「ブラックトルネード!!」
触れるもの皆切り裂く漆黒の竜巻が、群がるエオスモンの群れを一蹴する。
バラバラになったエオスモンの破片はそのまま粒子へと分解されていく。ただし、1体や2体やられたところで、次なるエオスモンは後ろに控えていた。
巨大な翅を羽搏かせ、エオスモンは山道を行く者たちに狙いを定める。
「こ、こっちに来る!?」
「走って!」
すでに息も絶え絶えとなっていたタヨリであったが、テイルモンに手を引かれて走らされる羽目に遭う。
彼女たちを守る殿を務めるウィザーモンは、得意技の雷撃でエオスモンを迎撃する───が、
「くっ! やはり利かないか!」
「あたしたちは登る方に専念した方がいい!」
「悔しいが、そのようだなっ!」
エオスモンの振り下ろす巨腕を跳んで避けるウィザーモンとテイルモン。
直後、降ってきた小さな光弾の雨がエオスモンの体に降り注いだ。高級プログラミング言語によって発動する雷魔法ではビクともしなかった身体は、羽虫のようにあっけなくバラバラに壊されていく。
「そういう訳だ! 頼まれてくれ、ブラックウォーグレイモン!」
「言われなくともそのつもりだ。さっさと行け」
「恩に着る!」
また1体、2体と迫りくるエオスモンへ、ブラックウォーグレイモンは掌に生み出した小型のガイアフォースを投げつける。
一発一発の威力は低い牽制用の技も、完全体以下のデジモンにとっては十分驚異的だ。
「さあ、かかってこい! オレが相手してやる!」
ブラックウォーグレイモンは気炎を吐きながら、やってくるエオスモンの注意を一身に引き付ける。
そんな彼の戦いぶりは、まさしく鬼神と言って差し支えないものであった。ここまで登ってくる間に、すでに10はくだらない数を撃破している。
負ける気配など、微塵も感じられはしない。
だが、誰よりも先へと進もうという気概に溢れた足取りをしたタヨリは、時折空を舞う竜戦士の方に目を遣っていた。
「ブラックウォーグレイモン……」
現状を分析するならば、一秒でも止まっている訳ではない。それはここ最近運動不足で体力が落ち、今にも崩れ落ちそうであることを踏まえてもだ。
(前に……前に進まなきゃ!)
震える膝を殴りつけ、また一歩前へと踏み出す。
(進まなきゃいけないのに……)
気づけばまた、後ろを振り返ってしまっている。
「……大丈夫、だよね……?」
圧倒的な存在感を周囲に知らしめているにも関わらず、ふとした瞬間に消えて居なくなりそうだ。
その荒々しい戦いぶりは、タヨリの目には危うく見えた。
まるで死に場所を求めているような───いや、少し違う。一度死んだとでも言わんばかりの吹っ切れ方に見えた。
無論、実際にそのような存在を見た経験はない。あるはずがない。けれども、この窮状において誰よりも苦境の最前線に立とうとする姿は、そう言い表す他なかったのだ。
「タヨリ! 彼の心配をするなら、とにもかくにも前に進むしかない!」
「う……、うん!」
「でもこのままじゃじり貧よ! 数で磨り潰されるわ!」
今はまだブラックウォーグレイモンの余裕があるから無事で居られている。テイルモンはそう主張した。
だが、目的地に近づこうとすればするほど、エオスモンの攻撃の手は烈しくなる。加えてこちら側の進む速度も一層落ちていくのだから、最終的に囲まれて袋叩きにされるのは目に見えていた。
「危ない橋を渡るかもだけど、ブラックウォーグレイモンに乗せて飛んでもらうべきよ!」
「それこそ命を捨てているようなものだ! 僕たちを乗せては彼も全力を出せない! 万が一振り落とされた時のことも考えると……」
「それは……そうかもしれないけれど!」
この危機的状況に来てからウィザーモンとテイルモンの意見がぶつかり合う。
最初から分の悪い賭けであることは分かっていた。だが、それを踏まえた上でも状況が悪過ぎる。
「飛ぶのは最終手段だ! それも撤退に限定する!」
「ウィザーモン!? じゃあ、頂上には……!」
「誰一人欠けることなく生き残るのが最優先事項だ!」
犠牲を出すつもりなど毛頭ない。
そう謳いながら歩を進めるウィザーモンだが、彼の足取りも当初に比べて随分と重くなっていた。
登頂を目指して走り出し、一体どれくらいの時間が経っただろうか?
