仮面ライダー:RE   作:大荒鷲

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CHAPTER-3:『REjectionⅠ』- ⑦

 明晰夢、というのがある。夢を見ているという自覚が存在し、その中では体を自由に動かしたり、好きなように状況を動かしたりする事が出来るのだと言う。一応科学的根拠もあるらしいが、どうにもファンタジー染みた話だ、事実24年の人生の中で一度たりともそんな体験した事がない。ままならない現実に対してせめて夢の中だけでも、と切望する事ならいくらでもあると言うのに…。

 

 なら今この状況は何と言うべきなのだろう。少なくとも今目の前で繰り広げられている光景を自分はハッキリと夢だと知覚している。その代わり――己が意志では指ひとつ動かす事もままならず、まるっきり覚えのない“誰か”によって体が衝き動かされている現況は。

 獣のような雄叫びが空気を震わせる。それが自分の口から発せられたものである事に僅かな時間を要した。到底人間が発したものとは思えないその咆哮は立ち所にアスファルトの大地を揺るがし、コンクリートのビル街を鳴動させる。まさに威嚇そのもの。だがそれに僅かに怯んだものの“敵”がそれで引いてくれることはあり得ない。途端に“敵”が手にした銃から鉛の驟雨(しゅうう)が吐き出され、襲い掛かる。

 一気に何十発と吐き出されたそれは本来なら自分の体など一瞬で粉微塵にしてしまっただろう、だがそうはならなかった。弾丸は皮膚を貫く事も出来ず、弾かれうっすらとした痣のような痕が残るだけだった。本来なら命が助かった事に安堵するのかも知れないが、自分の意識が感じ取ったのは、我が身の変異に対する暗澹たる絶望だけだった。

 

 否が応でも。ああ、俺はもう人間じゃあないんだ……そう無理矢理にでも自覚させられる。

 

 だがいくら弾丸に体を抉られる事はないとあっても痛みを感じない訳ではない。焼け火箸を音速で何度も何度も押し付けられるようなモノだ、その度に明瞭な意識はより一層痛烈に悲鳴をあげ、責め苛んでいく。

 

 痛い…!熱い…!――誰か…誰か助けて……!

 

 心が絶叫した。この体が自由に動くならせめて両膝を抱えて縮こまりたい所だが、如何せん今の自分は意識を保つこと以外は何一つとしてままならない。いっそ気絶するなり気が狂うなり出来てしまえればこの悪夢から逃れる事も出来ただろうに。

 

 そして自分の意思に反して体は勝手に動く。暫くはただ黙って銃弾を受け続けているしかなかったが、弾切れなのか豪雨の中に晴れ間が差し込む瞬間がやってくる。体感にしてほんの僅かな時間であったが弾かれたように自分の体は己が意志に反して跳躍した。狙うはただ一点、眼前に佇む“敵”の群れだ。

 

 やめろ――!やめてくれっ……!

 

 これから何が起こるのかは知っている。だからそれ以上は見せないでくれ――たまらず喉が張り裂けんばかりに声を上げたが、それは獣の唸り声として放出されただけ。呆然としている“敵”の群れの只中に自分の拳が振り下ろされた。

 

 それだけの事で地面が深く穿たれ、衝撃波が広がる。“敵”はそれを受けて木の葉のように吹き飛んで行ったがちょうど拳の下にいた奴はそうは行かない。自分の何倍もの重さを持つ拳を勢いよく叩きつけられ、“敵”の体を虫けらのように圧し潰した。まるでトマトが弾けるように“敵”の血糊がピュッと広がる…その光景に自分は絶句したが同時に得も言われぬ高揚感が湧き上がってくるのも確かに感じたのだ。

 

 悲鳴を上げる意識を他所に体はその衝動のままに拳を振るい続けた。衝撃波で吹き飛ばされ、地面に無様に転がった“敵”達を更に蠅のように叩き潰し、踏みつけ、腰から生えた長大な尻尾を薙ぎ払う。その度に鮮血の池は徐々にその面積を広げていき、気が付くと自分の周囲何百メートル四方は完全に赤一色に染まり切っていた。そこかしこには先程まで“敵”の一部だったと分かる腕や脚、臓物や骨の一部が散らばっていた。

