「アンタ、待ちなさい」
「え、わ、私ですか……?」
放課後。校舎と特別教室棟とを繋ぐガラス張りの渡り廊下で、遠くに見えるその背を呼び止めた。
毛先を白いリボンで纏めた腰ほどまでの紫紺のロングヘアーを揺らしながら振り返った少女は、びくりと怯えた様に身体を強ばらせて、目元まで伸びて鬱陶しそうな前髪の隙間からアタシを見据える。
その様子からは、お世辞にも彼女が聖杯“戦争”などと血なまぐさそうな戦場に縁のある人間には思えない。
「(ねえ、セイバー。本当に彼女なの?)」
『魔術師か、それに関係する者ではあるようですが……』
まあ、直接問い質してみれば分かるだろう。彼女、腹芸なんて出来そうにないし。
仮にこれで本当は腹黒極悪人でしたって言うなら、この目の前の少女がアタシより上手の演技者だったってだけのこと。戦場でぶちのめすだけだ。
ズカズカと歩いて彼女の前に立てば、アタシは上を見上げて内心驚きを隠せなかった。
「でっか……」
「あ、あの……」
リボンの色から察するにアタシと同学年のようだけれど、彼女はそれはもう大きかった。全体的に。
アタシは身長160cm弱だけれど、彼女はアタシが見上げなければならないほどに大きい。多分180cmくらいはあるんじゃないだろうか。
呆然としかけたところで咳払いをひとつ。気を取り直してアタシは目の前の少女に話し掛けた。
「単刀直入に聞くわ。アンタ、魔術師?」
『単刀直入過ぎでは?』
「……っ!?」
『分かり易過ぎでは?』
前髪の奥で目を見開いたのが分かった。
ビンゴ、かしらね。魔術の存在を知っている、マスターであるかどうかはともかくとして何らかの収穫は得られるはず。
困惑するセイバーを他所に、アタシは右手の甲、正確にはそこに宿る赤い紋章を見せながら尋問を続けた。
「それで、これが何か分かるかしら?」
「……! な、なん、なんですかそれ」
「ふーん、分かるのね。なら、セイバー。出てきなさい」
「いや、マスター、流石に誘導尋問が過ぎないか?」
霊体化を解除して隣に現れたセイバーに、少女は目を剥いて後ずさった。
ここまで簡単だと、ちょっと可哀想になってくるわね。
しかしこれでもサーヴァントが出てこないか。となると、単なる在野の魔術師っていうだけの可能性もある?
……はぁ。ま、もしそうだったら流石に悪いわね。
「大丈夫。大丈夫よ。アンタがアタシに手を出そうとしない限り、アタシ達もアンタに何もしないわ」
「……ほ、本当です、か?」
「ええ」
まだ信じることはできないようだが、この会話のイニシアチブを握っているのがアタシ達だということには気が付いているらしい彼女は、渋々頷く。
「それで。アンタの名前、聞かせてくれる?」
彼女は恐る恐る口を開いた。
◇
「なるほどね。紫に令呪は宿らなかったと」
「はい……私が、駄目な娘だから……」
「その環境のせいにしないところは良いと思うわよ。その卑屈さが単なる言い訳になってなければ、ね」
「そ、それは……私にも、分からない、です」
まあ最初から薄々分かってはいたことだが、彼女は根っからの卑屈タイプらしい。それが生来の物か、所謂“魔術師”的な家庭環境故に根付いた物なのかは知らないし確かめようもないことだから、アタシにはどうでも良いことだが。
校内のテラスに設置されているベンチに場所を移していたアタシと彼女との間には既に最初ほどの緊張感も無く、紫へのほとんど形だけの尋問を続けていた。
「ま、いいわ。時間を取らせて悪かったわね」
「は、はい。あ、いえ、ごめんなさい、何も教えられなくて」
「いいのよ、別に。マスターじゃないって分かった時点で、何かアタシの知らないことを聞ければ良いなってくらいだったんだから」
申し訳なさそうに眉を歪める紫に、アタシは気にしないようにと微笑みかけてベンチから立ち上がる。
「あ、あの……」
「うん? まだ何か言ってなかったことでもあるの?」
「えっと、そう、ですね……実は……」
どうやら、思ったよりも心を開いてくれていたらしい。印象は最悪だと思っていたが意外だ。
紫はゆっくりと言葉を選ぶようにして続ける。
「昨日、家に外国の魔術師の方が訪ねて来ました……わ、私は何も聞かされなかった、んですけど、その方が帰った後、うちの両親がとても喜んでて……」
「ふーん、賄賂でも貰ったのかしら?」
「そ、そんなことはない、と思うんですけど……お父さんがこれで私を時計塔に送り出せるって……」
時計塔? 何かしらそれ。
もしかして、ロンドンの時計塔のことを指している? 文脈からして魔術師と関係があるようだし、送り出せるって言葉はその時計塔が魔術師にとって特別か、もしくは栄誉的な場である可能性が考えられる……。もしかすると、時計塔は魔術師達の総本山だったりするのかしら。
「えっと、時計塔、って言うのは……」
視線で紫に説明を求めれば、私が魔術師一日目であることを知っている彼女は丁寧に説明してくれた。
曰く、私の予想通り魔術師達の総本山とも言える場所であり、表向きは魔術師達の学校、カレッジのような物も兼ねているらしい。落ち目らしい鈴蘭家にとって、後継ぎをそこに送り出せることは一種の権威表明でもあるようだ。
なんとも貴族的というか、なんと言うか。まあ、形も大切なんでしょ。アタシとしては全く賛同したくない世界だけど。そういうのが時には必要なんだってことにも一応の理解は示せるつもりだ。
「なら、その家に来た魔術師っていうのは、時計塔のお偉いさんってわけね」
