仮面ライダー:RE   作:大荒鷲

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いろいろあって2週間ぶりになってしまいました。
久し振りに主人公(?)が登場します。


CHAPTER-2:『REvengerⅡ』‐⑦

『九條梗華です。東京から来ました、よろしくお願いします!』

 

 夏休みが開けて新学期開始早々、先生が「転校生が来る」と開口一番に告げた。それ自体は別に珍しくもなんともない、この村の小学校は元より「地元の子」と「“研究所”の子」の2種類に大別され、後者は結構入れ替わりが激しい。小学校どころか保育園レベルで転校生が来た、逆に誰それが転校していった、なんていうのは昨今のあかつき村では珍しくもない光景だ。その筈だったのだが教室のドアを開けて彼女が――九條梗華が入ってきた時は思わず唖然としてしまったものだった。

 確かに梗華――キョウカは目立つ子だった。東京から来た子なんてありふれているが、やや明るめの毛色もどことなくこじゃれた服装のセンスも子どもながら整った顔立ちも含めて彼女には「垢ぬけている」という表現がよく似合っており、1年坊主共のクラスはちょっとした騒ぎになったものだった。

 かく言う俺も先生がクラスを宥めているのを尻目に少し後ろに座っているミキトの方に視線を転じた。興味なさげに窓の外にでも視線を注いでいるかと思いきや、同じように呆けたような表情で黒板の前に立つ少女に魅入っている友人の姿が目に入り、俺は少しばかり意外な気分になった。但し俺の視線に気付いたのか、ミキトはすぐにバツが悪そうに視線を逸らすと机から本を取り出してそれに無理矢理にでも意識を振り向けようとしたのだった。

 なんだか面白いようなそうでもないような気分になって俺は再び黒板の方に向き直る。そうすると今度はキョウカと不意に目が合った。彼女はすぐに俺と後ろの方にいるミキトの存在を認めたらしい、ひらひらと小さく手を振ってみせた。なんて事ない仕草に何故か気まずいような気がして俺は窓の外に視線を転じた。まだ終わり切らない夏の日差しが眩しい、頬が熱いのはこの熱気のせいだ、そう思う事にした。

 

 

 

『それでね、暫くこっちに居ても良いってお祖母ちゃんが言ったの。だから二学期からこっちに通う事になったんだよ、驚いたでしょう?言ってなかったからねっ!』

 

 新学期の始まりは半日帰りだ。いつもなら俺とミキトと二人でとぼとぼ家路につく訳だが、今回は違った。今日やってきたばかりのキョウカが何故か纏わりついて帰路に付いてくる、という訳だ。こちとら変わり者のミキトの影響もあってほぼ二人でつるむ事が常態化しているため、なんだかこそばゆかった。

 キョウカは元々こっちの子ではない。藤屋敷の魔女、もといお婆さんの孫で夏休みの間にこっちに来ていたのだが、開けて2学期になってもこっちに残る事になったのだそうだ。元々あまり体が丈夫でなく、そのせいで東京ではあまり学校に通えなかったらしい。そのせいか向こうの学校に馴染めず、ますます行きづらくなる、という悪循環に陥っていた彼女を見兼ねたお婆さんが暫く空気の良いこっちで静養させたら、と提案した事が切欠でこっちにやってくる事になったのだそうだ。

 

 あの日シベリアンハスキーのガロがいきなり藤屋敷の庭に飛び込むと言う謎の行動に出た事が彼女との出会いの切欠だった訳だが、あの日以来元々こちらに知り合いのいないキョウカの相手をするために藤屋敷を訪れる事が二人の日課になった。元々お婆さんも足腰が悪くて、買い物に行ったり畑――とは言っても庭先の小さい一角だが――の世話をするのに難儀しているというのもあって来てくれるのはとても助かる、と素直に感謝された。

 特にミキトが嫌がりもしなかったので夏休み中は何となく三人、と互いの犬の二匹で過ごすのが常態だった。遊びに行くにしても元々体の弱い彼女にはあまり無茶はさせられなかったが、そこはミキトの扱いで手馴れたものだったし、都会から来た子の割には田舎の生活や自然に抵抗がないと言う度胸の強さは俺達にはありがたかった。

