「復讐、ねぇ…そりゃあまた随分壮大なんだか矮小なんだか分からん話だな」
世間的には分煙が進んで久しいと言うのに何故この社長室はいつまで経ってもこうケムいままなんだろうと編集長兼社長の不機嫌そうな声を聞きながら哲也はそんなどうでも良い事を思った。眼前で編集長が臭いの根源である吸い殻の山からかなり小さくなったクズ煙草を取り出してはキセルになんとか付けようと悪戦苦闘してる様を「煙草をチビチビ吸うのはよしなさいよケチめ」とでも言いたげな冷めた顔を向けている
「つまり動機は個人的な怨恨って事?だとしたら誰に対する復讐なの?」
「おやっさ…じゃなくて立木刑事曰く『奴の標的は国・政府そのものじゃない、その背後にいる』と言ってました。『一連の犯行は目的というより手段に過ぎない』とも…。つまり何か政治的な主張を通すためじゃなくて、単なるパフォーマンスって事なんじゃないでしょうか?」
「そんな…!大勢の命を奪っておいてそんなのある?」
隣で真琴が最もな疑問を投げかける。
哲也より2つ年上の26歳、社内においてはまだ若手かつ女性ながら記者としては信頼は取材対象者からも記事を書く編集長からも篤い。元々哲也含めて社員が7人と少ないレイニー・ジャーナル社においては貴重な戦力と見られている。そんな聡明な彼女にとっても、いやだからこそ信じられない思いなのだろう。実際哲也自身どこまで立木の見立てを信じて良いのか、また疑って良いのか分からない。
元々レイニー・ジャーナルは「大手メディアにはないフットワークの軽い取材」をモットーに読者から寄せられた情報なども無下にせずに取材し、自前のモバイル誌かポッドキャストで配信するというやり方だからプレゼン次第では決して一蹴はされない筈。でも如何せんあからさまに嘘くさい情報や真偽のハッキリしない話は取り合わないから結局五分五分だ。
「いや確かに…言い分としては分からなくもないか…」
哲也が言い淀んでいると漸くキセルに煙草を付けられたらしい陣内が不意に口を開いた。あれ、意外と感触良いのか?元々彼と立木はどういう関係なのかは詳しく知らないが、それなりに親しい関係にあるらしく、彼の意見はなかなか無下にはしない傾向にある。
まあそうでなくともこの男、モバイルニュースの配信会社を手掛けるだけあって意外と確かな見識がある――と思う。3年以上見習いとして馬車馬の如くコキ使われてきた身としては業腹だがそこは認めざるを得ない。
「どういう事ですか?あとその『背後にいる』モンってのはどこのナニモンなのよ!?」
納得いかん、という感じで真琴が陣内と哲也に交互に詰め寄る。まあこのように相手が男だろうが年嵩の上司だろうが全く物怖じしないのが彼女の良い所ではあるのだが、こういう状況になるとちょっと怖い。
陣内は「少し落ち着け」と宥めるように言いながら燃えカス同然の吸い殻に再び火をつけると、それをゆっくり口に運ぶ――前に机に乗せたブザーからけたたましい音が鳴り響き、陣内は危うく椅子から飛び上がりそうになった、どころか軽く椅子ごと僅かに飛んだように見えた。
見るとパーテーションの向こうの社員用オフィスに座っている陣内の奥さん兼副社長の陣内早苗がニッコリ微笑んでいるのが見えた。彼女は社長室に繋がっている内線電話――というか送信機と受信機、社長室の方からはメッセージは送れない――から「
渋々火を揉み消した陣内はしばし狂った調子を整えようとするように軽く頭を振ると今度こそ真琴と哲也の方に向き直って口を開いた。
「いいか、そもそもテロっていうものはだなぁ――」
刹那けたたましいブザー音が再び室内に鳴り響き、それに思わず飛び上がった――いや椅子ごと後ろに吹き飛んだ陣内はそのまま壁に椅子ごと激突し、暫くその衝撃に目を回していた。思わずパーテーションの方を見ると送信機の子機を取った奥さんがご機嫌な顔で「
