「あれが…《スカルマン》…」
本日何度目かの予想だにしない事態に哲也は呆然とそんな呟きを漏らす事しか出来なかった。
その姿を間近で見るのは思えばこの1年で初めてになる。黒ずくめの出で立ちに銀色のマスク、物々しいプロテクターという姿はこれまでテレビの画面や週刊誌の写真を通して何度も見たが、大抵それらはメディアというフィルターを通して希釈された情報に過ぎず、こうして眼前にそれが改めて突き付けられる重さとは全く異なるものだった。漠然とだが、ああ、本当に存在してたんだな…そんな風に感じられた。
意外と華奢なんだな、それが最初の印象だった。背は哲也とそんな変わらないが、マスクを被っていても頭が小さい、というか…ネットの動画で見た警察官との立ち回りの様子から見てももっと大柄でガタイの良い男を想像していたのだが。くぐもって聞こえる声はボイスチェンジャーか何かの効果だろう。
ここに何しに来たんだ…?最初の衝撃が過ぎ去れば次に頭をもたげてくるのはそんな疑問で、健輔が《スカルマン》が怪物を操っていたと証言していたのを思い出した。まさかコイツがあの人夫をバケモノに変えたのか…そう思った次の瞬間には《スカルマン》は病院の床を蹴ってバケモノに躍りかかっていた。
敵意を認識したのはバケモノも同様だったらしい。三度体を震わせ、体にびっしりと生えた棘を再度射出しようとした。マズイ、またアレが来るのか…。哲也は思わず身構えたが、それより《スカルマン》の拳がその巨躯に突き刺さる方が早かった。
その拳は棘に覆われていない方の半身を正確に捉え、肉を打つ鈍い音が響いた。僅かに態勢を崩したその隙を逃さず、《スカルマン》はその顔面を鷲掴みにすると、渾身の力を込めてその巨体を床に叩きつけた。
凄まじい轟音と衝撃がこちらにまで達する。粉塵が舞い散り、哲也は思わず顔を覆った。視線を《スカルマン》のいた方に転じると、叩きつけられた衝撃が凄まじかったのか、合成樹脂製の床が穿たれたように大きく陥没し、バケモノは頭部をめり込ませていた。
アレ本当に人間業かよ…。意外と華奢、という印象を哲也は哲也は引っ込める事にした。尋常じゃない怪力だ、明らかに人間のレベルを超越している。バケモノも非常識ならそれに対峙する骸骨男もこの世の道理ではない、というのも納得だ。まるでこの世の物とは思えないその戦いに哲也は戦慄した。
だがバケモノもやはりバケモノだ。人間なら良くて脳震盪を起こすか、悪ければ頭が潰れかねない衝撃を受けたというのに、まるで意に介していないように棘だらけの左腕を《スカルマン》に薙ぎ払った。
「チイィッ!」
だが《スカルマン》も咄嗟にバケモノの頭から手を離すと宙返りするように飛び退って、左腕の一撃を回避した。苛立ったように怪物が五角形の口を開けて咆哮した。しかしその唸り声が終わらないうちに頭部が衝撃にのけ反り、口から墨滴のような血糊が飛んだ。回避したまま地面に着地した《スカルマン》がバケモノの口腔に銃弾が叩き込んだのだと分かった。
その隙を逃さず、二発目の銃弾がバケモノの右の側頭部に突き刺さった。パッと花が咲くように血以外の紫色のナニか――たぶん脳漿だろう――がまき散らされ、バケモノはそのまま崩れ落ちるようにうつぶせに倒れ込んだ。
静寂。先程まで殺気という名の喧騒に支配されていた病院において、その静けさは異形同士の激闘に決着が付いた事を雄弁に物語っていた。周囲に身を潜めていた人々は固唾を呑んでバケモノを斃したドクロの仮面を被った男を見守っていた。《スカルマン》はそんな人々を一顧だにする事無く、腰のホルスターに銃を収める。
哲也もしばし呆然と目の前の状況を見守っていたが、不意に健輔は、ゲンさんと呼ばれていた老人は無事だろうかと、先程まで彼らのいた方向に目を走らせようとした――その刹那、同じく視線を彷徨わせていたのか周囲を見回していた《スカルマン》と目が合った。
ドクロのマスクの顔色は窺えない。だが哲也にはその唯一露出した口元が驚嘆したように軽く開かれているように見えた。黒い目は逸らす事無く、こちらを見据えている。
なんなんだ一体、お前は何者なんだ――。その視線に怯んだ哲也は思わず、顔全体にその思惟を込めて、《スカルマン》を睨みつけた。