 

 その中心にいるのが自分だ。この惨禍を引き起こしたのが間違いなく自分だと眼前の状況が残酷な程に告げていた。

 

 違う――。ふるふると首を横に振る。そんなつもりじゃない。この体が勝手に動いてやったのだ、そうしたかった訳じゃない――!掠れた吐息が漏れた。

 そもそも原因は“敵”達が撃ってきたからだ。その攻撃に過剰反応した自分の中の誰かがやった事だ…自分はそんな事望んじゃいない……!!身勝手な叫びが虚しく木霊した。

 

 ――それが誰に届く?誰が信じる?

 不意に。ゾワリとした感覚と共に酷薄な声が耳朶を打った。同時に広がる血の海から次々と何かが浮かび上がってくる。吐き出された気泡のように表面に現出したそれは次第に形を形成して行く。無数の人の顔だ――。完全なモノは一つとしてない。目を潰され、顎を引き裂かれ、半分に割れた頭部から頭蓋骨と脳漿が露出している。そんな顔が十重二十重、足元に纏わりつくように寄ってくる。声はその一つ一つから発せられているのだ……!

 

 ――お前が殺した。全てお前のした事だ。

 違う、望んでない。ただ自分の身を守るために仕方なく――!

 

 ――楽しかったか?強大な力を振るって全てを蹂躙するのは…。

 そんな事ない。もう暴力はこりごりなんだ…二度と御免だ…!

 

 ――お前は獣だ。最早人ではいられない。

 イヤだ…!俺はバケモノになんかなりたくない…!

 

 ――なれば何故高揚する?それが己が衝動ではないと何故言える?

 分からない分からない分からない…ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…!

 

 顔は最早何も問い掛けなかった。代わりに粘菌のように不気味に蠕動しながら自分の足元に張り付き、一斉に這い上がってくる。まるで毛穴という毛穴から内部に侵入し、全てを貪り尽くそうとするかのように。

 やがて全身を隈なく覆い尽くされた所で意識が遠のいていく。自分は振り払う事も声を出す事も叶わず、やがて意識が深い深淵に堕ちていくのだけを感じた。

  

 

・・・・・・・・・

 

 

 酷くしわがれた声が耳朶を打った。それが自分の口から発せられたものである事に気が付いたのは乾いた喉に痛みが走ったからだ。

 最初に視界に飛び込んだのはコンクリート造りの簡素な天井にそこに無愛想に吊るされた裸電球。やけに視界が悪いのは部屋の昏さもあるが何よりも利き目である右の視界が塞がれているせいだ。鈍く痛み続ける右目の感触に顔を顰めながら土枝健輔は起き上がった。

 

 コンクリートが剥き出しになった壁や天井。質素な寝台がぽつねんと置かれただけの部屋とも呼べないような、粗末な一角。カーテンを開けるとまだ弱い陽光が僅かに入ってきて、どうやら夜明けは近いようだという事が分かった。

 昨夜コソコソ移動して最終的に辿り着いたのがここだ。なんなのか皆目見当もつかない。一つだけ分かるのは少なくとも碌な場所じゃあないって事だ。

 

 それにしても非現実的な光景だな、いやひょっとしたら全部夢なのかも知れない。今本当の自分の体は中野のオンボロ宿舎で白河夜船と洒落込んでいるのでは…。いっそのことその方がよっぽどマシだとさえ思えてしまうが、生憎な事にこの右目の痛みは間違いなく本物だ。健輔は暗澹とした気分になって部屋の角に据え付けられた洗い場に向かった。

 やけに黴臭い水を口に含みつつ、顔を上げる。薄闇の中に幽鬼のような顔をした己が映っているだけ。恐る恐る右目を覆う眼帯を解くとそこは既に不気味な形の肉塊に覆われ、ドクドクと拍動していた。そのことがもうこの体がマトモではないという事実を何よりも雄弁に物語っていた。

