《スカルマン》の事件を追っていた哲也は真琴と共に訪れた病院でかつてのクラスメイトだった土枝健輔に再会する。久々の旧交を温める暇もなく、彼が《スカルマン》と謎の怪物の目撃者だという事が判明。次々と明らかになる事実に戸惑う中、突如病院内で人が正体不明の怪物《ヴェルノム》へと変貌し、パニックを巻き起こる。
そんな怪物たちを倒すべく《スカルマン》、そして《エースゼロ》が現れ、両者は壮絶な死闘を展開。激闘を制した《スカルマン》――果たしてその正体は哲也の幼馴染で死んだ筈の山城幹斗であった。
だが続いて幹斗を止めるべく彼の妹である山城柚月までもが現れて――。
「おっと…これはこれは…なかなか予想外の動きだ…。だがまぁ良いでしょう、これこそが制御された、完全なる《ヴェルノム》です!」
然程広くないその室内に声が朗と響く。蒼く暗い室内を照らす大型モニターにその姿が映った時、この場に集った“観客達”の間に確かにどよめきが広がった。普段何があっても泰然自若、いやいっそのこと慇懃無礼と形容した方が良い機械的な反応しか寄越さない奴らのそうした反応に男は密かに溜飲が下がるような気がした。今手元にある質の良い葡萄酒を一週間ぶりに口にした時より甘やかな酩酊感に似ている。
〈Wie scheußlich ... Wollen Sie damit sagen, dass dies die Erscheinung von etwas ist, das in das Reich der Götter eingetreten ist ......(なんと悍ましい…。これが神の領域に踏み込んだものの姿だと言うのか…)〉
〈《Vellnom》...is the devil itself... No, it was 《Skullman》...?(《ヴェルノム》…まさに悪魔そのものだな…。いや《スカルマン》だったかな…?)〉
〈Не похоже, чтобы в лозунге «Сильнейший солдат» было какое-то преувеличение или обман...(確かに“最強の兵士”の謳い文句に誇張や偽りはないようだ…)〉
モニターが映す映像の中で縦横無尽に暴れる《バッタヴェルノム》のその戦いぶりに男はいっそ清々しい気分になった。スカルスーツを排除してあの姿を披露した事は正直青天の霹靂だったが却って良い結果になったかも知れない。画面の中の主役はまさしく彼だった。人智を超越したその力を存分に振るい、立ち塞がる旧態依然を次々と屠っていく。まさに進化した生命が適応できない旧種を淘汰する姿そのものではないか。
そんな《バッタヴェルノム》を見つめる“
ある意味予定外の形で始まったプレゼンテーションは予定外らしく様々なトラブルに見舞われたが、首尾は上々のようだ。リスクを恐れていては良いビジネスなど出来ない、という男のビジネスマン哲学にも合致する。
〈…But if you can’t increase production, can’t call it a weapon.The reliable operability and adjustment… Above all, it’s a human rights. Isn’t there too many uncertainties?(…だが増産出来ねば兵器とは言わん。制御の確実性や整備性、…何より人道上の問題だ、不確定要素が多すぎやせんかね?)〉
水を差すとはこの事だ。ホログラフィとして投影された男の一人がそう口を挟んだ。その言葉にこの場に集った一同は途端に考え込むような神妙な表情になる。戦争屋が今更人道などとつまらないお題目を口にするな、と男は舌打ちしたい衝動に駆られたがそれはスマートではない、と思い直すと男のホログラムに向き直り「ご心配なく」と告げた。
「山城幹斗の存在が全てを保証してくれます。彼の研究をもとにいずれの課題も近いうちに解決するでしょう」
