ホテルへの短い距離。ほんの僅かなデートコースをアルダンと指を絡め合いながら歩いて行く。
「ここのお食事は美味しいので楽しみですね♪」
海に近いこのホテルは海鮮メインの和食が美味しいことで有名だ。アルダンも艶やかな空色の尻尾が楽しげに揺れている。
「そうだな。今日は昼食が少なかったからお腹空いてるんじゃないか?」
「ええ、少しだけ。とはいえ、本日は座ってばかりでしたので...」
いつも通りですよ、と微笑むアルダン。
彼女は病弱ではあるが、ウマ娘でありアスリート。ウマ娘の平均よりは食べる量が少ないが、成人男性と比較してもよく食べる方だろう。
あの身体能力を発揮することを考慮すると妥当な量だろう。....一部例外はあるだろうけれど。
「無理はしなくていいから適度な量の食事を採るんだぞ」
トレーナーとしては真っ当な指導だろう。そうに違いない。
「はい。...でもトレーナーさんも適切な栄養バランスの食事を心掛けてくださいね?」
真剣な顔で注意するアルダン。
本人に言うと怒られそうだが、優しい目つきのおかげであまり怖くない。顔は。
「うっ...はい」
しかし、アルダンの芯の強さや、時折見せる捕食者のようなオーラによって、彼女の言葉はひとつひとつの重さがある。
「ジャンクフードやエナジードリンクの類ばかり採られてはいけませんよ?めっ、です」
そして、真剣な顔の最後には笑顔で可愛らしく注意されるのだ。このギャップに抵抗できる生命体は存在するのだろうか?
「トレーナーさん...いつまでも健康でいてください。...ずっと、お傍に居たいのですから」
ぎゅっと握るアルダンの柔らかな手。俺も同じ力で握り返したのだった。
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「ここまで...ですか」
まるで今生の別れかのように離れるのを躊躇うアルダンの左手。
「続きは部屋でもできるから...」
とりあえずチェックインしよう。夕食までは少し時間はあるが、余裕はもちたい。
泣く泣くアルダンの体温を手放し、12階建てのホテルのロビーに入った。
「トレセン学園のメジロアルダンと専属のトレーナーです」
「メジロアルダン様とトレーナー様ですね。お待ちしておりました」
こちらはトレセン学園の運営母体とも繋がりがあるため、ある程度は融通が効くらしい。
「12階の和室スイートをご用意しております。こちらルームキーでございます」
カード式のルームキーを2枚渡される。
「ありがとうございます。あ、食事は部屋で頂きますのでよろしくお願い致します」
「かしこまりました。お食事をお持ちする際はご連絡致します」
アルダンが、あっと声を上げてフロントスタッフの方に質問する。
「そのお部屋...部屋風呂はありますか?」
「はい。お部屋には室内風呂と露天風呂がございます。どうぞご利用ください」
笑顔で答えるスタッフ。満足したらしく、いつもの優雅な笑顔を浮かべるアルダンだった。
「ありがとうございます。是非とも使わせていただきます。」
このホテルの風呂は基本的に天然温泉を引いてある。しかし、部屋に露天風呂が設置してある部屋は一部のみだ。
「ではよろしくお願いします。行こうかアルダン」
「はい、トレーナーさん...♡」
先ほどの優雅な笑顔とは質が違う笑顔。そんなに愛らしい笑顔を振りまいていると...そのうち関係が広まりそうだな。
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ロビーを抜けて、エレベーターホールへ向かう。
エレベーターはすでに待機しており、乗り込んで12階のボタンを押した。
扉が閉まり上昇を始めたその時、ふと気になっていたことを尋ねる。
「そういえば、今回は露天の部屋風呂にこだわっていたな」
アルダンは今回のホテルの予約の際に、露天風呂がある部屋が良い、と言っていた。アルダンにしては珍しく部屋の希望を出してきたのだ。
「ええ。ふふふっ...たまには景色の良いお風呂に入りたかっただけ...ですよ♡」
「なるほど...そういうことなら存分に癒されてくれ」
「はいっ」
静かなチャイムの後に扉が開く。毛の長い絨毯は足音がほとんどしない。
静かな廊下を歩き、海側の一番奥の部屋の扉を開ける。
「おお...!」
洋風の建屋の佇まいからはギャップのある雅な和室。
アルダンと同じ部屋に泊まるときは和室を選ぶことが多いのだが、これほどの部屋はあまりない。
ちなみに、アルダンと同室で泊まる際は、最初の頃は別々の部屋で寝ていたのだが、年数を重ねるごとにアルダンが一緒の部屋で寝たいと要求するようになり...最近はほとんど同じ部屋で寝ている。
「ふふっ...素敵なお部屋ですね。温泉はあちらでしょうか?」
浴室の扉を開くと、清潔感のある脱衣所の奥に黒を基調とした色遣いの広々とした屋内風呂が広がっており、その奥のガラス戸から露天風呂へアクセスできるようだ。
ガラス戸を開くと、そこにはパノラマビューが広がっており、少し欠けた大きな月が出た夜の海が見える。
大きな岩風呂は2人くらいならゆっくりと入れそうなほどの広さで、部屋風呂にしては豪華すぎるほどだ。
「おお!すごい!」
思わずはしゃいでしまった。一般庶民の俺はこんな豪華な風呂が部屋にあることに感動してしまったのだ。
「九州出身の人間としては温泉に浸かれるのが嬉しいよ...」
俺は生まれが九州で、クルマで10分走ればどこかしらの天然温泉に行けるようなところで育ったのだ。最近はあまり行けてなかったので嬉しい限りである。
「ふふふっ...トレーナーさんが楽しそうで良かったです」
おっといけない...仕事で来ているんだった。
しかし、パタパタと揺れるしっぽや幸せそうな笑顔から、アルダンの気分も高揚しているのが分かる。
さて....