 

 夢の中だけではない。俺は間違いなく現実でも得体の知れない怪物の力を手に入れ、その力のまま、暴れ狂い――多くの人を殺した。この手には今でもハッキリとその感触が残っている。この手で叩き潰した人肉の脆さ、掌に飛び散った血の熱さ全てが…。

 極めつけはこの右目だ。怪物になって暴れてる最中に銃弾で撃ち抜かれ、潰されたのだと微かに覚えている。そのまま銃弾は貫通したらしいが普通なら命に関わる傷な上に昨日からマトモな治療ひとつ施されていない。だのにこの傷は既に塞がっており、痛みも既に殆ど治まっていた。ここに連れてきた元凶曰く「再生は既に始まっている、完全に治るまで二日は掛かる」と言われたのだが…これほどの大傷がたった二日で完治するなどあり得ない。あくまで普通の人間の範疇ならば、だが。

 

 なんなんだよ……!健輔は絶叫した。確か《ヴェルノム》とか言ったか…?なんで自分がこんな呪い(モノ)を背負わなくちゃいけないんだ…。

 

「健輔さま」

 

 突然ドアが開く音と共に静かな声が入り込んできた。久しく聞いてない甘やかな声色に健輔はドキリと肩を震わせて声のした方を見る。

 

「失礼いたします…何やら大きな声が聞こえてきましたので…。お目の傷がお痛みでしょうか?」

 

 自分如きに向けられるには痛く丁寧な口調。この数年間ひたすら罵倒され、蔑まれ、疎んじられてきた身にはやけにくすぐったいと言うかこそばゆいと言うか…要するに変に居心地の良くない気分になる。健輔は声のした方に振り返った。薄明りの中に立っている声の主と目が合う。

 

 顔の左半分を覆うように整えられた長い髪。クリーム色のロング丈ワンピースのような服を着た少女――厳密には健輔と同じか少し年下くらいの女性と言った方が正確か――はつぶらな瞳を向けていた。一見すると修道女のような佇まい。昨夜辺りから自分の世話役だと言ってやってきた娘だ。健輔は何か気まずいような気分に駆られて無言で首を横に振った。

 

「そうですか…。必要ならお薬をご用意いたします、遠慮なくお申し付け下さい」

 

 そう言って少女――確かカサネとか呼ばれてた筈――は恭しく頭を下げた。先程から感じていたむず痒さがいよいよ頂点に達し、健輔は思わず「あのさ…!」と声を発していた。カサネが不思議そうな表情で振り返る。

 

「その…さま付けとか敬語とかやめてくんない…?俺はその……」

 

 人殺しのバケモノだ、そんな風に丁寧に接してもらう資格なんかない…。そう続けようとしてもその先は続かない。健輔は二の句を継げずにへどもどしているとカサネは「何を仰います?」と少しの疑問も持った風もなくそう言った。

 

「健輔さま達は“スペリオル”に祝福されし、偉大な()()()()()()でございます…私如きが畏れ多くも口を聞くだけでも烏滸がましいというもの…カサネはそのお気持ちだけで充分でございます…」

 

 嫌味でも何でもなく心からそう信じている口調。健輔は絶句した。そんなこちらの心情など知る由もなくカサネは失礼いたしました、と告げて部屋を出ていった。痛い程の静寂と共に置いてきぼりにされた心地を味わった健輔は「クソッ…!」と小さく毒づいた。

 自分にとって忌むべきこの力もあの少女にとっては敬うべきナニカらしい。何もかも正気じゃないと吐き捨てつつも、今この場においては自分の方が異常なのかも知れないという己の所在なさが消える訳でもなく、健輔は先程カサネが出ていったドアを開けた。あまり外に出るな、脱走したら容赦しないぞ?と《ナイトレイス》とかいう男に言い含められてはいたがこれくらいの自由は許して欲しい。

 

