タイトル「君よ、君よ、明く燃えて」
君よ、君よ、明く燃えて
1.君と僕
君よ、君よ、
「あの雲の上、青空の先、別世界があるんだよ」
そんな夢の甘やかさだけを僕に
僕らの島は、海岸線を一周してもせいぜい1時間の広さしかなく、人口もたった128人。毎日同じ顔と会い、同じ挨拶を交わす暮らしに飽き飽きしていた気持ちは分かる。でも孤独は僕らの運命なんだ。島の外にはただ海だけが広がっていて、他の陸地なんて石ころひとつもありはしない。暇なやつが地球のすみずみまで飛び回って確認してきた科学的事実――僕ら以外に生きた人間は存在しない。
昔は
だから、ね、君よ。僕らと異なる人類が空の上に住んでいる、という君の仮説に誰ひとり耳を貸さなかったのも、今にして思えば無理からぬ話だ。僕だって信じきれなかった。理屈の上ではありうる、という了解と、充分に信じるに足る、という確信の間には、文字通り
「野望なんだよ、少年。若者には、現状維持の
わずか二千八百とんで八日先に生まれただけの君が
「本当に異人がいるなら素敵だけど」
いつものあの丘の草むらで、あの夜も僕は、さりげなく翼を触れ合わせられる程度の距離に腰を下ろし、君の
「
「そうかな」
「水平飛行なら、いつでも海面に降りて水と二酸化炭素からアルコールを合成できる。でも真上に飛ぶとなると話は別だ。給油は無理。滑空に頼れないから消耗も激しい。ちゃんと計算したわけじゃないけど、高度1kmにも届かず力尽きるんじゃない?」
「見事だ、少年。私の計算では、最大限燃費に気をつかっても920mが限界だな」
「ほらね。そんな危ない橋は渡ってほしくないな。それより赤道を越えてみない? 南十字星を見に行こうよ」
「ふたりきりで?」
「ん、まあ……」
「『ん、まあ』ーっ? なんだいなんだい。『君とだから行きたいのさ』くらいの口説き文句を言ってみせろよ。さあ。ほら。どうした? その気になるかもしれないぞ? んー? だめかー? 真っ赤になっちゃって、かわいいね。ま、どのみち私は南半球なんかに興味はないんだが」
「ひどいよ、からかって」
「からかってるだけに見えるんなら修行が足りないな。私は本気さ。要は空に水があればいいんだろう。ついでに強力な上昇気流もね」
僕は何秒もバカみたいに口を開けていたが、やがて君の言わんとするところを悟って震え上がった。血の気が引くとはあのことだ。君からは僕の顔面がたちまち青ざめていくさまがよく見えたことだろう。
「《間欠泉》を使うつもり?」
「ハ! 話が早くて好きだよ、少年」
「冒涜だ! 老年に知られてみろ、今度はお仕置き程度じゃすまないぞ」
なのに君は膝の間に顔を半分埋め、愛らしく首を
「だろうね。ぞくぞくしちゃう」
それで僕は、いいように魅了されてしまうんだ。
*
《間欠泉》は島の北東の果てにあり、普段は波ひとつない鏡のような湖面に、ただ青空のみを映している。すり鉢状のクレーターに、外縁の裂け目から海水が流れ込んでできた穏やかな景観……だが平均して年に一度、この《泉》は本性を表す。
突然低い振動が島を揺るがしたかと思うと、はるか地下に溜め込まれた高温高圧の湧水が爆発的に噴出し、一気に天へと駆け上るのだ。その初速度はゆうに第1宇宙速度を超え、噴射時には衝撃波すらともなう爆音が島中を薙ぎ払う。吹き上がった水の一部は実際に衛星軌道まで到達しているらしい。
僕らは慣例的に《間欠泉》と呼んでいるが、こんなとんでもないものが自然の泉なわけはない。これは旧人類が建造した遺物のひとつ。なんのために造られたのか今となっては誰にも分からないが、それが3万年以上を経た今も黙々と仕事を続けているわけだ。
一説によれば、《間欠泉》は地球の物質や情報を軌道上まで運びあげるための
は! は! お笑い草だ。そんなのは子供じみた妄想だ。おそらく《間欠泉》は機械的に動き続けているだけで、天体の動きだって未解明の自然現象に違いないんだ。もし本当に宇宙に異人が住んでるなら、こんなに長い間地球にアプローチしてこないはずがないじゃないか。
それが常識的な物の見方。でも常識では満足できない者もいる。夢物語めいていればいるほど、かえって強烈に心奪われてしまう手合……そう、君みたいにね。
君と僕は計画を練った。
