仮面ライダー:RE   作:大荒鷲

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CHAPTER-3:『REjectionⅠ』- ③

 悲鳴を聞きつけて体育館に集まっていた人達が玄関前に駆け寄ってきた。

 

 来ないで、見ちゃいけない、そう叫ぼうとして果たせず、かくして集まった人々はそのバケモノの姿をその目で捉える事になった。顔面を構成するパーツが溶解し、代わりに海洋生物の如き8本の触手をうねらせている()()――《タコヴェルノム》はその特徴的な触手を以て老人の顔面を包み込んでいた。老人は暫く必死に振り払おうと手足をバタつかせていたが、やがて全身から力が抜けていくように弛緩して動きを止めた。やがてその体は壊死するかのようにどす黒く変色し、最後には細かい灰となって崩れ落ちた。

 

 空気が割れるような特大の悲鳴が狭い玄関ホール中に響いた。その場に集った人達は一斉に踵を返して我先にと逃げ出してく。最も行動の早かったのはあの観光客の男でそれこそ周りを押しのけ、突き飛ばして、一度も後ろを振り返らず逃げ出した。

 だが逃げる前に人垣から弾かれてしまった人達もいる。《タコヴェルノム》が次の獲物に定めたのがそういう人達だった。触手を不気味にくねらせ、だが覚束ない足取りでゆっくりと歩き出す。瞳がないので視界による情報は得ていないようだ、だとするならば体温か聴覚か…とにかく明らかに人とは異なる手法で獲物を捉えたのか、その動きはなにか喜悦のようなものが感じ取れた。コイツ人を人を“喰う”事に歓びを見出してる…あたしはゾクリと肌を粟立たせた。

 《タコヴェルノム》は緩慢に、だが確実に“獲物”に向かってにじり寄っていく。その先にいるのが尻餅をついて後ずさっているユヅキちゃんだと気が付いた瞬間、今度こそ理性の全てが消し飛ぶかのような恐怖心が襲い掛かってきた。

 

 バケモノはまるで舌なめずりするかのように触手をくねらせる。それを察知したのか慧おじさんを含めた村の大人達が《タコヴェルノム》に取り付いた。のっそりと歩くその細い体を左右から拘束し、おじさんが手にしたモップを再度顔面に叩きつけようとした、が――!

 瞬間《タコヴェルノム》の触手が膨張するように伸長し、モップとおじさんの手に絡みついた。締め上げようとするかのようにそこに力が籠り、おじさんも必死に振り払おうとしたが力は向こうの方が上だったようだ、怪物が小さく頭を振るだけでおじさんの大きな体が宙を舞った。おじさんはそのまま壁に叩きつけられ、床に崩れ落ちる。その動揺をついて《タコヴェルノム》は自分を抑え込む二人の拘束を振り払うと触手を振り回し、そのまま床に引き倒した。

 

『――させるかぁっ…逃げろユヅキちゃん…!キョウカちゃんも早く…』

 

 それでも彼らは《タコヴェルノム》の両脚に腕を回してそれ以上の進行を阻止しようとした。だが奴はそんな些細な抵抗を嘲うかのように二本の触手を伸ばして一人の胴体を縛るとそのまま逆さ吊りの要領で持ち上げるとそのまま引き寄せ、薄い胸板に噛みついた。短い悲鳴が上がる。もう一人の老人は立ち上がるとその気味の悪い顔面を引き剥がそうと駆け寄ったがそうなる前にその気配を察知した触手が二本伸びて老人の腹部を貫いた。赤い血が老人の腹と口から噴き出し、ゲフッ…と咳き込むような湿った咳が彼の口から洩れた。やがて怪物に噛みつかれた方の体が灰となって崩れ落ち、もう一人は触手が乱暴に払った反動で上半身と下半身を引き裂かれた。玄関ホールに黒い遺灰と夥しい鮮血が広がる。

 

 死んだ…?こんなあっさりと。自分の知る人達が。まるで路肩の虫のように。二人は遺体すら残さず、もう一人は…!

 

 下半身を引き裂かれ、人形のように横たわる老人の方を見た。既に瞳に光はなく見えているかすら定かではない、半開きになった口からゴボゴボと血を噴き出しながらもまだ僅かに動いていた。彼が今の自分の状況を――生死も含めて――把握できているのかは分からない、だがその口は逃げろ、とそう言っているような気がした。

 

『いやあぁぁぁあぁああぁぁぁぁぁあぁぁぁっっっ……!!!』

 

 あたしは叫んだ。いや吠えた。

 

 目の前の状況を明確に捉えた時湧き上がってきたのは恐怖でも悲しみでもない、怒りだ。こんな訳の分からない状況で理不尽に殺された上に、遺体すら残さないか、暴力的な力の前に冒涜的に嬲られるか、そんな惨事を引き起こしたこのバケモノに対する峻烈で激しい怒りだった。死んでたまるか、殺されてたまるか、あたしもユヅキちゃんも、慧おじさんも、誰一人…!

