「アーチャーは、ジェームズ・ボンドって知ってマスか?」
見るからに快活そうな白人の女の問い掛けに、アーチャーと呼ばれたスリーピースの黒いビジネススーツ姿の日本人男は、その幸薄そうな顔をあからさまに不愉快そうに歪ませた。
「聖杯から与えられた知識の中にはある。どうしていくつも重要な知識が抜けている中で、そんなどうでも良いものが与えられているのかは甚だ疑問だが」
「ワオ、聖杯もなかなかにロマンが分かるみたいデース」
「……それで? そのジェームズ・ボンドが何なんだ?」
仕方ないから聞いてやる。
滲み出る嫌そうな雰囲気を一切隠すことなく、アーチャーは己のマスターである女、ジュディス・コールマンに話の続きを促した。
「まだワタシがティーンだった頃、ある人が私を助けてくれマシタ」
「そいつが、まさかジェームズ・ボンドだったとでも?」
昔を懐かしむように、女はスカイブルーの眼を細める。
その様はどこか、誰かを憐憫しているようにも見えた。
「彼は……不器用デシタ。どうにもジェームズ・ボンドのようにスタイリッシュではなかった」
「それはやり方、という意味か?」
「アー、フーム。そうデスね、確かに彼のやり方は効率的で、無駄の無いスマートなものだったと思いマス」
「……いい思い出なんだな」
アーチャーの言葉に気恥しそうにはにかみながら、ジュディスはええと頷いてみせる。
確かにいい思い出と言えるだろう。
妹のために執行者として働き出してまもなかった頃のこと。まだ右も左も分からないような状態で、ともすればあの時彼が助けてくれなかったら自分は死んでいたに違いない。
能力とガッツは足りていた。だけれども、圧倒的に経験が足りなかった。
その点、彼は突出した一つの才能を磨き上げ、様々な応用と誰も辿り着けない秘奥を生み出した経験の人であった。
「正直、今思い返してみればあまり良い男とは言えないデース。あれに引っかかるのは生娘くらいのもの。とにかく歪んでマシタし」
正義の味方になるために、天秤の役割を選んだ男。
あの時は背伸びしたくて、彼の苦悩が分かったつもりでいたけれども。今になって思えば、実際は一ミリも理解出来ていなかったのだ。
数多の戦場、死線を潜り抜けた今だからこそ分かる。あれは
「それは、まあ、確かに不器用だな」
「アーチャーも十分不器用だとは思いマスが、彼は筋金入りデシタね」
「俺はそこまで不器用じゃないぞ」
似たようなものであることには変わりないだろう、とは言わなかった。天真爛漫、豪放磊落、天衣無縫を地で行く女と言えども進んで地雷を踏むような真似はしない。……普段は。
「結局、何が言いたいんだ?」
「どれだけハンサムでもせっかちはモテないデスヨ?」
余計なお世話だ。鼻を鳴らして微かに苛立ちを滲ませた男は、痺れを切らしたように答えを求める。
どうやら言葉遊びはあまり好きではないらしい。遊びの無い男だ。
目の前の本人が聞いたら大層機嫌を損ねるであろう言葉を飲み込んで、ジュディスは代わりに男の望む答えを口にする。
「あの明のセイバーと名乗った
「ジュディにはそう見えるのか」
「イエス。どことなく彼にも似てますし、間違いないデース」
先までの遠い昔に思いを馳せるような眼ではなく、獲物を狙い爛々と光る鷹の目、狩人の視線を向ける。その先には今まさに決着が着こうとしている剣士の英霊達の死闘。
「ジェームズ・ボンドも彼も、そしてあのサーヴァントにも一つだけ共通点がありマース」
「ほう?」
「冒険の度にたくさんの女の子と仲良くなるハンサムなプレイボーイ、要するに彼らは生まれついての
主人公。
なるほど、言い得て妙だ。分かりやすい。
彼らはいつも大胆不敵で、どんなに苦境に立たされても全てをひっくりかえしてしまう
もう、恋を知らない乙女なら一発で惚れてしまうだろうとも。
「ああいうサーヴァントは、最後まで残しておくに限りマース」
「マスターがそう言うなら、俺はそれに従うだけだ」
「でも、夜のセイバーもまだ倒したら駄目デスヨ。しばらくは様子見しまショウ」
依頼の遂行に私情は挟まない。しかし、経験則から言えばああいうタイプは残しておいてもそう悪い方には進まないだろう。
それに、あのレベルの手合いなら予想外の事態に陥ったとしても対処はあまり難しくない。