 そうして夏休みが終わりに近づけばキョウカは自然と東京に帰るものだとばかり思っていたが、本日何故かこうして現れたとなれば驚きもひとしおな訳で…。ずっと二人だけだった家路に新たな輪が加わった事は素直に嬉しい事だったが、それを素直に言葉や態度に現すのはなんだかとても恥ずかしい事のような気がした。

 

 ともあれあまり話さないし、変に大人びた所のあるミキトとの間に明るく溌溂としたキョウカが加わった事は単純に嬉しかったのだ。頭の良い彼女はミキトとも話があったようだし、そんな彼女が手伝ってくれればミキトを部屋から連れ出す作戦も以前よりずっと楽になった。

 ただキョウカはあくまで「暫くこっちにいる」と言った。それがいつまでなのかはなんだか聞く気になれなかった。横で興味なさそうに本を読んでいるミキトも特に尋ねはしなかった。

 

 

 

 暫くはなんて事のない日々が続いた。3人でいる事が日常の一部になり、それがこの先もずっと続くんだと無根拠に思い始めて迎えた冬休み。事態が大きく変わったのは正月が開けてすぐだった。

 子どもにとってはまだ冬休みの真っただ中の1月5日、ブラウン管に映った、一番近い街とは比べ物にもならないレベルの大都会の風景とそこに差し込まれた異様な光景をすぐさま現実のものとは認識出来ずにまるで昨日見た映画みたいな光景だと呑気な事を思った。

 都会の喧騒も事件もこの村にとっては別次元の出来事でしかなく、特に社会の仕組みにすら想像が及ばない子どもの身なら致し方ない事だ。とにかくなんだか知らないがとんでもなくヤバい事が起きているんだと本能的にそれだけは察知した俺はすぐさまミキトの家に走って言った。果たしてその光景を固唾を呑んで見守っていたミキトは俺の顔を見るや否や「これはテロだ」、そう呟いた。

 テロ。確か去年の9月にアメリカのニューヨークに飛行機が突っ込むという事件が起きた時にそんな言葉が飛び交っていた。イスラムゲンリシュギとかシュウキョウセンソウとか聞き慣れない言葉が飛び交う光景を見ながらミキトや父さんはそう言ったが、俺にはあまり理解出来なかった。一つだけ分かったのはこの国で何か途轍もなくヤバい事が起きた、それだけだ。

 だがそのブラウン管の中の光景は決して虚構のフィルムでもなければ自分達には全く関係のない他所の世界の出来事でもなかった。俺達がそれを身を以て知らされるのは次の日の事だ。死者だけで158名という未曽有の被害を出した事件、彼らに何か落ち度があった訳ではなく、たまたまそこに居合わせただけ、というあまりに理不尽な愚行の犠牲の中にはキョウカの両親の名も含まれていたのだ。

 

 キョウカの両親とは年末に会っていた。祖母の元で暮らす一人娘を尋ねに来たウチと違って品の良い身なりをした二人は手紙のやり取りで俺やミキトの事を知っていたらしい。いつも娘と遊んでくれてありがとう、と俺達に大きなケーキをくれた優しい人達だった。東京の方で何か立派な仕事をしているんだ、と藤屋敷のお婆さんは微かに誇らしげにそう教えてくれた。あの優しい人達がもういないのだとすぐには実感できず、俺は居ても立ってもいられず藤屋敷に走った。しかしのその日は家には誰もおらず、冬休みが明けてもキョウカが学校に戻ってくる事はなかった。「白零會」という言葉が世を席巻する中、俺にはキョウカの事だけが気掛かりだった。

 

 キョウカが再び学校に来たのはそれから1か月後の事で――子どもにとってはあまりにも長い期間だ――久しぶりに登校した彼女からは以前のような溌溂さは失われていた。既に彼女の親が地下鉄テロ事件の犠牲者だという事は知れ渡っていて、先生も腫れ物に触るような態度しか取れず、周りも声を掛けあぐねて遠巻きに彼女を見ているだけだった。かく言う俺もその一人だったのだが。戻ってきたらなんて声を掛けようかあれほどシミュレートしてた筈だったのにいざ本人を前にしたらどんな言葉も行動も意味を持たない気がしてきた。そんな自分がただひたすら情けなく、恨めしい。心からそう思った。

 

 そんな折だった。

 

『ほらこれ…』

 

