…まだ仮面ライダーには至りません。
凶暴なまでに照らしつける日の光はどこまでも世界を眩しく染め上げ、それを一身に受けながら絡まるように繁った木々が陰影のコントラストを描き、自分達を守ってくれる。吹き抜けていく風は微かに土の黴臭さと共にどこか湿り気を帯びており、ふと遥か前方の山々に目をやれば鮮烈な空と共に山よりも巨大な入道雲が浮かぶ。――夏の景色、神社の境内、蝉しぐれ、石段を下った先には見慣れた町の景色――記憶はいつだって鮮烈だ。目に痛いほどの色合いで瞼の裏に焼き付いていつまで経っても離れようとしない。
『ワタアメみてーだなぁ…いやかき氷かな…食いてえなぁ…』
『バカ、あの下は雷雨だぞ。雷に打たれたいなら空飛んで食ってこい』
町のちょっと高台に鎮座する神社の境内。その一角の木陰に並んで座っていた俺は遥か先の空に向けてそんな感想を投げてみる。しかしちょっと言ってみただけなのにミキトときたら読んでる本から顔も上げず、にべもない事を言う。
少しばかりカチンとしながら俺は『かき氷食いたいって言ったの!』と隣に座る少年に向かって叫んだ。そう言うと途端にこの茹だるような暑さを意識せざるを得なくなり、思わず体を芝生に投げ出した。短く刈られた芝は剝き出しの肌にはちと痛いが、木陰で適度に冷めた地面の温度は心地良い。だがそれでこの暑さがどうにかなるわけでもないのが癪に障る。
『知るか、持ち金10円しか持ってないのが悪い』
相にも変わらずつれない上に口も悪い。
同い年の癖にこの幼馴染はいつも自分だけが大人であるように振る舞う。ちょっとばかし(じゃ済まない気がするが)自分より頭が良いからって…。そのクールっぷりでこの気温も少しは下がったりしないもんかと皮肉の一つもいってやりたくなったが、『そんなんで気温が下がるなら地球温暖化なんかで困ったりしない』とか超現実的な突っ込み返しされてお終いな気がするので、そのままチェッ、と口を曲げながら、そっとミキトから視線を外した。
確かに口は悪いけどミキトは嫌な奴じゃない。なんだかんだ言っても毎年夏の宿題を手伝ってくれるし、こうして外に出かける事をもう嫌がったりすることだってなくなった。案外自分よりバランスが良いのかも知れないと思う。
今思うとあの時のミキトは必死だったのだろう。どこか漠然と大人になるなんて想像もついていなかった自分に対してアイツはもうとっくにその先を見据えてた。少しづつその兆候はあり、殊更に去年の春、家族が増えるという経験をしたばかりのアイツにとっては否が応でもそれを選んでいくしかなかったのだろうか…
『――やっぱりここにいた…!二人ともぉ――』
不意に涼やかな風が通り抜けるように声が聞こえた。顔を上げると案の定ちょうど石段を登り切ってきた少女が息を弾ませてこちらに手を振っているのが見えた。肩の上で切り揃えた髪、その名前を連想させる淡い紫色のノースリーブが夏の日差しに映えている。左の肩にはクリーム色の帆布バッグ。そして彼女の後ろに隠れるように5歳くらいの少女が僅かに半身を出して、おずおずと俺達を眺めていた。
――この光景もまた、鮮明に思い出せる。
『おお、キョウカ、どうしたんだよ』
『家に行ったらミキトと出かけてるって言うから…と言うわけでハイこれっ!』
言うが早いかキョウカは帆布バッグの中からペットボトルの麦茶を取り出して俺に押し付ける。おお、天からの助けとはまさにこの事。俺は礼を言うよりも先にボトルをひったくると天を仰ぐように一気に半分ほど呑み込む。その勢いにキョウカはやれやれ、というように肩をすくめ、ミキトは呆れたように生温い視線を俺に注いでいた。
『ぷはぁ、サンキュー生き返ったぜ…』
『おばさんに言われたの、どうせとっくに水分切らして脱水になりかけてるだろうから持って行ってあげてって』
『さすが、よく分かってる。いやそこまで読まれるお前が単純なのか…』
『うるせえ、ほっとけ!』
