小学生の時からアイツが嫌いだ。
それはもう大嫌いだ。
勉強も、運動も、教師からの評価も、何もかもアタシの一つ上にいる。
いつもいつも、アタシの上に居る。いつだって、超えることが出来ずにいるアタシを嘲っているに違いない。あのクソ女みたいに。
だから、アイツは必ずぶっ倒さなくちゃ気が済まない。
見てろ、冥定院玲。
アタシはアンタなんて眼中に無い。通過点に過ぎないんだから。
そんな気概を胸に、あの日も中学校の図書室で自習していたのだ。
図書室の顧問の先生はアタシの理解者で、だから閉める寸前までアタシがここに居ることを許してくれる。
アタシには才能なんてミソッカス程度にしかない。やれるだけの努力を理解して、それ以上の熱量でもって熟さなければ上を見るなんてことは烏滸がましく、すぐにアタシは追い越されてしまうから。
そうやって、いつものように時間いっぱいまで勉強した帰りのことだった。
『アンタ、何してんの?』
『……あなたは』
校門のすぐ側にあった大きな木の傍で、ぼうっと空を見上げて突っ立っている
そのまま帰ればよかったのだけれど、このまま無視して帰るのもそれはそれでなんだか癪に触った。
なんとも難儀な性格だと思うけれど、アタシはこれで後悔したことなど一度も無い。アタシの人生に後悔は似合わないから。するなら反省だけだ。
声を掛ければ、アイツは艶やかな黒髪を風に靡かせながら振り返ると、底冷えするような何も映していない赫眼でアタシを見遣る。
ぞくりとした悪寒。アタシの全てが、詳らかにされた本のページを軽く読み流すように容易く見透かされているみたいな不快感。
『ふん。アタシの名前なんて、アンタが知るわけないわよね』
正直視界に入れるのも腹立たしかった。
コイツのこの眼が嫌いなんだ。何も考えないようにしている、のではなく何も考える必要が無いとでも言うかのような超然的な視線が。
でも、初めてソイツと面と向かって対峙したその日だけは、いつもと様子が違っていて。
『瀬能機空祢さん、ですよね?』
『っ……ふ、ふーん。アタシの名前、知ってるのね』
別に嬉しくなんてないし。
……でも、まさかこの女がアタシのことを覚えているなんて思いもしなかった。
だから、この女の中にアタシという存在が確かにあるということが分かって、そう、ほんの少しだけ気分が良くなっただけ。
『ええ、それはまあ。貴女はいつもわたしの一つ下にいますから』
コイツぶっ殺す。
泣いても許してやるもんか。
『……アンタ、見てなさいよ。すぐに追い抜いて吠え面かかせてやるんだから!!』
『ふふ、そうですか。それは楽しみです』
『っ』
その微笑みは、先までと違って本当に少しだけ生き生きとしているように見えて。
『どうかしましたか?』
『な、なんでもないわよ! ってか、近い! 離れなさい!』
惚けていれば、目の前には整った相貌。アタシは慌てて距離を取った。
ていうか顔が良すぎてムカつくわね。腹立たしいわ。
やっぱり、アタシはコイツのことが嫌いなんだってよく分かった。
……でも、そっか。
コイツでもそんなふうに笑うことがある。人間と変わらないんだ。
それなら、アタシは越えられる。
夕陽がアタシ達を照らす。
空に手を伸ばす。煌めきはじめた一番星を握り締めた。
今は見上げることしかできないけれど。いつしか必ずアタシは……。
────ああ、これだ。
これがアタシの
◇
暁月私立第一高校のホームルーム開始五分前を告げる予鈴が鳴る。
最終登校時間ギリギリ。アタシは滑り込むように自らの椅子に座った。
「間に合った……!」
『良かったなマスター』
「(アンタねぇ)」
確かに間に合ったことは良かったと言えるだろう。
だが、なんの説明も無しに紐無しバンジーを敢行させられたことは忘れていない。
手元にハリセンがあって、なおかつコイツが
「(ていうか、念話ってこれで良いの?)」
『ああ、聞こえている』
声には出さず、身体の内側に意識を向けて繋がりを辿るようにして姿の見えない───曰く霊体化中の───セイバーに話し掛ける。
マスターとサーヴァントとの間にはパスが繋がっていて、アタシ達は声に出さずとも念話という形でこうして意思疎通が図れるらしい。
教師の朝の連絡事項を取捨選択して聞き流しながら、セイバーとの念話を続ける。
「(しかしまあ、魔術って一言に言ってもそんなに難しいものじゃないのね)」
『うーん、それはマスターだけだと思いますが……』
