東方忘却夢   作:raises

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第三話 才覚 ~His sense~

記憶というものは、強く印象に残る程、大切な思い出で無い限り、その殆どは、意識することなく忘却してしまうものである。

なので、それら思い出と呼ばれるもの以外の、儚くも、失念してしまう知識は、何度も繰り返し覚え、脳ではなくその体に記憶を刻み込もうとするものだ。

記憶能力の限界を超える為には、それは当然のことである。

だが妖夢が見た記憶と思わしきものは、稽古の場面であって、これは知識ではなく思い出に分類されるものだ。

未熟な剣士である妖夢が、師からの直々の指導を、歯牙にもかけないものとしておろそかにし、忘れるなど、あるはずがない。

だが、もしそうならば――紛れも無い、妖夢の記憶だとするならば、あの光の映像に現れた彼は一体誰なのか?そもそも、あの映像が記憶ではなく、作られた“虚構”という場合も、十分あり得る。

彼、という存在そのものが、己と、己の記憶に対する疑心と猜疑を、妖夢の中に生み出していた。

『けど……やはりあれは記憶だ……』

どこか漠然とした、思考や感情。

糸のように細く、手繰り辛いこの認識を、彼女は改めようとは思わなかった。

翌朝、何時の間に帰ってきたのか、幽々子が既に屋敷に戻っていて、妖夢は彼女と共に居間で朝食を摂っていた。

昨日の事の後、妖夢の長らく酷使した体は睡魔に敵わず、そのまま部屋に戻って眠ってしまっていたのだった。

あの奇妙な刀は自室に持ち帰った。当然、白楼剣の代わりにするつもりは無い、調査の為である。

朝食は、幽々子の操作する幽霊が作った簡素なもので、食事にはそれほど時間は要さなかった。しかし、食事を終えたのにも関わらず、妖夢は茶の間を出ず、床に座ったままだ。

いつもなら食後、直ぐに仕事に向かうはずなので、幽々子はそんな彼女の行動を訝しんだ様子だった。

幽々子は妖夢に対面するように座っていて、食後の満腹感から午睡(というより二度寝)したい気分になっていた。

「幽々子様」

そんな、堕落した主人を律するかのような単調な呼び声、妖夢はしおらしく座り、その鋭い声が幽々子の小さな野心を押し留めた。

「昨夜は何処へいらしたのですか?」

先程と同じ調子、しかし今度はどこか棘が感ぜられる声が言った。

妖夢は、直ぐにでもあの地下室、本、刀、に関する疑問を主に問い、余さず解消したかった。

しかし、物事には順序がある。

幽々子がもし昨夜、所用も無く、見知らぬ何処かへ放蕩していたのならば、それは、冥界の管理という責務に身を置く者ならば、当然糾弾されるべき行為であるので、仕える者として彼女は幽々子を諌めなければならない。