10分? 20分? ともすると、まだ30分も経っていないかもしれない。体感的には1時間を超しているような疲れ具合だが、道程は序盤も序盤だった。
「向こうの戦力が有限であることを願うばかりだが……!」
「……あれ? 何の音?」
「え?」
何かに気がついたタヨリが辺りを見渡し始める。
爆音と雷鳴が轟く戦場に似つかわしくない駆動音。それがどうにも麓の方から鳴り響いてくる。
「な、何が近づいて来てるの……!?」
「用心するんだ、新手かもしれない!」
「でもこれって、車の───」
「「ぎゃひぃぃぃいいい!!?」」
「きゃーっ!?」
急勾配の山道を駆け上ってきた物体は、余りのスピードに一瞬宙に飛び出し、そのまま制御を失い岩壁へと叩きつけられた。交通教材でも目にすることのないような大クラッシュだ。
それを間近で見ていたタヨリが狼狽していれば、横転した物体───もとい、バギーからのそのそと何者かが這い出てくる。
「イデデデ、ヒデー目に遭った……」
「こんのスカポンタン! あんな荒い運転するからこうなるんだよ!」
「だってよぉ、アルケニモ~ン!」
「おだまり!」
涙目のミイラ男を、怒り心頭の蜘蛛女が殴りつける。
緊迫したムードをぶち壊した乱入者に、誰もが唖然としていた。
しかし、不意に我に返ったタヨリが思い出した。
「あぁ~!! あ、あああ、アナタたち⁉」
「ん? んぅ~……あー、お前!」
「あの時のガキ! こんなところまで来てたんだねェ!」
デジタルワールドに来て、初めて出会ったデジモンの2体。
マミーモンとアルケニモンの2体は、以前辛酸を舐めさせられたタヨリを見るや、下卑た笑みを湛えながら詰め寄ってくる。
「おいおいおい、あの時はよくもやってくれたなぁ~!」
「ひっ!」
「この借りは倍……いや、10倍にして返さなきゃ気が済まないねェ!」
「ひぃい!?」
穏やかなではない雰囲気を撒き散らす2体に、タヨリはすでに涙目だ。あっという間にウィザーモンの背中に逃げ隠れる。
しかし、状況が状況だ。
早急に事態を収束させようとウィザーモンが口火を切った。
「済まないが僕たちは先を急いでいるんだ。つまらない用なら後に回してほしいんだが……」
「つまらないィ!? おい、アルケニモぉン! おれたちの用事がつまらないってよぉ!?」
「ひどい言い草だねェ~。これから世界を救おうってアタシたちの用事がつまらないだなんて!」
「ん? ということは、君たちも僕たちと同じ……」
「「あったりまえよぉ!!」」
調子のいい声色で2体が頷く。
これだけ聞けば加勢が来たように聞こえる───が、直後に向けられるマミーモンの銃口が、穏便な空気を許さない。
「さぁ~て。おれたちの輝かしい英雄譚の為によぉ、ちゃっちゃと世界を元に戻す方法を教えてもらおうか!」
「だから、それを今から探りに行こうと……いや、待ってくれ。そもそも目的が一緒なら敵対する必要はないはずだな……」
「ブツブツ喋るんじゃねえ! 聞き取れねえだろうが!」
今にも発砲しそうな勢いではあるが、恫喝する2人組の様子はどこか余裕がない。
というのも、
「つまり、あたしたちを追って手柄を横取りしようって魂胆だった訳ね」
「「ギクッ!!」」
「で、結界の中に入ったはいいけれど閉じ込められて出られなくなったと」
「「ギクギクッ!!」」
テイルモンに図星を突かれ、2体の笑みは瞬く間に崩れ去っていった。
「そ、そうだよぉ! オメーらに付いてきゃあ、最終的に美味しい思いができると思ったんだよ!」