最後の一つは敢えて無視した。どうせ男はそんなモノ気にも留めないし、何だったらここに集うものはそれを踏みにじる事で利益を得てきた者達ばかりだ。建前上では口に出してもそれを貫くような神経は持ち合わせてはいない。男はそう確信して一息に葡萄酒を嚥下した。
<…だが万が一彼らが敵に回るような事があればどうするつもりだ…?こんなものを見せつけられたのでは…とてもではないが…>
どことなく不安そうな海の向こうにいる男達と違って、ホログラム越しとは言え、同じ国の地面の上にいるこの男――“
<いい気な訳がなかろう…こんなモノを見せつけられて…>
“P”の視線は画面の中で《バッタヴェルノム》に為す術なく葬られていく警察の特殊部隊を注視していた。この国の治安機構が手塩に掛けて育ててきたこの国の守り人達だ、それを人身御供として差し出すに等しいこの状況に面白いと感じる事など出来よう筈もない、と言いたいのだろうが男からすればさもどうでも良い話だった。分かっていて差し向けたのはそちらの筈。そのような偽善的な感性こそ男が最も唾棄すべきと思っている感情論だ。
〈それよりもだ…。ここまでの騒ぎにしてしまった以上こちらとしてはもう《ヴェルノム》の存在は看過出来ん。今後は今までのようにはいかなくなるぞ…〉
「構いませんよ、こちらとしてももう一人のテロリストを演出し続ける気はない。《ヴェルノム》のプレゼンと併せて次なる段階に進めるべき時でしょう…」
それは更なる流血を招く事になるが…。男はそう言いかけてすぐさま引っ込めた。今更そんな事を言うのは野暮というものだ、いつだって革命は多大なる闘争と犠牲の果てに実るものと相場が決まっているのだから。
ホログラムの男達も各々神妙そうに頷いた。唯一“P”のみが不服そうに顔を顰めていたが、まぁ所詮は小者の考えそうな事だと男はスルーする事にした。
「それでは…今日はここまでにしましょう。ご観覧真にありがとうございます。それでは次のイベントをお楽しみに…」
男はショーマンのように大袈裟にお辞儀の動作を取って、通信の電源を切った。同時にモニターの光が落ちると共に男達の姿のホログラフィが消失し、反対に部屋の明かりが灯った。
男は満足げに革張りのソファーに身を沈ませると手元のグラスに再度葡萄酒を注いだ。ワインはキリストの血だというが、ならこれは流れた血へのせめてもの手向けか…?と柄にもない事を思った男は一息にそれを飲み干そうとした。
「反応は上々のようですなぁ…これで少しは私の働きも評価していただけますかな?」
不意に後方からしわがれた声が響き、静寂を破った。そう言えばコイツがいたんだったな…と独り言ちた男が振り向こうとするより早く、そいつは男の前に姿を現していた。
まさに無彩色――昔のモノクロ映画から抜け出てきたように錯覚する程に白い布地をミイラのように全身に纏い、同じ色のフードを被った異形の姿。その奥には深海魚の如き瞳が煌々と光っている。神出鬼没ぶりと併せてまさにその名の通りの《ナイトレイス》だな、と男は思った。
「あぁ…今回の舞台のセッティングは君だったね…。まぁ些か騒ぎを大きくしすぎだと思うが…想定の範疇だよ、よくやってくれた」
「お褒めに預かり光栄です。つきましては次なるターゲットとしてあの鉄仮面の本格排除が必要かと思いますが…」
口調こそ丁寧だが奴の言葉には何かしらの慇懃な色がある。まぁそんな事はどうでも良い、そんな非礼をいちいち咎める程男は小さくはない。
それにしてもアイツ等か――恐らく“神樂”の奴らだろうが…。男はワインを飲みながら考えた。今回のお披露目の最中にも突如乱入してきてあろう事か《ヴェルノム》二体を仕留めてしまうという損害をこちらに与えてくれた奴だ。前回も《蜘蛛ヴェルノム》が奴の手で屠られたと聞くし、確かにいい加減邪魔だ。
とは言いつつも…
「いや、そこは幹斗に任せておきたまえ…。彼の本懐のようだし、君には引き続き不確定要素の排除に尽力してもらいたい…」