妖夢は私的な疑問よりも、職務の責任を重要視し、優先したのである。

彼女の追及に、幽々子は少したじろいていた様子だった。だが幽々子は、直ぐにいつもの屈託の無い笑みを見せて、彼女の問いに答えた。

「紫の所に、ちょっとね」

「わざわざ深夜に、ですか?」

「まぁ、いいじゃないの。亡霊なんだから昼も夜も関係無くてよ」

幽々子の答えは明瞭で、後ろめたさは感じられない。

妖夢は取り越し苦労を感じ、主に聞かれぬよう小さく溜息をついた

だが、主題はこれではない。妖夢は気を取り直し――腰の金色の刀に手を当てながら――昨夜の事の顛末についての報告と、質問を始めた。

「幽々子様、白玉楼に地下室があるのはご存知ですか?」

「ええ、知っているわ。そういえば、暫く使ってないわねぇ……」

亡霊はそんなことを呟きながら、呑気に欠伸をする。

その動作に見覚えが――というより昨日見た、明確な既視感を感じた。

切迫した調子を崩されたが、もう慣れた事だ、と妖夢はそれを無視し、質問を続けた。

「昨日、そこへ行ったのですが……こんな物を見つけました」

金色の鞘、同色の下緒、この拵えを見ただけで、ありふれた数打ち物(量産用の質の悪い刀)とは雲泥の差だと感じさせる。

妖夢は食卓に、件の太刀を置いた。

「これは……?」

幽々子は驚いたような、不思議そうな顔を見せて、その美しい太刀を見つめた。

視線はどうやら柄に集中していて、そこに隠されている銘を確認したいかのようであった。

「銘は特に無いようですが、太刀です」

言葉は無いが、主の問いに答える妖夢。実は昨晩、眠る前に、この太刀に関して、多少調べていた。そのときに銘も確認したのである。

これほど壮麗な太刀に、銘が刻まれてないのは不自然なことだが。

「ええ、けどこれがどうかしたの?」

幽々子がそう言ったところで、妖夢は、置いた太刀を拾い上げ、ゆっくりとそれを、鞘と刀身を分けた。

「これを見つけた時、この刀はひどく光り輝いていました。私は、その……軽率だったかも知れませんが、抜いてみたくなったのです。」

この時点で、幽々子に妖夢の真剣さが伝わったのか、表情は堅く神妙になり、時折、視線を太刀へ移してみては、妖夢へと戻し、を繰り返しながら、彼女の言葉を聞いていた。

「すると、その輝きは部屋を包み込んでいき、次第に視界にも変化が現れて……そこには白玉楼の外が映っていたんです!」

一度、妖夢はここで主の反応と返答をみようと、言葉を切ったが、特に何も見られなかったので直ぐに続けた。

「さらにその白玉楼の外には、お師匠様と、小さい頃の私、それと……少年が一緒に稽古をしていました」

映像はそこで終わりです、と妖夢は最後に言葉を結んだ。

「……少年?その映像っていうのは、記憶か何かでは無いの?妖忌と、幼少の頃の貴方が映っているのなら、そう考えるのが妥当だわ。」

幽々子の半眼に開いた瞼から覗く光が、妖夢の瞳を捉えた。

周囲に突然映像が現れるなど、現実に則してみれば、聞いただけでも驚くべき事だが、彼女はこのような些細な事は詮索しなかった。

それを問いかけたところで、妖夢から答えが望めるべくも無いことは、自明なことだからだ。

「確かに私もそう思います……けれど、もしそうだとするならば、その少年というのは一体誰なのでしょうか……?」

今回の事の根本を成している問題を妖夢が口にすると、二人の間には言いようのない沈黙が流れ始めた。

妖夢は幽々子ならば知っているのでは、と思い聞いたのだが、先ほどの言を聞くに、彼女もまた、知らないようであった。

逆に、彼女までも混乱しているようで、指を顎に当て、必死に思案している様子を見せている。

亡霊と言えど、己の記憶に矛盾が生じるのは、当然、不可解なことなのだろう。

すると幽々子は、おもむろに立ち上がり、優雅に着物を翻し、居間の戸口へと向かった。

「私の方でも、色々調べてみるわ。妖夢の方もしっかり……ああ、でも屋敷からは出ないでね。今日も出かけるから、留守をお願いするわ。」

「幽々子様!」

妖夢の叫びは空しくも、幽々子の足取りを止めるに及ばなかった。主が向かう戸口の先は、彼女の自室へと続いている。

(まさか……)

一人、取り残された妖夢の脳裏に、嫌な思考が過る。

幽々子は、この期に及んで、この奇怪を前にしてもなお、妖夢の心情を度外視し、午睡に興じようというのか?