 外に出ると朽ちかけのコンクリートの欠片や木の葉が散乱した、お世辞にも綺麗とは言えない共用区画の廊下。見たまんま一昔前の、そして今は見る影もなく打ち捨てられた公営団地という趣だ。実際住民がいなくなって地権者も分からなくなった建物を勝手に使っているのであろう事は想像に難くない。やはり何から何まで普通じゃない、と健輔は溜息を吐いた。

 そのまま階段を使って屋上まで上がる。建物も大概だが屋上は更に悲惨の有様で堆積した土砂や壁を伝って上ってきた蔦に覆われ、殆ど自然に帰化していた。崩れかけた柵に近寄り、周囲を見渡すと荒涼とした緑地に同じような造りの建物が点在している。やはりだいぶ昔の集合住宅の跡地らしい。山谷の実家や昔住んでた西荻窪の街と比してもここは最底辺の世界だな、と健輔は溜息を吐いた。

 

「お目覚めかいセンパイ?」

 

 突如聞き慣れた声が頭上から降り注いだ。振り返ると案の定、屋上に据え付けられた給水塔の上に山城幹斗が腰かけていた。銀色のプロテクターに黒いレザーのスーツ、首元に巻いた白いマフラーが登りかけた陽光にやけに映える。相変わらず気障な奴だ、と健輔は吐き捨てた。

 

「この時分はまだ冷えるからな、風邪ひくなよ。アンタに何かあったらあの娘パニクるぜ?」

 

 多分に皮肉を含んだ言葉だと受け取った健輔はムッとして幹斗の方に振り返った。「一体ここはなんなんだよ?」そう問いただすと幹斗は自嘲するような笑みを浮かべた。

 

「さっき()()()()()だとか()()()()()()だとか…変な事言われたぞ?あの人達は一体何者でなんでお前達はそんなとこに身を寄せてる?」

 

 あのカサネとかいう少女以外にもここにはまだ身を寄せている人達がいる、数人レベルではない、少なくとも数十人単位。平均年齢は老人が多い気もするが中には彼女のように若い人間もいる。そんな集団が廃墟に身を寄せ合って、集団生活を送り、その中心には《スカルマン》とお仲間の怪物達。おまけに自分達怪物――《ヴェルノム》はあの集団に何故か高貴な存在であるかのように崇められてると来たもんだ。どう考えても普通じゃない。

 

「言わせておいてやれよ、あの連中にはそれしか縋るモンがないのさ…」

 

 そう問いただすと幹斗はサラッと答えた。嘲りと同情の両方が均等に混ざったような声色。何言ってるんだ?と健輔は怪訝な顔をする。

 

「アイツらの今“リヒテッド”って名乗ってるよ。まぁ最も世間一般にいやあ白零會の残党、って言った方が通りが良いけどな?」

 

 白零會――!その名を聞いた健輔は絶句した。いくら学がないと言ってもそれくらいは知っている、自分達の世代では忘れようにも忘れようがない事件を引き起こした集団だからだ。

 

「教祖が取っ掴まった後の分家団体のひとつって訳さ、ここは。最も規模も何もかも小規模過ぎて一番公安のマークも緩い。木を隠すなら森、じゃあないけど意外とうってつけの隠れ家だろう?」

 

 少なくとも尊師の次くらいに俺らを崇めてる奴らなら俺らの事を密告しないし。そう言って幹斗は嗤った。ますます訳が分からん、と健輔は憤然とした。

 

「白零會なんぞと手を組んでまでお前は一体何をしたいんだ!?」

 

 健輔は叫んだ。幹斗が寂しそうな微笑みを作った。そこに自分が知っている山下幹夫だった時代の姿がダブり、健輔はドキリとした。踏み込めば踏み込むほどこの男が何者なのか分からなくなる。徐に幹斗が口を開いた。

 

「別に手を組んでるわけじゃあないさ。ただ俺もアイツらも異形として生まれさせられて、そのようにしか生きられない連中だしな…。どの道“神樂”と闘うには相応の力がいる…闇から生まれた外法に抗し得るのは同じ闇に生きる外法のみ…まぁ必然だよな…」

