「ふぅむ、記憶にあるはずの無い少年の存在。それから、妖夢さんの心の矛盾、ですか」
日は沈み、外は暗い夜の様相を醸し出していた。
部屋の窓からは、薄暗い月明かりが差し込み、部屋の隅に立つ燭台と共に、少ないが、確かな明かりをもたらしている。
冬の夜は、昼のそれを容易に凌駕する程寒い。
その為、暖房の無い部屋は、外気と殆ど変わらず、妖夢達の居る部屋も、例外では無かった。
妖夢は全てを優曇華に説明した。そのせいか、随分長い時間を説明に費やしてしまったらしく、二人とも夕食をも忘れてしまう始末だった。
優曇華は暫し、考える様子を見せた。
妖夢とって、それは喜ばしいことで、優曇華が、何らかの答えを見出してくれるという期待に、胸を膨らませた。
だがそんな期待は、直ぐに取り払われるのだろう。
ここ最近は、勝手に他人を期待して、勝手に自分で失望してばかりだったからだ。
自分には出来ないことを、他人が出来る、してくれるとは限らない。
過度の期待とは、それと同等の絶望の可能性を孕み、より強い報復の泥を肥やしていくものなのだ。
小さくため息をつく妖夢。それは白く薄い煙となって、天井へと登っていった。
「妖夢さんの主人は、何か知っているのではないのですか?」
「いえ、聞いてみましたが、分からないそうです」
「ふぅむ……」
優曇華はまた一考し、少し間を置くと、口を開いた。
「鍵となるのは……その太刀は当然として、それが置かれていた白玉楼の地下室。白玉楼全体を検める必要もあるかも知れませんね」
「……え?」
妖夢の心とは裏腹に、優曇華は真摯な態度で続ける。まるで、妖夢の問題は自分の問題であるとでも、言うかのように。
「もしや、これは何らかの異変の前触れ?幻想郷に新しい顔でも現れるのでしょうか!?」
「ちょ、ちょっと待ってください」
会話の趣旨から外れ、饒舌にまくし立てた優曇華に、妖夢は面を食らった。いや、原因はそれだけではない。
「……どうして」
「はい?」
「……どうしてそんなに親身になってくれるのですか?あなたには関係のないことですし、これが解決したところで、あなたは何も得をしない……そもそも解決しないかもしれない」
「私はただ、相談されたから、考えを答えただけですよ?」
『それにしてはとても……』
優曇華の態度は、他人のそれに対するものでは決して無くて、今の彼女は丘の上で会ったときとは、全くの別人に見えた。
「妖夢さん。貴方は他人を頼らなさすぎです。遠慮や自制は、良いことなのでしょうが、度が過ぎるのは良くないことです」
唐突に、自身を諭し始めた優曇華に、妖夢は驚きと、どことない気恥ずかしさを覚えた。
それは、言った優曇華自身もそうだったようだ。
「さぁ、今日は早く眠って……明日からすぐに調査を始めましょ!」
「そうですね……って、貴方も来るの!?」
「当たり前でしょ?ここまで話を聞いた以上、放っておけないじゃないの。さあさあ!眠った眠った!」
と、互いの恥じらいを取り繕うように、満面の笑顔見せる優曇華と、妖夢。
何でもないやりとり。しかし、二人を隔てていた大きい何かは取り払われ、一つ、大きな一歩を踏み出したのだった。
――――
「やっと来たじゃない」
「……」
霊夢が白玉楼に訪れて三日目。
その日の朝、幽々子は長い外出から戻った。
白玉楼の主である彼女が、事前に連絡も無く、これ程長期間家を空けるとは……妖夢が居たならば間違いなく諌めただろう。妖夢が居たならば。
霊夢は茶の間でくつろいでいた。卓には勝手に淹れたのだろう、急須と湯呑みが載っている。
「……あの子は何処に?」
「三日も行方くらましてた者の第一声がそれとはね、驚いた。半人半霊はあんたを探しに出ていったわよ。私に留守を頼んでね……ま、おかげで私が“先に”あんたに会えたんだけど」
「……どういうことかしら?」
のらりくらりとした幽々子の物言いと、とぼけた様子を受けて、落ち着きを払っていた霊夢は苛立ちを露わにした。
「いい?状況は私も良く分かっていないから、簡単にしか聞かない。まず第一に、これから起こることは幻想郷に危険が及ぶの? それと第二に、具体的にこれから何が起こるの?」
「何のことだか良く分からないわ~」
と、突然明るく振舞い、笑顔を見せた幽々子だったが、取り繕うような表情は、何かを誤魔化すには、霊夢に対しては逆効果だったようだ。
「ふざけるのもいい加減にして! こっちはあんたを“異変”の予防のために退治する事だって出来るんだからね!」
と、得物のお祓い棒を幽々子に突き付け、言った。
霊夢の脅しが効いたのか、それとも別の理由か。幽々子は妖夢にも一瞬見せた、何時にない神妙な表情と雰囲気を醸し出した。