 

 

――――

 

 

その後、本日の業務を終え、妖夢はいつものように稽古に励んでいた。

 

時刻は既に十時を回っていて、夜の暗がりが、稽古場をすっかり支配している。

これまで朝に行っていた単純なものではなく、空想に敵を据え、その敵へ何度も攻撃し、時にはこちらが防御する、一人で行う対人の稽古では最も効果的なものだった。

何者も寄せ付けがたい気迫を醸し出し、稽古に臨むその心持は、ここ最近彼女の内面を取り巻いていた暗雲を、すっかりと取り払っていた。

代わりに別の、これまでの漠然としたそれとは違う、明確な負の感情が彼女の内を支配していた。

それは、幽々子に対する感情であった。

妖夢は、いくら上司と言えど、度重なる不逞な行動や態度には、最早、冷めやらぬ情念を、爆発させずにはいられなかったのだ。

竹刀を振るたびに、そういった烈しい感情を糧にし、解消しようとしていたが、全てを消し去るのは叶わない。

次第に、彼女の太刀筋は乱雑になっていき、そのまま、自制の利かない己が腕に振り回され続けた彼女は、倒れるように床へと寝転がってしまった。

冷え切った床の木版は、運動によって熱を持った彼女の心身を冷やす。

息を切らし、酸素を求めて稼動する肺が、暗い夜の静寂に耳障りな音を発していた。

『私は何をしているのだろう……?』

次第に呼吸が落ち着いていった矢先、ふと、思いつかれる疑問。

心ここにあらずとは正にこのことで、今の彼女の顔には、微塵の生気――能動的な生への活力が全くといって感じられなかった。

幾ばくの燭台がもたらしている明かりは、広い稽古部屋を照らしつくすのには不十分なので、換気のために明けていた窓からこぼれる月明かりが容易に見て取れた。

ああ――このまま何もせず、何も感じず、過ごしていられたら良いのに。

 

そんな浅はかな願望が、彼女の中に沸き起こる。

今の妖夢とっては、この堕落した感情だけが真実であり、それ以外の全ての事柄は、矮小かつ猥雑で、煩わしいものとしか認識できなかった。

心身の疲弊から、意識がまどろんでいく。

稽古部屋の薄暗い環境は、意識の消失に拍車をかけていき、同時に、彼女の薄い瞼が、力無く閉じていった……。

「無様ね」

突然、鋭利な針のように鋭い声が、彼女の耳に入り込み、脳を、体を、貫く。

 

声を聞くに、幽々子では無い。

この“異常”を前に、妖夢は消えかけ、散開していた意識をかき集め、必死に組み上げていった。

冥界であるこの地で、幽々子以外の声が聞こえるなど、万に一つもありえぬこと。その、ありえぬことが、起こった。

妖夢は、あの地下室の時と同じように、目の前の異常を理解し、吟味するよりも速く、行動した。

立ち上がると同時に、竹刀を――心もと無いことこの上ないが――正眼(刀の中段の構え)に取る。距離は近い、ここから数歩程先だ。

 

楼観剣も、件の太刀も、この位置からは遠い。

 

現状、竹刀で攻撃したのは、彼女にとって最善の策であった。

声のした方向は、部屋の入り口がある場所だった。

 

戸は開かれていて、明度が低いために顔は見えず、ぼんやりとした人影が、敷居の上を踏みながら立っていた。

妖夢は、その人影を見るや否や、一歩目で距離を詰め、二歩目で踏み込む。

 

三歩目、風を切る、両手を振りかぶり得物を縦に振り下ろした。

「!……その辻斬り癖、どうにかならないかしらね」

いかにも気だるそうな声で、突然の攻撃に対する不満が聞こえる。しかし、妖夢は聞く耳を持たない。

阻まれた。

妖夢は不意を突いたつもりだったが、その者を切り捨てるにあたわず、彼女の竹刀は、対象の頭上あたりで“何か”に止められたようであった。

『これではいけないな』

己の力不足を嘆く妖夢。

 

だが、それ以上に『真実は斬って知る』という師の教えを成す事が出来なかった事に、彼女は後悔の念を生じさせるのだった。

並みの相手では無いことを悟った妖夢は、大きく飛び退き、相手の出方を見ることにした。

「呼び寄せておいてこの仕打ちとは……いい度胸してるじゃない!」

『呼び寄せた?』

流石の妖夢も、今の言葉には疑念を抱かざるを得なかった。客を呼んだ覚えなど無いし、今日、客人が来るという旨も聞かされていない。

人影が動いた。こちらに向かい、重い足取りで。

同時に、窓から漏れる月光が届き、この者の影を消し、明らかにしていった。

「……霊夢?」

見知った顔に、驚きを隠さない妖夢。

腕を組み、溜め込んだ怒りで、今にも爆発しそうな様子で、博麗の巫女は、口元に歪な笑みを浮かべていた。

怒りに震え、組んでいる腕からは一本のお祓い棒が伸びていた、どうやら攻撃はこれで防いだらしい。

 

