視線を自分の拳が穿ったクレーター擬きの付近を見やる。果たしてそこから15メートル程離れた木の陰にその男は倒れていた。服装から察するに恐らくこの公園の改修工事に当たる作業員だろう。なんでこんな時間に出歩いていたのかは知らないが、とりあえず髑髏男の関係者ではないようだ。完全に意識を失ってぐったりしているものの、息はあるし一酸化炭素中毒の兆候も見られない、これなら助けられるだろう。そう判断すると《エースゼロ》は男を米俵のように担ぎ、そのまま走り出した。こうなった場合の逃走経路はあらかじめ頭に入れてある、この男は手近な所で降ろせば良いのだし、とそれだけ瞬時に計算し、《エースゼロ》は煙に巻かれる森の中を駆けだす。
不意に耳介からではなく、首の辺りから骨を震わせて声が響く。スーツの下に仕込んだ咽喉マイクからの通信だ。
〈どうやら敵は撤退したようですね、そちらはやられたのはヘルメットだけですか?〉
耳朶を介さず頭に直接響くようなその声老成したバリトンボイス、間違えるでもなく
「増援があった、巨大な鳥人間。千鳥と呼ばれてた。リストの中に該当者は?」
〈少々お待ちください…。恐らく…千鳥
数少ない「生き残り」にして「成功体」という訳か、更に離反者という事は何かしら《スカルマン》達に共鳴する所があったのだろう。事情は凡そ分からなくもないが、それでも奴らのもたらす夥しい流血がこれから起こる事を好転させるとは思えない。「あの人」の懸念が半ば現実になりつつあるのは、その先見性の確かさの証左とは言え、歓迎すべき事態ではないのは少なくとも確かだ。
〈…こちらの存在を悟られてしまった以上、彼らはあまり大胆には動きづらくなりましょう。あまり焦りすぎは禁物ですよ?〉
自分の声色はそんなに焦っていたのだろうか?珍しく湿り気を帯びた楠の声に若干訝しみを覚えたものの、彼は「逆だ」と即断する。確かに少々気は立っているかも知れない。
「こちらを知ったからこそ敵はより強気になる可能性もある。却って俺達が動きにくくなる可能性だって…!」
マイクの向こうで楠の息を呑む気配が伝わった。覚悟していた事だ、恐らく今後《スカルマン》は自分達を標的として動き出す可能性が高くなる。もしくは自分達を燻りだすためならより無辜の人々を犠牲にしようとさえするかも知れない。いずれにせよここからが本当の始まりになる。
〈――でしたら辰雄様もご帰還の際にはくれぐれも注意を…。今逃走経路を送ります〉
そこで通信は途絶した。すぐに右目にはめ込んだコンタクトレンズを介して周囲の警察や住民の動き、カメラや車両の位置などがリアルタイムで網膜に投影される形で脳に送信される。今必要な全ての動きを精査し終えた《エースゼロ》――
・・・・・・・・・
ここはまさしくバベルの塔そのものだな、半ば夜の闇に溶け掛け、それでも完全には眠る事のない街を見下ろしながら《スカルマン》はマスクを外した。全高643メートル、殆ど都会に溜まった塵芥とは凡そ無縁な世界は酷く居心地が良い。
バベル――バビロンは今でこそ神話世界の伝説のように語られがちだが、実際は紀元前6世紀ごろに世界最大の都市とさえ称されたメソポタミア文明・バビロニア帝国の首都であったとされる。史実として伝わるバベルの塔は全高98メートル、まさしく永遠の都、強大なる軍事帝国、巨万の富の象徴として相応しい威容だったのだろう。なんでもその塔の建設には数十万からなる敗戦国民からなる奴隷の存在によって支えられていたというが、逆にそれこそが言語の乱れと帝国の没落と結びついてこのような形で後世に永遠に伝わるのは果たして何の皮肉か…。
「何を黄昏れてるつもりだ、ミキト?」
瞬間塔の頂点に吹きすさぶ強風のように静かな、だが強い声がマスクを外した《スカルマン》――
「この1年間お前は、いや俺達はやり過ぎた。世界は決して俺達を受け入れないだろう」
分かっていた事だ、「スポンサー」の口車に乗せられている事を自覚しながらも、表向きは敢えてそれを受け入れ、道化を演じてきた。うわべだけでも大義にかこつけ、世を煽ってきた結果、意外と当初のイメージよりも支持者は集まったが、本当は単に自分は復讐がしたいだけだったのだろう。