そう、山城幹斗というあの男を衝き動かすものこそが復讐心であり、同時にそれは彼を制御する唯一の術がそこにあるという事だ。ならばこの計画の「スポンサー」としてはそれを出来得る限りサポートするべきではないか。それがビジネスパートナーとしてのせめてもの礼儀だ。
「…仰せのままに。全ては“AS計画”完遂のため…」
恭しくお辞儀の構えを見せたかと思うと《ナイトレイス》の姿はもう室内から消えていた。後には痛々しい程の静寂が残された。
・・・・・・・・・
ここを訪れてみようと思ったのは言ってしまえば直感のようなものだ。どんな職業でも続けていると何かしらの勘や嗅覚のようなものが発達してくるというが、一之瀬真琴にとってもそれは例外ではなかった。記者の仕事というものは人と事件という点と点を結び、その先にある真実を見つける事だと思っているが、そのための線というものは案外思いもよらない所と繋がっていたりする。それは大抵の場合単なる絡まって混線した雑多な結び目でしかなかったりもするが、たまに思いもよらない真相に繋がっていたりする。だから地道な作業でも一つ一つ確実に当たっていくしかなく、ここに来たのもそんな作業の一つだ。
幸いだったのは以前の取材の縁でこちらの連絡先を知っていた事、向こうもこちらの仕事ぶりを評価してくれたらしく、突然のアポイントメントにも関わらず、快く応じてくれた事だ。なんやかんや言っても真面目にやるという事は裏切ったりしない物だと微かに充足感を抱く。哲也も連れてきても良かったのだが、置いてきた。まぁ久々に知り合いと再会したみたいだし、旧交を温めさせてやるのも悪くないと思ったからだし、彼ならなんだか今日1日しんどそうにしていた彼の心情を酌んでくれそうだと思ったからというのもある。正直先輩としてはどうなんだ?とでも思わないでもないのだが…。
「お待たせしました、色々立て込んでまして…」
案内された応接室のドアが開いて、スーツ姿の男が入ってきた。もう四十路を過ぎてる筈だが、男――羽住圭から受ける印象は仕立ての良いダブルスーツもあって意気に溢れ、まだ十分若々しいで通る。噂によると《スカルマン》の出現に際する諸々のトラブルの処理で多忙らしいが、こうして少しの疲労も見せない所はやはり自分を頼ってきた依頼人を不安にさせないために弁護士という職種には必要な事、と心得ているのかも知れない。
「いえ、こちらこそお忙しい所、すみません。お時間をとって頂き、ありがとうございます」
応接のソファから立ち上がろうとした真琴を軽く制して、羽住自身もまた対面に腰を下ろす。小脇に抱えたキングファイルを取り出し、デスクの上に広げた。どうやら事前に話していた分に関する資料をわざわざ準備してくれたらしい、それにしてもそのファイルの厚みはあの件の底の無さを想起させるに十分だ。
「いえ、それよりも…
挨拶もそこそこどこか訝し気な羽住の視線に真琴は身が引き締まるような気がした。そう、その名だ。今ではとっくに過去の遺物となり、しかして未だにこの国に強烈な禍根を残すこの団体の名が頭の片隅に引っ掛かり、何かがあると自分の直感が告げていた。だから少しでも情報が欲しいとここに来た。真琴はゾクリと体を震わせ、肌を粟立たせた。
白零會。
この奇妙な名の教団について日本で知らぬ者はいないだろう。ある一時期は単なる「テレビによく出てくる面白可笑しい集団」でしかなかったが、ある時期を境にその言葉の持つ重みは大きく変質する事になる。
実家は八王子の土地に祖父から続く内科医院で、地元ではそれなりに佐崎家は有名だったらしい。そこの一粒種であった統夫は当然の如く病院を継ぐものと思われていたが、何を思ったか監察医の道を志し、かと思えば数年後には精神科を学び直すという奇妙な経歴くらいしか取り立てて特徴と呼べるものはなく、彼を知る者はおしなべて「目立たない奴だった」「今でいうコミュ障で人と関わるのが苦手だったんだと思う」と語った。父の急逝と共に彼が