「よし。食事の前に軽くストレッチだけやろうか」
部屋のクローゼットの中からトレーニングマットを取り出す。
ウマ娘が宿泊する事を想定されているのでこのような備品が部屋にも置いてあるのだ。
「はい。よろしくお願いします。」
明日は軽く走るトレーニングを入れるので、今日は移動ばかりで固まった身体をほぐす程度で済ますことにしよう。
「では、お願いします」
えんじ色のトレーニングウエアに着替えたアルダンが開脚ストレッチを始めた。
ガラスの足と言われたアルダンは人一倍柔軟とインナーマッスルの強化に注意を払う必要が有る。だからこの柔軟一つにしても大事なことだ。
「ふっ...ふっ...」
アルダンの肩を押しながら柔軟をしているのだが...
少し赤くなった頬に真剣な表情のアルダンの顔に思わず見惚れてしまう。
......本当に綺麗だ。
その美しさは、もちろん外見的な特徴でもあるが、内面の美しさ、芯の強さ、走ることが好きだという思い。その一つ一つがメジロアルダンの美しさを際立たせている。
「トレーナーさん...?」
静止した俺を不思議そうに見つめるアルダン。
いけないな。ちゃんと集中しないと。
「なんでもないよ。大丈夫」
その後は順調にストレッチをこなしていった。
このペースだとストレッチが終わっても食事まで1時間程度余裕が有るな。
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「よし。これくらいにしようか」
「はい。ありがとうございました」
少し汗をかいているアルダン。身体が冷える前に風呂に入った方が良いか?
「アルダン、風呂の準備は出来ているから、先に食事前に入っておいで。そのままだと風邪ひくぞ」
「はい。ではお先にお風呂いただきます」
アルダンは化粧ポーチと下着を…と、あまり眺めるものではないか。
「トレーナーさん...その...」
日報でも書こうかとアルダンに背をむけたとき、背中から呼び止められた。
「どうした?」
振り返ると、ウマ娘用の浴衣と羽織を胸に抱えたアルダンが立っており、少し頬を染めて何か伝えたい様子だった。
「その....ご一緒に...い、いえっ、なんでもありません...っ!」
と、慌てて脱衣所に向かった。
真っ赤な顔のまま、浴室に向かったアルダンだった。
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ボストンバッグの中に入れていたノートPCを取り出して、学園のシステムにログインして日報を作成する。
「アルダンの体調は...良好。今日の天気は...晴れ、と」
日付、アルダンの体調、天気、トレーニング内容と記入していく。とはいえ今日は移動がメインなので記入することは少ない。
ホテルに到着した時点で学園に一報は入れているが、一応、報告と記録を兼ねてトレセン学園サーバーに日報をアップロードした。
「こんなもんか...」
今回は重賞レースなどではなく、ファン交流を兼ねたイベントに近いレースに招待された形なのでアルダンにも気負わなくて良いと伝えてある。
しかし...感慨深いものだ。
アルダンが脚の弱さから、腫れ物に触れるような扱いをされていた頃が遥か昔のことのようだ。
彼女を見出したのは俺だ、などという身の程知らずなことをいうつもりは無い。
しかし、あのときアルダンは活躍できないと言い切ったトレーナーたちには声を大にして言いたい。
俺の大切なアルダンはこんなにも輝いているぞ!...と。
俺の愛バは歴史にその名を刻んだぞ!...と。
彼女は今や人気者だ。美しい空色の髪をなびかせてターフを駆ける姿に人々は魅了される。そして、走る姿やウイニングライブで踊る姿とお淑やかな普段の言動とのギャップ。言うまでもない美貌。
個人的な贔屓目も入っているかもしてないかもしれないけど、それを抜きにしてもあまりにも魅力的だろう。
そんな彼女に独り占めしたいと言われたことは夢だったのではないだろうかと当日の夜は思ったものだ。
翌日に普段通りに接しようとしたら、少しむくれたアルダンの方から甘えてきたので夢ではないことを実感したのだ。
想像してみてほしい。頬を膨らませたアルダンが「かまってください」とばかりに右手の袖を引っ張るのだ。
あやうく心臓が止まるところだった。彼女は自身の破壊力を認知していない部分が有る。しかし、一部は自覚して誘惑してくることが最近増えてきて心臓に悪い...
そのようなことを考えていると結構な時間が経過していたらしく、アルダンが脱衣所から出てきた。
いつも遠征先で見ているのに....しっとりと濡れた空色の髪に少しはだけた浴衣姿の彼女は凄まじい破壊力だった。