隣で勝手な事を呟く幼馴染をどつきながら、ふとキョウカの足元に隠れるようにこちらを見やる少女に目を向ける。俺と目が合うや否や少女はヒッと短い声を挙げ、キョウカを盾にするように隠れた。おい、なんでビビるんだ。
『あーあ、ケモノみたいにグビグビ飲むからユヅキちゃんが怯えちゃったんだよ』
『ユヅキ、怖がることないぞ。動物園で見たラクダだと思えば良いんだ』
憮然としてる俺を横目にミキトとキョウカは少女――ユヅキにめいめい勝手な事を吹き込んでいる。思わず『誰がラクダだ!』と叫ぶがそれが更に恐怖心を刺激したのか、少女はますます体を竦ませ、キョウカのハーフパンツの裾を引っ張って今すぐにでも退散したいと言わんばかりである。俺は溜息を吐いた。どうも小さい子の相手はよく分からない。
『で、二人してナニしてたの?』
よしよしとユヅキをあやしながら不意にキョウカが視線をこちらに、殊更に、俺の方に向けてくる。思わぬ不意打ちにドキリとした俺はその大きな瞳を直視出来ずに、『別に…』と敢えてつまらなさそうに呟きながら、隣に投げてある虫かごを指差した。
『大したモンじゃねえよ、夏休みの宿題で昆虫採集してただけ…』
見てみるか?そう続けようとする前にキョウカは露骨に顔をしかめて、『ゲッ、ホントに大したモンじゃないわ…』とあっという間に興味を失くしたように視線を外す。どうやら虫がお気に召さないらしい。小さい頃は嬉々として蝉とか捕まえようとしてた癖に、なんで女子はこう虫が嫌いになるんだろう。
『キミも昆虫採集?』
『一緒にするな、ボクはコイツのお守りだ』
『誰がお守りだ、誰が!』
俺の抗議をスルーしながら転じた視線の先にいたミキトにキョウカが改めて話しかける。簡潔に答えてすぐに本に意識を戻すミキトに構わずキョウカは『ところで何を読んでいるのかな?』となおも食い下がっていた。ミキトはしばし迷った後に本のカバーを剥がしてこちらに向ける。太陽を背にして立つ男、の影が描かれた表紙。題には「復活の日」と記してあった。
『なんか難しそう』
『別に難しくないさ、新型ウイルスが発生して…』
そう話すミキトの声はいつもと変わらず、どこか醒めたようでいながら、心なしか興奮しているように聞こえた。ああ見えてたぶん誰かに話したくて仕方がなかったのかも知れない。俺には絶対に話そうとはしないだろう、ナチュラルに『お前に話しても分からん』とか言いそうだ(そしてその判断は癪な事に正しい)。キョウカの声もいつもより弾んで聞こえる。
俺は無意識に肋骨を押し上げるような痛みに息苦しさを感じて、二人の声を聴かないように意識の外に追い出そうとする。
視線を二人から逃れるように外すとふと、投げ出した虫かごをユヅキがしげしげと眺めているのが見えた。
『なんだよ、虫好きなのか?』
先程より声色を抑えて、心持ち穏やかに努めて少女に話しかける。ユヅキは一瞬キョトンとした顔をこちらに向けると、ゆっくりと言葉の意味を噛みしめるように頷いた。そして再びかごに視線を向けながら、ゆっくりと指差した。
示した指の先には数匹の虫の中でも一際目立つ緑色の虫がいた。どうやらそれに興味があるらしい。
『コイツか?こいつはトノサマバッタって言うんだ』
かごを掲げてズイとユヅキの前に突き出す。一瞬また怯えるかなと思ったが、ユヅキは怯まなかった。むしろその大きな瞳で食い入るようにその存在を捉える。変わった奴だなと思いながらその様子を眺めていると不意に少女がこちらに向き直った。
『このコ、どうするの…?』
絞り出すように、意味を吟味するように、ゆっくりと言葉を発する。俺は咄嗟にその意味を理解出来ず、また理解したらしたらでどう答えたら良いのか、迷いを感じた。標本にするんだ、と答えるのは簡単だが、それは要するに今この小さな箱の中で生きて動いてる命を奪うという事だ。小さな子にそれを理解させるのは難しい…言葉では何とでも誤魔化せるけど、それをするのは酷く卑怯な事であるように思えた。――いや、それ以上に自分をまっすぐ見つめる大きな瞳は何よりもその意味を理解しているのではないかと感じさせる切実さがあった。
