ある半鴉人斥候の話   作:yagra

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第2話です。


02 決意と旅立ち

 あの日から、彼女はよく部屋に籠ることが増えた。

 なぜか。小鬼(ゴブリン)を鉈で斬り殺したあの感触が、いまだ拭えないのだ。

 あの肉を斬った時の柔らかい感触。あの頭蓋を割った時の音。ゴブリンから溢れ出て顔にかかった鮮血のあの温さ。辺りに充満する鉄の臭い。すべてが忘れられなかった。

 もう何日も経ったというのに、右手を見るとあの日血に染まったそれを幻視してしまう。それを見るたび、ベッドに潜り込んで必死にその幻を振り払おうとしていた。

 今もこうして部屋の中で震えていると、ノック音が聞こえてきた。

 

「――、入るわよ」

 

 入ってきたのは母だった。

 母はそのまま自分がうずくまっているベッドに腰かけると、慣れた手つきで自分の背中をさすり始める。

 父に撫でられるのとは違い、母の羽がシーツを通して自分の背中をくすぐり、こそばゆく感じてしまう。

 

「まだ、忘れられないの?」

 

 優しい声音の母の言葉に、彼女はシーツから頭だけを出してコクリと頷く。

 それを見た母は優しく笑みを浮かべ、今度は自分の頭に手――いや、羽を伸ばす。

 

「ふふ、私と同じね。私も初めてモンスターを殺したときのことはしっかり覚えてるの」

 

 その言葉を聞いて、彼女はぎょっとした。今まで母親からそんな話は聞いたことがなかったからだ。

 なぜと問う前に、母はまた言葉を紡ぐ。

 

「あの人と結婚してここに移り住むまで、私は冒険者をしてたの。ちなみに彼も元冒険者」

 

 冒険者……? 昔、近くの村に遊びに行った際にそう名乗る人物がいたことは覚えている。

 剣を携え、皮鎧に身を包み、弓を背負っていたその姿は、今でも鮮明に思い出せる。それにしても、両親が揃って冒険者とは……。

 彼女はなぜそのことを今まで話さなかったのかと母親を問いただす。それを聞いた母は少しばつの悪そうな顔をしながら答えた。

 

「あなたには刺激が強すぎると思って、ね? それに――」

 

「あなたに怖い思いをさせたくなかったからなの」

 

 母はそう言った。

 怖い思い……? 冒険者とは怖い思いをする職業なのか?

 村で出会った彼は、物珍しさに近づいてきた自分を含めた子供たちに自らの武勇伝を語って聞かせていた。

 それはお世辞にも荒唐無稽なものだったが、それでも子供たちの冒険に対する憧れを増大させるには十分だった。

 森林に跋扈する怪物と戦った話、野盗と一晩中戦い続けた話、竜と戦って勝ったという話など、彼曰くどれもこれも嘘のようで本当だという話で、子供ながらにワクワクしたものを覚えていた。

 だからこそ、どうして両親はこんなに暗い顔をするのかがわからない。

 彼女が何か言おうとしたことを察した母は、それを遮るように語りだす。

 

「確かに、冒険の醍醐味は未知への探求よ。でもね、彼らだって人間なの。傷つけば最悪死ぬかもしれないし、死ねば蘇らない。そういう武勇伝の裏には、それこそ命を懸けた戦いがあるのよ」

 

 母は悲しげな表情で話す。

 

「私たちだって何度も死にそうになったことがあるわ。背中の傷、見たことあるでしょ?」

 

 そういえば、母の背中には大きな傷跡があった。あれも冒険者をしていた時に受けた傷なのだろうか。

 彼女の問いに、母はコクリと頷く。

 

「一回、ドラゴンの爪に背中をバッサリ斬られたことがあってね。あの時は本当に危なかったわ。もう少し深く斬られてたら、私の体は真っ二つになってたでしょうから」

 

 母は悲しげな表情のまま苦笑いを浮かべる。

 

「怖かったの?」

「もちろん、私はここで死んじゃうんだ……なんて考えてたわ」

 