「それがどうだい!? あの蝶みたいなバケモンに追い回されてこの様さ!」
「必死になって逃げ回ったはいいけどよぉ、ここに来たのが運の尽きだった」
「結界ン中に逃げ込んだ途端、閉じ込められるなんて……」
「「はぁ……ツイてない」」
ガクリと肩を落とすアルケニモンとマミーモン。
そんな彼らの話に耳を傾けていたタヨリが、『ん?』と声を上げた。
「アナタたちが入ってきた途端、結界が閉じたの?」
「ん? あ~……多分な」
「タイミング的にはドンピシャだったねェ。乗り遅れるかと思ったよォ」
「な、な、な……っ」
呑気に語る2体を前に、タヨリがわなわなと震え始めた。
そんな少女の異変に惚けた様子の2体は何事かと首を傾げた瞬間、目にも止まらぬ速さで少女が詰め寄った。
逃げる間もなく肩を掴まれる2体。
直後、彼らは凍り付いた。何故ならば、眼前には自分たちの逃亡を許さぬと言わんばかりの───そうだ、憤怒の形相が迫っていたからである。
「じゃあ結界が閉じられたのって、アンタたちの所為かァーッ!!!」
「「ヒィイイイ!!?」」
「どうしてくれるの!!? 何事も無ければこんな目に遭わずに済んだかもしれないのにィーッ!!!」
「「ヒィイイイ!!?」」
「責任取ってよォーッ!!!」
凄まじい怒号が空に響き渡る。
それを間近で聞いていた2体はと言えば、気弱そうな少女の凄絶な豹変に恐れ慄き、互いに肩を抱き合って涙目を浮かべていた。
しかし、いくら彼らを怒鳴りつけたところで状況が好転するはずもない。むしろ無駄な体力を消耗しただけとも言える。誰も得はしていなかった。
と、思った時だ。
「タヨリ! そんなことよりも」
「そんなことじゃないもん!」
「彼らの乗ってきた乗り物。もしかして使えるんじゃないか?」
横転したバギーをウィザーモンが指差している。
事故の影響で若干車体に傷がついているものの、致命的な破損は見当たらない。立て直しさえすればすぐにでも動きそうだ。
「……そうだ! それ使おうよ!」
「はっ? いや、そいつはおれたちの……」
「目的地が一緒なんだから別にいいでしょ! 文句ある!?」
「ない! ないないない! ないからそんなに怒るなよぉ~!」
抗議しようとしたマミーモンも、タヨリの威圧感に負けて即座に諦めた。
「……こわァ……」
その光景の真横。
傍らで見守っていたアルケニモンは、二度と少女に逆らわないことを密かに誓うのだった。
***
「……あいつらは一体何をしてるんだ?」
また1体エオスモンを撃墜したブラックウォーグレイモンであったが、眼下で繰り広げられる光景に怪訝な声を上げた。
「よし、この布陣で行こう!」
その時、ちょうど準備が終わる。
立て直されたバギーには、適当な場所に適材の人員を配置していた。
「なんでアタシが……」
アルケニモンは座席の後部。背後から襲い掛かるエオスモンを糸で拘束する担当である。
「よぉし……こうなったらヤケだ! バンバン撃ち落としてやるぜぇ!」
「あんまり進行方向には撃ち落とさないでくれよ?」
マミーモンとウィザーモンは、前方から来る敵担当だ。メインは完全体のマミーモンで、補助でウィザーモンが攻撃と防御を行う。
「これなら徒歩よりずっと早く頂上に着けるわ!」
テイルモンは助手席でナビゲートをする。
彼女の隣───運転席では、タヨリが緊張した面持ちでハンドルを握っていた。汗ばんだ指でハンドルが滑らないようにガッチリと握る彼女は、長く深い呼吸で心を落ち着けようとする。
そして、
「ちょっと待って」
「どうした、タヨリ? なにか問題か?」
「大ありだよ!!」
