美少女アクゲーに転生しました!! 無力な男にどうしろと!?   作:伸縮大王

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昔のお気に入りのギャルゲーの真似です
その癖に、今回は話数に組み込みます
七〜九話の間くらいです

他にも幕間とかをやると思います
やらないとも思います




十ニ話 fragment.『夜、思惑、歯車』

 

──時は、翔太郎が門矢 陽樹(ヒビキ)の代わりに、歌奏(カナデ)の面会に行った日に遡る。

 

 

明かり一つない、ある一室。

そこで、少女は椅子に縛り上げられている。

長い髪に、編み込みを耳の後ろに束ねた金髪を携え、瞳は青い少女。

外人を思わせるその風貌は疲弊の色に塗れていた。

 

周りには、開けられた格子のある小窓以外、何もなく。

代わりに、数人の男達。

手には様々な種類の銃器を持ち、少女を見下ろしている。

 

「──”おら、顔上げろ、ガキ”」

「……っ」

 

日本語ではない、外国語。

それを喋る男の一人が、少女に近づくと、彼女の髪を乱暴に掴んで持ち上げる。

苦悶の表情を浮かべながらも、少女は男を睨みつけた。

 

「”ハッ。まだ威勢が良いな。『貴族』ってのは、頑丈な奴でも揃ってんのか?”」

「”そりゃ良いや! さっさと犯しちまおうぜ! こんなガキ、『貴族』っつっても、落ちこぼれなんだろ?”」

「”バーカ。今、傷物にしてどうすんだよ。お上の指示があるまで我慢してろ”」

「”どうせお飾りの人質だろ? 便器にしようが、何しようが関係ねぇよ”」

「”駄目だ。どうせ味見させて貰えんだから、それまで楽しみにしてろ”」

「”チッ。生殺しかよ”」

「……」

 

男達の下世話な会話に、顔色一つ変えず、少女はただ睨みつけるのを辞めない。

 

そんな少女に、髪を掴んだ男は顔を近づける。

 

「”ま、どっちにしろだ。もう一人の方は逃げたが、仲間が追っている。さっきも見つけたそうだ。捕まえられるかは知らんが、それも時間の問題だ”」

「……」

「”助けなんて、来ないんだよ、間抜け。精々、愛しの騎士様が同じくお縄になる時まで堪えてな”」

 

そう言って、男は少女の髪を叩きつけるように離した。

数本抜けた金の髪が、男の指に絡みついている。

 

それに気にした素振りもなく、笑い声をあげながら、男達は部屋をあとにした。

残されたのは、何も出来ない少女のみ。

 

 

 

暫くして。

 

ニャーン、と。

 

小窓の方から。少女の耳に猫の鳴き声が伝わる。

朧気な瞳で、少女が声の方をした場所を見ると。

そこには、三毛猫が格子を液体のようにするりと抜けて、中に入る光景が見えた。

 

それを見て、少女は男達には一度も見せた事のない笑顔を見せる。

 

「”また、見つけてくれたのね……ありがとう”」

 

彼女もまた、先程の男達と同じ言語で、しかし全く別の声色で、猫に優しく語りかけた。

懐くように、身体を擦り寄せる猫を見て、少女は撫でられない今の自分の身を歯痒く思った。

 

あれから、どれだけの日にちが経っただろう。

こうして囚われ、碌な食料にもありつけず、日を重ねる毎に、少女の身体は痩せ細っていく。

眠りも十分に取れないのか、目の周りには隈が薄く滲んでいる。

 

それでも。

自分の身よりも。

 

彼女の友人。

その安否だけが、今の彼女にとっては大事な事だった。

 

「”……メアリー”」

 

少女は呟く。

悔しそうに。

謝るように。

最愛の友人の名を、口にする。

 

 

その友人が、今尚、逃亡の身である事は、彼等の言葉が保証している。

しかし、いつ捕まるか、分かったものでもないという話を込みでだ。

 

彼女にとっては、それが懸念だった。

 

助けに来なくていい。

ただ、安全でいて欲しい。

貴女だけでも、生き抜いて欲しい。

 

だから、どうか。

 

 

 

「”……お願い……無事でいて…………!!”」

 

 

少女は、固く目を瞑り。

祈るように、涙を堪えるように。

ただ、天に縋るかのように、その言葉を絞り出した。

 

 

 

 

《──では、次回からは指摘のあったエリアを重点的に捜索致します》

「有難う御座います、こちらも引き続き、全面的に協力させて頂きます」

 

ある会議室。二十名程座れそうな楕円形の円卓テーブルには、されど七名という少数の人間が座っている。

その机上には、数多の資料とノートパソコンが置かれていた。

そして、議長席側には若き女性と白髪混じりの老齢の男性。

 

しかし、先の会話は彼等の内、どちらのものではない。

上座の方。黒髪を片側に結んだ少女、そして、PCのモニターの映る背広を来た無骨な男によるものだった。

その上座に座る少女の両脇には、同じく黒髪の、おさげをした眼鏡の少女。

そして、焦げ茶の長髪をさざ波のような巻き毛にした少女。

 

(トマリ)さんも、先の内容で宜しかったでしょうか」

 

口を開いたのは眼鏡の少女だった。それに答えるのは、無骨な男、ではなく。

モニターに映るもう一人の、少女達と変わらぬ風貌の、髪を後ろに纏めた女性。

 

《はい、大丈夫です。こちらも、捜査一課、及び所轄の補助に努めます》

《おう。まぁ、あんま気張んなや》

 

泊と呼ばれた女性に、無骨な男は軽い調子で呼びかけた。一方、泊は「会議中ですよ、警部」と呆れた様子で諌める。

 

《あぁ、悪い……じゃなかった。すいません。お見苦しい所をお見せしました》

「いえ、親睦があるのは何よりですよ、渡辺警部。軋轢(あつれき)のある関係では協力関係など土台無理なのですから」

 

警部の謝罪に答えたのは、少女ではなく老齢の男。

何処か温和そうな雰囲気を見せる老人に、渡辺警部と呼ばれた男は気恥ずかしそうに頭を掻く。

 

《いやはや……、理事長のお言葉は耳が痛い。所轄の皆にも気を配ったりせにゃなりませんから》

「菓子折りを送ったりと、中々大変そうですね」

《ははは……、警察庁のお(かみ)は兎も角、ブイブイ言わせる立場じゃないんですわ、自分は》

 

理事長。

苦笑いを浮かべる渡辺に、そう呼ばれた老齢の男は温和に微笑の表情を見せた。

 

「我々も、貴方がた警察に微細ながら、協力させて頂いてる身です。この事件までとはいえ、友好な関係で居続けたい」

《そんな畏まらないで下さいよ。俺達ゃ、寧ろ引け目感じてんですから。一介の高校、しかも生徒会の皆さんにまでこっちのゴタに巻き込んでるようなもんですから》

「ですが、それは『あの外交官』のせいでしょう?」

「校長、抑えて下さい」

 

不満気な声を出したのは、理事長の隣に座る、校長と呼ばれる女性。

その顔は、今の会議の中で初めて見せる程に、不快の色で包まれていた。

それを諌める理事長に、「申し訳ございません」と頭を下げる校長。

 

目の前の光景を見て、渡辺はまたも苦笑の顔を浮かべる。

 

《本当にすいません。上の我儘に、貴方がた月読高校を巻き込むとは》

「仕方ないですよ。(くだん)の彼女達は、本来ここの生徒になる筈だった子達です。その捜索にお力添えになれるのならば、なんだっていたします」

《いや、しかしですね……、まさか、生徒会まで駆り出すとは》

 

渡辺はそう言って溜息をつく。

 

月読高校。

確かに、月読市で最も力を持つ高校ではあるが、それを理由に、警察と協力関係など結べる訳もない。

ましてや、生徒会という、高校生すらも巻き込んで。

異例も異例な状況には、かの『外交官』からの指示でもあった。

 

《本当すまね、じゃない。すいませんな、生徒会の皆さん。苦労をおかけっぱなしです》

「恐縮です。私達が少しでも渡辺警部、引いて警察の助力になれば、それが幸いです」

《……本当にすいません、会長さん》

 

会長と呼ばれた黒髪の少女の返答に、渡辺は苦々しげな顔で謝罪の言葉を述べた。

 

その心中は、暗いものだ。

 

何故、警察の我々が一般人を捜査に巻き込まなければならないのか。

しかも、子供。高校生という、未来ある者達を危険な状況に晒している。

更には、その高校生達に責任を押し付けてるようなものだ。

 

狂ってる。

常識外だ。

イカれてるとしか思えない。

しかし、それに対して、どうこう言える立場に、自分はいない。

 

渡辺が抱く感情は、正に無力感だった。

『他国のお嬢様』が拉致された、という状況ですら頭を抱えるのに、更には上層部共のよく分からない騒動に、下っ端の自分達どころか、守るべき筈の一般人を巻き込んでいる。

組織の人間としての自分は、ただそれに従うしかないのだから。

 

《……兎に角、皆さんは無茶だけはせんでください。もし、何かあったら、我々は警察失格だ》

「十全に気を付けます。渡辺警部も、泊巡査も、お気を付けて」

 

渡辺の言葉に、会長は微笑みながら答える。

その言葉に、苦悶の表情を抱えたまま、渡辺は頭を下げ、泊もそれに続いた。

 

そして、二人との会議を終え、眼鏡の少女──真里(マリ)は言葉を紡ぐ。

 

「──これで、捜査一課の渡辺警部と、特殊史編纂(へんさん)課の泊巡査との事務連絡は完了ですね」

「あぁ、残すは『外交官』だけだな」

「もういいよー、刑事さん達だけでー。つーか、普通やるにしても、所轄の人達や捜査本部の人達とだけでしょー! 何で所轄の人差し置いて、あんなヤツに連絡しなきゃなんないのー」

祈織(イノリ)、口を慎め。所轄の方々には謙吾(ケンゴ)と真里が連絡をつける」

「う……」

 

祈織と呼ばれた栗色の髪の少女は、会長──陽樹の言葉に萎縮する。

痛い所を突かれたような表情で、「すいません……」と、ただ頭を下げるしか無かった。

 

「でも、祈織先輩の言う通りでしょ? 俺達が協力するのは警察にであって、あの伊達男じゃない」

弦輝(ツルギ)君、君もだ。それでも我々はやらねばならん」

「……そうですか」

 

弦輝と呼ばれた少年。

陽樹の向かい側の席に座る彼も、彼女に注意を受けると、どこ吹く風のように肩を竦める。

 

「申し訳ありませんね、皆さん。まさかここまで続く事態になるとは」

「私からも、ごめんなさい。貴女達生徒を巻き込むだなんて……」

「大丈夫です、お二人とも。私達も、出来るだけの事はしたいですから」

 

理事長と校長の謝罪に、陽樹はそう言って笑みを向けた。

 

生徒会。

本来、生徒の模範でしかない彼等もまた、この誘拐事件への解決に勤しむ者達だ。

何故そうなったかは、件の外交官が理由であるが。

 

「そんじゃ、さっさと繋ぎますよ、会長」

「あぁ、宜しく頼む、謙吾」

 

謙吾が作業の旨を伝えると、それに陽樹は頷いた。

その姿を確認して、謙吾はPCを操作し始める。

 

やがて、彼女達のPCの画面に、ある男が映し出された。

 

金髪の、眉目秀麗の外国人。

 

《──五分遅刻。遅かったですね、月読高校の皆様。警視庁の方達とは、どのような談笑で時間を取ったので?》

 

その男は、流暢な日本語で喋り始めた。

 

 

 

 

「……はぁ」

 

(トマリ) 芽実(メグミ)

 

彼女は、あの会議の後、帰路の中で溜息をついていた。

体を休める為に、一時帰宅を言い渡され、電車の中で揺られ、こうして歩いている最中でも、彼女の表情は暗いままだった。

 

思い返すのは、あの月読高校の面々。

 

そして、今は直接でないにしろ、元上司である渡辺の言葉だ。

 

『そんな顔すんな。納得いかねぇのは痛い程分かるがよ』

 

そう言って、渡辺は小さく笑う。

その表情には陰りが見えた。

 

『どうせ俺たちゃ、組織の犬なんだ。意味の分からねぇ命令でも、それが事件解決に繋がるなら、やるしかねぇ』

 

その言葉は、余りに空虚だった。

何故なら、口にした本人が、それを飲み込み切れていないから。

 

『とにかく、だ。俺達は合同捜査として、月読高校の力を借りてやる。……警察としては、面目丸潰れだがな』

 

渡辺が放った、最後の言葉。

それこそが本心だろう。

無力感に苛まれた男の声に、芽実はかける言葉が見つからなかった。

 

「警察、か……」

 

まるで自嘲するように、乾いた笑みを浮かべて芽実は呟く。

少しずつ、足取りが重くなるのを、彼女は感じた。

 

 

警察を目指したのは、小さい頃からの彼女の夢の延長だった。

誰かを助けられる人間になりたい。

悪意から、守れる人間になりたい。

救いのヒーロー。

少女ながらに憧れた者達の背を見て、彼女は強くそう思っていた。

 

しかし、念願叶って入った所は、理想とは食い違っていた。

 

当たり前の話だ。

警察は『起こった事件に対処する』のであって、事件を未然に防げる組織ではない。

法の番人の一つであり、執行者。

起こされた悲劇を捜査するのであり、悲劇を食い止める力は無いのだ。

そんな事、分かりきっていた筈なのに。

 

「……だから、零課、かぁ」

 

その課に配属される前、彼女は犯人に銃を発砲した。

立て篭もりの中で、彼女は人質を守る為に銃を撃った。

だが、やり方が良くなかった。

危険な状況で、申請無しの無断の発砲。

しかも、守るべき人質に、逆に被害を出してしまった。

新人がやる失態にしては大きいもの。

 

特殊史編纂課。

通称、零課。

警察の解決、未解決の事件を纏めた資料の保管はもとい、怪奇現象、取るに足らない内容の物、その他全てを纏めた、警察署の資料管理室を課にした物であり、捜査に出るなど滅多にない。

通称、陸の孤島。

そこへ島流しを受けたのは、寧ろ致命的な大罪を犯した者に対しては、破格の酌量と言えよう。

 

そんな彼女が今回の誘拐事件の捜査に加わったのは、単なる数合わせにして、資料の確認係、所轄との連携係に過ぎない。

 

何故、自分が加わる事になったのかの明確な理由など、芽実自身すら分からないでいた。

上層部の指示だとか、母校が月読高校であったからだとか、粗末な内容は耳に挟んだが。

零課の同僚達が応援してくれているとはいえ、自分が役に立っているのか、甚だ疑問であった。

 

「……やっていけるのかな……」

 

自分は、現場には出られない。

渡辺警部及び、捜査一課と所轄の補助。

ましてや、情報の手助けは、一般たる月読高校の面々。

 

何処から間違えた、というのなら。

それは最初からなのだろうか。

 

犯人を撃ったあの日から?

 

警察を目指したあの時から?

 

それとも、ヒーローに憧れた、あの頃から?

 

 

「……あ」

 

何も答えが出せぬまま、芽実は家についてしまった。

アパートの一室。

有触れた扉の前で、彼女は立ち竦む。

 

こんな顔を、あの子の前で出してはならない。

私はあの子のお姉ちゃんなんだから。

 

そう意気込み、深く深呼吸すると。

芽実は、扉に鍵を差し込み、回す。

カチャリ、という音を確かめると、ドアノブに手をかけ、扉を開いた。

 

「ただいまー……って、あれ?」

 

玄関に立った芽実は、怪訝な表情を浮かべる。

何故なら、同居人の声が返ってこないから。

代わりに聞こえたのは、リビングからであろう同居人である少女の叫び声と、よく知っている、しかし会った事のない少年の声であった。

 

「ぬわー!! また負けたぁー! なんでぇー!?」

《今のは勝ちを焦り過ぎでしたよ、ハウント様。俺じゃなくても、ありゃ対策されます》

「マジかよぉ……、もう一回! もう一回特訓!」

《オッケーです! ……けど、体力大丈夫です? 何か、めっちゃ疲れた感じですけど》

「ぐっ……、一回だけ、にしようか」

《仰せの通りに》

 

その二人の声に、思わず彼女の顔に笑みが溢れる。

大切な同居人と、その彼女の友人となってくれた少年。

二人の賑やかな雰囲気に、何処か肩の荷がスルスルと落ちていくのを芽実は感じた。

 

得も言えぬ、暖かい感情に包まれながら、芽実は靴を脱ぎ、リビングへと向かう。

 

そこには、二つあるゲーミングチェアの内、その一つに座りながら、髪を椅子の下まで伸ばしきった少女の後ろ姿。

 

「ただいま、悠歌(ノドカ)

 

その後ろ姿に声をかけると。

 

「あ、おかえりぃ」

 

何処か疲れた様子の、しかし、満足そうな声で振り返る、前髪を半分隠した愛しの従姉妹。

 

そして。

 

《聞こえるかな……おかえりなさーい。結構遅かったっすね、ミルキャンさん》

 

まだまだ余裕のある、優しげな声。

 

「ただいま、……って聞こえないんだったか。悠歌?」

「ただいま、だって。……うん?」

「私も繋ぐけど、良いかな?」

「ぁ、そっか」

 

芽実の問いに、悠歌と呼ばれた少女は思い出したかのように呟く。

芽実がいる時は、二人一緒に通話するのが常だったから。

芽実が事件に付ききっ切りになってからは、久しい事だった。

 

にこやかに笑いながら頷くと、悠歌は少年に呼びかける。

 

「ミルキャンも繋ぐから、トッキー待ってて」

《おっす》

 

トッキーと呼ばれた少年の返答を聞きつつ、芽実は自身のスマホを取り出し、アプリを起動しつつ、もう片方のゲーミングチェアに座る。

 

シャベルタ。

そう呼ばれる通話アプリから、グループチャットに接続し、設定も確認する。

変声機能は生きており、誤って肉声が届く心配はない。

芽実は念の為も含めて、声を出す。

 

「あー、あー。これで良かったよね。トキくん、おひさ」

《お久っす、お仕事お疲れ様です》

 

トキくん。

芽実がつけた略称の少年は労いの言葉をかけ。

芽実は、その少年に見えないにも関わらず、心からの笑みを浮かべた。

 

 

 

「──和紗(なぎさ)日和(ひなた)優衣(ゆい)ちゃんも。あんまり夜更しはしないようにね」

 

和紗と呼ばれる、少女の私室。

その部屋の扉のドアノブに手をかけ、三人の、着ぐるみのようなパジャマを身に纏う少女達に呼びかけるのは、銀髪を肩まで伸ばした女性だった。

金色の瞳は髪の色も相まって、非現実の住人をも思わせる。

しかし、その仕草や言葉遣いは、幻想とはかけ離れた、どこにでもいるような母親像のそれだった。

 

彼女──サスラの言葉に応えたのは、同じく銀髪を長くした、しかし母とは違う、青い瞳をした少女、和紗。

 

「分かってるよ。というか、今日からは早寝早起きする事にしてるからね!」

「明日は早くなりそうなので」

「朝起こしをするのです!」

 

和紗に続いたのは、栗色の髪を真っ直ぐ背まで伸ばした少女、優衣。

そして、和紗、サスラと同じく銀髪、耳の上の髪を二つに括った長髪の少女、ぬいぐるみを抱えた日和だった。

 

それぞれの返答に、サスラは合点がいったように頬に手を当てる。

 

「翔太郎君の事ね。無理して、逆に困らせたら駄目だよ? あの子、思い詰める癖あるから、自分のせいだと思って悲しませちゃうよ?」

「そ、それも分かってます! 絶対気を付けます!」

「じゃあ、良いけど。本当に気を付けなさ……クシュンッ」

 

サスラが注意を続けようとした所で、彼女は唐突にくしゃみをした。

それを見て、三人の少女が各々心配の言葉を投げるが、サスラは平然と振る舞う。

 

「大丈夫、大丈夫。ちょっと寒気がしただけだから。……それじゃあ、三人共、おやすみなさい」

 

事も無げな様子を変えぬまま、部屋を後にするサスラ。

彼女が去った後の扉を、物思わしげに見つめながら、ナギサは呟く。

 

「お母さん、大丈夫かな……」

「そうだね、風邪ひかないと良いけど」

 

和紗の不安気な発言に、優衣も続く。

そんな顔を交互に見ていた日和は、「おっほん」と、軽く咳払いをした。

 

「お姉ちゃんも、ユイ姉ぇも。お母さんの事も大事だけど、まずは明日への大事なニンムがある事を忘れてます」

「あ、そうだった」

 

日和の言葉に、和紗と優衣は顔を曇らせる。

 

「今日の翔ちゃん、辛そうだったよね」

「うん、あの時みたいだった……」

 

二人はそう語ると、キュッと唇を噛み締めた。

 

 

翔太郎という少年が、同じ表情を見せたのは、過去に一度。

 

中学生の頃だったか。

最初は単なるゲームの話かと和紗は思った。

内容も、翔太郎がよく遊ぶゲームの内の一つ、『死に覚えゲー』から着想を得たのだ、としか思えなかった。

自分達がその空想の登場人物として活躍する事に、少しばかり嬉しさも感じていた。

 

しかし、ただの談笑の一つとして捉えてた和紗と違い、翔太郎の言動は段々と熱を帯びていった。

 

『──冗談とかじゃないんだ……! 本当に、死ぬかもしれないんだよ……!』

 

そう言って、肩を掴まれた時の、幼き和紗は、恐怖よりも、ひたすら動揺の感情が占めていた。

隣で聞いていた優衣ですらそうだった。

確か、その時は日和も陽樹もいた筈だ。

彼女達もまた、困惑の表情を隠しきれずにいた。

 

何故、そんな泣きそうな顔をするのか。

何故、そこまで必死になるのか。

何を、貴方は知っているのか。

 

しかし、それを問う前に、和紗の顔を見た少年は我に返り、気不味そうに呟いた。

 

『……ごめん、ちょっと熱くなり過ぎた。……中二病とか、そんな感じだから。……やっぱ、忘れてくれ』

 

肩、掴んでごめんな、と。

罪悪感に押しつぶされた表情の翔太郎を見て、和紗は、どうする事も出来ずにいた。

 

それからは、何時もと変わらぬ日々が続いた。

あの苦悶に満ちた表情を翔太郎は見せる事は無かった。

彼の言う『デザイアノーツ』というゲームの世界も、同時に話題にあがる事も無かった。

 

度々、遠い目をしたり、胃痛に顔を歪めるような素振りを見せたが、あそこまで鬼気迫るものは、今日の夜で久しいものだった。

和紗にとっても、その話題に触れる事は、半ば禁忌と化していた。

無理やり聞こうとするのは、何か違う気がすると、心の中で言い訳をして。

それに触れれば、彼を苦しめる事になりそうで、怖かったから。

 

それでも。

 

 

「……やっぱり、頼って欲しいよ」

「うん……」

 

和紗の独り言のような呟きに、優衣は肯定の言葉を重ねる。

その光景を見ていない日和も、抱えてたぬいぐるみを強く抱き締め、静かに頷いた。

 

 

 

宝生(ホウジョウ) 和紗(ナギサ)が、常磐(トキワ) 翔太郎(ショウタロウ)と出会ったのは、幼少の頃だ。

その頃、まだ引っ込み思案だった彼女にとっては、初めて少年というのは、未知の存在。

 

『わ、わたし。ほうじょう なぎさといいます。これから、よろしくおねがいします……』

 

勇気を出して、絞り出した自己紹介に、目の前の少年 は口を大きく開け、絶句したまま固まった。

 

『……? あ、あの……?』

 

それを不思議に思い、怯えつつも和紗が声をかけると、少年は気付いたように取り繕う。

 

『あ、いや、すんません。あの……スッゲー綺麗な髪とお目々でいらっしゃって、見惚れてました……あい』

 

しどろもどろながらも、何処か子供らしくない言葉を紡ぐ少年に、呆然とした和紗だったが、後に湧き出てきたのは、仄かな喜びだった。

 

『あ、ありがとう、ござ、います……』

 

おずおずと、頭を下げてしまう彼女に、『いえ、こちらこそ、あい……』と下げ返す翔太郎に、大人四人は暖かい瞳を向けていた。

 

和紗にとって、特徴的な色を宿す髪は、母、サスラから譲り受けた大切な物だった。

瞳の色こそサスラと違うのは残念ではあったが、それでも、彼女にとって銀髪である事は何より、密かに自慢出来る物であった。

 

それを褒められたのは、彼女にとって誇るべき物だという証明だった。

少年にだけではない。優衣という隣家の少女にも、その銀髪を綺麗だと言われ、和紗は更に高揚した。

自分の愛する部分を肯定してくれる二人は、和紗にとって大切な存在になるのは、とても早かった。

彼等の存在だけで、自分が認められたような気がした。

 

 

だから。

 

『──やーい。しらがー。おばあちゃーん。なんで学校に来てるんですかー?』

『おばちゃんは学校に来ちゃいけないんだよー。いけないんだー』

『しらがおばけー』

 

小学校での洗礼(イジメ)

それは彼女にとって、理不尽と屈辱でしかなかった。

 

なんで、この子達は私の事を馬鹿にするの?

あの二人は、認めてくれたのに。

私の髪って、そんなにおかしいの?

お母さんそっくりで、綺麗で、大好きなのに。

この髪をしていたら、そんなにいけないの?

 

頭の中は、ずっと言い返したくて堪らないのに。

目尻に涙を溜めながらも、恐怖と恥しさで、言葉にする事が出来ない。

 

『や、やめてよ! ナギの髪は綺麗なのに! そんな事、言わないで!』

 

和紗の代わりに反論するのは、いつも優衣だった。

顔を真っ赤にさせて怒る優衣だが、取り巻きは何食わぬ顔で、優衣すら揶揄う。

 

『うわ、来たよ、お守りユイ』

『金魚のフンみてー』

『ユイじゃなくて、フンじゃね? どうしたのー、ヒノフンさーん』

『なっ……』

 

矛先が自分にも向かい、優衣は怒りで更に顔を紅潮させる。

目の前の、容赦のない言葉を吐き捨てる子供達に、言葉を詰まらせて。

それを、言い返せないのだと解釈して、子供達は更に責句という名の遊びを続ける。

 

『しらがとフンとか、きったねー』

『しらが菌持ってんじゃね、こいつー』

『うわ、ばっちぃ。だからフンが近よんだー』

『……っ』

 

子供達の悪口に、優衣は歯軋りした。

自分が知ってる、和紗の髪を綺麗だと言った少年とは、この子供達は余りにもかけ離れている。

優衣にとって、それは信じられない光景だった。

怒りで涙すら滲む優衣を目の端で捉えて、和紗は更に縮こまる。

 

もう、やめて。

優衣まで悪く言わないで。

私がいなくなればいいんだよね?

もう来ませんから。

もう学校には来ないですから。

だから、お願いです。

優衣に酷い事言わないで。

 

ポロポロと。

抑えていた涙が流れてるのを感じながら、和紗は俯き、服の裾を、悔しさと悲しさを耐えるように握り締める。

子供達の些細な虐めは、少女達にとっては、地獄のような体験だった。

 

 

 

 

『──おみゃーらぁああ!!』

『──ぁ』

 

それを。

よく知る少年がかき消す。

 

パッと。

もう一人の幼馴染みの声を聞いて、弾かれるように顔を上げた和紗は、その声の主の方を振り向いた。

そこには、

 

『ナギサとユイに何して──あ、やべ

 

怒り心頭で近づきながら、しかし、唐突に躓き、顔を間抜けな表情に変える、

 

『おべびゅらばぶ!!??』

 

ドンガラガッシャーン!