 《タコヴェルノム》が再びユヅキちゃんに向かって触手を発射し、あわやその小さな体を捕らえようとする前にあたしは彼女の前に飛び込んでいた。小さな体を全力で抱きしめて飛び出した勢いのまま地面を勢いよく転がる。庇った拍子に右肩を少しばかり抉られ、鋭い痛みが走ったが構わずあたしはユヅキちゃんを抱えたまま走り出したが、すぐに脚にバケモノの触手が絡みついてきてそのまま床に引き倒された。それと共に強い力で絡みついてく触手の痛みに呻きながらも、このまま喰われてやる気はない、と辺りを見渡す。ふと視界の先に壁に掛かった消火器が見えた、があと数十センチで届かない。

 

『あれ取って!』

 

 傍らのユヅキちゃんに叫んだ。彼女もその一言で全てを察してくれたのかあたしの体のしたから素早く抜け出すと躊躇わず壁に向かっていった。ケースを叩き割り、取り出した消火器の安全栓を素早く引き抜くと、躊躇うことなくバケモノに向かって中身を噴射した。猛烈な勢いで消火剤が発射され、無論それで怪物が死ぬわけではないのだが突然の事態に勢いが怯んだ。あたしは隙をついて怪物の拘束を振りほどいて立ち上がった。

 だがそうした事であたし達が逃れた事を《タコヴェルノム》は察知したらしい、怯みながらも再びあたし達に向かって触手を動かす。

 

 ――が。

 

『さぁせるかああぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!』

 

 雄叫びが狭いエントランスに木霊した。見ると気絶から目を覚ましたらしいおじさんがモップを振り上げながら突進してきたのだと分かった。叩きつけるのではなく長いリーチを活かして金具の部分を思いっきり突き刺す。それそのものに貫く力は殆どないが、勢いと力を合わせれば人の皮膚に食い込ませるくらいは出来る。怪物が僅かに怯んだ。

 それと同時に奥の方に避難していた他の村人達が玄関ホールに飛び込んできた。駐在さんを先頭にして各々学校の各所に備え付けてある()()()()を手にしている。本来なら長いリーチで近寄らずに不審者を拘束するためのヤツだ、一人で怪物を抑え込んでいるおじさんに負けじと一斉にそれを怪物に突き立てた。

 

『ギィヤァァァァァアァァァァァァッッッッ……!』

 

 村の若い衆が5,6人ばかりさすまたを叩きつけ、そのまま引きずる勢いで壁際にまで追い詰められた怪物が流石に苦悶の叫びをあげる。

 

『今だ、ドア開けろぉっ!』

『このまま追ん出せ!』

 

 その隙に他の人達が閉まっていたドアを開放した。そこからそのまま押し出す形で学校の外に放り出そうとする魂胆のようだ。猶も消火器を噴霧して相手を怯ませながら、ゆっくりと、だが確実に扉の方へと押しやっていく。

 しかし怪物もさるもの、その意図を見抜いたのかまでは分からないが、触手を大きく伸ばし反撃に出た。それ自体が単独の生き物であるかのように動き回る触手が瞬く間に村民の体に絡みつき、貫き、吹き飛ばす。あっという間に拘束から逃れた《タコヴェルノム》は脚を負傷し、倒れた村民の体に触手を這わせて持ち上げる。

 

『いい加減にしろっ、このバケモノッ……!』

 

 真っ先に動いたのはおじさんだった。さっきあたし達が消火器を取り出した辺りの蓋を更にこじ開け、消防斧を取り出して怪物に殴りかかった。捕食に気を取られていた《タコヴェルノム》は反応が遅れ、その眉間にまともに消防斧の一撃を食らった。元々は壁や窓を打ち壊して避難経路を確保するためのモノだ、そうした荒っぽい運用に耐え得る頑強さを持っている斧は怪物の頭を打ち砕き、引き裂いた。怪物が悲鳴のような咆哮を上げ、赤黒い血と紫色の脳漿が撒き散らされる。

 

『今だァッ!』

 