 気まずい沈黙を打ち破るようにどこか気の抜けたその声はしかしやけにハッキリ響いた。目を伏せたままだったキョウカが驚いて顔を上げると何気ない顔をしたミキトが彼女の机の上に一冊の本を投げ落としたようだ。

 

『正月開けたら貸す約束、だった。それだけ…』

 

 それだけ素っ気なく告げるとミキトはもう自分の席に戻っていった。周りは奇異な目を向けたが元々その変人っぷりから何を囁かれても柳に風と受け流すミキトの事だ、気にした風もなく席に付くともう興味をなくしたと言わんばかりに窓の方に視線を向けたが、一瞬少し気にしたようにキョウカの方を、そしてチラリと俺の方を見た。

 ミキトなりの気遣いだったのだろうが、それにしたって迂遠に過ぎるし、あまりにいつもと変わらない態度だと今でも思う。でもそれできっと良かったんだ、直前まで何も映していなかったキョウカの目にほんの微かな色が灯ったように見えた。変に気を遣うでもなく、遠巻きに眺めるでもなく、ただいつものミキトとして接する事が。

 俺はそんなに自然には出来ないなと悟った時、言いようのない劣等感みたいなのが頭を駆け巡ったが同時にそんな些事に囚われる自分がもっとイヤになった。気付いた時にはノートの隅を破り、それに下手な字で書き殴るとそれをスーパーボールに包んで、彼女の机にまで投擲した。狙い違わず、即席ダーツは彼女の机の上にコロンと落下した。急に飛んできたメッセージをキョウカは怪訝な顔で紙を開いて、読んだらしい。その時の顔は見てない、気まずいから。

 『元気出せ』『頑張れ』そんなありきたりで無責任な強い言葉は今は届かない事くらい子どもの俺でも分かる。頭の良くない俺があれこれ余計な言葉で気を回してもヤブヘビになるかも知れないし、さりとてミキトみたいに泰然自若と振る舞える自信もない。だからシンプルに、たった一言だけ、少なくとも一切の偽りのない気持ちを。

 

おかえり

 

 少しだけ気になって顔を上げるとこっちの方を振り返っているキョウカの顔が見えた。少し濡れたように見える大きな瞳とハッキリと視線が絡み合い、俺はまた気まずくなってそれを外した。やはり無神経に過ぎただろうか…なんて思っていると急に頭頂部の辺りに軽い衝撃が加わった。なんだ、と思って見ると先程投げたスーパーボールが紙に包まれて机の上にあった。それが意味するものを理解した俺は一も二もなくメモ紙を広げた。猫のキャラクターが描かれたメモ紙に小さく彼女からの返事があった。

 

うっさいバーカ!

 

 罵倒なんだかよく分からない返事に思わず顔を上げて再びキョウカの方を見ると少しばかりクシャッと顔を歪めて微笑んだキョウカと目が合った。なにやら急速に気恥ずかしくなった俺は咄嗟にノートの切れ端に『バカとはなんだ』と書いて再度即席ダーツを放り投げた――。

 でも何事もやり過ぎは良くない。力みすぎたせいで明後日の方角に飛んだ即席ダーツは運の悪い事にちょうどクラスに入ってきた先生の鼻頭に直撃したのだった。怒り心頭の先生『廊下に立ってなさぁいッ!!』が直撃し、慌てふためく俺の様子を見ながらキョウカは小さく笑った。

 

 後で分かった話だけどキョウカは九州に住んでた親戚の家に引き取られる話もあったのだそうだ。お婆さんももう年だし、今後の事も考えるとその方が良いのではないかとお婆さんも含めた大人達は思ったのだそうだ。でもお祖母ちゃんを一人にしたくないと言ってキョウカはここに帰ってきた。かなり後になってその事を話してくれた時、彼女はすごく照れくさそうに笑って最後に言った。

 

『ここに帰りたいって思ったの。君とミキトがいるこの村に…ね?』

 

 

 

 あの時はこの関係がずっと続くんだって無邪気にそう信じていた。やがて3人が4人になってもそれはずっと変わらないものなんだって。少なくとも9年後のあの日まではそれは疑いようのないものだった――のだろうか…。

 