哲也は溜息を吐くと、まだ目を回している陣内に代わって窓を開け、ついでに吸い殻の入った灰皿を持って、処分場所に持って行った。水で濡らしておけば後で業者が回収してくれる仕組み。オフィスに戻るとちょうど椅子に腰かけていた奥さんが「どうもうありがとうね」と強烈な微笑みを浮かべながら哲也の労をねぎらってくれた。
再び社長室に入ると陣内は何故か血圧を測っていた。さっき立て続けにブザー攻撃を食らった関係なのかそれとも「血圧を測る時間よ」とか奥さんに再びブザー攻撃を食らったのかは知らない。真琴は思いっきり不機嫌そうに足を鳴らしながら「このやり取りもう嫌」という感じの表情で顔を顰めていたのだった。
「で?編集長、そろそろお話は大丈夫ですか?」
我慢も限界、といった感じで真琴が話を切り出す。すっかり気が削がれたと言わんばかりに消沈していた陣内も流石に落ち着きを取り戻したらしく、しばしばパーテーションの向こうにお伺いを立てるようにチラチラ見た後に一度咳払いし、今度こそ哲也達の前に向き直る。
「成澤、そもそもテロリズムとは何だ?」
テロリズム。
言葉にすると簡単だが要するに暴力や恫喝、拉致監禁等の過激な手段を用いて敵対者ないしそれとは無関係な市民等を攻撃し、政治的な目的を達成しようとする事である。この場合政治的な目的とは国家体制や政権の転覆、外交的な優位や譲歩を得るため、自らの主張の宣伝等が上げられる。
きっかけは極左もしくは極右政党や宗教間の対立によるものなど多岐に渡る。古くはローマ帝国の支配下に置かれていたユダヤ人のグループが独立を目指して、散発的にテロを行ったと言われているくらいだから、そういう意味では人間がいる限りテロは起こるという事なのだろう。
「手段はどうあれ、テロリストは社会を敵と規定している。最終的には達成すべき目標がある事になるが翻ってみて《スカルマン》の目的というのは何だ?」
「それは…確かに…」
真琴が何か答えようとしたがすぐに詰まったように言い淀む。確かに今の所《スカルマン》の目的と言われているものは各メディアが勝手に予想しているだけのもので、奴個人から発信されてるメッセージというのは主張も何もないドクロのホログラフィだけだ。
「立木が着目したのはそこだろう、かつての連合赤軍やら今でいう所のイスラム過激派やら…テロが事件を起こしたきっかけにはなにかしらの主張が存在し、それを世間に向けて積極的に発信していた。例の地下鉄爆破事件だって白零會が国家転覆を企てた立派なテロだ。で一方でコイツと言えば…」
そこまで言うと陣内は真琴に向かって《スカルマン》関連の事件のスクラップを持ってくるように命じた。新宿事変からこっち彼女が丹念に纏めていたものだ。結構細かく模倣犯と思しき犯行も事件の参考になるから、と一緒にしているらしくスクラップブックは結構な厚さになっている。因みにネット記事も出力した上で入れてるらしい。こういう几帳面さと多岐に渡るアンテナの貼り方が彼女が社のエースと言われる所以だよなと哲也は思う。陣内はいくつかのページをめくりながら記事を抜粋し、それを二人に、どっちかというと哲也一人にか、見せてから口を開いた。
「これまで主に《スカルマン》がターゲットにして来たのは半グレ集団、イベントの設備とスポンサー、交通機関、マスコミ系だ。特にマスコミ関係はミソだな、主義主張も関係なく襲ってるし、半グレに至っては政府とはなんの関係もない。意外とそっちの施設については印象の割にはそうでもない、これはマスコミの報道の仕方だな…。これで例のイベントの妨害だの政権転覆だのとは言い切れない。現に永田町そのものは一度もターゲットにされてない」
「そうですね、トータルで見ると言うほどそれ関係の施設やスポンサーへの襲撃は少なくて、意外と無作為にターゲットを選出してる気がするんです。先週はナントカ言う宗教関係の施設が爆破されましたし…」