「どうしてここに……?それに貴方を呼んだ覚えなんてないわよ」

 

妖夢は知人と分かった上でも、警戒を解かなかった。

 

事実、妖夢が知る上では、今日、客人を招く予定など無かったし、ましてやこの時間である。突然の訪問にしては、あまりに常識が無い。

 

「?……あんたの主人に呼ばれたのよ。色々あって、ちょっと遅れちゃったけど」

 

「幽々子様には、何時に来て欲しいと言われたの?」

 

「夕方かしら」

 

「全然“ちょっと”じゃないでしょ……ここまで遅れたのなら日を改めようとか、遅れる旨を連絡しようとか、考えないのかしら?」

 

目を閉じ、深いため息を吐く妖夢。

 

すると、気性の荒い巫女は、そんな妖夢の態度を目の当たりにし、冷めかけていた怒りを爆発させるのであった。

 

「いきなり攻撃しておいて、その態度は無いんじゃない?」

 

それも、満面の笑顔で。

 

瞬間、妖夢の足下に、三枚のお札が飛ぶ。

 

それを見やるや否や、妖夢は後方へ飛び退き、避けた。

 

警戒を解いていなかった妖夢にとって、避けるのは造作も無かったが、流石、幾度となく妖怪退治をしてきただけある。予備動作は殆ど無く、恐ろしい程に速い。

 

そんな恐れからか、妖夢は自身の言動を省みた。

 

こんな時間に来た霊夢も悪いが、情報の伝達がうまくいっていなかったこちらにも非はある。

 

妖夢は無駄な争いは避けようと、素直に謝罪しようとした。

 

しかし、声を出しかけたところで、またもお札が三枚、今度は拡散し、こちらへ向かってきた。

 

左右と正面、何れも隙間がなく、避けようがない。

 

『!』

 

ほぼ反射的に、正面のお札を竹刀で防いだ。

 

だが、ただの棒切れ如きで、この攻撃を完璧に防げるはずもない。

 

竹刀を通じて、衝撃が電撃のように腕に伝わり、妖夢の体を大きく後退させ、稽古場の壁に打ち付けられた。

 

手に持つ竹刀は無残に砕け散り、紡がれていた竹が塵の如く舞った。

 

隙を見せようものなら、討ち取ろうという魂胆らしい。

 

口に出せないのなら、と、目で訴えかける妖夢であったが、霊夢のその笑顔は崩れない。

 

どうやら、と言うより、間違いなく彼女は、この状況を楽しんでいる。

 

平生、気が短い霊夢ではあるが、これほど些細な事で怒るのも珍しい……もしや、わざとなのかもしれない。

 

何にせよ、対話が見込めないのならば、彼女の気が済むまで、最低限身を守らなくてはならない。

 

それをする為には妖夢の得物……刀が必要だ。

 

そして、二度目の攻撃のおかげで、その願いは既に叶っていたのである。

 

過去の教訓から、稽古の時といえども、刀は目の届く場所に置いていた。

 

それが功を奏した。

 

妖夢が吹き飛ばされた先の壁には、立てかけて置いていた長刀と太刀があったのだ。

 

三度目の攻撃。三枚のお札が、たじろぐ妖夢を目掛けて飛ぶ。

 

妖夢は、距離が最も近かった太刀を取り、鞘を抜き去り、持ち前の反射神経と敏捷性で、その全てを斬り落とした。

 

真二つに斬られ、霊力を失ったお札が、先程の勢いなど見る影もなく、ひらひらと力なく舞い落ちていった。

 

「へぇ、刀を変えたのね」

 