タヨリがバァーンとハンドルを叩く。
すると、プァーッとクラクションが鳴り響いた。何とも気の抜ける音だ。
「なんで私が運転手なの!? おかしくない!?」
「折角人手が増えたんだ。攻撃に加われる面子を遊ばせておく道理はないだろう?」
「それはわかるけど……そうだ! テイルモンが居るじゃん⁉」
「あたしじゃペダルに足が届かないのよ」
「にゃんこォーーーッ!!」
タヨリの慟哭(?)はクラクションと共に空の彼方まで響き渡った。
「運転したことなんてないのにぃ……」
異世界で無免許運転する羽目になるとは誰が想像しただろう。
当然、タヨリ自身運転の経験はない。マミーモンからざっくりとした説明は受けたが、それらも『アクセル踏めば進む。ハンドル回せば曲がれる』等といった、教習所に行ったことのない人間でも知っているような知識だけ。
「あ、安全運転。安全運転……!」
「ちょっと! 後ろから来たよッ! さっさと発進しな!」
「急かさないで!」
アルケニモンに催促されたタヨリは、一呼吸置いた。
正真正銘、人生で初めての運転。それも教習所などではなく、自分や他人の命が掛かった断崖絶壁で。
緊張するな、という方が無理な話だった。
それでもやるしかない。やるより他に生き残る道はない。
タヨリの思考は諦めではなく決意の方へと傾いていった。
乱れた呼吸を整えた後は、しっかりと前を向いた。座席の高さはどうしようもなかったが、登り坂なのが功を奏して前を窺うことはできた。
あとはどれだけ正確な運転ができるかに掛かっている。戦闘の余波が届いてくるのは確定的だとして、どうすれば目指す先を見据えられるか。
「ふぅ……」
汗ばんだ手は、自然と首にぶら下がったゴーグルを掴んでいた。
恐る恐る目元へ手繰り寄せる。レンズ越しに鮮明になった景色の先には、今は亡き母親との思い出が蘇ってきた。
『───もう、タヨリ。なんだってそんなに泣いてるの?』
『だって! 今日の体育の授業、ちゃんとボールが見えてたら負けてなかったもん! それなのに、最近視力落ちてきたし……』
『そう? じゃあ、今度メガネ屋さんに行こっか』
『え~、メガネ~? なんかヤダ……。動いたら落っこちそう。それになんかカッコ悪い』
『そんなことないって! そうだ、それなら落ちなくてカッコイイの買ったげる!』
『え、ホント!?』
『ホントホント! まあ、ちょっとお高くつくかもしれないけど……そこはお母さんとタヨリのヒ・ミ・ツ♪ その代わり今度の試合での武勇伝、期待してるからね!』
『うん! がんばるよ!』
震える。手が、どうしようもなく震えた。
このゴーグルを付けてしまえば、見たくないものまで見えてしまう。
目を逸らしたかった現実や思い出したくない辛い過去、その両方が同時に襲い掛かりそうだと思った。
(でも、それじゃダメなんだよね)
青天井の空を見上げれば、今も尚黒い竜人が自分たちの為に奮闘している。いや、ともすれば元から自分たちなどは眼中になく、己の為だけに戦っているのかもしれない。
だが、その後ろ姿にタヨリは
前日の夜、ブラックウォーグレイモンがあそこまで りつけた理由が……今なら分かるような気がした。
きっと彼は重ねていたのだ───目の前で蹲る少女に、己の過去を。
境遇が似通っているとか、そういう話ではない。
生きることに苦悩し、何もかもを諦めて逃げようとする姿が、彼にとって認めがたい生き様だったのだろう。
彼は言っていた、『記憶がない』と。
ならば何故記憶がないにも関わらず、そこまで強く言い切ったか?