 

 カグラ…?さっきから何言ってるんだよ、と言い返そうとした健輔の言葉を幹斗は遮った。

 

「折角だからアンタも知っておくと良い。俺が――《スカルマン》がどうして生まれたのか…」

 

 

   

・・・・・・・・・

 

 

 

 前にも話した通り、全てはあかつき村事件から始まった。

 

 世間一般には研究所の暴走が引き起こしたバイオハザードだなんだと言われてるが、それはあくまでネットの世界の憶測。公には「真相不明」だ。今では胡散臭すぎてテレビですら碌に正確な情報を上げられない、難儀な世の中だよな。

 ここまで話せばお察しの通り、()はこの村で育った。生まれたのは時にして1994年、南アフリカ共和国でネルソン・マンデラが初の黒人大統領に就任してから1ヶ月。白零會が最初の爆弾テロを起こしたのはそれから更に17日後の事。戸籍謄本によると都内の病院で生まれた、らしい。なんでこんな曖昧な言い方なのかというと当たり前だがその頃の記憶なんてないからだ。

 

 少なくとも僕の記憶として想起されるのはいつだって野山の合間にひっそりと植え付けられたあかつき村の風景とそれに酷く不釣り合いなあのドーム型の研究施設「プロメアセンター」の輪郭。慣れてはいても間近で見るとやはり異質というかなんというか…いっそ禍々しい、という気さえ感じる。

 

 不意にワン!という太めの声が耳朶を打ち、それ以上の感慨を遮った。視線を転じるとシベリアンハスキーのガロが早く行こう、と言わんばかりに尻尾を振っていた。分かったよ、行きゃあいんだろ、と僕は重い腰を上げて立ち上がった。

 

『ミキ坊、もう良いのか?』

『無理すんなよ、ジュニア』

 

 僕が動き出したのを見てマタギの久世さんと志村さんが揶揄うような声を投げた。ミキ坊もジュニアもやめて下さい、と抗議するのも面倒くさくて黙ってガロに引っ張られるまま、歩き出す。二人も咥えてた煙草を揉み消すと僕――正確にはガロに続くように立ち上がった。煙草のポイ捨てはやめろ。

 

 何やってるのか、というと昨日から帰ってこないバカな友人の捜索。こんな所に来る筈もない事くらい分かっているのだけれど、何しろこの村で誰か行方不明になるとしたら登山客が道を踏み外して滑落するか、山菜取りに出かけてそのまま行方不明になるかのいずれかなのでこうして山狩りが実施されるのは何らおかしい事ではない…筈。

 こういう時にガロは重宝するから、と飼い主の僕も一緒に連れ出されたわけだが…如何せんこちとら体力は人並み以下。過酷な山登りにはとてもじゃあないがついて行けず、残りの男衆は先に行ってしまい、今こうして二人のお目付け役だけ残して休憩中という訳だ。僕とガロだけだったらミイラ取りがミイラになり兼ねないからね。

 先行した衆の後追いをしても無意味なので矢頭山第二登山道を選択し、進む事そろそろ2時間半。ガロは依然として友人の足取りを掴めておらず、一緒にいる二人も「多分山には入ってないな」と確信し始めているようだ。それについては全く同意だ、アイツ――成澤哲也(テツヤ)がどこかに行くとしたら多分村の外だろう。

 

 テツヤと初めて出会ったのは小学校に上がる少し前の頃。元々滅多に家に帰ってこない父親に代わって何かと面倒を見てくれた成澤慧さんの一人息子がアイツだった。大方お節介な慧さんに「一緒に遊んでやってやれ」とでも言われたのだろう、如何にも作り物っぽい笑顔を顔面に張り付けて、やってきたのをよく覚えてる。