 

机等を巻き込みながら盛大に転げ回り、子供達と和紗達の間に躍り出た、翔太郎の姿だった。

 

『だ、大丈夫!? ショウちゃん!?』

『い、いい痛くなかった!? へいき!?』

『とってもいたい』

 

少女達の心配を他所に、少年はムクリと起き上がり、目を瞑りながら、頭を擦る。

その表情は、未だ間抜けさが抜け切らぬものだった。

子供達は、彼の乱入に、嫌そうな表情を浮かべる。

 

『うわー……出たよ』

『お前さー、デブの時とかネクラの時とか、うぜーんだよ』

『んだとゴラァ!』

 

子供達の不満気な声に、翔太郎は水を得た魚のように立ち上がる。

 

『デブじゃねぇ! ヒイロくんだ! ネクラじゃねぇ! ネネちゃんだ! お前等もうちょっとマシな渾名つけろ! ちょいちょい他人をおちょくりやがって、お前等、人を馬鹿にしねぇと生きていけねーのか、オォン!?』

『うっぜー……』

『なんだよ、オンて……』

『因みに俺はヒイロくんを頭良いから本棚くん、ネネちゃんをマンホール好きだから別名も兼ねてブロハン(ブロックハンド)ちゃんと呼んでいるぜ! 勿論、本人達と相談して数ある候補から選んで貰ったぞ! 渾名付けんなら、こんくらいやれ! 本人の了承無しで変な渾名付けんな!』

『聞いてねぇよ、そんなこと……』

『言ってる事、ぜんぜん分かんねぇし……』

 

子供達はあからさまに面倒臭い顔を浮かべるが、少年は意も介さず止まらない。

 

『しかも、あろうことかナギサとユイにまで手を出すとは! お前等、命が惜しく無いんか!?』

『何だよ、命って。ばっかじゃねぇの』

『ホントだよ。知らねーよ、ばーか』

『うん、馬鹿は事実だけどね』

『え、馬鹿なんだ。やーいバーカバーカ』

『それはそれとして、この銀髪を揶揄うとか、お前等正気じゃねぇぞゴルァ!! 銀髪舐めとんのか!? 心臓に毛でも生えとんのか!? 凄いね、その根性は羨ましい』

『……ぜんぜん話聞いてねぇわ』

『さっきから何言ってんの、コイツ?』

『さぁ……?』

 

自分達の揶揄いの言葉すら、何食わぬ顔で受け止める少年に、子供達は呆れだす。

その光景を、和紗と優衣は目を丸くして見ていた。

 

『もういいよ、いこーぜ。コイツうぜーもん』

『お待ちになってゴラァ!! 話は終わってないってオラァ!!』

『うわぁ! 来んなぁ!!』

『よーし、放課後一緒にアニメ見よーぜ、アニメ! 何が良い? 俺もそこまで知らないの。良いの教えて?』

『知るかー!!』

 

終いには、子供達に恐怖されながら、翔太郎はワチャワチャと場を掻き回していく。

それに、思わず優衣は笑いを堪えだし。

和紗は先程までの、悔しさや悲しい気持ちなど霧散して、乾いた笑みしか出せなかった。

 

 

 

 

 

和紗にとって、翔太郎という少年は、嵐のような人物だった。

 

自分から動く事は少ないが、いざ動くと手がつけられない。

場を滅茶苦茶にするのは当たり前。

何を言われようと、自分色に染め上げる。

他人が苦しむ姿を見たら、すぐさま助けに行ったと思ったら、何故か自分だけ損を被り、当人だけが「なんで?」と頭を抱えだす事も少なくない。

ギャグ漫画から飛び出してきたかのような破天荒、その癖、自分を平凡と思い込んでるのだから、質が負えない。

 

今でこそ、その性質は抑えられているが、……抑えられているかの判断は、人によって違うだろうが。

彼の本質、場を振り回す事に長けた性格は、今でも健在だ。

 

当然、そんな人間をよく思わない者もいる。

傍から見れば、幼稚にしか見えないのだから。

 

それでも、和紗にとっては、翔太郎という人物を嫌いになる事は無かった。

彼女にとっては、良い意味で子供のような純粋さに見えた。

 

それに。

 

『──ショウタロウに言われて、って訳じゃないけど、さ。この前は、……ごめん。もう、しらがとか、もう言わない』

『……う、うん』

『……髪、スゲーキレイなのに、変な事言って、本当に、ごめんなさい』

『……ありがとう』

『流石や、タツヤくん。誇るが良い、君は大人の階段を一歩登ったんや』

『うるせぇ、肩に手ぇのせんな』

『ひどぉいぃ』

 

彼は、和紗の周りをいつも、より良くしてくれた。

 

イジメられた事自体を許した事はない。

それからも、彼等とは深く交流する事は無かった。

良く言えば、虐めの関係から、単なる知人となっただけ。

それでも、イジメをしてきた子供達が謝ってきた事は、少し嬉しかった。

その環境を整えていたのが翔太郎だという事は、とても嬉しかった。

 

やっぱり、自分は間違って無かった。

自分の髪は、おかしくないんだ。

 

その自信は、彼女を勇気づけた。

少しずつ、友達も増えていった。

その側には、いつも幼馴染み達が付いてくれていた。

イジメがあった時から比べたら、見違えたような生活だった。

 

いつしか彼は、和紗にとって、無くてはならない人間となっていた。

 

もっとも。

彼は自分が巻き込まれる側になるのを嫌ってる節がある。

否、もっと言うなら和紗達が巻き込もうとすると、だ。

 

冷たい態度を取る訳ではない。

思春期にあるような、男だから遊ばない、というのとも、違う。

自分達の事を大切に思ってくれてるのは、凄くわかる。

だからこそ、まるで自分は要らない存在とでも言うような態度だけは、和紗にとって不満だった。

 

だから、余計に熱が入る。

距離感が可笑しいな、という自覚も、ない訳じゃない。

でも、だったら、少しは一緒に居て楽しいという気持ちを偽らないで欲しい。

隠さないで欲しい。

偶に、自分は許されない、みたいな事を言ってるけど、そんな事を言う奴は、自分が、自分達が追い払ってやる。

 

 

 

 

「翔は……ほっとけないんだから」

「……本当に、そうだね」

 

和紗の強い宣言に、優衣はまたも頷いた。

 

 

優衣にとっての翔太郎は、ヒーローだった。

 

颯爽と現れては、問題を解決する。

いつも困った時に、助けてくれる。

場をいつも揉みくちゃにして、何だかどうでも良くさせてくれる。

 

愉快で爽快。

それが、優衣が思って()()、翔太郎への認識。

それが、変わったのは、ある出来事だ。

 

 

 

『──ショウちゃん、遅いねぇ』

『そうだねぇ』

 

小学校の頃。

ある日の放課後。

公園の中、ブランコに座りながら翔太郎を待っていた優衣達は、そんな会話をしていた。

彼女の覚えでは、翔太郎はその時、友人が割った学校近くの民家のガラスの件で、あちらこちらへ奔走していた筈だ。

修理の件で無事丸く収まったと、後日Vサインを見せて来たのが目に焼き付いている。

 

本当に凄い、と優衣は思った。

他人の為に、あそこまで頑張って、まるでそれを鼻にかけない。

小学生なのに、あんなに色んな事が出来るなんて。

 

優衣にとって、翔太郎は羨望の眼差しの的であり、同時に嫉妬の対象ですらあった。

 

どうして、自分は彼みたいに出来ないんだろう。

和紗を守ってきたのは、助けてきたのは、いつも翔太郎だ。

自分はただ、横で力なく叫んでいただけ。

悔しかった。

羨ましかった。

自分だって、和紗の力になりたかった。

彼が居なかったら、自分達はどうなっていたのか。

 

『……本当に、ナギの事、好きになってくれる人が沢山増えて、本当に良かった』

『うん?』

 

つい、優衣が口走った言葉に、和紗は怪訝な顔を見せた。

その視線に気付き、優衣は力なく笑う。

 

『ショウちゃんがいたから、なんだよね……』

『……ショウが聞いたら、こう言うと思うなぁ』

 

何処か裏の意味を感じさせる優衣の言葉に、和紗はしかと感じ取った。

その上で、大好きな幼馴染みの一人が宣うであろう台詞を、優衣に投げかける。

 

『”ユイさんや、アナタに比べたらオレは小石みたいなもんですぜ? 天狗になるから、なったらヤバイから”……どうかな?』

『うーん、……ショウちゃんなら、もっと変な風に言うかも』

 

少し声を変えて、本来の翔太郎よりも声質の良さそうな声で成り切る和紗に、優衣は苦笑を浮かべる。

しかし、確かにあの少年なら言いそうだ、とも思った。

 

彼は、あまり自分を評価したがらない。

何か思うことがあるのか、優衣は翔太郎の両親に聞いてみた事がある。

少し、言いにくそうな振る舞いをする二人に頼み込んでもみたが、答えが返ってくることは無かった。

 

子供に要らぬ心配をかけさせたくないという、二人なりの考えではあったのだが。

それで納得が行く程、優衣も大人ではなかった。

回答が得られなかった優衣が代わりにしたのは、想像を巡らすという名の、自責の念。

 

翔太郎があそこまで自分に自信が無いのは、もしかしたら、自分達のせいなのでは?

ならば、何故、それでも彼は仲良くしてくれているのか。

本当に、自分達と一緒にいて、楽しいのか。

 

優衣は、不安と萎縮を、心の内に抱えていた。

そして、それを誰にも打ち明けられずにいた。

親友である和紗でさえ、相談する事は出来なかった。

 

自分達は、本当は彼の側に居てはいけないのでは?

その不安を、確実な物にするのが、怖かったから。

 

『……でも、やっぱりショウちゃんがいたからこそ、だよ』

『……そっか』

 

だから。

優衣は、今度は意味を変えて、同じ言葉を放った。

翔太郎がいたからこその、自分達がある。

その再確認。

 

和紗も、彼女の言葉に反論する事は無かった。

優衣がそう思うのなら。

それを受け入れよう。

納得の言葉は、その思いから出たもの。

 

二人は、顔を見合わせて笑う。

何故か無性に、誰に向けた物かも分からずに。

仕方ないな、なんて諦観を抱えながら。

 

 

『──あ、いたよ、シラガ』

 

それを壊したのは、一人の子供の声だった。

驚いた様に、声がした方へ二人は振り向くと、そこには三人組の子供。

翔太郎が掻き回した子供達とは違う、しかし、ある意味では同類。

いや、彼等は和紗を受け入れたのだから、それよりも酷かった。

 

『ショウタロウの馬鹿はいないんだ。シラガとお世話係だけで何やってんの?』

『……』

 

クスクスと笑う子供達に、優衣は厳しい目を向けた。

 

翔太郎が虐めを食い止めてきたのは事実だが、かと言って皆が皆、和紗を認めた訳ではない。

和紗をよく思わず、翔太郎の存在すら疎ましく思う者は未だにいた。

その日、和紗達の前に立つ子供達は、その類の人間だった。

 

『……いたら、悪いの?』

『は?』

 

優衣は視線を強めたまま、口を開く。

子供達の一人、リーダー格の子供は、何処か挑発じみた疑問の声を発した。

それが、優衣の神経を逆撫でする。

 

『べ、別に、私達が何処にいたっていいでしょ? そっちこそ、ほっといてよ。お互い無視すれば良い事でしょ?』

『……あのさぁ』

 

呆れるように優衣に口を挟むリーダーの少年。その取り巻きは、肩を竦めたり、鼻で笑っている。

それが、優衣にとっては耐え難いものだった。

 

『見えるだけでウザいし、キモいんだよ。それくらいも分かんないの?』

『……分かる訳ないよ』

『あっそ、頭も悪いんだ。誰だってゴキブリ見たら嫌がるでしょ? それと一緒』

『……』

 

優衣には、目の前の子供の言い分が、理解出来なかった。

 

ゴキブリ?

誰が?

私達が?

だったら、そっちは何?

こちらからすれば、そっちの方こそ、ゴキブリだ。

和紗を好きになれとは言わない。

でも、嫌いだからって排除しようとするなんて。

そんなの、間違ってる。

私達の事は、放って置いてよ。

和紗の事、何も知らない癖に。

偉そうな口を叩くな。

 

荒れ狂う感情を、何とか纏めようとする優衣を尻目に、少年は口を開き続ける。

 

『ま、調子乗んなって話だよ。ショウタロウもウザくてカッコつけてるしさ。なにアイツ、ヒーロー気取りかよ。気持ちわりぃ』

『『ッ!』』

 

少年の言葉に、言葉を詰まらせたのは、誰だったのか。

先に激昂したのは、優衣の方だった。

 

『な、何なの!? もう帰ってよ!!』

『は? なに? 急に怒鳴って。キモ』

『うう、うるさい! ナギの事も、ショウちゃんの事も、何にも知らない癖に! 分かったような事言うな!』

『……ホントに調子乗ってんな、お前』

 

リーダー格の少年の声が一段と低くなる。

しかし、優衣は止まれなかった。

止まる訳にはいかなかった。

 

『調子乗ってるのはどっち!? 自分が嫌いだから消えろって何様!? ショウちゃんは、そんな事言わない! お前等なんて、悪いやつだ! ワルモノだ!! お前等なんて、ショウちゃんにやっつけられちゃえば良いんだ!!』

『────』

 

優衣の台詞は、感情任せの子供のそれだった。

考え無しの言葉は、何処か清々しさあえあった。

その言葉の結果など、少女は何も考えもずに。

 

『……ふっ』

『……?』

『ハハッ、聞いたかよ? 今の。アハハッ』

『な、なに……?』

『ゆ、優衣。もう、逃げよ……?』

 

唐突に。

リーダー格の少年が笑いだす。

その光景を、優衣達は気味悪けに見ていた。

 

それが、逆鱗に触れた合図と知らずに。

 

笑うというのは、楽しいからだけではない。

悲しみ、怒り、苦しみ。

それ等の感情の臨界点を超えた時、笑うしかなくなる人間も少なからずいる。

そして、その少年もその一人だった。

彼の沸点は、低かった。

 

少年は笑いながらも、地面に手を伸ばし、何かを拾う。

取り巻きの一人が、少年の名を口にするも、彼はそれを無視した。

 

『ハハハ……ハァ』

 

一頻り笑い、少年は軽く溜息をつく。

その手は、拾った何かをボールのように弄んでいる。

その光景を、優衣は正気を疑う目で見ていた。

手に持つそれを、目を見開いて見つめていた。

 

やがて、少年はそれをしっかりと掴むと。

 

『ホントさ』

 

まるで抑揚もなく、怒りすら感じさせない声色のまま。

 

『──調子のんなよ』

 

少年は、拳よりも大きな石を、優衣へと全力で投げつけた。

 

『────』

 

突然の事に、優衣は声すら出なかった。

後ろの和紗の叫び声も。

取り巻きの慌てる声も。

聞こえているのに、動けなかった。

 

ゆっくりのようで、一瞬。

自身へと、吸い込まれるように投げられる石と同時に。

優衣は、殺意を宿した少年の瞳を見た。

 

 

 

 

 

ガンッ

 

 

 

 

 

『…………ぇ』

 

小さく声を洩らしたのは、優衣だった。

震える声を絞り出した彼女に、怪我は無い。

ただ、その瞳の前で。

 

……有り得ねぇわ……普通、石まで投げるか……? クソッ……

 

いつの間にか。

優衣を庇うように立ち、蹌踉めく翔太郎は、違った。

 

直撃したのであろう、額から血を流しながら、頭を抑えている。

 

『……ショウ、ちゃ』

 

突然の出来事に、困惑を隠せぬまま。

優衣は、幼馴染みの名前を呼ぶことしか出来なかった。

 

その声に、翔太郎は何事も無い様に振り返り、

 

『あぁ、……大丈夫大丈夫。ユイ達に当たんなくて良かったわ、ホント』

『──ッ』

 

少し息を粗くしながら、何でも無い様に振る舞った。

しかし、優衣はそれを見て、安心など出来なかった。

 

優衣側に血を見せないようにしたのであろう。

無事な方で振り向いた翔太郎だったが、怪我の具合は、彼が思っているよりも酷かった。

当たりどころが悪かったのか、顔半分が血に染まってる姿を覗き見て、安心など出来る訳が無かった。

自分の血の気すら引いていく感覚を、優衣はひしひしと感じとっていく。

取り返しのつかない罪悪感のような何かが、彼女の心に巻き付いていた。

 

取り巻きが、ざわざわと慌てだす声が聞こえる。

リーダー格の少年は、我に返ると、わなわなと震えつつも、声高に叫び出した。

 

『──お、俺は悪くねぇかんな!』

 

その言葉に。

優衣と和紗は、再び絶句した。

 

『……なに、言ってるの?』

 

声を出したのは、和紗だった。

涙混じりの声で、怒りの色に塗れたまま。

 

『ソイツが前に出たのが、悪いんじゃねぇか! 俺、当てる気無かったし! マジになってんじゃねぇよ!』

 

無実を訴える少年の声に、和紗はかつてないほどに怒りの表情を見せた。

 

 

自分は悪くない?

ふざけるな。

優衣に酷い事をしようとした。

それを庇って、翔太郎は傷ついた。

そんな、酷い事までして。

自分は、悪くないだと?

 

 

『ふ、ふざけないで──』

『──あぁ、確かに。今のは俺が悪かった』

『……ぇ?』

 

和紗の激情の声を塞いだのは。

他ならぬ、翔太郎自身。

 

突然の言葉に、有り得ないという瞳で、和紗は翔太郎を見やる。

優衣すらも、何を言ってるのか分からないというような表情で、翔太郎を見つめた。

 

当の彼は、小さく溜息をつくと、石を投げた少年の元へと歩き出す。

 

『まぁ、な。確かに、怒る気持ちも分からんでもないわ。自分の事、悪者みたく言われたもんな』

『な、何だよ、近寄んなよ!』

『そりゃ、怒るわ。俺もユイにそんな事言われたら、悲しくて寝込んじゃうし、うん』

『来んじゃねぇって言ってんだろ、クズ!』

『はいはい、クズですよー。それはそれとして、もうちょっとナギサとユイに優しくなろ? お互いそっちの方が生きやすいですよ? 本当に悪人になっちゃうよ?』

『お、俺は悪くねぇっつってんだろ! 頭悪いんじゃねーの!』

『うんうん、そうだね、それはそうだね』

 

ヒタヒタと。

幽鬼のように迫る、血を流す何かに、少年は後退りしながらも、罵倒を投げかける。

それに歯牙にもかけず、翔太郎は更に近づく。

 

『──でもさぁ』

『な……なん──』

 

やがて、目前まで近づき、再度言葉を発すると。

少年の反抗を聞かぬまま。

 

 

 

──だからって何で投げた、ア゙ァ゙!?

 

 

 

彼の髪を掴み取り、鬼の形相で吠え立てた。

 

およそ子供の物とは、思えぬ声色。

子供が怒りを見せる時に出すような、金切り声とは全く違う、地の底から響く声。

子供に大人が説き伏せるような物ですらない。

命すら刈り取らんとする、裏の人間の威喝、そのものだった。

 

『──』

石投げたら怪我するって餓鬼でも分かるよなァ!! なのに何で投げたの? なぁ? ──なァ!!

……ひっ…ひっ

 

底冷えした、あまりの重圧に、少年は恥もなく泣き始めた。

目の前の、血だらけの鬼に脅され、ただ恐怖するしか無かった。

取り巻きも、口を震わせて、ただその光景を眺めるしか無い。

 

和紗と優衣すら、そうだった。

助けてくれた感謝など、飛んでいった。

巻き込んだ罪悪感など、消え去った。

今あるのは、幼馴染みだった何かへの恐怖のみ。

 

あれは、何?

本当に、翔太郎?

自分達が知っている、あの?

 

優衣は、自身の足の震えを止めることが出来なかった。

怯えから、歯がカチカチと鳴る事すら、止めることは叶わかった。

翔太郎に思い描いていた羨望も、嫉妬も、ただ目の前の恐怖に全て飲み込まれていた。

 

頭を掴まれた少年は、過呼吸になりながらも必死に声を絞り出す。

 

ごめっ、ごめ、ごめ。ごめん、なさ……

『……誰に謝ってんの?』

あの、あのっ……

誰に謝ってんだって聞いてんだ!!

『なぎ、ナギサと、ナギサとユイです!!』

 

翔太郎の恫喝に、少年は半ばやけになりながら応えた。

もはや、耐えられなかった。

恐怖でどうにかなりそうだった。

正気ではいられなかった。

 

少年の謝罪の言葉を受け、翔太郎は少し沈黙する。

少年にとって、余りにも耐え難い時間だった。

例え数秒、一瞬の静けさですら、まるで長い時を耐えてるかのようだった。

 

やがて、翔太郎はゆっくりと口を開く。

 

 

『──そ。良かった』

 

 

まるで。

今までが嘘のように。

朗らかな笑顔で、優しく微笑んだ。

 

『…………?』

『いやー、謝れて偉いぞ! そういうのはやっぱ難しいからな! お前は凄い!』

『……』

『あー、頭掴んでごめんな? 痛かったろ。ホント、それはゴメン。だけどな? お前も、もう二度とこんな真似すんじゃないぞ? 虐めるのもナシだ。またやったりしたら、もう一回怒るからな?』

 

少年を気遣うように、頭を撫で、服の皺を手で払う翔太郎。

その異様な素振りに、少年はされるがままであった。

 

『……よし! おら、早く行きなさい。もう二度と、こんな危ない事するんじゃありません』

『…………』

 

人の変わったような姿に、少年は止まぬ過呼吸を抱えたまま、立ち尽くしていた。

それを、恐る恐る近づく取り巻きが、誘導するように、少年の体を支える。

未だ、翔太郎への恐怖を拭えぬまま。

 

怯えた目つきで、折々振り返りながら、公園を後にする少年達を、翔太郎は黙って見守る。

監視するように、生気のない瞳で。

 

その幽鬼の瞳に、更なる恐怖を掻き立てられつつ、彼等は公園を去った。

 

残されたのは、翔太郎と、和紗、優衣のみ。

 

優衣は、翔太郎に声をかける事すら戸惑っていた。

 

目の前の、少年が怖い。

幼馴染みだった彼が、何かに乗り移られたような恐怖。

背筋は当の昔に凍って、動く事すらままならなかった。

 

そんな彼女を尻目に、翔太郎はゆっくりと振り返る。

 

優衣は小さく声を出しそうになった。

身体は、ビクリと跳ね上がった。

彼の怒りが此方に向きそうな気がして、ただただ、震えるしか無かった。

そして。

 

 

『──はい、俺の完璧演技の大、勝利っ!! どぅよ、今の! 迫真やったろ!』

『…………』

 

普段と変わらぬ、いつもの幼馴染みが、両手をVサインにしながら笑っていた。

 

『いやー、上手くいくか不安だったけど、やっぱ頭に血流すと迫力違げーんだなぁ。あと、あれだね。やっぱ元にした演技が良かったね、うん』

『も、元……?』

『ん? あぁ、あったり前じゃん。俺があんな脅し文句思いつくかよ。ゲームを参考にしたんだよ、ゲーム。パクったとも言う』

『…………』

『どうしたの、そんなキョトンとした顔して。……あ、もしかして、結構、様になってた? いやぁ、俺、演技力意外とあった……いや、ねぇな。最後の方とか、立ってるのでやっとだったもん、うん』

『…………………………はぁぁ』

 

震えるような声で息を吐いた優衣は、そのまま脱力したかのように座り込んだ。

 

ゲーム、ゲームかぁ。

そっか、彼はゲームが好きだから。

何か怖い役に成り切っていたのかぁ。

そうかそうか。

別に、彼が変わってしまった訳ではなかったのだ。

 

……そうかぁ、と。

優衣は、気が抜けて。

ペタリと、座り込んでしまった。

そして。

 

『………ぅっ……ひっく……』

『え、あの? ユイさん?』

『……うぅ………うわぁああああ……!』

 

耐えきれず、彼女は大粒の涙を流した。

決壊した。

限界だった。

 

先程の恐怖心から解放され、残されたのは、押し寄せる感情の波だった。

 

『え、は、はい!? ど、どど、どうしたのです!?』

『しょ、ショウちゃんのばかぁ! 怖かったんだからぁ! ぁあぁああ……!』

『いや、あの、ちが、違うんスよ! そんなつもりでは無かったんスよ! あの、泣きやんで頂きたく!』

『………ぅえええ……! 怖かったよぉ……!』

『ナギサさん! ナギサさんも泣かないで! 悪かった! 俺が全部悪かった! 何も考えて無かった! 馬鹿だったね! 軽率だったね! だからホントゴメンて!』

 

へたり込んで泣き始める二人の幼馴染みに、狼狽しながらも慰めようと身を屈める翔太郎。

そんな彼の身体を、優衣と和紗はポカポカと力なく何度も拳で叩く。

 

『ショウちゃんの、ばか! おこりんぼ! おおごえだし!』

『ほんっ、ホントゴメ、痛っ、いやそんな泣く、痛っ、泣くとは思わなくて、痛っ、的確に急所つきますね君達、痛っ』

『うるさい、バカショウ! あほう! でぃーぶい!』

『ちょっと待ってナギサさん、DVは本当に待って。それ判定されたらマジで死ぬから、殺されるから』

 

怪我のせいか、それともナギサの発言のせいか、顔を真っ青にさせながら、翔太郎は弁明する。

和紗と優衣は、冷や汗を垂らす少年の顔を見て、鼻を啜りながらも沈痛な面持ちで声をかけた。

 

『……ぐすっ……ぐすっ……ショウ……? 怪我……大丈夫……?』

『あ、はい。意外と大丈夫です、あい』

『ほんと……? ほんとにいたくない?』

『ごめんね……私のせいで、ショウちゃんに、……こんな……』

『それも大丈夫なんで、色々と大丈夫なんで。こんなん応急セットあれば何とかなるんで』

 

何とか少女達を宥め倒し、翔太郎はやっと立ち上がった。

 

『……さぁ、早よ帰ろう。このままだと、日が暮れる』

『うん……うん……』

『ぐすっ……ひっく……』

『ナギサ達の方こそ、大丈夫かよ。そんな目ぇ真っ赤にさせちゃ、親御さん達心配するぞ?』

『……すん……すん……ショウに、言われたくない……』

『あー……、そうでした……。どう言い訳しよ、これ……』

 

もっとも。

翔太郎が受けた傷は。

 

『ま! なるようになるか! まずはさっさと家に──ぁぇ────』

『……! ショウ!?』

『ショウちゃん!?』

 

彼が思っていたものよりも、深刻であったのだが。

 

子供の力とはいえ、出血する程の大怪我。

適切な対処も無く、長時間の放置。

彼の意識は、限界だった。

 

突然、電源が切れたように倒れ込む翔太郎に、和紗と優衣は急いで駆け寄る。

優衣が少年の身体を抱えるように支え、その顔を覗き込むと、彼の瞳は焦点が定まらず、意識も朦朧としているように見えた。

 

『───ぇ──ぁぅ────』

『し、しっかりして、ショウちゃん!!』

『やだ、やだぁ! ショウ! ショウ!!』

『ど、どうしよ、どうしよう!?』

『救急車! 救急車呼ばないと!』

『で、電話! 電話は!?』

『ないよぉ!』

『ちか、近くの人! 近くの人呼んで! 早く!!』

 

慌てふためく和紗達を他所に、翔太郎は意識を闇の海へと落としていった──。

 

 

──余談だが。

翔太郎が『馬鹿な事をして、頭に怪我を負い、病院に通った』と自称する件は、この事であり。

これがきっかけとなり、歌奏、そして陽樹と出会う事となる。

 

更に付け加えるなら。

石を投げた少年。

彼は、トラウマから不登校になるのだが。

暫くして、無事に学校に通えるようになり、和紗達にも謝罪をした。

……学校に復帰する時、少年と翔太郎の顔が腫れていたのだが、その原因は本人達にしか知る由のない事である。

 

 

この件から、優衣の翔太郎に対する認識は変わった。

 

ヒーローのような憧れではなく、傷つき血を流す、限界も存在する、一人の少年として。

彼は、無茶をすると決めたら、とことんする男だと。

そして、目を離すと、何処かへと消えてしまいそうな不安を煽る。

ふらっと遠くへと行くならまだ良い。だが、彼はそこまで奔放な性格ではない。

確かに波乱を巻き起こすような事もしでかすが、それと同じく、翔太郎は自由よりも安寧を好む性格だ。

しかし、もしもきっかけが揃えば、彼はすぐさま行動に移す。

さも自分の事しか考えてないと言いながら、時折、自分の事を勘定に入れてないかのような危うさ。

 

それは、優衣からすれば許せない事だった。

平凡のようで、無茶ばかりする少年。

問題を自力で解決する事も出来るだろうが、その被害すらも自身で請け負う危険も孕む。

そしてその結果が良かろうと悪かろうと、彼はこういうのだろう。

やらかした、とだけ。

 

優衣にとって、翔太郎という少年は、放っては置けない存在へとなっていた。

守るとまではいかない。

そこまで踏み込んでも、本人には迷惑かもしれない。

 

だが。

それでも、側で見守りたい。傷付くのなら共に支えたい。

分かり合えなくてもいい。そもそも、人間の苦労など、自分しか背負えない代物だ。その苦労を外野の自分があれこれ言った所で邪魔なだけだ。

だが、側で支える事は出来る筈だ。

寄り添う事の、何がいけないというのか。

 

例え迷惑だろうが、押し付けがましかろうが、縛り付ける行為と言われようが、そんな事関係ない。

大切な幼馴染みが、傷付く姿など見たくはない。

今まで、何食わぬ顔をする彼に守られてきた身からすれば尚更だ。

庇護だけ受けて、自分達だけが傷付かないなど、そんな関係は友でも幼馴染みでも何でもない。

それは、優衣が長年築き上げた翔太郎への決意でもあった。

 

 

 

「……変な事、思い出しちゃった」

 

彼女の決意の原因たる、過去の事件の記憶を掘り返した優衣は、溜息と共に呟く。

優衣の様子を不思議に思った日和は、俯く彼女の顔を覗き込むようにして尋ねる。

 

「? 何思い出したの、優衣姉ぇ」

「んー……、翔ちゃんがね? 怪我した時の事」

「え、うそ!? お兄ちゃん怪我してばかりじゃない!?」

「……あー、あったねぇ。そんな事も」

 

日和の驚く声と対照的に、和紗は呆れ混じりの苦笑を浮かべた。

 

優衣が言う変な思い出とは、あの頭部への怪我を負った事のことだろう、と。

あの出来事は、まさに驚きの連続だった。

今でこそ笑い話だが、当時の和紗達にとっては、飯が喉を碌に通らない程に消沈する、驚愕の出来事。

 

「ホント、思い出せば思い出す程、こっちの心臓が持たない事ばっかりして……」

「お兄ちゃん……罪な男だねぇ……」

「……どこでそんな言葉覚えたの? ヒナちゃん」

「ヒナは物知りだなぁ」

「ナギ? 関心してないで?」

 

妹の博識ぶりに顔を綻ばせ、うりうりーと言いながら日和を撫で回す和紗を、生温かい目で優衣は(たしな)める。

 

和紗による、日和への甘やかしは筋金入りだ。

子煩悩ならぬ妹煩悩。叱るべき時に叱る事もあるにはあるのだが、その日の夜は妹に嫌われたのではと寝込む程に落ち込むぐらいである。

 

そんな溺愛による温室育ちと言っても良い日和だが、元から聡明だったのか、和紗以外の、優衣や翔太郎がいる環境が良かったのか、元気溌溂(はつらつ)ながらも、我儘や横暴な性格にはならず、大人からすれば素直な良い子、と判断されそうな子供に育った。

 

当の本人からすれば、そんな評価などどうでもいいが。

 

「まぁ、お兄ちゃんはしっかりしてないようで、してるようで、やっぱりしてないからなぁ」

「流石、ヒナ! 翔の事を分かってる!」

「お兄ちゃんは弟みたいなもんだもん!」

「おぉ! ヒナはお姉さんだね!」

「えっへん!」

「ヒナちゃん? ナギ? 色々と気になる事増やしながら進行しないで? 私じゃ止められないって分かってやってるよね?」

「「……えへへー」」

 

 

日和にとって、自分が他人にとって良い子かどうかなど、どうでも良い事だ。

仮に良い子だと言われて喜ぶにしても、それは周りの人間のお陰だと自慢するだろう。

 

日和の事を半身のように可愛がる和紗。

和紗よりも姉らしく、周囲を支える優衣。

そして。

 

「つまり、明日の作戦はしょうがないお兄ちゃんへの、トーゼンの結果なのです!」

「うん、もうね。私達もそろそろ一歩踏み出さなくっちゃ」

「……うん、考えるのやーめた。もう、翔ちゃんが悪い事にしよう、うん。実際、翔ちゃんが悪い」

「よーし! 明日の朝起こし大作戦! 成功させるぞー!」

「「「おー!」」」

 

円陣を組み、重ねた手を天にかがける和紗達。

各々の表情は異なるものの、その志自体は共通していた。

 

 

日和にとっての翔太郎とは、頼れる兄であり、目が離せない弟のような存在でもあり、そして恩人でもある。

 

 

 

小学生に上がりたての頃だろうか。

日和自身も、小学校で虐めを受けた経験があった。

きっかけは、他の虐められっ子を庇い、標的を日和に変えられた為。

 

その頃の翔太郎達は中学に上がっており、介入するのも難しかった。

日和自身も、それを相談する事は出来なかった。

自分が学校で嫌な思いをしている、という事を打ち明けるのが、怖かった。

姉達を、心配させたくなかった。

自分は楽しくやっていると、安心して貰いたかった。

 

 

『──へぇ、まだ食べてんの? ヒカゲ。給食の時間終わってんだけど』

 