先程あの十字架を模した仮面の男とやり合っていた時、自分は純粋に戦うことを楽しんでいた。いやそれよりもずっと以前から人の命を奪い、その手綱を握る感覚にどこか高揚を覚えていたのは紛れもない事実だ。もう目を逸らす事は出来ない。なんだかんだと言っても自分は単なる精神を病んだ復讐中毒者だ。
何に対してだろう?政治家か、この国そのものか、そこで安穏と生きる全てか、それともその象徴たる「アイツ」か…。それは最早自分にとって分かちがたく、結びついた物であり、今更不可分のものなのかも知れない。そんな事しても心は虚しいままだととっくに自覚はしているだろうに…。
だが今は――。
「それでも、やるしかない。元より俺達には道はないんだ」
バビロンから全地に散らばっていき、出エジプトを経て、それでもなお居場所もなく世界から迫害を受け続けた旧約聖書の民族がそうであるように、自分達も最早帰るべき故郷はなく、恐らくこの先決して受け入れられる保証もないという四面楚歌。止めに
「ああ、そうだな」
それしかないのだな。半分くらいの諦観と憐れみと、それでも確かな決意を込めて、千鳥は頷く。サングラスの覆われた表情は凡そ感情が読み取れないが、幹斗にはハッキリ分かる。なら俺はお前についていく、その顔はハッキリとそう決意していた。
「それはお前の決意か?それとも皆の?」
「愚門だな、俺達は皆お前についていくと決めている、例え地獄からの片道切符であったとしてもな。ただ――
言いづらいと感じるでもなく、千鳥は淡々と耳の痛い事実を告げてくる。だろうな、と内心で頷いてもその言葉は幹斗の心を抉るように深く突き刺さった。
元々梗華を守っていた筈の千鳥が来た時点で薄々そんな気はしていた。これも覚悟していた事だが、だからと言って胸に去来する痛い程の感情がそれで治まる訳でもない。何を今更、この1年間散々その痛みを彼女に味わわせていたのはお前自身だ、結局お前は彼女を重圧のように扱って逃げ出したんだ、そんな奴が皆の事を考える資格なんて――。内なる声が毒虫の羽音のように自分を責め立てる。
それは俺が背負わなければいけない弱さだ。かつてした事、今している事、そしてこれからするであろう全てにつき纏う後悔の根源だ。だったら受け入れて進んでいくしかないじゃないか、失う事しか出来ないならせめて失う痛みを忘れないようにするしか…!幹斗は一度息を大きく吸い、「梗華の事はお前に任せる」と絞り出すように告げた。
「俺は一度あそこに戻る。身を隠すにはうってつけだし、な。暫く潜んでアイツらの事を探ってみる」
「…分かった、俺も仲間と共に動こう。上手くいけば奴らに出くわせる」
目立たないようにな、そう告げたかも分からないうちに背後からフッと気配が消え、気が付くと漆黒の空の果てにその影は溶けて消えていった。相変わらずせっかちな奴だ。
「哲也」
再び独り闇の世界に取り残された事を自覚した幹斗はふと眼下に広がる世界に、その光の世界の中に生きているであろう「友」に語り掛けた。勿論声が届くなど思っていない、だからこれは祈りみたいな物だ。帰る故郷のない憐れな亡霊がせめて人間として発する最後の詞だ。
「お前は怒るだろうな、これじゃ昔とアベコベだって…。梗華と
俺もその内会えるかもな。
そう続けようとしたその言葉はしかしそれ以上は続かなかった。空と地上を分かつ距離はあまりに遠く、彼自身も知らぬうちに頬に流れた雫はやがて頤を伝って、遥か下の世界に落ちていきながら、風に吹き散らされて届く前に完全に蒸発した。
以上序章でした。
あーーーーーーーー長かった!!!!
ここまでざっと10万218文字!同人小説は文庫サイズで10万字、200ページくらいが適量と言われてるそうなので、たかが序章になにやってんだ!と我ながら突っ込みたい衝動です。構成が下手なせいですね、書き直したい…
次回から本格的に本章が始まります。引き続き気長にお付き合いいただけると嬉しいです…と言いつつ来週は諸事情でお休みします。