 それとも俺だけがそう思ってただけで、もしかしたら少しづつ世界は変わっていったのかも知れない。それを薄々気が付いていたから俺は村を飛び出したんじゃなかったのか。それは単に変わっていくものから目を背けたかっただけなのか、それとも俺もまた変わりたかったんだろうか…。分からない、思い出せない、だんだんと景色も空気も朧げな記憶に堕していく…。

 

 俺は消えていく景色に向かって手を伸ばした。でももうそこには届かない。全てはこの7年間の記憶と昨日見た景色が塗り潰していく。

 

『忘れるな――お前はまだ何者でもないんだ…!』

 

 叔父さんの声が響いた。掌から零れていく命を繋ごうと強く握りしめてもそれは隙間から零れ落ちて行く。

 

『俺は――俺達は怪物さ…!』

 

 ミキトの声が、姿が変わっていく。全てを呪うように吐き出された言葉と共に異形の怪物が目の前に現れた。

 

『…兄さんは…怪物です…』

 

 泣きそうな声であの子がそう言った。最後の記憶よりずっと大きく、美しくなった姿はそれこそ流れた年月の重みを痛感させた。それと同時に今の兄妹にある隔たりが余計に哀しかった。

 

 最後にもう一人の少女の顔が思い浮かぶ。未だ新しい記憶に塗り潰されていない、あの日の照れくさそうな笑顔に向かって俺は、その名を呼んだ。

 

 

・・・・・・・・・

 

 

「梗華…!」

 

 ツンとした消毒液の臭いが鼻孔を掠めた。それと同時に急速に意識を取り戻した生身の肉体に痛みが走り、成澤哲也は顔を顰めた。なんだか知らないが点滴を打たれた後みたいに妙に頭がふわふわするが、見慣れぬ天井の木目から少なくともここが佃島の自宅アパートでない事だけは一目で分かった。まだ少し肩や首筋に痛みがあったが耐えられない程ではない、と緩慢に体を起こして部屋の様子を確認する。天井の印象に違わず、哲也が横たわっていたのは10畳ほどもありそうな広い和室だった。木目の色調や襖の色合いから相応の年季が入っている事は窺えた。

 

 ここはどこだ…と哲也は戸惑った。部屋の佇まいは由緒正しい高級旅館を想起させたが、そんな一泊だけで諭吉が何枚もすっ飛んでいくような部屋に自分が泊れる筈がない。記憶を辿ると最後に思い浮かぶのは《スカルマン》もとい幹斗が健輔を連れて去って行った光景だ。その後の事はハッキリしない事を考えるとどうやら意識を失っていたらしく、その間にここに連れてこられたようだ。

 見ると傷を負った各所は丁寧に処置が為されており、この布団もそれなり以上に上等なものだ。少なくとも怪しげな組織に身柄を拘束されているとかそんな心配はない、と考えて良いのだろうか、哲也は訝しんだ。

 いやいや、つい布団の寝心地の良さに気持ちが呑気になりかけたが油断は出来ない。なんにせよあの鎧と言い、怪物の事と言い、それらの事を知っているらしい幹斗に柚月と言い、あまりに不自然な事が多すぎる、確実なのはここがどこだか分からず、自分の身の安全に関しても確証が持てないという不安定な立場にある、という事だけだ。呑気に構えて、油売ってる訳にもいかない、と体を起こそうとした刹那、不意に何かが駆けてくるような足音が響いた、と思った次の瞬間には勢いよく部屋の襖が開け放たれた。

 

「哲也…!やっと起きたよ…!」

 

 その声の正体が文字通り部屋に飛び込んできた時、張り詰めていた室内の空気がと華やいだ気がした。上気したように息を弾ませ、大きな瞳がまっすぐに哲也を見つめている。記憶にあるより髪が伸び、頬の輪郭が丸みを帯びていたがその顔を見間違う筈がない。

 

 九條梗華がそこに立っていた。

 

 梗華――!と思わず叫びそうになった哲也だったが、その言葉が発せられる事はなかった。言葉を継ぐ前に駆け寄ってきた梗華が哲也の首の後ろに手を回して縋りついてきたからだ。ふわりと鼻孔をくすぐる香りと受け止めた身体の重さ、そして押し付けられた胸から伝わってくる鼓動が彼女が今ここに生きている事を伝えてくる。

 

「…良かった…。絶対また会えるって信じてたよ…」

 