いずれにせよこの精神道場を名乗るスクールが平々凡々、目立つところのない彼の人生の転機となったのは事実だ。ここではメンタルクリニックからヨガ教室、カウンセリング等々今でいう所のメンタルヘルスに当たるあらゆる事を手掛けており、事実利用者からの評判は上々だったらしい。一方で超能力への開眼といった怪しい謳い文句もあったらしいが、オカルトいうものが今ほど胡散臭いものと見られていなかった時勢故、さほど問題にもならなかった。次第に会員、もとい後の信者達が徐々に増え始めたのはこの1年後、会員の数が1000人を超え、道場を都心の一等地に移していったのはそこから更に2年後の事だった。この頃より道場の名が「白零會」に改められると共に名実ともにその活動は宗教法人としての様相を呈していった。
この世代の間に浸透していたオカルトブームに乗るようにパラレルワールド、そこから迫る脅威による世界崩壊の危機、堕落した世俗から離脱し、上位生命へと到達する事こそが唯一の救いの路と説く様は後世から俯瞰してみれば噴飯物の与太話でしかないのだが、事実多くの人間がそれに惹きつけられた。その中には極一般的なサラリーマンや主婦、高齢者のみならず、名門大学の門をくぐった一握りのエリート達、特に国立大の理工系出身者達や未来の官僚候補生達がそれなり以上に含まれていた事も鑑みれば如何にその影響力が大きかったのか分かる。
それだけならまだ無害だった。事実当時時折メディアに露出していた八千は博識で且つ理論家、歴史や古今東西の宗教、果ては文化人類学にまで通じた勤勉で物静かな男と言った風であり、一部のインテリからも評価される程だった。無地の質素な法衣に長髪豊髭の容貌魁偉な男はその博学さを買われ、当時新興宗教法人の締出しに躍起になっていた大学に講演に招かれる程で、聡明で純粋な若者達にとっては稀代のカリスマと捉えられたのも無理からぬ話だ。
後に事件を総括して曰く「彼らが本当に優秀であったのなら八千の如き詐欺師に言い包められる事などなかった」「詰め込みばかりで人間的な素養や常識を育てようとしなかった受験の弊害」と厳しい論調で信者に――その結果おぞましい犯罪者に身を堕とした若者達に厳しい論調を述べる者も多かったが、そう単純ではない、と真琴は思う。
89年の天安門事件、90年の東西ドイツの統一と来て91年のソビエト連邦の崩壊は長らく続いた民主主義と社会主義の対立、東西冷戦に終結を意味していたが、同時にそれは社会主義というある種の理想が単なる幻想に過ぎなかった事実とそれに代わるものは果てのない民族・宗教の内戦という新たな対立構造だという身も蓋もない現実を世に知らしめただけだった。国内はといえば狂乱の如き
彼らの多くはただ純粋であったのだ。そこそこ裕福で一見するとなに一つ不自由のない暮らしの裏で、しかしどうしようもなく社会や人生に疑問を抱いた――やがてそれらを自明との事と呑み込み、つまらない大人になる事も、そのモラトリアムとして若さを空費する事も良しと出来なかった、ただそれだけの…。
バブルの物質至上主義とダイオキシンで荒んだ若い心に八千は語り掛けた。
「偉大な事を為す力は誰の中にも本質的に備わっている、私の役目は君達を導く事ではない、ただ君達の開眼の一助となる、ただそれだけだ」と。
その言葉はそれこそ自分の超能力とやらをひけらかすばかりの他のカルトの教祖とは一線を画すもので、皮肉にもそのカリスマ性が彼に身も心も依存しきる集団心理を生み、いつしか教団はどこにでもあるご都合主義のちゃんぽん宗教の域を超え、一人の男を中心にした巨大なドゥームズディカルトへと成長していった。教団はいずれこの物質主義・拝金主義の世の中は限界を迎え、信仰を忘れた人類の堕落ぶりに怒り狂ったアンゴルモアの大王が1999年に地上に降臨し、現文明は全て終わりを告げるだろうと唱えた。その時