「グッドラック、アーチャー」
「ジュディこそ、相手はアサシンとはいえサーヴァントだ。視誤るなよ」
それだけ忠告を残すと振り向くことなく、明のアーチャーは
「ハァ……戦いに行くわけじゃないんですカラ、そんな心配しなくテモ。だからモテないんデース」
当然と言えば当然。しかし、妙に過保護なアーチャーの背に文句を垂れてジュディスもまた屋上を後にするのであった。
■
「ぐぅ……」
「驚かされましたが、技巧だけでは越えられない壁もあります」
「はっ、確かに、それはそうでやがりますね」
切れた額から流れる血を拭いながら、膝を着いた明のセイバーは腹立たしげに眉を顰めた。
反対に夜のセイバーはかすり傷こそあるものの大したダメージは負っていないように見えた。
「……宝具か、スキル……そのどちらか、もしくは起源由来のなんらかでしょーね」
相当数の打撃は入れたが、それでもダメージはあからさまに少ない。在り様柄、怪物や混沌、悪といったアライメントに特攻を持つ自分たちの一撃がだ。
そうなれば、なんらかの要因が必ずある。
その目は隙なく構えられた黄金の剣に向けられていたが、夜のセイバーは一切取り合うことなく、とどめを刺す為にゆっくりと距離を詰め始める。
マスターにアレを使っていなかったとすれば、また結末は変わったのかもしれない。もしくは
そんないくつものもしもという考えが頭を過って、それこそらしくないと明のセイバーは余計な考えを振り払った。
さて、どうしたものか。
どうすれば現状を打破できるか。迫る
そうして、既に自分だけでは袋小路、所謂お手上げであることを悟った明のセイバーは苦々しさを多分に含んだ笑みを浮かべてドカりと座り込んだ。
「ああ、何も出来ねえですね」
「潔いですね。結構。これで終わりにしましょう」
「……ええ。
スタイルを変えたお陰で時間稼ぎはできた。ここまで来たら外しようもないだろう。
ふっと、明のセイバーの獣じみた雰囲気が霧散して。母のように柔和で、いたずらが成功した子供みたく無邪気な笑みを浮かべる。
何を。夜のセイバーがそう思った時には既に遅い。
「ッ!?」
「────やはり、人間を相手取るようにはいかないな」
がんっと鋼と鋼の打ち付け合う音。
紙一重。正にそう言うべき瞬きの間。
遥か宵の空より重力を味方に振り下ろされた抜き身の刃に、夜のセイバーが反応できたのは奇跡と言えた。
「アサシンのサーヴァント……!?」
「そう思うか?」
現れたのはスーツ姿の男。だが、その雰囲気は常人のそれではない。何より背から生える黒翼がその存在の超常性をこれでもかと訴えていた。
距離を取ったその男はバサりと黒い翼を羽ばたかせると、もうひとつの得物を夜のセイバーに向けて構える。
それは、
聖杯に与えられた知識の中から正解を探し当てると、男の外見を再び一瞥して夜のセイバーは歯噛みした。
「……悪い可能性を引き当ててしまったみたいですね」
「退け。今、これ以上の戦闘を行うと言うのであれば、俺はこちらのサーヴァントを援護することになる」
こちらのサーヴァント、それが明のセイバーを指していることは疑いようもない。
逡巡することなく、夜のセイバーは予めマスターから与えられていた作戦に従うことを選んだ。
「分かっています。これ以上はやめておきましょう」
夜のセイバーはそれだけ言うと踵を返して、夜の闇へと霊子となって溶けて行った。
それを見届けて、男、明のアーチャーは得物を下ろして後ろの明のアーチャーへと振り返る。
その雰囲気は当然、友軍に向けるような穏やかなものでは無い。
まるで気味の悪い何かを前にしたかのように、男は訝しげな顔を隠そうともしなかった。
「どこまで見えている?」
「……さあ、どうでしょう」
「ふ、食えない女だな。まあ良い」
元から答えなど期待してはいなかった。今回は単にマスターのわがままに付き合っただけで、次に会えば滅ぼすだけの相手だ。
それは明のセイバーも理解している。
「助かった。礼は言っておく」
「殊勝だな。しかし、情けはかけない」
「当然だ。なんなら、ここで戦っても構わない」
ふっ、と笑みを見せた目の前の満身創痍のサーヴァントに、ここでとどめを刺すべきだと直感が騒ぐ。
