ちょっとした引っ掛かりは合ったものの、僕と勇者は意気揚々と旅に出た。出た、のだが……。
「いやー今日も何とかなって良かった」
「……そうですね」
勇者の腕についた傷(ほんのかすり傷だ)を治療しながら、思うことは一つ。
——なんだこいつ、強すぎないか?
ドラゴンやらサイクロプスやら、熟練の冒険者が複数のパーティーを組んで、やっと一体討伐できるかどうかという魔物たち。それらが剣の一振りで両断されていく様は、ちょっと現実感に欠ける。なんだこいつ。
今日だって、ゴブリン数百匹の群れを相手にして、勇者が負ったのはかすり傷一つだ。この旅を始めて既に数ヶ月が経っているが、その間の僕の仕事量といったら、王都で売っている傷薬一瓶にも満たないと思われる。僕は焦っていた。
「ありがとう、もう大丈夫だよ」
「それは良かったです」
「暗くなってきたし、そろそろ宿に行こうか」
「はい」
ほんの数分で僕の治療は終わり、二人で今日の宿に向けて歩き出す。街に入ると、あちらこちらから勇者に黄色い声援が送られてくる。もちろん、勇者の方だけに。おかしい。こんなはずじゃなかったのだが……。
王都を出てからというもの、僕は完全に「付属品」に成り下がっていた。たぶん道行く人の視界にも入っていないのではなかろうか、そんなことを思う程度には影が薄い。当初の予定では、「勇者を支える付き人」あるいは「勇者の信頼厚い聖職者」といったような地位を得るつもりだったのだが、これでは支えているというよりくっついているだけである。河原の石に張り付くスライムと、これじゃ変わらない。
勇者の方も、口では「感謝している」なんて言っているけど本心であるはずがない。戦闘は全て勇者任せで、最後に少し治療をしているだけの存在なんてどうでもいいと思っていることだろう。
噛みしめた奥歯がギリリと音を立てた。
「……」
「ペルムさん? どうかした?」
「いえ、なんでもございません。さあ、こちらが今晩のお部屋の鍵になります」
勇者が泊まるのは、ただでさえ高い宿の最高級の部屋だ。この勇者に必要かはわからないが、警備も十分である。
「では、僕はこれで。また明日、よろしくお願いします」
「どうせ広すぎる部屋なんだから、一緒に寝ればいいのに」
「いえいえ。勇者様と同じ部屋など恐れ多い。それでは」
哀れな寄生虫にほどこしでも与えているつもりなのか!? それとも、自分の優しさをアピールでもしたいのか!?
勇者がこういった声掛けをしてくる度、僕の中で黒くてドロドロとしたものが溜まっていく。ふざけるな! いつか自分の力で、その部屋に泊まってやるさ!
自分の部屋(同じ宿だが、一般客用だ)に戻った僕は、何度も何度もベッドを殴りつける。以前壁を殴ったら、隣の部屋から苦情が来たからこその、ベッドだ。一心不乱に殴れば殴るほど、僕の中のドロドロは減るどころか勢いを増している気がした。
正直、辛かった。限界が近かった。毎日毎日あの勇者の隔絶した「力」を見せつけられる。自分がどれほどに無力なのか、嫌でも実感させられる。王都を出る際に抱いていた希望はすっかり萎んでいた。もう一週間これが続いたら、狂ってしまうだろう。そう、僕は確信していた。
だけど、いまさら王都に戻ることもできない。教会の上層部からお叱りを受けるのは別にいい。どうせ僕のことなど、最初から期待していないだろうし。それよりも、問題は僕自身がそれを許せないことだった。だって、王都に帰るってことは、自分から勇者の役に立たなかった無能だと認めるようなものじゃないか。そんなことをすれば、心の中のドロドロはきっと僕を殺すに違いなかった。
「くそっ! くそっ!」
ぼふぼふとベッドを殴る。高級な宿だけあって、無駄に柔らかい。途端に、八つ当たりをしている自分が空しくなってくる。
「はあ……」
ふと顔を上げると、窓枠の向こうに綺麗な
「ちょっと頭を冷やそうかな……」
月明りに導かれて、僕は宿の外へ出た。地方の街だけあって、王都より格段に明かりは少ないけれど、今日ばかりは問題ない。二つの月が照らす街道は、その澄んだ光ではっきりと照らされていた。
昼と言うには暗すぎるけど、夜と言うには明るすぎる。そんな不思議な時間は人々を誘い出すらしく、街道にはそれなりの賑わいがあり、多くの露店が繁盛しているようだった。普段なら人込みはあまり好んで近寄らないのだけれど、今夜は特別だ。僕は少しだけ上向いた気分で、露店を冷やかしていた。
「うわぁ、綺麗」
そんな中で僕が足を止めたのは、アクセサリーの露店だった。きらびやかで精巧な作りの髪飾りやブレスレットが、明るい夜のなかで星のように輝いていた。
僕が見とれていると、店主の老婆が声を掛けてくる。
「おっ、かわいいお嬢ちゃんだね。どうだい? 安くしとくよ」
「……そうですね」
反射的に力の入ってしまった拳を、ゆっくりと開いた。こんな気持ちのいい夜を、怒りに費やすのはもったいないだろう。
「うーん。どれも綺麗だけど……あっ」
僕が見つけたのは、夜空を閉じ込めたようなバレッタだった。濃い青色を基調として、銀細工が星屑のようにちりばめられている。誰が見ても高価だと分かるほどの豪華さと、凛とした気品を併せ持った品だ。
「お目が高いね! ちょっとばかし値は張るけど、ウチで一番の品さ」
「すごい……いくらです?」
「お嬢ちゃんの可愛さにおまけして……5万カリアでどうだい?」
——買える。手持ちのほぼ全額ではあるけれど、なんとかなる。
そう反射的に考えたところで、僕ははっとした。今、何を買おうとした? バレッタは女性が付ける髪飾りであって、男の僕には不要な品だろう? 使う当てのない髪飾りに5万カリアなんて馬鹿げている。
でも綺麗だし、僕の髪の長さなら十分……って、いやいや! 何を考えているんだ僕は! 「力」を手に入れるんだろう? 強く、男らしくなるんだろう? 僕!