太刀を見やった霊夢の顔から、笑顔が少しばかり緩んだように見えた。

 

「……」

 

間違えてはいけないのが、この状況で争う事の無意味さである。

 

霊夢がもし、確信犯でそれをするのならば、尚のことだ。

 

謙虚さと冷静さを欠いてはならない、妥協と譲歩の芽を摘んではならない。

 

あまりにも理不尽かつ利己的なこの巫女の行動の前には、その“真実”さえ霞んで見えた。

 

『だけど……お師匠様の教えを成すには絶好の機会だわ』

 

妖夢の初撃では成し得なかった、真実を知るという教え。

 

今の彼女の胸中には、ただそれ一つの事のみが、頑ななまでに集約していたのだった。

 

こちらが得物を得てから、霊夢からは一向に動く気配が感じられない。

 

見慣れぬ太刀を警戒しているのだろうか?先程とは打って変わって、彼女から笑顔が絶え、逆に神妙さが伺えた。

 

この隙に、未だ床に転がっている楼観剣を取るのも良い。だが、そんな余裕を、この巫女の前に晒して良いものか。

 

一瞬の沈黙。互いの警戒心が生んだ、一時の平和。

 

その平和を打ち破ったのは妖夢だった。

 

太刀を上段に構え、全力で踏み込み、突進する。

 

反撃される可能性を孕む、賭けに等しい攻撃ではあるが、全力を尽くして発進した妖夢の体は、常人では捉えることさえ出来ないほどの速度で疾走していた。

 

たとえ霊夢と言えども、それを見切った上で攻撃するなど、望むべくもない。

 

防御で精一杯。

 

霊夢はそう感じた自分を悔がるように歯ぎしりをしながら、例によって、妖夢の面打ちを頭上で受け止めるのであった。

 

妖夢にしてみれば、この攻撃で、あわよくば決着がつくのでは、という期待もあった。

 

だが、それは浅はかな願望であり、遠い空の雲の上を望むが如く、夢想だけで帰結するのであった。

 

「その刀!」

 

突拍子もないが、今の彼女の心に根ざす問題の、核心を突いた言葉に、妖夢はたじろいだ。

 

まさか、霊夢はこの太刀について何か知っているのだろうか?

 

すると突然、どこから放たれているのだろうか、光が、薄暗い稽古場を満たし、妖夢を、包み込んだ。

 

霊夢の攻撃かとも思ったが、この光には、どことなく敵意が無い、それに、見覚えがある。

 

視線を手元へ。光は、太刀から放たれていた。

 

月光さえも退ける強い光が、刀身から伸び、尚も広がっていく。

 

輝かしい光は、外に蔓延する夜をも、昼の陽光の如く塗り替えてしまったかのようだった。

 

妖夢の視界には、燦々と輝く、真っ白な光しか映らなかったが、光の裏に隠された、辺り一帯の環境が、大きく変化したのを感じていた。

 

程なくして、光が収縮していく。

 

光が晴れると、彼女は稽古場ではなく、別の部屋に居た。

 

一度、この奇怪を体験していたとはいえ、やはり、驚かずに状況を鑑みようなど、出来るはずもなかった。

 

困惑しながらも、妖夢は辺りを見回す。

 

どうやら彼女は、この部屋の戸口に立っていたらしい。

 

妖夢の他には、一度目の映像と同じく、妖忌と、幼き日の妖夢、そして“彼”が居た。

 

依然、彼を認識することは叶わないが、それを気に留めることはしない。

 

今は、状況を理解し、知らなければならない……白楼剣に取って代わるように現れた、この刀の秘密を。

 

三人の他には誰も居なかった、つまり、近くに居たはずの霊夢はここには居ない……というより、彼女にはこの映像を見ることが出来ないのだろうか。

 

三人は部屋の中央に集まり、机を並べて、なにやら書いてみたり、本を読んだりしていた。

 

「……」

 

やはり例によって、この場面は記憶に無い。

 

しかし、何をしているのかは分かった。恐らく勉学だろう。

 

刀がもたらすこの光の映像が、記憶では無いというならば、映像内で繰り広げられている出来事は、彼は、一体何だというのか?