 頭に突き刺さった斧を素早く抜き放ったおじさんは続けて、それを振り回して村民を拘束していた触手を切り裂いた。その隙に態勢を立て直した村民達は再びさすまたを握ると一斉に怪物に向かってそれを突き出した。叩きつけられた衝撃でガラス戸が完全に砕け散り、そのまま怪物は外に放り出された。触手を二,三本切り飛ばされ、頭も半分程抉られた上に背中には無数のガラス片が突き刺さった痛々しい姿だがそれでも多少足取りが覚束なくなっただけで怪物はまだ生きていた。猶も執念深く触手を伸ばそうとする――それどころか斬られた筈の断面にもう薄い皮が張り、少しづつ再生し出しているようにさえも見えた。

 

 ――コイツ不死身なの…?あたしは戦慄した。

 

『もう良いだろうっ!地獄に帰れよ…!』

 

 おじさんがそう吠えた。次の瞬間躊躇いもせずにドアの外に飛び出すと《タコヴェルノム》の頭部に何度も斧を振り下ろした。一発二発三発――打ち付ける度に鮮血が飛び散り、白一色に振り込められた世界を染めていく。最後に斧を目一杯横薙ぎに振り抜くとそれは狙い違わず怪物の首元にめり込み、その異形の頭部を切り飛ばした。

 怪物の頭が力なく舞い、地面に落ちた。頭部も残された胴体も暫く我が身に何が起きたかを知覚出来ずにビクビクと動き続けていたが…やがてネジの切れた人形のように静かに崩れ落ち、そのまま二度と動く事はなかった。異形の頭部だけがやがて粘度の高い汚泥のような物質に変異し溶けていき、大の字に仰臥したまま動かない人体だけが後に残された。

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

「…《ヴェルノム》っていうのか…あの怪物は…」

 

 哲也はポツリと呟いた。かれこれ1位時間ばかり話している。少し休もうか、そう言って哲也は席を立った。備え付けてあるポットからお湯を急須に注いで、お茶を入れると梗華の所に持っていった。

 

「ほれ」

「ん、ありがと」

 

 熱いお茶で互いに喉を湿らせてホウっと一息吐いた。張り詰めっ放しだった神経に清涼な緑茶の香りが通って少しばかり落ち着けたような気分になった。梗華も同様の感想なのか、穏やかな笑みを浮かべたと思ったら、しげしげと茶葉の入っている缶を眺めていた。

 

「このお茶かなり良い品種だね、ほら?」

 

 そう言って缶に書かれているラベルを見せてきたが正直お茶の種類には明るくないし、飲んでみてもそんなに味の違いなんて分からない。それでもコンビニのペットボトルか市販品のティーバッグぐらいしか縁のない生活を送っていれば茶葉から淹れたお茶はそれはそれでありがたい、という貧乏人根性だけ発揮させてとりあえず今のうちに味わっておこうと思うのであった。

 

「お茶会ですか、随分と呑気なんですねお二人とも」

 

 不意に呆れたような声が降ってきた。振り返ると襖をあけて柚月が立っていた。相変わらず薄汚れたブルゾンにジーンズといった簡素な格好だし、耳の上あたりでバッサリ切った髪型はまるで少年のようだが、改めて立ち姿を見ると均整の取れたすらりとしたプロポーションはそれらを踏まえてもなお不思議な色香を感じさせる。子どもの頃の彼女しか知らない身としてはどことなく見てはいけないようなものを見ている気がして、哲也は僅かに視線を逸らした。

 

「ちょうど良かった、柚月ちゃんもお茶飲む?」

 

 そんなこっちの心情などお構いなしに柚月は部屋に踏み込んできた、それに対して梗華もそんな呑気な言葉を掛けている。柚月は「飲む」とシンプルに即答すると彼女の隣に勢いよく腰を下ろした。思いっきり胡坐。仮にも年頃の娘がそれで良いのかよ…。

 

「哲也は?お替りいる?」

 

 相変わらずどこか呑気な梗華だがとにかく気を落ち着けなければ話にもならない、と内心言い訳して哲也もありがたく貰う事にした。相変わらず茶葉の貴賤はよく分からないけど香りや味の良いお茶はそれだけで精神を安定させる効果はあると思う。劉備じゃないけどお茶を土産に持ち帰りたくなる心境が良く分かる、と深く息を吸いながら熱い液体をすすった。

 

「はぁ~~~~……。極、楽…!」

「まった…――って緩んでる場合ですかっ!」

 

 芳醇な香気につい気が緩んで和んでいるとつい同じ空気に当てられていた(らしい)柚月が正気を取り戻したかのように突如叫んだ。心なしか頬が赤い。

 