奇しくも95年に発生した大震災がそのトンチキな主張に無駄な説得力を与えてしまい、教団にとっての「審判の日」とされた年の1年前にはその信者数、教団の活動規模共にピークに達したという。
だがかつては一世を風靡したノストラダムスの大予言もブームが去ってしまえば必然の如く忘れ去られていくように、結局の所そこが白零會の限界でもあった。審判の日とされた99年が大過なく過ぎ去り、2000年問題さえも単なる笑い話で済んでしまえば必然の如く、稀代のカリスマの言霊もその効力を失っていった。
それどころか新時代を迎えればかねてより指摘されていた諸問題――曰く在家信者から過剰な献金を要求していた、修行と称したサイドビジネスで信者を奴隷のようにこき使っていた、それら不当に搾取した資産で以て放埓と紊乱の限りを尽くす幹部達etc.と叩けば埃が飛び散るかの如く、実態が明るみに出始め、教団は威光の失墜と共に司法の介入という二重苦に追われる事になった。掌を返すかのようなマスコミの攻勢に、売り言葉に買い言葉で面と向かって子どもじみた罵声を飛ばす幹部の姿が取り沙汰されればますます世間からの反感は高まり、いつしか90年代のカリスマはただの詐欺師にまで堕ちていった。このまま宗教法人資格を剝奪され、解散命令が下るのも時間の問題か、と思われた2002年の1月に事件は起きた。
ちょうど正月休みも明けた1月5日午前8時頃、当時の営団地下鉄(現東京メトロ)、丸ノ内線・日比谷線・千代田線を走るの計4本の先頭車両に仕掛けられた時限式の爆薬が炸裂し、ちょうど通勤ラッシュの最中にあった人々を強襲した。ちょうど車両が駅構内に入り込んだまさにそのタイミングであり、当該地下鉄に乗り合わせた乗員乗客、更にはホームに居合わせた大勢の人間が巻き添えを食らった。最終的には死者158名、重軽傷者1496名という戦後日本でも類を見ないレベルの人的被害を生み出すに至った。この規模は新宿事変を遥かに上回る。
爆弾の正体はC-4と呼ばれる米軍をはじめとする各国の軍隊で使用されているプラスチック爆弾だった。粉末状にした爆薬をワックスなどの樹脂に練り込んだそれは一見するとただの粘土にしか見えないが、TNT換算にして1.34倍の威力を持ち、その携帯性、可変性から持ち運びも容易という悪魔的な代物だ。それを新聞紙に包み、時限装置をセットして紙袋と共に車両の中に放置しておくという至って単純な手口を以てして事件は起きた。
9.11アメリカ同時多発テロから4カ月も経たないうちに行政府のお膝元で起きた未曽有の大事件に首都は騒然とし、それこそ東京中から警察官と消防庁、医療従事者や自衛隊までもが出動が掛かり、事に当たる事態となった。
だがその日が終わらないうちに事件は思いもよらない方向に推移した。実は事件発生の数十分前、日比谷線八丁堀駅にて紙袋を抱えたまま、構内をウロウロしていた不審な男の姿を警ら中の警察官が目撃しており、職質を試みた所男は警察官を突き飛ばし、逃走を試みた。この態度に甚だ不穏な臭いをかぎ取った警官は即座に男を拘束し、交番へと連行した。警察官の調べに対して男はしどろもどろになってよく分からない発言を繰り返すだけで時は過ぎ、そんな折霞が関の事件の報が飛び込んできた、という経緯だ。その後男の持っていた男の紙袋こそが犯行に使用されたプラスチック爆弾であると判明すると警察は徹底して男から供述を引き出した。結果的に男が白零會の信者である事、教祖である八千餐誡からの指示でこの犯行を命じられた事が明らかになった。
このニュースは光陰の如き速さで瞬く間に世間に伝わり、事件から二日後、富士裾野にある教団本部も含めた全国80箇所の教団施設への強制捜査が執行された。延べ10万人という類を見ない規模で各地に押し寄せた警察隊を前に信者達はバリケードの敷設やシュプレヒコールをがなり立てて対抗するという一昔前の学生闘争を思わせる抗争が繰り広げられたが所詮焼け石に水に過ぎず、先んじて逮捕された男の証言通り各地で隠し持っていた武器や爆薬の他、衰弱状態になった多数の信者が発見され、国民の疑惑は確信へと変わった。