 でもね、と母は続ける。

 

「その時に助けてくれたのがあの人」

 

 母は窓を指さし、彼女も起き上がって差された方向を向く。そこには野良仕事を続ける父の姿があった。

 

「それで色々あってここに移り住んだってわけ。話が逸れちゃったわね、ごめんなさい」

「ううん、大丈夫」

 

 母は改めて咳払いすると、彼女の目を見据える。

 

「初めて何かを殺した時の怖いって感覚は、誰しもが持つものよ。人って面白いものでね、初めて何かを殺そうとするとどこかで怖いって思っちゃうの。それで殺した後も、個人差はあるけどそれがトラウマになってしまうこともある。あなたのその怖いって感情もごくごく自然なものよ」

 

 母の視線は暖かく、そして優しかった。

 その温かさを感じ取ったのか、彼女はいつの間にか震えが止まっていた。

 そんな彼女に、母はさらに言う。

 

「だから、殺しても平気になる必要はないの。怖いと思うのが普通なんだから」

 

 彼女は救われた気がした。自分はまだこの恐怖に打ち勝てる、乗り越えられるわけではないが、母の言葉を聞いているうちに、少しずつではあるがその気持ちが落ち着いていった。

 それを見た母は安心したように微笑むと、ゆっくりと立ち上がる。

 

「夕食にはとびっきりのを作ってあげるから、楽しみにしててね?」

 

 彼女は大きく頷く。その紅に光る目には、恐怖心の欠片もなかった。

 

 


 

 

――7年後

 

 彼女は大きく成長し、16歳となっていた。そして春のそよ風が頬を撫でるある日、彼女は家の玄関の前にいた。その場には両親の姿もある。

 彼女は白く長い髪を後ろにまとめ、青みがかった黒い衣服に身を包んでいた。

 

「本当にいいんだな?」

 

 父が優しい口調で問いかける。その言葉に、彼女は即答した。

 

「うん、もう決めたことだから」

「ここも少し寂しくなるな」

「たまには戻ってくるよ」

 

 父との別れの挨拶もほどほどに、彼女は母の方向を向く。

 

「怖くなったらいつでも戻ってらっしゃい。待ってるからね」

「うん、ありがとう」

 

 そう言って母は優しく抱きしめてくれた。彼女も母を抱き返し、しばらくそのまま抱擁を続けた。

 しかしいつまでもこうしている訳にもいかない。

 名残惜しいものの母の身体から離れ、前を向く。

 

「……いってきます」

「「いってらっしゃい」」

 

 彼女は一歩を踏み出す。これから先、何が起こるのかは見当がつかないだろう。しかし、今の彼女に不安など微塵もない。

 あるのは、未だ見ぬ世界への憧憬だけだ。

 

 

 

「……行ってしまったな」

「ええ……」

 

 彼女の黒と白が混ざった影を見送りつつ、二人は呟いた。

 6年前、彼女がいきなり冒険者になりたいと言った時には仰天したものだ。母から冒険者とはほとんど常に死と隣り合わせの職業だと彼女は聞かされていたのにも関わらず、夕食の席で突然言い出したのだ。

 彼女がなぜそのような考え方に至ったのか問いただしたりもしたが、返ってきた返答は単純なものだった。

 

「外の世界が見たい」

 

 父は反対した。危険な上に、失敗すれば死に至る。それにもし成功しても、その先に待っているのは過酷な現実だぞ、と。

 だが、それでも彼女の決意は変わらなかった。むしろ、両親が元冒険者だったという事実をあげつらい、両親だけ冒険をしているのになぜ自分にはさせないのかと反駁するほどだった。

 母は反対しなかったが、ゴブリンを殺した時の恐怖感を覚えているのかと聞いた。彼女はそれについて、しっかりと覚えている、でもいつか折り合いをつけなければと自分なりに努力し、克服したと話した。

 父はその話を聞いて、あの日から2ヵ月後ぐらいより、彼女は獲った動物の解体を積極的に手伝っていたなと思い返す。あれは彼女なりに克服のための特訓だったのかと心の中で膝を打った。