5歳ばかりの子どもに何が分かるのだろうか、一方で或いはユヅキなら…。思考の堂々巡りに陥りかけた己を自覚せずとも、俺はそれ以上の言葉を紡ぐことは出来なかった。ユヅキの目は切迫した色こそあれどあくまで何かを要求したりするような強さはなく、どこまでも淡々と答えを求めてた。
はぁ、全く…。俺は溜息を吐くとそっと虫かごを持ち上げた。
『昆虫採集用に採った。本来ならこのまま殺すんだけどさ…』
ユヅキは何も言わなかった。俺はなるべくその視線から目を外さないようにしながらそっとかごの蓋を開放したのだった。
『なんかやる気なくしたわ…ほら、出てけよ』
その時の己の行動に納得したのか、それとも半ば自棄になったのかそれは分からないが、俺はそのまま天地がひっくり返る勢いで虫かごをひっくり返した。ぶちまけるように中にいた数匹の虫が重力に従って地面に放り出され、ひと刹那後には三々五々勝手な方向にすぐに飛び出していく。俺は特に何の感慨もなく、その様を眺めていた。放してしまえば呆気ないものだよな、と。ユヅキも嬉しがるでも虫を追いかけるでもなく、とにかく子どもらしい反応など何一つなくその様子を見守っていた。やはりこの子の事はよく分からない。
ふと背後に視線を感じて振り返るといつの間にか話を終えていたミキトとキョウカがこちらを見ていた。呆れたような、どこか生暖かいような、得心しているのか、とにかく色々複雑な感情を含んだ視線だ。
『はぁ…なんで逃がすんだ…一日無駄にする気か…』
『ホントにねぇ…でもキミらしい』
『お前ら、うるさい…』
相変わらず勝手な事を言う二人に俺は小声で毒づく。『まあまあ良いじゃない、無駄にしたって』とキョウカがからから笑いながら、立ち上がる。
『そろそろ帰ろ。ほらお兄ちゃんも本から顔上げなさい』
そう彼女から肩を小突かれたミキトも一瞬顔をしかめながら、本を閉じ、ようやく鋼よりも重い腰を持ち上げた。それからキョウカの言葉を反芻しながらそっとまだ地面を眺めているユヅキの方を見た。
『ユヅキ、そろそろ帰ろう。父さん達が心配する。』
心なしか、少なくとも自分には絶対向けないような優しい声色で少女に声を掛け、ユヅキもコクンと頷いて答えると、ミキトの方に小走りで駆け寄っていく。ミキトが不器用におずおずと彼女に手を伸ばし、ユヅキもすこしおっかなびっくりしながら、やがて噛みしめるようにその手を取る。
並んで家路に着く二人をなんとも無しに眺めていると、いつの間にかキョウカが隣に立っているのに気付いた。
『結構うまくいってるね、あの二人』
耳元で囁くように発せられた声に僅かにドギマギしつつも俺は極力平静を保ち、『もう一年以上だよな』と呟いた。
去年の春、ずっと二人だったミキトの家に家族が増えた。新しいお母さんとその連れ子がユヅキだ。何か複雑な事情があるらしい事は近所でも何かと話題になっていたが、一番戸惑っていたのは他ならぬミキトだった。俺やキョウカも以来ずっと親友として支えてきたと思う。正直まだまだユヅキについては分からないことが多いが、少なくとも二人の奇妙な兄妹の距離は以前よりもずっと自然な物になってきた。
何処か感慨深げに二人を目で追っていると、『テツヤ』と軽い手の感触が肩を軽く叩いた。
『キミもお兄さんらしいじゃない、ありがとう、あの子ああいうのに敏感だから…』
『別にそう言うんじゃ…』
俺はそんなガラじゃないよ、とフッと息を吐く。そうだ、そんな立派なモノじゃない、他にどうしようもなかっただけだ。思えばああした所で虫達が死ぬのが数日、或いは数時間遅れるだけの事だ。目に見えない所に追いやっただけで何も解決してない。第一…
『お陰で宿題はやり直しだしな…』