その理由は、きっと強く心に刻まれた過去があったのだろう……タヨリにはそう感じられた。
けっして捨ててはならぬ過去にの中に。
思い出すだけで憤怒に駆られる無様に。
振り返った先に大切なものを見出しているからこそ───彼は求めているのだ。掛け替えのない記憶を。
「……うん、がんばるよ」
他の誰でもない、自分に向けた言葉。
それからタヨリは手を放す。伸びきったゴム製のストラップは、解放されるや風を切る音を響かせ、レンズ部分を少女の目元に叩きつけた。
パチン、と小気味いい音が響いた。同時に目が覚めるような痛みも広がる。それは目に、頭に、そして胸の奥へと及んでいった。
そして、鼓動が高鳴った。
前を見据える。
曇りはなく、
視界は限りなく澄み渡っていた。
「よしっ!」
意気は十分に、ペダルを踏み込んだ。
……だが、考えてみよう。運転経験のない彼女がペダルの踏み具合など知るはずもない。最初は緩やかに、それから徐々に踏み込んでいって速度が上がるという常識も知らなかった。
───つまり、どうなるか。
ギャルルル! とタイヤのゴムが摩擦する音を奏でた直後、車体は飛び出すように急発進した。
「あああああ!!?」
「バァカ、飛ばし過ぎた!! ハンドル左に切れぇ!!」
「ひ、左ぃ!!?」
「じゃなきゃブレーキ踏めぇ!!」
「間に合わないっ……!?」
「ああ、ったく!?」
崖へ真っ逆さまの進路を取るバギーに、マミーモンが反対側の切り立った崖へ包帯を伸ばす。上手い具合に結晶の突起に絡まった包帯は、危うく紐なしバンジーを強行するところだった車体を寸前で引き留める。
結果、ドリフトの要領で大回りしながらもバギーは曲がった。
九死に一生を得た全員がホッと胸を撫で下ろす。
怒号が鳴り響いたのは、その直後だった。
「危ねえだろうが!! こんな山道で急発進するやつがあるか!!」
「運転するの初めてって言ったじゃん!! 仕方ないもん!!」
「あぁ、クソ……!! こんな状況じゃなけりゃおれ様の愛車を赤の他人に運転なんかさせねぇってのに……!!」
「文句を言う前にアドバイスを言って!! それより前からも来てるよ!!」
度重なる命の危機に変な脳内物質が生成されているのか、タヨリは物怖じせずに言い返す。
そんな彼女が警告した通り、前方の岩陰からはエオスモンが顔を覗かせた。
このままでは進路を妨害されるコースだ。ただでさえ運転に不安のある者にハンドルを任せる中、下手な妨害などされてみろ。今度こそ自分たちは崖下へ真っ逆さまだ。
「わぁったよ!! こうなったらヤケだぁ!! オベリスクが火を噴くぜぇ!!」
「あんまり連射しないで!! 眩しい!!」
「んなもん我慢しろぉ!! お前こそ死にたくなけりゃあ目ぇかっぽじって前見とけ!!」
轟く銃声と瞬くマズルフラッシュに抗議されるも、構わずマミーモンは愛用の銃でエオスモンを狙撃する。乱射される銃弾のいくつかがパネル状の翅を貫けば、エオスモンの体が僅かにぐらつく。
その一瞬の隙を見逃さずに伸ばされた包帯は、まるで蛇のように宙を突き進み、巨大な片翅を巻き取った。
「そぉら!!」
後は力尽くで引っ張ってみせる。
すれば、バランスを崩したエオスモンが山肌に叩きつけられて墜落するではないか。瞬く間に1体撃退したマミーモンは拳を握りガッツポーズをとる。
「どんなもんだぁ!!」
「すごい! その調子でお願い!」
「へへっ、任せとけぇ!!」
「いいぞ、この調子なら頂上まであっという間だ!」
ウィザーモンが口にした通り、以降何度か危ない場面に出会いながらも、一行を乗せたバギーは良いペースを保ち山道を駆け登っていく。
「フンッ、あれなら多少はマシか……」
その光景を見ていたブラックウォーグレイモンは、エオスモンを蹴散らしながら、バギーに追随する。
ネックであった移動時間も、あれだけの速度で登ればそう掛からなくて済むだろう。
(だが、ここからが本番だな)
進行速度が速まるということは、順次差し向けられる増援との出くわす間隔が短くなることの裏返しだ。
つまり、これからの戦闘はより一層激化する。
確信めいた予感を胸に覚えながら、空より来襲するエオスモン目掛けてブラックウォーグレイモンは飛翔する。
放たれる蒼い電光を片腕のドラモンキラーが一閃。空を裂く鋭い斬撃に、触角より放たれた電撃が霧散すれば、がら空きの胴へもう片方の爪が振るわれる。