「まぁまぁ、気ぃ張ってると体に悪いよ、ほらお菓子も食べなって?」

「梗華は黙ってて下さい!ってかホワホワしに来たんじゃないんですわたしはっ!!」

 

 焦れたようにちゃぶ台をバンバンと叩いて柚月が吠える。しかしその声が響いたのか、傍らのベビーベッドで眠るミホがむずがるような小さい声を上げると、驚いたように肩を硬直させた。だが結局何事もなく再びスヤスヤと眠りの世界に落ちていった事に柚月はホッとして息を吐き、それから気を落ち着けようとするかのように再びお茶を口に含んだ。なんかつい揶揄いたくなる気もしたが無駄に茶々入れたら(お茶だけに)薮蛇になりそうなのでやめておこうと思った。

 

 自棄になったように柚月はがぶりとお茶を一息に飲み干すと梗華と哲也の方を交互にジロリと睨みつけた。「で?どこまで話したんですか?」

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 《ヴェルノム》。

 

 梗華の話に出てきた、村の外の人間が突如変異した怪物の存在をそう称するそうだ。恐らくは健輔が目撃したとかいう蜘蛛のバケモノも病院を襲った二匹の怪物も…幹斗が変身したあのバッタみたいな怪物もそう言うのだろう。そう言えば幹斗がネット上にばらまいたビデオの中でそう名乗っていた事を思い出す。

 《スカルマン》の出現と共に各地で度々怪物の目撃証言があったが、恐らくそいつらも全員そうなのだ。つまりあの怪物達は決してある日突然自然発生的に生まれた訳ではない、ゴロウさんやあの少年がそうであったように元は人間であった者が変異する形で誕生した、つまりそういう事だ。だがという事はつまり――。

 

「そうですよ、《ヴェルノム》の正体は人間、しかもあかつき村の村民の生き残り達です」

 

 あまりに淡々と柚月はそう言い放った。覚悟していた事だが到底受け止め切れるような話ではなく、哲也は絶句した。冗談だろ、そう言いたくもなったが淡々と話す彼女の口調に嘘は感じ取れないし、無感情なように見えてその言葉に微かな怒りと悔恨が滲んでいる、それが何よりも事実を雄弁に語っていた。暗澹とした気分が全身を包み込んでいき、哲也は「なんなんだよ…」と声を漏らした。

 

「ゴジラじゃああるまいし、未知の放射能かなんかが人をあんな怪物に変えるってのかよ?それとも噂の通り、細菌兵器かなんか作っててそのせいでみんな怪物になったっていうのか!?」

「違います。そういう外部からの働きかけじゃない。あれは…もっと根源的なモノ…そう、遺伝子の覚醒とも言うべきものです」

 

 覚醒…?その発言の意味する所は分からないが、神々しいんだか禍々しいんだか分からないその語感に哲也は絶句した。柚月はそんなこちらの動揺に気付いていないのか気付いてて放置しているのか、気を取り直すように再びお茶に口をつけた。

 

「“Last Universal Common Ancestor”…所謂《最終共通祖先》。人間もそこら辺の生物も全て元を正せば一つの単細胞生物に行きつく。ならば人類の遺伝子にはそこに至る進化の系譜が記憶されている筈という理論がまずありました。そのフィータル・メモリーにアクセスし、そこに内包された情報を引き出す事が出来るとしたら…。詰まる所《ヴェルノム》とはその抽出に成功したという証――」

「待て待て待て、日本語で言ってくれるかっ!?」

 

 猛烈な早口で何か呪文をまくしたて始めた柚月を慌てて制す。出鼻を挫かれた彼女は呆れたようなジト目でこちらを睨んだ。

 

「こんな分かりやすく言ってるのに…。やっぱりバカなんですか貴方は…

「だからバカと言うなバカとっ!!」

「ごめん、その説明で分かる人なんかいないと思うよ…」

 

 小声で失礼千万な事をボソリと呟いた柚月に哲也が抗議し、梗華が溜息を吐きながら同意する。流石に梗華にまで真っ向から同意されたのは堪えたようで柚月はグッと息を詰まらせ、不満げに口を尖らせた。「どーせ説明下手ですよぅ…」。

 

「つまりね、あの“霧”を体内に取り込んじゃうと、何か遺伝子に作用する力が働いて《ヴェルノム》化する…ってそういう事。《黒禍熱》はその拒絶反応みたいなもので、今生きてる人達はそれに適合した証なんだって…」

「…でも大抵はその変異に耐えられない。よしんば生き抜いても心を蝕まれて増殖本能しかないバケモノに成り下がる…」

 