今度は盛大に溜息を吐く。その消沈っぷりにキョウカは『本当にキミって…』と弾むように笑った。他人事だと思いやがって…と恥ずかしいやら何やらで毒づこうとしたがそれより先に彼女が『ところでさ…』と声を滑り込ませる。
『わたしね、今自由研究で町史の制作してるのよ』
『チョーシ?』
なんだかよく分からないが、もともとクラスでも優等生のキョウカの自由研究だ、きっと立派なモンなんだろう、うんそうに違いない。何が何だか分からない俺の内心など無視してキョウカは続ける。
『でもね、いざ始めると話聞いたり、本で調べたりとなかなか大変で。良ければ少し手伝ってくれない?共同研究で良いから』
えッ…?俺は言われた事の意味が分からず、キョウカの方に驚いた視線を向けたが彼女は気にもせずにこちらを見つめている。その瞳には『やるのやらないの?ハッキリなさい』と書かれていた…気がした…。
『俺はミキトほど役に立たない気がするけど』
『ミキトには忙しいって断られたの。だから次点のキミにする。良いでしょ、どうせ暇なんだし』
『どうせ暇なんだし』の部分を思いっきり強調しながらキョウカは楽しそうに笑って手を差し出した。誰が暇人だッ!と俺がデコピンのポーズを取ると額を庇いながらきゃあッとはしゃぐ。ユヅキとは正反対にどこまでも分かりやすいのが彼女だ。
『――分かったよ、手伝えば良いんだろ!』
『素直でよろしい、じゃ明日図書館に来てよね?』
そう言ってキョウカは俺とハイタッチするとパッと身を翻し、前方を行くミキト達を追い越して駆けていった。一瞬振り返った彼女は俺たちに何も言わずにただ指鉄砲を構えるような仕草を取り、今度こそ背中を向ける。
『また明日ね』。言葉に出さずともその仕草と表情は何よりも雄弁だ。途中ドンと肩を突かれたミキトが少し呆然とした表情で彼女を見送る。ユヅキは控えめに去っていくキョウカの陰に手を振っていた。
まあ、虫は惜しかったけどご利益はあったかも知れないと肩をすくめるとふとこちらを振り返ったミキトと目が合った。いつもの皮肉っぽい微笑を浮かべていたが、長い付き合いだからなんとなく分かる。これはどっちかというと激励に近いポジティブな笑みだ。素直に微笑み返すのも照れくさくて断ったのそっちだからな、あと言われなくとも!と敢えて挑発的な視線を返すとちょうど家に行きつく小路に差し掛かり、俺はそのままミキト達に指鉄砲を発射しながら家路に駆けて行った。
言葉は要らない、その仕草は俺たちにとっていつだって一つの意味しかないから――。
『また明日』――
・・・・・・・・・
<…こちらは昨夜爆発のあったトライングループ本社ビル前です。昨夜未明から激しく燃え盛っていた炎も消防隊の決死の消火活動によってなんとか下火になりつつあるようです。一時期は道路を埋め尽くす程の煙が溢れていましたが、何とか本社ビルの姿が見えるようになってきました…>
「あぁっ…!やっぱ近づけもしねぇか…」
都道50号線新大橋通りをひたすら走る事20分弱、ようやく大手門橋に至り、東名高速道路のジャンクション前に辿り着いたのは良いが、既に現場は警察官による封鎖が敷かれ、その手前は野次馬や「同業者」達による黒山の人だかり。遥か上空にはどこかの大手が飛ばしていると思しき、ヘリの姿。あーあ、うちもヘリ欲しい、でなきゃせめてドローンくらいあっても良いかも知れない、と下らないない物ねだり。
そろそろ本庁の偉いさん辺りが臨場してもおかしくない頃合いだが、生憎と汐先橋奥にまだブスブスと燻る黒煙が見えるのはともかく細かい状況は接近しない事には何も分からない。こりゃあ完全に出遅れたな、と
まずは息を整えて、と思いつつもこの人混みでは却って息が詰まりそうだな、と思う。遥か先に立ち込める噴煙の周りはもっと空気が悪そうだ。
この分じゃ新橋駅方面から回り込んでも無駄だろう、見事な出遅れっぷりに我ながら呆れつつ、もはや完全に編集長にどう言い訳するかを考え始めた矢先、大手門橋の高欄に手を掛け、他の野次馬共々現場を注視している見知った顔がいるのに気付いた。