真琴は陣内に同調しながらいくつか他のスクラップを選んでいく。出てきたのは首都高で暴走族の一団がバイクチェイスの末に全員殺害されたというニュース、とある私立大学で発生した火災事件、総合病院の送電施設が突如爆破されたという事件等だった。いずれの事件でもあの仰々しいドクロマークと《スカルマン》の姿が確認されている。
「確かに…結構無茶苦茶だ。あ、でもだったら『何処が狙われたか』じゃなくて『何処が狙われてないか』で調べればひょっとして目的が見えて来るんじゃ…」
何気なく言ったつもりだったが直後「バカか!」の声と共に正面と右隣から頭をはたかれた。陣内と真琴がそれぞれ呆れたと言った顔で哲也を睨んでいた。因みに真琴は手刀で、陣内は孫の手だ。
「むしろその方が絞り込みづらいだろう、まだ襲われてない所がいくつあると思ってるんだ!」
言ってみただけじゃあねえか…と内心ボヤきながらもそりゃそうだよなと思う。下手したら万単位の施設とかに護衛を配備する必要が生まれ、そうなると当然日本警察のマンパワーが全然足らなくなる。現在《スカルマン》の目的が主にイベントの妨害であるかのように言われているのは、マスコミや政府にとって分かりやすいストーリーが欲しいという事の他にも警備の観点もあるのだろうか。
「あとは『背後にいる者』か。これについて立木の奴は何か言ってたか?」
「いや、特には…。俺にはあんま詳しい事は教えてくれなったんで…」
「だ か ら !なんでそこでもっと食い下がらんのだお前は!」
正直に伝えると突然額にティッシュ箱を投げつけられた。対して硬くもないけど中身がぎっしり詰まってればそれなりに痛い。前はファイルぶつけられた事があるからそれよりはマシと思う事にする。
「ホントにねえ…まさか『
「…そう言えばアメリカで大統領が暗殺された時にそんな話が出て来たな、あれは未だ公には真相不明だ…」
何やら神妙なようなそれとも阿保らしいとでも言いたげな顔で話し込む二人。「それってなんでしたっけ?」と哲也が尋ねたら今度は真琴に「それくらい自分で調べなさい」とデコピンされた。全く見習いだからってやたらとド突くのはやめて欲しい、仮にも今は平成の世である。あとこれで時給600円は安すぎる。まあでもそんな事より重要なのは、だ…。
「じゃ、食い下がってきたらこの話記事にしてもいいっスか?」
今はまだ試用扱いの見習い記者だが、もし自分で取ってきたネタで記事を書いてそれの反響が良かったら正社員に登用してやるとはここに就職した時に陣内から言質を取った条件だ。特に今《スカルマン》関係のニュースはこんな弱小ジャーナルでもそれなりに閲覧数が稼げるほど受けが良い。『《スカルマン》の目的は復讐?暗躍の背後に潜む国の暗部とは?』みたいな見出しなら注目も集めやすいかも知れない。「出来れば俺が書きたいんですけど」と続けようとした所で再度「バカか!」の怒声と共に顔面に机の上に積まれていた週刊誌が飛んでくる。さっきよりは痛みはないが顔全体にクリーンヒットしたのでかなり良い音がした。
「仮に食い下がって来たとしてなんて書く気だ!?背後になんかいるとしてそれの関与をどうやって証明する?ウチはこれでも一応真っ当なジャーナルなんだ、こんな半陰謀話持ち込んでないで正直に検証しがいのあるスクープ取ってこい!そんなんだからおま――」
『――えはいつまで経っても半人前なんだ!』とでも続けようとしたのだろうが、残念ながらその先の言葉が紡がれる事はなかった。陣内の怒声よりも更にけたたましくブザーが三度社長室中に鳴り響き、哲也と真琴は一瞬身を硬くし、陣内に至っては慌てて立ち上がろうとした結果、膝を机にぶつけて悶絶する羽目になった。
またか、と思ってパーテーションの方を見ると案の定奥さんが人差し指を口に当て、「
