夜明け前   作:may0832

3 / 3
そばにいるために

―――はやっ!

 

双方が身構えた、次の瞬間だった。左斜め上からの一閃で、女ものの剣道袴の裾がざっくり切り裂かれた。

新参とはいえ、自分も「柱」の一人。かろうじて半身をよじるだけの瞬発力はあった。さもなくば右腕の尺骨が砕かれ、木刀は跳ね飛ばされていただろう。つまり、一瞬で「勝負あり」だった。

その一閃で、会場がざわめいた。「柱」の面々でさえ、一瞬呼吸を忘れた。

―――打った……打ちやがった。骨をも砕く一撃を。

誰も言葉は発しないが、息を呑む気配が波のように押し寄せる。

袴を切り裂かれた本人だけが、その意味を理解していない。理解できたのは、いま対峙している相手が、先ほどの百人とは比べものにならないほどの強敵だということだ。

まずは小手調べ、ということなのか。相手は深追いしてこなかった。こちらが体勢を立て直すのを待ち、きびすを返して元の位置に戻ったようだ。

そうだ、これはあくまで稽古なんだ。鬼との死闘じゃない。命までとられる心配もない。

戦いながら技を磨く、あるいは、相手の技を盗む。それに全神経を集中しよう。

生来の楽観的思考で気持ちを立て直すと、恋柱はもう一度大きく深呼吸し、一礼して身構えようとした。

だが、先ほどの痛烈な一閃で恐怖を植えつけられた身体は、正直だった。動悸が早鐘のように胸を叩き、木刀を握る手が小刻みに震えはじめた。

ほかの柱たちより唯一秀でている柔軟な筋肉も、緊張でこわばりつつあった。

目が見えない恐怖もやはりすさまじく、その場から逃げ出したい衝動をこらえるのに必死だった。

たった一撃でこんなに身がすくむなんて……鬼殺隊に入隊して初めてのことだった。

誰だろう……誰なんだろう……思い浮かぶ顔はいくつかある。だが、いまそれを考えたところで仕方がない。

黒い目隠しをしていても、相対する剣士からは、沈着冷静かつ怜悧な雰囲気を感じる。敵としてはおそらく、いちばん怖いタイプだ。

そのうえ、一閃で骨をも砕く剣技の使い手だ。勝てる要素がまったく見つからない。

審判を務める炎柱が、さすがに見かねて声をかけた。

「甘露寺、呼吸が乱れすぎている。驚懼疑惑(きょうくぎわく/剣道の四戒)に陥るな。それとも、もう怖気づいたか?」

「煉獄さん………」

暗黒世界で一すじの光を見つけたように、恋柱は元師匠をふり仰いだ。

「こ、この戦いに負けたら、私………『柱』を辞めさせられちゃいますか?」

「その可能性は、なくはない。あまりにぶざまな負け方だったらな」

「………そ、そうですか………そうですよね………」

「だがいまは、そんなことは考えるな。君の強みはなんだ?どんな苦境にもへこたれない明るさと根性だろう。それは俺が一番理解している。思う存分力を出しきれ!」

それだけ言うと、煉獄はきびすを返し、開始線の中心に戻った。

…………そうよ蜜璃、ここで踏ん張らないでどうするの?

弱気な自分を叱咤するように、ぎゅっと奥歯をかみしめた。

戦うしかないじゃない。どんなに怖くても、全身傷だらけになっても。最後の最後まであきらめずに剣を振るいなさい。この稽古を突破して、「柱」であり続けるために。

………ずっとずっと、伊黒さんのそばにいるために。

 

 

間一髪でよけるだろう、とは思っていた。新参とはいえ、彼女もれっきとした「柱」だ。

恋柱が煉獄の指南を受け、乱れた呼吸を整えているあいだ、乱した当の本人は、いまの一幕を静かに内省していた。

剣先が袴の裾を切り裂いた瞬間、おそらく自分の耳にだけ、短い悲鳴が聞こえた。胸を衝かれ、それ以上踏み込めなくなった。小手調べをしたふりをよそおい、彼女が体勢を立て直すのを待って、元の位置に戻った。