流体の拡散を考慮に入れて、《間欠泉》の水が高度ごとにどの程度の密度で残っているかを数式化した。大気中の二酸化炭素濃度の変化から、上昇中に合成できるエタノールの総モル数を概算した。あの強烈な噴射水を浴びて推力に変え、しかも破れないだけの強度を持った帆を設計した。最後に天体だ。水を受け取りに来る天体の普段の動きから軌道半径を算出し、最低限そこまでたどり着けるだけのエネルギー量を求めた。
うん。ごまかしはきかないよね。僕は実際、楽しんでたよ。未知の星空へ昇っていく空想。目の前に並んだいくつもの難題を、ありあわせの知識と道具で解決していく快感。決行の日を何度も夢見た。夢の中で僕は、ひとつの帆に君と並んでしがみつき、互いを
でも、それが単なる夢に過ぎないことも確かだ。僕はただ思考実験を楽しんでいただけだった。ほんとにやる気なんてなかったし、君が本気だとも思ってなかった。そうじゃないか? もし計画通り地球から脱出できたとしても、たどり着いた先は宇宙の虚無だ。海も大気もそこにはない。燃料は二度と手に入らない。ごく
「そうかもしれない。それはそうだ」
僕が不安を訴えると、君は帆を編む手を休みなく動かしながらうなずいた。
「その時は、一緒に死んでくれるかい、少年?」
僕は沈黙した。僕の顔をのぞき込む君の目が、どこまでも真剣に見えたからだ。僕は迷い、迷い、答えあぐね、ついに
「おどかさないでよ」
「ははは! やはりまだまだだ。そこで『死んでも放さない』とか即答してくれれば、私の身も心も少年のものにできたのに」
「軽々しくそういうこと言うところは嫌いだ」
「その生真面目さが好きだよ。ほら、手が止まってる」
口を尖らせて作業に戻る僕の翼を、君がくすぐって邪魔するから、僕はすっかりへそを曲げて君に背を向けてしまったものだった。その背に君は、くすくす笑いを吹きかけたよね。
「好きだよ、本当に。明日もやろう? 明後日も、その次も……私のそばにいてくれるよな、少年?」
*
その先のことは君も知らないだろう? あの夜、君と別れたあと、僕は巣穴で家族に取り囲まれたんだ。唐突で強制的な家族会議の議題はもちろん君のことだった。君は秘密のつもりでいたのかもしれないが、老年たちだって馬鹿じゃない。僕らが
「聞きなさい、少年。青年2LLの考えは危険だ」
ふだん君のことを“君”としか呼ばない僕は、君の
「でも」
事態が意外なほど切迫していることを察した僕は、怯むことなく食らいついたよ。
「彼女は掟は破っても、迷惑は決してかけないよ、親。ただ好奇心旺盛なだけなんだ」
「島の掟は単にお前たちを縛るためにあるのではない。危険を回避し、残りわずか128名にまで減ってしまった我々を少しでも永らえさせるためにあるのだ。青年2LLが死ねばそれだけでも重大な損失だし……言うまでもなくお前もそうなのだよ、少年」
「でも親、星空に異民がいるかもしれないという彼女の仮説は調査に値するよ」
「それはそうだ。より安全で慎重な手段でならな」
「その“慎重”が3万5千年の停滞を招いたんじゃないか!」
僕は思わず声を張り上げていた。思わず、だ。叫んだ自分でびっくりしていたくらいだ。何度も言うようだけど、僕は君の計画に本気で賛同していたわけじゃない。むしろ馬鹿げた空想だと思っていたんだ。なのにこの時、どうしてこれほど熱心な君の
「そうだ。3万5千年だよ。旧人類が滅びた後に
「それは賭けではない。フラストレーションを解消したいだけの、自殺だ」
後ろから割り込んできた声に、僕は反射的にすくみあがって振り返ったよ。我が家の玄関先では、枯れ木のように痩せ細った老年が、両脇を2人の
「お前の言うとおりだよ、少年。
セックスは旧人類にとって最大の承認行為のひとつだったが、我々にはその機能がない。だからかえって切実に相手との精神的な繋がりを欲望してしまう。誤りも不信も飲み込んで盲目的に、融合とすら言えるほど密接に相手を受け入れてしまう。たとえその先に破滅しか無かろうと……いや、破滅が待っていればこそ、なおさら情熱的にな。
誰もが通ってきた道だ。恥ではない。しかしそこから一歩身を引いて己を律しうるだけの分別もまた、お前は持ち合わせているだろう?」
老年が一歩僕に迫ってきた。僕は逃げることができなかった。
「少年よ、考えることだ。他人ではない自分自身が、本当は何を大事に思っているのかをな」
(つづく)
2.どうして、あの時
言い訳をするようだけど、約束を忘れたわけじゃない。君のそばに行きたくても行けなかった。僕は反省房に監禁されていたんだ。君も何度となく押し込められたことがあるだろう?