視線が交錯したのはほんの一瞬だったか、不意にその張りつめた糸を解くように《スカルマン》がふっと肩を震わせた。酷く可笑しそうに、その口元が緩く笑みの形を作るのが見えた。
ゾクリと肩が震える。その笑みはなんだか途轍もなく懐かしいもののように思えた。なんだ、俺はこの笑みを知っている…?そう思った次の瞬間、哲也はその口元のある一点に視線が吸い寄せられた。下唇の向かって右下、そこに特徴的な2連のほくろがあるのを見つけた時、哲也は今度こそ心臓を直接鷲掴みにされたような心地を味わった。
――まさか、お前…!思わずそう叫びそうになったが、カラカラに乾いた喉から絞り出されたのは壊れた笛のような掠れ声ばかり。だがそれも長くは続かなかった。《スカルマン》の後方、左下。倒れ伏したバケモノの棘塗れの指がピクリと動くのを哲也は捉えた。
「――
極度の興奮状態に陥った脳が意味を、事象を理解するより先に思わず声を発していた。直後俺は一体何を言っているんだと、そんな気に駆られた。
だが少なくともその言葉に咄嗟に《スカルマン》が振り返る。銃弾で半分吹き飛んだ頭部、大きく裂けた口を晒し、墨適のような血を吐きながらバケモノが吠え、襲い掛かってきた。
まさかの事態に《スカルマン》も動揺を隠せなかったようだ。咄嗟に体を横に転がしてバケモノの左手の振り下ろしの避けたが、躱しきれず肩の辺りを棘が掠めた。鋭い突起物はレザー製と思しきスーツを引き裂き、赤い鮮血が噴き出すのが見えた。
「ぐあっ…!」
《スカルマン》の動きが一瞬鈍ったように見えたが、すぐに態勢を立て直すとそのまま転がるように床を滑り、バケモノと距離を取った。傷を負った肩を右の掌が庇うが、その指の間から血が流れている。暫し荒い息を吐きながらバケモノを睨みつけていた《スカルマン》だったが、不意にその口元がグニャリと歪んだ。まるで戦う事が心から楽しいと言わんばかりに。
《スカルマン》は左肩から手を離すと、後腰に手を伸ばし、何かを引き抜いた。遠目にもそれはナイフだと分かった。それも刃渡り250㎜以上はありそうな超大型のアーミーナイフ。如何にも殺傷に特化した凶悪な鋭さを宿した刃が昏い赤色に輝いた。
「グアアァァァアァァァァァッッッッ!!」
バケモノが吠えた。同時に《スカルマン》も床を蹴ってナイフを突き立てるべく襲い掛かった。かくして人智を超えた二人の怪物の第2ラウンドが幕を開けた。
幹斗…。その言葉に反応した気がするのは気のせいか…?本当にお前なのか…?ぶつかり合う異形同士の戦いを呆然と眺めながら哲也は胸中にそう発した。
「グルァアァァァァァァッッッッ!」
空気を揺るがすようなバケモノの咆哮が響き渡る。
「はあぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
裂帛の気合を乗せて《スカルマン》が叫ぶ。
バケモノがその長大な四肢を振るい、棘を射出するたびに壁や床が粉砕され、穿たれていく。対して《スカルマン》は悉くそれらを回避しながら、隙あらばバケモノに肉薄し、その体にナイフを突き立てようとする。
戦いは既に常人が入り込める領域ではなくなっている。悔しいが自分に出来る事は何もないと痛感した哲也はもう一度幹斗、と口内で反芻すると、力の抜けた体を無理矢理にでも立ち上がらせた。今すぐにでもあの髑髏男の前に割って入って、その正体を問いただしたい心境はあったが、そんな事しても巻き込まれて死ぬだけだ、と冷静な部分で考え直し、今は自分が出来る事をしなければ、それだけの想いを胸に脚を動かす。
視線の先には壁にもたれかかったままの老人とその向こうで左腕をダラリと下げたまま倒れ伏している土枝健輔の姿が見えた。哲也はなるべくバケモノに気取られないようにしながら、しかしなるべく足早に健輔に駆け寄ると「大丈夫か!?」と声を掛けてその様子を窺った。左手に触れると健輔が僅かに呻いた。やはり骨折しているようだ、とりあえずこっちの呼びかけに応答出来るくらいの意識はあるらしい、という事に一安心する。とりあえずここから連れ出さないとな、と思っていると健輔が掠れ声で「ゲンさんは…?」と呟いた。