 

その時、映像が動いた。

 

立ったまま佇んでいた妖忌が、“彼”の席へと近づき、机上に置かれている紙を見やる。

 

すると、“彼”を感心するように、唸るような声を上げ、微笑すると、勉学に四苦八苦する幼き妖夢には目もくれず、また、元の位置に戻り、佇むのであった。

 

『……!』

 

一見、何ら変哲も無い光景。

 

しかし妖夢にとって、それは異常とも言える事態であった。

 

「お師匠様が……笑っている……!?」

 

背中に嫌な信号が走る。

 

この感情は、恐怖?驚嘆?激情?いや、これは嫉妬だ。

 

あの卑しい、惨めで、愚かな、感情の発露。

 

妖夢は、“彼”に嫉妬していたのだ。

 

長年、稽古を受けてきた中で、妖忌が誰かに笑ってみせたり、ましてや他人に対して感心してみせたりするなど、一度も見たことがなかった。

 

「どうして……!」

 

俯きながら、震える声が漏れる。

 

他のどんな者にも、主人である幽々子にでさえ、弟子である妖夢にでさえ、見せることのなかった妖忌の微笑みが、“彼”へと向けられている。

 

妖夢には、それがひどく眩しくて、ただ目を背けるばかりであった。

 

『私はそんなにも、見込みが無くて、希望も無くて、出来損ないの、どうしようもない弟子だったのだろうか?』

 

これが記憶か虚構かなど、最早関係が無かった。彼女に残されたのは、そんな自己否定だけ。

 

気付くと、感覚で眩しいと感じていたあの光景が、本当に眩しく感ぜられてきて、次の瞬間には視界が真っ白に染まっていた。

 

 

 

――――

 

 

 

激しい動悸と呼吸で瞼を開く。

 

冷えた汗を肌に感じながら、横たわっていた身体を起こした。

 

眠っていたのだろうか?心臓が脈打つ度に頭痛が響き、思考を阻害した。

 

「起きたのね」

 

聞き覚えのある、ため息混じりの声。

 

高ぶる心拍を抑えながら、声のした方へ、半ば閉じたままの瞳を向ける。

 

そこには霊夢が居た。

 

「ここは……私の部屋?」

 

「そうよ」

 

妖夢は、何時の間にここへ?と、問おうとも思ったがやめた。

 

隣に座って、勝手に茶を飲んでいる霊夢のすまし顔が『運んであげたんだからお茶ぐらい良いじゃない』と語っていたようだったからだ。

 

「私は……どうなっていたの?」

 

曖昧だが確実な質問。

 

光を浴びた後、妖夢が眠っていたのならば、近くで見ていた霊夢はその状況を良く知っているはずである。

 

霊夢が答える。

 

「あんたのあの刀、光っている間はものすごい妖気を発していたわ。けど、光が収まると、まるで隠れるように妖気が感じられなくなった……それと、あんたはあの後、抜け殻みたいになって立っていて、少し触れただけで倒れたの。そして今に至るってわけ。」

 

「そう……」

 

霊夢にあの太刀について色々聞きたいと思ったが、未だ響き渡る頭痛が煩わしくて、それどころではなかった。

 

さらに、追い討ちをかけるように、強い倦怠感が彼女を襲う。疲労はまどろみを生み、まどろみは睡眠へと意識を誘う。

 

「あの刀、あんたどこで見つけたの?」

 

より実際的な質問に、妖夢の意識は幾ばくか延命された。

 

「白玉楼の地下室よ」

 

彼女の返答に、博麗の巫女は視線を落とし、一考する様子をみせ、程なくして、妖夢に視線を戻した。

 

「あんたの主人が戻るまで、ここに居させてもらうわ。それまで、気長にお茶でも飲みながら、ね」

 

言いながら、茶のすする音を立てる。

 

のんきな口調とは裏腹に、その表情は何時に無く、真剣な面持ちであった。

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