東方忘却夢   作:raises

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<輝きの道標>
第一話 亡失 ~Lost sword~


早朝の白玉楼。

 

屋敷の外は未だ恐ろしい暗闇に満たされていた。その暗がりに紛れ込むように、静寂が辺り一帯を支配している。

 

日の出の無い夜明けが、冬の幻想卿に訪れ、静かに一日の始まりを告げていた。

 

周囲の冷たい空気は、まるで全ての生物が息の根を止めたかのように感ぜられたが……如何せんこの冥界に生者は居ない。

 

白玉楼の立派な木々を生者として説くならばそれは別だが、その木々でさえも、冬のどんよりとした佇まいの前には、その活力はすっかり失われていた。

 

時刻は午前五時。

 

白玉楼の住人、魂魄妖夢は朝早く起床し、屋敷の外で剣術の稽古を始めていた。

 

練習用の竹刀を、繰り返し振り下ろす単純な稽古である。

 

素早い、反復する運動は、雪が降り積もる地面へ、確かな足跡を残していた。

 

幾度と無く振り下ろされる竹刀は、この寒さに悲鳴を上げているかのように軋み、また彼女の手や諸々の感覚も、冷たい空気によって阻害されていった。

 

『少し……寒いかな』

 

この程度の寒さで根を上げるつもりは毛頭無いが、いささかこの場の不十分さを妖夢は心の中で感じていた。

 

出来れば暖房の効いた部屋で稽古をしたい。

 

寒さに打ちひしがれながら稽古をしても、体が思うように動くはずがないからだ。

 

しかし、彼女はあえて外で稽古することを選んでいた。

 

それが、寒さに耐え得ろうという克己心(こっきしん)によるものなのか、単なる気まぐれなのか。平生の彼女を知る者が見れば前者を想定するだろう。

 

だが何故か、大いに不思議なことに、彼女自身その理由が全く“分からなかった”。

 

自分の行動の要因や、意味を見出せないなど……これほど不可思議なことはあるだろうか?

 

そもそも稽古自体、朝早くに行う必要は無い。

 

無理な修練は身を壊すし、何より効果が無駄になってしまう場合もある。

 

そのようなことは妖夢は当然分かっていた。

 

しかし、頭では理解できない説明できない何かによって、妖夢はこの危険を顧みれずにいた。

 

まどろみを抱えたまま、幾数日。

 

この問題に関して、鍛錬のそれと同じように、自問自答を繰り返してきたが、答えは出ない。

 

繰り返す内に、答えの出ない思考を続けても無駄だと、妖夢は心で納得することにした。

 

先代の役職を引き継いだとはいえ、未だ半人前である、一人前となるまで、時間を無駄にすることは許されない。半人半霊で半人前など、皮肉もいいところだ。

 

『何にせよ。全力を尽くすだけだわ』

 

次第に惰性を帯びてきた運動に、また意味を持たせようと、妖夢は竹刀を強く振り下ろした。その矢先。

 

「早いのね、妖夢」

 

視界の外から、柔和な物腰、優しい口調、聞き手に安らぎを与えるかのような声――が耳に入り、妖夢の純真となっていた精神をかき乱した。

 

「……おはようございます、幽々子様」

 

現れたのは、この白玉楼の管理者であり、妖夢の主人である西行寺幽々子である。

 

つい先程まで眠っていたらしい。呑気な欠伸がこだまし、真っ白な吐息が天高く昇っていった。

 

妖夢は他意も無く驚いた。まさか主人がこんな朝早くに目覚めるとは。

 

妖夢は皮肉を込めた賛辞の一つでも送ろうと考えたが、それ以上に、鋭敏となっていた精神を邪魔されたのが不満だったようで、目も合わせず、素っ気無い口調で答えた。

 

「最近、ずっと朝早くから練習してるじゃない? 無理はしないで。少しは休息も必要だと思うけど」

 

と、妖夢の気持ちを知ってか知らずか、子を思う親のような言葉で語りかけた。

 

妖夢はまたも驚いた、いや、この天衣無縫な主人に驚かされることなど慣れた事だったはずだが、今回はその感情を隠すことは出来なかった。

 

「幽々子様、知ってたんですか? 私が朝早くに練習していたのを……今日だけではなく?」

 

「ええ。でも最初に見たのはつい先日よ。それからはずっと」

 

妖夢は天啓を得た。彼女ならば、答えを出せるかもしれないと。

 

妖夢と幽々子は長い付き合いである。主人と従者、亡霊と半人半霊の固い信頼関係。

 

言葉では裏打ちできない、二人の見えない糸の繋がりに、妖夢は賭けてみることにした。

 

「あの……幽々子様」

 

心が、吐露される。妖夢は、少しだけ身体が軽くなったような気がした。

 

――――

 

午前六時になる頃。二人は屋敷へと帰り、暖のある茶の間で話をすることにした。

 

妖夢も解決の糸口が見えた以上、これ以上鍛錬を続けようとは思わなかった。少なくともこの不可知な自我が、明確な意識に拠る行動を抑えられるほど、強い自我ではないということなのだろう。