安物、という訳ではないだろうが既にクタクタによれているスーツに既に大半が雪原となっている頭髪、一見すると穏やかな顔に見えても目線だけは油断なくジッと一点を見据え、明らかにカタギではない雰囲気。渡りに船、なのかは知らないが間違いなく、そこら辺の素人よりかは頼りになる人なのは確かだろう。「ちょいとごめんなさいよ」と人垣を掻き分けながら、「立木さん」と哲也はその人物の肩を背後から掴んだ。
「哲也か、お前こんなトコで何やってやがる…って今更愚門か…」
怪訝な顔で振り返ったのも一瞬、哲也の顔を見咎めると男――
「なぁに、例によって刑事の勘って奴を頼りに来ただけだ、若い奴らに迷惑かけるから課長には言うなよ?」
「言いませんよ、俺あの人苦手ですし…」
なんて事のない会話を交わしながら哲也はふと思った。どうせ出遅れたのなら目の前にいるこのロートル刑事の勘とやらに頼って、取材にかこつけても良いのではないだろうか?どうせ手ぶらで帰っても編集長にドヤされるだけだし、立木はいい加減な思い込みで動くような男ではない。彼の口から何か目新しい情報でも聞き出せれば御の字ではないか…
とそこまで考えた所で眉間に強烈な手刀が叩き込まれた。痛ってぇ!と額をさすりながら顔を上げると立木が呆れ果てたと言うような苦笑を浮かべている。
「…ったく、あわよくば俺から何か聞き出して、ってか?考えがミエミエなんだよ、ブン屋向いてねぇぞお前」
「だって気になるじゃないですか、〝生安のおやっさん″がこんな所で油売ってりゃ俺みたいな見習いでもなんか察しますよ…大体立木さんの管轄は台東区でしょ?」
久々に叩きこまれた立木の鉄拳制裁に抗議の意を表すると立木も「確かにな」と失笑するようにくたびれた背広の肩を揺らした。
「お前なんぞに察せられるようじゃあ俺も年貢の納め時だ、話し相手になってやるよ」
さらりと失礼な事をほざきつつ、前方で広がる喧騒に踵を返して歩き出す。哲也はなんとか望み通りの展開に持って行けた事にひとまず安堵しながらそれはそれで釈然としないものを感じる。「お前なんぞは余計です、なんぞ、はっ!」どうせ聞く筈のない抗議を上げながら哲也は立木の後に続いくように歩き出した。
・・・・・・・・・
警察といってもひとえに目的や対する犯罪によって様々な部署や課が存在する。
殺人、強盗、傷害等の凶悪犯罪に対処する捜査1課・強行係。
詐欺、横領、贈収賄等の経済犯罪を担当する捜査2課・知能係。
空き巣や引ったくりを扱う捜査3課・盗犯係。
かつては「マル暴」と呼ばれ、主に暴力団関係の事件を罪種を問わず担当する事になっていた捜査4課は現在では銃火器や薬物の不正な取引等の捜査も行う組織犯罪対策部となっている。
立木のいる生活安全課もそうした部署の一つだ。
当たり前の事だが、警察、特に刑事課の仕事は基本的に「事件が起きてから」なのに対し、生活安全課は昔は防犯課と呼ばれていたように「事件が起きる前」、即ち犯罪の抑止や監視に重きを置いている部署だ。
未成年者の犯罪捜査、もしくは補導や猟銃など所持に特殊な許可が必要な物や風俗店等の営業許可の申請や不法な所持、営業の調査、最近ではストーカー、ハイテク犯罪のような刑事課の管轄外の調査活動も含まれており、その職務は多岐に渡る。捜査以外では防犯対策の啓発の他、警察に寄せられる相談への対応や担当課への引継ぎ等も含まれる。
立木は生活安全課の少年係において長年未成年者の補導や検挙に携わってきた経験を持つベテランだ。学生時代散々「世話になった」哲也の経験から言ってもこの年齢にして不良やその他の未成年者の心理にはかなり詳しいと言えるだろう。時折他の課からも知恵を拝借される事もあるとも聞く。〝生安のおやっさん″の愛称もそうした実績を称えられての事、らしい。
「で、〝おやっさん″が管轄外、しかも巷で噂の骸骨野郎の犯行現場に何の用なんですか?刑事の勘とやらは何を嗅ぎつけたんです?」