胡蝶が今ごろ、記録簿にこう書き込んでいるかもしれない。減点1、と。

白い目隠しの下に、自嘲めいた苦笑が浮かぶ。

そのあとすぐ、かすかだが、木刀を握る右腕が震えているのに気づいた。

大きく目を見開いたあとで、蛇柱はさらに深く苦笑した。

まるで、木刀を持つのもやっとだった少年時代に戻ったようだ。

幼少期をとおして、あの忌まわしい座敷牢に閉じ込められていたせいで、鬼殺隊に入ったばかりの頃は、膂力も体力も同年代の男児よりはるかに劣っていた。

いざ剣を握ってみても、長いあいだ箸より重いものを持たなかった細腕では、まともに振り回すことさえできなかった。

鬼を憎いと思いながらも、いざ鬼と対峙してみると、憎悪より恐怖が先に立った。蛇鬼の呪いなのか、鬼どもの狂気にふれると、射すくめられたように全身が震え、硬直してしまうのだ。

そんな惰弱な性根を叩き直すために、人の3倍は努力した。仲間たちに「死ぬより苛酷」と評されるほど厳しい訓練を、己に課した。

自分が時透のような天才でないことはわかっていた。だから、努力するしかなかった。

天才ではないにしても、非凡ではあったのだろう。努力は実を結び、入隊して数年で「柱」になった。鬼への恐怖は憎悪にとって代わり、斬れば斬るほど激しく燃えさかった。

その頃にはもう、剣を握る腕にはわずかな震えもなかった。

それがいま、どこかに置き忘れた古い記憶のように、この腕によみがえっている。

俺は、恐れおののいているのだ。おそらく、惰弱だったあの頃以上に―――震える右腕を左腕で押さえつけながら、蛇柱は裂かれた唇をかみしめた。

この腕が「その鬼」を………鬼になった彼女を、斬らねばならぬときが来ることを。

 

煉獄の指南を受けた甘露寺は、もう一度深呼吸を繰り返したあとで開始線に戻り、俺に向かって一礼したようだ。土壇場に強く、気丈なところにも大いに惹かれているが、いまは複雑な想いだった。

甘露寺は、おそらく天才の部類に入るだろう。いや、天賦の体質というのが正しいだろうか。

彼女自身は強い劣等感を抱いているようだが、常人の8倍もの密度をもつ筋肉など、どんなに苛酷な訓練をしても身につくものではない。

1歳で15㎏の漬物石を持ち上げた話を聞いたときは、開いた口がしばらくふさがらなかった。まさに、神に愛された人間というほかない。

そんな恵まれた体質をもった彼女が「柱」になったのは、必然といっていいだろう。

だが、身勝手を承知で本音を言えば、彼女には「柱」になってほしくなかった。

そもそも、彼女が「柱」でなかったら、こんな決闘をせずにすんだだろう。

彼女が一般隊士のままであったら、強引に自分の直属にし、いつでもそばにおいて、すべての敵から守る。鬼になどぜったいにさせない。

胸を張って、そう誓えただろう。

………やはり身勝手だな――――苦笑まじりにため息をついた。

苦笑はすぐに消えた。

ダンッ!と大きく床が鳴り、一瞬で間合いを詰めた恋柱が猛撃を打ち込んできた。間一髪で後ろに飛びすさったが、前髪に切っ先がふれ、数本が切断されて宙に舞った。

再び会場がどよめいた。電光石火の打ち込みに、隊士たちは騒然となった。

 

―――およそ、恋柱らしからぬ戦法だ。

観戦する「柱」の誰もが、そう思った。

彼女は本来、接近戦が大の苦手だ。そもそも彼女の武器、鞭のように長い剣は、接近戦を想定して作られたものではない。

鬼との戦いでも、その鞭剣を駆使した遠隔攻撃や空中戦が多く、みずから間合いをつめて戦った経験は、ほとんどないのだ。

―――どうやら、期待以上の決戦になりそうですね。

満足げな微笑みを口元に浮かべながら、蟲柱は胸のうちで呟いた。

 

 

―――伊黒さん、いま、会場のどこかで、見てくれていますよね?