 柚月曰くその状態をフェーズ1、そこを乗り越え理性を保っていられる状態に至った者をフェーズ2と呼ぶらしい。いずれにせよ人間を人間でないモノに変えてしまう恐るべき災害――それがあかつき村事件の真相なのだという。未知のウイルスによるバイオハザードというのも大概だが更に荒唐無稽さを増した事実に哲也はただただ絶句するよりなかった。

 

 つまり《バッタヴェルノム》の状態にあっても理性を保っていた幹斗はフェーズ2、あのコブラやウニはフェーズ1に相当する状態になったという訳か。一度怪物化を抑え込んだ健輔もフェーズ2に達している可能性が高いという。そこに至る者とそうでない者の違いというのは完全に個人差らしく、その確率を操作する術は依然分かっていないのだと柚月は言った。

 

 だがそうなると柚月と梗華の二人はどうなのだろう?そんな哲也の視線から意図を察してくれたのか、梗華は得心したように「私達は何もないよ」あっさりとそう言った。なんだか罪悪感に近い感情が湧き上がってきて、哲也は顔を伏せた。

 

「個人差があるのと同じで何も起きない人もいるみたいです。わたしと梗華は吸引した“霧”の量が少なかったからなのかなんなのか…とにかくよく分からないけど特に何も起きてません」

「強いて言うなら少し健康になった、くらい?」

 

 淡々と説明する柚月と対照的にどこか悪戯っぽくはにかんだ梗華が力こぶを作るような仕草をした。確か梗華は生まれつき肺が弱くて激しい運動とかが出来なかった筈だし、中学に上がる前くらいまではよく風邪も引いていた。医者からも一生掛けて付き合っていくしかない、と言われていた疾患がほぼ完治してるのだとしたら、あまり悪い事ばかりではないのだろうか…と思いもしたが、いずれにせよ人を怪物に変えてしまう現象をあまり信用できる筈もなく、哲也は小さく息を吐いた。梗華も冗談を言ってる場合ではないと思ったのかごめん、と小さく謝った。

 

「あの“霧”がなんなのか、それは正直よく分からない。確かなのはあの日幹斗のお父さんが殺されて、研究所からアレが漏出したんだって事。私達もそれ以上はよく知らないんだ…」

「…絶対あの人何かは知ってて隠してる…。なのにわたし達には何も教えてはくれない…」

 

 あの人、というのは琥月劉生の事だろう。一応祖父と孫の関係という事にはなっているらしいが、やはりその口調からはあまり信頼を置いているようには思えず、哲也としては二人の関係性が気に掛かる所だった。

 《神樂》とかいう都市伝説の中でしかお目にかかった事のない巨大な財閥だかコングロマリットだか…とにかく巨大な組織の長にして、一連の事件を引き起こした元凶だと称する謎の老人。確かに信用して良いのかとかで言えば1000%「胡散臭い」の範疇に属する側の人間だろうが、それならば何故柚月達を保護し、村の人達を救う手立てを持ち掛けてきたのか…。そこら辺の心理は全く読めず、畢竟胡散臭い事に変わりはないにせよ敵なのか味方なのかそれすらも判然としない。少なくともそれが現状の琥月劉生とかいう男に対する印象だ。

 だが村の皆を救出したとして彼らを一時的にせよ保護しておくには個人の力ではどうにもならないのは確かで、悔しいがそこはあの男に頼らざるを得ないのも確かだった。

 そもそももっと重要な問題がある。別にそこを失念していた訳ではない。聞くのが単に、そして無性に怖かっただけだ。

 

「…村の人達は何人生き残ってるんだ…?」

 

 それが最も重要だ。あかつき村の総人口は2011年時点で428人。事件当日に村にいた県外の人達が30人前後いたから彼らもプラスしたとして一体どれほどがあの惨劇を生き延び、怪物とならずに今囚われているのか…。そこが気掛かりだったが、同時にそれは生き残れなかった人達や怪物に変わってしまった人達もいる事に向き合わなければならない、という事だった。

 

 梗華が気まずそうに眼を伏せた。柚月は怜悧な視線を哲也に向ける。それについ気圧されそうになったが負けてなるものか、と彼女を見つめ返す。柚月もそれを受けて意を決したように口を開いた。

 

「生き残りの総数は凡そ74人。うち18名は完全に《ヴェルノム》化してる。ついでに残り56人のうち31人は何かしら変異の後遺症が残ってます…命の危険がある人だっている…」

 