3分後漸く起き上がった陣内は一言「水を取ってきてくれ」と哲也に告げた。仕方がないので備え付けのウォーターサーバーから水を汲んできて渡すと一気にそれを飲み干した所で一息吐けたらしい、いつもの不機嫌面に戻ると哲也の方をジッと睨みつけて
「で?」
とこれまた不機嫌極まりない顔で一言告げてきた。いやそれだけ言われても返答に困ると思っていたら「ボケっとしてるな!」と怒鳴られ、いつの間にか取り出したストレス解消にぎにぎボールを額にぶつけられた。ぶつかったボールは哲也から見て右側に弾み、危うく真琴にぶつかりそうに――なる前に避けられた。
「まさか話はこれで終わりとは言わんよな、そもそも生安の立木が何故事件現場に出てくる?奴さんが動くならそれなりに理由がある筈だ、それも話せ」
さっき半陰謀話とか言ってた癖に、と哲也は溜息を吐きながらふと逡巡する。正直話すべき内容なのかいまいち自分でもよく分からないからだと言うのが大きい。何せ《スカルマン》の目的以上に曖昧な部分の多い話なのだから…。
・・・・・・・・・
立木正尚という刑事は専ら生安の中にあっても非行少年・少女の補導や彼らが起こした事件の捜査をメインに活動している。当然《スカルマン》の事件に当たっては動いてるのは基本的に強行係や組織犯罪対策部、公安等が動いているようなので当然生安は管轄外だ。する事といったら住民パトロールや防犯団体への支援や寄せられる相談に応対するくらい。
それでも立木が事件現場に定期的に顔を出している理由は半年前の出来事によるそうだ。
きっかけは《スカルマン》が彼の管轄内で起こした事件に遡る。
台東区内の風俗店で乱闘騒ぎが発生し、例によって《スカルマン》が事件に関与している事が判明したのだが、その店は以前から半グレ組織による違法な営業が行われている可能性があったらしく、許認可係が兼ねてより目を付けていた所だった。ウラを取る前に潰されてしまい、その後捜査が入ってみればあの骸骨男の蛮行から生き残った構成員の中にはまだ18歳未満の未成年も含まれていたという。そのグループは元々浅草一帯でそれなりの勢力を築いている事もあってか、立木も及ばずながら捜査に加わっていた。
乱闘どころか銃撃まであったらしく、その拍子に火事まで発生して問題の店が入った雑居ビルは無残にも黒煙を発していた。いくらどうしようもない馬鹿共だからってここまでする程の理由があるのかね、と立木は思いながら周りを見渡すといつの間にか野次馬が結構集まっている事に気付いた。
元々徒歩10分圏内に普通に住宅地もあるエリアなので突然の大火事に不安になってきたのだろう、無理もない事だ、と思ったが野次馬の中、それも少し離れたような所で一人の少女が雑居ビルを見上げているのが目に留まったのだ。見たところ高校生くらいか、大方近所の学生が火事場見物で見に来たのだろうと最初は思ったがすぐに妙な胸騒ぎがして立木は少女の表情を捉えた。
あまりここら辺りでは見ない顔だった。首のすぐ上くらいで切り揃えた黒髪、目鼻立ちの整った顔立ち、上に羽織っているのは何故か男物と思しきモスグリーンの秋コート、膝の辺りが破けたジーンズにスニーカーという飾り気のないスタイルもあって華やかな印象はないが人目を惹く美人だった。だが全体的にコートは所々に皺が出来ているし、ジーンズもダメージパンツというより自然に破けてそうなった感じがする。スニーカーは雨に濡れたような汚れが見えるしかなり素材が劣化しているような感じだ。もしやこちらの方に流れて来た家出娘という体ではあるまいなとも思ったが実の所そこはさほど問題ではなかった。立木だってここいら全域の子どもの顔を把握している訳ではないし、家が裕福でないなど何かしら事情を抱えてる子どもだっている。服装程度で無闇に疑うのは性分ではなかった。