 

「これでもまだ冒険者にはさせてくれないの?」

 

 彼女の意志の籠った目とその真っ直ぐな視線に2人は根負けし、冒険者になることを了承したのだった。

 だが両親は許可の代償として、彼女に冒険者となるための特訓を受けるよう指示した。現状の彼女では仮に成長して冒険者となったところで、早晩死んでしまうのが目に見えていたからだ。彼女もそれについて理解を示し、特訓についてはすんなりと決まったのだった。

 

 それからは彼女にとって地獄の日々だったかもしれない。

 家の手伝いをしながら、両親が知りうる冒険者として生きていくためのすべての技術・知識を叩き込まれることになったのだから。

 それでも彼女はめげなかった。知識を得ればすぐに実践し、技術を得れば何度も繰り返し練習し、体力もつけていった。

 彼女は元斥候(スカウト)だった父から戦闘技術及びサバイバル技術、そして読み書きを学び、元野伏(レンジャー)だった母から使える薬草の知識や加工技術及び狙撃技術、そして風を読む知識を学んだ。

 彼女がすべてを習得しマスターするまでに、実に6年もの歳月を要した。だがこの6年は、彼女にとって決して無駄な期間ではなかったはずだ。

 そして母は古い伝手を頼って彼女に合った服と革鎧を作らせ、彼女に与えた。

 父は腰に道具をつけられるベルトと革製の袋を自作し、その他装備一式を買って彼女に与えた。

 そして、両親の思いを胸に、彼女は今日旅立った。

 

 彼女にできる限りの手助けをしたのだ。神よ、どうか我々の娘をお守りください……。

 影すらもう見えなくなった彼女に対し、両親はそう願うしかなかった。

 

 


 

 

「あ、これ母様から教えてもらった薬草だ。取っておこうっと」

 

 彼女は道端に生えていた薬草を丁寧に引き抜き、一緒に持ってきていた革製の袋に入れる。

 家を出発してからどれくらいたっただろうか。家も、そして近くにあった村も見えなくなり、広大な草原の中で何人もの人が通ったであろう道を歩いていた。

 モンスターも、野盗も、何もいない。あるのは草花を揺らす風と、時折鼻孔をくすぐる花の匂いだけ。

 しかし彼女にとってはそこにあるすべてが真新しいものであり、興味を引く対象であった。

 

「えーと……この薬草はすり潰して水に入れ、加熱させてエキスを抽出するとポーションの基になる、と」

 

 そういうわけで彼女は見える範囲の薬草を片っ端から回収し、備忘録として持っていた手帳と睨めっこしながら歩くことになっている。

 

「それでこれが火傷に効く薬草ってことね。……あ」

 

 ふと西の空を見れば、日は赤く燃え上がり地平に吸い込まれそうになっていた。

 それを見た彼女は大急ぎで野営の準備を始める。

 夜間移動もできなくはない。だが移動距離を稼げる以外のメリットがほとんど存在しないのだ。ハイリスクローリターンな強行軍よりも、しっかりと休んで朝一に出発する方が結果的に早く目的地に着くことが多いと父から教わったのを思い出す。

 野営のための火起こしをしながら彼女は空を見上げる。そこには、宵闇に呑まれつつある緋色の空が広がっていた。

 

「きれい……」

 

 思わず声が漏れる。こんなにも美しい光景は、今まで見たことがなかった。

 周囲には誰もいない。自分だけの空。それはまるで、これからの冒険に幸あれと天が祝福しているようだった。

 

「父様、母様。私、頑張るよ。大きくなって、帰ってくるから」

 

 天に向かって彼女は宣言する。

 その瞳には、冒険への期待と不安で揺れながらも覚悟を決めた光が宿っていた。




主人公のキャラクターイメージは「echocalypse」に登場する「姑獲鳥」です。
ただし服装とかは違うのでご了承ください。


最終的にイフリート・シュナイドにしようかな……。
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