買わない! バレッタなんて絶対に不要だ!!
●△●
「買っちゃった……しかもその場で髪を結って付けてもらって、簡単な化粧まで……」
賑やかな街道を、僕はトボトボと歩いていた。あの店主の老婆は結構強引で、髪飾りを買ったら途端に奥に連れ込まれ、呆気にとられている間に薄い化粧まで施されてしまった。
化粧が終わった頃にやっと我に返った僕だったが、さっさと髪飾りを外して化粧も落とそう……とはならなかった。いや、できなかったというのが正しい。店主が差し出してきた鏡に映った「僕」を見てしまったから。
「何をやってるんだ僕は……」
鏡の中の「僕」は、しばらく固まってしまうほどに可愛かった。確かに何度も見てきた僕なのだけど、それは僕を超えた「僕」だった。化粧と髪飾りで人はこうも変わるのか……店主のドヤ顔が思い出される。
さらに僕はその瞬間、自分の中の何かに決定的なヒビが入ったのを感じていた。パキッという音すら聞こえた気もする。僕は無性にそれが怖くて、早く普段の僕に戻らなければと思った。だけど、その一方でもったいないと主張する僕もいる。結果として、僕はまるで夢遊病患者のようにふらふらとあてもなく彷徨っているのだった。
「あれ、ここは?」
そうして僕がたどり着いたのは、街の中央にある集会所のような場所だった。今は多くの人が露店で買った商品を見せ合ったり、食べ物を分け合ったり、恋人と語り合ったりしている。僕はその隅っこの石畳の上に腰を下ろした。
「はぁ」
空を見上げると、良く分からないため息が出てきた。ひんやりとした石畳が、思考まで冷ましてくれる。
うん。やっぱりこのバレッタは廃棄……はもったいないから荷物の奥深くに封印しよう。化粧も宿に戻って落とそう。だって僕は男なんだから。「力」を手に入れるために忙しい僕に、女性の真似事をしている余裕は無いはずだ。さっきは、慣れない経験に戸惑っていただけ。
冷静になれば、何が正しいのかなんて言うまでも無い。
そう決意を固めて立ち上がろうとした時、ふと周囲がさっきよりも小声でざわついているのに気がついた。
「おい、あれ見ろよ……」
「可愛いわねー」
「おいお前、声かけて来いよ」
「そんな野暮なマネできるわけねーだろ。ありゃ、どっかのお嬢様だぜ。きっと」
ひそひそと、僕を遠目で見ながら何かを話しているようだった。なんだか居心地が悪くなって逃げようとした僕の耳に、ひと際大きな会話が聞こえた。
「あの眠たげな瞳と、夜空みたいなバレッタって……」
「まるで、『月光の眠り姫』みたいだね!」
月光の眠り姫というのは、王国で最も有名な絵本の一つだ。眠気のために月にあるお城から足を踏み外してしまい、地上に落っこちてしまった、おっちょこちょいで可愛らしいお姫様のお話。そういえば、あのお姫様はなぜか黒髪と決まっていた。元が東方のお話だからだろうか。
そう思った途端、僕は顔に熱が集まるのを感じた。また小さく、自分の中でパキッと音がしたような気もする。
——早くここから逃げなきゃ。
そんな焦燥感に駆られて、僕は走り出した。慣れない街の中を、無我夢中で走っていく。後ろから残念そうな声が上がったが気にしない。気が付けば僕は、宿の裏手にたどり着いていた。幸いにして、人通りはない場所だ。
「疲れた……早く部屋に戻ろう」
そう思って、切れた息を何とか整えていた時。後ろから、とても聞き覚えのある男の声がかけられた。
「あのっ、どうかしましたか?」
ぎちり、と石化の魔法をかけられたかのように全身が硬直した。顔が変にこわばる。肺に鉛を流し込まれたのかと錯覚するほど、息がつまった。
けど、このまま無視するのはあまりにも不自然だろう。僕は欠片のような気力をかき集め、絞首台に上る死刑囚のような気持ちで振り返った。
「ミ、ミナヅキ様」
僕の絶望を溶かし込んだ声は、さぞかしひどい響きだろう。今にも倒れてしまいそうな心持ちで、僕はその青年——勇者、ミナヅキ様を見据えた。
——ああ……終わった……。
ただでさえ、勇者の中では「いてもいなくても変わらない、役立たずの無能」だっただろう評価が、これで一気に「女装して夜の街を徘徊する変態」にまで落ち込んでしまった。しかもタチの悪いことに、その評価には一切異議をはさむ余地がない。純然たる事実だ。
それでも何か一つでも言い訳を絞り出そうとするも、カラカラに乾いた喉はかすれた呼吸音を発するだけ。そんな無様な僕に対して、勇者が続けた言葉は意外なものだった。
「あれっ? 俺の名前知ってるんですか? ていうかお嬢さん、本当に大丈夫ですか? なんか汗がすごいですよ」
——ん?