問題は――一言では言い表せない――少女の目だった。周囲の野次馬の驚愕と恐怖と少しばかりの好奇心を綯交ぜにした目やこれまで相手にしてきた非行少年達の怒りや悲しみといった強い感情が混ざった目でもない。あれは強い絶望の感情の目だ、単純にビルの中に親族がいてその安否が望めないとかそういう次元ではない。後悔と恐怖と悲哀に極限まで塗りつぶされ、希釈され、ガラス玉のようになるまで透き通った目だ。その少女の印象を立木はそう語っていた。
刑事の勘が無条件に立ち上がり、立木はこの少女に声を掛けてみるべきだと察知した、が向こうも咄嗟に何かを察したのだろうか不意にビルから目を離して立木の方に視線を向ける。対峙は一瞬だった。すぐに少女は立木から視線を外すとそのまま脱兎の如く駆けだしていったのだった。
「きみ、ちょっと待て!」
立木もすぐに少女の後を追ったが、とにかくその少女は猛烈に足が速かった。立木自身何年も不良やツッパリを負い続けて脚力には年齢に見合わないそれなりのモノがあると言う自負もあったがそんな次元ではない。かなりのペースで走っている筈なのに一向に少女との差は埋まらず、開いていくばかりだった。狭い通りを抜け、大通りに出た辺りで完全に姿を見失い、それ以上の追跡は断念した。
そこから1ヶ月の間はその少女を思い出す事はなかった。
そうでなくとも立木の仕事は多忙を極めており、《スカルマン》にも正体の分からない少女の事にもいちいち構っている余裕はないと言うのがあった。しかし次の再会はまたも《スカルマン》と共に訪れた。
上野駅付近の首都高を走行していた暴走族が突然《スカルマン》の襲撃を受け、壮絶なバイクチェイスが繰り広げられた末に何台かのバイクが4号線に逃走した。最終的に暴走族達は仲間を見捨てて逃走した2台の乗員を除いて全員、ある者はショットガンで打ち抜かれ、ある者は手榴弾の爆発によって、またある者はバイクから落ちた所を轢殺される形で命を奪われた。当然周囲を走行していた一般車両や通行人にも少なくない被害が発生し、上野駅前は一時騒然とする事になった。すぐに包囲網が敷かれたが《スカルマン》は混乱に乗じて忽然と姿を消した。
立木が現場に駆け付けた時には駅前の通りは封鎖され、周りの道路や駅のペデストリアンデッキには突然の凶行を固唾を呑んで見守る市民の姿があった。現場の真ん前にあった事もあり対応に追われる駅前交番の巡査に話を聞いていた立木はふと一瞬どこかで感じたような気配に気付き、朦々と巻き上がる炎をジッと見つめる華奢な背中に気付いた。野球帽をかぶっているため髪形はよく分からなかったが、その薄汚れたモスグリーンのコートには見覚えがあったらしい。あの背はまさか――直感的にその存在を悟った立木は自分より二回りも小さい影の隣に並び立つとそっと横合いから肩を叩いた。影が一瞬怯んだように身を硬くしながら、彼の方に視線を向ける。帽子の下にあったのはやはりあの時の少女だった。
「やあ、また会えたね」
少女と目が合い、立木は努めて穏やかにそう告げた。別に捕まえようとかそういう事は考えてない。先刻の瞳に宿った言い知れぬ影は気になったが、単なる家出少女の可能性もある訳で、職業柄放っとけないだけだ。しかし立木のそうした心境を知ってか知らずか少女は端正な顔を歪めたと思ったらまたも立木の肩を振り切って逃走した。立木も一応追いかけたが、結果は以前と同じだ。少女は人の波をすり抜けるように掻き分けながら姿を消した。
二度は偶然のうち、三度あったら必然と思え、が立木の持論だ。そして三度目の機会は意外と早く訪れた。
日本の学びのメッカであり、文化財の都でもある文京区の銀行にて奇妙な強盗事件が発生した。同区の銀行にて白昼堂々装甲車が突入し、中からは「我は《スカルマン》」と名乗る骸骨の覆面をつけ武装した6人の男達が出てきたという。すぐに警察による包囲網が敷かれたが彼らは動ずる事なく、客を人質に取りながら庫内の現金をありったけ集めさせ、いざ意気揚々と去ろうとした時、突然現金を詰め込んだ装甲車が爆発した。当然爆発の勢いは装甲車を吹き飛ばしただけに留まらず、爆炎が封鎖された銀行内を荒れ狂い、人質はおろか犯人グループ達をも巻き込んだ。その時銀行の屋上から見慣れたドクロのマークが浮かび上がったという…