お昼休み。

掃除をする為に椅子を机に上げ片付けられている教室の中で、一人机の上の給食を啄んでいる日和に向かって、四人程の少女達が取り囲んでいた。

周囲の子供達はそれを怯えた表情、またかという諦観した瞳、関わりたくないと気持ち、様々な感情で、しかし手を出せずに眺めていた。

 

 

その日は、日和が給食で嫌いな献立があった日だった。

干しぶどうを散りばめたパン。

普通のぶどうは問題ないのに、どうしても干しぶどうどけは吐き気が催してしまう。

食べられない訳ではないが、進んで食する事は出来ない代物。

いつも干しぶどうが出る日は、申し訳なさと共にそれだけを退けていた。

その干しぶどうのパンが、彼女の盆に切り取られた形で山のように積み上げられている。

 

原因は虐めっ子達によるものだった。

周囲に圧力をかけ、日和へパンの切れ端ばかりを押し付けさせた。

給食を共にする先生は、用事があるのか、その日は不在。

普段は陰でコソコソする虐めっ子達も、今日だけは彼女達の独壇場と化していた教室では、逆らえる者は居なかった。

当然、日和が庇った元虐められっ子すらも。

 

日和は、その事に関してはどうでも良かった。

恨みもしてないし、失望もしていなかった。

ただ、ただひたすら、虐めっ子達に対して、下らないとだけ。

 

『……何、スルーしてんの? こっちは優しく声かけてやってんのに』

 

あぁ、うるさい。

どこまでも餓鬼のような浅はかさ。

こんな事をして何が楽しいのか。

 

虐めっ子の言葉などに耳も傾けず、日和は無表情のまま嫌いなパンを口に押し込む。

流し込むのに手助けとなっていた牛乳も心許ない。

吐き気を堪えながら、それをおくびにも出さずに淡々と食していく。

 

依然、自分達を無視する日和に、堪え兼ねた虐めっ子が机を叩くように手を乗せた。

 

バンッ、という激しい音に、日和は剣呑な瞳を虐めっ子に向ける。

 

『調子乗ってない? 皆に迷惑かけてるって分かってる?』

『……食べるのにジャマなんだけど』

 

冷たい声色で虐めっ子を睨み続ける日和。

彼女の冷たい視線に、同じく虐めっ子は冷めた目線を返していく。

 

『……あ、あの』

 

それを破ったのは、周囲の子供の一人だった。

日和が虐めを庇った少女。

虐められる前まで、親しくしていた少女。

日和が虐められてから、歯痒い顔で、しかし何も出来なかった少女。

彼女が、か細く怯えた声を日和達に放った。

 

『なに?』

『ぇ……ぁ……』

『あ、もしかしてコイツと一緒に食べたい? 良いよ、手助けしてあげな』

『……』

『でも分かってるよね? 勝手なマネしたらどうなるか』

 

クスクスと笑って忠告する虐めっ子に、少女はたじろぎ、後退りした。

自分が標的だった頃を思い出し、顔を恐怖で歪ませている。

日和は、それに関して責める気持ちは無かった。

寧ろ、あの子の反応は当然と考えていた。

腹立たしいのは、目の前の勝ち誇った顔をする少女のみ。

 

すっかり俯き、目を逸らす少女に満足した顔を浮かべ、虐めっ子は再度、日和に視線を戻した。

 

その時だった。

 

《──あーあ! マジで見てて気分ワリーわー! 自分こそ、なにしてるか分かってる?》

『……は? 今誰、言ったの』

 

突然響く、少年の声。

それに、虐めっ子は声のした方へと睨みをきかせた。

向けられた集団はビクリと震えるが、その視線は強く虐めっ子達に向けられている。

虐めっ子は、睨み続けたまま、その集団へと近寄ろうとした。

それを、新たな声が邪魔をする。

 

《まーたそーやって女王様気取りなんだー、うっざ》

《迷惑してんのはこっちなんだけどなぁ》

《つーかさぁ、そういうのイジメって言うんだけど、やっちゃ駄目な事って学校で習ったでしょ?》

《調子乗ってんのはどっちって話だよ》

 

更に他の子供の声。

至る所から湧き出る別々の声に、虐めっ子達は面を食らった。

そして、戸惑いを隠せ無かったのは、日和も同じだった。

声色こそ変えて、時には少年のように振る舞っているが、彼女はこの声達を良く知っている。

まして、最初の声は彼女が知っている少年そのもの。

 

その声達に続くように、先程怯えていた少女も、声を震わせながらも加勢する。

 

『……そっ、そうだよ……もう、やめてよ……!』

『は? アンタまで何言って──』

《本当その通り! よく言った! もうさー、皆で仲良くしよーやー》

《というか、何ヒナの事虐めてるの? アナタ何様?》

『なっ……』

 

吃り声の少女を黙らせようとするが、それをまたも呑気そうな少年の声と、割り込むような圧の強い少女の声が邪魔をした。

その言葉を口火に、周囲の子供達も声を張り上げる。

 

『そうだそうだ! ヒナタ、何にも悪い事してないじゃん!』

『いっつもオドしてグルにさせやがって! 気持ち悪いんだよ、そういうの!』

『もう、ヒナタちゃんをイジメるの無視したりしないから! 私達、本気だよ!』

『もうお前なんか怖くねーぞ!』

『皆、もううんざりしてんだ!』

《ホントそう! ヒナを虐めるな!》

 

口々に反抗心を見せる子供達に、虐めっ子達は狼狽える。

非難の声は大きくなり、もはや立場も逆転し。

完全に、彼女達は孤立していた。

 

『なにこれ……、意味分かんないんだけど!』

 

虐めっ子は忌々しげに捨て台詞を吐き、逃げるように教室を後にする。

取り巻き達も、混乱しながらも彼女の後に続き、残されたのは、日和と、虐めを弾圧していた子供達だけとなった。

 

『……本当に、上手くいっちゃった』

 

日和が呆然とする中、ポツリと。

あの怯えつつも、声を出していた少女が、信じられないとでも言うように呟いた。

その言葉に、思わず疑問の視線を投げかける日和に、彼女は近づく。

 

『……ゴメン、日和ちゃん。日和ちゃんは、守ってくれてたのに、私……今まで、何にも出来なかった……』

『……えっ、と……』

『……許してくれないだろうけど、……また、一緒に遊んでいい……?』

 

気不味そうに、申し訳なさそうに、懺悔するように。

今にも涙が零れそうな表情で語る少女に。

 

『……ううん、そんなことない。……ありがとう』

『……それじゃあ』

『勿論、また遊ぼっ』

『……っ! うん……!』

 

少女の涙混じりの頷きに。

日和は、優しく微笑む。

それを皮切りに、自分達も悪かった、日和の嫌いなパンを食べよう、と声をかける子供達にも。

 

やはり、自分も子供だなと。

そんな風に思いながら、涙ぐみつつも、日和ははにかんだ。

 

 

後から日和が知った話だが。

一連の流れは、翔太郎が仕組んだものだった。

 

『勿論ゲームのパクリだぜ! そのまんまだぜ! 最初見た時スゲーと興奮したが、いざやってみるとマジで気持ちええな!』

 

なんて言っていたが、日和にとっては衝撃以外の何物でもない。

 

まず、翔太郎は虐めの件を日和が庇った少女から相談を受けていたらしい。

そこから、日和の教室の担任に聞き込み、どうしたのかは日和には不明だが、兎に角協力を取り付けた。

更に、虐めっ子達に悟られぬよう、クラスの子ども達とも交渉、担任が用意した複数のレシーバーを持たせた。

 

本当は、現場を見れるような物や、小型スピーカーなる物が欲しかった、レシーバーはバレるか心配だったが杞憂に終わって良かった、と翔太郎は色々語ったが、日和には何のことやらさっぱり分からないし、正直レシーバーを用意させてた事にすら、若干引いていた。

 

そして和紗、優衣すら巻き込み翔太郎は、ズル休みなのか何なのか中学に行かず、日和の担任が見守る中で、あの声の演出をしたそうである。

特に和紗は乗り気だった。

というより殺気だっていたという。

 

愛しい妹が虐めを受けてたのをレシーバー越しに聞いてた時には、作戦の事すら忘れて、日和の教室へと突撃しそうになっていた。

翔太郎と優衣の説得で事無きを得たが、代わりに声を演出した時の白熱ぶりは、尋常ではなかったそうな。

 

その日、全ては仕組まれていた。

先生が席を外していたのも。

日和が虐めを受けてた現場に、妙に多くの子供達が周囲を囲っていたのも。

全てあの状況に持っていくため。

 

その日の日和は、そこまで詳しい状況なぞ、知る由も無かったが。

それでも、翔太郎達が、自分を守ってくれた事だけは察せた。

よく聞く声が、クラスの子供達と共に自分を守ってくれたのだと。

 

当日、家に帰ると、早めに帰宅していた和紗が、玄関で日和の事を待っていた。

その胸に飛び込んで、声が枯れるくらい泣いたのを、日和はよく覚えている。

 

 

──因みに。

日和を虐めていた少女。

そちらのフォローも、翔太郎は欠かさなったらしい。

家庭環境に問題があったとか何とか、話には聞いたが。

それが解決したのかも、日和には定かではないが。

サスラが務める擁護施設。そこに移された少女は、日和に謝罪をし、日和も許しこそしないが、それはそれとして、友達の一人として受け入れ。

 

そこから、庇った少女や他の子供達との友人関係もそのままに、日和と元虐めっ子、理奈(リナ)もまた、長い付き合いとなっていた。

 

 

正直な所、日和にとってはこの件は、感謝こそすれど、恩としては小さいものである。

正確に言うのなら、後述する件の方が、よっぽと彼女にとって大きい恩であった。

 

 

 

日和が、自分の不思議な体験に気付いたのは、その事件よりも少し前の事。

最初は、現実との境目がつかぬ白昼夢か、夢が現実となる正夢に近い何かだと思った。

虐めを受けていた時の妄想の癖が、抜けて無かったのか。

時には寝てない時にすら、夢の中にいる感覚。

当初、両親や和紗達に軽い相談してみたが、内容自体は彼女にとって楽しい事ばかりな為、本人も含め、深く考えはしなかった。

 

『……まぁ、なんだ。悪い妄想とか夢とか見たら、すぐに相談しろよ?』

 

そう、真剣な表情で語りかける。

翔太郎だけは除いて。

 

そして、彼の懸念は日和が思っていたよりもすぐに来た。

 

日和と和紗、両親が事故に合う光景。

今までと毛色の違うそれに、日和は混乱と焦燥に駆られた。

 

最初、その光景を夢想した日和は、相談するのを躊躇ってはいた。

普段のものとはかけ離れた妄想。

ただの悪い夢としか、信じて貰えないかもしれない。

 

しかし、彼女はすぐに思い直した。

翔太郎なら。

あの真剣な眼差しを向けて来た兄なら。

信じてくれる筈だと。

もしかしたら、何とかしてくれる、という淡い期待も持ちながら。

 

相談を受けた翔太郎の行動は早かった。

まず、その事件の光景の事細かな風景を念入りに尋ねられた。

日和は、必死に思い返しながら、拙い言葉で彼に伝えていった。

次に、翔太郎は和紗達をも巻き込んで、図書館から借りたという地図や月読市の様々な風景写真が乗った本など、多類な書籍を和紗と日和の家で広げた。

目的は、場所を絞り込み、対策が出来るか否かの判断をする、という事だった。

 

その大掛かりな、過剰にも見える翔太郎の行為に、日和は引け目と羞恥心で一杯だった。

翔太郎と同じように本気で探す和紗にも優衣にも、彼女達への申し訳なさが心を占めていた。

 

やっぱり、自分の思い過ごしだったらどうしよう。

嘘をついてるつもりはない。

でも、本当である確証もない。

そんなあやふやな事に、大好きな姉達に迷惑をかけるなんて。

 

やはりやめよう、と。

こんな事しなくても良い筈だと、日和が中断の言葉をかけようとした所で。

 

『──なる程な、ここかよ』

 

何処か憎らしげに。

苛立ちすら感じるような声で、翔太郎は呟いた。

 

普段聞かないような声色に、思わず身を竦めてしまう日和だったが、先程とは打って変わり、優しい声色で翔太郎は彼女に尋ねた。

 

『ヒナタ。お前の見えてた風景ってこれっぽい?』

 

そう言って指し示された写真を見て、日和は目を見張る。

 

あの光景とそっくりの風景。

崖が横にそびえる道路。

何処かの山道か、森林が周りに広がるその光景に、日和は何度も大きく頷いた。

 

『うん……うん! ここ! ここだった!』

 

羞恥心も引け目も消え去り、彼女の心の中には冷めやまぬ興奮が押し寄せていた。

 

本当にあったんだ!

やっぱり、あの妄想は嘘じゃなかった!

 

そんな高揚感に浸りつつも、日和は同時に不安も抱えていた。

 

でも、場所を知った所で、どうにか出来るのだろうか。

こんな所に行く予定なんて、無い筈なのに。

 

しこりのように残る疑問を抱えつつも、日和は翔太郎の言葉に耳を傾ける。

 

『オッケー。……でな? ここの道から辿ると、ある所に辿り着いた』

『う、うん』

『まず、ヒナタが見た風景ってのがここ。で、そこをまっすぐ進むと……』

 

翔太郎が地図に指を置き、道沿いに合わせるように進ませる。

日和がそれを目で追っていくと、彼の指はある所で止まった。

それを見て、驚きの声を上げたのは、和紗だった。

 

『……翔、ここって』

『おう。確か、今年出来たばっかの遊園地、だったよな?』

『え……』

 

遊園地、という言葉に。

日和は声を詰まらせた。

 

嫌な予感がした。

額から冷や汗が垂れ、喉が乾いていくのを感じた。

さっきまでの高揚感すら消え失せ、押し寄せるのは、今までとは違う、嘘であって欲しいという願い。

 

しかし、それを翔太郎は容赦なく切り捨てる。

 

『ヒナタ、お前が見てた風景の先はな、ここだ』

 

翔太郎がそう言って、数ある本から一つ取り出し、そこに載っている写真を見せた。

 

 

それは、日和がよく知っている場所だった。

 

 

『わ、私が、行きたいって、……言ってた、ところ……』

 

日和から放たれた声色は、恐怖で震えていた。

 

両親に頼み込み、了承を得た、両親からの日和への誕生日プレゼント。

いつもいつも、その日を楽しみにしていた。

テレビのCMを見る度に、いつか自分達もここに行くのだと心を踊らせていた。

誕生日と休日が重なったのは、本当に幸運だったとはしゃいでいた。

夢の件とは全く関係ないと、そう思い込んでいたのに。

 

日和は、目から零れる涙を抑える事が出来なかった。

頭を抱え、絶望したような表情で俯く。

 

『わた、私のせいで、私のせいで皆、みんなっ……!!』

 

その時の日和は、罪悪感と自分への嫌悪感にひたすら苛まれていた。

 

自分の我儘のせいで。

家族をあの妄想のような目に合わせる。

あの、見える度に振り払いたい一心だった光景は。

全て自分のせいだった。

 

『やだ……なんで……なんで、そんなっ……!』

 

嘘に決まってる。

そう思いたかった。

そもそも、自分の妄想なんて、ただ運良く当たってきた事。

実際に現実になるかどうかも、定かじゃない。

単なる空想程度の事で、こんな大袈裟な。

 

そんな現実逃避をした所で。

あの忌々しい妄想の風景と、寸分違わぬ写真を思い出し、日和は吐きそうになった。

 

どうして。

何故、あの妄想とそっくりの写真があるのか。

一度も現実で見た事のない、翔太郎に写真を見せられるまで、本当にあるとは思わなかったあの風景が。

 

今まで、彼女が見てきた妄想や夢が、現実に反映されなかった事など一度もない。

内容はどれも些細な物だったが、全て彼女が夢見た通りになっていた。

時には少し不快な光景も見た事もあるが、それも些細な事。

まぁ、こんな日もあるさと。

寧ろ、心構えが出来るようになったと得した気分でいた。

 

ならば、あの事故の光景だけは違うと、どう証明すれば良いのか。

 

『嘘だ……そんなの……そんなっ……どうしてっ……!』

『ヒナ! しっかりして! 大丈夫、大丈夫だから……!』

 

耐えきれず、和紗は日和を抱き寄せる。

その側で、優衣は慰めるように日和の背をさすった。

日和は姉の身体にしがみつくように寄り掛かり、泣きじゃくる。

 

自分のせいで、姉すらも傷つける。

大好きで、大切な姉を巻き込む。

姉だけじゃない。

母も、父も傷つける。

あの血深泥の光景が現実味を帯びる。

自分のせいで。

 

もう、日和にはどうすれば良いのか分からなかった。

彼女の脳は自責の念ばかりが積もり、冷静な判断が出来なかった。

 

『ヒナタ』

 

そんな彼女に、翔太郎は落ち着いた声で呼びかける。

恐れと自分の無力さに顔を歪めている日和は、縋るように彼と視線を合わせた。

優衣も和紗も、憂いの表情を変えずに翔太郎へと目線を移す。

 

『おにっ、お兄ちゃんっ……私っ、わたしぃ……!』

『ごめんな、怖がらせて。けどさ、意外とこいつの対策って容易だと思うぞ?』

『『『……ぇ』』』

 

まるで、何でも無いように。

飄々とした態度で話す翔太郎に、三人は呆気に取られた。

 

『で、でも……私の、夢と、同じ……』

『うん。ヒナタが行きたいって言ってた所の途中の道だな』

『う、うん……私の、せいで……』

『大丈夫だよ。つまり、()()()()()()()だけの話だろ?』

『…………』

 

その言葉を聞いた瞬間、今まで悩んで泣いていた自分が馬鹿らしくなる程に、単純明快な答えが返ってきた。

 

そうだ。

行かなければ、あの悲劇は起きない。

誕生日に行く事は、今までの情報からして可能性が高い。

ならば、その可能性自体を潰せば良い。

仮に誕生日以外で向かう事になろうと、それを阻止すれば。

 

しかし、日和にはまだ懸念があった。

両親に頼み込んでしまった事だ。

あんなに我儘を言って、無理を言って予約までして貰って。

それを、今更無かった事にするのに、未だ抵抗が残っていた。

 

『で、でも……私、お父さんと、お母さんに……もうお願い、しちゃって……』

『セイジさんとサスラさんか。多分、ヒナタが行きたくないって言っても許してくれると思うけど、……まぁ、念の為にちょっと仕込むか』

 

日和の後悔に陰る表情と裏腹に、翔太郎は落ち着いた態度を変えない。

彼の言葉に、和紗は頼るように疑問を口にした。

 

『し、仕込むって……、どうするの?』

『簡単な話だよ。単に、俺とユイがヒナタの誕生日祝いのお家パーティーしたい、って事にすりゃいい。二人なら喜んで受け入れてくれるだろうし、家に皆で居るんなら、遠くの崖の事故なんざ関係ないだろ』

『……! そ、そうだよ! 私達が根本から関わればヒナちゃんの未来予知から大きく外れる! 何で気付かなかったんだろう!』

 

翔太郎の淡々とした案に、対する優衣は盲点を見つけたように興奮を隠せずにいた。

日和も和紗も、彼の言うように簡単な話なのだと察し、何処か恥ずかしさすらも感じていた。

 

そうだ。

少なくとも、日和の見る悲劇は、あの光景のみ。

他の可能性は、未だに見えていない。

ならば、それさえ潰せれば。

 

光明はすぐ近くにあった。

自分はそれに気付かないで、袋小路に嵌っている気になっていたなんて。

 

日和は弱々しく笑いながら、顔を手で覆った。

彼女の頬には、新たな涙が伝う。

 

『私、私……、バカだなぁ……。こんな、こんな簡単な事も思いつかなかったなんて……勝手に、もうダメだとか、思っちゃって……』

『あんまり自分を責めるなよ? ヒナタ』

 

またも湧き出す自責の念を語る日和に、翔太郎は側へと近寄った。

彼女にとって、頼れる兄たる少年は、落ち着きのある笑顔を日和に見せる。

 

『誰だってさ、気持ちが追い詰められたらヒナタみたいに混乱して、どうすれば良いか分かんなくなるもんなんだよ。寧ろさ、ヒナタは偉いよ』

『う、嘘……私、何もエラくないよ……?』

『ヒナタ、他人のせいにしなかったろ? 俺の事とかさ。追い込まれると誰かのせいにして、八つ当たりする人もいるんだよ。でもヒナタはしなかった。心が強くて、優しい証拠だ』

 

彼はそう言って、偉いぞーと日和の頭を優しく撫でた。

彼の手の感触を受けながら、日和は苦い気持ちで彼の言葉を反復していた。

 

強いなんて、そんな事ない。

本当に強かったら、こんな風にただ怯えて混乱したままで、翔太郎の助言に甘えるような事になっていない。

自分は、恐怖と焦燥で頭がグチャグチャになっていただけ。

 

優しいなんて、買い被りだ。

大好きで、自分の為にこんなにも本気になってくれた兄達を、責めるなんてどうして出来ようか。

自分の言葉を信じてくれた人達を、どうして。

 

『……ぅっ……ぅぅっ……』

 

それでも。

彼の言葉に、彼女は感情が、抑えられなかった。

 

 

『……ぅうわぁああ……!』

 

 

日和は耐えきれずに泣きだすと、翔太郎にしがみついた。

頭の中があらゆる思考で埋め尽くされ、ただもう、条件反射のように彼に抱きついた。

 

和紗も、優衣も、日和を守るように身を寄せる。

翔太郎もまた、穏やかな笑顔でそれを受け入れた。

 

 

……直後に、気付いたように顔を青くして『あの、空気壊してごめんな? ちょっと俺だけ離して? ねぇ。ねぇってば』なんて色々吐かしていたが。

 

 

両親である誠司とサスラは、日和の相談に快く了承した。

家でパーティーをしたい、という言い訳に若干の不安があった日和は、想像以上の返答に目を丸くさせていた。

元々、遊園地へ行くのは日和の為である。

その本人がちゃんと理由を持って行きたくないと言うのなら、何故強要する必要があるのか。

また、行きたくなったら今度行けば良い。

それが、両親の答えだった。

申し訳なさに心を痛める日和だったが、同時に自分がどれほど両親に愛されているのか垣間見えた気がして、嬉しさで胸が一杯になった。

 

そして、日和の誕生日。

家での誕生会は何事もなく、楽しいものだった。

和紗と優衣が用意した誕生日プレゼントのリボンは今でも彼女の大切な宝物だ。

翔太郎が両親と共に作った豪華な料理は、どの外食店よりも美味しかったと思えるものだった。

やはり、あの光景などただの妄想なのだと片付けそうになるほど、日和は破顔した笑みでその一時を目一杯楽しんだ。

 

夢のような一日を堪能し、優衣と翔太郎も帰宅し、片付けも終えて余韻に浸っていた日和とその家族達。

テレビをつけながら談笑していた彼女達に、あるニュースが映し出される。

 

『──月読市で土砂災害、だって。怖いなぁ』

『珍しい事もあるもんだ。場所は……ここって』

『嘘……、もしかして、あの遊園地の近く?』

『はぁー……僕達、運が良いな。これは、翔太郎君達のお陰かな?』

『本当ねぇ……日和? どうしたの?』

『……うぅん。何でもないよ……』

『本当かい? 泣いてるじゃないか』

『えへへ……今日は、すっごく楽しかったなって。……お父さん、お母さん、ありがとう』

 

その時の日和は、目尻に涙を溜めて、しかし安堵の表情で微笑んでいた。

心配する両親に、心の底からの屈託ない笑みで、感謝の言葉を述べる日和と。

日和の隣で、彼女の手を優しく握りしめ、同じく嬉しそうに微笑む和紗。

二人は、ただこの家族が共に要られる幸福を噛み締めていた。

 

 

それから時を経て、今度こそ家族で遊園地に赴き、楽しい思い出を残せたのは、日和にとって何よりも幸せな時間となった。

 

それを残せたのは、きっと。

間違いなく。

 

 

 

「──よーし、寝る準備かんりょー! あとは明日を待つのみ!」

 

部屋の電気を消し、三人で同じベッドに包まると、日和は意気揚々と天に片手を上げた。

 

暗くなった部屋には、隣家の遮光されたカーテンから、しかし仄かに覗く明かりだけがその部屋を照らしていた。

 

「……お兄ちゃん、いつか一緒にお泊り会してくれるかなぁ」

 

年上だから、という理由でなく。

本当に兄として呼び慕う、彼の一室へと視線を映し、日和は呟く。

和紗は、そんな彼女と同じ場所に目をやり、微かに笑った。

 

「いつか……そうなると良いね」

「うん! そしたらさ、皆でゲームしたり、一緒に寝たりしよ! 絶対楽しいよ!!」

「おぉ、良いね! ヒナは名案士だ!」

「にひひー!」

『えへへー』

「……名案士って言葉あるかなぁ」

 

額と額を合わせながら、悪戯っ子のように笑う姉妹に、ポツリと呟きながらも、優衣は優しげな表情で彼女達を眺めていた。

 

 

翔太郎という少年は、他人への評価が高い。

些細な事でも褒めたり、長所と思う面は、素晴らしい眼識だ、と日和は思う。

まるで万人を好んでいるかのような振る舞いは、彼は人を嫌うという認識を持ち合わせていないのでは、と錯覚するほどだ。

少し、度が過ぎると思わないでもないが。

 

だが、当の本人は?

自分がしてきた事は、頑張った、努力した、なんて考えず。

ただしたいように生きてきたと語るだけ。

こちらが恩を感じようがお構いなしだ。

それに関しては、日和は責める道理は無いし、責める気もない。

だが、そちらがやりたいようにやるというのなら。

こちらも、同じようにするまで。

 

目には目を。

歯には歯を。

復讐には復讐を。

恩愛には、恩愛を。

 

日和は、自身は他人が言う程、良い子ではないと認識している。

それを矯正するつもりもない。

例え迷惑と思われようが、疎まれようが、あらゆる手段で彼への恩を返す。

自分の涙や悲しい表情を取り繕って、彼が絆されるのなら安いものだ。

仮に汚い人間と言われようが、自分の存在を利用してでも、彼に受けた愛を同じくらい、いや、それ以上の愛を味わわせてやる。

 

貴方はこんなにも素晴らしいのだと。

笑顔で生きて欲しい人間なのだと。

証明してやる。

 

だって、私達は。

 

「お兄ちゃんは、私達の家族だもんね!」

「うん、優衣もヒナも、翔も、皆で家族!」

「……そっか。……そうだね」

 

姉妹の宣言に、優衣は否定しなかった。

否定など、彼女には出来なかった。

 

この姉妹にとって、家族とは何よりも優先すべき概念だ。

何よりも大切で、存在証明と言ってもいい。

家族という絆があれば、他のものなどいらない程。

例え離れ離れになろうとも、その絆だけは永遠なのだと。

 

それを知っているからこそ、優衣は否定出来ずにいる。

いつか、その概念のせいで、彼女達は狂っていくかもしれない。

そんな危うさに目を逸らし。

 

自分も、彼女達と同類だと。

姉妹達と同じように、家族という繋がりを、喜ばしく思ってしまっているのだから。

 

 

「……明日、覚悟しててね、翔」

 

和紗はそう言って、悪戯っ子のような笑みで、まるで赤子を愛でる母のような瞳で、幼馴染たる少年の部屋を見つめる。

 

 

きっと彼は、自分達に(もたら)した幸福を、ありきたりと言うんだろう。

ありきたりで何が悪い。

様々な困難を払い除けてくれる人間など、創作上でしかない。

それを実現してきた人間に、情を向けるのがそんなに単純なのか。

 

きっと彼は、自分は何もしていないと語るだろう。

上等だ。

そう思うのなら、それでいい。

こちらは、それに構わず貴方に寄り添ってやる。

もう、容赦なんてしてやらない。

まだ段階を踏まねばという、気恥ずかしさは彼女達にもあるが、その結果が彼が幸福と思えるものなら。

 

 

自分達が、されてきたように。

家族なら、彼を支えるのは道理ではないか。

 

 

 

……流石に。

しょうもない事、どうでもいい事、と片付けられてしまっては。

あまりに自分を軽視した物言いに頭を抱えそうになるが。

 

流石に、流石に、そこまで翔太郎という人間は。

どうしようもない少年では無い筈だ。

 

 

 

 

そう、和紗は結論づけて。

穏やかな表情で、彼女は瞼を閉じたのだった。

 

 

 

 

翌日。

最悪の想定通りの発言をした少年に。

和紗が絶句したのは言うまでもない。

 

 

 

《──どうスか、このモニュメント! 圧巻でしょ!》

「圧巻というか、キモい」

「マスク縦に並べるだけで、ここまで恐怖映像になるんね」

《悲しいなぁ》

 

翔太郎による、キャラの頭部を模したアイテムをただ積み上げ、その下に空に一直線の光を放つアイテムを置く事で完成する、光の棒による生首郡の串刺しを見て、悠歌と芽実は辛辣な言葉を返した。

 

彼等が交流を始めたのは、いつだったか。

 

 

 

独り暮らしをしていた芽実の下に、当時まだ小学生だった悠歌が来た頃。

当時はまだ、二人だけの関係だった。

 

元々、悠歌の家族は崩壊していた。

父は他所の愛人と現を抜かし、母も夫のいない自宅に男を呼ぶ始末。

関係は冷え込み、娘である悠歌にすら愛情を注ぐ事を疎かにした。

上辺だけは良くして、親族にすら気付かせない仮面夫婦を演じられた事だけは、お見事と言って良いだろう。

 

悠歌に手を出す事すらもなかった。

肉体的な暴力は皆無だ。

そこまでの外道に堕ちては無かった、という訳ではなく、単にバレると面倒だから、というだけの話だが。

 

代わりに与えられたのは、

 

『あーあ、何でデキ婚なんかしたんだろ。ゴム付けとけよ、あのヤロウ』

 

『ホント、アンタ金だけはかかるよねー。外面考えて動くのも面倒だしさぁ、ホント産むだけ損したわ』

 

『産んだら情が出るとか言うけど、あれ嘘でしょ。ようやくマトモになったエイリアンじゃん。仕方ないから育ててあげてたけど、これからもアンタの為にしんどい事すんの、無理なんだけど』

 

『アンタが赤ん坊の時、あんま泣かないタイプで良かったわー。夜泣きしつこかったら、フツーにどうにかなってたわ』

 

生むんじゃ無かった、お前なんていなければ、等という言葉の暴力。

母たる自身すら傷付けかねない言葉を、悠歌を産んだ女は怒りに任せてでなく、平然と、日常会話のように口にしていた。

 

悠歌すら、二人を親として見るのは難しくなっていた。

育ててくれた恩はある。

幼稚園や小学校に通わせるのが、義務教育だから、単に体裁の為だからだとしても、それだけは子供ながらに感謝している。

 