その言葉に哲也はハッとして背後を振り返る。よく見ると壁にもたれかかった老人の肩が僅かに上下しているのが見えた。まだ息がある…!哲也はそう確信してゲンさんに駆け寄った。その痩せた体には腹部と左肩の辺りにあのバケモノから放たれた鋭い棘が突き刺さっていた。触れてみると、人体を貫通するだけあって結構な強度があるように思えるが、何しろ細い。下手に抜こうすれば途中で折れて体内に残る可能性があるし、なにより当たり所が悪ければ大出血を誘発しかねない。ここはこのままにしておくしかないな、と結論付けると、次に何処に二人を連れていくべきか、という思いが頭を満たした。
どうすべきか決めあぐねていると不意に後ろから肩を叩かれた。思わず変な悲鳴をあげそうになったが、すぐに「落ち着け!」と被せるように囁かれて、なんとかパニックだけは避けられた。背後を見ると先程ゴロウさんに駆け寄っていた医師がいた。
「一旦食堂の方に避難するんだ、この人は私が運ぶ。君は彼を!」
周りを見渡すと他にも十名程いたバケモノの犠牲者達を何人かの看護師や来院者と思しき人達が運んでいるのが見えた。だがそれ以上に目につくのはバケモノの棘に撃ち抜かれ、そのままピクリとも動かなかったり、爆発の余波や建物の一部の崩落に巻き込まれたのか倒れた多くの人の姿。ここはまるで戦場だ――地獄のような光景も目の当たりにして哲也はそう思った。
「なにしてるんだ早く!」
医師に急き立てられるようにして哲也はハッと我に返る。そうだ今はとにかく健輔達を安全な所に避難させねば…。病院ロビーの方は今《スカルマン》達が戦っているため、食堂を経由して中庭の方に避難しようという事か。そう了解した哲也は健輔に駆け寄るとその肩を支えて立ち上がらせる。折れた骨に響くのか呻き声を漏らしたのが聞こえたが、今は耐えてもらうしかない、とその場を後にすることにした。
食堂までなら本来ならほんの20メートル程度の距離の筈なのだが、今は途轍もない長い時間に感じられた。哲也と医師が部屋に入ったのを確認すると、看護師が入り口に設置された防火扉を閉じた。それに合わせて他の人々が一斉にテーブルや椅子をドアの前に次々と積み上げていった。ちょっとしたバリケードである。あのバケモノ相手にどの程度効果があるのか知らないが、時間稼ぎくらいにはなるだろう。
食堂の中には看護師などの医療従事者を含めて大体30人ほどがいるだろうか。うち10名ぐらいが床に寝かされて鋭い棘が刺さった箇所を抑えながら、苦痛の声を漏らしている。バケモノの攻撃を直接喰らった人たちだろう。先程の医師がゲンさんを同じように床に寝かせ、体温や脈拍を測りだした。その表情には困惑が見て取れた。
健輔の治療を近くにいた看護師に任せ、哲也はゲンさんと彼の様子を見ている医師に近づく。窺うようにそっと首元に触れてみるとかなりの体温が上がっていた。医師が作業着を引き裂き、患部の様子を確認しているのを見ると棘の刺さった辺りが濃い紫色に変色していた。
「どんな状態なんですか、この人達?」
そう問い掛けると医師は医師は「…分からん」と小さく首を振った。
「症状は主に患部の炎症、不整脈、痙攣、嘔気、発疹。酷くなると呼吸困難に肺水腫…そして高熱だ。生物毒に近いんだろうが、種類が全く特定出来ん…」
そう説明する医師の表情は困惑とそれ以上の無力さで塗り固められていた。本来なら自分達のホームグラウンドと言える場所で突発的に起こった怪物騒ぎとそれによって生じた怪我人、正体不明の毒、こんな場所に押し込められたせいで満足に治療も出来ない。医師としてこれ以上の屈辱もないだろう。
それにしても高熱が酷い。キノコ毒の中毒症状にも高熱を誘発するモノがあるが、発汗具合と言い、体中に浮き出た発疹と言い、まるでウイルス由来の感染症だ。専門の知識こそないが、下手すれば命に係わる症例なのではないか…。
そこまで考えて不意に背筋の寒気が走った。いや違う、これは怖気だ。高熱、意識混濁、痙攣…先程まで確かに人間で、今やバケモノとなって《スカルマン》と闘っているゴロウさんと呼ばれていた男の最後の光景がフラッシュバックした。
まさかこの人達も…?最悪の光景が頭に浮かんだ次の刹那――
「ギャアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!」