 今だから言うけど当時の事は本当に悪いと思ってるんだ。何しろあの当時の僕ときたら失礼千万、唯我独尊を地で行くような、可愛げなんぞとは1000%無縁な性格だったモンだから、ファーストコンタクトはかなりサイアクだったと思ってる。アイツが普通の感性を持った人間だったのなら、その態度に激怒して二度と来なかっただろう。ところがアイツはよく言えば根気強く、悪く言えばしぶとく、諦めの悪いタチだったもんだから懲りずにその後も何度も訪れては人の懐にズカズカと踏み込んでいこうとしたのだった。

 まぁそれでも流石に我慢の限界もあったようであの日がなければ今の関係もなかっただろう。いつものようにテツヤが飛び出して行った後に床に漫画を置き忘れていた事に気が付いた僕は渋々ながら届けに行くべきだろうと思い、珍しく自分から部屋を出たのだった。どうせポストにでも投函しとけば済む話だ、とか放っておいてまた来られたら面倒だから、とかグダグダ言い訳を並べ立てまくり、向かった先。ガロと話してるテツヤの姿が見えたのだ…いや多分ガロがテツヤに話しかけていたんだろう。

 

 ガロは当時の僕の唯一の友達だった。犬しか友達いないってどんだけボッチオブボッチだったんだと今だったらキョウカ辺りに盛大に笑われそうだが、本当にそうだったんだから仕方ない。他に心を開ける相手はいなかった。父親は毎日研究で忙しいとかで滅多に家に帰ってこないし、他の家庭だったら当たり前のように存在していた母親というのはウチにはいなかったから。僕の家庭事情はどうあれ、とかくガロはテツヤに心を開いたようだった。別に犬に絆された訳じゃないけど、以来テツヤとの距離は格段に近くなった――というか僕自身が無意味な意地を張るのをやめた、と言った方が正確か。

 

 そこから先はこそばゆいから長くは語らないけど、アイツと出会ったことで僕の世界は大きく広がった。こんな事真正面から言ったら絶対にからかわれるから一生言ってやらないけど。お陰でキョウカとも出会えたし、ユヅキとだって上手くやっていけなかった。狭い部屋から少し飛び出してみれば新しい景色が広がっているんだって、その事を知れた。

 それを僕に教えてくれたテツヤの事だから、多分いないんだとしたら、それこそもうここにはいないだろう。気紛れなのか確信犯なのかまでは断定できないけど、行ったとしたら村の外。ひょっとしたら県外、うんあり得る話だ。アイツはこんな閉ざされた世界で迷子になる様なタマじゃない。

 

 話が飛びすぎた。簡潔に言うとテツヤが昨日から家に帰ってないのだそう。そういう訳で現在村中挙げての大捜索中、という状況でキョウカや慧さん達は村中を探してるので、山に入って行方不明になった可能性も考慮して僕らは山を彷徨中、そして今に至る。

 とはいえ…先程から何度も思ってるように生粋の村育ちで山の怖さも良く知ってるアイツが誰にも何も知らせず、入山するとは考えづらい。確かにアイツはバカだけど流石に山を舐めて掛かるほどバカではない…筈。更に言うなら背も高く、空手をやってる大の男を浚っていく阿呆がいるとも思えないので誘拐の線もナッシング、そうなると自発的な家出という事になる。そう言えばユヅキは妙に泰然としていたし、多分あの娘は何か知っているんだろう。まぁそれを大人達に伝えてやる義理もないのでこうして不毛な捜索劇に付き合っているのだが……。本当に何かあったら流石に困るしね。

 

 ふと。最前列を歩いていた志村さんが脚を止めた。猟銃を持っていない方の左手を掲げて、「止まれ」という意のハンドサインを僕たちに送る。僕と久世さんは慌てて彼の方に駆け寄った。

 

『どうしたの?まさか熊?』

『いや…分からん。だが空気が騒がしい…』

 

 どういう意味、と尋ねようと彼の方を見やると思いのほか硬い、緊張感を纏った横顔が目に入り、僕は思わず口を噤んだ。ガロの方はというとそんな志村さんの気配を察したのか耳を伏せ、周囲を探るように低い唸り声を漏らす。僕も咄嗟に五感を研ぎ澄ませた。()()()()程正確じゃあないけれど、ないよりはマシだ。

 最初に思いついたのはやはり熊とかの野生動物が近いのか、という事だった。勿論今は三月だから本来なら熊は冬眠中の筈だが自然に絶対はない。何らかの理由で早くに起きてしまった熊が近辺をうろついている可能性もあるとは思ったのだが…“感知野”はそれは違うという警告を発している。これは生き物の気配じゃあない――!

