2025年、5月11日。
一度眠ればきっかり七時間半で意識が浮上する。そういうふうに慣れさせた身体が、いつものようにアタシに目覚めるよう命令する。
眠るのは時間が勿体なく感じてしまって嫌いだけれど、目が覚める感覚は嫌いじゃない。
さあ、今日も頑張ろう。そんな気持ちになれるから。
「ふぁ……さむ」
窓を開けて寝たのか。ひゅうと、五月にしては少し冷たい風が身体を撫ぜる。
欠伸をひとつ零して、アタシは伸びをした。
さてと。ベッドから落ちたのか知らないが硬い床の上で寝ていたようで体が痛い。それでも学校に行く支度をしなきゃ。アタシは皆勤賞なのだ。
「……?」
そこでふと、違和感を覚える。
辺りを見渡す。まだ剥き出しの鉄筋や真新しいコンクリート、所々に貼られたブルーシート。おおよそ、建設中の建物のように思える。当然ながら、まだ十六歳の女子高生であるアタシがこんなホームレスじみた生活をしているはずがない。
ていうか、ここはアタシの家なんかじゃない。
いや、そんなことよりだ。もっと大きな疑問がある。
────
「っ、夢じゃないのよね……!」
思い返せば、鮮明に。
昨日の出来事は全て真であると教えてくれる。
制服は所々、特に胸元が大きく破けて血に濡れている。何故か傷は見当たらないが、たしかにソレが胸に突き立てられた感覚は覚えている。
ああ、そうだ。ならばどうしてアタシは生きているんだ。アタシはたしかに玲と陰惨男に殺されそうになった。アタシ一人で挽回できるすべはなかった。
思い出せ、思い出せ。死ぬ寸前だったからってアタシの認識力は死んではいなかったはずだ。
……あ。
「あの女の人は……!?」
「おや、目が覚めたみたいですね」
その存在に思い当たると同時。当の本人が視界の端、階段を登って顔を出した。
ばっとそちらに身体を向けて身構える。
頭には小さな王冠。女性としての差を見せつけるような肉体を貴公子のような上品な装いで包み、その出で立ちはまるで麗人の如く。昨日、意識を失う前に見た時は白い甲冑姿であったことから、今のこれが彼女の普段着なのだろうか。だとすれば、なんとも気取っている。
状況的には彼女が助けてくれた事に間違いは無いのだろう。
だが、彼女はアタシを殺そうとしたあの男と同じような―――厳密には纏う雰囲気などは違うが―――存在感を放っている。
つまりは彼女もまたあの男と同類なのだ。そう見なすには十分過ぎた。
そんなアタシの警戒が伝わったのか、女は困ったように微笑むと口を開く。
「ふむ。安心すると良い。私は貴女の味方です」
「そう言われて信じられると思う?」
「ならば」
彼女はおもむろに腰から提げていた剣を鞘ごと取り外すと、アタシの方にとんっと蹴り渡す。
見るからに価値のありそうなそれは、恐らく彼女にとってはかなり重要な物。それを惜しげも無くアタシに預けるとは、肝が据わっていると言うかなんと言うか。
「随分素直じゃない。何か企みでも?」
「いや、違うよ。私はキミのサーヴァント、キミを護る騎士だ。だから、キミに危機が迫った時にはそれを返してもらいたい」
「……それで? アンタの望みは?」
まあ、なんとなくだが彼女の言い分は分かった。理由こそ分からないが、それでも彼女の真摯な態度には好感が持てる。話は聞こう。
「その前に、この状況について説明しても良いでしょうか? 先に前提を共有しておいた方が、私の望み……まあ、望みのようなものも伝わりやすいでしょう」
「分かったわ。それならその話、聞かせてもらいましょうか」
アタシが巻き込まれたこの状況について、根掘り葉掘り洗いざらい余すところなく話してもらいましょうか。
◇
「と、いう訳だ。ここまでは大丈夫か?」
「ちょっと待って」
「分かりました」
アタシは今にもパンクしそうな頭を抱えて、待ったを掛ける。
入ってくる情報を一度遮断して、整理に頭をフル回転させる。
「魔術、というのは何となくわかったわ。聖杯戦争についてもね。でも、これが解せない」
「?」
コイツ、首を傾げるだけでも絵になるわね。なんかムカつくわ。
「アンタ達は神話の英雄や過去の偉人なのよね? そんなアンタ達が、どうして今を生きる人間が作った聖杯なんて怪しいものを望むわけ?」