事件現場から離れる事、徒歩10分、築地市場に居を構える古めかしい喫茶店にて顔を突き合わせるように腰を下ろすと、哲也は開口一番そう告げた。
立木は「そう急くなよ」と苦笑しながら、まず運ばれてきたお冷で口を湿らす。手は何かを探し求めるようにテーブルの上をしばし彷徨っていたが、やがて入り口付近の壁に貼られた「
…本日未明、太陽が顔を出し始めた4時34分頃、突如東京は港区に本社を構える日本でも5指に入る大手マーケティング会社「トライングループ」本社が突如爆破された。正確には都道316号線海岸通りの上り線を規定速度を超える勢いで暴走していた黒塗りのバンが連結する日の出ふ頭線に乗り上げ、逆走し始めたかと思うとそのまま歩道に乗り上げ、ガラス張りのビルに突っ込んだ、というのが事の始まりだ。
一瞬酔っぱらい運転による事故にも思えたが、その直後車体が突如爆発し、駆けつけた警備員諸共1階のフロアを粉々に吹き飛ばした、という。単に車体から漏れた燃料に何かが引火した、とかそういうレベルではなく、ちょうど向かいのホテルに泊まっていて外の様子を見ていた客の話によると、ビルの屋台骨を揺るがすような轟音と共に数回上のフロアのガラス張りまでもが一気に吹き飛び、その衝撃と爆炎は道路を超えてホテルまで達した。
突然の事態に宿泊客の避難を始めたホテルの従業員は爆炎に隠れたままのビルの遥か屋上から突如銀色のドクロの印が上がるのが見えたと言う…。
《スカルマン》の犯行だ。
去年3月の「新宿事変」を切欠とし、都内各所で散発的にテロ行為を行う銀色の仮面の男の自称だ。六本木の爆破事件の際にそう名乗っていたのが生存者の口から語られ、以降メディアにおいてはそう呼ばれている。犯行現場に何らかのホログラム投影装置のようなものを設置しており、事件後に巨大なドクロを現場に出現させるのが犯行サインのようだ。現状目的も正体も全く不明、2年後に控えている国際的な祭典までには何としてでも逮捕する、と政府関係者も息巻いているがこの1年、未だ尻尾の先すら掴めていない。
やがて二人の前にカップが運ばれてくる。女性の店員はどうぞごゆっくり、と頭を下げて去って行ったがチラッと見えた横顔は「この二人何者なのかしら」とはっきり書いてあった。殆ど頭の白くなりかけた初老の男と安物ジャケットにジーンズの20代の男の取り合わせ。確かに傍から見れば妙なコンビだろう。考えを一旦中断して哲也はコーヒーを啜った。職場や自宅で淹れる安物のインスタントにはない芳醇な酸味と香りが心地良い。
「哲也、お前さん《スカルマン》の目的は何だと思う?」
同じくコーヒーを啜っていた立木が一息つくようにカップをソーサーに戻し、哲也に問うてきた。いよいよ話の核心か、と得心した哲也はふと考える。この1年近く見習いブン屋なりに真剣に巷を騒がすドクロ男の目的や正体について考えていた訳でもないのだが、今一つピンと来ないのだ。特に事件に深入りすればするほどその正体は朧気になっていく。本当に幽霊の相手でもしているのではないかと思える程に。
「今回のトライングループ本社の件ですけど…やっぱ二年後のアレを妨害するため、ってのがネット上では未だに濃厚ですよね…」
黙ってる訳にもいかず、とりあえず今のところネット上で一番有力視されてる考察を上げてみる。トライングループは例の祭典の有力スポンサーなのだ。既に洒落にならない規模の公費が投入されており、その中抜きに群がる形で政商に巨額の金が動いている、という黒い疑惑が度々報じられている。
実際東京都内だけでも既に海浜公園や青海等の臨海副都心や飛行場・港などの交通の要所が既に被害にあっており、トライングループ以外でも被害にあっているのは大手建設会社やテレビ局、人材派遣業などいずれもこの先のイベントには切っても切り離せないような所ばかりがターゲットに選出されている。