黒と青は宙で交差し、そのまま距離を離していく。
エオスモンの上下が分かたれたのは、数秒遅れての出来事だった。ドラモン系のデジモンに驚異的な威力を発揮する武器・ドラモンキラーであるが、例え相手がドラモン系でなくとも十分過ぎる切れ味を誇っている。超金属・クロンデジゾイド製は伊達ではない。
(この手応え……妙だ)
しかし、10体以上ものエオスモンを倒したブラックウォーグレイモンは───いや、だからこそだろう──違和感のようなものを覚えていた。
記憶こそないが、体が覚えているものはある。その内の一つ、“感覚”はエオスモンを切り裂く手応えを経験したことのないものと訴えている。
これが意味するところは、少なくとも記憶を失う以前にエオスモンと交戦した経験がないことの他に、もう一つ……。
(
デジモンの世界にはデジモンの世界に広く知られる技術や知識がある。
彼が身に纏う鎧の素材“クロンデジゾイド”も、強力なデジモンの多くが自身の装備や肉体に組み込むような金属だ。
だが、エオスモンには今までに刃を交えたどの敵とも違う感触を覚えた。
未知の素材だとすれば、単に己の知識不足か。はたまた記憶を失ってから生み出された新素材か。どちらにも該当しないのであれば、それこそ別世界で生み出された素材とも考えられる。
デジタルワールドに密接した世界と言えば、それこそ───。
(……いや、勘繰り過ぎか)
───だとすれば、誰が?
───一体何の為に作ったか?
結局はここに尽きてくる。
決定的な証拠や思惑が見えてこない限り、考え得る可能性は憶測の域を出ない。
そして、それらを一度に確かめられる可能性があるとすれば、今目指している場所をおいてほかにない。
「お前たちの創造主は誰だ。……一度ぐらい顔を拝んでみたいものだなッ!」
迫りくる雷撃を前方に構えた盾で防ぎ、そのまま突進する。
至近距離まで肉迫すれば、盾を中心線から二分割。開いた視界の目の前に浮かぶエオスモン目掛け、鋭い爪での刺突を繰り出した。
だが、一つだけはっきりとしていることがあった。
(何故オレは苛立っている?)
1つ、また1つと命を摘んでいく度に、胸の奥で何かが熱を帯びていく。
おかしな話だとブラックウォーグレイモンは自嘲した。
自分には記憶がない。
故に、この苛立ちの理由には皆目見当がつかない。
理由のない怒りに燃え上がる等、馬鹿な話でしかない。
それでも、自分が怒るにたり得る理由が、この胸の奥のざわめきに眠っている確信だけはあった。
(お前たちは何の為に生み出された……!?)
倒す。
倒す。
そして、倒す。
表情を変えずに襲い掛かってくる相手を、ひたすらに倒していく作業が続く。
それが30分ほど経った頃だった。
山道を登り続け、もうそろそろ山に掛かった雲の中へ突入するという標高まで辿り着こうとしている。
一方ウィザーモンは地上から山を見上げた時を思い出していた。層積雲に辿り着くまでの時間から、頂上に到着するだいたいの時間は計算できる。
「よし、もうすぐ頂上だ! 不思議なデータの流れを感じる……やはり、あそこには何かがある!」
「本当!? それならもうちょっとスピード上げて……」
「いや、今から雲に入るんだ。視界が悪くなるから、若干落とした方がいい」
雲の中が濃霧のように先が見通せない以上、猛スピードで駆け抜ける行為は自殺に等しい。
言われるがまま、タヨリは若干速度を落とす。
視界が澄み渡っていたこれまでと違い、先行きが見通せない中での運転は恐怖を煽られるものがあった。自然と運転もどこかおっかなびっくりだ。
仄暗い中を突き進んでいる間、一同の間には沈黙が流れる。
まるで嵐の前の静けさだ。けれども、すぐに雲の切れ間から光が差し込んできた。
暗順応の瞳には眩く、反射的に目を細めたタヨリではあったが、結果的に晴れやかな心境を露わにするような笑顔が顔に浮かんだ。
「なんだか明るくなってきたよ!」
「層が薄くなってきたな。そろそろ雲の上に出られるはずだ」
「やった! ってことは、あとちょっとで頂、じょ……」
逸る気持ちのままにアクセルを踏み、雲を抜けたその先を目指す。
灰色の視界が白んでいき、やがて全てが白一色に染まり切った───その直後、目の前には夥しい
「なっ……!?」
いち早く異変に声を上げたのはウィザーモンだ。
雲の上には、それこそ空が広がっているはずであった。
───だが、この地獄絵図はどうだ?