つんざくような悲鳴とも雄叫びとも取れない絶叫が薄暗い食堂に木霊した。声のした方を見ると1人の中年女性が大きく体をのけ反らせて絶叫していた。表情は完全に白目を剝いており、皮膚は死人のような土気色に染まっていた。まるで悪魔に憑かれたような光景だ、とそう思った次の瞬間、悲鳴は何事もなかったかのようにピタリとやんだ。女性は糸の切れた人形のように崩れ落ち、それっきり動く事はなかった。
「マズイ!ショック症状だ、AEDを!」
医師が叫ぶ。付き添っていた看護師がその声に従って、食堂の隅に設置されたAEDボックスに駆け寄りに行った。家族と思しき男性が女性の体を揺すって、耳元で叫んでいる。だが決定的に全てが激変したのは次の瞬間だった。
元々土気色に染まっていた女性の全身の皮膚が更にどす黒い色に染まっていく。指先から徐々に中心に広がっていくように。その色はまるで灼けた煉炭のようであり、さしずめ体全体が高熱の末に焼け焦げていくかのようだった。
明らかな異常を察した医師が女性に駆け寄ろうとしたが、それは遅きに失した。いやこの場合どんな対応でも間に合う事はなかっただろう。女性の全身はほんの数秒で炭化するように変色し――最期は自らの重みに潰されたかの如く脆く崩れ去った。後に遺されたのは砂状の黒い灰と衣服だけ――。
「《
不意に誰かがそう呟いた。いやそれは自分だったかも知れない。だが少なくともこの場にいる全員がその光景をそう認識しただろう。「あかつき村」の件からまだ7年しか経っていない。この場にあの光景を忘れた者などいよう筈がなかった。かつて日本に存在した一つの村を呑み込んだ奇病とそれが引き起こす無惨な死に様を…。
「うわあああああぁあああっっっっっ!!」
「嘘だろ…なんで…なんで!」
「出せ…!ここから出せよぉ!」
「感染した…みんな死んじゃうのよっ!」
そこからがパニックの始まりだった。バケモノに刺された人間達は《黒禍熱》のキャリアーだ、そういう認識が瞬く間に醸成され、一斉に食堂内は混沌の渦に呑み込まれた。先程まで患者に付き添っていた人々は掌を返すかの如く彼らを放り捨て、我先にと食堂の中庭に通じる窓を開けようとする。それはまだ大人しい方で中には備え付けの椅子を持ち上げて窓を叩き割ろうとさえした。
哲也自身も愕然とする思いだったが、同時に頭の中の冷静な部分が《黒禍熱》、というその単語を否定した。いくらなんでもそれはあり得ない、《黒禍熱》はこんなに急速に症状が出たりして死に至る事はない。似ているがこれは全く別のものだ――と。
慌てた看護師達たちが止めに入ろうとしたが、完全に恐慌状態に陥った彼らは止まらない。それどころか――。
「触らないでよっ!」
「オメエらは奴らに触れてんだろうが!俺らを感染させる気か!」
最早狂気の暴徒と化した彼らは看護師達の言葉に耳を貸さないどころか、無理矢理自分達から引き剥がそうとするなど、完全にタガが外れている。生き汚いとしか言えないその光景に哲也は愕然とした。
《黒禍熱》は現在確認されている限りでは性交渉もしくは血液を介した場合以外での感染はなく、その感染力も極めて弱い事が分かっている。少なくとも7年前の時点でそれはとっくに判明していた事だ。なのに未だにその事がこれほどまでに伝わっていないとは…。いくら恐怖は個体の生存本能に基づくものだとしても、《黒禍熱》よりもそれの方が余程悪性のウイルスではないか。哲也にはそのようにしか思えなかった。
そんな恐慌状態に呼応するかのように再び悲鳴が上がった。しかも今度は一つではない、二つ三つ…いやそれ以上にバケモノの棘にやられた患者達が一斉に悲鳴を上げながら、やはり崩れ落ちていく。当然例外はなく――哲也の足元に寝かされていたゲンさんもまた口から泡を吹きながら、のたうち回りだした。まだハッキリ意識があるにも関わらず、その指先は既に変色している。
「ゲンさん!」
異変に気付いた健輔が彼に駆け寄る。その声が聞こえたのか彼は虚ろな表情で健輔の方を見、何か声を発しようとしたが、直後口元が、瞬く間に顔全体が黒く染まり、ゲンさんは物言わぬ炭素の塊となって、崩れ落ちた。それはまるで死という最後の安寧すら否定するかのような酷く冒涜的な光景だった。
彼が崩れ落ちたのを最後に悲鳴と怒号の坩堝となっていた食堂に静寂が走る――かと思ったのも一瞬、これまでの比ではない、一際激しい絶叫が轟いた。パニック状態になっていた人々もそれで無理矢理正気に引き戻されたのか、声のした方向に一斉に振り返る。