僕の思考は一瞬真っ白になったものの、すぐに動き出す。それは窮地に陥ったが故の、常ならぬ思考速度だった。ほどなくして、僕は現状を正しく認識することに成功する。
——ミナヅキ様は、僕をペルム・トニアンだと気付いていない!
「……あの?」
「ああ、失礼しました! 大丈夫です、少し息が切れただけで」
「それは良かったです……あの、初対面の方にこんなことを言うのは変かもしれませんけど、すごくお綺麗ですね」
その言葉を聞いた瞬間、僕の中にあった底の見えない絶望が消え去った。代わりにせり上がってくるのは、安堵と——快感。
ずっと勇者が妬ましかった。あの途方もない「力」が憎くてしょうがなかった。だけどどうだ! その勇者が僕のことを女と勘違いして、あまつさえ「綺麗ですね」だと!? こんなに愉快で滑稽なことは無い!
僕の中にあった黒いドロドロが、蜂蜜のように甘美な液体になって僕の脳を犯した。後から思い返してみれば、それは優越感という猛毒であった。勇者を騙している、という事実が僕に倒錯した快感をもたらしていた。
その時すでに、僕は歯止めの利かない状態に陥っていた。女性らしく高い声で、女性らしい口調で。僕は自分の口を止められなかった。
「こんなところで、あの有名な勇者様にお会いできるなんて感激です! それにしても、初対面の女性に『綺麗だ』なんて、勇者様はずいぶん軟派なお方でしたのね?」
「そ、そんなことは! ただ、あなたがあまりに——」
「分かっております。情熱的なお方なのですね?」
「ま、まいったな……」
——楽しい、楽しい、楽しい!!
勇者を
「ですが、やっぱり少し意外でしたわ。勇者様は女性に興味がないものと思っておりました」
これは間違いなく本心である。これまで勇者にお誘い(いろいろな意味で)をかけた女性は何十人といたが、そのたびに勇者は申し訳なさそうに断るのが常であった。
「それは……なんて言えばいいのか分からないんですけど、現実感がなくて」
「現実感、ですか?」
「その、俺、この世界にどうしても慣れなくて。見たことのない建物とか、向こうの世界には無かった技術とか、初めは楽しかったんですけど……段々、この世界は俺の居場所じゃないって気がしはじめちゃったんです。一旦それに気づいたらもう、女性に言い寄られても遠いどこかの出来事のようで。だって、本当の俺はただの——」
「ただの?」
「……いえ。すいません、忘れてください」
勇者はそういって、顔を伏せた。本当は打ち明けてしまいたい、という気持ちがありありと見て取れる。
「それでは、なぜ私には声をかけてくださったのです? 私も『この世界』の住人ですが」
「……あの、髪が」
「髪ですか?」
「俺の故郷では、あなたみたいに黒髪の人ばかりなんです。だから、あなたの綺麗な髪を見たら懐かしくなってつい……」
「そうですか!」
——えらいぞ、僕の髪!
僕は上機嫌のまま、その場でくるりと回った。僕の長い黒髪が月の光に照らされて、ふわりと舞う。勇者が息を呑んだのが分かった。
「私は修行中の聖職者で、いろいろな街を回っている最中です。もしかしたら、また別の街でお会いできるかもしれませんね。では」
「あっ、あの! お名前を!」
去ろうとした僕の背中に、勇者の必死そうな声がかかる。僕は笑い出しそうな気持ちをこらえながら、一言だけ告げた。
「修行中の身なので、名乗る名はありません。そうですね……『月光の眠り姫』とでも呼んでください」
ついに暴走
続きます。