ぜったいに後ろに退かない覚悟で、恋柱は二・三段の技(連続攻撃)を仕掛けつづけた。攻めの踏み込みと回避の退きで、床板が激しく鳴りつづける。

―――打ち込みの連打なんて、私らしくないでしょう?接近戦が大の苦手なのは、伊黒さんもご存じですよね。

でも、これにはちゃんと理由があるんです。

伊黒さんの鍛錬を見て、私ももっと打ち込みを練習しなきゃ、って思ったんです。

 

最初の一閃で植えつけられた恐怖はすでに消え去り、身体全体に柔軟さが戻ってきた。

上半身を前屈させて床に手をつき、倒立回転をしながら相手の横腹めがけて剣を払う。打ち返されたが、相手の足元がわずかによろめいた気配がした。着地とともに床板すれすれに剣を薙ぎ払う。切っ先が空を切る。床を蹴って後ろに飛びすさる。胸元すれすれで相手の剣先が宙を薙ぐ。床を蹴って前に踏み込み、全身の力を木刀に伝動させて突きを放つ。が、紙一重の距離でかわされた。

申し合わせたように双方がいったん飛びのき、体勢と呼吸を整えた。

会場の隊士たちは息つく間もなく、華麗な技の応酬に釘づけになっていた。

―――いったいどうしちまったんだ、甘露寺は。さっきまでと動きがまるで別人じゃねぇか。

―――ぎりぎりまで手加減してるが、あれじゃあ伊黒も手を出すしかねぇ。まさに「殺るか殺られるか」の世界に突入だ。

見守る柱たちは固唾を呑み、この先の展開に一抹の不安を覚えた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

――――先月半ば、いつもの定食屋さんで夕食をごいっしょしましたよね、伊黒さん。

お店の前でお別れしてから、お借りしていた俳句の本を返し忘れたことに気がついて、私、あわてて伊黒さんのお屋敷に行ったんです。

夜分遅かったけれど、門衛さんが「恋柱様なら、蛇柱様も歓迎されるでしょう」と、中に入れてくれたの。

帰ってすぐ稽古場に直行されたと小間使いさんに聞いて、長い廊下をとおって、稽古場の入り口まで行ったところで、私、立ち尽くしてしまったんです。

伊黒さんの素振り稽古の激しさに、圧倒されてしまって。

さっきまで定食屋さんで、私の隣で優しく微笑んでいた伊黒さんとは、まるで別人でした。鬼気迫る、って、こういうことを言うんだなぁって。

そのとき私、初めて知ったんです。

いつも私が食べ終わるまで、ながいながい時間、辛抱強くおつき合いしてくださったあと、帰宅してすぐ、苛酷な鍛錬をしてらしたことを。

その途端、涙があふれてきて、困りました。

もう本をお返しするどころではなく、急いでお屋敷をあとにしました。

伊黒さんへの尊敬以上に、自己嫌悪と恥ずかしさでいっぱいでした。

いつも伊黒さんの優しさに甘えきって、大事な鍛錬の時間を奪ってしまっていたこと。

未熟で足手まといの自分が、伊黒さんの半分も鍛錬をしていないこと。

このままじゃダメだ、って思いました。鞭剣での遠隔攻撃に頼るばかりじゃなく、通常の長さの剣で鍛錬を積んで、苦手な接近戦を克服しないと、って。

鬼との戦いはこれからもっと厳しくなるだろうし、私の「恋の呼吸」の破壊力では、上級の鬼たちに致命傷を与えることはできない。それもわかっていました。

伊黒さんにはとうてい及ばないけど……一生、追いつけないと思うけど……せめて、足手まといにならないように……すこしでも役に立てるように……あの日から必死で打ち込みの練習をしたんです。

さっきの「百人斬り」をなんとか突破できたのも、その成果が表れたから。

だから、正体不明のこの強敵さんにも、恐れずに力いっぱい立ち向かっていきます。

………見ていてください、伊黒さん。




※書籍頒布済の作品(https://so0178.booth.pm/items/4260252)のため、
このサイトでは今回までで掲載終了です。
ご高覧ありがとうございました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。