そこには二酸化炭素こそ豊富にあれど、水はほとんど存在しない。燃料の合成ができなくて、僕は初めて味わう本格的な飢えの苦しみに
僕はね、考えたよ。涙をこぼしながら考えた。君のことが好きだ。でもどんなに好きでも、死にたくはない。僕は君と生きていきたい。いついつまでも生きていきたい。なのに君は地球の停滞に絶望して、自傷行為にも似た冒険に我が身を捧げようとしている。君に死んでほしくない。でも君の望みを支えていたい。僕はどうすればいい? 何ができる? 地下の穴蔵で、自由に飛ぶことすら許されず、はいずりまわるだけのこの僕に……
「少年」
「あ!」
僕は声を上げて飛び起きて、少女の手の中のボトルに直接口をつけて飲んだ。限界まできた飢えと渇きが僕から体裁を気にするだけの気力を奪っていたんだ。僕の狂気じみたがっつき方に、少女は初めこそ驚いていたけれど、やがて僕に身を寄せ、上体を腕で支えて抱き起こしてくれた。何度も何度も優しい声をかけながら、僕に少しずつ水を飲ませてくれた。旧人類の母親が赤子に授乳する姿を資料で見たことがあるが、それによく似た姿だったよ。
「ありがとう」
自分の中で燃料が合成されはじめ、体力をやや取り戻した僕は、ようやく自分の行動を恥じて少女から身を離した。少女は僕のそばに膝を崩して座って、うつむきかげんにじっと僕の顔をのぞき込んでいたよ。
「ねえ、少年。どうしてあの青年にそんなに入れ込むの?」
「うん……」
「老年は、承認を求めているんだって言ってた」
「そうかもしれない」
「私では、だめ?」
少女が、足を滑らせて、膝が触れ合う寸前まで近寄ってくる。
「私が、あなたの全てを承認してあげる……だからお願い。危険なことは、もうやめて……」
かわいらしい少女だった。僕の家の2軒となりに住んでいた、あの子さ。とてもかわいかった。本当に苦しかったときに優しくしてもらえたという事実が、彼女を何倍もかわいく見せていた。そんな子に、こんなにあからさまな愛の告白をされたんだ。正直に言って、僕は彼女にも惹かれていたよ。
……って書くと、どうだろう? 嫉妬した? してほしいな。君がこの件でやきもちを妬くかもしれないと想像するだけで、僕の頬は緩んでしまう。まあ誓って言うが彼女には……いや、やめよう。この話は後の楽しみにしよう。
「ごめん。今はそんなつもりになれないよ」
「ううん、いい。分かってる。また来るね? 老年は稼働限界ギリギリまで飢えさせろと言っていたけど、それはかわいそうすぎるから」
少女は去り、僕はまた閉じた暗闇にひとりになった。
腹がくちくなってようやく、僕は冷静さを取り戻した。今の話でよく分かった。老年は僕を殺すつもりはない。痛めつけて罰を与えているだけだ。収監期間は最低でも42日間、次の《間欠泉》噴射が起きるまでだと見積もれる。準備の大半は済んでいたし、これだけの時間があれば君ひとりで残りは片付くだろう。老年が君まで監禁するおそれもあるが……たぶん大丈夫。なぜなら今年の噴射を乗り切っても、君は来年また同じことを繰り返すに決まっている。それならいっそ一人で好きにやらせて、死ぬなら死んでしまえばいい、と考えているに違いなかった。
僕は落ち着いて時を待った。
少女は毎日水を運んでくれた。日に日に彼女は図々しくなってきた。いかにも親しげに僕の腕や膝に触れ、時には翼を撫でようとさえした。僕らにとって翼に触れることが何を意味するか、知らない者などいないだろうに。僕が反射的に身を引くと、彼女は僕を馬鹿にしたように笑った。