「(ま、もちろん時間を掛けて正しく研鑽を積まなきゃ一流は愚か二流にもなれないでしょうけど。でも、今だってやれるだけのことをやればこれくらいはできるものよ)」
今普通に着用しているこの新品同然の制服も、実は魔術によって修繕したものだ。今はそれに折を見て強化の魔術を掛け続けて、魔術的感覚を養う訓練を並行している。
セイバーに魔術師、というより簡単ではあるが魔術使いとしての素養があって良かった。魔術回路の励起も、基礎的な魔術の使い方や訓練方法だって一度聞いてしまえば後は実践。ただでさえ遅れているのに、その実践までの過程で膨大な時間を費やすのはただの阿呆だ。
『マスターは天才なのですね』
「(……違うわよ。アタシは単に要領が良いだけの秀才。本当の天才っていうのはアイツみたいなヤツよ)」
『ランサーのマスターか』
「(ええ)」
ていうか、アイツは今日学校に来てるのかしら。
昨日アタシのことを殺そうとしておいて、さも当然のように学校に来ているとしたらなんとも猟奇的だが、アイツならそれもまた有り得そうではある。
『それよりマスター』
「(? 何かしら)」
セイバーの声が険しくなったのを理解して、すぐに真面目な話であることを察する。
アタシの予想通りだとしたら、まあ悠長に待っている手間が省けるというものだが果たして。
『この学校の中に、ランサーのマスターとは違う魔術師がいるぞ。サーヴァントかは分からないが、強い気配もある』
「(……へぇ。案外、世間って狭いものね)」
『知人かも知れないぞ?』
「(関係無いわ。ぶっ倒すだけで、殺すつもりは無いし)」
予想が当たってつまらないと言うべきか、むしろ予想が当たったことを驚くべきなのか。
とまれ思ったよりも、神秘の世界というものは身の回りにあったらしい。
要は、この学校にも聖杯戦争に参加するマスターがいるということ。
もしかすると、アタシがこうして魔術に触れるずっと前から。
それなら話は早い。
先ずは一組。幸先良く撃破して行きましょ。
「おい瀬能。間に合ったじゃないぞ」
「あ、ユニちゃん先生ごめんなさい!」
「ユニちゃん先生もやめろ」
それはそうと、一限目がユニちゃん先生で助かった……。
◆
「マスター、どうやら七騎揃ったようだが」
「まだです」
5月11日深夜、明星タワー。
暁月市を一望できるガラス張りの地上572メートル。
その頂上、月明かりのみが照らすそこで女────冥定院玲は静かに微笑んだ。
突き立てた黒槍に寄りかかり、己がマスターとするその女の隣で黒い外套を風に揺らす男、夜のランサーはその発言に怪訝な視線を向ける。
「この聖杯戦争、集いしサーヴァントは全十騎。無論このまま始めてしまっても構いませんが、六騎を潰した後に再び三騎を潰すのでは二度手間でしょう?」
「よく言うものだ。相手は歴史に名を残す英霊達だぞ? もう少し言葉は慎んだ方が良い」
玲の強気な発言は、ともすれば英霊達を下に見ているとも取れる。
だが、それを諌めながらもランサー自身すら目の前の怪物なら事も無げにやってしまうのではないかと確信めいたものを感じていた。
「ランサー、貴方も分かっているでしょう?」
「……ああ、そうだな。マスターが本気でやれば、この世界の大体の事象は
ランサーの言葉にええと頷くと、玲は瞬きにも満たない間瞑目し、そして開いた眼で虚空を見つめる。
「……この通りです」
「うわ、いきなりやられると気持ち悪いなこれ。勝手に
おぇえと大振りに吐き出す仕草をするランサーに微笑みかけると、玲は気を取り直すようにこほんと咳払いを一つして口を開く。
「大丈夫。今視せた通り、心配せずとも明日には全員出揃います」
「そうか。なら、もう少し待つとしよう」
「ええ、それが良いでしょう」
貼り付けたような笑みを崩さない己がマスターに、ランサーはやれやれと辟易したように頭を振って霊体となって宵闇の空に溶けた。
その間際、ランサーが思い浮かべたのは自身の槍で殺し損ねた勝気な少女のこと。
「(この女をあそこまで人間のようにするなんてな。あの娘、いったい何者なんだか)」
しかしまあ、多少の慈悲を掛けた昨日とは違い、次に会った時は単なる敵同士でしかない。
ならば自分は殺すだけだ。あの戦争の時と何も変わらない。
相手を殺し、殺し、殺そう。理不尽に殺されるその時まで。
「(まあ、今回ばかりはあの時の理不尽を覆すためなんだがな)」
ランサーは憎き神々と寵愛されし英雄を脳裏に浮かべて、酷く冷たい笑みを浮かべた。
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