「これは我が国の壮挙を妬む者達の仕業と断言して良く、我々は決してこのような暴力による恫喝には屈しない」と某党の大先生の発言が喝采を浴びたり、炎上したりと混沌とするなか、既にネットではその説で確定のような空気が溢れており、某メディアなど既に名指しこそしないまでも犯人すら特定するかのような記事をぶち上げている。最も数か月前から風向きが変わってきており、今は民意の半数くらいは異なる意見を掲げては分断の兆しを見せているが。
「はッ!小さぇ小さぇ、奴がそんなケツの穴の小さいタマかよ」
そんなネット社会の情報など取りつく島もないと言わんばかりに立木は吐き捨てる。曰くネットに籠もってマトモに事件と関わってもいない奴らに分かるものかよ。と。どうでも良いが口が悪いな、と思いながら哲也は
「じゃあ立木さんは何だと思うんです?」
と不満げに問いかける。立木はニヤリと不敵に笑いながら再度コーヒーを口に含んだ。
「歴史、宗教、イデオロギー…古今東西人が争う理由は様々だ、特に今は社会が複雑になりっぱなしなご時世だしな。だがな、奴の根源はもっとシンプル、原始的な考えだよ」
人間は社会というものを作り出した生き物だ。
家族以外の他社という存在を受け入れる事で強靭な筋力も鋭い牙も爪も分厚い毛皮も持たない脆弱な生物は非情な自然界の中にあって一大勢力を築き上げるまでに成長したのである。だが所帯が増えればそこに思想・信条の違いや限りある資源の争奪、はたまた共同体の維持を巡って対立が生まれるのも世の常。
特に近代以降社会のシステムはますます巨大化・複雑化の一途を辿り、それによる軋轢は二度に渡る凄惨な戦争という形で社会に表出した。現代に入り、冷戦が終結すれば曲がりなりにも東西とに二分されていた世界秩序は終わりを告げ、代わりに突入したのが対テロ戦争という終わりのない混迷と経済・情報・金融・エネルギー等社会の中核を為す産業利害が複雑に入り混じった世界だ。自由主義と共産主義、保守と改革、民主主義と専制主義、かつてのように簡単に世界を二元論で括れた情勢は既にない。
しかしながらとっくに人の脳の許容量と情報処理速度を超えている社会においてはやたらと分かりやすく、耳障りが良い言論ばかりが幅を利かせ、却って議論は決定的な無理解を抱えたまま平行線を辿るだけだ。
世が混沌とするに従って、人が単純化を求めるのは皮肉以外の何物でもないのだが、目的も正体も不明のテロリストとあらば動機くらい大衆にとって分かりやすいものであって欲しいとなるのも道理だ。
が、《スカルマン》の行動原理はそうした社会的・思想的な背景を抱えたモノではない、と立木は言う。所詮見習いとは言え、記者として人並み以上には事件等に触れてきたと自負している哲也としては本当にそんなものなのだろうか、と思うが一方で或いは幽霊のように掴み所のないこの犯人ならさもありなん、という矛盾した実感もあるのだった。
しかし「原始的」とは如何な意味か。
立木はまっすぐに哲也を見据えながらニヤリと笑う。
「奴の行動はなんら高尚なモンじゃあない…もっとプリミティブな感情、即ち怒り、復讐だよ」
という訳で序章その2でした。
長すぎるので今日はここでお終いです。前回が読みづらかったので少し整理しました。
仮面ライダーの影も形もなく、今週はスカルマンさえいませんが主人公は出てきました。
あらすじにもある通り、彼が(一応)この作品の主人公です。この場を借りて人物紹介を。
・成澤哲也
:年齢:24歳
:職業:見習いジャーナリスト
:モバイルネット雑誌「レイニージャーナル」の見習い記者。やる気と熱意はあるが空回りしがちで、あまり後先考えない等やや脳筋の気がある。バイクに乗るのが趣味だが、最近あまり乗れないのが悩みの種。
基本は彼の視点で話が進んでいきます。相変わらず長くなりますが気長な方はどうかお付き合いください。
感想・評価その他諸々何でもいただければ励みになります。来週はなるべく早めに投稿しますので暫しお待ちを。それでは。