「照れなくていいのに」
照れる、とは。その時には何のことだか分からなかった。彼女のひどい勘違いに気付いたのはずいぶん後になってからだ。
「ね。ずっと君がここにいればいいのにね。そしたら私、毎日必ず水を持ってくるの。ずっとふたりきりでいられるよ。ね……」
“君”だなんて親しげに呼ばれること我慢ならなかったが、彼女の庇護欲の発露はそれ以上に気味悪かった。庇護欲というより支配欲というべきか。この牢の中にいるかぎり、僕は彼女に甘えるしかない。僕の全行動と存在は彼女の手のひらの内というわけだ。
冗談じゃない。
全く冗談じゃない。
そっちがその気なら、こっちだって容赦はしない。そう心に決めたのは何日目だったかな。よく分からないけど、実行に移した日ならはっきりと覚えてる。僕が反省房に入れられて45日目。《間欠泉》が噴出する日。君と僕の計画が実行に移される日の朝だ。
いつものように水を持ってきた少女を、僕は強引に部屋の奥まで引きずり込み、押し倒した。少女は抵抗すらしなかった。どこかで僕にこうされることを期待すらしていたらしかった。だが甘い期待はすぐに崩れただろう。僕は翼を広げ、彼女の翼に絡みつかせてくすぐりだしたのだ。
「ひゃ!? 少年!?」
少女が僕の胸の下で
「やめて、少年。くすぐったいよ。どうしてこんな……」
僕は何も言わない。少女も初めは、戯れか、あるいは待ち望んだ情欲の爆発とでも思っていたんだろう。だが僕の執拗な愛撫に、物も言わずに続けられる強固な緊縛に、何より有無を言わさぬ暴力的な吸精に、少女は徐々に事態を悟り始めたようだった。これは愛ではないと。敵意と殺意……僕は少女を殺そうとしているんだと。
「やめて! ちょっ……こんなことしなくても! なんだってしてあげる! 身も心も君にあげるから……」
「そんなものは要らない。鍵を出せ。この部屋の二重ドアを開く鍵。持ってるんだろ?」
少女の肌から急速に熱が失せていく。僕を苦しめた燃料切れの苦痛、それが今や数十倍の勢いで少女の全身を
「嫌! ゥゲッ……苦しっ……痛いよ、やめて、痛いって言ってるのに!」
「鍵をくれ」
「やめて! お願いだから……」
「鍵だ!」
「下着の中! 首から紐で吊るして……もうやめてえッ!!」
僕は彼女の肌をまさぐり、鍵を引きちぎって手の中に握りこんだ。彼女から身を離して立ち上がった。彼女は涙と唾液でベトベトに汚れた顔で、激しくあえぎ、着衣の乱れた体を晒したまま、呆然と天井を見上げている。
「恨んでくれていい」
僕は少女から目をそらし、ドアを睨んだ。
「僕は行かなきゃいけないんだ」
*
ここまででボツを決断。
主人公とヒロインの造形を間違えた。また、ストーリーの展開にスピード感とワクワク感が不足しており、詩情も豊かとは言えない。
なお、このあとは
・主人公とヒロインが《間欠泉》で飛翔
・しかし主人公は土壇場で怖気づいてしまい、握っていた手を離す。ヒロインだけが宇宙へ行き、主人公は島へ戻る。
・天体観測で、ヒロインからの光信号によるモールス信号を受け取る。
・ヒロインに再び会うため、主人公は島の責任者にのし上がり、島を上げた大事業として宇宙へ再び挑戦する。
・この作品は、そのときヒロインに届けるために書いた手紙だった。
・ラストは
君よ、君よ、明く燃えて、僕は君に逢いに行く。
でENDの予定だった。