それでも。

せめて愛してると、嘘でも良いから言ってくれたのなら。

愛される為の努力もしてみて、逆上どころか面倒に思われ、蔑ろにされて。

家で父以外の情事に励み、娘を置物か何かと勘違いし、年を重ねたら身売りでもさせようかと男と語る女に母性を期待する事は出来なかった。

 

離婚の話になった経緯など、彼女は知る由しもないし、知りたくもない。

親権を押し付け合う二人の男女の事より、ただ両親に愛して欲しかった。

 

結局、親族に押し付けられる形となった悠歌は、そこで名乗り出た芽実と出会う。

時折、母があれこれ理由を付けて押し付け、芽実の家に寝泊まりしていただけの間柄。

最初の頃は、そこまで親しくは無かった。

お互いに干渉するようになったのは、同棲を始めてからだ。

今では、悠歌にとっての姉であり、親よりも親に思える存在。

 

悠歌が特撮を好むようになったのは、芽実の影響だった。

元々は芽実が隠していた趣味だったが、同棲する事になった際に遂にバレてしまったのが、始まりだった。

 

特に悠歌が惹かれたのは、悪役だ。

時には、目に映る物全てを蹂躙し、破壊の権化として暴れ回る怪獣。

時には、主人公達を翻弄する者、障害となって立ちふさがる者、策謀を巡らせ場を手中に収める者といった怪人。

いずれも、主人公側に倒される役目を背負った者達だが、彼女はその悪役達を応援していた。

 

あんなに格好良くて。

好きに暴れ回って。

恐怖に屈するどころか、自分がその恐怖を撒き散らす。

 

両親と名乗る二人に抑圧され、恐怖に支配され、愛情すらかけられなかった悠歌にとって、悪役とは憧れであり、一瞬の鏡映しでもあった。

 

在り方を忌み嫌われる存在。

いるだけで否定される災害。

 

親にとって、そのような存在である悠歌には、それが何だと言わんばかりに暴れ回る悪役達が、どこか眩しく思えた。

 

だからだろうか。

彼女もまた、自分勝手に生きる事にした。

 

悠歌は、芽実と過ごす前から、不登校になっていた。

最初の理由は、両親の離婚の話が白熱してから。

何もかも嫌になったのもあるが、両親を困らせる為でもあった。

全く、心配などされず。

養育費の事ばかりで責められてはいたが。

 

芽実の場合は違った。

心配もされ、時には優しく諭されもしたが、そんな言葉は無視した。

学校に行った所で、何も楽しくない。

元々友達を作るのが苦手な彼女は、そこに行った所で孤独だった。

勉強なんて、家で教科書が読めれば十分だった。

それで芽実自体に迷惑がかかるのも、承知して。

 

だが、それはまだ彼女が決意した前の出来事だ。

そもそも今は、通信校に通わせて貰っている。

勉学の事は、それでなんとかなる。

 

自分勝手に生きると決めたのは、ここから。

 

悠歌は、ゲームが好きな子供だった。

親から買い与えられた事は無かったが、芽実にはよくおねだりしていた。

元々得意なのもあったが、無双出来るゲームは特に好んでいた。

敵を蹴散らし、刈り取る爽快感。

まさに破壊の権化になった気分だった。

 

その趣味趣向は、悪い方へと傾いた。

 

 

『──あっは! 雑魚が! 邪魔されて悔しーですかー? このゲーム辞めたらー? 才能ないよー?』

 

ネットゲーム。

芽実が持っていたデスクトップパソコンを借り、芽実に買って貰った数々のゲームを遊んでいた彼女は、所謂荒らしという存在になっていた。

 

他人への妨害を愉悦とし。

あらゆる手段で嫌がらせをする。

変声機能のあるボイスチャットで煽り倒し。

他のプレイヤーが怒り、呆れ、萎えていく様を喜々として眺める。

 

ゲームの腕が良かったのも、それを増長させた。

時には荒らしたる彼女を懲らしめんとする輩も、逆に返り討ちにしてやった。

 

気分はまさに無双ゲームだ。

強大な力を持ってして、他人を苦しめるのは気分が良い。

誰も自分を止める事は出来ない。

気に入らない奴をぶちのめす。

まさに、彼女は憧れていた、悪役になった気分を堪能していた。

 

 

『……悠歌、そういうのは、駄目だよ?』

 

無論、共に過ごす芽実は、そんな彼女に心を痛めていた。

 

そもそも、彼女が悠歌にパソコンを貸し与えてネットゲームという環境を設けたのも、せめて人との繋がりを持って欲しかったからだ。

元々悠歌はゲーム好きだ。

同じ趣味を持つ者同士なら、きっと彼女に良い影響を与えるだろうと、そう期待していた。

 

それなのに。

 

『なんで? 別に友達とかじゃないから良いじゃん』

『友達になれるかもしれないんだよ? 人に同じ事されたら、悠歌は嫌にならないの?』

 

悠歌は、芽実の想像とは全く違う方向へと向かってしまった。

他人への悪意ある言動を喜びとし。

暴虐非道を繰り返す。

そんな悠歌を見るのは、芽実には耐えられなかった。

 

『別に。だって赤の他人じゃん』

 

その想いを。

悠歌は軽率に踏み潰す。

 

『別に、って……。他人だからして良い訳ないでしょ!? 人を傷つけるような真似なんて、嫌われるだけだよ!?』

『良いよー、あんな雑魚ばっか。あんなのと仲良くとか、こっちが無理』

『……っ』

 

本気でどうでも良さそうに、淡白に語る悠歌に、芽実は声を詰まらせた。

悲痛に顔を歪ませる芽実を他所に、悠歌は彼女に向き直る。

 

『それにさ……』

 

悠歌は、そう言って微笑む。

穏やかな笑みで。

あのゲームで人を苦しめる者と、同一人物と思えないくらい。

まるで、愛おしい者を見るように。

 

『──私には、芽実がいれば、それでいいもの』

 

淀んだ瞳で。

まるで、底が見えない闇を映したかのような眼で。

そう仄かに笑う悠歌に、芽実は返す言葉が見つけられなかった。

 

 

どうにかしないと。

このままでは、悠歌は不幸になる。

彼女は、親代わりの自分に依存している。

好意を持たれているだけなら良い。

しかし、他の者など要らないと、芽実以外を否定する人間にしては、駄目だ。

芽実は、それを良しとする性格ではなかった。

 

それだけではない。

ネットというのは、危険が付き纏う。

それでも精々、詐欺や悪意のある行為に気を付ければ良いと、高を括っていた。

その程度なら、自分が守ってみせると、自惚れていた。

 

しかし、その悪意のある者が悠歌自身になれば?

出る杭は打たれる。

ネットという膨大な人間が集う場では、尚更。

悪評を重ねる悠歌を良く思わない者は、少なくないだろう。

報復が激しくなるのは、時間の問題。

幾ら性別を偽ろうとも、身の上を隠していたとしても、如何なる方法で発信させる人間はいる。

それが、ゲーム外にまで及べば、悠歌は仮想の世界でも、現実でも苦しむ羽目になる。

彼女を、更に孤独にさせてしまう。

 

しかし、芽実には不安に苛まれる事しか出来なかった。

自分の言葉は届かない。

ゲームを禁止させようともした。

物を投げつけてまで反抗する悠歌を見て、芽実は恐怖した。

それからは、悠歌に強制する事は出来ずにいた。

しようとする度に、あの瞳で見られる事に、身が震えた。

 

 

自分では、助けるべき子供である彼女を、救えない。

芽実は、それが歯痒かった。

時には、本当は自分が引き取るべきではなかったのでは、とすら思い。

その度に、悠歌に隠れて泣いていた。

 

 

その転機が訪れたのは、唐突だった。

 

『──だぁああ! 何なんだよお前ぇ!』

 

今まで聞いた事のない悠歌の声。

休日故に悠歌と一緒にいた芽実は、驚いたように彼女へと視線を向ける。

そこには、あの自身の行為で暗い笑みを浮かべていた悠歌の姿はなく、頭を抱えて天を仰ぐ彼女の姿。

 

そして。

 

《わーっはっはっは! 甘く見たな、ベノムハウントよ! お前の悪行、この俺が止めて差し上げようではねーか!》

 

どこか言葉遣いのおかしい、少年の声が、パソコンから響いていた。

 

『うるせぇ! ポッキーだかラッキーだか知らねぇがな! あちこちオレに付き纏いやがって! ストーカーかテメェは!』

《やーん、照れるぅ》

『褒めてねぇよ!?』

《あ、そう? んじゃま、とりあえずベノムハウント、これに懲りたら悪い事すんじゃねぇぞ?》

『はぁ!? なに、悪い事って、意味分かんないし! あっ、悪行とか言ってたけど、そういうヒーロー気取り? イキッてんね!』

《うんにゃ? 正直詳しい内容は俺もよく知らないの。何したの?》

『え、何で知らないで来たの』

《ノリ》

『ノリなの!?』

《でもさ、ベノムハウントさんよー。俺とやり合えて、楽しかったろ?》

『楽しくねぇわ! カッコつけんな! 死ね!』

《俺は楽しいよ? あと今格好つけても意味無くね? それと俺は死なねぇ》

『なんだコイツうっぜぇ!』

 

なー! と大声で叫ぶ悠歌を、ケラケラと揶揄う少年の声に、芽実は目を点にした。

それは、今まで見た事のない悠歌の姿だった。

 

それからも、悠歌と、『トッキー』という少年の一方的な交流は続いた。

 

『お前ホントしつこいから! 訴えるよ!?』

《どうぞどうぞ。それよりさ、今日レイドボスのイベントあるんだけど行かね? 二人で》

『行くか!』

《なんだよ、つれねぇなぁ。じゃあ、もっかいバトる?》

『しないって!』

 

『……またかよぉ、なんだよお前ぇ』

《よっ。奇遇ですね》

『出待ちしておいて白々しいんだよぉ……』

《なーなー、今日何して遊ぶー? またバトっちゃう? ま、俺が勝つけどね?》

『話聞けよぅ……』

 

『…………』

《なぁ、ベノムハウントってなげーからさー。なんか渾名決めていーい?》

『……もう、勝手にして』

《駄目よ。俺は出来れば、本人の了承得た渾名を言いたいの》

『知らないってばぁ……、もうハウントとかで良いよぅ……』

《テキトーめ。じゃあハウント! これからも、よろしくな!》

『これからも!?』

《当たり前やん》

 

《ハウントー、今日どこいくー?》

『もう勝手にしろ……つーかさぁ、お前、誰に口聞いてんのか分かってんの?』

《え、ハウント》

『くっ……あのなぁ! ガキみてーなお前と違って、オレは大人なんだよ!』

《嘘、マジで!? 年上!?》

『ぁっ、ぇっ、そ、そう! オレの方が年上なの! 参ったか!』

《マジすか……、今までタメ語使って、すんませんした!》

『わ、分かったならいいんだよ。これに懲りたらな、もうオレに付き纏うんじゃねぇぞ』

《え、それとこれとは関係なくないスか?》

『何なんだよ、お前! 年上の言う事は聞けよ!』

《年上を武器に振りかざすとか、ハウントさん子供っスね》

『何コイツぅうう!! もうやだぁああ!!』

 

トッキーという少年は、破天荒のそれだった。

嫌がらせをする訳ではないが、執拗に悠歌を追い回し、振り回す。

芽実が耳にした会話ですら、それは顕著だった。

だが、芽実から見て、悠歌は段々と変わっていったように見えた。

 

まず、荒らし行為を辞めるようになった。

最初こそする事はあったが、トッキーに逆に妨害されて、更には正面対決を迫られ、無惨に彼に敗北するのが定例だった。

しかし、交流を重ねてからは、自分から他人への妨害を辞めるようになっていった。

 

悠歌はトッキーという少年を疎ましく思っていると言っているが、芽実は違うと確信していた。

いつの間にか、彼女はトッキーを探すようにゲームを起動するようになった。

彼が居ない時は寂しそうにゲームを終了させ、彼を見つけた時には口では嫌がりながらも、その顔は嬉しさを隠しきれていない。

 

それが、芽実には堪らなく嬉しかった。

 

 

芽実にとってのトッキーという少年は、悠歌の掛け替えのない友人だ。

悠歌を様々な仮想の世界で連れ回し、困らせながらも、何処か寄り添うように彼女と親しくしてくれる。

下心のような物も感じられない。本気で、悠歌と仲良くしようとしてくれている少年に、芽実は感謝の気持ちで溢れていた。

 

 

 

「──もう、本当キモいもん見た。トッキー建築センス無いんじゃない?」

《……うーん、じゃあ、別の作ったんスけど、それなんてどうです?》

「えー、もうなにぃ」

《ふっふっふー。──コレこそ、俺の力作! 名付けて、『世界樹』です!》

「……え!? は!? ナニコレ!? 水が、周り覆って、中にデッカい桜が、はぁ!?」

「すごー……、綺麗……」

《ふっふん。めっちゃ時間かかりました》

「凄いじゃん、トッキー! あの生首タワーとは比べ物にならないよ!! もうアートじゃん!」

「うん、一人でこれ作ったのは偉いよ」

《まぁ、発想はパクリなんスけどね》

「パクったんかい」

「パクリでも、これを実行するのは、凄いって……」

《褒めないでくださいよ、ミルキャンさん。人の神輿で喜んじゃうじゃないですか》

 

ドーム状に作られた水の壁に、囲われるように鎮座する巨大な桜の木。

周りも公園のように整えられ、まるで幻想的な風景に悠歌と芽実は目を奪われていた。

例え、それが仮想の世界の物だとしても、目を見張るには十分だった。

 

トッキーという少年は、奇想天外だ。

自分達に、色んな光景を見せてくれる。

様々な体験を与えてくれる。

通話越しの関係ながらも、芽実は悠歌と同じように、親しみを感じていた。

 

「……トキくん、ちょっと良いかな」

《ん? どうしたんス?》

「ちょっと、仕事の事でさ……」

《あー、資料関係? のお仕事なんですっけ》

「うん……」

 

だからなのだろうか。

彼に、いつも甘えてしまうのは。

 

彼は高校生らしい。

月読高校の生徒会の面々と同じく、自分が守るべき子供。

そんな相手に、自分は相談を持ちかけている。

情けなさも同時に感じつつ、それでも彼女は辞める事が出来なかった。

 

「今、色々忙しいんだけどね? 自分だけ、外野っていうか、役に立ってる気がしなくて……」

《ほうほう》

「……でさ。この仕事、向いてないのかなって」

 

自分が警察官の一人であると、芽実は彼に伝えていない。

ぼかした説明で偽り、その上で彼に縋る。

ネットだけの関係とはいえ、それが何処か虚しく思える。

 

それでも、芽実は本音を吐露した。

彼の優しい言葉に、期待している汚い自分を隠して。

 

《うーん、嫌になったとか、苦しいとか、そんな感じスか?》

「いや、別に仕事自体は楽なんだけどね。だからこそっていうか……」

《なるほど……。まぁ、本気で辞めたいって言うなら、それは止めませんけど。役に立ってるかっていう話なら、普通に役に立ってると思いますよ?》

「……そうかな」

《そうっスよ。ミルキャンさんは自分を過小評価し過ぎです。資料を纏めたり、探ったりするのって結構大変なんスよ?》

「そう? 誰でも出来そうな事だと思うけど」

《分かってないっスねー。誰でも出来そうって思える仕事程、実は大変なんス! それを楽って言って卒なくこなせるミルキャンさんは凄いんス! めっちゃ役に立ってるんスよ! 自信持って!》

「言うねぇ」

《俺は事実を言うのは得意ですから》

「口八丁が得意の間違いじゃね?」

《ハウントさん、それどういう事っスか?》

「確かに、優しい言葉は上手いよね」

「いやー、コイツはアレだね。まだまだ拙いけど、上手く磨けば女の敵になるね」

《あれ? 何この流れ? 相談何処行ったの? ねぇ》

 

困惑の声を出す少年に、芽実達は笑い合う。

 

あぁ。

この少年は。

いつも労いを、励ましを。

優しい言葉をかけてくれる。

自分は、それにいつも頼ってばかりで。

何も返せていない。

 

 

芽実にとってのトッキーという少年は、今や彼女にとっても無くてはならない存在と化していた。

彼がいたから、悠歌が変われたのもそう。

こうして、日常の憩いを満喫出来ているのもそう。

いつも可笑しな事をしたり、常識人ぶったりする、見ていて飽きない少年。

彼が居たから、今の幸せな空間があると言っても、過言じゃない。

本人は、それはミルキャンさん達の頑張りなだけでは? と本気で首を傾げるだろうが。

そんな事は無いと、芽実は強く言える。

誰かの幸せを守れる、彼女が憧れていた創作上の主人公。

絶望の淵から手を差し伸ばしててくれる、救いのヒーロー。

彼の在り方は、芽実自身が惹かれていた理想の姿、そのものだった。

 

……これを口にしようものなら、謙遜どころか、頭を打ったかと心配されるか、最悪、引かれてしまうだろうが。

 

 

そんな彼に、恩を返すどころか、ただただ依存しているだけの自分が、どうしようもなく、惨めに思えた。

 

そんな暗い気持ちを心の隅で感じながらも。

 

「……ありがとう、トキくん。わ、ボクも、もうちょっと頑張るわ」

《あ、お、あい。その意気っス。ミルキャンさんは、自分が思ってる以上にスゲー人なんスから》

「持ち上げ過ぎ。あんまり褒め過ぎると、逆に不安になるものなんだよ?」

《だって事実なんスもん。ミルキャンさんは自分をもっと信じてあげて下さい》

「それは同意だわ。オレはミルキャンの凄いとこ、トッキーより知ってるからな!」

「ハウントまで……分かった。ボクが考え過ぎでした。ネガティブになってました」

《そうです! 例え挫ける事があろうとも! コツコツ積み重ねた物は! 確実にミルキャンさんの血肉となるのです!》

「なーんの話してんの、もうっ……」

 

苦笑いを浮かべながらも、芽実は彼の言う通りかもしれないと感じた。

 

そうだ。

私はまだ、頑張れる。

勝手に諦めてた気になってただけじゃないか。

この仕事自体は苦ではないんだ。

彼の言葉通りなら。

楽だと思うのが、本当に良い事だと言うのなら。

やれるとこまで、やってやる。

 

彼等の言葉はこそばゆいけれど。

自分を凄い人間とは、とても思えないけれど。

少しだけ、肩の荷が下りた実感を、芽実はひしひしと感じていた。

 

そんな彼女に、悠歌は情の深い視線を向ける。

 

自分は、芽実を困らせてばかりだった。

酷い事さえ、沢山した。

それでも、芽実はひたすらに自分の側にいてくれた。

ならば、彼女が何かを抱えて落ち込んているのなら。

自分はその背中を押してあげよう。

彼女が、自分を支えてくれたように。

 

……尤も。

まだまだ自分は力不足で。

ネット越しの友人の手を借りないとならないけれど。

 

ほんの少しの嫉妬とも、感謝ともつかない感情を、スマホ越しの少年に向ける。

そして、そのついでとばかりに目に映った時間に、悠歌は慌てて声を出した。

 

「……って、もうこんな時間じゃん! トッキー、時間大丈夫?」

《ん? おぅわ、結構ギリギリっすわ》

「あちゃー、時間取らせちゃったね、ごめんね」

《いやいや、良いんスよー、俺がミルキャンさんのお力になれるなら、喜んで時間だろうと取られますぜ?》

「いや、後悔するからやめときな?」

《あい》

 

芽実の言葉に即座に肯定するトッキー。

それに、芽実は穏やかな笑みを浮かべた。

 

 

芽実にとってのトッキーは、自分達の生活に彩りを与えた存在でもある。

 

彼にいつも助けられてきた、と思う場面は両手では数えきれない。

本人は否定するけれど、自分への見方に捻くれた所があるけれど、他人への情愛は深いものだ。

その在り方に、自分達はいつも支えられてきた。

 

こんな事を言ったら、即座に反論するだろうが、彼は彼自身が思っている以上に彼女達への影響は大きい。

 

この一時が、彼への僅か感謝として返せるのなら。

共にいる事が、彼の何よりの癒やしとなるのなら。

それは、芽実にとって、そうであって欲しいという願望でもあった。

 

 

「じゃ、そろそろお開きにしようか」

「うん、また遊ぼうね、トキくん」

《あい、お疲れっした》

 

別れの挨拶を告げ、芽実達は彼との通話を切る。

残されたのは、満足そうに伸びをする芽実と。

 

「はぁー……めっちゃ遊んだ。いやー、ゲームって何でこんな時間立つの早いんだろ」

 

疲弊したように、しかし嫌そうな顔をせず、寧ろ幸福そうな表情で呟く悠歌だけとなった。

 

「大丈夫? 宿題はちゃんとしたの?」

「う……、したよぉ。課題なんて残しても、なんも良い事ないし」

 

芽実の問いに、悠歌は顔を(しか)めながらも答える。

 

在宅型の通信校に通う悠歌は、年に一度だけ登校すれば良い。

その分、自宅でやらねばならない課題は山積みだ。

期限も設けられている為、計画的に進めなければ、あっという間に火の車。

元々、面倒な事は先に片付けたい悠歌にとっては、課題など放置するのは論外だ。

何より、芽実に通わせて貰った恩がある。

それを返さずに、胡座をかく気など、悠歌には更々無かった。

 

「それなら良いけど。……ご飯はどうしようか。私、勝手に食べちゃっても良い?」

「あ、それならもう作り置きしといたよ。レンジで温めておいて」

「おー、気が利くぅ」

 

ダイニングテーブルの向かい側、キッチンの方を指差す悠歌に、芽実は揶揄うように笑いながら席を立つ。

 

彼女がレンジを開けると、そこには色彩豊かな料理が入っていた。

どれも手が込んだものばかりで、とても料理を初めたばかりの、焦げた塊を作っていた当初の悠歌と同一人物が作ったとは思えない。

 

「いやー、どれも美味しそうじゃん」

「あんがと。サラダも作っといたから、冷蔵庫に入れてるよ」

「そりゃ楽しみだ。……にしても、ホント見違えたよね、悠歌。これもトキくんのお陰かな?」

「否定出来ないのが悔しいなぁ。トッキーにはそこら辺は足向けて寝られないわ」

 

長い髪を弄りながら、椅子に座ったまま、くるくると回る悠歌。

それを眺めつつ、芽実はレンジの蓋を締め、料理を温める事にした。

その間、彼女は冷蔵庫にあるというサラダを取り出しに向かう。

冷蔵庫の中は、悠歌がよく飲むジュースや、芽実が買い込む食材、そしてラップに巻かれたボウルが見えた。

 

ボウルの中身は、ポテトサラダらしい。

ハムと、塩抜きしたのか水気のないきゅうり、茹で卵も混ぜ、マヨネーズと胡椒で味付けた一品。

 

全部食べて良いかの確認を芽実が取ると、軽い返答で「いいよー」という言葉が返ってくる。

その言葉を受け、ボウルからラップを外すと、芽実は可燃ゴミとしてゴミ箱の中に捨てる。

ゴミ箱の中は、彼女が昨日見た時と違い、ゴミの量が明らかに少ない。

ゴミ出しの件で今日、トッキーに詰め寄られていたが、悠歌の言う通りちゃんと処理は済ませたようだ。

 

本当に、何から何まで変わったな、と芽実は微かに笑った。

 

ここに来た当初の悠歌は、家事全般が難しい少女だった。

作れる料理もインスタントヌードルだけで、洗濯物を干すのも一苦労だった。

掃除も適当に、ゴミなど燃えるゴミにペットボトルを隠して入れる事もざらにあった。

 

家族が離婚する前から自分の分の家事をやっていたとはいえ、親のアドバイスもなく自己流でやるしか無かった悠歌にとっては、正直苦手な事でしか無かった。

芽実のアドバイスもあったが、厚生させるのは骨が折れた。

 

そんな悠歌が変わったのは。

 

「本当に、トキくんが悠歌の友達になってくれて良かったよ。トキくんが居なかったら、どうなってた事やら」

「ベタ褒めすんじゃん。頑張ったの私なんですけどー」

「それはそうだけどさー。私が教えてた時は、なーんにも身につかなかった癖に、トキくんがサラッと教えちゃったら、どんどん上手になっちゃってさー」

「……まぁ、そりゃそうだけどさー」

 

 

不機嫌そうな口振りをする悠歌だが、その表情は満更でもなさそうだ。

レンジで温め終わった料理と、ボウルのままのサラダをテーブルに乗せつつ、悠歌の様子を眺めながら料理を食していた芽実は。

ぽつりと、何気なく口を開いた。

 

「悠歌はさ、トキくんの事、好き?」

「はいぃ!?」

 

突然の問いに、悠歌は驚いて立ち上がる。

 

それにつられて、椅子に髪を巻き込んでしまい、危うく倒れかかってしまう。

バランスを崩した彼女に、「大丈夫ー?」と声を掛ける芽実。

何とか体勢を整えた悠歌が、その返答の代わりに顔を真っ赤にさせて、つっかえるように早口でまくし立てた。

 

「す、すすす好きとかじゃないし! そんなんじゃないし! 急に何言ってんの!?」

「それじゃあ、好きじゃないの?」

「いや、あの、いや、その質問ズルくない!?」

「狡いって言う事は、やっぱり好きなんじゃん」

「違うってば! 別にトッキーの事は、そういう目で見てない、というか、そういう単純な話じゃない、というか……」

 

というか、何でそんな話になる訳!? などと。

フーフーと、威嚇染みた荒い鼻息をたてる悠歌に、芽実は、何処か悪戯っ子の瞳を向ける。

 

「へー……」

「な、なに?」

「私、友達として好きなのか、って聞いただけなのになー。悠歌ったら、おませさんだー」

「なっ……!」

 

芽実の言葉に、自分が揶揄われていたのだと、ようやく気付いた悠歌は、先程よりも一層顔を朱く染めた。

まるで茹で蛸のような顔色で芽実を睨み、それでもにやけた表情を辞めない育ての親から顔を逸らすように、悠歌はそっぽを向いた。

 

「知らない! 芽実のアホ!」

「あはは。ゴメンて」

 

腕を組んで罵倒する悠歌に、芽実はやりすぎたと苦笑いをする。

そのまま食事を中断して席を立ち、悠歌へと近づく。

彼女の側まで寄ると、芽実は優しく抱き寄せ、悠歌の頭を擦った。

 

「お姉ちゃんが悪かった。だから、機嫌直して?」

「……んー……」

 

不機嫌な顔を変えない悠歌だが、頭に乗せられた手を払う事はしなかった。

 

「でも、そっか……トキくんには、ちょっと妬いちゃうな……」

「……え?」

 

今では愛おしい、妹のような存在である悠歌。

彼女の頭を撫でながら、小さく放たれた芽実の言葉に、撫でられていた少女は、怪訝な声をあげる。

思わず、芽実の方へと顔を向けると、その表情は何処か憂いを帯びた表情をしていた。

 

「……というか、私だけ仲間外れみたいで、ちょぴり寂しいかも」

「……芽実」

 

侘しさを感じさせる笑顔。

 

そんな彼女の、自身を包み込む彼女の腕を、悠歌はそっと手を当て。

 

 

「……いや、私に隠れて内緒でトッキーと遊んでる芽実に言われたくないし」

「…………」

「目ぇ逸らすなー、逃げるなー」

 

視線を悠歌から外し、離れようとする芽実を、悠歌は添えてた手を掴むようにして離さない。

その目は、物言いたげに半目で据わっていた。

 

逃れられぬと悟った芽実は、諦めたようにため息をつく。

 

「バレてたか……」

「バレるわ。履歴とか色々残るんだからね」

「うぅ……ゲームに詳しくないと大変だ……」

「別に私抜きで遊ぶのは良いよ。というか、芽実とトッキーが仲良くなってくれんなら、私も嬉しいし」

 

全くもう、と手の掛かる子供を見るような面持ちで呟く悠歌に、芽実は恥ずかしそうに、苦笑の笑みを浮かべた。

 

 

悠歌にとってのトッキーという少年は、型破りな存在でもあった。

突然現れては、こちらの事などお構い無しに状況を狂わせる。

常識ぶってる癖して、突飛で奇抜な事も平然とやる。

しかし、困らせたり、煩いと思う事は多々あったが、彼女が本当に嫌がるような事は、不快に思うような行為をする事は、思えば一度も無かった。

自分との初対面も、ただ楽しく遊ぼう、と。

事情なども深く知らず、考えず。

行動で示してきた。

それに、何処か救われていたというのも、嘘ではない。

 

自由奔放なようで、他人を見ているような、やはり何も考えてなさそうな、不思議な存在。

 

何より、ゲームで暴れ回る彼女を止めた事。

それが一番、悠歌にとって大きな事だった。

 

特段、彼女は腕が良いといっても、程度がある。

プロゲーマー、と呼ばれる集団からすれば烏合の衆だろう。

悠歌が面倒と思われていたのは、その性質。

嫌がらせや妨害に集中していたから、例え勝負になろうと勝とうが負けようが、妨害さえ出来れば勝ち。

引き際も弁え、深追いもしない。

それが、問題を起こし続けていた当時のスタイル。

 

それを尽く、何食わぬ顔で潰していったのが、トッキーという少年だった。

聞き齧りの情報だけで、妨害内容のある程度を対策し。

逃亡経路を逆算して追い詰める。

別のゲームに逃げる事すら把握され。

その度に彼女の前に立ちふさがる。

妨害すれば勝ち、が彼女のスタイルなら、その彼女を妨害するのがトッキーの勝利条件。

そして、遂に血が昇った悠歌がけしかけ、彼に圧倒的実力差で敗北したのが、最初の出会い。

 

トッキーという少年は、悠歌にとって、ライバルでもあり、腐れ縁に近い。

そして、趣味に関しても、彼は新たな仲間でもあった。

 

 

 

それは、初めて芽実が、悠歌と共にトッキーと遊ぶ事になった頃だろうか。

 

『え、えと……これで良いんだよね? のど、』

『みーるーきゃーん?』

『あぁぁ……ゴメン、ハウント』

『よし』

《よろしくっス! えっと……ミルキャン、さん?》

 

ネット越しで、会ったこともない人間と通話する。

端から見ていたとはいえ、自分がそんな事をするとは芽実には信じられなかったし、初体験だった。

 

悠歌に教わりながら、一応声が高くなるよう変声機能も付け、自分のハンドルネームも考えて。

準備を重ね、いざ実践してみたは良いものの、芽実は緊張が取れずにいた。

 

『よろしくね、あー、トッキー、くん?』

《ウッス》

 

疑問符混じりに呼び掛けられても、トッキーという少年は軽い調子で応える。

中々、初対面の相手でも緊張しない辺り、場馴れしているのだろうか。

最近の子は進んでるな、と。

芽実はふと、そんな事を考えていた。

 

《いやー、ハウントさん彼女いたんスねぇ》

『ちげーし。ミルキャンは、えーと、そう、男』

《え、うっそぉ!》

『萌え声なのは、バ美肉したい男のサガなのよ』

『う、うん……』

《はえー、人の趣味って本当多種多様っスねー》

 

悠歌が勝手に決めた設定に、芽実はあまり納得出来なさそうに、しかし頷く。

 

別に、自分の性別くらいは彼に教えても良いんじゃないか、とは芽実は思っていたが、そう簡単な話でもないらしい。

確かにトッキーは女とか男とか気にしない質だが、一応念の為、とは悠歌の言である。

 

『そうそう、しかも、コイツ特撮にも詳しいんだぜー?』

『ちょ……!?』

 

頬杖をつきながらニヤつく悠歌に、芽実は慌てて制そうとする。

 

何でバラすの、とか、いーじゃん別にー、とか小声で言い合う二人に、トッキーという少年は何気ない声色で問い掛けた。

 

《へー、ミルキャンさん、特撮好きなんスねー》

『いや、あの、ちが』

『オレが特撮好きになったのも、ミルキャンの影響だしねー。因みにヒーロー物が好きなんだぜー?』

『そ、そこまで言うの!?』

《なるほどー、お師匠さん、って訳ですな》

『あ、いやぁ……』

 

顔を真っ赤にさせて、声を詰まらせる芽実。

 

正直な話、自身の趣味がバレる事など、芽実は極力避けたかった。

子供っぽい。女の癖に。

 

子供の頃から、そう揶揄われていた芽実にとっては、自分の趣味は半ば恥ずかしい物という認識となっていた。

それでもやめられない事に、余計羞恥心が重なり、隠す事が芽実の常識と化していた。

 

それを、悠歌も知っている筈なのに。

 

自ら穴を掘って入りたい、などと悲観に暮れながら、芽実は必死に弁明する。

 

『あ、あの、子供の頃の話だから、今はそんなんじゃないし』

『嘘でーす、今も好きでーす』

『も、もうやめてって!』

《ん? どしたんス? ミルキャンさん》

『え? あ、いや、その……』

 

悠歌が嘘をバラしたのを、便乗して揶揄う訳でもなく。

本気で、平然とそう尋ねるトッキーに、芽実はしどろもどろになった。

 

恥ずかしい。

何で初対面の少年に趣味の暴露をされないとならないのか。

一緒に遊ぶ話はどうなった?