 微かな嗚咽が耳朶を打つ。確かめなくても彼女がすすり泣いている事が分かり、哲也は考えるよりも先に梗華の細い背中に手を回していた。さらりとしたTシャツの奥に確かな温もりが宿っている、梗華が生きていた。こうして生きてまた会えた。その事が何よりも嬉しく、気が付いたら哲也の頬にもまた熱い雫が伝って来た。

 

 どれくらいそうしていただろうか、最初の熱が過ぎ去ればとりあえず冷静にはなるもので、不意に羞恥の念が押し寄せてきて哲也はパッと梗華の体を引き離した。彼女も気が付いたのか黙って下がるとやや気まずそうに長い髪をくしけずっている。そんな仕草を見ながら哲也は改めて本当に梗華なんだだな、と実感した。視線をじっと向けられている事に気が付いたのか梗華は少しばかり顔を赤くして、口を尖らせながら「言っとくけど幽霊とかじゃないよ?」と呟いた。

 

「6歳の時に君達と出会って以降あかつき村で育った、正真正銘ホンモノの九條梗華です…。ついでにここがどこか…ってのも説明すると長くなるけど少なくともあの世ではない…」

 

 なんとなく照れ臭さを押し隠すようにそう言った。困った時にどこか冗談めかした言い方をするその癖こそ間違いなく梗華そのものだと言えたが、それが分かると今度は急速にここはどこで今彼女らは何をしているのか、7年以上の時間をどう過ごしてそして何故今になって現れたのか、という疑問が頭をもたげてきた。知りたい気持ちと知りたくない気持ち、知らなきゃいけない気持ちが一気に押し寄せてきて、ただでさえ千々に裂けていた心が更に攪拌されるのを自覚しながらも哲也はなんとか「…聞いても良いか…?」と絞り出していた。梗華がビクン、と肩を震わせる。その様に一瞬心が揺れかけた心をなんとか奮い立たせて哲也は更に続けた。

 

「今…街で《スカルマン》っていうテロリストが事件を起こしてる、それが幹斗だったんだ。柚月はそれを追ってた…。なぁ教えてくれ、一体この7年間の間に何があったんだ…?」

 

 自分でも情けないと思うぐらい唇が戦慄き、心臓が早鐘を打つのが感じられた。惧れの根源は分かっている、幹斗の事、柚月の事…彼らに何があったにせよそれが決して平穏なモノではなかった事は容易に想像がついた。その間自分はのうのうとこの世界で生き延びて、あろう事か皆の事を過去に葬ろうとさえしてたのだ。その罪悪感が今更ながら押し寄せ、胸をギリギリと締め上げる。それでも、今は俯いたらダメだ、と顔を上げ、梗華の瞳を正面に捉える。

 

 視線が絡まったのはほんの数瞬の事だった。《スカルマン》という言葉に反応して目を見開いた梗華は悲しそうに目を閉じ、やがて決心したように「色々あったんだよ…」と漏らした。

 

「…どこから話したもんかな…うん…やっぱり村に何があったかだよね…あの日、ね…」

 

 どこか沈鬱な空気が漂い始めた、と思った次の瞬間些か今の空気にそぐわない程、けたたましい声が部屋中に響き、哲也は硬直した体が途端に脱力するような心地を味わった。奥さんに毎度毎度気勢を削がれまくる編集長の気分が少しだけ分かったような気がするぞ、と内心でぼやきながら、その声の正体が明らかに人の、それも赤子の声だと分かり、梗華に対面した時以上の戸惑いを覚えた。

 

「――あ、しまった…!」

 

 梗華がハッとしたように立ち上がると先程入ってきた部屋の向こうに消えていき、なんだなんだ、と思って哲也もそれに続いた。襖一枚隔てた隣の部屋はこちらより少し狭く、6畳敷き程のスペースの隅に小さめのベビーベッドが置かれており、声の主は案の定その中で横たわっている小さな生き物だった。

 

「あ~…ごめんねぇ…。どうしたのかな~?お腹すいたかな?」

 

 人の子でも赤ん坊というのは年も性別も分かりづらい、生後どれくらいかは定かではないが、とにもかくにも今の状況とはあまりに場違いな存在とそれ以上に――その主を梗華が手馴れた手つきであやして、あれこれ様子を確認している事に哲也は本日何度目かの衝撃、それこそ雷に打たれたかの如く。

 

 目の前の小さな命に向ける暖かい視線、慈しむような手つきと柔らかい口調。もしかしてこの子は梗華の――!?