 たった74人…。しかもその内健康と言えるのは25人だけ…。覚悟はしていてもあまりに重たい真実に哲也は愕然とした。目を逸らすな、そう叱咤するように柚月は更に続けた。

 

「更に言うならフェーズ2に到達した3人は兄さんに同調してるし、残りは皆特殊なチップを埋め込まれて《スカルマン》の尖兵に調整されてる。救出は絶望的とと考えた方が良いです」

「…ホントはね、もっと生き残ってた。学校か役場か、旅館に逃げ込めた人達が大勢いたから…。でも漸く“霧”が晴れたと思ったら()()()()がやってきて…」

 

 “あの人達”とやらは治療を名目に村を封鎖すると生き残った村人達をどこかに連れて行ったという。梗華がサナトリウムと呼んだその施設で更に彼らはあの惨禍を生き延びた貴重なサンプルとして過酷な人体実験に晒された。結果廃棄処分を免れ、生きて《ラスプーチン》とかいう奴らに保護された時には彼らの総数は100人を割っていた…そういう事だそうだ。

 

「なんだよ…それ…」

 

 唇が戦慄く。指先が震える。心臓が早鐘を打ち、全身を焼き尽くそうとするかのような峻烈な熱が駆け巡って行っても、脳髄に達するとそれは立ち所に冷えて固まって、決して融けない硬い激情へと昇華されていく。内耳の奥に消えていった人達の怨嗟の叫びが木霊した。たぶんそれは幻聴だろうという事くらいは分かっていても、自分はそれに激しく同調しかけていた。

 気を抜くと憤怒という言葉では済まない激しい衝動が全身を焼き尽くしかねない、最後の理性でそれを感知した哲也は立ち上がると、それを吐き出すように吠えた。

 

「ふざけんなよっ…!なんなんだそりゃあ…ふざけやがって…。どこのどいつだ、そんなイカれた事目論見やがった奴はぁっ…!!」

 

 幹斗はどうやら琥月を直接の下手人として狙っているようだ。もし“研究所”の惨劇を引き起こしたのがあの爺さんだというならそれを起こしたのも奴が率いる《神樂》の仕業だと考えても不思議はないように思えた。それとも事件を隠蔽したのはやはり政府で、国ぐるみでこの惨劇を主導したという事なのだろうか…。

 

 だとしたら、いや例え相手が誰であろうとも俺はそれを許す気はない。《スカルマン》になって他人まで巻き込んだテロ行為はしないまでも、そんな事を目論んだ奴らを全員地獄に叩き落とすくらいの事はしてやりたい。そいつらにありったけの恐怖と絶望を味わわせて生まれてきた事そのものを後悔させてやるくらいでないとお釣りが来ない、本気でそう思えた。

 

「落ち着いて…!」梗華が立ち上がって哲也の肩を抑え込んだ。

「気持ちは分かりますけど、怒鳴ってもどうにもなりません。――ってか少しは冷静になって話を聞いて下さい、そんなだから貴方は単純なんです」 

 

 梗華の暖かい体温と対照的に氷水みたいな冷たい柚月の声、相反する二つの温度をぶつけられて逆にそれが平静を呼び起こした。単純と言われたのは腹が立つが今ここで怒りをぶちまけてもどうにかなるわけではない、と悟ると怒りが潮のように引いていく。とはいえそれで後に残るのは抑えようもない虚脱感で、不意に身体に何倍もの重力が掛かった気がした哲也は膝から崩れ落ちた。一緒に倒れた梗華が背中を宥めるようにそっと叩く。

 そうだ、少なくとも梗華と柚月は生きてる。失ったものはもう取り戻しようがないが少なくともまだ取り戻せるものはきっとある――。同じように生きてる村の人達、それに幹斗の心…連れ去られたままの健輔の事も。抱えようのない喪失感を湛えた心にそれが微かな恵みとなって全身に通っていく。

 

 不意に勉叔父さん事を思い出した。彼もまたとっくに破綻したと思った俺との関係を最期まで取り戻そうと必死になっていた。亡くした親の代わりは出来なくとも、せめてその穴を虚しいモノにはすまいと悩み続けていた。あんな風に体全部を投げ出して道を示すような事はまだ出来ないかもしれない、でも少なくとも――とりあえず動くことぐらいだったら俺にだって出来る。

 敵の正体はまだ見えないが、それは現状やらなければならない事の障壁と思えば良く、今最優先でしなければならない事柄ではない。

 

 まずは皆を助ける。その上で幹斗のバカをぶん殴ってでも止める。今はそれだけ考えて進めば良い。「悪い、つい熱くなった」一言詫びて哲也は再度ちゃぶ台の前に座り直した。

 