 

半ば絶望した気分に浸りながらも、芽実はポツポツと喋り出した。

 

『……大人なのに、ヒーロー物が好きとか、何か、変でしょ……』

《何言ってんスか、趣味に子供も大人もないでしょ》

 

あっけらかんと。

芽実の先細りした声に、少年は心底どうでも良さそうに応えた。

その言葉に、芽実は驚き。

悠歌は、まるで予見していたかのように、満足そうな笑みを浮かべた。

 

『……お、おかしく、ないの?』

《寧ろ何が? です。そりゃ、俺は特撮とか知らなかった人間ですけど、だからって馬鹿にするとか論外ですし、何ならハウントさんに色々オススメして貰ってラッキーでしたよ?》

『……』

 

トッキーの言葉に、芽実は目を見開き、悠歌の方へとゆっくり視線を向ける。

その視線の先の少女は、自信有触れた表情でVサインを芽実に向けた。

 

事の要因は、悠歌のハンドルネームの由来だ。

何故そんな名前を付けたのか、とトッキーが疑問に思い、悠歌に尋ねたのが始まり。

 

最初こそ、芽実のように答えを出し渋る悠歌だったが、執拗に問うトッキーに根負けし、渋々話す羽目となった。

 

子供向けのヒーロー番組。

しかも、ヒーローではなく、悪役の名前。

 

同じ趣味を持ってる者同士なら、話は通じる。

しかし、トッキーという少年は無知に近かった。

何も知らない一般人側。

 

どうせ馬鹿にさせると、そう思っていた悠歌に。

 

 

《人に迷惑かけなきゃ、趣味なんて大人も子供も、女も男も関係ないっスよ。好きなら好きで良くないスか?》

 

 

一言一句違わず。

芽実に語るように、その時も彼はそう返したのだから。

 

『そ、そうかな……?』

《そっス。そりゃ俺だって好き嫌いとかありますけど、それとミルキャンさんが好きなのと何か関係あるか、つったら無いでしょ? 別にドーンと構えりゃ良いんスよ》

『う、うん……』

《つーか、このご時勢、ネットじゃ別に大人でも特撮好きを明言してる人も沢山いるッスよ? 女の人でも、そういう趣味持ってる人がいるってのは知ってますし。だからって訳じゃねーけど、ミルキャンさんも気にする必要なんかねぇです》

『……そ、そっか』

 

諭す訳でもなく、本気で当たり前のように語る少年に。

芽実は少し、心が軽くなるのを感じた。

 

それを見ていた悠歌が、楽しそうに芽実に話しかける。

 

『な? トッキーは話が分かる奴なんだよ』

 

そう言って、悠歌は嬉しそうに微笑んだ。

 

 

トッキーという少年は、相手の事を何でも受け入れるような少年だった。

それが例え、自分の興味のない事でも、それはそれとして相手を尊重する。

流石に気に入らない物もあるだろうが、許容範囲というものが限りなく広いと思わせるような少年。

 

それが、悠歌にとってのトッキーであった。

 

救われた、なんて、大層な話ではないが。

きっと多くの人にとっては、何気ない出会いの一幕に過ぎないだろうが。

彼のような友人を持てたのは、悠歌にとっては幸運だったと、思わせるものだった。

 

 

だからなのか。

 

 

 

「とりあえずさー。飯食ったら、ちゃんと風呂入ってね? 沸かし直してあげるから」

「うっ……、忘れてた。食事した後に入ったら太るんだよぉ……」

「とか言って。面倒なだけでしょ」

「……仕事すると、お風呂入るのも億劫になるの」

「良いから入れ」

 

渋る芽実に、冷静に催促する悠歌。

うぅ、と唸りながら、食事を再開する為にテーブルに戻る芽実を見つつ、悠歌も居間のある壁面へと向かう。

 

お風呂の温度調整や、湧き直しをする為のパネル。

それを操作しようとする手前で、彼女はふと振り返った。

 

悠歌の視線には、先程までゲームをしていたパソコン。

そして、少年と交流する為のスマホが置かれている。

 

 

トッキーという少年は、どうやら幼馴染の少女達がいるらしい。

しかも、非常に良く接して貰っているだとか。

聞いただけでも、それは好意では? と思うものばかりだ。

全くもって不健全だと、悠歌は勝手に思っているが、同時に分からないでもないとも思った。

 

あの手の性格をした少年は、人を選ぶだろう。

不快に思う人間も、少なからずいる筈だ。

しかし、まぁ。

 

彼は何というか、目が離せない人間だ。

人を良く見過ぎる能天気さ。

と思ったら、悪意には結構敏感。

されど、そういうものだと割り切って、それすらも受け流す。

しかし、強い人間かと言うと、そうではない。

 

度々、幼馴染達との交流に暗い声色で感想を述べる事がある。

嫌がってる訳でも、面倒という素振りでもない。

まるで、自分はそこにいてはいけない、という口振り。

 

そりゃ、幼馴染達も放っておけないだろう。

どうせ、自分達のようにその奔放さで振り回して、情緒を掻き乱して、されど一緒に居て楽しいと思わせるような環境にした癖に。

 

それで、自分は一緒にいてはいけないのだという態度を取られるのは、悠歌が幼馴染の立場だったら、中々に不快だ。

 

少しは自分を知れ。

あの少年は自分の事を知ってるように語るが、悠歌からすれば的外れも良い所。

仲が良いと語る幼馴染達が、その証拠だろうが。

 

貴方は周りを振り回すのに長けてるんだから。

だったら、もっと堂々としろ。

 

仮に貴方が駄目人間だとしても、それを受け入れる人達がいるのだろう?

なら、それで良いだろ?

こっちはそういうのも込みで、少年の事が好きになったんだから。

 

他人の事を受け入れる度量があるんだから。

自分の事も受け入れてあげなさい。

 

百合に挟まる男、だったか?

そういう趣味があるのは意外だったし、つい強い言葉も言ったが、仮に幼馴染達に当て嵌めようというなら、それこそ論外じゃなかろうか。

彼女達のそれは、そういうものではないだろう?

それが愛かまでは、外野の自分では分からないけれど。

少なくとも挟まる云々とは全く違うものなのだと、悠歌は言い切れる。

性別を偽ってるとはいえ、自分達も、少なからず彼を良く思ってしまっている。

無害を装っておいて、これはこれは、酷い男じゃないか。

 

……多感と言われる年齢である自分ですら、こんな考えに陥るのだ。

ましてや、それを冷静に見るどころか。

 

 

「……毒されてるなぁ、私も、芽実も」

 

本当なら、嫌な男、情けない男と思ってしまうものだと。

気持ち悪くも思ってしまうものだろうと。

端から見れば、それが正論かもしれないのだが。

なんなら、彼女自身もそう感じてはいるのだが。

中々どうして。

 

嫌いになれないのは。

どうしても、受け入れ難いものの筈なのだが。

彼を知って、嫌いになれなかった少女は。

 

「ホント、悪い男だなぁ、トッキー」

 

呆れた顔で。

しかし、何処か愛おしそうな目で、悠歌はそう呟いた。

 

 

 

 

 

桐生(キリュウ) 悠歌(ノドカ)

(トマリ) 芽実(メグミ)

彼女達と交流しているなどトッキーこと、翔太郎は露ほども気付いてはいない。

 

ネットの海で知り合い、互いに素性を深く語らぬ友人達が。

彼女達もまた、デザイアノーツを目指す、後の御子となる存在だという事に。

彼の言う、ヒロインという存在だという事に。

何一つ、気付けては、いない。

 

 

そして。

 

彼女達もまた、後の運命など、知る筈もなく。

ただ、現実の日々を送っている。

 

 

 

 

「──つまり結局の所、進展無し、と。貴女達は、本当に自分達が重大な立場にいるとお考えですか?」

 

金髪の男。

彼はモニター越しに、不快感を隠そうともせず、そう言い放った。

 

そんな彼に、陽樹は能面のような表情を変えず、頭を下げる

 

「申し訳ございません、バドリード大使。当方も、お力添え出来るよう、尽力しているのですが──」

「言い訳も、背伸びした言葉遣いも結構。子供が大人の真似事をしても滑稽なだけです」

「……非常にお見苦しい所をお見せしました」

 

バドリード、と呼ばれた男の容赦ない言葉にも、陽樹は顔色一つ変えず、再度頭を下げた。

 

隣で、歯軋りの音を小さく立てる祈織を、外交官に悟られぬように、頭を下げたまま睨みつけつつ。

 

「……まぁ、良いでしょう。貴女方に期待していた私が愚かだった。やはり、子供は子供。日本の警察に素直に任せるべきでしたね」

「お言葉ですが」

 

呆れと苛立ちの混じった外交官の声を制したのは、弦輝だった。

 

「こちらの記憶違いでなければ、我々が関与するよう促したのは、大使官殿の筈では? 我々としても、経験不足の餓鬼風情が、本職の警察方々の足を引っ張るようで、心苦しいのですが」

「あくまで助言したまでです。月読市という捜索範囲が絞り込めている現状、常識に囚われず、若い視野をも取り入れるべきだと。尤も、期待した成果には届いていないようですが」

 

嫌味を乗せた言葉にも飄々と応えるバドリードに、弦輝は侮蔑の混ざった視線で見つめた。

 

よく喋る。

さも画期的と勘違いした無能を装っているが、実際の腹の中は真っ黒だろうが。

そもそも自分達を参加させた時点で、本気でこの事件に取り合う気もないだろうに。

警察上層部にまで、どんな手を使ったか知らないが、わざわざ口裏まで合わせるのは、逆に称賛ものだ。

 

そんな無駄な事も容易にこなせる、金と権力をこの金髪の男は持っている。

それが、アフイロアと呼ばれる国の外交官、バドリードという男だった。

 

彼は、弦輝の視線など気にも止めず、話を続ける。

 

「話が逸れました。何にせよ、捜索エリアが決定したのは、及第点と言えましょう。確か、工業エリアで間違い無かったですね?」

「はい、国立野(くにたちの)町と能地(のじ)町。其方を集中して捜索して頂くよう、御提案いたしました」

 

陽樹の返答に、どうでも良さそうにバドリードは頷いた。

 

この月読市には、多くの町で構成されている。

その内の目立った街は、下記の三つ。

 

天御中(あめみなか)町。

住宅街を主としたその町は、神産巣日町を隣町とする立地の良さと、気候の過ごしやすさから、月読市の居住地の中では一番の人気を誇る。

 

神産巣日(かみむす)町。

月読市の中央に位置するその街は、アミューズメント施設やショッピングセンターなど、数多くの商業施設が立ち並ぶ、繁華街である。

多くの人が出入りするその街は、月読市の心臓部と言っても過言はない。

 

高御巣(たかみす)町。

神産巣日が日中を賑わす繁華街ならば、こちらは夜を彩る歓楽街である。

宿泊施設や、酒を提供する場、社交の場など、夜間の営業を主とする施設で溢れている、ネオンが眩しい街。

 

他にも、

農業を主にした豊雲野(とよくもの)町。

 

沿岸に位置し、漁業が盛んな常立(とこたち)町。

 

その隣に位置する交易場たる、須比智(すびち)町。

 

山林が目立つ角杙(つのぐい)町と於母(おも)町。

 

工業施設を多く構える国立野(くにたちの)町と能地(のじ)町。

 

歴史的建造物を名物とする宇比地(うひじ)町。

 

かつて商店街として月読市を支え、今でも観光街として慎ましく努力する大斗乃(おおとの)町。

 

天御中と並ぶ居住地の一つであり高層マンションやアパートが立ち並ぶ宇摩志(うまし)町や比古遅(ひこち)町。

 

等々、様々な町で溢れている。

 

一度見ただけでは空目しそうな町名の羅列。

陽樹達も、覚えるのは一苦労だった。

だが、彼女達においては重要な情報。

何故なら、何れかの町に、彼女達が監禁されているのだから。

 

しかし、ある程度の枠組には分けられるようになった。

 

 

首都エリア。

月読市中央に位置する、主要街三箇所をそう纏めたエリアは、全てのエリアに隣接する。

 

住宅エリア。

宇摩志町や比古遅町はそこに。

首都エリアの他には、勧業エリアと農林エリアを隣とする。

 

工業エリア。

国立野町と能地町。

漁業エリアと勧業エリアを隣とするエリア。

 

漁業エリア。

工業エリアと農村エリアの隣に位置するエリアであり、常立町と須比智町が分類される。

 

農林エリア。

角杙町と於母陀町、豊雲野町はここに。

住宅エリアと漁業エリアに挟まるのはこのエリアだ。

 

観業エリア。

そこは、住宅エリアと工業エリアに触れている、大斗乃町と宇比地町とする。

 

 

そして、陽樹達が今回、集中して探すよう警察側に提示したと語るのは、工業エリアと呼ばれる場所。

 

工場が立ち並ぶ、隠れるに持ってこいの場所だ。

 

「目星が付いたのは喜ばしい。後は、貴女達の推測が当たるのを祈るばかりですね」

「はい、我々もそのように祈念(きねん)しており──」

「ですが」

 

陽樹の言葉を遮り、バドリードは続けた。

 

「これも徒労に終わった場合、こちらとしても、今の体制には再考せねばならない。その折、月読高校の皆様には責任を果たして貰います」

「……」

「加えて、今後の捜査には貴女方の役目を、我々が立ち代わりましょう。こちらとしても不本意ですが、彼女達が見つからなければ、これ以上は時間の無駄だ」

 

責任。

そう語るバドリードに、陽樹は初めて表情を変えた。

されど、一瞬。

不快そうに眉を僅かに引くつかせながらも、まるで何事も無いように、彼女は真顔を貼り付ける。

 

そんな彼女に、険しい目つきでバドリードは語りかけた。

 

「その高校も、我々の管轄に置かせて頂きます。まだ予定とはいえ、生徒を守れぬ学校など信用できません」

「なっ……そんな、ふざけないで下さい!」

 

声を荒げたのは校長だった。

理事長もまた、苦い顔を浮かべて、モニター越しの外交官を見つめる。

それを、外交官はにべもなく切り捨てた。

 

「それが嫌なら本気で取り掛かって頂きたいものです。言って置きますが、これは脅迫ではありません、宣告です」

「……っ」

 

冷淡な言葉に、言葉を返せない校長を無視し、彼は続ける。

 

「一週間。それが猶予です。それまでに見つかる事を、私も期待していますよ」

「……御意向に添えられるよう、精進致します」

「宜しい。それでは、ご機嫌よう。()()()()()()()()()()()()()

 

またも頭を下げる陽樹に、無愛想な言葉を投げかけると、バドリードは通信を一方的に切った。

 

残されたのは、生徒会の面々と、居心地が悪そうにする校長と理事長。

特に、校長の顔は怒りを隠しきれずにいた。

 

幾ら目上の人間だろうが、協力している人間にあの態度か?

子供だから懇意にしろ、とは言いたくなるが、それは甘い話だというのは彼女にも分かっている。

関わった以上、子供だろうが全力で取り掛からなければならない。

何より、子供と言えど彼等は高校生。大人と子供の境目にある時期であり、責任が要求される身でもある。

故に、大人の一員として扱う事もあるのは事実。

そして、結果が出せぬのも事実で、それを責める事も分からぬ話でもなし。

 

しかし、これは。

とんだ、()()()ではないか。

 

 

「……完全に、アイツのやりたい放題ですね」

 

そう忌々しそうに語るのは、弦輝だった。

彼の言葉に、陽樹は未だ落ち着いた声色で応える。

 

「あぁ、バドリード氏が、今回の事件に関与していると警察と此方が掴んでいるのも、およそ察していての、あの態度だろう」

 

 

 

そう。

あの男、バドリードは。

彼女達を誘拐した事件の主犯格。

その候補に上がっている人物だ。

 

情報を掴んだのは渡辺と芽実達、警察だ。

彼の不自然な金回りは勿論、妙な情報も飛び込んだ。

アフイロアで取り締まられている麻薬に近いドーピング剤。

それが、何故か日本に、大量に持ち込まれている。

しかし、その麻薬の副作用に関する事件は、未だ発生していない。

暴力組織や犯罪集団に流れる訳でもない。

そもそも、そんな暴力組織は解体済み、犯罪集団も碌におらず、仮にいたとして金も力もない有象無象ばかり、警察のお縄に直ぐ様つくのが関の山だ。

資金源にするなら兎も角、未だ用途不明。

しかし、その繋がりに影を見せたのが、他ならぬバドリードだった。

しかし、今や警察はバドリードに捜査の目を向けるのを、警察上層部に止められている。

半ば答えを言っているようなものだが、確証を出すには不十分だった。

 

誘拐された『貴族』たる少女達の関係も気になる。

 

アフイロアでは、貴族と呼ばれる、位の高い名家の人物達が存在する。

彼等はアフイロアの政治に関わる重要な要だそうだ。

そして、バドリードも、その一人。

 

ついこの前、少女達を巡った、貴族同士の騒動があったと陽樹は耳にした。

 

騒動を終え、日本に一度亡命する運びとなった彼女達を取り持ったのが、財団に身を置く門矢家だった。

 

門矢家の息女たる陽樹の通う高校。

そこに在籍させる手筈だったのだが。

 

彼女達が、陽樹達の前に、直に姿を見せる事は無かった。

代わりに現れたのが、あの男。

 

彼は、少女達が誘拐されたという旨を、陽樹達に伝えた。

実際に監視カメラで黒服の集団に捕らえられる少女達を、陽樹達は見せられた。

 

月読高校の協力が必要とも彼は言った。

最初こそ、警察も高校も反発したが、それを彼は黙らせた。

 

法外。

無秩序。

しかし、それに抗う手立てもない。

何故か、彼女達が関わる事が()()だと、公的機関の上の人間達は認識している。

それらしい文書まで用意させて。

何をしたかまでは分からぬが。

筋書きが用意されている以上、陽樹達もやるしか無かった。

 

しかし、探せば埃は出るものだ。

 

その黒服の集団。

彼等は、アフイロアから流れるドーピング剤。

それを受け取っている人間達だと、捜査で上がっている。

その捜査すらも、上層部に潰されたが。

 

警察の捜査網が勘繰られているのも、疑うには充分だった。

あと一歩追い詰めたと思ったら、(もぬけ)の殻だった事など、何度もあった。

何処かから情報が漏れていると、疑わずにはいられない。

 

あくまで、確証はない。

しかし、状況は揃っている。

 

 

「でも、あのクソ金髪、引っかかるかな?」

 

そう言ったのは、先程まで怒りを堪えるので必死だった祈織だった。

不躾な発言をする彼女に厳しい目を向けつつ、陽樹はパソコンを操作する。

 

「さぁな。だが、上手く行けば、一網打尽だ」

 

そう言って、彼女がモニターに写したのは、月読市の全体図。

 

誘拐された、本来この学校にくる少女二人が、隠されている箱庭。

 

今度こそ、彼女達を見つけ出さねば、最悪の結果になる。

 

そして、注目できるよう、色付けされたエリアは、工業エリアではなく。

 

「彼が、本当に捜査に協力する紳士だったのなら御の字。しかし、そうでないならば──」

 

工業エリアを出したのはブラフ。

本来の捜索範囲は、別にある。

警察と共に企てた、ある秘策。

 

 

バドリードに隠した情報。

あのプライドの高い男が起こす可能性。

提示したエリアと隣接した場所にわざと身を隠させ、月読高校の失態を増長させる。

ならば、それに乗ってやろう。

 

敢えて泳がし、奴の鼻筋を明かす。

 

「──工業エリアに隣接する漁業エリア。それが今回の、要だ」

 

陽樹は、そう言って、モニターに指を置いた。

 

 

 

 

「ふぅ…………」

 

アフイロア大使館。

その館のある一室。

竜が描かれた国旗は壁にかけられ。

内装はクラシックスタイルで彩る、重圧感と気品を感じられる作りとなっている。

そんな部屋の中、同じく格式溢れる机を前に、バドリードは座っていた。

彼の視線の先には、古典的な内装に似つかわしくない、近代の叡智の結晶たるパソコンの大きなモニターが、壁にかけられている。

 

月読高校との通話を終え。

バドリードは煩わしい物を取り払えたように、軽く息を付いた。

その表情は、先程の不快感を隠そうともしないものとは打って代わり、されど安心とも喜びともつかぬ、空虚な顔色だった。

 

その表情のまま、彼は天井を見上げ、小さく言葉をあげる。

 

 

サスラ……

 

 

男は呟く。

女の名を。

相見えた事もない、人名を。

顔も素性も知らぬ筈の、ナギサの母の名を。

 

 

 

 

 

サスラ……、サスラ紗素羅さすらSasuraSathla!!

 

男は喚く。

 

この時をどれだけ(期待するように。)待ち望んだか。

 

あぁ、他の有象無(狂信するように。)象の偽母神すらも許す、

 

寛大にて正真たる(激昂するように。)神よ!

 

命の原点、生命の(譫妄するように。)頂点、全てを司る神よ!

 

人の身に落とされ(痛哭するように。)し、悲しき痛ましい神よ!

 

その神力、我ら貴(乱心するように。)族への天恵たらん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

U()b()b()o()-()S()a()t()h()l()a()AAAAァアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

 

 

 

 

神の名を。

生命の母の名を。

地球最古の神の名を。

 

彼は、今や狂乱した表情で叫んでいた。

 

 

世界には、挙げれば切りがない程に、数多の神話が存在する。

日本神話。

北欧神話。

イラン神話。

ギリシア神話。

インド神話

ケルト神話。

イエス神話。

 

クトゥルフ神話。

 

これもまた、()()()()()()()()()として語られる、多神教の神話。

 

旧支配者、外なる神と呼ばれる存在は、宇宙的悪、邪神としてではなく、旧神と呼ばれる存在も別の神話との共通性を出したまま、大地であろうと外宇宙であろうと、等しく善も悪も内包するただの神、英雄として。

再構築されたそれは、冒涜的狂気も邪教としての存在も剥奪され、宇宙的恐怖が微かに残っているだけの、人々への哲学と娯楽を与えるだけの物語へと地に堕ちた。

日本では、ポピュラーでありながら、単なる御伽話の一つ。

かの神は、創造神の一柱として祀られ、崇められている。

 

自存する源と呼ばれし、原生生物。

万物の長にして、根源。

無定形の塊という、壮麗にして、敬虔すら覚える、神聖なる母神。

地球を作ったのが()()()アザトースならば、その神の双子の姉妹にして、地球上の生命を作ったのはかの母神に他ならない。

世の人々には架空の存在、宗教による偶像の一つと認識される、されど実在()()現神。

しかし、醜き人の形に押し込まれ、その神格すら縛られた、哀れな一柱。

 

ウボ(Ubbo)=サスラ(Sathla)

その偉大なる御柱は、

人の姿を借りた偉大なる神は、

 

「ハァ……ハァ……ハハッ」

 

今尚、この月読市の、何処かにいる。

 

「…………だからこそ」

 

何としてでも、見つけ出す。

あの畏敬すべき母神は、よりによって猿の子を孕ませられた。

凡百たる、貴族にとっても餌、家畜の価値しかない、人間の。

 

忌々しい。

 

それは神に対する冒涜だ。

涜神の言葉など生温い行為だ。

死ねばそれだけの、脆い醜肉に閉じ込めるには飽き足らず、(あまつさ)え、その魂を猿の身で穢したのだ。

存在するだけで生命を生み出す御尊体に、卑しくも唾をつけたのだ。

この日本という黄猿の住処は、神々に卑しい雌猿の姿を妄想して愉悦に浸る事といい、(いと)わしく度し難い痴呆者しか産み出せぬのか?

その恩恵は、我々選ばれし『血』を持つ者こそ享受すべきものと、それを知っての狼藉か?

 

 

幸い、この国気取りの島に、忌み子ごと神を軟禁している事は分かっている。

だが、情報が足りない。

何処ぞの羽虫共が巧妙に隠蔽しているのか、手掛かりがまるで掴めない。

 

だが、一つの光明は見えた。

 

月読高等学校。

 

辺鄙な地の、取るに足らぬ学び舎。

そこに、忌み子は通っている。

それを炙り出せさえすれば、神の尊容にも近づける。

そして、その力を譲り受ける者こそ、我ら貴族に相応しい。

 

「故の彼奴等……。本当に都合が良い……」

 

そう。

本国(アフイロア)で起こった事などどうでも良い。

あの小娘共が島国に渡った事など興味もない。

彼奴等の身自体に、欠片の価値もない。

 

だが、使える。

 

奇しくも、生娘共は忌み子が通う寺子屋に転入するという話じゃないか。

身分を隠し、何を考えているつもりやら。

財団だと身の丈に合わぬ事を(うそぶ)く、烏合の衆の塵塊(じんかい)の内の一家が関わってるそうだが、彼にとっては無関心の域だ。

 

しかし、その全ては自身に天秤が傾いている事の証明だった。

天啓だった。

 

それ故に、利用した。

奴等を末端のゴミ共に攫わせ、それをダシに、素知らぬ顔で月読高等学校に責任を追及する。

幸い、権力も立場も十全だ。

尻の青い餓鬼共を無理矢理、矢面に立たせる事も出来た。

見つけ出せぬ事に苛立つ演技をしている時には、笑みを隠すので必死だった。

全ては順調。

責任は奴等にある。

後はそれを咎め、こちらは悠々と小娘共を救い出し、あの小汚い猿の養育所を掌握する。

 

「しかし、まぁ……」

 

先程の狂乱した姿など、すっかり鳴りを潜め。

バドリードは呆れたように呟く。

その視線は、月読市の地図。

 

「工業エリア……確かに良い案だ。だが、まだまだ、詰めが甘い」

 

確かに、そこは隠れ蓑として使用しているのは事実だ。

だからこそ、それを見抜かれたとなれば、方向修正をすれば良いだけのこと。

 

奴等が手を(こまね)いて、必死に探す傍ら、何食わぬ顔で隣に陣取るのは気分が良い。

しかも、逃走経路を確保するのに、うってつけの場所があるではないか。

 

「この場合、漁業エリアに移転するのが得策………」

 

工業エリアに隣接する土地。

用意する隠れ蓑が露見する危険性は無いとはいえ、万が一がある。

その場合、海に面する此処は好都合だ。

海面に逃亡すれば、まだチャンスは生まれる。

ありとあらゆる危険を考えねば、折角積み上げてきた計画は水泡となって消え去る。

彼等を隠す場所も充分にある。

移転先としては、まさに恵まれた土地といえよう。

 

 

「…………クッ、ククッ」

 

彼はそう言って、微かに笑った。

まるで、勝ちを確信したように。

 

 

 

 

 

「……なんて、そう考えると、信じきってるんだろ? 糞餓鬼共」

 

そう言って、彼はニヤリと笑う。

まるで、心底、全てを見下すように。

 

こんなお誂えされた場所に手招きされる阿呆がいるものか。

此処に逃げて下さいと言っているようなものだ。

全く黄猿というものは、策を弄するのが下手な生き物らしい。

 

彼は、月読高校の面々が、何か企てているのは勘付いていた。

しかし、これがその結果か。

子供にしてはよく練った方だと褒めてやるが、やはり子供。

 

この程度の浅知恵など、看破は生温い。

 

バドリードは、スマホを手に取ると、何処かへと掛け始めた。

着信音が止むと同時に聞こえてきた声に、彼は言葉を紡ぐ。

 

「──あぁ、ご苦労。早速だが、また移動しろ」

 

突然の命令に怒りの声を荒らげる相手に、不快感を隠す事なく、彼は声を低くした。

 

「これは命令だ。さっさとしろ。逃げた一人の事なぞ、どうとでもなる。それとも、今更、警察の手錠にかかる気にでもなったか? もう()は要らないと?」

 

バドリードの言葉に、押し黙る相手は、さぞ歯痒い表情を浮かべていただろう。

そんな事なぞどうでも良いと、バドリードは更に続ける。

 

「丁度、お誂え向きの場所がある。そうだな、地図は送っている筈だろ? 私が良い住処を見繕ってやる」

 

工業エリアに隣するのは、何も漁業エリアだけではない。

商店街などと古臭い習慣に、囚われた哀れな地。

廃棄された施設も少なくない、汚点というに相応しい場所。

あぁ、確か。

ここにも、工場に匹敵する程の巨大な廃屋があるじゃないか。

 