 

食卓を挟んで向かい合うように座り、幽々子は気に入りの茶菓子と茶を交互に飲み食いしながら。妖夢は己の内に渦巻く“何か”をどうにか言葉にしながら、主人の言葉を待った。

 

「なるほどねぇ」

 

ある程度妖夢の弁が落ち着いたところで、幽々子は難しい顔をしながら言った、同時に、口元に残る茶菓子の欠片を取る。

 

彼女の顔が語るように、これは難題だ。幽々子は直ぐに、答えやそれの手がかりになりそうな言葉を出すことが出来ず、ついには目を閉じて思考に臨んだ。

 

妖夢は、主のその誠実さを見て取るや否や、幽々子の助けになろうとして、弁を続けた。

 

「確かに私は、早く一人前になりたいです。しかし、急いては事を仕損じる、と古人も言っています。私の今までの行動は、その目的の為に努力しているはずなのですが、でもどこかそれは本心じゃない気がして……それが見えないだけに、自分でも癇(かん)に障る程、釈然としないのです」

 

最初は、妖夢もこの悩みを抽象的なだけあって口にすることが困難に思っていた。しかし、話す内に何が問題で何が原因なのかを正しく理解していったので、容易なこととなっていた。

 

すると、しばらく目を閉じていた幽々子が忽然と瞳を明らかにし、妖夢を捉えて離さぬよう見つめた

 

妖夢は、答えが見えたのだろうと思い、幽々子の言葉を、まるで啓示を受け取ろうとしている聖者の如く、待った。

 

そして幽々子は口を開き……

 

「分からないわ」

 

一言、眩しいくらいの笑顔を見せて言った。

 

沈黙が、部屋の中を漂う。

 

先程までの重苦しい空気とは打って変わった、喜劇のような滑稽さ。

 

――ああ、要するに私の主は真剣に物事に取り組むということができない性質で、これを正す事は天と地をひっくりかえすくらいの大事で――と妖夢は不安と怒りに支配されていったが、なんとか振り払おうとする。

 

もしかしたら真剣に考えた結果の上での答えなのかもしれない、いや、そうであって欲しい。

 

今の妖夢には日常的に行われている幽々子の冗談の類を、寛大に受け取れるほど余裕が無くなっていた。

 

話していく内に妖夢は気が付いてしまったのだ。彼女に取り巻いていた漠然とした悩みは、取るに足らない些細なものではなく、日常を阻害するほど根本に根付き、心を病ませているということに。

 

しばらく閉口していた妖夢だったが、何か言わねば角が立つと思い、必死に言葉を紡ぎ出した。

 

「そうですか……お時間を取っていただきありがとうございます」

 

当たり障り無くそう言うと、妖夢は席を立った。

 

自分の事は自分で解決する。主に頼ろうとした己のおこがましさを、自省しなくてはならない。

 

「妖夢?……どこ行くの?」

 

戸を開き、部屋を出ようとする妖夢の背中に、何故だか神妙な声が届く。

 

妖夢は振り向かずに。

 

「自室へ。仕事までは時間があるので、少し仮眠してきます」

 

そう、投げるように言い放ち、主を尻目に部屋を出た。

 

――――

 

凍える冷気から逃げるように、屋敷の廊下を進んでいく。

 

窓からは暖かみの無い日差しが差し込み、冷ややかな廊下が薄く明暗に分かたれていた。

 

自室に着いた妖夢は、敷いたままにしておいた布団に入り、自問自答を繰り返していた。

 

もうこの手の思案はもうしないと、心に決めていたはずであったが、今回の幽々子との対話でその枷が外れてしまったらしい。

 

だが当然、例によってそれの答えは出ない。次第に妖夢の身体にはゆっくりと、霧が体内に入り込むかのように睡魔が迫っていた。

 

詮索する脳は、その霧に蝕まれ、難題に臨もうという心もまた、それに支配されようとしていた。

 

鍛錬によって疲れていたのも相まってか、二度目の睡眠はとても心地よかった、意識を消失するのは時間の問題であろう。

 

しかし、これでは仮眠どころが本格的に眠ってしまうのではないだろうか?

 

仕事の開始は午前八時。遅れると、春の開花まで剪定が間に合わない。

 

そう危惧した妖夢であったが、迫りくる睡魔の霧と、長らく己を蝕んでいる不明の霧が同時に襲い掛かり、最早現実を鑑みる思考も、余裕も、意識の彼方へと――同時に意識も――消え去った。

 

 

 

目覚めたのはそれから四時間後。

 

やはりというか、当然というか、何れにせよ結果論だが、仕事に遅れた。

 

目覚めた時刻を確認するや否や絶望し、朝食も摂らず、白玉楼の広大な庭へ向かい、大急ぎで作業を始める。

 

靴の中に雪が入り、水浸しになろうとも気にしない、どれだけ身が凍えようとも気力で押し切る。

 

白玉楼の庭は、“庭”と呼ぶには甚だしく広すぎた。だが妖夢の役職が“庭師”である以上ここは庭なのだろう。

 