 

 突然降って湧いた事実にただ声も出せずに困惑していると、ふと視線を感じた。見ると赤子を抱えた梗華がジトっと湿った視線を哲也に注いでいた。ハッキリした事は分からないが「ナニぼーっと見てるんだ?」と言っている気がする。

 

「あのさぁ…そうジッと見られるとやりにくいんだけど…」

「へ…?」

 

 なんの話してるんだ一体、と突っ込もうとした所で、梗華が赤子を抱えながらある一点を指差しているのが見えた――ちょうど薄手のTシャツをつきあげる豊かな膨らみの辺りを…。

 

 という事はつまり…。

 

 転瞬、顔に火が付いた。

 

「うわああああああああああああっっっっっ!!!ゴメンナサイスミマセンモーシワケアリマセンデシタアアアアアアアアアアッッッッッッッッッ!!!」

 

 全ての意味を察し、あろう事かその先の想像してはいけない領域にまで思考が到達しかけた我が身の不実を盛大に呪いながら、哲也は180度ターンして元居た10畳に飛び込むと襖をピシャリと閉めて乱れた布団に頭から包まった。

 大丈夫これでとりあえず視覚と聴覚はとりあえず封じられる、何も見えない聞こえない、あとは思考が不埒な方向に飛んでいかないようにとりあえず真面目な事でも考えよう、国際情勢の動きとかその中にあって日本が果たすべき役割とか…って俺にそんな事分かるかバカモノッ!

 

「ってヤダ冗談よ冗談!!」

 

 そんな挙句で布団に頭から突っ込んで醜態を晒している哲也を見兼ねて梗華が慌てた様子で布団を引き剥がした。そう言われてよく見ると部屋の片隅にちゃんと乳児用の粉ミルクとや離乳食のセットがちゃんと置いてある。それに今更気が付いて赤い顔のまま呆然自失としている哲也を見下ろしながら梗華は呆れた、と言わんばかりに嘆息した。

 

 

 

 そう言えば赤ん坊が突然泣き出すケースは生後9か月くらいまでがペースだが、1年くらいは突然泣き出す事はよくある、と聞かされたっけか。横ですやすやと安らかな顔で眠る赤子を見つめながら哲也は産婦人科医だった母が言っていた事を思い出した。

 

「はぁ~…この子割に偏食だから大変なんだよね…」

 

 疲れたように、だがそれでもどこか楽しそうに梗華が吐息を漏らした。それだけでこの子が彼女の子だと察するには十分で哲也はなんと二の句を次いでいいやら分からず、頭を掻き毟った。なんだか自分が踏み込めない領域の話の気がして、その問いを発するのが憚られたが、梗華がなんと説明したものやら、と躊躇いがちにこちらを見ている気配を感じて、哲也は鉛のように重たくなった口を開いた。

 

「幹斗の子…か?」

 

 確証があった訳ではないし、別に目の前の子どもがアイツに似ている気がする、とかそんな訳でもない。ただ自分の梗華に関する記憶はあの高1の時期と変わっておらず、そこから導き出せる類推が他になかっただけだ。出来ればそうであってくれという気持ちとそうであって欲しくない気持ち、矛盾した二つを抱えたまま哲也はそう尋ねた。

 

 梗華は口には出さなかった。幹斗、という言葉に胸が痛むように肩を震わせるとやがて微かに――見逃してそうなくらい微かに頷いた。それから思い出したように「名前はミホ。女の子だよ」そう付け加えた。

 

 やっぱりか、ズシリと重くなった気持ちを膝ごと抱え込んで哲也は俯いた。あまりに立て続けに色んなことが分かり過ぎたせいで頭がはち切れそうだ。聞きたい事は山ほどある筈なのに次に何を聞いたら良いか分からない。子どもの父親の話をしてる筈なのにあまり幸福そうには見えない梗華の様子も含めてこれ以上何か聞いたら取り返しがつかなくなるような気さえした。暫し重たい沈黙が部屋を覆った。

 

「お目覚めのようですね」

 

 そんな静寂を打ち破るように部屋を仕切る障子戸が突如開け放たれ、哲也達は飛び上がるように声のした方に目を向けた。

 