気分が良い。

天は、確実にこちらに味方している。

やはり、この地上の頂点に位置するのは、あの猿の群れではない。

 

我々、貴族こそ。

選ばれし『竜の血』を引く者こそ、相応しいと。

 

バドリードはそれを確信し、電話先の相手に場所を告げる。

 

 

「──勧業エリア。そこに移転しろ」

 

彼は、歯をギラつかせ、勝利に酔いしれた笑みを浮かべた。

 

 

 

 

「──そして、敢えて漁業エリアが真打ちと思わせて、本筋である()()()()()を叩く」

 

そう言って、陽樹が指指したのは、注色されたエリア、勧業エリアと呼ばれる場所だった。

 

それを見て、口を出したのは隆々な肉体を持つ謙吾だった。

 

「手の込んだ事を……、本当に上手く行くのか?」

「バドリード氏が、本当にこの事件に関わっているのなら、必ず工業エリアと漁業エリアに隣接する、勧業エリアに食いつく。あの手は、見下した者が策を弄しても、その次も用意しているとは考えぬ類だ」

 

謙吾の問いに、陽樹は涼しい顔で応えた。

 

彼女の判断は、半ば確信だ。

あのバドリードという男が、こちらを下に見ている事など、誰の目にも分かる事だった。

だが、かと言って簡単にこちらの策に溺れる輩でもないと。

彼は確実に、こちらの搦手を読んでくる。

 

漁業エリアが潜伏先に好都合など、目に見えて分かる事だ。

特に、当の犯人共から見れば、垂涎物過ぎて、逆に怪しかろう。

そして、そこが誘い餌だと気付く。

確かにお誂え向きの場所だ。

隠れる側にとっても、探す方にとっても。

ならばこそ、警戒するのは火を見るよりも明らかだった。

 

だが、一度見抜けば、彼はそこで思考は止まる。

なんて浅知恵だと。

やはり子供の考える事だと。

彼は、確実に油断する。

数多の可能性を考えているつもりで、こちらも同等に考えていると想像すらせず。

 

その油断こそが、陽樹にとっての狙いだった。

もはや、こちらが策が露呈する事も予定し、次の一手を用意しているなど、夢に思っていないだろう。

 

 

「まぁ、かと言って、そう易々と引導を渡せる相手でもないだろうがな」

 

陽樹は、自分の策に自惚れる事なく、肩を竦めてそう言い放つ。

 

バドリードの権力、財力が面倒極まりないのは勿論の事、何か良からぬ力を有しており、それが強大な物だと、陽樹は考えている。

 

警察内部も、心から信用は出来ない。

バドリード以外の内通者もいる可能性は高い。

警察しか知り得ぬ情報を抜かれている過去もある辺り、最悪、全てを疑わなければならない状況かもしれない。

渡辺達も、それを危惧しており、慎重に身内を探っている羽目に陥っている。

 

それが、アフイロアに関係するのか、『貴族』という存在故なのか、それとも全く別の力なのかは知らないが。

全く持って、油断出来ないのは確かだ。

 

念には念を入れ、この策の真意を知るのは渡辺と芽実だけに留めているが。

捜索範囲も、居るかも分からない内通者に悟られぬよう、渡辺達が取り計らう企てだが。

 

これが、吉と出るか、凶と出るか。

現状、陽樹に確かめる術はない。

 

 

「……さっきから陽樹ちゃんが何だか遠い人に感じるけど、あのクソ野郎をぶっ潰せて、エレノアちゃん達も救い出せるのならヨシ!」

「……祈織。浮かれて皮算用してる暇は無いぞ。謙吾の言う通り、結局、上手く行くかは誰にも分からんのだからな?」

「だ、だってぇ……」

 

所謂、ドヤ顔というものを晒し、エレノアという少女らしき名を口にする祈織に、陽樹は呆れを通り越して憐れみの視線を向けた。

その彼女の視線に、バツが悪そうに祈織は顔を背ける。

 

「そう責めないであげて下さい。私達も貴女に任せてばかりで、小野寺さんの気持ちも分かります。本当に貴女が居なかったら、どうなってたことか」

 

そう言ったのは、理事長。

祈織を名字で呼ぶ彼は、力不足を痛感させる面持ちだった。

 

そんな彼に、陽樹は力強く言葉を放つ。

 

「そんな事はございません。私の策が上手くいく保証もなし。ですが、仮に成功したのならば、それは私の実力では無く、この月読高校で育んだ知識や視野の拡張による物。そして、その場を与えて下さった理事長、校長、この学校に関係する方々による、ご厚意に他なりません」

「……いやはや、貴女には頭が上がりませんな」

 

陽樹の言葉に、理事長は喜ぶ訳でもなく、ただ力無く応えた。

 

結局、学生を導く筈の自分達は、無力のまま。

陽樹に任せきりだという事実には変わりない。

これが、無能と言わず、何というのか。

置物でも、もう少し役立つというのに。

 

そんな歯痒さを、理事長と同じく抱えながらも、校長は礼を伝える。

 

「そんなに謙遜しないで、門矢さん。貴女にはいつも助けられてばかりなんだから。本当に、ありがとう」

「その言葉だけでも、恐縮です」

 

凛々しい表情で深く頭を下げる陽樹に、理事長と校長も頭を下げ返すしか無かった。

 

それを傍目に見てた弦輝は、解放されたように伸びをする。

 

「どっちにしろ、俺達がやれる事は、今日はここまででしょ。そろそろお開きにして貰う、ってのは駄目ですか?」

「あぁ。皆、時間を取らせて済まなかった。明日も忙しくなるだろうが、今は家に帰って英気を養え」

 

少し口調のなってない弦輝の言葉にも顔色一つ変えず、陽樹は会議の終わりを宣言する。

 

各々が反応し、帰る為の準備を始める。

 

彼等が身支度をする中、陽樹だけは机に座ったまま、PCを操作し始めた。

 

 

「……会長? お帰りにならないのですか?」

 

そう尋ねたのは、副会長の真里だった。

 

彼女の問いに、陽樹は顔を副会長の方に向けた。

 

「あぁ、私はもう少し作業を続けたい。今日は泊まり込む事にするさ」

「そんな……、私も残らせて下さい」

「気にするな、無茶はせん。幸い、ここの設備は潤沢だ。電気も明かりも、要望を言えばそのままにさせて貰える。ある種の宿泊施設とも言えるな」

「そういう話では……」

 

尚も縋る真里に、陽樹は優しく笑顔を向けた。

 

「済まんな。少し我儘をさせてくれ。何かあれば必ず伝える。だから、君はゆっくり休め」

「……分かりました。無理はなさらぬ様、約束下さい」

「有り難う。それにな、私も謙吾が務めるサウナ部のサウナに興味があるんだ。ちょっとした下心、という訳だ」

 

そう言って、茶目っ気のある笑顔を見せる陽樹に、謙吾は「マジか!?」と嬉しそうに反応した。

 

「じゃあ、一応準備しとくぞ! 今日は会長の貸し切りだな!」

「警備員の方にも話をつけなくてはな? 忘れて要望を伝え損ねていると、迷惑をかける」

「そもそも学校にサウナがある事が異常と思うんですけど」

「なんだー弦輝ー? お前だって偶に使ってくるじゃないかー」

「それはそれです」

「ず、図太い……」

 

陽気に会話を重ねながら、一人一人陽樹に礼をして部屋を退出していくのを見届けると、陽樹は再度作業に取り掛かった。

 

先程の明るい様子は消え失せ、ただ集中して作業に当たっている。

 

 

 

 

暫くしてだろうか。

そんな彼女のスマホから、着信音の代わりに振動が響いた。

 

すかさず手に取った陽樹が画面を見ると、

 

「……歌奏(カナデ)?」

 

そこには、シャベルタのアプリ画面。

そして、彼女の最愛の妹の名が表示していた。

 

すかさず着信をオンにすると、文字列と共に、妹の声が響き出した。

 

《姉さん、お疲れ様。会議、終わったのかと思って、掛けちゃった》

「あぁ、良い頃合いだな。先程終わったよ」

《そっか。……もしかして、まだ学校?》

「よく分かったな」

《だと思った。姉さんが考えてそうな事だもの》

 

そうコロコロと笑い声を転がせる歌奏に、陽樹は安堵の笑みを浮かべる。

 

この子は、本当に明るくなった。

昔の頃からすれば、全くの別人だ。

あの、家族しか関係の無い時の頃と比べたら。

 

懐かしささえ感じる記憶に身を任せつつも、陽樹はふと疑問を投げかける。

 

「歌奏は? 電話の使用許可は大丈夫なのか? もう消灯時間は過ぎているぞ?」

《実は、隠れて使ってまーす……》

「……今更小声にするな、切るぞ」

《あぁ、待って待って。今日は見せたいものがあったから》

 

呆れる素振りを見せる陽樹に、慌てて歌奏は呼び止める。

何だ、と不満そうな表情を浮かべる陽樹の目の前で、スマホからある画像が表示された。

 

「……これは」

《えへへ、良く撮れてるでしょ? 翔太郎君に無理言って撮って貰っちゃいました》

「……あぁ、この表情で、それが良く分かるよ」

 

陽樹が目にしたのは、歌奏と、代わりに面会を頼んだ少年の二人が映った写真だった。

どうやら、歌奏が言ったように、お願いして撮ったものらしい、満面の笑顔の歌奏と対称的に、翔太郎の表情はぎこちない笑顔でVサインを構えていた。

 

「全く、嬉しいのかそうでないのか、まるで分からんな」

《翔太郎君らしいよね。そこがちょっと可愛いかったり》

「男の趣味が悪いぞ、お前」

《姉さんに言われたくありませーん》

「あのなぁ……」

 

妹の言い分に、陽樹は困ったような表情を見せた。

 

全くこの子は。

人を揶揄うのが好きなのは昔から変わらない。

いや、寧ろその悪癖は募る一方だ。

こればかりは、正直、あの少年のせいにしたくもなる。

 

まぁ。

同様に、感謝の念もあるのだが。

 

陽樹がハァ、と軽く溜息をついていると、歌奏は慌てたように小声で語りかけてくる。

 

《あ、じゃあもう切るね。そろそろバレそうかも》

「くれぐれも、看護師の方々や、病院の方々に迷惑かけるなよ。もう遅いが」

《分かってまーす。それじゃ、お休みなさい》

「あぁ。お休み、歌奏」

 

挨拶を終え、通話を切ると。

 

陽樹は写真をダウンロードし、フォルダの中に入れた。

 

そして、画像アプリの写真の羅列を、愛おしそうに眺める。

 

それは、歌奏が映っている写真ばかりだった。

歌奏だけではない。

時には陽樹。

時には、祈織。

時には和紗や優衣、日和が映っている。

生徒会の面々や、和紗の友人達もいる。

 

そして、翔太郎も、同じように写真に映っていた。

 

様々な組み合わせの写真だが、そのどれもが、歌奏一人だけの写真ではなかった。

そして全て、歌奏は嬉しそうに笑っていた。

 

この写真達は、あの少年が提案したものだ。

 

どうせなら、写真も撮って思い出を残そうと。

彼が入院した時から差し出された提案は、今も尚、こうして習慣となって根付いている。

 

陽樹は写真を遡る。

今では沢山の写真の集まりだが、それは彼女達がまだランドセルを担いでいた時から続けていたから。

つまり、彼と出会う頃の写真も残っている。

 

陽樹、歌奏、祈織、和紗、優衣、日和。

そして、翔太郎。

皆で撮った集合写真もあった。

あの頃は確か、歌奏の誕生日だったか。

皆が屈託の無い笑顔を見せる中、一人だけ、今のようなぎこちない笑顔を見せる少年に、陽樹は仕方のない赤子を見るような温かい瞳を向けた。

 

 

私達が出会う前は。

こんな固い笑顔じゃなかったろ?

 

 

陽樹は一番最古の写真に辿り着いた。

いつ見ても、これは大切な宝物だ。

初めて見た時は、驚きこそしたが。

今では、彼女にとって、掛け替えのない。

 

 

小学生の頃の翔太郎と、歌奏が映る写真。

今とは違い、控えめな笑顔をカメラに向ける歌奏と。

頭に包帯を巻き、しかしそんな事も気にもせず、まるで純粋な笑顔を移す翔太郎。

 

それを見て、陽樹は何故か。

寂しそうな笑みを浮かべた。

 

 

 

『──絶対! 何か裏があるよ!』

『……歌奏に良くしてくれてる男の子だぞ』

『男の子がそんなマンガみたいな事する!? 突然現れる、優しくて大人っぽくて、でもやんちゃで子供っぽいとか、盛すぎだよ! 絶対、演技で何か悪い事考えてるもん!』

『小学生に何を期待してるんだ……』

『期待じゃないよ! キケンだよ!』

 

その日は、歌奏への御見舞だった。

都合が取れない中で、やっと漕ぎ着けた日程。

両親は仕事で忙しい為、彼女だけで行く手筈だったのだが、何故か幼馴染の祈織が付き添いとして来ていた。

 

来なくて良いと、陽樹は何度も説き伏せたのだが。

中々頑固な祈織には届かず、寧ろ小学生だけで行くのはおかしい、せめて付き添いがいるべきだと、結局病院にまで付いてきてしまっていた。

 

『有り得ないもん……そんな人……。歌奏ちゃんは、私が守るんだから……』

『一体何を想像している……』

 

むんっ、と気合いを入れる祈織に、若干引いた目を陽樹は浴びせる。

 

陽樹の幼馴染、祈織は子供の頃、少々を男性を苦手とするきらいがあった。

正確には、同世代の男子だ。

その時の彼女にとっての男子とは、ガサツで幼稚な存在だ。下ネタで盛り上がる訳の分からなさは勿論、物は大事にしない、言われた指示をきちんとこなせない、などの様は見ていて失望すらあった。

全員が全員、そうでもない筈なのだが、彼女にとっては男子とはそういうものという固定概念が出来上がってしまった。

家族が落ち着いた年上の男性しかいない、というのも理由なのかもしれないし、単に成長期故の視点なのかもしれない。

しかし、彼女の場合、それが顕著だった。

 

原因は、陽樹の存在にある。

男子と同じく、否、それ以上に腕っ節が強く。

しかし、力で周りを抑圧するのでなく、偉ぶる事もなく、寧ろ言葉で寄り添う。

男女分け隔てなく、親身に接する姿は、大人からしても珍しく、同じ小学生から見ても、心から頼れる存在だった。

 

そして祈織にとっては、周りの男子よりも、紳士的な男性像を具現化した存在に思えていた。

陽樹に比べたら、他の男共は小僧同然。

まさに、祈織は陽樹に心酔していた。

 

尤も。

 

当の陽樹にとっては、単なる、大人への()()()でしかなかったのだが。

 

全ては、最愛の妹の為。

 

陽樹の双子の妹、歌奏は、生まれつき体が弱く、難病に苛まれていた。

碌に学校に行く事も出来ず、病院生活が続く毎日。

いつ、病が深刻化するかも分かったものではない。

暗い表情を隠しきれなくなっていた歌奏を見るのは、姉である陽樹には耐えられなかった。

 

一秒でも早く、病気から妹を解放したい。

今はまだ、門矢家という家紋のお陰で存命出来ているだけだ。

いつ、それが破綻しても可笑しくはない。

 

しかし、子供である自分に何が出来る?

周り道でも良い。

何か出来る事は無いのか。

 

先ず考えたのは、体裁の良さを整える事だった。

勉学は元から優秀という評価を得ている。

ならば、次に気を付けなければならぬのは素行だ。

子供達のリーダーを振る舞い、円滑剤としての機能が自分にあると宣伝する。

 

その目的は、門矢家、そしてその娘である自分の評判を高める事にあった。

 

彼女の家は、ある程度の財力と権力を持つ。

その恩恵に甘える事なく、自らを磨く、期待の星。

そのイメージを植え付けさせて、将来の布石とさせる。

自分が、相応の権力を有する為。

 

傀儡でも構わない。

捨て駒でも上等だ。

 

彼女自身が、上に立場に立つような人格ではないと判断している。

人を支配出来るのは、何かを切り捨てられる人間。

妹という存在を諦めきれぬ陽樹にとっては、耳に痛いと感じるものだ。

だが、故に操り人形と化しても知った事か。

 

金と立場さえ手に入れば、妹の存命の確率は上がる。

いつ両親がいなくなるかも分からない。

門矢家が凋落する可能性も万が一にあらず。

ならば、少しでも先に向けた準備を怠ってはならない。

 

小学生だからと、甘える時間は無い。

両親からは、子供の内から立ち回りや将来を考えるのは兎も角、先を考え過ぎても良くないと諭された。

申し訳ないが、その言葉は要らない。

それにかまけていては、妹は助からない。

親に甘えてばかりでは、彼女の目的は叶わぬ可能性は増えるばかりだ。

 

されど、彼女にとってその振る舞いは、彼女自身にとって少々無理が祟っていた。

人の感情など千差万別だ。

子供であろうとそれは変わらず、しかしてまだまだ成長途中の者達。

それを纏めるのは、同じく子供である陽樹にとってはかなりの重労働だった。

自分が図に乗っている人間だと、子供達に思わせないのも骨が折れる。

子供達の代表を取り繕っているようで、実の所、彼女は偶像という名の奴隷に成り果てていた。

 

大人と子供の機嫌を伺い、その皺寄せを自分が被る行為。

元より温和で真面目と言われようと、自分を押し殺す振る舞いは陽樹に心労を積み重ねていくには充分だった。

 

 

結果を急ぎ過ぎているのもある。

妹の安否に気を揉み、しかしその焦りを隠しながら、聡明な人間としての仮面を被る生活。

幼きながらも、聡いと評価される彼女であるが、結局の所、陽樹もまだ年相応の少女でしかなかった。

 

 

 

それが、少し変わったのは、ある出来事だった。

 

 

最愛の妹である歌奏からのメール。

小学生ながらに携帯を渡されていた彼女達にとっての、病院以外の繋がり。

そのメールには、ある写真が添付されていた。

 

頭に包帯を巻いた少年。

そんな彼と共に映る、まだこの頃は遠慮がちだった笑顔の妹。

 

そして、ある一文。

 

《友達が、できました》

 

最初に陽樹が感じたのは、驚きと困惑だった。

どういう状況でこうなったのか。

そもそも彼は一体何者なのか。

 

彼は、本当に歌奏の良き友となれるのか。

 

自分の感情に答えが出せない陽樹は、更に心労を抱えそうになったが、それは杞憂に終わった。

 

 

度々重ねられていく、少年との写真。

徐々に歌奏の笑顔が本来の物へと変わっていく事に、陽樹は安堵を見出した。

電話でも、声が明るくなっていく妹の声に、心が洗われていくのを感じた。

和紗、優衣、という新たな友を得たという話を聞いた時には、柄にも無く心が踊っていた。

 

妹が、笑顔を取り戻していくのが、堪らなく嬉しかった。

妹に、友人と言える関係が増えていくのは、陽樹の悲願ですらあった。

 

突然舞い降りた幸運に、彼女は神に頭を垂れそうにもなった。

 

結局、何もしてあげられなかった自分への不甲斐なさを、心の片隅に残して。

 

 

何にせよ。

今や、あの少年は、歌奏にとって大切な友人だ。

名を、翔太郎と言うらしい。

まだ顔を合わせた事は無いが、写真越しでも年齢に似つかわしい、元気な少年である事は見て取れる。

 

 

今もまだ、翔太郎と歌奏は同じ病室にいる。

後に、歌奏は個室に移動する事になるのだが、少なくともその時点では同室であり、個室になるのも翔太郎が退院し、暫くしての、ずっと後の話。

 

つまり、歌奏と面会する事は、あの少年と陽樹達が初対面する事と同義だった。

 

 

故に、陽樹は共にいる幼馴染が、不安材料であった。

 

 

『──良いか? くれぐれも失礼の無いよう頼むぞ。君が場を壊すような真似をしたら、私は彼等に詫びても詫びきれん』

『わ、わかってるよぅ……じゃあ、こうしよっ! 歌奏ちゃんの部屋を静かに開けて、まずは様子見! 本当に、歌奏ちゃんの事イジめてないかとかチェックするの!』

『……本当に分かっているのか、君は……』

 

その行為に何の意味があるんだ? という疑問はあったが、こうなった祈織を諌めるのは陽樹には無理だった。

 

仕方なく、祈織の要望を受け入れ、歌奏達の動向を探る事となった陽樹達は、音を立てぬよう足取りを気にする羽目となり、そうして歌奏達のいる病室の前についた。

 

扉越しからは、談笑のようなものは聞こえず、忙しなく動く看護師達の様子や、他の病室からの声しか通路には聞こえない。

 

その扉を、謎の使命感に駆られる祈織がそっと手にかける。

眉を顰めた表情で、陽樹に確認を取ろうと彼女の方へ顔を向け。

当の陽樹は好きにやれ、と言わんばかりに面倒そうな表情で首を動かして促す。

黙したまま、陽樹の行為を了承と受け取った祈織は頷くと、音を立てないよう、ゆっくりと扉を開けた。

 

思いの他、緩やかに開けられた扉は、されど慎重に開けられた為か、それとも扉の構造故か、陽樹の想像以上に物音立てず扉内の全貌を写した。

 

夕焼けの明かりが差し込む病室。

窓は開け放たれ、レースのカーテンがそよ風でふわりと揺れている。

二人しか入室していない為か、本来よりも広く感じるその部屋で。

 

頭に包帯を巻いた、あの少年の背中が、陽樹達の目に映った。

 

先ず、陽樹が感じたのは、想定外、という言葉だった。

あの写真とはいえ、元気の塊のように思えた少年が、このような落ち着いた雰囲気を出していた事に驚きを隠せないでいた。

腕を動かしているのは目に取れるが、何をしているのかはさっぱり分からない。

 

 

何よりも驚き、疑問を抱いたのは、歌奏の存在の有無だ。

あの最愛の妹が、どこにもいないのだ。

代わりにあるのが、少年の側に置かれた、小さな箱。

 

何処に姿を隠したのか、それとも病室を間違えたのか、と不安に駆られる間もなく、陽樹はその疑問に対する答えを目にした。

 

少年の傍ら。

もう一人の患者衣を身に纏う小柄な人影が、彼の隣に寄り添うに座り、上半身を彼の膝に預けているのが見えた。

見間違いのない、陽樹が良く知る黒髪が、少年の膝元から覗き見える。

よく音を聞けば、スゥスゥと、ゆっくりとした少女の寝息も聞こえてくる。

 

あれは歌奏だ。

そう確信したと共に、陽樹はこの状況に更に疑問が拍車がかかった。

 

それで、何をしてる?

一体全体、何がどうしてああなった?

 

まるで状況が読めない陽樹は、しかし、その疑問を口にする事は出来なかった。

 

何処か、そこだけ別次元のような空間。

穏やかな雰囲気と、夕焼けによる演出は、彼女が割り込もうとする意思を憚らせた。

 

ただ、絶句し、固まる陽樹達を他所に。

小さく、しかし静かな空間故にはっきりと響く、少年の声が、彼女達の耳を擽った。

 

 

……男が女の子に耳掃除とか、誰得よ……いや、俺得だけど。これ、セクハラとかにならんのかね……

 

……耳掃除?

 

突如聞こえた単語に、陽樹は己の耳を疑った。

疑問の声すら出せず、代わりに頭の中で疑問符が埋め尽くせる。

 

そんな陽樹達に気付く訳もなく、少年は独り言を続けた。

 

『……よし、これでこっちも綺麗になったな。後は梵天(ぼんてん)で軽ーくと……』

 

少年はそう呟くと、持っていたであろう耳かきをコットンか何かで軽く拭き取るようにして、箱に戻す。

そして、次に出したのは、白いふわふわの毛がついた、別の耳かき。

 

その白い方を歌奏の産毛もない綺麗になった耳の入り口付近に入れ、軽い力で回すように擦っていく。

眠りにつきながらも、耳に入った異物にか細い声を上げる歌奏だったが、その表情は不快感というよりも、心地良さそうな寝顔だった。

 

それに構わず、少年は作業を終えると、梵天をコットンで拭くと、先程のように箱に直した。

 

『……はい、終了。……カナデさーん、終わりましたよー。起きてー』

 

全てを終えたのであろう少年が、そう言って眠りにつく歌奏を軽く揺すった。

 

んっ……、と、小さく呻き声をあげながら、歌奏は身動ぎをすると、ゆっくりと瞳を開け、少年を見上げた。

 

『……おはよう……。気持ち良くて、寝ちゃったぁ……』

『そりゃどうも。恐悦至極でごぜーます』

 

寝惚け眼で、上半身をあげる歌奏は、未だ夢心地で、蕩けた瞳を少年に向けた。

その表情は、すっかり安心しきった笑顔で溢れている。

 

『翔太郎君、耳かきスゴく上手いんだね……、プロになれるよぉ……』

『素人が見様見真似してるだけっスよ。知識もねぇし』

『でも、全然イタく無かったよぉ……?』

『そりゃ一番奥まで入れませんから。耳掻きなんて、表面とそこそこ深い所を綺麗にすりゃ良い、って聞きました』

『そっかぁ……』

 

寝起き故か、語尾を伸ばし、気が抜けた声で会話する歌奏に、翔太郎は心配気な面持ちで尋ねた。

 

『ちゅーかですね、女の子が男に耳掻きとか変でないです? 耳垢とか見られるの恥ずかしいでしょ?』

『……えっち』

『おっとぉ? そういう話では無かったぞぉ?』

『……だって。ショウタロウ君、おじいちゃんやおばあちゃん達にもしてあげてるじゃん……。私にもして欲しいもん……』

『動議が訳ワカメですよ、カナデさん』

『……んー』

 

拗ねた表情を見せる歌奏だったが、その様子は本気ではなく、冗談半分のように見える。

そんな歌奏に、翔太郎は頭を掻いて、困ったような顔を見せた。

 

『いやー、あれ、キッカケが変でして……。ほら、いつも毎日、談笑室でテレビ見てるオジサンいるじゃないですか』

『うん』

『その人、前に日向ぼっこしてたら、耳に虫が入っちゃったんスよね』

『虫ぃ』

『で、驚いて小指で取ろうとしたら、誤って潰しちゃって』

『潰しぃ』

『で、余計にパニックになった所を、俺が偶然通り掛かって、虫を取り出した所、何故か評判になりました、っていう』

『取り出しぃ』

『取り出しー』

 

歌奏のオウム返しのような相槌に、翔太郎も乗っかり、そして二人は互いに小さく笑い合う。

 

その様子を、陽樹はただ、目が離せずにいた。

 

想像以上だった。

翔太郎という少年が、小学生とは思えぬ程に流暢に話す様子を見せていたのもそうだが。

それ以上に、歌奏が少年に心を許しきっているのが、陽樹にとってかなりの衝撃だった。

 

その様子は、友人というより、兄に甘える妹のようで。

何故か、陽樹は敗北感とも言えぬ感情が心の底で湧き出ているのを感じていた。

 

その視線に気付いたのであろう。

歌奏は、まだ眠気が取れてない瞳を陽樹に向け、その顔を満面の笑みで綻ばせた。

 

『──あ、姉さん。祈織ちゃんも』

『え?』

 

気伸びした歌奏に、翔太郎は小さく声をあげ、そして何か気付いたかのように慌てて立ち上がる。

 

『あ、そっか。お姉さんいるんでしたね。えっと、すんません。えー、何でしょう。俺、カナデさんと仲良くさせて貰ってる、翔太郎という者、で、して──』

 

苦笑いやら身嗜みを整えてやら慌しくする翔太郎は、外向けのような愛想笑いを浮かべて自己紹介をしようとして。

 

陽樹と顔を合わせた所で、硬直した。

 

『……ん? 翔太郎君?』

 

疑問に思った歌奏が首を傾げ、彼に問いかけるも返事はない。

彼は陽樹に目を離さぬまま、笑顔を貼り付けて固まっていた。

 

 

『あれ? 翔太郎くーん? おーい?』

 

そんな翔太郎に、歌奏は立ち上がると、彼の目の前で手を振る。

反応は無い。

 

指を鳴らしてもみた。

反応は無い。

 

暫く眺めていた歌奏は。

 

『……うん』

 

そう頷くと、陽樹達に向き直り、ピシッと敬礼をして。

 

 

『──気絶してるであります♪』

『りょ、了解であります!』

『いや……え……は?』

『………』

 

思わず、ズビシッ! と音を立てそうな位に力強い敬礼を、困惑隠せずにこなす祈織と。

全く状況が読めず、もはや困惑の声色を出すしかない陽樹。

そして、固まったままの翔太郎。

 

郷愁すら感じられそうな空間は一変として、完全に異様な状態へと様変わりした。

 

『な、何なのだ? これは……』

 

一体どうすれば良いのだ? と。

困惑から出た、ぎこちない笑いを浮かべながら。

陽樹は、未だ目を開いたまま気絶する翔太郎から、またも目が離せずにいた。

 

これが、彼との、初めて直接会った思い出。

 

 

 

陽樹にとって、翔太郎という少年は、規格外だった。

陽樹も子供らしくない、とよく言われる少女だったが、彼はまた違う意味で、子供らしさからはかけ離れていた。

 

いや、子供のように、活発ではあるのだ。

陽気でもあるし、かと思えば内気な面も見せたり。

コロコロと表情を変える様や、喜怒哀楽の素直さは捻くれた視点を持ってしまう思春期のようなそれとは全く違った。

だが、彼から漂う雰囲気は、陽樹がよく知る子供像とは何処か違って見えた。

 

子供というものは、良くも悪くも世界の中心は自分であるという認識を持つ。

親は一人の人間ではなく、『親』という生き物として認識し。

世界の理も、理不尽への知識も徐々に身に着けて、自分の限界や心に向き合う思春期へと立ち向かう。

まだその準備段階にいる筈の彼は、とっくの昔にそれを乗り越えたような面持ちをしていた。

 

今の陽樹が、当時の彼をどう思っていたかを表現するのなら、こう言うだろう。

 

子供ではなく。

少年の心を持った大人が、本当に小さい頃に戻ったような少年。

 

それが、常磐 翔太郎に対する、当時まだ言語化出来なかった陽樹の認識だった。

 

それに絆されたのは、意外にも祈織が先だった。

 

 

『……しょ、ショウ、タロウ君? そ、そのシャーペン、ドコで、かっ、買ったの……?』

『え? あぁ、これですか? 幼馴染に貰ったんです。可愛いでしょ?』

『う、うん……』

『あ、もしかして欲しいです?』

『へ!? あ、いや。そう、じゃ、な……』

『……うーん、ナギサ達に相談してみますね。俺、何処で買ったとか知らなくて。すんません』

『い、いいよ! そ、そんな……』

『そうですか? あの子達なら喜んで、一緒に探してくれると思いますよ?』

『……』

 

『しょ、ショウ君! これ見て!』

『わぁ、可愛いッスね! これ、アニメの奴っスよね!?』

『うん、うん! そうなの! あの、和紗ちゃん達とね! 一緒にコレ! って決めたんだ!』

『おぉ! 仲良くなって何よりです!』

『へへへー、お話してたらスッゴく楽しくって! また遊ぼーねーって!』

『そっスかー! いやぁ、ナギサ達と仲良くして貰って、本当ありがとうごさいます!』

『もー、なんでショウ君がお礼言うのー?』

『あはは、そりゃそうでした』

『もう、変なショウ君!』

 

『──チェックメイト』

『……うっわぁ……つっよ……』

『当ったり前だよ! 陽樹ちゃんは頭使うゲームじゃサイキョーなんだよ! ゲーム得意なショウ君でも、陽樹ちゃんには勝てないんだから!』

『何で君が自慢しているんだ……。大体、私の事を遊戯では負け無しのように語るが、それは誤認だ』

『えっ、ご、()()?』

『あぁ。確か、翔太郎。君は条件が揃うと、物覚えが良くなると言ってたな。トランプのババ抜きや神経衰弱では、何度苦汁を飲まされた事か』

『あー……いや、覚えゲーとか、相手の癖見抜くだけなら何とかなるんスけどね。こういう戦略とか戦術が肝になるのは、そう簡単にはいかねッス』

『先程も、その戦術でこちらを追い詰めてた癖に、良く言うよ』

『あれ、戦術じゃなくて、小手先で誤魔化してただけですし、急に癖変えてくるヒビキさんの方が化物っスよ。何か前世は軍師とかやってました?』

『馬鹿を言うのはやめなさい。因果関係が逆なら兎も角、遊戯一つで策略を極められるなら、誰も苦労しない。大体、私が覚えがあるのは精々戦略の真似事、君が手を読んでくる事を見込んで、敢えて癖があるフリをしたに過ぎん』

『それが十分、化物なんですって』

『だが、それだけだ。軍師は戦術(タクティクス)戦略(ストラテジー)を巧みに組み合わせ、想定外すらも手中に収める者の事だ。私ではまだ戦略気取りの拙い思考しか出来ず、更には戦術は勉強中の身。こんな体たらくでは、不測の出来事に慌てふためく姿しか、容易に目に浮かばんよ』

『そう言われると、パニクって必死に対処しまくるヒビキさん、見てみたいっスね』

『……全く。悪趣味な奴だな、君は』

『……良いなぁ』

『ん? どしたんス、イノリさん』

『や、だってぇ……ショウ君、陽樹ちゃんが難しいお話してるのに、ついていけてるから……』

『なぁに言ってんスかー。話が通じるのと、仲が良いのとはまた別ッスよー。イノリさん、気にし過ぎっス』

『そうかなぁ……』

『翔太郎の言う通りだ。大方、同じ土俵の者しか喧嘩は出来ない、という言葉は親睦も当て嵌る、等と考えているのだろう。なら、それは筋違いだ』

『因みにこれは翻訳すると、”仲良しは言葉が分かんなかろうが仲良しなんだよ! そんなの関係なく、イノリちゃんの事が大好きだよ!”って、言ってます』

『ばっ……! 意訳が過ぎるぞ!』

『ヒビキちゃん……! 私も! ヒビキちゃんの事大好き!!』

『おい、待ちなさい! イノリ! 抱きつくな! 擦り寄るんじゃない!』

『仲が良いですねー』

『翔太郎! その気伸びした声はなんだ! 何故遠い目をしている! おい、助けてくれ! たっ、助けて!』

 

 

『歌奏ちゃん! 陽樹ちゃん! ショウ君! 一緒に交換日記しよ!』

『わぁ、良いね!』

『こ、交換日記かぁ……私は碌な事は書けんぞ?』

『い、い、の! 何書いても良いの!』

『あの……良いんスか? 俺混ざったら、邪魔じゃありません?』

『むー、ショウ君、嫌なのぉ?』

『い、嫌じゃないです。寧ろ嬉しいっス……あい』

『じゃっ、しよ! サボったりしたらダメだぞー?』

……わっかんねぇ……子供の思考マジ分かんね……。普通、男の子はちょっと、とかならん……?