「――ィィィ…ッ痛い…!イタいよぉっ…!」
「シュウイチ!大丈夫…大丈夫だから…!」
まだ声変わりもしてない、中学生くらいの男の子だった。傍らで母親と思しき女性が少年の手を握りしめて、必死に呼びかけている。その手を握り返す少年の手は――いやその全身は既に全身から血を吹き出して真っ赤に染まっていた。
まさか――!《黒禍熱》に似た現象の出現で完全に頭から吹き飛んでいた先程の光景が頭に浮かんだ。しかし口をついて言葉が出るよりも先にもう次の事象は始まった。始まってしまった。
少年の体が一際大きく撥ねたかと思うと、宙に浮いた二本の脚が一瞬で膨れ、肥大化した。変化はそれだけに留まらず、長大な脚だったモノはまるでお互いが絡みつくように渦を巻いて融合を開始した。最終的にものの数秒で一つとなったそれは最早人の下肢ではない。太く、しかし長い“尻尾”だ。
下半身が異形の姿に変貌した少年はそのまま“尻尾”を叩きつけるとそれを支えにして立ち上がった。巨大化した下肢に合わせて食堂の天井に達する程になったその姿はまるで鎌首をもたげるコブラのようだ。よく見ると右腕もまた太さはそのままに通常の倍近い長さに引き延ばされた異様な出で立ちとなっている。
少年の顔は既になんの生命力も感じられない程に虚ろだった。死んでいるのかアレは…と思った直後、少年の上の衣服を引き裂いて、その胸から腹にかけてが膨れ上がり、横に大きく裂けた。その見た目はさながら光彩のない蛇の頭で、裂け目は「口」のように広がり、鋭い牙のような突起物が二本左右に生えた。さしずめその姿は毒牙を備えた巨大な顎――!
「ジャアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァッッッッ!」
かつて少年だった者、そして今や蟒蛇の化身と化した新たなバケモノが咆哮した。地響きの如き叫びが鼓膜を震わせ、誰もが睨み据えられた蛙のように身動き一つ取れなかった。
「シュウちゃん…」
縋るように、祈るように母親がポツリと大蛇を見上げて呟いた。直後蛇のバケモノの口から、正しくはその牙から酸のような液体が噴射され、女性の全身を包んだ。座り込み、呆然と手を伸ばしたその姿勢のまま――女性は次の瞬間には焼け焦げたように炭化し、灰に還っていった。
死んだ…?いや消えた。それだけだ。まるであたかも初めからそんなモノは存在しなかったかのように痕跡一つ遺す事なく…。
「「「うわああああああああああぁあああああぁあああっっっっ!!!!」」」
「「「いやあぁあああああああああぁああああああああっっっっ!!!!」」」
その光景を前に最早平静を保てる者など一人もいなかった。先程までは冷静だった医師や看護師達ですら、泣き叫ぶように悲痛な絶叫を上げ、再び中庭側に向かって逃げ惑う。しかし最初に窓枠に飛びついた者が開けようとするより先に次の群衆がなだれ込み、彼らを圧し潰す。進む事も引き返す事も出来ず押し合い圧し合い状態となっている人々に蛇のバケモノは容赦なく、毒液を吹き出した。一人また一人、いや複数人が一度の噴射で一気に塵と化していく。またある者はその長大な尻尾で叩き潰され、またある者は迫るその顎に捉えられて体を引き裂かれた。
今の光景を形容する適切な言葉があるとしたら一つしかない。
地獄だ。
最早欠片も現実とは思えないその光景に哲也は逃げる事も忘れて慄然としていた。
ひとしきり目前の人間達を食べ終えたバケモノが周囲を見回しだした。その段になって漸くマズイと思い立った哲也だが、もう遅い。既にバケモノはこちらの方にゆっくりとその凶暴な顔を向けていた。
絶対的な死が迫りくる。そう確信した哲也は声も上げられずに呆然とその時を覚悟したが、いつまで経ってもそれは訪れなかった。
なんだ…?思考の纏まらない頭でそれ以上考える事は出来なかった。次の瞬間、ガァンッ!という乾いた音が防火扉の向こうで響いたと思ったら、もう蛇のバケモノはそこ目掛けて突進し、バリケードと防火扉を打ち破ると、食堂の外に飛び出していった。
何故…外の方に…?不可解な事態に惑いつつも今は助かった、以上の感慨は抱けず、哲也はそのまま崩れ落ちるように瓦礫の散乱した床にへたり込んだ。
・・・・・・・・・
コイツは思ったよりも厄介な相手だ――!