 入ってきたのは60代半ばくらい、仕立ての良いスーツを着た男性だった。前半分くらいが薄くなり、白髪も混じっている髪や小柄な体格は如何にも風采の上がらない印象だが、背筋はピッと伸びており、油断なく引き締められた口元も含めてただの老年の男性にはない凄みを醸し出している。潔癖そうに嵌めた白手袋も併せてどことなく執事のような印象がする。

 

「楠さん…」

 

 男を見て梗華が呟いた、それが男の名らしい。楠は梗華の方に小さく会釈をくれるとそれから鋭い眼光を哲也の方に向けた。

 

「失礼。成澤哲也様でいらっしゃいますね?我が主が貴方様にお会いしたいと申しております。お目覚めになられましたら、こちらに連れてくるように、とのお達しでした」

 

 声色こそ柔らかいがどことなく有無を言わさぬ口調だった。「我が主」という更に得体の知れない響きに哲也は無意識に肌を粟立たせた。

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 老舗の高級旅館みたいな雰囲気だな、と思った最初の印象に違わず二人のいた部屋はやはり離れのような作りになっていた。中庭のような一角にポツンとある部屋、というか小体な一軒家の玄関はそのまま屋根付きの渡り廊下に繋がっており、複雑に入り組んだその道を楠と呼ばれた男の案内に従って哲也と赤子を抱えた梗華は進んだ。行く手にはさほど小さくない筈の離れでさえ霞んで見える程の豪奢な造りの屋敷があった。どことなく武家屋敷を想起させる赴きで、だがそうなるとなんだか年を感じさせない足取りで先頭を行くこの男の格好とどうも不釣り合いだ、と思う。

 

 さしずめ魔物の住処、という印象だな、哲也はどことなくゾっとした心地を味わった。

 

 本館に入って、この屋敷を取り巻く違和感に気が付いた、とにかく人の気配というものがしないのだ。こんなデカい屋敷なら普通は使用人が大勢詰めててもおかしくはない、と思うのだが。ここは一体どこでアンタらは何者なんだと思わず問い質したい心境に駆られたが、寡黙に突き進む背中ともう慣れたと言わんばかりに後に続く梗華の様子を見れば口を開くのは躊躇われた。

 屋敷の中を更に進むと何もない突き当りに行きついた。周りと同じ古びた木目の壁があるだけの空間に戸惑いを抱いたのも束の間、楠が慣れた手つきで懐から取り出したスマートフォンサイズの機械を操作しだした。途端に木目の突き当りが融けるように消失し、代わりに明らかにこの屋敷の雰囲気にそぐわない硬質な金属扉が出現した。

 

「なんだよコレ…光学迷彩かなんかか…?つーか現代版忍者屋敷?」

 

 あまりに現実離れした光景に哲也は思わず素っ頓狂な声を上げていたが、残念なことに楠は興味なさそうにその問いを黙殺した。再度タブレットを操作すると重たい解錠音と共に扉がゆっくりと開いた。完全に開ききったのを確認してから楠はちらとこちらを一瞥する、どうやら乗れと言ってるようだ。有無を言わさぬその態度に哲也は溜息を吐き、こうなりゃ自棄だ、とその奥に脚を踏み入れた。

 入ってみると中にあったのは畳を4枚ほど縦に敷いただけの極めて簡素な造りの一室だった。さしずめ現代の座敷牢か拘置所の内部だ、こんな所で何するつもりだよと哲也はいよいよ戦慄した、というか梗華がいなかったらとっくに発狂していたかも知れない。

 

「大丈夫、別に閉じ込めようってんじゃないから」

 

 挙動不審気に視線をキョロキョロさせていたのだろう、梗華がこっそり耳打ちした。気恥ずかしさやら何やらで顔を赤くして振り返ると、彼女は安心させるようにほんのりと微笑んだ。少しだけ胸のつかえがとれたような気はしたものの、これじゃあ全くアベコベじゃねぇかと若干の自己嫌悪に襲われたのもまた事実だった。

 そんな哲也達の様子を見るでもなく、楠は手早く再びタブレットを操作した。認証するような音と共にゆっくり鉄扉が閉まったかと思うと次の瞬間、ガクンという音と共に部屋全体が落下するかのように感覚を味わった。とは言え別にフリーフォールのような性急なモノではない、これは恐らくこの部屋自体がエレベーターになってるんだと理解すると同時にこんなものを用意した上で哲也達を招待した「我が主」とやらの気がいよいよ知れなくなった。