「今はとにかく…皆の事を第一に考えないとな…。なぁ柚月?」

「なんですか?」

 

 ひとまず気を落ち着けよう、そう思ったら梗華が二杯目のお茶をずいと寄越してきた。茶葉を追加したのかエラく苦かったがお陰で頭は少しスッキリした…と思う。哲也はお茶を口に含みながら柚月の方に向き直った。

 

「お前はその“療法所(サナトリウム)”ってトコから逃げてきたんだろ、なら今もそこに皆はいるのか?」

「……知ってたら今こうしてジッとしてると思いますか?」

 

 だろうな、哲也は独り言ちた。もし脱走した場所が分かっているなら柚月がこうしてここにいる筈がない、どんな手段を使っても今頃殴り込みを掛けるなりなんなりして皆を救い出している筈だ。という事はつまり二人が脱走した後にその隔離施設とやらを引き払って別の場所に移動しているという事になる。

 

「柚月ちゃんの脱走まではなんとか誤魔化せたんだけどね…。たぶん私が逃げた後だよ、“療法所”の場所が変わったのは。あの後私達と辰雄くんとで行ったらもう、もぬけの殻になってた…」

 

 タツオ?聞き慣れない割にどこかで聞いた事のある気がする名前が飛び出し、哲也は思わず首を傾げた。

 

「病院で会ってるでしょう?《エースゼロ》…あのアーマースーツを着てた人」

 

 話の腰を折るな、と言わんばかりに柚月がピシャリと言う。その言葉で合点が行った。あの時病院で《スカルマン》――幹斗と闘っていたアーマースーツの戦士がいたと事を思い出す。それを纏っていたのはどう見ても15~6歳くらいの少年だったものからますます面食らった、そう言えば以前健輔から聞いた話の中で柚月と行動を共にしていたとされる少年も「タツオ」と呼ばれていたのではなかったか。

 つまりあの少年もまた《神樂》の一員で、あのおかしなアーマースーツ――《エースゼロ》というのか――も組織の装備品かなんかなのだろう、と思い至った。《ヴェルノム》という未知の怪物と互角に戦い得る兵器を個人レベルで所有している辺り、やはり底が知れないな、と哲也は身震いした。

 

「前に“療法所”があったのはこの辺りです」

 

 気を取り直して柚月がパソコンのマップを開いて映った画面の情報をこちらに提示してきた。地点登録を示す星マーク。衛生写真には山中の一角にコンクリート製と思しき建物が映っているのが見えた。これは一体なんだ?

 

「なんでも大昔の感染症だか精神病だかなんだかの隔離病棟らしいですよ。病院も潰れて買い手も付かない、権利者も分からない建物を勝手に改造して使ってたんでしょうね」

 

 ああ、そう言えばまだ感染症や精神病に対する理解が不十分だった時代はこうして人里離れた場所に隔離してそこで共同生活を送らせる、なんて事をやっていたんだったか。今の感覚からすると大分乱暴な行為だが医療体制が拡充している現代と比較して一概にどうこう言える状況ではなかった事くらいは分かる。

 大抵そういう場所は病院の閉鎖などに伴って壊されたりするのだが、稀に地権者が不明になってしまった事で処分もされずにほったらかしにされている建物もあったりするのだ。ここもその手の廃墟のひとつなのだろう。

 だがただの廃墟では当然意味はない。電気もガスも水道も使えないような廃墟に人を長期間押し込めておく事など出来ない、となればそれなりに住環境が整っている必要性がある。

 

「うん、確かに“療法所”はちゃんと電気も水道も使えた。だから私達も暫くはそこが本当に治療のための施設なんだって信じてたんだよ…」

 

 梗華が補足する。つまり“敵”――正体も目的もまるで分からないので便宜的にそう呼んでおく――はそれなりのインフラの整った設備を持ち得る財力がある、という事になる。

 

 だがそう考えるとますます正体が掴めなくなる、というこのジレンマだ。それだけの組織力を持っているのは畢竟政府とか企業とかそれなりに巨大な勢力という事になるが、そういう所は必然社会的な影響力も大きい。下手すれば表面化した時のリスクの方が遥かに大きくなるため、そこまで大胆な行動に出たりはしない傾向にある、というのが例え見習いでも記者を続けてて哲也がなんとなく身に着けた陰謀論へのロジックだ。

 

「――わっっっかんねぇなあ……。一体どこを当たれば良いんだかサッパリ見当がつかねぇ…」

 

