暦の上では、二十四節気の冬至にあたる真冬の日の午後八時。
産屋敷家の広大な敷地内にある鬼殺隊の稽古場には、9人の「柱」を筆頭に、二百人を超える精鋭隊士が集結していた。
吐く息の白さを打ち消すように、場内は異様な熱気に満ちあふれていた。今日は毎月恒例、柱たちの「地獄の百人斬り」稽古の日なのだ。
「柱」になって間もない恋柱・甘露寺蜜璃にとっては、初めての参加となる。
いささか気が弱く、自己評価の低い彼女は、稽古場にずらっと並んだ百人もの精鋭隊士を見た瞬間、真っ青になった。
「ひゃいぃぃっ、むっ、無理です無理ですっ!私なんかじゃ稽古にもなりません!」
脱兎のごとく入り口めがけて逃げ出した彼女の襟をむんずとつかみ、場内に引きずり戻したのは元師匠の炎柱だった。
「たしかに、このままでは稽古にならん。よし甘露寺、ハンディキャップだ」
炎柱の果断に、恋柱はほっと安堵の息をついた。いくらかでもハンディキャップをもらえるなら、地獄の「百人斬り」もなんとかクリアできるかもしれない。すくなくとも、全身をボッコボコにされる危険は減るだろう。
「あっ、ありがとうございます!」
深々とお辞儀をする元弟子に、炎柱は満足そうにうなずくと、
「これをつけろ、甘露寺」
そう言って、一本の黒帯を手渡した。
「え………これって、柔道の黒帯ですよね?でも、いま私、剣道袴を着ているんですけど」
「腰じゃない、目につけろ」
「は、はあ………」
言われるまま帯を両目に当て、頭の後ろで蝶結びする。当然ながら真っ暗になった視界に当惑していると、重なり合う笑い声が耳に届いた。先輩の「柱」たちの笑い声だ。
「あ、あの………これってつまり、目隠しですよね?まさか、稽古の前にスイカ割りですか?」
「馬鹿言うな、今は真冬だ。言わずもがな、その状態で『百人斬り』をやってもらう」
「は⁉ 目隠ししたまま……ですか?」
「だから言っただろう、ハンディキャップだと」
さすがに勘の鈍い恋柱にもようやく意味がわかった。もっとも彼女に言わせれば「逆」ハンディキャップだが。
「そっ、そんなの無理です!目隠しして『百人斬り』なんて、一瞬でお陀仏です!」
「やってみなければわからない。自分を信じろ甘露寺!」
「そうだ。過酷な稽古に耐えてきたお前には、それだけの実力が身についているはずだ」
「そうですよ甘露寺さん。どうぞ大暴れしてください」
「最後は野性の本能だぜぇ。キレろ甘露寺!」
炎柱のあとに続く、岩・蟲・風柱の声。それを追うように「いけるいける!」「大丈夫です!」の声が次々にわき起こる。
「みなさん………」
仲間からの応援を受けると、がぜん克己心がわいてくる恋柱である。両手で頬をぱぁん!と叩くと、木刀を鞘から抜き中段の構えをとる。
「恋柱、甘露寺蜜璃、『百人斬り』稽古に挑戦させていただきます。よろしくお願いします!」
その声を合図に、百人の精鋭隊士もいっせいに木刀を構える。途端、稽古場の空気がぴんと張り詰めた。
薄桃色の髪の女剣士を取り囲む、黒々とした青年剣士たちの群れ。音柱がひゅう、と口笛を吹いた。
「まるで時代劇だな。だがいいか、くれぐれも甘露寺に指示出しするなよ。とくに伊黒、お前は猿ぐつわ噛んどけ」
「………いらん。俺も目を閉じる」
素っ気なく呟くと、蛇柱は色の違う二つの瞳を閉じて壁にもたれかかった。親友の意図を察した鏑丸も、彼の着物の袂にもぐり込んでしまった。
それは心配のあまり観戦を放棄したからか、それとも恋柱の勝利を確信しているからか。容易には判断がつきかね、7人の「柱」は顔を見合わせて肩をすくめた。
「はじめ!」
炎柱の掛け声で場が動いた。床を蹴る無数の足音、宙を薙ぐ剣先の風切り音が稽古場の空気を激しく震わせた。
次の瞬間甲高い悲鳴があがり、数人の隊士が壁に激突した。肩骨や背骨が折れるゴキッという音。そのまま床に倒れた隊士らは泡を吹いて気絶している。
「剣じゃねぇ、あいつにしかできない180度大開脚の回し蹴りだ。なんでぇ、ビビってるかと思いきや、いきなり本領発揮だな」