既に膠着状態となった戦況に《スカルマン》は軽く歯噛みした。
マスクの向こうに佇む、体の半身がウニのような形に変異を遂げたバケモノ――《ガンガゼヴェルノム》とでも呼べば良いのか――は既に多量の血を流し、多少動きが衰えているものの、既知生物の範疇では既に非常識なレベルのしぶとさだ。頭の半分と口腔を吹き飛ばし、喉笛や鳩尾にナイフを突き立てたというのにまだ動く。いい加減くたばれよ、と皮肉の一つでも言いたくなるが《ヴェルノム》に言っても詮無い事だ。
それにしても、だ。既に戦いを開始してから5分以上が経っている。いい加減周囲の道路も警察に封鎖されつつあるだろうし、もしかしたら今頃「《スカルマン》が出た」との情報を聞きつけて、虎視眈々と自分を捕える網を準備しているかも知れない。さっさとコイツを始末して帰りたいというのが正直な心境だ。やはり馴れない事などするモノではないな、だからこんな場所でアイツと再会したりするんだ、とつい口元が緩みそうにさえなった。同時にそんな事を懐かしむ余裕がまだ自分にあった事にも驚くが、そんな感傷に浸ってる暇を与えてくれるほど相手は悠長ではなかった。耳障りな雄叫びを上げた《ガンガゼヴェルノム》はタックルの要領でその棘だらけの左半身を突き出して吶喊してきた。
ワンパターンなんだよ動きが!
内心にそう毒づきながら、《スカルマン》はひらりと飛び上がってその突進を難なく回避した。そのまま着地と同時に半回転し、素早く《ガンガゼヴェルノム》の方に向き直ると、その無防備な態勢の喉笛に再度ナイフを突き立てようとした。
だがしかし――
「なにっ!?」
そのまま再度喉笛に突き立てて、押し拡げてやろうと思ったナイフの切っ先を《ガンガゼヴェルノム》はあろう事か敢えて右の掌底で受け止める事で致命傷を回避した。おまけに太い指でそのままグリップの辺りを握り込んで、武器まで封じてみせた。
嘘だろう!?《ヴェルノム》、それも最低ランクのフェーズ1の分際でそんな知性的な動作をする事など予想だにしていなかった。その動揺が一瞬判断に鈍らせ、気付いたら右側の視界に剣山の如き左手が迫っていた事に気付くのが遅れた。狙いが当たっていれば間違いなく《スカルマン》の胸をぶち抜いていたであろうそれを寸での所で回避したものの、代償にナイフを回収する事は叶わなくなった。
くそ――旗色が悪い。《スカルマン》は吐き捨てた。これも日頃の行いが悪いせいだなと冗談めかして思いつつ、頭では冷静に次の手を考えていた。
敵は見た目通りのウニのオバケ。あの棘一本一本が毒針であり、どうやら射出してもある程度は補充が効くらしい。人に刺さった反応から見るに“弱毒”タイプではあるようだが、如何せん数が多い。普通ならとっとと毒針をもぎ取って武器を封じてやる所だが、さっきから何度もナイフを振るって片端からへし折ってるのに一向に減る気がしない。おまけに折れた跡もまだ毒針機能は健在のようだ。
更に最悪な事にコイツは極端に痛みに鈍感なタイプだ。確かに《ヴェルノム》は基本的に痛覚が鈍磨しており、生物的な恐れとも無縁だが、それでもあくまで既知の生物と比べて、である。なのにコイツは鉛弾をぶち込まれようが、ナイフで切り裂かれようが動じない上にさっきは逆にカウンターまで決めてきた。とことん長期戦に特化したタイプだ、自分みたいなタイプへの嫌がらせには最適な個体だな、と思う。
対して自分はどうか。まさかこんな事態になるとは思ってなかった事もあって、装備は碌にない。ナイフはさっき奴に盗られたし、銃弾は携行しやすい小型のタイプのみで、前に3発使ってしまったので残り3発。爆弾も小型のものが1個しかない。これでアイツを吹き飛ばそうと思ったら、あの裂けた口にねじ込んで吹き飛ばすしかないようだ。
結論としては自分に圧倒的に不利だという事だ。いっそこのまま尻尾巻いて逃走決め込むか?と真剣に考える。警察に《ガンガゼヴェルノム》をけしかけてその隙に俺は悠々と逃走する――。悪くない手だ、だが不可能ではないだろうが、それだとあのウニの存在が公的機関に正式に知られる事になるし、仮にアイツらが仕損じて中途半端に“死体が残ってしまった”場合、後始末が色々面倒になる。
やはり自分の手で確実に仕留めるしかないなと結論づけ、チラリと先程何人かの民間人が避難していき、今は固く閉ざされている防火扉の方を見る。ゲンさんはたぶん助からないだろうが、あの二人は無事だろうか。