後から分かった話だが、幸いという言葉が適切なのかはこの際さて置いて、爆弾の威力は見た目に反してさほど高くはなかったようで、爆心から離れていた人質の一般客、行員は全員負傷し、中には重傷者もいたようだが死者は出なかったのに対して強盗グループは6人中4人が死亡した。この犯人達は巨額の報酬を餌にネット上で集められ、その日が初対面だった事、強盗に際して《スカルマン》を名乗るように要求された事がその後生き残った一名の口から語られたそうで、装備も装甲車も
閑話休題、署内で事件の報道を見ており、事件が意外な顛末を迎えたのを目撃した立木はその瞬間居ても立っても居られなくなり、文京区の件の銀行へ向かって飛び出した。畑が違うのも服務規程違反スレスレであるのも百も承知だったが「事件現場に迎え」と彼の本能のようなモノが全力で叫んでいた、という。
いざ現場に着くと既に黒山の人だかりが出来ており、流石にこの中から一人の少女を見つける事など不可能に思えた。別にいないならいないでそれが一番良いと思いながら、周囲を掻き分けていくとふと制服を着た女子高生と思しき姿が目に留まる。一見何てことなく溶け込んではいるものの、その後ろ姿は立木には酷く不釣り合いなものであるように思えた。根拠なんてない、外れりゃ手帳見せて人違いだと言えば良いんだと開き直りの境地で立木はその女子高生の左腕を掴んだ。果たしてギョッとしたように振り返ったその顔はまさしく1カ月前に目撃したあの少女のモノで相違なかった。よく見ると制服ではなくてコスプレショップで売ってるようなニセモノ臭い服で、妙に古めかしいソックスやスニーカーとの落差が大きかった。
「覚えてるようで嬉しいよ、よく事件現場で会うね?」
目を見張った少女の表情に確信を得た立木が警察手帳を見せながらそう告げると
「…ストーカーですかアナタは…」
ドン引きだと言わんばかりの目つきで少女が顔を顰めながら呟いた。確かにこの人だかりで三度の遭遇だ、普通にそう思われても無理はない。
「すまないね、職業柄なんとなく嗅覚が発達してるんだよ、君みたいにどことなく場違いな雰囲気を出してるのはなんとなく分かるんだ」
「…やっぱり変態じゃないですか…」
よく言われるよ、立木は手帳を突き付けながら「いくつか聞きたい事があるんだけれど?」と語りかける。少女の目の警戒の色がより一層濃くなった。
「これって職質って奴ですか?」
「まあそんな所だよ、職務だと思って受け流してくれ…
この少女は只者じゃない、もしかしたら《スカルマン》の事で何か知っている可能性がある――立木はそう確信したらしい。極力微笑みを浮かべながらも実は少女の細い腕を掴む掌が緊張でじっとり湿っているのが分かった。僅かな睨み合いの末、ふと少女が微かに笑った――ように見えた。
「お断り、します」
刹那、少女の細腕が電撃のように立木の掌を振り払い、逆に腕を絡めとられた。そこから更に膝をしたたかに打ち据えられ、体制を崩したと分かった時には立木はもう腕を捻られ、地面に組み伏せられていた。この突然の乱闘騒ぎに周囲を流石に何事かと視線を向けて来るのが分かったが、そこからの少女の行動は更に予想外のモノだった。
「この人、痴漢です!捕まえて下さい!」
目立つことを承知で言い放たれた男を抹殺する禁句に立木がギョッとしていると更に強い力が腰の上あたりにのしかかって来た。どうやら通行人の男性が自分を拘束したらしいと分かる。そのまま頭を強く地面に抑えつけられ、しばしの呼吸困難に陥った立木に弁解の時間は与えらえなかった。気付いたら複数人の男性に体を拘束されたまま、近隣の警官が駆け付けて来た時に思い切り弁明すると言う1年分の恥を味わう羽目になった。その間に完全に少女の行方は分からなくなり、後に自分を抑え込んだ男性たちに確認しても異口同音に「気付いたらいなくなっていた」という返事が返ってきた。
