「お前はいつも眠たげな瞳をしているなぁ」
それは僕の両親に限らず、
男の割に小さくて華奢な体と併せて、この瞳は大きなコンプレックスであった。鏡にトロンとした瞳が映る度に、思わず叩き割りたくなることもしばしばあった。だから、先の発言は僕の中で一位二位を争うレベルの侮辱にあたるのだけれど、あいにく僕にはやり返すための力というものが全く無かった。それは、肉体的な意味でも社会的な意味でもだ。僕の体つきは男らしさとはおおよそ無縁であり、喧嘩になれば同年代の男にだって勝てる見込みはこれっぽっちも無かった。おまけに、一応王都の教会に所属しているとはいえ、僕は駆け出しの若造聖職者に過ぎない。
だから、という訳でもないけれど、僕の人生は「力」というものへの漠然とした憧れに支配されていた。
そんな折に転がってきたこのチャンスを、僕が逃すはずが無い。
「司教様、失礼します」
「おお、ペルム君。待っていたよ」
重厚な木製の扉を体で押しのけるようにして入室すると、若干しわがれた声の司教様が手招きで僕を迎え入れた。部屋にはいかにも高そうなソファがテーブルを挟む形で配置され、その上にティーカップが二つ湯気を立てている。
一礼してから司祭様と向かい合うようにしてソファに座ると、紅茶の良い匂いがふわりと鼻腔をくすぐった。
「シュテルネーブルですか。いい香りです」
「ほほう! ペルム君は紅茶に詳しいようだねえ。私の大好きな銘柄だよ」
「ほんの趣味ですよ。司祭様はいい舌を持っておられますね」
こんな高価な銘柄を、気軽に淹れることのできる立場を妬ましく思う気持ちをぐっと抑え込んで、僕は紅茶に口を付けた。うん、紅茶に罪はないな。淹れ方も良く、素晴らしい味だ。
司祭様も一口紅茶を飲んで口を湿らすと、早速本題に切り込んだ。老眼鏡が湯気で若干曇っている。
「君を呼んだのは、異動を伝えるためでな」
「異動、ですか」
僕は内心ギクリとしていた。昇進に繋がるような手柄をあげた心当たりはなく、年齢的にも——僕は今年で十六歳になる——まだ地位が上がるはずがない。となれば、地方への左遷という可能性に思い至るのは当然だろう。
だけど、そんな僕の内心を知ってか知らずが、司教様が続けた言葉は意外なものだった。
「そう。君には勇者の付き人になってもらいたい」
「ゆ、勇者!?」
「おや、知っているかい?」
「知らないわけが無いでしょう!」
司教様はいたずらが成功したような笑顔で、こちらを見ていた。まったく、僕みたいなのをからかって何が楽しいのか。この爺さんは底意地が悪い。そんな怒りを、僕は紅茶と共に流し込んだ。
「……勇者の付き人とは」
勇者。
最近増加傾向が著しい魔物に対して、王国がとった最後の一手である。なんでも古代の魔方陣を再現して、異世界から素質ある人間を召喚したのだとかいうので、ここ数日の王都は彼の話題で持ちきりだった。噂によれば、これから王国を旅しながら各地で魔物の討伐を行なうらしい。
「うむ。見当は付いているだろう? 君には勇者の討伐遠征に付き添ってもらいたいのだよ」
「やはり……。ですが、質問してもよろしいでしょうか?」
「何だね?」
「何故、僕なのでしょうか? 僕以上に腕の立つ者は何人もおりますが」
言いながら、僕は無意識のうちに拳を握り締めていた。聖職者として、治療魔法を始めとした修行にずっと打ち込んではいるが、上級の聖職者たちには到底及ばないままだ。
「そう単純な事でも無いのだよ。勇者という存在は色々と影響が強すぎてね」
「はあ」
「多くの陣営が彼に取り入ろうとして、付き人候補を挙げた結果、収拾が付かなくなったんだ。だから、いくつかのルールが設けられた。まず、女は駄目——色仕掛けでもって勇者に取り入りかねないからね。次に、あまり実力者でも駄目——勇者の信頼を一つの陣営が獲得しかねない。最後に、あまり目立たない容姿であること——勇者の引き立て役に徹してもらうためにね」
「なるほど」
「これらの条件にぴったりなのが君だったんだよ。君は女に間違えそうになるくらい華奢な容姿だし、とりたてて優れた実力を持っているわけでも無いからね」
はっはっはっと笑う司教様を見ながら、僕は握りしめた手の平に爪が食い込んでいくのが分かった。感じるのは、痛みではなく途方もない怒り。弱くて力のない、そんな自分への怒りだ。
「……確かに、ぴったりですね。付き人の件、謹んでお受けいたします」
「真面目な君ならそう言ってくれると思ったよ」
機嫌良さげな司教様の声を背に、僕は足早に部屋を辞した。炎のような内心を表に出さずに済んだのは、今回と同じような無力さを突き付けられる経験を何度も味わってきたからである。なんとか僕は、あの高そうな
部屋から離れたところで、教会特有の白い大理石でできた柱を力いっぱい殴りつける。だけど、僕の青白くて小さな手が赤く腫れだけだった。じんじんとした痛みが気に入らない。なめらかな大理石に反射した自分の眠たげな瞳も、やっぱり気に入らない。何もかもが気に入らない。
「くそぅ……」
勇者の付き人というチャンスと、根深いコンプレックスとが、僕の中で渦を巻いていた。
●△●
翌日の昼過ぎ。僕は早速、勇者がいるという王城を訪れていた。流石は大陸一の国家というべきか、白亜の城壁が高くそびえる景色は圧巻の一言だ。僕の務める教会の荘厳さとはまた違った、猛々しい美しさがある。