 哲也は畳に大きく身を投げ出して溜息を吐いた。もし相手の正体が分かればどうしてもそいつらの息の掛かっている可能性のある所を当たっていけば調べられる確率が少し上がるのだが、実態の分からない相手ともなれば文字通り雲を掴むような話になり兼ねない。「せめて取っ掛かりだけでも掴めればなあ…」哲也はぼやいた。

 

「白零會……」

 

 不意にそんな言葉が呟かれ、哲也は思わず身体を硬直させた。どこか硬い、畏怖を含んだような冷えた声、それの主は梗華だった。一気に部屋の温度が下がったような心地がして哲也は「なんだよ急に…?」と恐る恐る尋ねた。

 

「だから…白零會なんじゃないのかなって…。あたし達を浚った奴らって…」

 

 幾ばくかの迷いを湛えて梗華がもう一度その名をハッキリと呟いた。まるで自分で出したその名を恐れるように肩が震えているのが分かった。梗華にとってその教団の名は禁忌に近い。その存在を呼び起こす事さえ嫌悪しているようだった。

 

「な…なに言ってんだよそんな訳…」

 

 ない。努めて深刻さを感じさせないように哲也は言った。ただ別におためごかしでも何でもなく、既に白零會は教祖の逮捕と共に宗教法人人格を失っている。今は小規模の団体に分裂し、いずれも公安の監視下に置かれている事を鑑みれば、かつてほどの影響力は既になく、死に体に等しいというのが世間一般の認識だ。いくら何でも一つの研究機関を吹き飛ばす程の爆発を起こした挙句に、住民を未知の怪物へと変身させる毒ガスをバラまいて、村を丸ごと封鎖する、なんてそんな大それたことが出来る筈がなかった。「そんな事分かってるけど…!」梗華が声を荒げた。

 

「でも…聞いたの…。“スペリオル”とか“解脱”だとか…私達はあの霧を浴びたから、そこに近いトコにいるんだとか陰でコソコソ話してたのを…。これって確かさ……」

 

 哲也は唖然とした。確かに両方とも白零會が好んで使っていたフレーズだからだ。ああいったドゥームズデイ・カルトは大抵の場合、「もうすぐ世界が終わるからその前に悔い改めて神の国入る準備をしろ」とか語り掛けるモノだが、白零會のソレは「“スペリオル”という上位概念へと解脱し得た者こそが救われる」という多分にSF的なロジックも混ざったおかしな思想だった。教団最盛期にはしきりにテレビなんかでその“スペリオル”とやらの概念を布告しまくっていたようだが、如何せん話が抽象的過ぎて誰も理解出来なかったという。

 

 今の仕事に入ったばっかりの時に改めて教団の事件について調べたのだが、確かにこの奇妙なワードを使っているのは白零會とその分家団体に限られていた。もし梗華の聞いた事が本当なら何かしら教団の息の掛かった団体という線が途端に濃厚になってくるが……。やはり今の白零會にそんな力があるとは思えなかった。単純にそれだけの事が出来るなら、今も収監され死刑執行を待っている教祖を取り返すとか人口密集地で更なる大規模テロを引き起こすとか、もっとそういう大それた行為に出る筈だ。

 

 それでも梗華は納得いかない、という風に歯噛みしている。対する柚月もどこか確信が付かないような表情で哲也の方を見ていた。やがて柚月が言いづらそうに口火を切った。

 

「――実は…村の中に教団のシンパがいたって…。そう言ったら信じますか?」

 

 はぁ――!?哲也は一瞬我が耳を疑った。村の中に白零會の信者がいたとそういう事だろうか…。いささか特殊な事情を抱えていたとしても基本的に平凡そのものだと思っていた村の中にはあまりに不釣り合いな響きがして、哲也は「どういう事だよ…?」と間抜けな返ししか出来なかった。梗華が言いづらそうに頷いた。

 

「皆暫くアレがなんなのかサッパリ分からなかった…。でも…アレを見て…あの人が変な事言い始めたの…」

 




なんかまた半端な所で終わりましたがそろそろ限界近いので今日はここまで…
なんで戦闘シーンってこんなに文字数稼げないんだろう…?結構苦労したのに蓋開けてみればかなり短くて絶句してしまいました…。
とは言え、仮面ライダーなどの超人的なツールがない中でそこら辺の日用品を集めて何とか対抗する、ってのはそれはそれでシュールで面白い光景になったと思います。


後半ですが“スペリオル”って言葉が登場しました。前にも一度出てきてるんですが今回改めて。ハッタリでも何でもなく、今後の重要機ワードなので覚えておいていただけると幸いです。

それではまた次回。
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