魔術、神秘、魔術師、根源。
要するに学問だ。才能と遺伝ありきのものではあるが、それでもそれは智の探究であってあまり難しく考えるものじゃない。
魔術とは魔力というリソースを用いて、起こせることを起こせる技術だ。
そしてそれを使うのが魔術師で、魔術師はその源、いや万物の原初にして帰着点である根源への到達を目指している。そう解釈した。
そして、根源を目指す方法はいくつかあって、多分だけどそのひとつが聖杯戦争という様式なのだろう。
彼女からの説明には、令呪を持つ魔術師、マスター────アタシも右手に赤い紋様の痣、令呪が刻まれていた────とサーヴァントが一組のペアとなって最後の一組になるまで殺し合い、万能の願望器である聖杯を求める戦いとしか言われなかった。
だが、これは間違いなく魔術的な儀式だ。おそらく聖杯は確かに器であり、起こせることは起こせるという魔術の原則に従った、純粋なパワーリソースとしての効力は持つだろう。
でも、その本来の目的は絶対に違う。何らかの方法で聖杯というシステムを完成、ないし起動させることで根源に到達する儀式なのだ。それぐらいズブの素人であるアタシにだって分かる。
「願い、があるからでしょう。英霊とて、確かに人間とは掛け離れた精神性を有する者、機械のような者もいたでしょうが、それでも各々の時代を生きて死んだ人間。未練の一つや二つも当然抱えているかと」
「そういうものかしら。それで、アンタの願いは?」
「マスターのサーヴァントとして尽くし、この聖杯戦争を終わらせることです」
「ふーん」
……信じて良いものかしらね。その態度からは悪意は感じられないけれど、虚偽である可能性はある。
そもそも名前すら知らない。聞いても答えてくれるようには見えない。
いいえ。ここはたとえ真実のように聞こえても、いっそ信じるべきではない。だって、彼女達にはアタシ達の常識が通用しないのだから。
そうだ。問題は、今を生きる魔術師ごときの呼び声に、英霊とまで呼ばれる存在に昇華された彼ら彼女らがどうしてサーヴァント、使い魔になってまで従うのか。
彼女の言う願いを仮定として、過去の改変、やり直し。未練の成就。思い浮かぶのはそれくらいだが、本当にそんなことができるのか?
聖杯とはそれほどまでに力を持った代物なのか。
もしそうなのだとしたら。
「……聖杯は危険ね」
「ああ、そうだとも。聖杯は軽率に触れることなど許されないモノだ」
魔術師の執念と言うべきか。そんな物を完成させるとは、恐ろしいものだ。万能の願望器は正しく使われるべきで、なんならそんなものは究極存在してはならないとも思う。
悪人の手に渡れば、人を人とも思わない非人間の手に渡れば、それこそ英雄の対となる怪物の手に渡ってしまえば。どうなるかは火を見るより明らかだろう。
それはそれで見過ごせない。たとえアタシに関係無い誰かのことであっても、
「……そんなに簡単な話なのかしらね」
「? どういうことですか?」
「いいえ、気にしないで。考え過ぎだと思うから」
それでも、アタシにはもう一つだけとある可能性が頭を過ぎっていた。それが頭から離れなかった。
最初から、サーヴァントとなった英霊が願いを叶える権利など無いという可能性。
サーヴァントとは、魔術師が根源に到達する為の体の良い犠牲に過ぎないのではないか? という予測。
サーヴァントには、そこら辺の知識は与えられていないようだから。この可能性はかなり信憑性を帯びているとアタシは考える。
もしもそうだとすれば、それはかなり気分が悪い。腹立たしい。端的に言ってムカつく。
アタシは理不尽が嫌いだ。大嫌いだ。相手がどんな存在であっても、理不尽な目に遭うことだけは許し難い。全ては最終的に落ち着くところに落ち着くべきなのだ。それは英雄や偉人、怪物の類であっても例外ではなく。
なら、英霊すらもそんなふうに扱おうと画策する魔術師とは、皆が皆そうではないのかもしれないが、どいつもこいつも大なり小なり人でなしであることには間違いない。
この聖杯戦争は、アタシの信条に反する。