事情を説明して通された先は、やたら豪勢な扉の前だった。案内してくれたメイドさん曰く、本来は他国の王族などを宿泊させるための部屋なのだそう。勇者に対する国王の期待が伺い知れる。僕は軽く深呼吸をしてから、なるべく威厳ある声を意識しながら扉を叩いた。
「勇者、ミナヅキ・イツキ様。いらっしゃいますでしょうか」
「はい、どうぞ」
中から返事があったのを確認して、僕は入室した。日の光を一杯に取り込んだ部屋の中央で、青年が立ち上がってこちらを見ていた。
「お初にお目にかかります。この度ミナヅキ様の付き人を拝命いたしました、聖職者のペルム・トニアンと申します」
「初めまして。えっと、勇者……の
勇者は想像以上に若かった。見たところ、僕より少し上と言ったところだろうか。それに、体も思ったより細身である。一言でまとめるならば、爽やかな好青年といったところか。それに加えて、いかにもお人好しそうな雰囲気があった。街中で聞こえてきた話だと、ゴリゴリマッチョな野性味のあるおじさんだったのだが……やはり噂は当てにならないな。
そんな内心を隠しつつ、僕は彼に握手を求めた。彼もぎこちなく握り返す。もしかしたら、彼のいた世界では握手は一般的ではないのかもしれない。
「どうぞ、座って下さい」
「ありがとうございます。それと、ミナヅキ様は僕に敬語を使う必要はございませんよ」
「えっ、いや、そういうわけには」
「これは体面の問題です。これから国を救う勇者様が、付き人ごときに敬語を使うのを見た民衆はどう思うでしょうか? 権威付けというのは重要なことでございますから、どうか」
「わかりま……わかったよ」
「ご理解いただき、ありがとうございます」
勇者というのは中々物分かりが良い。大きな力を持った連中というのは人間性に難があることが多いが(これは僕の経験上、明らかな事実だ!)、ミナヅキ様は珍しいタイプである。僕の中で、少しだけ勇者の株が上がった。
「それにしても……ペルムさんのその髪」
「僕の髪がどうなさいました?」
「たいしたことじゃないんだけど、髪の色が黒の人ってこっちに来て初めて見たから。この国は明るい髪色の人ばかりでなんだか心細かったから、黒髪の人がいてなんかほっとしたんだ」
「ああ。確かにこの国では僕みたいな黒髪は珍しいでしょう。金色が一般的でしょうね」
「ペルムさんはこの国の出身ではないの?」
「いえ。祖先が黒髪だったそうで、それが偶々僕に現れただけです。両親は金髪ですし、僕もこの国から出たことすらありませんね」
「そうなんだ」
「ただ、東方には黒髪の民族がいると聞きます。旅の途中で会うこともあるかもしれませんね」
「そっか。それは楽しみだなあ」
嬉しそうな勇者の顔に、僕は少し驚いていた。勇者はどちらかと言えば、寡黙で塞ぎこみがちな人物だと聞いていたからだ。これは街のうわさではなく、側付きメイドさんの話だから間違いないだろう。どうやら勇者は僕の黒髪を見て、異郷の地で知り合いに会ったかのように錯覚しているらしかった。
だけど、これはチャンスだ。これをきっかけに上手く勇者に取り入れば、これ以上ない後ろ盾を得たことになる。無事に旅を終えたあかつきには、司教への道だって開けるだろう。いや、それどころか枢機卿にだって……!
背中にゾクゾクした予感が走る。自分の髪を褒めてやりたい気分だ。
「ミナヅキ様の故郷のお話、もっと伺いたいですね。とても興味深いです」
「そう? でも俺はただの高校生だったし、大したことは話せないけど」
「コウコウセイ?」
「あっ、えーっとね……」
案の定、僕が少し故郷の話題を振っただけで勇者はよく食いついてきた。彼の話は留まることを知らず、気づいた頃には部屋に差し込む光はオレンジ色に変わっていた。今日は顔合わせだけの予定だったのだが。
「それで、自販機っていうのがあってさ。俺はよく部活帰りにアクエリ——」
「あの、ミナヅキ様。そろそろお
「あっ、ごめん!」
「気になさる必要はございません。今日は楽しいお話をありがとうございました」
そう言って、にっこりと微笑みかける。完璧だ。これでもう勇者は僕のことを仲間として認識したことだろう。あとは、旅を通してじっくりと仲を深めていけばいい。ついに、僕が「力」を手にする時がきたのだ!
緩みそうになる頬を引き締めながら、そそくさと退出しようとした時だった。
「ありがとう、ペルムさん。今日は話を聞いてもらえて楽しかったよ。女性と話すのは苦手だったはずなんだけど」
「は?」
突然のことで、思わず素が出てしまった。あわてて咳払いをして取り繕う。
「オッホン! ……ミナヅキ様。僕は男です」
「えっ」
よほど衝撃的だったのか、勇者は目を丸くして固まってしまった。僕は怒りを顔に出さないように、あくまで冷静に話す。少し早口になってしまったが、そのくらいは仕方ない。
「髪を伸ばしているのは、聖職者の慣例ゆえです。この瞳と軟弱な体格は……お恥ずかしながら生まれつきです。ペルム、というのはこの国では男にも女にもある名前でございます。——僕は、男です」
「ごめんなさいペルムさん!」
「お気になさらずに」
……このくらい、我慢だ。
読んでいただき、ありがとうございました。
続きます。