勝手に管轄外の現場に出た挙句に痴漢と間違われ、同僚の警官に拘束されかかる、という大失態に激怒した署長に訓告を食らった挙句に減俸1カ月の処分を食らった事は完全に踏んだり蹴ったりだったし、件の少女が《スカルマン》について何か知っているかも知れない、という事の根拠がロートル刑事の個人的な勘では何の根拠にもならんという事ぐらいは自覚していたため、立木は表向きにはこの件には深入りしないと上に従い、日々の仕事をこなしている。だが時折事件が起きる度に立木はあの少女がまたあの場にいるのではないかと考え、上司の目を盗んで密かに《スカルマン》の犯行現場を訪れている、のだそうだ。
成澤哲也と出くわしたのはちょうどその時だ。
・・・・・・・・・
「…という訳らしいです、なんかその女子が事件に関わってんじゃないかって…」
一応立木本人から聞いた話を元に纏めてみた形になるがどうにも自信がない。実際哲也自身も聞いている最中はどことなく半信半疑で、最中に何度か気のせいなのではないかとさり気なく、問いかけてみたのだが、立木はやたらと確信があるような感じだった。但し「どうにもきな臭い」とか「俺の勘が告げてんだ」とか要領を得ない回答ばっかりだったが。
経験者から言わせて貰えば確かに立木には不思議な、というかいっそのこと妙ちきりんと形容した方が良さそうな勘の良さがあった…と思う。学生時代学校をサボって仲見世通りをウロウロしていたらなんでか決まって見つかったし、お膝元の外なら良かろうと伊勢崎線浅草駅や上野駅に行って町を脱出しようとすればまるで知っていたかのように駅で待ち伏せされている事もしばしば。そう言えばその時もよくつるんでいた女子の一人からストーカー呼ばわりされて、心外だと言わんばかりに「お前らの考えなんざミエミエなんだよ」と毒づいていた。
ただやはり目の前と右隣の二人には実感しづらいのか腕を組んでしきりにウーンと唸っている。というか陣内は話の途中に何度かカルシウム錠剤を齧ってたのでたぶんイライラしているんだと思う。やがて首を捻りながらも真琴が口を開いた。
「話の内容は分かったけど…でも今の話って全部その立木さんって人の主観よね?」
「そう言われると返す言葉もないです…」
「…仮に奴さんの勘を信じるとしてもそれ要するに『俺一人じゃ人探しはしんどいから誰か手伝え』って事なんではないのか?」
「…否定のしようもございません…」
まあ実際そうなのだ。築地の喫茶店で立木から話を聞かされ、その際せっかくだから仕事だと思って協力してくれ、と半ば強引に押し付けられ、その少女の似顔絵まで渡されている。それで良いのか刑事が、と思わないでもなかったがそもそもここへの就職の口利きをしてくれた恩があるのでどうにも彼の頼みは断りづらい。「こっちも仕事でやってんじゃねえんだ、気楽にやってくれどうせ暇なんだろ」と甚だ大きなお世話な事も言われて結局NOと言えず、ここまで持ってきた訳だが…。
「『キツネ目の男』か『偽白バイ隊員』みたいだな全く…ますます事件の闇が深くなりそうな気がする…」
どちらも有名な未解決事件の犯人ないし関係者と目されている人物だ。ただでさえ犯人の動機も正体も不明、おまけに色々原因不明の怪事件が頻発する昨今の治安情勢も相まって不安が広がる世の中だと言うのに今度は事件現場にしばし出没する謎の美少女とあってはゴシップ雑誌辺りが黙ってないだろう。でも悲しい事に陣内はその手の不確定な記事やオカルトっぽい俗説が大嫌いと来てる。いくら何でもこんな事調べたいとか言っても相手にされるわけないか…?