『お前さんは命の恩人じゃなぁ』そう言って微笑むゲンさんの顔が脳裏に浮かぶ。
『その“ハートマン軍曹”ってのはやめた方が良いですよ』そう言った後の健輔の大笑いが耳に響く。
それに何より――
『幹斗、後ろだ…!』
アイツは、哲也はあの時そう叫んだ。普通ならあり得ない筈の事を。
それだけでずっと俺がそうだったように、アイツもまた俺達の事を引きずっていたんだという事が痛い程分かる。
脱出の際にせめて安否だけでも確認すべきか、と一瞬思ったがそんな悠長な事を言ってられる状況ではない、と五月蠅い声を脳内から追い出した。自分には、自分達にはやるべき事がある、こんな所で止まるわけにはいかないんだ、と己に言い聞かせ、周囲の状況を確認した。穿たれたコンクリートの柱から除く鉄筋と近くにある消火設備――アレは使えるな。
武器を失った事を好機と判断したのかまでは知らないが、《ガンガゼヴェルノム》はまたも左手をこちらに向けて毒棘を発射してきた。マシンガンもかくやと言わんばかりの連続射撃を横ロールで回避すると《スカルマン》はそのまま壁際まで転がり、壁に掛けられていた消火器ボックスを開く。案の定中には一般的なモノより大型の6㎏消火器が入っていた。一般的には結構な重量のそれを《スカルマン》は難なく持ち上げるとそのまま《ガンガゼヴェルノム》に向かって放り投げた。
《ガンガゼヴェルノム》はいきなり飛んできた赤色の円柱に特に反応できずに、それなりの重量があるそれをまともに顔面に受けた。だが勿論そんなものでくたばるとは思っていない。《スカルマン》はそれがぶつかったタイミングを逃さず、拳銃を取り出すと消火器を狙って外す事無くそれを撃ち抜いた。
鉛の弾丸は薄い金属版をあっさりと貫通し、その圧力から解放された消火剤が一斉に放出される。弱くとも突然の衝撃と瞬く間に視界を白く染め上げた物質の洗礼に《ガンガゼヴェルノム》の動きが止まった。今はそれだけあれば十分だった。《スカルマン》はコンクリートの柱から覗く鉄筋を掴むと力任せにそれを引き抜いた。途中衝撃で構造上脆い個所から引き抜けた鉄筋と一緒についてきた20㎏程のコンクリート塊が即席のメイスとなった。
《スカルマン》はそれを力任せに持ち上げると未だ動きを止めたままの《ガンガゼヴェルノム》に突進し、その塊を叩きつけた。その一撃でコンクリートは全て砕け散り、それだけの衝撃を受け止めた《ガンガゼヴェルノム》は脳震盪を起こしたかのように大きくたたらを踏んだ。いくら痛みに鈍感でも体を突き抜ける衝撃に対してはそうもいかない。《スカルマン》はダメ押しと言わんばかりにその脳天に蹴りを叩き込んで、強引に床に引きずり倒した。
「グオォォォォォォォオォォォォ!」
《ガンガゼヴェルノム》が威嚇するように絶叫したが構わず、《スカルマン》は右手を――正確にはそこに握られた折れ、切っ先が鈍く尖った鉄筋――を渾身の力を込めて振り下ろした。槍や剣に比べると到底鋭利さには欠けるその鉄筋は、しかし《スカルマン》の尋常ではない力によって容易に怪物の左胸、ちょうど心臓の辺りを刺し貫いた。更にそのまま床材さえも貫き、完全にその巨躯を縫い付ける。
「グギャアァァァァアァァァァッッッッ!」
《ガンガゼヴェルノム》が抵抗するように雄叫びを上げる。流石に体を貫かれ、直接内臓を抉られるのは苦痛なのだろうか、妙に悲痛なその絶叫に手が止まりそうになったが、《スカルマン》は構わず攪拌するように刺さった鉄筋を無茶苦茶に動かした。それによって更に傷が押し広げられ、その下にあるであろう心臓を、肺を、血管を抉っていく。
しかしまだ抵抗は終わりそうにない。埒が明かない、と《スカルマン》は追い打ちを掛けるべく、左手を貫手の構えにして突き出した。その手は先程まで血が滴っていた人の手ではなく、
「はああああああああああっっっ!」
常人より硬さも鋭さも遥かに超越したその左手を《ガンガゼヴェルノム》の右胸に突き立てようとした。これで終わらせる――!そう意気込んだ次の瞬間、背後で猛烈な轟音と共に何かが吹き飛ぶ音が聞こえた。
なんだ、と思い振り返ると一瞬食堂らしき所に通じていた防火扉がひしゃげたのが見えた。直後その扉が完全に粉砕され、一際巨大な影がロビーに躍り出た。
「新たな《ヴェルノム》…!」