 

 やがて部屋が完全に停止したと思ったのと同時に扉が開いた。それと同時に風がヒヤリとした空気が吹き込み、頬を撫でた。寒いなと思い、目を凝らすと戸の向こうに広がっていたのは広大なコンクリート造りの円形地下空間だった。広さはザッと中央を起点として半径300メートル、高さは最大で20メートル近くはありそうなコロシアムか何かを想起させる。

 部屋の温度は異様に低く、何故か回廊になっている箇所を除き、床全体が水で満たされている。各所に配置された立方体状のオブジェが不可思議な明滅を放っており、まるでSF映画か何かの世界だな、と哲也はそう思った。

 

「あちらで…我が主がお待ちです」

 

 恭しく楠は一礼して、哲也と梗華を先に行くように促した。その手の先には部屋の中央に設えられた浮島、そしてそこにポツンと建つ東屋のような建造物があった。建造物の中に建造物ってどういう神経だよ、と突っ込みたい心境を堪えて、哲也は固唾を呑んだ。あの先にどうやら今の事態の全容を知れる可能性がある、それと同時にここで踏み出したら二度と引き返す事の出来ない奈落の道に通じてる可能性もあるわけだ。ともすれば笑い出しそうな膝を一度叩くと哲也は一度梗華の方を一瞥した。

 これ以上逃げるのはごめんだ、地獄への道だろうが何だろうが、それが幹斗達の事を知る切っ掛けになるならばなんだって選んでやる。覚悟を決めたのか自棄になったのかよく分からない、という内心を無理矢理抑えつけ、それから足を踏み出した。

 

 歩を進めると立方体状のオブジェの正体はどうやらスーパーコンピューターのようだ、と思い至った。現物を見た事はないが、以前にニュースで見た神戸理化学研究所計算科学研究センターにあるスーパーコンピューター《富岳》がこんな感じではなかったかと気が付いたからだ。そうなるとこの異様に低い室温も床を満たす水もスパコンの冷却システムなのではないだろうか。鳥肌が立ちそうな程の室温に身震いすると梗華も同様なのか小さくくしゃみをした。今の彼女の格好は薄手のシャツに室内用のショートパンツというかなりラフな格好なので寒いのも無理はないし、ていうかこれ下手したら赤ん坊には悪い環境だぞ、と思い至る。

 しかしどうやら楠という男も先刻承知なのか、どこからともなく――恐らくエレベータールームにでもしまってあったのだろうか――赤ちゃん用の防寒着を持ってくると、梗華からミホを受け取って着せていた。その手つきは存外優しく、気遣うような表情を浮かべており、梗華も安心して我が子を預けている素振りであり、哲也は少なからず面食らった。

 

 防寒着を着せたミホを抱いた楠は再びエレベーターの方に戻っていく。俺達が「我が主」とやらに会っている間に子どもの面倒を見ていてくれるらしいが、果たして梗華はそれで良いのだろうか。「任せて大丈夫なのか?」隣を歩く梗華に哲也はそう尋ねた。

 

「大丈夫。案外お世話上手なんだよあの人」

 

 心配ないよ、というその横顔には信頼の色があった。淡々とした無機質で不気味な印象と違って存外いい人なのかも知れないな、と哲也は彼の認識を少し改める事にした。

 

 中心にポツンと建つその建物は遠目には東屋というか庵というか、とにかくそんな印象があったが、いざ近くまで来てみると周囲を光沢のある壁材で覆われた未来的なシルエットを除けば、むしろ神殿のような雰囲気さえした。さていよいよ我が主とやらとご対面か、と思いきや不意に東屋の壁の一部がドアのように開き、梗華や楠よりも更に小柄な影が姿を現した。ボロボロになった男物のジャンパーに無造作に両手を突っ込み、こちらを見ているその姿は間違いなく――。

 

「二日ぶりにお目覚めですね。よく眠れましたか?」

 

 呑気な奴だと言外に告げているジト目でこちらを睨みながら山城柚月はそう口を開いた。

 




中途半端ですが文字数の関係上ここまで。
そろそろこの作品の根幹が明かされると思いますのでどうかお見逃しのないように。

それではまた次回。
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