「これで4旋回、すでに三分の一が倒されましたね。剣なしでクリアしちゃうんじゃないですか?」
音柱と霜柱の実況中継を耳にしながら、蛇柱は「微妙なところだな」とひとりごちた。
迫りくる無数の殺気を全身に浴びながら、恋柱は無我夢中で柔軟な肉体を駆使していた。1対100の戦いでは、むやみやたらに剣を振り回すより、回し蹴りで無防備な足元を薙ぎ払ったほうが攻撃と防御を同時にでき、効率的かつ安全だと判断した。
だが、それが通用したのは5旋回までだった。強烈な回し蹴りに恐れをなした隊士たちが、不用意に接近してこなくなったからだ。徐々に周囲に空間ができ、回し蹴りが届く範囲に敵がいなくなった。そこからはみずから間合いを詰め、剣と剣の接近戦に挑むしかない。
視覚を奪われた恐怖心はすさまじかった。息つく間もなく襲い来る攻撃をよけてはいるが、ほぼ紙一重だ。一瞬でも気を抜けば胴を激打され、頭を割られるだろう。すでに呼吸は乱れ、両腕両腿は痺れはじめている。あと何分もつだろう。
信じられない……頭の片隅に、先月観た蛇柱の稽古風景がよみがえる。そうだ、あのとき、伊黒さんも白い目隠しをしていた。そしてたった3分で全員を床に沈めた。しかもかすり傷ひとつ負わず、呼吸も静かなままで。
やっぱり、伊黒さんと私ではまだ差がありすぎる。実戦で彼の足手まといにならないよう、私もがんばらなくちゃ!
音柱が再びひゅう、と口笛を鳴らす。
「お、甘露寺の気合いがのってきたな。ふつう疲れがでてくる頃合いなのにな」
彼の横で風柱がニッと笑う。
「おおかた『これが終われば伊黒さんとごはん食べに行ける~!』とか考えたんじゃねぇ?それだけを頼りに地獄の特訓に耐えてるって、あいつ公言してるもんよ」
目を閉じていた蛇柱がごほっと咳き込む。にょきっと首を出した鏑丸がその背中をとんとんとノックした。
「よぉ色男、寝てねぇで応援してやれよ」
「一睡だってしてない。この勝負は決まりだ。お前たちだってわかっているだろうが」
「ふん、ま、この勝負は……な」
風柱が呟くと、ほかの柱たちもうなずいた。そして、変わらずに瞑想したままの蛇柱に、含みのある視線を向けた。
「勝負あり、そこまで!」
女剣士の猛撃を浴びた最後の1人が壁に激突する寸前、片手を突き出してその身を受けとめたのは蛇柱だった。
「あ………ありがとう、ございます……」
絶え絶えの息で礼を言う隊士を無造作に床に放ると、蛇柱は一歩前に進み出た。
琥珀と翡翠の瞳が、ゆっくりと開かれる。
「………選手交代だな。こっからは全員無言だ。心配な奴はマジで猿ぐつわ噛んどけ、いいな」
音柱の指示に、場外の全員が無言でうなずく。蟲柱の弟子のおしゃべりな少女たちは、あわててハンカチーフで口元を覆った。
「甘露寺、3分だけ時間をやる。そのあいだに呼吸を整えろ。目隠しは絶対外すなよ」
「は、はい………って、え?こ、これでおしまいじゃないんですか?」
「いまのは準備運動、次が本番だ。安心しろ、こんどは1対1、相手も目隠しだ」
「は、はぁ………」
わけがわからぬまま、すぅ、はぁ、すぅ………と深呼吸を繰り返す。次の相手?いったい誰だろう。今度が本番だというから、すくなくとも今の隊士たちより格上のひとなんだろうけど。
まあ、1対1だというし、相手も目隠しをしてくれるならハンディキャップはゼロだ。運が良ければ、多勢に無勢だったいまの戦いより楽かもしれない。
「3分たったぞ。用意はいいか、甘露寺」
「は、はい!どなたかわかりませんが、お相手よろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げる恋柱の姿を、瞼に焼き付けるようにじっと見つめたあと、101人目の剣士は白い帯を目に当て、頭の後ろで固結びに縛った。常時片目の役割を務めている白い蛇は、いまは霜柱の首に巻きついている。
対峙した双方の手に握られているのは、丸太をも切断する鋭利な木刀。これで完全にハンディキャップはゼロになった。
「はじめ!」
稽古場に炎柱の声が響き渡り、目隠しをした2人の剣士が同時に身構える。
見守る全員が、ごくりと固唾を呑んだ。