《スカルマン》が仮面のに覆われた顔を驚愕に見開いた。異様に肥大化し、一つとなった下半身に人の胴体に大顎が付いたような、このウニの怪物に負けず劣らずな悪趣味で冒涜的な姿は他に考えられなかった。さしずめ《コブラヴェルノム》といった所だろうか――。
それ以上にアイツが出てきたという事は恐らくあの食堂の中にいた人間達が“毒針”の影響で変異したのであろう事は容易に想像がつく。あの中に避難していた哲也や健輔は果たして無事なのだろうか。
だが余所見は許さないとばかりに《コブラヴェルノム》が口腔から酸のような液体を吐いてきた。アレがアイツの“毒”か…!本能的にそう察知して《スカルマン》は咄嗟に飛び退いた。案の定先程まで立っていた場所に液体が命中したと思ったら、その床材はドロドロに溶解し、ツーンと鼻につく異臭まで立ち込める。あの威力は間違いなく“強毒”だ、あのレベルだと流石にまともに喰らったらただじゃ済まない…!そう判断した《スカルマン》は何とか距離を取ろうとしたが、《コブラヴェルノム》は予想以上に素早かった。床を滑るように移動し、毒牙を突き立てるか、接近してその異常な程長い右腕で切り裂いてくる。それらを躱して接近を試みれば長大な尻尾を薙ぎ払ってこちらが近寄るのを阻んでくる。恐ろしい程に攻守に隙の無い《ヴェルノム》だ。
しかも最悪な事にまだ先程まで戦っていた方の《ヴェルノム》も健在だ。さっき飛び退いた際に巻き込まれて多少毒液を食らったのだろう。右腕が肩口の辺りから溶けて無くなっていたが、それでも“毒針”を備えた左腕は健在だ。このガンガゼの相手だけでも手一杯なのに更に追加でもう一体とは…。つくづく最悪な事態が続く事にはさしもの《スカルマン》も暗澹たる思いを禁じ得なかった。
おまけにコイツ等、ターゲットを自分一人に絞っているのか、それともお互いの事は眼中にないのか共食いもせずに執拗に自分の方に攻撃を仕掛けてくる。いくら《ヴェルノム》――それもコイツ等のようなフェーズ1の基本習性は同胞の増殖が大半を占めるとは言え、こうも寄ってたかって攻められるとは。
撤退も悪手、戦っても戦局は不利、おまけに逃げねばどの道捕まるだけ。完全に四面楚歌な状況に《スカルマン》は苛立ちながら、自分の左手を見る。先程あの《ガンガゼヴェルノム》を仕留めようと“変異”させた腕だ。出来ればこれは目撃されるリスクのある所では使いたくなかったが、背に腹は代えられない。切り札を使う時が来たようだ、と《スカルマン》は自らの象徴である髑髏を模した仮面に手を掛けた。
しかしその刹那――
拳銃の発射音とは比べ物にもならない激しい轟音が何発、何十発と空気を切り裂いて飛来し、病院ロビーのガラス窓を粉々に粉砕した。鼻につく硝煙の臭い――銃火器弾だと咄嗟に判断した《スカルマン》は射線を予測してその場から飛び退き、ロビー中央に設えられた柱の陰に避難した。
所詮ガラスなど飛来物――5.56x45mmの小口径高速弾に対しては紙切れにも等しい障害でしかなかった。障壁を粉砕した弾丸は殆ど威力を減衰させる事なく二体の《ヴェルノム》に殺到した。次から次へと飛来する暴風雨の群れはその強靭な皮膚を抉り、内部で弾けるように分解して神経という神経、筋肉という筋肉をズタズタに引き裂いていった。漸く嵐が去った後、全身に風穴を穿たれた《ガンガゼヴェルノム》が崩れるように倒れ伏した。そのままその棘だらけの体がまるで細かい粒子状になって消失する。あの《ヴェルノム》を瞬殺するとは、恐るべき破壊力だ。その光景をどこか他人事のように《スカルマン》は思った。
弾の飛んできた方向を睨みつける。警察にしてはやる事が過激すぎる。自衛隊がこんな早く展開する筈もない。だとすれば――
果たして
「やはり来たな…!」
まさかこんな早く会えるとは思わなかった。直前までの焦燥も本日の悪運も忘れ、《スカルマン》は歓喜の声を上げた。
今回はここまでです。まさに怪人総進撃…
二回目になりますがまずはお久しぶりです。サボる気はなかったのですが、様々な事情が重なって全く執筆の時間が取れずに気付けば1カ月以上経ってました。申し訳ありません。
環境が再び整ったことと一定のストックが溜まったので定期の投稿を再開しようと思います。
引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。
それではまた次回。
PS.シン・仮面ライダーの公開に合わせられて本当に良かった…