「異変……? 本当に貴方は何も分かっていないのね」
「どういう意味?」
皮肉めいた物言いは、博麗の巫女を激昂させるかに思えたが、霊夢自身、無知であることは理解していたので、幽々子の非難を甘んじて受け入れた。
「あれは異変などでは無いわ……至って普通の出来事。人間という存在があるならば、当然起こりうる事象なの。故に異変ではない」
「大勢死んだそうじゃない。それでも異変ではないと、言い切れるのかしら?」
「異変とは、人間ならざる存在が起こす事件を指す。貴方はそれを良く分かっているはずよ。しかしあれは……“戦争”は、人間が起こすもの」
「あんたはそれを、止められる立場に居たはずだわ」
「いいえ、そんなことは出来ない。これは“彼”が選んだ道なの。だから私も……あの子も、止める権利など無い」
「……その“彼”とは?」
核心を突いた問い。しかし、それは殆どの場合がそうであるように、知ることが出来ないのである。
「失礼します……幽々子様……只今戻りました」
「……」
不満げな顔をする霊夢。今回も、その例に漏れることはなかった。
「あら、お客かしら?」
幽々子の表情は、深刻なものから一転。平生の、とらえどころのない、純朴さを表していた。
「お久しぶりです。幽々子さんに、霊夢さん」
そして鈴仙は、至って慇懃な様子で、恭しく挨拶をするのであった。
――――
「私はお邪魔のようだから、部屋に戻るわね。妖夢、お茶を出して差し上げなさい」
幽々子は眩しいばかりの笑顔で、そう言うと、部屋を後にしようとした。しかし、妖夢はそれを制する。
「待ってください幽々子様! どうか私の話を聞いてください……無礼を承知で申し上げます……話を聞いてください……」
悲痛な面持ちで懇願する妖夢。
いくら彼女の上に立つ幽々子と言えど、一人の少女の必死の願い出を無下にすることは出来なかった。
「そんなにかしこまらなくても~。話ならいつでもしてもらって構わないわよ」
明るい、朗らかな態度で答える幽々子。先ほど垣間見せた表情とは全く異なる、風変りした様子を、霊夢は半眼になりながら見つめていた。
「では、幽々子様と……鈴仙、も……座っていてください。お茶を持ってきます」
「私の分もお願いできるかしら」
と、紅白の巫女は茶を一飲み。
「霊夢さんはもう飲んでいるじゃないですか! というか、勝手に飲まないでください」
「留守を預かってたんだから、これぐらい良いじゃないの。あ、ついでにそこの戸棚のお煎餅、取ってくれないかしら?」
巫女の言い分も、半分ほどは理解できたが、やはりその傲慢さは、妖夢の鼻に付いて回るのだった。
茶を淹れ終え、全員が席に着くと、最初に口を開いたのは妖夢ではなく鈴仙だった。
彼女の赤い瞳は、亡霊の姫の姿を映し、捉える。
「幽々子さん」
「はい?」
妖夢は鈴仙を期待の目で見つめる。鈴仙はそれを、どこか温かみのある、穏やかな微笑みで返した。
「貴方は、覚えているのですか?」
「……はい?」
沈黙が流れる。
妖夢は当然として、霊夢や、幽々子でさえも、不可解な問いだったのだろうか。誰もが呆然としていた。
「いや……あの……やはり何でもありません。」
冷ややかな反応と空気を感じ取ったのか、鈴仙はそう言うと、黙してしまった。
「……ええと、それでは幽々子様。お話についてなんですが」
気を取り直して妖夢は続ける。
「まず、幽々子様はこの三日間。何処に行かれていたのでしょうか?」
「何処って……まぁ、そうね。昔懐かしい思い出の場所で、物思いにふけっていた……とでも言っておこうかしら?」
「これについて、なにか調べてくださるはずでしたよね?」
妖夢は腰に差していた例の太刀を鞘ごと抜き、差し出した。
光り輝く黄金の鞘が、窓から零れる日の光を浴び、美しく反射する。
幽々子はそれを見やると、また、いつか見たような神妙な雰囲気を醸し出した。
「……ごめんなさい。それについては何も、分からなかったわ」
心底申し訳なさそうに言った幽々子の言葉に、後ろめたさは無い。
少なくとも、幽々子を良く知る妖夢にとっては、そう感じられたのだった。
「……はぁ。分かりました。このことに関してはもうお気になさらないでください。自分でどうにかします」
早々に立ち去ろうと、未だ熱い茶を一気に飲み、席を立つ。
「客人を放っておくようで申し訳ないのですが、仕事があります故、どうかお許しください……鈴仙も、ゆっくりしていって」
妖夢は太刀を引き取ると、腰に差しながら部屋を後にする。
その太刀から微かな輝きが放たれていたことも、微弱な妖気を発していたことも……妖夢がどこか物悲しそうに話していたことも……誰も本人に告げることはなかった。