そして地下鉄爆破事件から2カ月後の3月18日、毒ガスを検知するためのカナリアを連れた捜査員を先頭とした捜査員が教団本部へと再度踏み込んだ。一連の事件を経て最早教団の事件への関与は疑う余地なしと判断され、八千含めた全幹部に対する逮捕状が降ったのだった。多数の機動隊員と特殊部隊、中には防護服にガスマスクという物々しいという表現では済まない一団が粗末なバラック小屋に踏み込んでいった。
その光景はリアルタイムで日本全国に中継された。他のカルト教団と違って白零會は華美な建物や偶像には凡そ興味がなかったらしく教団本拠とされるそこもプレハブとバラックを積み木の如くデタラメに重ねただけのお粗末な造作で薬物と拷問に汚染され、瘦せ細った信者達や頭に正体不明のヘッドギアを取り付けられた子ども達の姿、そして保管されていた大量の武器と爆薬、毒ガスなどのBC兵器等の存在等もあって退廃という表現がしっくりくる有様だった。捜索開始から1時間後、本拠最奥の隠し部屋に隠れていた八千餐誡こと佐崎統夫、以下主要な幹部15名の逮捕の瞬間が全国に映し出された。当時小学生だった真琴もその瞬間はよく覚えている。
両手を警察官二人に抱えられ、凡そ1年ぶりに衆目に姿をさらしたかつてのカリスマは二回り以上も小さくなったように見えた。一方でこれほどまでに巨大に成長した団体を纏め上げ、その数と得た知識を悪用して日本を恐怖に叩きこんだ悪の大首領と呼ぶにもその姿はあまりにみすぼらしく、まさしく何をするにしても身の丈に合わず、という評価が正当なように思えた。
唱えていた審判の日はデタラメ、あれほどの犠牲者を出したテロ事件の真相も教団への強制捜査を遅れさせるためと自らが唱えたドゥームズディを意図的に引き起こすためというあまりに矮小な動機に起因するものだった事、ひたすら黙秘を貫き、消沈したように項垂れるばかりの浅ましい姿が信者達の失望を買い、ポツポツと自供が始まった事。その姿は実はカツラだった髪と髭も併せてまさに化けの皮が剝がれた道化師そのもので、国民の目には痛く滑稽で惨めに映った事だろう。
兎にも角にもこの一連の教祖と幹部16名の逮捕劇を以て前代未聞の大取物劇は一応の終結を見た。その後も逃走を続ける幹部の捜索や残された教祖の子ども達の処遇、後継団体の存在を巡ってのいざこざは今も続いている。更に一時期は数千億円とも言われた教団の活動を支えた資金は未だに見つかっていない。
教団の黒い噂が持ち上がり始めたのは最盛期の少し前の1993年。いつの世も隆盛の裏には何かしらの影がつき纏うものだが、ちょうどこの時期、当時32歳だった羽住の下にとある二人の老夫婦が訪れた。老夫婦は自分達の一人娘――仮にA子としておこう――と孫を白零會から取り返して欲しいと願い出てきた。
羽住は当初正直戸惑った。未成年ならいざ知らず成人した女性が入団した宗教から引き離すのは難しいと思ったからだ。下手な行動に出れば信教の自由を理由にこちらの行動の方が人権侵害になりかねない、とその時は思ったという。
しかし老夫婦は機先を制し、そんな理由で何処にも断られた、それでも私達はやらなくちゃいけないんだと切実に訴えてきた。そのあまりに真剣な眼差しに気圧された羽住はとりあえずは話だけでも、と夫婦に席を勧めた。これが彼の長きに渡る教団との戦いになった。
A子の息子は当時8歳で小児性白血病を患っていた。訳あって父親はおらず彼女は一人で息子の治療に向き合っていた。勿論老夫婦も援助の手は絶やさず、その甲斐もあってか一度は寛解したのだが、それから1年後、彼の体を蝕む悪魔は再び活動を再開した。当然病院も出来得る限りの手を尽くしたのだが、経過は芳しくなく、癌の治療は幼い体に多大な負担を与えた。一向に良くならない息子の容態は彼女が現代の医療に対する失望を植え付け、そんな彼女の不安と絶望をついて忍び寄ってきたのが白零會だった。