『ショウタロウ君? どうしたの?』

『うん、ムズカシー顔して。……ショウ君、やっぱりヤだった?』

『あ、いえ。俺も混ぜてくれて嬉しいなって。除け者にされなくて良かったなーって、あい』

『ショウ君……! あったり前だよー! お姉ちゃんは可愛い弟に優しくするものなのです!』

『……お姉ちゃん?』

『……弟?』

 

祈織にとっての翔太郎という存在は、まさに青天の霹靂だった。

周りにいるガサツな男子とは違い、陽樹とは別方向で大人のような少年。

こちらを馬鹿にせず、なんでも受け入れてくれる存在。

例え、話が合わなくとも、それを詰まらなさそうにするのでなく、きちんと話を聞いてくれる相手。

しかし、絵に書いたような年下の純朴さも見せ、まだまだ目が離せない存在。

腕白ではあるが、粗暴ではなく。

困らせる事もあるが、嫌がるような事はしない。

 

年上の男性、もっと言うなら父親のような男性に密かに憧れを抱き。

されど、心の隅では自分に懐いてくれる、弟のような者を求めていた祈織にとっては。

翔太郎という存在は新天地ですらあった。

 

保護欲と保護欲。

 

それを同時に満たす存在に出会った事で、祈織という少女は変わっていった。

 

人は、それを歪んだと表現するかもしれないが。

 

完全に翔太郎に懐いた祈織と同様に、陽樹もまた翔太郎という存在から目が離せなくなっていった。

祈織とは、彼に対する認識は大きく違ったが。

 

 

陽樹にとって、翔太郎という少年は、まさに眠れる暴走列車でもあった。

一歩引いた姿勢を取っておきながら、自ら動くとなると、人が変わったように暴れ回る。

暴力とかそういう話ではない。もっと別の何かだ。

癇癪持ちとかですらない。そんなもの、陽樹にとっては対処は慣れている。

彼の場合、行いそのものが無茶苦茶になるのだ。

 

 

『……何を、しているんだ、君達は』

『カナデさんとお散歩です』

『です……』

『……その、姿は?』

『念の為の変装です』

『です……』

『……もう、何から注意すれば良いんだ?』

『あ、一緒に行きます?』

『何を思っての”あ”なんだ? 言ってみなさい、今すぐに』

 

病院近くの道路。

完全に、敷地から離れた所で、陽樹は老夫婦のような恰好をした翔太郎と車椅子に座る歌奏と鉢合わせた。

因みに、翔太郎が老婆の恰好、歌奏が老爺の姿である。

 

よく揃えたなとか、なんで性別が逆なんだとか、そもそも話かけられないと気付かなかったがなんでそちらから話かけた? とか。

 

頭の中で疑問符ばかり浮かぶ陽樹だったが、これだけは確信していた。

 

歌奏の奴、またやってしまったな、と。

 

呆れているという表情を隠そうともせず、陽樹は歌奏に真偽を問う。

 

『お前……翔太郎に、また何か良からぬ事を口にしたな?』

『……ただの世間話のつもりだったの……』

『あい、けど出来そうだったんで、やっちゃいました』

『……この子は、こういう事をすると分かっていただろう……』

『本当にするとは思わなかったの……』

 

平然とする翔太郎と違い、歌奏は諦めににも似た、申し訳なさそうな表情で遠くを見る。

正確には、責める目で見てくる陽樹から目を逸らすように。

 

そう。

この翔太郎という少年が暴走する引き金は、他人が起因することが非常に多かった。

願望の話から、何気ない会話まで。

全てに反応する訳でもないのが、逆に末恐ろしいものだ。

気を付けようにも、いつ来るか分かったものでないし、気を抜くと突然暴走してくる。

完全に彼の匙加減である。

 

『あ、……もしかしなくても、迷惑でした? やっぱやめます?』

『分かっているのは良いが、だったらやるな。もう後戻りも出来んだろうが』

 

しかも、中途半端に常識や罪悪感があるのが厄介だ。

自分勝手に振り回すだけなら、そういう付き合いを考えねばならない相手と諦めも出来るが、こうやって自ら中止を促したり、謝罪をする理性があるのは、陽樹にとっては混乱の元である。

 

常識人ぶって、突然奇行に走る、根っからの変人。

 

彼の幼馴染である和紗と優衣からの評価であるが、陽樹は首がもげそうになるくらい同意出来るものであった。

 

更には。

 

『どうせ君の事だ。病院の先生方に、自分だけ怒られる腹積りだろ』

『まぁ、事実ですし。あ、ちゃんとカナデさんの体調もバッチリ把握してますよ? いざ巻き込んで体調悪化とか、完全に俺、死んだ方が良い奴じゃないですか』

『何なんだ? なんでそこまで気遣いは出来るのに、行き着く結果がこれなんだ?』

『カナデさんの喜ぶ姿が見たくて』

『今困ってる姿しか見えないんだが?』

 

妙に気が回せているようで、全く回せてない様も、彼女の情緒を不安定にさせるのに拍車をかける。

確かに、彼は自分で起こした騒動は自分で尻拭いをしようとする傾向がある。

それ自体は良い。

最低限、責任を取ろうとする意思があるのは、人として常識であろう。

 

その常識があるのなら、そもそも騒動を起こすなという話なのだが。

 

もうここまで来たら、完全に彼のペースである。

和紗達に振り回される、とは翔太郎の言葉であるが、実際の所、彼も同等に振り回す側だ。

 

祭りで例えるなら。

彼は傍から神輿を見ていた筈が、いつの間にか神輿を担がされる羽目になるし。

時には自ら神輿を担ごうとする時もある。

 

巻き込まれる側にして、巻き込む側。

相反する関係を両立させてしまった少年は、幼馴染達には悩みの種であろう。

 

そして、その和紗達はというと。

 

『うわぁ……本当にコスプレしてるぅ……』

『……言われて来たけど、なにしてるの? ショウちゃん』

『よっ……、あ、おばあちゃんのフリした方が良かった?』

『『結構です』』

『そっか……飴ちゃんも用意してたんだけどな……』

『ショウちゃん、タマに凄い変な人になるよね』

『なるというか、元から?』

『……その心労、お察しする』

 

着飾ってきた和紗達に、いつもの振り回す時のテンションで話かける翔太郎。

引き気味の彼女達に対し、翔太郎は気にする様子もなく、陽樹は彼の良く分からない奇行に頭を悩ませるしかなかった。

 

彼の今回の目的は、歌奏が友達と一緒に買い物道楽をする、というものだった。

要因は、歌奏が言うように、単なる世間話。

病気が治ったら、どんな事がしたい、という翔太郎の問い。

歌奏は、様々な願望を述べた。

 

旅行したい。

美味しいご飯を沢山食べたい。

映画館で映画が見たい。

色んな場所に赴き、その光景を目に焼き付けたい。

 

その他も、どれも些細な願い事だった。

その中で、上がった願望。

 

友達と、一緒にお買い物をしたい。

 

その願いに、すぐにでも叶いそうでは? と疑念を投げかけた翔太郎に。

歌奏は、出来たら良いな、と。

哀愁の漂う笑顔を浮かべたのだが。

まさかこんな事態になるとは、夢に思わなかったのだ。

 

本当に、厄介な少年である、と陽樹は心の中で嘆息した。

こちらを思っての行動なのは、分からないでもないのだ。

その方法が、奇天烈満載なのが多いのが問題なのである。

 

本当に。

本当にこれで、子供相応に、自分中心な人間ならまだ分かりやすい。

場を掻き回す際に、中心に居たがるような人間なら、やれやれと、呆れながらも付き合おうとは思える。

 

だが、彼は違った。

 

 

『──それで? 何故、君は彼女達から距離を離している?』

『え? ……あぁ、俺が車椅子押すべきでしたね、すいません』

『そうじゃない。何故、共に盛り上がろうとしないのか、と聞いてるんだ』

『……あぁ……』

 

歌奏と和紗達の交流は順調に進んだ。

服屋に行って、様々な衣装を見たり。

雑貨店で気に入った物を買ったり。

デザートを買って、公園で食べたり。

 

そんな道中を楽しむ歌奏達を、翔太郎は混ざる訳でもなく、少し離れて見守っていた。

それを怪訝に思った陽樹が、声をかけたのだが。

彼女の問いに、彼はバツが悪そうに頬を掻いた。

 

『いやぁ、俺、美少女に囲まれると死ぬ病でして』

『そんな病は聞いたが無いし、仮にあったとして、君はあの幼馴染達と共にいる時点で、もうこの世にいないだろ』

『本当、なんで生きてるんでしょうね、俺』

『はぐらかすな。私達を巻き込んだのなら、責任を持って共に楽しめ。事の首謀者が、自分は無関係と洒落こむな』

『別にはぐらかしても、無関係とも思ってな……いや、やっぱあるかなぁ……』

 

自嘲するような笑みを零す翔太郎を、陽樹は苦虫を噛んだような表情で見つめた。

 

これだ。

彼の、特に厄介な点。

 

翔太郎は、一歩引いた姿勢を保とうする。

散々こちらの事を巻き込む癖に、その中心に入りたがらない。

無意識に中心に立つ事もあるが、それに気付ける状態ならば、何とか離れようと試みる。

 

 

その立ち振る舞いが、陽樹はどうも苦手だった。

 

『君なりの事情という物があるとして、深くは聞かん。だがな、少しは子供らしく振る舞え。輪に入らぬ友人なぞ、輪の側からすれば億劫で、逆に気を使うものなのだぞ』

『ヒビキか……さんみたいな、難しい口調で子供らしくとか言われましても』

『これは単なる癖だ。中身は、皆と大して変わらん。何時まで経っても、ただの小娘に過ぎんよ』

『いや、そう言ってる時点で、もう別次元っスよ……?』

『なら、そう認識する君の方が私より年上に見える、と返しておこう』

 

陽樹は、そう不満げに口にした。

 

門矢 陽樹の口調や振る舞いは、大人を模倣したものでしかない。

少しでも、自分が子供ながらに使える人間だと、宣伝するものだ。

その言葉遣いを、不快に思う子供も中にはいるが、彼等への気配りも心掛けていた。

 

周りの子供には、少し砕けた口調を。

大人や、親しい仲には、彼女が身につけた口調を。

 

小学生なりに努力して習得した口調は、今や逆転して彼女の素とも言える物となっている。

だが、それでもまだ、彼女は自分は未熟だと思っていた。

 

そういう意味では、翔太郎の在り方は、真似事でしかない彼女と違い、それが彼の素のように見えた。

 

彼も同様、未熟な点は見受けられる。

だが、前述したように、彼は身の丈以上の人生を踏んだような雰囲気を漂わせる。

先程の、彼の口調もそうだ。

 

小学生とは思えない程に、落ち着いた言葉遣い。

粗雑な面もあるが、陽樹の会話に対応出来ている時点で、周りの子供とは一線を画していた。

 

物の見方もそう。

まだ人生経験を積み重ねる段階にとっての小学生に、他者を(おもんばか)るのは元々持った気性でなければ、一苦労である。

それは徐々に身に着けていくものであり、人によっては成人になっても難しい。

だが、彼は少なくとも、小学生の段階を超えている、と陽樹は踏んでいた。

大人のような寛大さ、かまでは陽樹には分からない。

そもそも、大人と言っても千差万別なのだから。

 

だが、彼の存在が異様に見えたのは確かだ。

 

勿論、単なる子供のような振る舞いも見せる。

はしゃぐ際など、時には幼稚にも見えた。

そのどれもが、彼の演技ではなく、素のように思え。

 

だからこそ、彼が何かを抱えて、無理をしているように、陽樹は思えたのだ。

 

何時まで経っても、ヒビキさんの方が年上ですよ、と。

 

これまた小学生らしからぬ返答を返す翔太郎に、陽樹は目をしっかりと合わせた。

 

『だが、それでも構わん。私が年上だろうと、君が年上だろうと。ただ、君のその態度が気に食わん』

『……調子乗ってるとか、そんな感じっスか?』

『振り回す横暴ぶりという意味なら、それはもう慣れた。そもそも最初から気にしてない。……私は、それくらいの奔放を発揮するなら、いっそ我慢するな、と言っているんだ』

『……はぁ』

『混ざりに行きたいのなら、さっさと混ざれ。楽しみたいなら、素直になれ。他人に遠慮した所で、他人はそれを返さんぞ』

『…………』

 

陽樹の、説いて聞かせるような台詞に、翔太郎は一旦黙った。

 

言い返せぬというよりも、不思議そうに首を傾げ。

そして、一瞬考え込むような表情をした少年は、何でも無いような顔で、未だ彼を見続ける、陽樹の視線を受け止めた。

 

『いや、無理すんなって意味なら、それ、ヒビキさんへのブーメランだと思うッス』

『……は?』

 

突発的。

かつ、予想だにしていなかった言葉は、陽樹の顔を気の抜けたものへと変えた。

まさに、鳩が豆鉄砲を食らった時の顔。

そんな唖然とした表情に構わず、翔太郎は言葉を続ける。

 

『だって、ヒビキさんの方が、無理し過ぎじゃないですか。イノリさんや、カナデさんも心配してたんですよ?』

『何を言うかと思えば。口調の話か? 遠慮の話とは関係無いし、これはもう癖になってしまったと──』

『そうじゃなくて。あれこれ気を使って、大人に成ろうと焦り過ぎって事です』

 

翔太郎の訂正に、今度は、陽樹は声を詰まらせた。

まるで、図星をつかれた感覚。

自分で見て見ぬ振りをしていた部分を、突然晒されたような羞恥が、彼女を襲う。

 

『まぁ、カナデさんを(いち)早く助けたいから、ってのは分かりま──すんません、多分想像以上に、必死なんだと思います』

『……』

『でも、人間ってやれる事とやれない事ってあるんですよ? 苦手なのを無理してやったって、空回りするだけです』

『それは……そうだろうが』

 

立場は、完全に逆転していた。

説かれる側から、説き伏せられる方へ。

なまじ下手な気遣いも混ぜるせいで、陽樹は反発しようにも出来ずにいた。

 

『無理自体をするな、なんて言いません。でもやる無理を見間違うな、って事です。自分を押し殺して無茶重ねて、そんで結局ストレス溜まってピリピリしちゃったら、本末転倒でしょ?』

『……まるで見てきたかのような口振りだな』

 

もはや、陽樹の声色には棘が入っていた。

何も言い返せぬが故の、八つ当たりである。

同時に、自分がこんな小さい人間だったのかという、自らへの失望を抱えて。

 

翔太郎はそんな事を気にも止めず。

腕を組み、天を仰ぐ。

 

『うーん……、傍から見ててもそう見える、って事です。ヒビキさんは元から他人思いの良い人なんですから、無理しなくてもどうにか出来ます。それでも色々抱えない時もあると思いますが、それでも耐えられるよう、心に遊びを設けましょ。遊び心なしで、ずっと張り詰め過ぎると、プッツンって切れるのは、誰だって一緒です』

『……難しい話だな』

『あ、でも、我儘になれ、って訳じゃないですよ? 俺も横暴なヒビキさん、見たくねぇですもん』

『……考慮は、しておこう』

 

すっかり、陽樹は消沈してしまっていた。

なんて情けないと、自分が恥ずかしく思えた。

 

見ていられないと、彼に偉そうに出しゃばった結果がこれだ。

穏やかに説教を返され、彼女自身も考えていた面を指摘された事に、陽樹は心(やま)しいものを感じた。

 

まるで、彼を矯正しようとした事が、自分の在り方を、不満を払拭する為の代用だと、そう言われたような。

そんな、見透かされたような感覚を。

 

 

『まぁ、話が色々ブレましたが。兎に角、カナデさんの病気を早く直したい、って気持ちは心から応援してます。でも、カナデさんの要望って、病気治さなくても、意外とこんな風に叶えられる物も少なくないんです。やるなら、そういう無茶をしましょうよ。そっちの方が、カナデさんの笑顔も見れて、お得でしょ?』

『………』

 

翔太郎に言葉を返す訳でもなく、陽樹はゆっくりと歌奏の方へと視線をやった。

 

視線の先には、和紗達と和やかに笑う歌奏の姿。

いつも、そうなって欲しいと夢想していた光景が、現実となって、陽樹の目に映っている。

 

彼の振る舞いを、決して正しいとは擁護は出来ないが。

陽樹にとって、望み焦がれていた光景を見せてくれた事。

その件に関しては、陽樹は責める気も無いし、感謝の気持ちを持っていた。

 

まぁ、だからこそ。

 

陽樹にとっては、変わらず。

否、余計に彼に対して、腹立たしくなったのだが。

 

姉の視線に気付いたのであろう。

陽樹の方へと顔を向けた歌奏は、楽しそうに、幸せそうに、小さく、しかし元気よく手を振った。

 

『……成る程、相分かった。君の言う事は参考としては面白い物だった』

 

それに同じく手を僅かに振りつつ、陽樹は言葉を紡ぐ。

 

『……その上で言おう。君は、頑固で、捻くれている』

『……え? え、ちょ、なんでそんな結論?』

『君の考えは良い着眼点だと思った。だが、それを言った君自身が、その理論を実演する素振りが全く見えん。先に、ブーメランと言ったな? その言葉は、君自身にも返っているぞ』

『いや、俺は結構、自由に生きてますよ? 今日なんか、迷惑掛けっぱなしでしょ』

『……そして、もう一つ分かった事がある』

 

翔太郎の言葉を無視し、陽樹は歩を進めた。

 

確かに、彼が陽樹に語った理論は、一つの意見として貴重なものだと、陽樹は感じた。

彼が他人に迷惑をかけた、という部分も否定はしない。

 

だが、結局この少年の真に厄介な部分が、放置されている事には変わりないのだ。

 

そして、この少年はきっと、何を言ってもその在り方を変えるつもりは無さそうだ。

この飄々とした態度からしてそうだ。自分の問題点に気づいてるようで、根本的な部分に目を逸らすどころか、問題とすら思っていない振る舞い。

 

 

しかし、だからと諦める程、彼女は利口な少女でもなかった。

 

歌奏達の元へと歩き出し、翔太郎と距離を置いた所で、陽樹は振り返る。

その瞳は、怒りでも、憐れみでもなく。

決意に満ちた色で満ちていた。

 

『──私も、君と同じく頑固者だという事だ。馬鹿者が』

 

翔太郎にそう宣言し。

間抜けな表情で口を空ける少年を無視して、陽樹は再度歌奏達へと足を動かした。

 

──余談になるが。

彼は宣言通り、歌奏達が道楽を楽しんだ後、般若の如く怒り狂う医者達にこっ酷く絞られたらしい。

その飛び火が、陽樹達に降り掛かる事は無かったが、如何様な言い訳をしたのか不明にせよ、陽樹はそれに関しても顔を(しか)めていた。

 

 

陽樹にとっての翔太郎という少年は、ある意味では、自分と同類のように思っていた。

 

自分を軽視し、自己を犠牲にするのを厭わない。

彼はその認識を否定してくるだろうし、その言い分は半分は間違ってはいないだろう。

 

だが、もう半分は決定的に間違っているし、彼にその自覚が無いのも致命的だ。

 

人を良くも悪くも良い方向に解釈する性格。

それは美徳ではある。

それを、全く自分に活かせてない。

(あたか)も、自分の在り方を受け入れているように語っておいて、その真逆。

 

彼は、自分の全てを諦めている。

自己の存在も、運命も、幸福も、何もかも。

 

そう見える振る舞いが、例え見当違いであろうと、正しいものであろうと。

 

彼が語った、無理を見間違えば、精神を摩耗させるという言葉。

その姿の陽樹を懸念した、彼こそがそうなる気がして。

 

陽樹という少女は。

それが、とても許せなかった。

 

 

 

「……君は、本当に困り者だな」

 

写真越しに、思い出に浸っていた陽樹は複雑な笑みを溢した。

 

あれから数年。

彼女は、彼の言葉通りとはいかずとも、自身のやり方を少し変える事にした。

 

特に注力したのは、遊び心という物だった。

振る舞いに気に掛ける事こそ辞めなかったが、その目標を改めた。

 

自分にとって、悔いのない人生を送る事。

第一、この学生という待遇は、一時的な社会からの保護期間に過ぎない。

ならば、それを食い潰すよりは、器用に付き合うのが得策だろう。

陽樹は、両親が先を考え過ぎるな、抱え込み過ぎるなと言っていた意味が、少しだけ分かったような気がした。

 

覚悟を備えるのは良いが、それで人生において、ほんの一瞬の暇を不意にしては元も子もない。

折角与えられた機会を蔑ろにすれば、後に残るのは後悔だけなのだと。

 

今や、和紗達に振り回される日々が続いているが、彼女にとっては、決して嫌なものでは無かった。

困惑やら呆れやら羞恥やら、色々な感情に悩まされるが。

楽しくない、という事は無かった。

 

そして、目標も出来た。

周りの人間にも、子供達にも、上辺だけの気遣いではなく。

大人になっても、良き思い出だったと。

そう、振り返えられるような人生を、送って貰う事。

 

叶えるには大きな壁だが、少しでもその手伝いになれるならという気概が持てた。

 

人に話せば、それこそ無茶をしているものではと責められるものかもしれないが。

意外にも、彼女の性には合っていた。

 

お節介という言葉で身体が構成されたかのような少女にとっては。

守るものが増えたというのは、存外とやる気が増す要素だったらしい。

 

苦悩もあるし、心労も(かさ)む事もある。

自分ではやれる事に限度があるし、その手は全てを掴める程に長くもなければ、多くはない。

失敗もあれば、後悔が積み重なる時もある。

 

だが案外、子供達が楽しそうに青春を送る姿を見るのは、その結果が彼女によるもので無かったとしても、充実感に満たされるのに十分な代物であった。

 

妹の歌奏に対しても、陽樹は考えを改めた。

妹の未来も大事だが、それと同じく今の彼女を大事にするよう努めた。

歌奏の笑顔を守る。

笑顔で要られる時間を、よりもっと増やしていく。

少しでも、妹との楽しい思い出を重ねていく。

それは、陽樹自身にとっても、心を安らげる事に繋がった。

 

今の陽樹にとって、課題も困難もあるが、同時に目標や心の余裕がある生き方は、悪くないものだった。

歌奏の治療の事は諦めていない。

だが、あの頃の視野が狭まっていた自分と比べると、随分と生きやすくなったものだ。

少し、視点を変えただけで、こうもガラリと変わるとは。

彼女自身、その事実に驚き、同時に拍子抜けしていた。

 

だからこそ。

彼女が変われたと思える起因たる少年が、全く懲りずにあの有様なのが頭を悩ませるのだが。

 

 

陽樹は、翔太郎に自身を卑下するなと忠告した。

その際の答えは、いつものように自分は決してそのような人物ではない、という定番のもの。

 

それもまた、半分は当たっているだろうが、もう半分は外れているようにしか、彼女は思えなかった。

 

 

翔太郎という少年は、剽軽(ひょうきん)な性格をしているようで、抱え込みやすい性格だと、陽樹は感じている。

本音を隠さず話す一方で、別の本音は腹の内に仕舞っている。

ある意味では、人としては当たり前の姿なのだが。

 

人という者は、複雑怪奇。

見せている表側だけが、その人柄そのものであると断言出来ないのは当然の摂理だろう。

 

だが、彼の場合は何か違う。

無理をせず素直に生きているように見える。

だが、無理をしているように見えるのも確か。

 

徐々に、自分を切り刻み、壊して、それに気付いていないかのような危うさ。

本人は立ち止まって、悩み苦悩し、怖じ気竦んでいるつもりで、実の所その足は、例え破滅だろうとなんだろうと進み続けているような異常さ。

 

人は、その在り方を歪か、精神的に病んでいると評価するかもしれない。

彼女自身も、その見方を否定しきれない。

 

だからこそ、彼女は彼を放置する選択を放棄した。

 

保護者気取りだと忌み嫌われる可能性もあるが、知った事かと。

 

結局、翔太郎という人間は、他人を困らせるのに天賦の才があるのは自他共の認識。

その方向性が、気を揉ませる物に特化していると言うのなら。

 

「……本当に、相変わらずだ」

 

そう言って、陽樹はスマホを、愛おしそうに胸へと寄せる。

その表情は、大切な思い出に浸る、優しげな微笑みだった。

 

 

あの少年は、よくあるような自信や自慢を抱いているようで、自分のしてきた事を鼻にはかけない所もある。

正確には、まるで意に介していない。

妙な所で、冷静なのか捻くれているのか、自分を持ち上げない気質である。

良い解釈をすれば、他人に恩を押し付けない、人の出来た人物と言えるだろうが。

正直、陽樹には、そんな綺麗な物には見えなかった。

 

例えば、大地という、翔太郎の友人の一人がいる。

眼鏡を愛し過ぎて、伊達眼鏡をしているらしい、変わった子だと認識しつつも、それもまた尊重すべきと陽樹が思う少年。

彼は中学生の頃、投身自殺を図ったそうだ。

理由は学校生活での不和等、様々な要因だったらしいが。

その命を助けたのも、大地の状況を変えたのも、翔太郎である。

 

大地という少年はそれに関して、いたく感謝の念を抱いてるらしいが、当の翔太郎は本気で何が有り難い事なのか、全く理解していない。

 

人として当然の事をしたまで。

感謝するのは良いが、それと大地が自分を良く思ってくれたのは別の話。

寧ろ有り触れた事をしたのに、過剰に持ち上げ過ぎだと気味悪がる始末。

きっと今では、言われればそんな事もあったと、どうでも良い記憶として処理しているのであろう。

 

ここまで自分を蔑ろにしていると、他人にも理想を押し付けそうなものだが、他人にはそこまで求めない気質のようだ。

 

他人には他人の事情があるのであって。

自分がしないのは、また話が違うと。

そう割り切ってしまうのであろう。

自己愛の高さを自称しながら、自罰的精神を内包しているかのような少年。

幸せな家族構成でありながら、何が彼をそう駆り立てるのは全く分からない。

後天的か先天的かも不明、確実に言えるのは、もはや強く根付いて処置が出来ない、という事。

 

時に、翔太郎が陽樹達を登場人物にしたゲームの話をした事もあった。

その時の悲痛に染まった表情は、今でも忘れられない。

だが、それが本当に関係があるのかは確証が持てずにいた。

はっきり言えば、陽樹は彼の言葉を信じきれていない。

デザイアノーツ、等と言う都合の良い、本当にあるなら喉から手が出る程欲しい、しかし想像上でしかない物に縋りたくないというのもあるが。

あの話が本当だとして、彼があのような性格になった原因だと断定するには、少し情報が足りない。

要因の一つではあるだろうが、彼という人格を構成するには弱すぎる。

まだ、何かある。

まだ、何か隠している。

そして、それを暴く術は、現状彼女には無い。

 