 

 次の瞬間、耳朶を打ったのは空気を裂く、と形容出来る程の暴力的な風圧と風切り音。上からだ、と瞬時に察して上空に視線を飛ばすのと木々の間から覗く空にその威容が飛び込んできたのはほぼ同時だった。

 

『ヘリ…!?』

 

 久世さんが間の抜けた声を発した。山の中でも目立つくらいに派手なオレンジ色に塗装された機体。確か山岳救助隊が用いてるレスキュー用のヘリコプター。随分低く飛んでるな、と訝しんだ次の瞬間――

 

 ぱすん、と空気を切る様な間の抜けた小音が山中に木霊した。なんだ、と思って音のした方に視線を転じたその刹那、久世さんの体が糸の切れた人形のようにバランスを崩して倒れ込んだ。彼の表情は突如出現した不審なヘリに目を見開いた姿のまま固定され、まるで唐突に人体の動作を司る部品が焼き切られたような不自然さで崩れ落ちたのだ。

 

『おい、久世!どうしたしっかりしろ……!』

 

 志村さんが駆け寄って彼の体を抱え起こしたが、それっきり久世さんが動く事はなかった。表情も四肢も全てが弛緩し、最早そこに転がっているのは一人の男ではなくナニカが抜け落ちてしまった、ただの肉人形だ。久世さんのこめかみに辺りに目を向けるとそこには黒々とした孔が穿たれていた。

 

 僕も志村さんもゾクリと肌を粟立たせた。長年この仕事をしている彼にはその痕がなんなのか一目瞭然なのだ。――弾痕……?

 

 誰が、何処から、と互いに問い掛ける暇もなく、続けざまに再びさっきの風切り音が聞こえた、と思った次の瞬間には見つめ合った僕らの間をソレは走り抜けていき、木を撃ち抜く。間違いなく銃撃――!!そう認識した刹那、志村さんが『逃げろミキト!!』そう叫んで僕を突き飛ばすと、自分は素早く起き上がって、弾の飛んできた方角に猟銃を構えた。

 

 何せ咄嗟の事なので僕は上手く受け身が取れず、盛大に道を転がる羽目になったがそのお陰で正体の分からない襲撃者の射程から上手く逃げ出せたようだ。続けて鼓膜を打ち破るような轟音が炸裂、志村さんが撃ったんだと気付くより先に『ここは良い!お前さんは逃げろっ!!』と念押すように更なる怒号をぶつけられた。

 

『この先の沢を降っていきゃあ“研究所”に出れる!行って知らせてく――っが…!』

 

 しかしその言葉は最後まで続く事はなかった。薄闇の中から三度放たれた弾丸が彼を貫いたのだ。思わず脚を止めて振り返りそうになったが、左肩を撃ち抜かれた志村さんが『行けぇぇっっ!!』と怒号を張り上げたのと僕のすぐ脇の幹に4発目の弾丸が突き刺さったのがほぼ同時で、もうそれ以上は思考が及ばなかった。僕は追い立られるように踵を返し、脱兎の如く駆けだした。ガロが先導してくれる。

 

 俗に言う“熊の抜け道”、登山道と交差する小さな沢が掛かっている。もう迷う暇もなく僕は咄嗟に道を外れてそこ飛びこんだ。幸い水は殆ど張っていなかったが、大小の石がゴロゴロ転がっている沢路は走りにくい事この上なかった。ガロは気にせず全力で掛けていくけど、僕はそうはいかない。下手すると石に脚を取られ、盛大に転倒しかけたが構ってはいられなかった。いや最早走っているのか転がっているかも考慮せずにひたすら降りるルートを走り続けた。その間何発か猟銃の音が森に木霊し、僕を追い立てた。