名称がそうであっても広大なのが現実、なので闇雲に剪定するわけにもいかず、妖夢は一年間の作業を綿密に計画し、実行してきた。

 

この計画は正確なもので、休む間も無いという欠点を除けば完璧であった。

 

つまり、この欠点を発露させてしまうと、計画は水を返すかのように崩れ、取り返しがつかなくなってしまうのだった。

 

霊力の許す限り半霊を半人の姿に投影させ、別の場所で作業をさせたりもした。

 

しかし遅れを取り戻すには十分ではなかった、それにこの半霊への投影を持続させるのも限度がある。

 

次第に妖夢は作業に質を求めなくなっていき、その手際はぞんざいなものとなっていった。

 

半ば半狂乱になりながら、一つ、また一つ枝を切り揃えていく。

 

彼女の意識は完全にそれのみに集中しており、今朝の問答や、従来の懊悩など、既に彼女の意識の外にあった。

 

奇跡的と言うべきか、出来栄えは彼女の師が見たら嘆かれるものだったのだろうが、妖夢は何とか仕事を終わらせた。

 

時刻は既に午後十一時を過ぎている。普段ならもう眠っている時間だ。

 

だが、床につくには一日が素早く流れ過ぎた。ほんの少しの夜更かしを、妖夢の体は拒否したが、心が望んでいた。

 

妖夢は今朝にも訪れた茶の間に入った。手ごろな毛布を持ち寄り、背中にはおると、その足で台所に向かい、熱い茶を淹れた。

 

屋敷の主は、もう眠ったのか、それとも何処かへ出かけたのか。少なくとも、気配は感じられなかった。亡霊に気配も何もないだろうが。

 

例によって、食卓に着き、小さく一飲み。

 

「あー」

 

唐突に、腑抜けたうめき声を上げると、妖夢は食卓の上へ半身をもたれかからせた。

 

生真面目な彼女といえど、いや真面目であるからこそ、身体は疲弊するし、精神も摩耗するものである。

 

責務からの解放で、癒されていく体に妖夢は囚われていく。しかしその心には、またもやあの問題が席巻していた。

 

結局の所、幽々子への相談は意味を成さなかったばかりか、無意味な苛立ちを生み出すのみであった。

 

いつになればこの矛盾から、不明から、解放されるのか。見果てることの無い暗闇の淵を、妖夢は内側に感じた。

 

明日も、きっとこの暗闇の為に、朝早くから鍛錬する破目になるのか。このままでは、本当に身を壊しかねない。

 

今日のような事は、もう二度と起きてはならない、“迷い”を孕んだままではいられないのだ。

 

ふと、忽然と、妖夢は仕事後の余裕からか、この問題を解決するやも知れない策を思い付いた。

 

『白楼剣ならこの迷いを断つかもしれない……!』

 

妖夢が持つ、二振の妖刀。その内、短刀の銘がそれであった。

 

長刀で殺傷力の高い楼観剣のそれとは、性質を異にする。その刀は、斬られた者の迷いを断つと言われていた。

 

この刀の持つ不可思議な力は、妖夢が持つ迷いも、例外なく断つものであった。

 

正に、今の彼女に相応しい力。そう考えるや、直ぐに妖夢は刀を置いている自室へと走った。

 

酷使した身体はこの行動を抑えるために悲鳴を上げていたが、彼女はそれを厭わなかった。見えぬ束縛から解放を願う少女は、最早、何も見えていない。

 

自室の前に着き、引き戸を開ける。

 

半ば転がり込むように、妖夢は部屋に入り、朝から敷いたままにしてしまっている布団を見て、自己管理の悪さを自責した。だが、もうこんな悩みに苛まれることも無い、と思うと、彼女の心は、極めて清々しいものとなっていった。

 

いや、そうなっていったのは今の今までだったのだが。

 

視線を少し上げる。その先には刀を置く刀掛けがある。

 

置かれているのは、長刀、楼観剣と、短刀、白楼剣、の“鞘”のみだった。

 

呆然とする妖夢、思考が停止し、動作も停止し、反面、心拍と呼吸は、荒々しいものになっていく。

 

ぼろぼろの肉体は崩れ落ち……ああ、なんと醜悪、劣悪、愚劣、これ以上に口汚く罵ることが出来ないほどに、彼女は毒を吐き散らした。

 

白楼剣のその出自は不明だが、魂魄家の者にしか扱えず、代々受け継がれた物だった。

 

先代達と同じように、妖夢も師から大切にするよう厳命され、託された物で、妖夢も、その命を守らんと大層大事に管理していた。

 

それが無くなった。

 

妖夢は、師匠の命を守ることが出来なかった罪悪感と、魂魄家の先代達の想いを踏みにじった己の身の浅はかさ、矮小さを感じ、今までの心身の疲弊のせいもあってか、大きく悲泣したくなった。

 

悲しみは次第に怒りへと姿を変え、心は見知らぬ神を呪い、己を呪い始めていた。

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