こんなものを作った人間、魔術師とは反りが合わないということだけは確かだ。
そして聖杯戦争に参加する魔術師達はその真実を理解している可能性が高い。人でなしのバーゲンセールというワケ。
はー、全員ぶっ飛ばしてやりたい。いや、巻き込まれた以上はぶっ飛ばさないと気が済まない。
「だとすると、これから出会う他のマスターのことは安易に信じちゃいけないわね」
「! ということは、マスター」
バッとどこか嬉しそうに顔を上げた彼女には悪いが、アタシは聖杯になんて興味は無い。
この戦争に参加する理由も極めて私的なものであるし、むしろ、彼女の本当の願いがなんであれアタシのスタンスは彼女の利にもなるはずだ。
無論、聖杯戦争には勝利するが聖杯はくれてやる。アタシは、この土俵でアイツに勝つ。それだけで良い。
次いでに聖杯戦争を、本当に万能の願望機を掛けた戦いとして終わらせてやろう。これは一般参加者であるアタシの義務だ。
魔術も研鑽をしなくては。踏み込んだからには全力を尽くすのが流儀。ことが終わって実家に帰ったら魔術についての文献も探す。
やることは山積みだ。この戦争で死んでやるわけにはいかない。
まあ、なんにせよコイツの力は生き残る為に、なにより勝ち上がる為に必要だ。命を助けられた借りもある。ひとまずはアタシが信用することにしよう。
それでも主導権を握るのはアタシなわけだが。
英霊だろうがなんだろうが、アタシはそれを見上げるだけの人間じゃない。
「ええ、一応信じてあげるわ。アンタはアタシのサーヴァントで、アタシはアンタのマスター。しばらくよろしくね」
「はい、よろしくお願いします。明のセイバー、最後の時まで貴女のために剣を奮うことを誓いましょう」
セイバーは騎士のように跪くと、アタシの差し出した剣を受け取った。
それはまるで我ながらロマンチストにも程があるのだが、御伽噺のワンシーンのようで。
何より。この時、アタシは確かに嬉しかったのだ。
これで事情は理解した。アタシにもアイツと同じ舞台に立つ資格が出来た。ゼロがイチになった。
きっとアイツはアタシの何倍も上だ。いや、アタシがほとんどゼロに等しいイチである今、倍数では当てにならないくらい差があるだろう。
でも、アタシがアタシとして突き進む限り、勝てないわけじゃない。勝てないなんて不条理は許さない。認めるもんか。
────だってアタシは、テッペンを取る女なのだから。
◇
昇る朝日が、清々しいまでに澄み渡ったアタシを照らす。
これからが始まりだ。
待ってろ、冥定院玲。すぐに追い付いて、追い越して、踏んづけてやる……のは可哀想だから頭下げさせてやる。
「ところでマスター、学校は大丈夫なのか?」
「え、やば」
時刻は既に五時半。家まではどれだけ早くても一時間近くは掛かるだろう。
服を変えずに学校に行くなんてアリエナイ。皆勤賞を逃すなんてこともアリエナイ。全部達成する以外の選択肢は無い。
つまり、かなりギリギリの勝負だ。
「マスター、早速私の出番のようだな」
「え」
「道案内はお願いしますね」
セイバーはアタシをいわゆるお姫様抱っこする。嫌な予感しかしない。
「は、ちょ、待ちなさい……!」
「時間が無いのでしょう?」
嫌な予感は的中。彼女は聞く耳など持たず、それが正しいことであると歩みを止めない。
そして、あろうことかセイバーは一息にビルから
「こ、のっ馬鹿ァ!?」
「生前でもこの高さから飛んだことはありませんでしたが、なかなかスリルがありますね」
「経験無しとかなおさら最悪じゃない!」
「大丈夫! 心配するな!」
吹き付ける痛いまでの風と浮遊感。どうやらそこそこに高い建物であったらしい。アタシは気絶しそうになる意識を何とか意地で繋ぎ止める。
コイツ、後で一発ぶん殴ってやる……!!
それでも怖いものは怖い。
気概だけではどうにもならないことだってあるのだ。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁあ!?!?」
朝の街に、甲高い悲鳴が響き渡った。
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