 

 一体何が起きてるんだ――!生まれてこの方凡そ経験のない不可解な事態と感情に僕は盛大に戸惑った。こちらは単に幼馴染を探して山狩りしていただけだというのに突如放たれた一発の銃弾が間違いなく、人一人の命を奪った、たったそれだけが絶対の事実で後は何一つ分からない、という明らかな異常。それを目の当たりにして、今そこから懸命に逃れようと脚を動かす自分。この胸を激しく波打たたせるこの感情は恐怖だ。

 

 どれほど走ったかも分からない。そもそも人が走れるようには設計されていない生粋の獣道に何度も足を取られ、生い茂った木々や枝葉によって擦り傷だらけになりながらもひたすら沢を走り続ける事いかほどか…。漸く舗装された地面に脚裏が触れたと思った刹那、その硬い感触に体が付いていかず、バランスを崩した僕はその上に盛大に身を投げ出す羽目になった。

 

 咄嗟に衝いた掌と膝小僧の辺りがやけに熱い。ガロが慌てたように駆け寄ってくる。だが痛いという事はまだ生きてるって事だ、僕は荒い息を吐きながら顔を上げ――目の前の光景に息を呑んだ。

 眼前に広がるは“研究所”――プロメアセンターの威容とそこのかしこで上がっている黒煙だった。見ると正面玄関とそこに設えられたラウンジの大きな窓が全て割れており、煙はそこから上がっているようだった。ここも既に戦場になってる――!驚いて周囲を見渡すと先程僕らの頭上を通り過ぎて行った山岳救助ヘリが駐車場の一角に駐機している光景が目に入った。ここからだと少し遠いがその内部には明らかに銃器を持った重装備の人影。恐らくレスキューヘリに偽装してここまで接近したんだ、と気が付いた僕は咄嗟に見つからないように建物の陰にそっと隠れた。見つかったら確実に殺される――そう本能が囁いていた。

 

 この状況を見るに先程からの疑問の答えが一部分かった。即ち“襲撃者達”はどうやら研究所(ここ)を狙っているようだ…という事だ。

 だがそれでも誰が、何の為に、という疑念は依然残り続ける。確かなのはここに直接襲撃を掛けてくるという事は少なくともこの“研究所”の顔役――即ち父さんの身にも危険が及んでいるという事だ。無駄だと思うが懐にしまっていた携帯電話を取り出してみるが、案の定圏外状態で内部や警察に連絡を取るという手段には使えそうもない。かと言って今から山を下りて救助を呼ばせてくれるほど“襲撃者達”達も悠長ではない筈だ。

 

 さてどうするか…僕は歯噛みした。

 

 強行突破…はダメだ。敵の装備も数も分からないのに迂闊に突っ込んでいけばこんなインドア高校生1人なんてあっという間に蜂の巣になるのは火を見るよりも明らか。却下。

 

 適当な一味を一人ぶっ倒すなりして装備を奪い、成りすまして侵入する。前と同じく。それが出来たら苦労しない。却下。

 

 ダメだ、()()()()()()()()()()()()だと速攻で詰む未来しかない、と誰かさんが聞いたら全力でぶん殴られそうな事を考えながら僕は首を捻る。行動は慎重に、しかし悠長にはしてられない。握りしめた拳はじっとりと手汗で滲んでいた。

 

 あまりやりたくないけど…僕は建物の外壁の一角の通気ダクトをそっと見た。正面玄関がダメなら裏口を通るしかない……。一か八か腹を括るしかない、と僕はぶるりと肩を震わせて傍らの相棒の首筋をそっと撫でた。

 

 




なんかまたもアレなところで終わっちゃいましたが文字数の関係で今回はここまでです。
久し振りに幹斗と健輔の登場です。彼らの視点から語られるもう一つの事件の真実とは――?そこにご注目下さい。

それではまた次回。
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