思わず向けそうになる得物をしかし堪えて、再び明のアーチャーは明のセイバーを見遣る。
あと少し傷が深ければ身体を保つことも無理になりそうなほどにズタボロで、もし仮に明日明後日に相見えたとしても一方的に降すことができるだろう。
「勝算はあるのか?」
「ありますよ。いつでも」
「そうか」
明らかな強がり。だが、この手の人間と縁がなかったわけでもない。敵ではあったが、個人的な感情で言えば嫌いではなかった。その得体の知れない余裕と力を相手取るのは願い下げだが。
妙ちきりんな話し方をするかつての敵を思い出して、男は似合わぬ微笑みを浮かべた。
「お前の本気は見たくないが、今ここで始末することは認められていない。拾った命を喜べ」
「認められていない、か。貴方のマスターは随分と奇人の類らしいですね」
「……」
沈黙が答えだった。
明のアーチャーは背を向けると、翼をはためかせて来た夜空へと帰って行く。
「今の私じゃ端から勝てはしないさ。だが、マスターにダサいところは見せられないからな」
明のセイバーは不敵に微笑むと、傷だらけの体を引きずるように己がマスターの元へと歩き出した。
□
「あーもう! あんの、ホスト面ぁ!」
夜の工事現場にアタシの怒声が響く。
それもそうだろう。
向こうは明らかに手札を温存していたとはいえ、アタシとてそれは同じだった。その上で一様の拮抗を見せていたのだ。
そんな中で唐突に「あ、やべ。決着はまた今度にしよう、お嬢さん。それじゃ!」なんて軽く言われて逃げられたとあればたまったものではない。
この不完全燃焼極まりない状況、本来なら格下のアタシにとって不幸中の幸いとでも言うべきものであるのは分かっている。いるのだが、それはとしてアタシの感情は引き下がれないままだ。
「……どうしたものかしら。どこかに丁度良さそうな主従でもいれば手っ取り早いんだけど」
我ながらなんとも命知らずで物騒なことを宣いながら、渋々来た道を戻る。
向こうが撤退したということは、サーヴァント同士の戦いにも何かしら動きがあったと考えるのが妥当だろう。
パスは繋がっている。その感覚はある。だから騎士サマが初っ端から脱落だなんて情けないことは恐らくないはずだ。
一先ず合流を急ごう。そう考えて足を早めたその時。
「……?」
白いガードフェンスの曲がり角の先に見えた人影に、アタシはその足を止めた。
「ユニちゃん先生?」
そう呼びかければ、アタシよりも幾分か低い背丈のその人はハッとしたように白衣を翻しながら振り返った。
「……瀬能機空袮?」
「はい、瀬能です。で、ユニちゃん先生、どうしてここに?」
そこにいたのは白銀の長髪とベレー帽が特徴的な少女……のような容貌の女性。
ユニちゃん先生こと、ユニティシア・エルフィールド先生。
少し前にアタシの通う暁月第一高校にやってきた新任の先生だ。
まだ半年程度の付き合いだが、思わぬ知り合いとの遭遇にアタシは面食らうばかり。
「ユニちゃん先生はやめろといつも言ってるだろう。それに、どうしてここにと聞きたいのはボクの方だ。事の次第ではボクとて君を補導せざるを得ないぞ」
「え、っとぉ、ですね……あはは」
一般からすれば全くもって不可思議なドンパチがあった工事現場に、何の関係もないであろう女生徒が一人。
さて、なんと説明したものか。
眉間に皺を寄せる先生に、アタシはしどろもどろになりながら言い訳を考える。
「……っ」
初めての実戦の後で集中が途切れていたのだろうか。何も考えずに頬に当てた右手。
それを見た先生の顔色が変わったことに、言い訳が出来ないと観念してからようやくアタシは気が付いた。
サッと右手を、正確には令呪を背に隠す。
「あーっ、とこれはですね! その、なんと言うか……!」
まずい。ただでさえ不良のレッテルを貼られる直前だと言うのに、こんな
形相を変えて必死に言い訳しようとする。正直苦しいけどなんとしてでも優等生の印象は守らないと!
「ええええ、えっと、これは、刺青のシー「────瀬能、まさか聖杯戦争に参加しているのか?」ル……へ?」
へ? 聖杯戦争? なんで?
予想外の問い掛けに、今度こそアタシは固まるのであった。
今ルート非マスター組も出していきたいところ。
感想、誤字脱字報告お待ちしてます。