「こんにちは、先生」
「君は……教育実習生、かな?」
「ご明察、ですね」
片目を隠した男は、愉快に本を眺める男に近付く。
「どうですか? 不良生徒の
「君はここに学びに来たのだろう? 見ていくといい」
「では、お言葉に甘えて」
机に本を広げたまま退くと、片目の男はその本を拾い上げた。
「リフィール・エンドという奴と、滑り込みで
「へえ」
「リフィールは、頭の切れる奴だが、感情的になりすぎていけない」
「そうっぽいですね」
「対する美海は、頭が切れなければ、感情で動く。馬鹿だ」
ふんふん、と頷きながら読み進めている。
歴史の歩き方。
そう記された本の表紙には、セーラー服で茶髪の少女と、青髪の少女の絵が描かれている。
「それで、この子たちはどうなるんです?」
「間違った歴史行きだ。筋は悪くなかったが、能力に乗っ取られたのか、我を出したのが仇になったな」
「間違った歴史に辿り着くように書き換える、の間違いでは?」
途端に、冷静を保っていたかのような、どこか学者のような顔を崩し、口で弧を描く。
狂気的なまでに伸びたその口と、しかし一切として瞑らない目。
そのアンバランスさは、この世のものではない。
怪異と呼ぶに相応しい。
「分かるかね?」
「単位を取得する意思の見られない生徒なんて、いるだけ邪魔ですもんね」
「全くだ。だから、楽しく消費してやっているのだ。本館の奴らの代わりにな」
ひっひっひ、という引き笑いは、人の笑い声というよりは、変わった動物の鳴き声の様だ。
「歴史は勝者の書くものだという。それはつまり、勝者の書くものが歴史であり、勝者のみが歴史を書く権利を持つ、ということだ」
「生徒が頑張って描いた物語を、その一番いいところで破壊し尽くす」
「そうだ。本当なら、見つかることもなければ、自分と対等、いや、それ以上に強い相手と戦うことすらなかったリフィールは、セドリックに敗北して捕らえられる。上手くいっていれば、彼女は初めてこの単位の取得者となったのだが」
「そんなものは生まれない。なぜなら、先生が歴史を変えるから」
下卑た笑い声が響く。
それが一通り終わると、はあ、という溜め息と共に落ち着いた表情を見せる。
「しかし、リフィールは惜しい人材だった。本館に行けば、文学くらいなら倒せる実力を持っていたであろうに」
「ああ、その件ですけど。文学は、倒されましたよ」
「……本当かね?」
その顔から笑みが消える。
まるで、信じられないといった表情で、その片目を見つめる。
「ええ、黒木達也くんが倒したようで。
「我ら怪異も倒される……。しかも、あの文学が」
そう言うと、また椅子へと座る。
手が少し震えているのは、一目見ただけで分かる。
「この学園は、怪異の思う通りに動かせて、歯向かってくる生徒を蹂躙できる……」
「まあ、そうはなっていますけど、必ずしもそうなるってわけではなさそうですね」
言われた時に、先程まで余裕そうに笑っていた顔を、一冊の本に向けていた。
自らの懐から出した一冊の本。
「先生、それは」
「実習生の君にだけ教えるが、私はこれで自らの未来を無限に決められるのだよ。この別館の設定や、ここに来たのだって、全てはここに記したからだ。そして、私はここに死なないことを」
「記述したいんですか、先生?」
突然現れた、トーンの高い声。
明らかに実習生のものではなかった。
声の方を向くと、そこにいたのは、ネイビーブルーのカーディガンと、その隙間から覗く白いセーラー、赤いスカーフ。
薄い茶髪を持った少女。
「リフィール・エンド……?」
「はい。先生が愛してやまない、リフィール・エンドですよ」
よく見ると、その後ろには開いたドアがある。
まるで絵のように綺麗な海が、覗いて見える。
その光景に驚くあまり、文字を書くことができていない学者面の男に近付くと、その両腕を切り落とした。
右手には、銃剣の付いたライフルがある。
「怪異、というんでしたっけ? 案外、大したことないんですね」
「う、ぅあ」
「どうしましたか?」
「うぐぅああぁあああ!!」
獣の咆哮。それも、手負いの情けないもの。
その、まるで黒板を引っ搔いたような不快な音に、しかしリフィールは怯まない。
ただ黙って、その泣き叫ぶ様を眺めている。
歴史の怪異の狙いは、儚くも散った。
怯んでいる間に腕を生やし、自らの力の根源を懐へと仕舞う、という狙いは。
リフィールは本を開き、ペンを持つ。
「黙る」
「うぁ…………」
そう、本に書くと、怪異は叫べなくなった。
「床にひれ伏す」
生えてきた腕は、それを抗うためではなく、惨めさを補助するための道具へとなり下がった。