それが、陽樹が翔太郎に抱く認識。

 

彼の振る舞いに関しては、陽樹は仕方ないと、半ば諦めている。

人の性格など、他人が矯正するのは不可能だ。

だが、かと言って、だから良しと見過ごす事は、陽樹には出来ない。

 

生徒会として守る生徒しても。

青春を謳歌すべき子供としても。

歌奏の笑顔を見せてくれた少年としても。

 

彼こそ、もう少し気楽に生きるべきではないか。

人を散々困らせる悪癖を様々に抱えていて、自分も傷付いているようではどうしようもない。

しかも、無自覚。完全に施しようなし。

どうせ、自分の中で謎の屁理屈を捏ね回し、真の理由には見て見ぬ振りどころか、そもそも問題視してるかも怪しい。

本当に愚かでどうしようもない少年だ。

魯鈍だ、魯鈍だ、と彼以外に何度も風潮し、遂には翔太郎自身にすら投げかけたくらいには。

 

だから、少し灸を据えてやろうと。

陽樹は、彼にある宣告をした。

 

彼が『期待』するような出来事を増やす。

狼にしてやると。

傍から見たら人としてどうかと思う宣告だが、そもそもあの可笑しい少年に絆された身としては今更なもの。

 

あの時の青い顔は、少し陽樹の加虐心を刺激させたし。

自業自得だと、彼女は鼻で笑った。

 

和紗達にも、あの後、言葉通りに協力を仰いだ。

彼女達すら、二つ返事で了承した。何なら、彼女達も何か行動を起こす腹積もりだったらしい。

 

ここまで、異常な程に気に掛けられる理由くらい察するだろうに。

あの少年は、頑なに真実に辿り着けず。

胃が痛い等と小言でほざくのであろう。

 

まぁ。

それも青春として諦めろと。

陽樹は心の中でほくそ笑んだ。

 

……強いて言うなら。

あの愚かで愉快な少年は、是非、歌奏の側にいて貰いたいと陽樹は考えているのだが。

それは本人の意思なので、強くは言えない。

 

 

「……青春、か」

 

 

……そう。

青春。

 

この月読高校の生徒達に、それを謳歌して貰う事が、何より大切であると、陽樹は信じている。

 

それは、本来この学校に来る筈だった、今は囚われの身である少女達も変わりない。

 

彼女達は、アフイロアという地で、様々な謀略や流血が飛び交う目に合ったらしい。

一区切りがついても、彼女達は一先ず亡命しなければならなくなったと。

それを受け入れたのは、陽樹の家系が属する財団、門矢家。

 

本当なら。

とっくの昔に、あの二人はこの月読高校で、新たな門出を謳歌出来ていた筈だ。

 

それを、またも煩わしい謀略が邪魔をする。

 

「……バドリード。貴方が敵かどうかまでは、私には分からん」

 

今の彼女に、笑みは無かった。

代わりにあったのは、決意に満ちた、鋭い敵意。

 

「だが……もしも、あの子達を傷つける者であるのならば」

 

あの外交官の真意は掴めない。

だが、良からぬ事を考えているのは、誰の目から見ても明らか。

 

それが、あの二人に仇なすのなら。

この学校の生徒に不幸を招くものなら。

容赦はしない。

徹頭徹尾、叩き潰す。

 

「──精々、高見で勢威を振るうが良いさ。身の程知らずの蟻が、竜の髭に喰らいつく様、とくと味わわせてやる」

 

そう言って。

陽樹は、誰にも見せた事の無い笑みを。

 

 

口の端を釣り上げ。

敵意と悪意を織り交ぜた、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

高御巣町。

 

夜でありながら、ネオンや蛍光灯、様々な明かりで囲まれているその街は、まさに眠ることを知らないと言わんばかりの活気に溢れていた。

 

洒落たレストランやバーは静かな空間を作り出し。

かと思えば、焼肉店や居酒屋からは賑やかな喧騒が垣間見える。

外からも僅かに、しかし盛り上がりを感じさせる音楽が聞こえ洩れるライブハウス。

店名をライトアップさせたゲームセンターには、若い世代の人間達がチラホラと中に出入りしていく。

様々な広告がビル群に張り出され、それは煌々と自身を主張する。

 

きらびやかな光景を映すその街で。

明かりに照らされぬ、外光を背景にした小ビルの屋上。

 

 

 

「────ガァッ!!」

 

 

そこでは、数人の人だかりが、争っていた。

 

構図は、四人の男が一人を追い詰める形。

何気ない服装の人間もいれば、()()()()()()()()に身を包む者いる。

彼等の傍らには、目の前の敵に倒されたのであろう、地面に伸びた者達が数人転がっている。

 

統一感のない彼等だが、一つだけ共通点があった。

顔に謎の機械的な仮面を付けている事。

黒く染まったそれは、白く光る細い線が流線を描くように薄く輝いている。

 

そんな不可思議な集団に対して、その敵である一人は優勢に立っていた。

 

それは、年端もいかなさそうな少女だった。

髪は、和紗とはまた違う銀髪のような色をした長髪。

その瞳は、紫に近い彩りをしている。

服は、白シャツに黒のスラックス。

如何にもレディスーツのような出で立ちは、しかし汚れと損傷が至る所に見え、あまりにも痛々しい。

しかし、そんな素振りなど微塵も感じさせず、寧ろ気丈に振る舞い、息も整ったまま、構えを崩さず、彼女は集団から目を離さない。

 

それを見て、集団の一人、ナイフを持った男が舌打ちをした。

 

「……”クソッ、何が手負いだ。普通に元気じゃねぇか”」

「”流石は守衛って所か? ガキにしちゃ、よう動く”」

 

日本語でなく、別の国の言語。

 

その言葉で悪態をつく男に、もう一人の男が、何かを振りかぶるように取り出しながら、同じ言語で小言を吐く。

 

それは、電流が走る警棒。

青白い火花の放電を走らせるそれは、外で煌めく明かりに負けぬ程の激しい閃光を見せる。

 

それに表情を変えず、しかし警戒するように、少女は脚に力を入れる。

 

逃げる術はなし。

目の前の集団をここで倒さなければ、自分に後はない。

静かな闘志を向ける少女に、自分達へ怖じ気を感じないのが気に食わないのか、警棒の男は鼻を鳴らした。

 

「”ハッ。ムカつく女郎だ。──んじゃま、さっさと殺されろや!!”」

 

その掛け声を引き金に。

ナイフ。

釘のついたバット。

チェンソー。

スタンロッド。

様々な武器を手にした男達が、少女へと駆け出した。

 

少女はそれに依然として、構えを解かずに待ち構える。

 

先に仕掛けたのはナイフの男。

大振りに振り下ろされた切っ先は、彼女目掛けて軌跡を描き迫らんとする。

 

──その腕を。

彼女は易々と受け止め、受け流す。

 

体勢が崩れたナイフの男。

手に持っていたナイフは裏拳で弾かれ、今や空の手。

その腹に、少女は容赦なく蹴りを入れこむ。

 

「がっ!」

 

激痛に、唾と同時に呻き声を飛ばす男。

それに構う事なく、少女は蹴りを入れた脚に体重を乗せる。

そのまま、逆の脚を持ち上げ。

まるで、宙に浮くような姿となった少女は。

その一瞬。

持ち上げた脚で、男の頭部を蹴り飛ばした。

 

吹き飛ぶ男に、仲間の男達は動揺を隠せない。

 

慌てて目線を少女に戻すと、いつの間にか、奪い取ったのであろう。

男が持っていたナイフを、男達に向け、構え直していた。

 

「この……!」

 

次に迫ったのはチェンソー。

轟音を掻き鳴らし、鋭い刃の群れを高速で回転させる。

その凶器を、男は考えも無しに振り下ろす。

 

少女が奪い取ったナイフ。

それに、回転する刃が受け止められるなど、終も考えず。

 

「はっ──?」

 

ガギガキガキガギガギ──!!!

 

閃光と振動が大きく重なる。

予想だにしなかった、火花が散る光景を目にし、男は硬直する。

その一瞬、次に目にしたのは。

彼の腕ごと、豪快に。

チェンソーを膝で蹴り上げる少女。

 

そして、自身に一瞬で迫る。

チェンソーの、持ち手だった。

 

「ぎっ……!!」

 

ガンッ、と。

男は、持ち手を顔面に叩きつけられ。

鼻から血を出し、チェンソーから手を放した。

 

その落ちるチェンソーを、彼女は片手で悠々と掴む。

 

そして、素早く身体を動かし、迫るは鼻血を吹き出す男の横腹。

衝撃に足を崩し、倒れそうになる男の顔面に。

少女は、再度叩き込むように。

チェンソーの重さすら、利用し。

天から、力強く振り下ろした。

 

──バギャァ!!

 

コンクリートの地面に、チェンソーごと叩きつけれられた男。

そのマスクは、衝撃でひび割れ。

男が白い目を剥いてるのを覗かせた。

 

「──!!」

 

少女は、直ぐ様、視線を上げると。

チェンソーのスターターを、強く引く。

一度の引きで、チェンソーは轟音の唸り声を上げ。

瞬くに、天へと伸びるその刃の群れが。

息を吹き返すように、再び回転する。

 

その激昂を掻き鳴らすチェンソーを。

彼女は身を回転させるように捻り。

 

そのまま、勢い良く振りかぶる。

 

チェンソーの刃が捉えたのは、釘が無数についた木製のバット。

彼女の隙を、好機と見た、少女の頭部へと叩きつけんとした男。

その男の頭部のバットを、彼女は正確に切り裂いた。

 

「グッ──」

 

男は、マスク越しに苦悶と恐怖の表情を浮かべた。

身体は、切られていない。

だが、振り下ろそうとした勢いは殺せず。

彼は、まるで首を差し出すかのように、少女へと前のめりになった。

 

切られる。

男は咄嗟に判断し。

無駄だと言うのに、チェンソーの方へ、身を固める。

バットの持ち手で、頭を守るようにする。

離れていくチェンソーの切っ先が、こちらに向く事に恐怖しながら。

 

だから、気付かない。

少女が、振り払った反動を利用し。

再度、空へ浮かび上がるのを。

 

「──へ」

 

気付いた時には、もう遅い。

男が少女に視線を戻した瞬間。

少女は、彼に。

彼の頭部に、回し蹴りを決めた。

 

勢い良く、吹き飛ばされるバットの男。

着地した少女は、チェンソーを男とは違う方へと放り投げる。

ガシャンッ! と派手な音を立てるチェンソーに目もくれず、少女は眼前を睨む。

 

その視線は、スタンロッドの男を捉えていた。

 

「……チッ」

 

スタンロッドの男は、小さく舌打ちをすると。

 

殺気を隠そうともせず、鬼気迫る表情で、少女へと進撃した。

 

一瞬で差し迫るやいなや、男は素早い動きで警棒を振り回す。

 

それをギリギリで躱しながらも、少女は表情を変えない。

しかし、額には、大粒の汗が流れ。

躱す度に、汗は飛沫となって、宙を踊る。

 

「──”オラオラ、どうしたァ”!!」

 

一打。

二打。

三打。

 

素早い猛攻を繰り出す男は、勝ち誇ったように喚き出す。

身体を捻り。

動かし。

寸前で避けていく少女に苛立ちを隠せぬまま。

 

後退していく。

追い詰められていく、少女に興奮を覚えがら。

 

少女が、ビルの屋上。

その小さな塀に足をつけた瞬間、男は勝ちを確信した。

今迄とは比較にならぬ速度で。

男は、少女へと警棒を突き立てる。

 

牙突。

そう表現すべき高速の突き。

今度こそ避けきれぬと確信されるその攻撃を。

 

「──”な”」

 

それを、少女はいとも簡単に身を躱した。

屋上から身を投げ出す事すら、厭わず。

半身を、倒れ込むようにして。

 

同時に掴まれる男の腕。

その腕の関節に。

 

少女は容赦なく拳を叩き入れる。

 

鈍い音。

関節が曲がる音。

骨が折れる音。

 

それ同時に走る激痛に。

男は、あろうことか、警棒を放してしまった。

 

その、空に浮く武器を。

 

少女は、拳を打ち付けた腕で、掴みとる。

 

男の腕を掴んだ手は。

ビルの外へと、引き摺り込まれるように。

彼女は、強い力で引き寄せる。

 

落ちる。

落される。

そう確信し、絶望の顔をマスク越しに浮かべる男の顔に。

 

少女は。

地に脚を括りつけるように。

全身の体重を乗せるように。

力強く踏み込み。

 

その反動すらも利用し。

光速に迫る勢いで。

スタンロッドで、男の顔面を薙ぎ払った。

 

閃光と共に。

男は身体を宙で回転させ。

斜め後方へ吹き飛ぶように、屋上の地面へと倒れ込む。

砂埃を巻き上げながら、横たわった男は、立ち上がる事は無かった。

 

「──ハァ、ハァ、ハァ」

 

薙ぎ払った体勢のまま、少女は倒れた敵を睨みつける。

 

先程とは打って変わり、その息は荒い。

息を整えようと、肩を上下させながら、少女は重い足取りで、塀の近くから離れる。

 

目指すは、倒れている、警棒を持っていた男。

警官の服装をした、謎のマスクを付けている男。

 

この集団のリーダー格か。

速攻で倒れた他の者達とは、動きが違った。

 

しかし、日本人ではない。

日本の警察の制服を着ているが、この男は少女の母国語を使っていた。

他の男達もそうだ。

彼等は全て、少女の生まれ故郷たる、アフイロアの言語で話していた。

 

少女は、男の側によると、その場にしゃがみこんだ。

男の顔についた、機械的で奇妙な仮面を手に取ると、それを乱暴に奪い取る。

 

すんなり外れ、風貌を晒した男の顔は、確かに日本人のものでは無さそうだ。

 

彼女がこの国に来てから、知った相手。

自分達を拉致し、彼女に拷問をかけていた男の一人。

確か、少女へと用意した碌な栄養にもならぬ餌に、尿をかけて嘲笑っていた人物。

 

その風貌、そのままだった。

 

「……」

 

少女は、それを見て、眉を(ひそ)める。

しかし、何もせず、ただ黙って立ち上がった。

俯きがちに顔を伏せながら、少女は手に持った仮面を眺める。

目元を隠す部分は外れてしまったが、それでも支障はないであろう仮面。

 

見たこともない物。

どういう仕組みなのか、白い発光は、絶える事なく。

側面には、何かスイッチのような突起が見える。

その不思議な仮面を、少女は熱心に眺めていた。

 

 

だから、少女は気付かない。

 

 

密かに、自分の背後に迫る、もう一人の男の影を。

仮面が割れた、別の男を。

男が、先の戦闘で落ちたナイフを拾っているのを。

 

物音を立てず、彼が自身に忍び寄るのを。

 

男は目を血走らせ、少女の首を一点に見つめる。

目を見開き。

怒りに歯を喰い縛らせ。

ただ、その首を刈り取らんと。

 

男は声も上げず、ナイフを振り上げる。

狙いは一つ。

女の首。

自分に背中を見せるこの餓鬼は。

未だ自分に気付いていない。

男の表情に、暗い笑みが灯った。

 

 

だから、男は気付かない。

 

 

少女が、スタンロッドから手を放していた事を。

まるで、放り投げるように捨てていた事を。

 

ビルの屋上外へとは違う方へと。

男が振りかざす腕とは真逆の方へ。

 

まるで、その位置こそが、重要とでも言いたげに。

 

「────」

 

男が、ナイフを振り下ろす刹那。

 

少女は、全力で振り返った。

 

片足を上げ。

 

スタンロッドを脚先で捉え。

 

狙うは、男の頭部。

 

雷光の軌跡は弧を描き。

 

 

それは、吸い込まれるように。

男の頭に打ち付けられ。

 

少女はスタンロッドごと。

 

男の頭を、蹴り抜いた。

 

──バチィ!!!

 

男の視界は、白一色に染まり、一瞬で黒へと暗転する。

 

空を飛ぶ男の身体。

その先には、男達が伸びている、冷たいコンクリートの地。

 

警官服の男のように。

ビルの地面に強打されたその男もまた。

 

口から泡を吐き、起き上がる事は無かった。

 

 

「……ふぅ」

 

少女は、小さく溜息をつくと、冷めた瞳で、倒れる男達を見回した。

 

これで、今度こそ全滅だろう。

意外としぶとかった。

少女としては、極力避けたかった体力の消耗であった。

 

ビル内に通じる扉。

そちらの方から、声が漏れ聞こえる。

 

怒声とも喚きともつかぬ声は複数で、どうやらビルの屋上へと近づいているようだ。

 

少女は、気怠そうに首を振ると、隣のビルに視線を移す。

 

距離としては、路地裏を挟んでいるからか、然程遠くはない。

 

しかし、それでも距離があるのは確かで。

例え、飛び移ろうとは常人では考えぬ程の距離を。

 

少女はそれに躊躇わず。

全速力で、隣ビルに向かって、駆け抜けた。

 

 

 

 

「──”おい、どうなっている! 探せ!”」

「”うるせぇ! あのガキ、消えやがった!”」

「”仲間も数人やられた! 舐めやがって!”」

 

──ビルを何度も移り飛び。

体力の限界にきていた少女は、また別の屋上の壁に身を預け、地上で話し合う男達の声に耳を傾けていた。

 

どうやら、奴等の捜査網は広いようだ。

しかし、能力は低い。人海戦術頼りで、練度がまるで足りない。

 

戦闘面においてもそうだ。

どれもゴロツキに毛が生えた程度。

一般人になら、暴力と恐怖で支配出来るだろうが、少し鍛えている人間なら、楽勝だろう。

 

完全な下っ端。

とはいえ、平和だと聞いていた日本で、そんな奴等と追いかけっこに興じる羽目になるとは、少女は思いもしなかった。

 

 

そもそもが、予想外の連続。

少女は本来、この月読市で、彼女が守るべき相手であり、大切な友人と共に、勉学に励む生徒として振る舞う手筈となっていた。

 

隠れ蓑として、一時的か、長期的か。

どちらにせよ、本国のような、(まつりごと)のフリをした、時代遅れも甚だしい、血で血を洗う争いが起きる事は無いと、そう高を括っていたのだが。

 

どうやら、そう簡単にはいかないらしい。

 

謎の集団に拉致され、気付いたら拘束されていた。

時には、痛めつけられもしたが、情報を聞き出そうというより、単なるゲームの一興。

完全に、苦痛に耐えるこちらを眺めて、酒を飲んでは楽しむだけの遊び。

 

ならば、話は早いと。

彼女は機会を伺い。

良いタイミングと判断した所で、即座に拘束を解き、迫る敵の群れを無力化した。

戦闘を重ねながら、共に囚われているであろう友人の解放へと急いだ。

 

そこまでは良かった。

順調だった。

だが、そこからが不味かった。

 

彼女は、一人の男に圧倒された。

その男は、アフイロアの裏組織で使われている、劇薬を服用していた。

身体能力を上げ、()()の力を手にする、貴族(竜の)の血の、模造品。

あまりに危険なその毒薬を、彼は喜び、酔いしれるように摂取し、少女に力の誇示を見せ続けた。

結果、辛くも逃げおおす事しか出来なかった少女は、今尚、謎の集団に追われながらも、奴等の住処を暴こうとしている。

 

日本の警察に頼るのは、現状無理だろう。

奴等は奇妙な手を使って、警察内部に潜り込んでいる。

 

例えば。

 

「──”とにかく、俺はそろそろズラかる。この服でこのままだと、バレたら面倒なんでな”」

「”あいよ。さっさと行きな、ポリ公さん”」

 

そう笑い合う男達の顔には、先程の、少女を襲った集団と同じマスクが顔についていた。

男の一人が、そのマスクの側面を弄ると、瞬く間にマスクが消えるように透明になっていく。

代わりに浮かんだのは、まるで日本人のような顔。

 

しかし、日本語ではなく、少女の母国語のまま。

されど別人のような声色で。

顔と声を変えた男は、仲間に別れを告げると、彼は路地裏を後にする。

 

あの、仮面。

あれが厄介だ。

どう見ても、現代の技術とは思えない。

それを使って、どうやら彼等は成りすましを図っているらしい。

元の人間がいる可能性も考えると、その心配もすべきなのだが。

彼女にとっては、それ以上に厄介な事がある。

 

あれが奴等の手にある事。

それが、少女が警察は疎か、この日本で誰にも頼れない足枷と化していた。

 

忌々しいと。

少女は小さく舌打ちをする。

 

アレさえなければ、話は簡単なのに。

さっさと警察か、少女達が通う筈だった高校に、連絡を取れれば。

それさえ出来れば、後は楽な話なのに。

 

あの奇妙なマスクのせいで、それをやるリスクが高すぎる。

今の隠れながらの状況でも見つかるのに、そんな危険を侵せば速攻で囲まれる。

幾ら数人程度なら何とか処理出来ても、それこそ大人数で来られたら一溜まりもない。

いわばこの月読市は、誰が鬼でも可笑しくない、隠れ鬼の箱庭と化していた。

 

しかも、先の戦闘で、かなりの体力を持っていかれている。

 

数日、何も口にしていない少女にとって、今の状況ではあのような立ち回りはもう無理だろうと。

歯痒い思いで、彼女は顔を歪ませる。

 

公衆電話は、今の月読市には数える程度しかない。

それを目指そうとするには、奴等の包囲網を突破しなければならない。

だが、それ以上に、根本的な問題がある。

 

 

「……”大体、ここ何処なの……?”」

 

 

彼女は、言うなれば迷子となっていた。

そもそも、公衆電話の場所など知る由もなく、月読高校の場所なども知っている訳がない。

月読市の地理など、知っている訳もなく。

ただ、当てもなく、隠れては、追ってくる敵を撃退し、余裕があれば盗み聞きをするだけの日々。

 

日本語は話せない事も無いが、読み書きはまだ勉強中。

人に聞けない事も無いが、そうする危険性が付き纏う以上、簡単にはいかない。

 

看板に目を通す時間も無い。

追われながら、地図とにらめっこをするのは、骨が折れるどころの話ではない。

 

 

何とか仮面を奪い取れた事は、かなりの進歩と言えるのだが。

これがまたまた、中々上手くいかないもので。

 

少女は悲しけにマスクを見やると、大きく溜息をついた。

 

「”……頭、狙うんじゃ無かった……”」

 

彼女が手に入れた仮面。

フルフェイスだったそれは、目元が見えるようになってしまい、どこかおしゃれな、口覆うマスクのように変貌している。

 

そのマスクは、簡潔に言えば壊れてしまっていた。

 

正確には、使えない事もないのだ。

変装をしようと弄ると、顔がぼやけたような状況になるだけ。

 

これだけなら、顔の覚えにくい人止まりで済むかもしれないが、問題はまだある。

 

彼女が壊したこのマスク、変装機能が一定時間しか持たないのだ。

しかも、何度も使えば、やがて動かなくなるかもしれない可能性つきで。

 

当然これは、マスクの存在を知っている物にとっては、寧ろ目立つ標的だ。

 

完全な失態に、大失敗に。

少女は頭を抱えた。

 

そもそも、あの時逃げずに応戦したのは、この仮面だったマスクを奪い取り、活動範囲を広げる為だったというのに。

例えゴロツキと言えど、体力の限界が迫る彼女では手加減する訳にもいかず、速攻で沈めようと、身体が覚えるままに戦闘をしたのが仇となった。

 

彼女の苦労は水の泡となり、残ったのは、壊れたマスク状の仮面と、無駄に体力を消耗し、余計に疲れた身体だけ。

 

「……”それでも、何とかしないと”」

 

彼女は疲労が溜まった身体を、重たげに起こす。

ゆっくりと立ち上がると、壊れているが使えない事も無い、と思いたいマスクを被る。

 

機能は使わずに、瞳を露出させたまま、彼女は屋上の塀側に近づく。

 

やがて、街並みを見回せる所まで足を進めると、彼女はその展望を、髪を靡かせ眺めていた。

 

街は変わらず、輝いている。

先の騒動など、誰も知らぬであろう。

路上に視線を移すと、車が行き来する大きさながら、人通りは少ない。

頭上を照らす明かりの束とは対称的に、その地はあまり明かりが少なく、人がよく使うような道ではないと予想出来る。

 

幸か不幸か。

彼女のいるビルは、他の物より背が低い。

そして、少女の真下には、このビルの持ち主宛てだろう。

宅配を運んできたと思わしきトラックが、都合良く停車している。

 

それを見て、少女は意を決する。

 

 

このまま、手を拱いている場合じゃない。

この間にも、友人の身に危機が迫っている。

もはや、誰の協力も仰げないとして、ならば自分の手だけでも、助けだすしかない。

 

警察による捜査は、依然期待出来ない。

そもそも、奴等の仲間が潜り込んでいる以上、警察は妨害されていても可笑しくないのだから。

 

 

そして、あの模造品の事もある。

 

日本にまで、あの劇薬の魔の手が来ている事に、彼女は心の中で歯軋りをした。

 

まさに、ここはあのアフイロアの焼き直しだ。

薬と暴力が影で蠢き。

やがて、この月読市を毒牙にかけんと、牙を磨きながら闇の中でせせら笑う外道共。

それに対峙するのは、故郷にいた彼女にとっては、友人や仲間達と、策謀渦巻く死地を共にした時を彷彿とさせる。

 

一つ違うのは、仲間が誰もいない事。

今は、地理も分からぬこの街で、孤軍奮闘で戦うしかない。

 

 

──それでも。

 

「…………待ってて、エレノア」

 

少女は、最愛の友人の名を口にする。

 

それは、友人の偽名でもあり。

愛称でもある名前。

少女にとって、大切な名前。

 

 

「……絶対に、助け出すから……!!」

 

例え、この身が朽ち果てようとも。

貴女だけは、絶対に守る。

 

その決意を胸に。

少女──メアリーは。

 

少ビルから、地上へと身を投げた。

 

 

やがて、屋上には誰の姿もなく。

メアリーの姿もまた、煌めく街の明かりに消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

エレノア・ロメロこと、アリエノール・ド・ジェイデン。

そして、メアリー・クラーク。

 

彼女達もまた、デザイアノーツを巡る御子となる少女であり。

 

本来のレールから外れた、原作以前の物語。

その皺寄せを、一身に受ける者達である。

 

 

和紗は、夢を見ている。

 

取るに足らぬ夢だ。

最愛の幼馴染達と、いつものように学校へ登校する夢。

 

一つ違うのは、一人だけ性別の違う幼馴染が、満面の笑みを浮かべている事。

 

いつものような、取り繕った笑みでも、遠い目をするでもなく。

今日のような、我慢の限界とでも言わんばかりに、顔を顰めるでもない。

 

心の底から、彼女達と触れ合い、笑みを浮かべる顔。

 

和紗は、それだけで嬉しかった。

どうせ夢の中なんだろうなと、夢だというのにそんな自覚も持ち合わせて。

 

まだ眠りが浅いのだろうか。

 

陽樹会長と交したあの一幕が、ふと彼女の夢で反復された。

 

『──あの魯鈍者には、少し分からせてやりたい。なに、嫌がらせという訳じゃない。少し、懐に入る機会を増やしたいと思ってな』

 

和紗は、それを快く受け入れた。

優衣もまた、気弱になりつつも、同じく肯定した。

 

陽樹の意思は、和紗にとっては後押しだった。

元より、そうするつもりだったこと。

何より、陽樹は同じ志を持つ者でもある。

言うなれば、同盟が次の段階に進む為の宣言。

 

自分は、こんなどうしようもない女だったかな、と考える事もある。

都合の良い女と揶揄されても可笑しくない。

 

望む所だ。

そもそも自分にとって、都合の良い少年がすぐ側にいるのだから。

こんな感情を抱いた責任くらい取って欲しい。

 

彼が、誰かを好きになっても、それは自由。

誰かを選ばず、一人を楽しむのも自由だ。

 

 

でも、我儘を言うのなら。

本当に、性根を疑われても可笑しくないのだが。

 

彼の事を、好いてくれる人間がもっと増えて欲しい。

恋慕でも、親愛でも、何でも良い。

和紗は、それを家族だと受け入れよう。

 

彼に心の底から笑って欲しいから。

幸せになって欲しいから。

生きてる事が、幸福だと思って欲しいから。

 

だからこそ、まずは自分達がそれを証明するとしよう。

 

私達は、貴方の家族。

ずっとずっと、側で見守る。

側で支える。

貴方を否定する何かがあるのなら、その全てを駆逐する。

 

だから。

もう、苦しまないで。

辛い事があるのなら、頼って。

自分達が、全力で助けるから。

 

 

 

”貴方は、一人じゃないんだから。”

 

 

 

破顔の笑みで、手を取り合う幼馴染達の光景を夢想しながら。

 

和紗は一人、微睡みの中でそう呟いた。

 

 

 

 

本来。

デザイアノーツという作品に、『貴族』という存在が深く関わる事は無い。

ましてや、クトゥルフ神話に関してなど、触れられる事も無かった。

自存する源、特殊史編纂課、バドリード外交官など、デザイアノーツには言及はない。

それらは、世界観を共通する、別の作品の物語に関わる単語。

 

大きく物語の歯車が狂いだしたのは、誠司とサスラの生存である。

死が確約されていた者の存命は、世界の流れを著しく変容させる。

 

それだけではない。

 

数多の登場人物の思想、思惑は、歪められ、原作と呼ばれる物から逸脱してしまった。

多くの運命は、あるべき道から、尽く踏み外した。

 

顔を覗かせる程度の設定は、本格的に露出し。

それどころか本来、露呈しない設定すら浮き彫りにさせ。

関わらぬ筈の者達が、後に関わる筈の者達が、今、(えにし)を持ち。

有り得ぬ筈の展開が、人々に降り掛かる。

 

一つの小石が起こした、数多だが些細な波紋。

それが起こした波は、重なりうねりとなって現実を揺るがす。

物語が始まる前から、全く想定されてなかった物語を紡ぐ。

 

その渦中たる、全ての元凶たる小石の少年は。

 

 

「…………クゥゥ……」

 

何も知らぬまま、気付かぬまま。

 

 

「………だからぁ……そういうのべつにいらないってぇ…………」

 

 

寝息と寝言を立てて、いつものように眠りについていた。

 

 

 

 

世界は静かに、緩やかに。

しかし、確実に、その歯車を狂わせる──。

 





ヒロイン視点書こうや!と意気揚々して力尽きて適当になる、の図
想像以上に長くなるわ
時間かかりまくりで何書いてるか分からなくなるわ
誤字脱字とかもう知らん!になるわ
前後編とかヒロイン毎に別けるべきだったと酷く後悔してるものぐさです対戦よろしくお願いします
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