賄賂、もしくは裏口入学とでも言うべきか。彼女の父親はそのお偉いさんからの推薦と引き換えに、なんらかの情報を与えたと見るべきだろう。それはこの暁月市の情報か、この地の他の魔術師の家系についてか。はたまたその両方、それ以上のナニカについて。
そしてこのタイミングでそれを求めるということは……。
「十中八九、マスターと見るべきね」
「あの、あの、その男の人、とても怖そうな人でした……機空祢さんも、お気を付けて……」
ふうん? 心配してくれるんだ。
ま、アタシに限って言えばそんな心配は無用だけど。ありがたく受けとっておきましょ。
「でも、どうしてアタシにそんな気を許してくれてるわけ?」
「……別に、気を許すとかじゃ……ただ、その……」
「ま、聞かないでおくわ。あんまり興味も無いし」
ありがとね、そう最後に声を掛けてアタシは踵を返すとその場を後にする。
変に情が移ると弱点になる。これ以上関わりが生まれないことを願うばかりだ。
『サーヴァントらしき気配は無い。恐らく、鈴蘭紫さんは非マスターで確定だろう』
「(ということは、誰かが彼女を付け狙っているか、はたまたその逆かってことね……)」
テラスに移ってからは霊体化していたセイバーが念話してくる。
順当に考えれば、そのマスターであろう時計塔から来た魔術師のサーヴァントという線が濃厚であろうが、どうにも事は単純で無さそうな気がする。直感としか言えないが、それなりにアタシを助けてきてくれたこの『待った』を掛けてくる感覚は無下にもできない。
……もうちょっと前後の行動について紫に聞いておけば良かったかしら。まあ、今更考えても仕方がない。
「(収穫はあった。今はそれで良しとして、家に帰ってからもう一度出直しましょ)」
『そうですね。切り替えは大事です』
「(……今朝から気になってたんだけど、そのちょくちょく話し方が変わるのなに?)」
アタシがそれを問い掛ければ、帰ってきた無言の中にはどこか誤魔化すような曖昧さを感じた。
つまり、まだアタシが踏み込む段階じゃないってことか。
真名も教えてもらってないんだし、マスターとして認められてはいてもまだまだ背を預ける者として信頼はされてないらしい。その話し方についてだって、正体に関係があるから伏せているのだろう。
そしてその理由がアタシの未熟さにあることだって分かっている。
「いけ好かない騎士サマね」
ふん。見てなさい。
今週中にも、アンタは全てを預けさせてくださいとアタシに懇願するようになるんだから。
◆
「アサシン、どうでしたか?」
「……まだ、脅威には成り得ないかと」
時の忘れもの。
新都心候補として栄える暁月市の中で、忘れ去られたかのようにひっそりと路地裏に構える喫茶店。
鍛えられた体つきの堂々とした初老の男が、閉店前のひと仕事とマグカップを綺麗に並べる中、カウンター越しの背後に髑髏面を付けた男が
その隙のない佇まい、尋常ではない雰囲気。素人目に見ても、彼が只者では無いということくらい理解できる。
髑髏面の男アサシンのサーヴァント、そのマスターである志村一太郎はゆっくりと振り返ると、首を振ってアサシンの報告をやんわりと否定した。
「いえ、そちらではありません。貴方に守らせるよう頼んだ少女の方です」
「……其方の方も、今はまだ問題は無いと判断した」
ふむ、と頷けば志村は「あなたの判断ならば問題はないでしょう」と納得し、その労を労った。
「……マスター、良いのか?」
「はい。わたくし達の目的は、この街を、この街に住む人々の生活を壊させないことです。とびきりの悪玉でもなければ、こちらから出る必要はありません」
「……そうじゃない」
アサシンの言いたいことを理解している志村は、みなまで言わなくても結構と瞑目して首を振った。
無論、このような状況下では情などでいたずらに肩入れすることは無い。それは例え自分のような完全にはみ出した存在であっても、いつかは大きな揺り戻しとなって足を引っ張るに違いないのだから。一世紀の時を生きてきたのだ、それくらい身を持って体験している。
それでも、志村にとっては、たまたまこの店に訪れて悩みを聞いただけの
しかし、まあ、もう心配はいらないだろう。
彼女と関わりを持ったのなら尚更に。
「そう、悪いことにはならないでしょう。今日限りで彼女の護衛も終わりです。ご苦労さまでした、アサシン」
「……マスターがそう言うのなら」
一度、たった一度きり。一年前、とある少女のその心に触れたことがある。
あの時も、先日の鈴蘭紫の時同様にその思い詰めたような顔を放っておけなかった。多感な時期ゆえの悩みだろうと高を括っていた。
年長者ゆえの好々爺的な、お節介焼きの世話程度のつもりでしかなかった。
───そして一人が内包するにはありえないような、強すぎるほどの超克心、反骨心、精神力に触れたのだ。
「あれは、到底
彼方の眩い光を見るように、目を細める。
それは、そう。目の前にいるアサシン、この地に続々と集うサーヴァント達に近しい精神構造とでも言うべきか。
初めてのことだった。人間が秘めるには強過ぎる因果律にすら干渉してしまいそうな感情と意思の奔流。どう転んでもなるようにしかならない人間の究極系だった。
そんな少女が近くにいるのならば、余程のことでも無い限り、悪いふうになるとは思えなかったのだ。
「アサシン、これからこの街は動き出します。力を貸してください」
「……是非も無い」
頼れる寡黙な暗殺者の快諾に頷いて、老兵は聖杯戦争と躍動する暁月市の未来に思いを馳せるのであった。
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