「成澤」
不意に陣内が重々しく口を開いた。哲也は反射的に姿勢を正す。これはひょっとするとまたカミナリ(とついでに奥さんのお叱りブザー)が飛んでくるかと身構えていると
「お前、この件についてどの程度確信がある?立木じゃない、お前自身が、だ」
あれ、意外と好感触か?いつもなら「下らん」で一蹴なのにまさかの脈ありの反応な上に自分自身はどう思うのか、と問うて来ている。これはまさか自分もそろそろ一人前と認められて来たという事なのではないだろうか、そうなればプレゼン次第では仕事を回して貰えるかも知れないし、正社員登用の芽も出て来たという事なのでは…?
そうと思えばこの件全力で推す価値があるかも知れない、哲也は目の前のテーブルに両手をバンと叩きつけ――陣内が思いっきり嫌な顔をしたが気付かなかった――思いの丈をぶちまけるようにまくしたてる。
「俺、じゃない僕個人としては意外と確信があります!学生の時の経験ですがあの人の勘は結構当たるんですよ、もしかしたらこの謎だらけの事件に関して何か重要な秘密を知ってるかもしれません許可さえあれば早速東京中探し回ってその少女をとっ捕まえ――」
我ながらイケてる事言ってるつもりだったがどうやら本当に「つもり」だったらしい。おしまいまで言うより前に陣内から「ええい、鬱陶しい!」と新聞をギュウギュウに絞った紙バットで顔面をド突かれ、哲也は勢い余って後ろによろけて尻餅をつく羽目になった。横の方を見上げると真琴が頭が痛いと言わんばかりにこめかみの辺りを抑えて渋い顔をしていた。完全に呆れ果ててる表情だ。
「どう思うって言ったのは編集長じゃないですか!」
「やかましい暑苦しい顔で絡みおってからに!ウチは『探偵ナ〇トスクープ』じゃないんだそんな
『――お前はいつまで経っても半人前なんだ!』とでも続けようとしたのだろうが、残念ながらその先の言葉が紡がれる事はなかった。
直後これまでの比じゃないレベルでけたたましいブザー音が3回も鳴り響き、それ以上の言葉が発せられるのを阻止した。受け身を取り忘れた哲也と真琴も思わずその場で飛び上がるような感覚を味わい、陣内に至っては椅子ごと飛び上がった挙句着地に際して古くなった椅子の車輪が遂に折れたらしい。バランスを失ったままそれごとひっくり返って壁に頭を強打、更にその拍子に壁から外れた会社目標の書かれた額縁が顔面にクリーンヒットしたのがとどめになり、陣内は完全に沈黙してしまった。
パーテーション越しに奥さんの方を見ると社員の全員に『
「まあ貴方ったら社員の前でこんな時間からお昼寝なんてみっともない」
部屋から出る前になんかそんな声が聞こえた。こうなったの貴方のせいだと思いますけどね。
「…奥さんのアレってわざとなんすかね、天然なんすかね?」
「私に聞かないでよ…」
二人はとりあえず編集長はどうでも良いけど、奥さんに逆らうのはよそう、という結論に達しながら昼下がりの街に出向いていくのだった。
とりあえずここまで。これまで暗かったのでなんか少し明るくなりましたね。
相変わらず無駄に長いですが、いくつか今後に関わる重要なトピックを提示しました。どうかお見逃しのないよう…
他、今回登場した「一之瀬真琴」及び「陣内実篤」は今後のストーリーに関わる主要人物でもあります。是非今後の動向にご注目を。
煽る訳ではないですが、話に出てきた少女はかなり重要な役です。念のため。
…どうでも良い事ですが陣内にはモデルがいます。まぁアメコミに詳しい人ならひょっとしてお分かりになるかと
それでは続けてどうぞ。