心では否定しているのに、怪異は抵抗すらできず、情けなくも頭を床に付けた。
それを見下すリフィールの顔は、愉快なものを見る時のそれであった。
「私を散々弄んだ存在が、今やこのざま。はあ、惨めですね」
吐き捨てるように言うと、その頭の上に足を乗っける。
サッカーボールを抑えつける選手のように。
この一連の流れを見ていたのは、実習生と呼ばれた男。
目の前で行われていることに、未だに順応できていないといった感じだ。
「あれ? あなたからも、怪異の臭いが」
「まあ、怪異だからね」
「確か、さっき“実習生”とかなんとかって呼ばれていたような……」
「うん、そうだよ。僕は学生でありながら、怪異でもある」
「ふーん。で、そんな実習生さんは、この情けない怪異からなにを習いに来たのかな?」
お互いに笑みを浮かべている。
まるで、氷で固定されたように笑うその顔は、その心に潜む裏を隠す仮面のようである。
「この学園における怪異というのは、先生でありながら、この世の不条理や理不尽といったものを象徴している。元より生徒と先生の関係は対等ではなく、先生が有利に働くように作られている。無茶なクリア条件に、生徒は立ち向かっていく。そして、敗れる」
「確かに、子どもは大人の知恵に勝てない」
「君たちも、途中まではそうだったはず。そして、本来はもうあの世に行っていたはずだよ」
「歴史は君たちが作るものだ、なんて言いながら、それが不都合なものだったら改変し、なかったことにする。子どもを敗者にし、大人は勝者となる。そんな勝者が歴史を決め、敗者は黙って嗤われる。確かに、不条理そのものだね」
リフィールは、この足下で惨めを晒す怪異の頭を強く、何度も踏みつけながら答える。
「ならば、黙って従えばいい。従って、従って、従って。とにかく、大人のレールに乗ればいい」
「でも、そのレールに乗っていたのだとしたら、君たちは崖に落ちていなきゃおかしくない?」
「従っているその裏で、新しいレールを作るんだよ。一から十まで逆らうことはせず、かと言って従うこともせず。五まで進んだところで決められたレールから離れる。大人の『耐える』というルールに従い、耐えた後に切り離す」
その笑顔は、とても似合っていた。
まるで、悪の女王のような笑みで踏みつけられた怪異の顔は、酷く血を流し、見るに堪えないものとなっているが、しかしそんなのもすぐに治る。
永遠に血を流す滝である。
「馬鹿な子どもは、逆らうことに拘った。それしか知らなかったからね。汚い手を使う大人に、清潔な手で挑む。でも、そんな覚悟で大人の世界を変えられるのかな? 汚い手にならなきゃ築けなかった世界を壊して、清潔な手で新しく築き上げるなんて、不可能なんじゃないかな?」
「…………」
「じゃあ、どうすればいいか。答えは簡単で、手を汚くすればいい。自分がこの歴史のゴミ箱に入らないため、嘘を吐く。大切な人を見捨てて、仲間を見殺しにして、そして仲間を殺した。でも、大人ならやることだよね? トカゲの尻尾を切って、自分が少しでも有利な立場に立てるように嘘を吐く。信じてくれていた忠臣にすら、手をかける」
実習生は、自らの額に汗が走っていることに気付く。
暑くもないのに垂れてくるその汗は、なにを起爆剤に出てきたのか。
興味、興奮、恐怖。
そんなこと、考えたくもなかった。
今ので二人目となる
しかし、勝つための術を持っているため、正義となって名前を刻む。
これが、これこそが不条理。
「あはっ、ははは、はははははっ!」
「…………」
「君は面白い! でも、だからこそ、君は
「
笑顔で睨み合うが、その空間もすぐに消える。
実習生は、その片目でリフィールにウインクをすると、一冊の本を持って立ち去った。
翼を生やして窓から飛び出ていったように見えたが、今のリフィールからしたら、そんなのはどうでもよかったのか、すぐに足下へと視線を落とした。
実習生の持ち出した本は、「リフィール・エンドの歴史」。
『大切な人を見捨てて、仲間を見殺しにして、そして仲間を殺した』
さっきの、リフィールの言葉を思い出し、どこでそんなことをしていたのか、どこが怪異への勝利という分岐点へと繋がったのか。
それを考えるために、ページを捲った。
一方のリフィールは、怪異に発言権を与えていた。
髪をグシャア、と乱暴に掴み、その頭を無理やり上げ、覗き込む。
「どうして、自分の思い描いた通りの結末を辿らなかったのか……。気になりませんか?」
その後、フフッと笑うと、怪異を馬鹿にしきった顔で話し始める。
「教えてあげますよ。私のトリックを」