現代の医療など所詮は拝金主義の医療機器メーカーと製薬会社の実験場に過ぎない、科学等という人類の傲慢に頼っていては息子さんは永久に救えない、我らが尊師(八千の事だ)に救いを求めなさい、そして彼の下で
追い詰められた心程脆いものはない。白零會はA子とその子どもを病院から引き離し、教団の支部の一つに連れて行ったらしい。老夫婦がそれを知ったのは病院から彼女がもう二カ月も来ていない事を告げられた時だった。老夫婦は絶句した。その1週間前、娘は新しい治療法が見つかったのだと言って、そのために必要な治療費5千万円を強力して欲しい、と頼み込まれたのだそうだ。老夫婦は貯金を積み崩し、いくつかの私財を打ってA子に金を渡した。それ以降彼女とは連絡が取れていない。
老夫婦は彼女の知り合いの証言などから背後に白零會がいる事を掴み、娘がいると思しき教団本部に説得に向かった。だがそこに常駐する教団のメンバーは俗世の人間を連れ込むわけにはいかないと老夫婦を突っぱね、漸く会えた娘もここでなら息子を救えるんだと言って聞かなかず、恍惚とした表情で教団の勧誘が言ったような文言をそのまま諳んじてみせたのだ。その顔は最早自分達の知っているA子ではなかった。
当然老夫婦は当然納得出来ず――神秘主義だがなんだか知らないがそんなオカルト主義に傾倒されては孫は遠からず死ぬことが明らかだった――警察から懇意にしている弁護士にまで相談に行ったそうだが、どこも信教の自由、前例がない等と言って取り合ってくれなかったそうだ。
孫の病状に対する話があるのなら信教の自由とは関係無しに白零會に抗し得るかも知れない、それまで宗教絡みの案件は分が悪いという認識がされていたがその一点に羽住は勝機を見出した。だがそれはあくまで一つの要因に過ぎず、孫と娘の無事を願う老いた夫婦の気持ちに応えたいという思いが強かった。
彼はすぐに動いた。同様の被害を抱えている家庭を調べ上げ、「白零會被害者の会」を組織するとその反社会性を批判・追求し、マスメディアの力も借りて白零會と交渉を開始した。教団側は「信教の自由は何事にも侵されない」と羽住達の追及を一蹴し、対して羽住達被害者の会も「人を不幸にする自由などない、ましてや幼い子どもまで巻き込むのは言語道断だ」と徹底的に教団の不法を糾弾し、交渉は決裂した。
だが翌年思いもよらない事件が起きた。元より彼の事務所や自宅に不審な手紙や無言電話が届くなど不気味な兆候はあり、それらを白零會の仕業と断じた羽住は下らない嫌がらせはやめろと教団に抗議したが、向こうは向こうで被害妄想、でっち上げとしらを切り続けた。そうしたやり取りが続く中である夜、彼の自宅マンションに覆面姿の男4人が鍵をこじ開け、突如侵入した。覆面の男4人は就寝していた彼とその妻、更に当時3歳と1歳だった二人の娘に襲い掛かり、何やら怪しげな注射を打とうとしたらしい。
結論から言えばこの襲撃事件はものの見事に失敗した。隣家の夫人が住民が羽住宅に押し入る不審な人影の姿を目撃しており、警察に既に通報が行っていたのだった。隣の夫人は夫共々町内の住民を叩き起こし、大騒ぎを起こして彼らの乗ってきた不審なバンを包囲した。この降って湧いた騒ぎに仰天した襲撃犯は慌てて羽住宅から逃走し、宵闇の中に消えていったという。因みにその車は盗難車だったことが後の警察の調べで分かった。
結果的に近隣住民の勇敢な行動によって命を拾った羽住は教団への疑惑をより強め、一層被害者達を救う事を尽力した。そうした活動が功を奏し、老夫婦の下にA子が戻ったのは98年の暮れの頃だったそうである。彼女は酷く衰弱しており、結局助からなかった子の事を酷く悔やんでいたそうだ。やりきれない結末に羽住もまた自分の無力さを嘆いた。
2018年現在、羽住は今でも後継団体の二世問題や教団の中で育った児童の今後についての案件を担当している。
後編に続け!