エオスモン。
そこに居たのは、これまで相手してきた個体とまったく同じ姿かたちをしたデジモンだった。
だが、唯一違っていた……否、けた違いだったのはその数。
100を優に超えるであろうエオスモンの大群は、青天井の空を埋め尽くすように浮かんでいた。生物系のテレビ番組で流れるような虫の犇めきを髣髴とさせる光景だが、いざ実物を見れば、その衝撃は凄まじいものであった。
言葉を失った一同の沈黙が場を支配する。
だからこそ、次の行動へと移ろうとしたエオスモンの身動ぎがはっきりと聞こえた。ギチギチと関節が動く駆動音。それが空の下で幾重にも重なり、言葉には言い表せない悍ましい音色を奏でた。
そして、どこを見ているかも分からないバイザー越しの瞳が、
一斉に、こちらを標的と見定めた。
「トばすんだッッ!!!」
ウィザーモンの大声量に間髪入れず、排気筒が黒煙を上げる。
グンッ、と体に圧し掛かる圧力など見向きもせず、タヨリはアクセルを全開にした。安全運転などとうに思考の外側だ。
最早、何をすればいいかも分からない。錯乱しかけた思考は、ただただこの場から離れろと大音量で警鐘を鳴らし続けていた。
そうこうしていれば、一度に襲い掛かってくるエオスモンの1体が眼前まで迫ってきていた。
「ウィザーモン!! どうすればいい!!?」
「とにかく駆け抜けるんだ!! 止まったら囲まれてやられる!!」
「駆け抜けろったって、こんなんじゃ囲まれるも何も……きゃあああ!!?」
轟! と風の唸る音を響かせ、エオスモンの巨腕がフロントガラスを粉々に砕き割る。
幸いにも直接誰かが殴り飛ばされたりはしなかったが、車体に走った衝撃と目の前で飛散したガラスは、運転手を動揺させるには十分過ぎた。
「お、おぉい!? 車揺らすな!! 照準狂うだろ!!」
「そんなこと言われたってェー!!?」
「まずい、また来るぞ!!」
「───ガイア、フォース!!!」
『!!』
2体目のエオスモンが進路を遮った瞬間、真紅の光弾が蜘蛛を突き破るように打ち上がってきた。
後からバギーを抜くや、それはエオスモンの胴体へと着弾する。
そのまま空へと打ちあがったエオスモンは、2、3体ほど味方を巻き込んでから、炸裂する光弾によって跡形もなく消え去った。
刹那、黒い竜巻が厚い雲を切り裂いて現れ、近い場所に佇んでいたエオスモンを数体バラバラに引き裂いた。
この絶体絶命の窮状。
助けに入ったのは無論、あの漆黒の竜戦士しかいない。
「ブ、ブラックウォーグレイモン!!?」
「前だけ見ていろッ!! こいつらはオレが相手する!!」
「で、でも……!!」
「この数だ、お前たちの命の保証はできん!! 死にたくなければ、一刻も早く頂上に急ぐんだ!!」
切羽詰まったブラックウォーグレイモンの声色に、タヨリはグッと唇を噛んだ。
そうだ、ここで自分が食い下がったところでできることなど何一つない。これは卑下などではなく、客観的に自分を評した場合の現実だ。
ただ任せることしかできない無力感に苛まれる。が、すぐさま切り替えて自分の為すべきことを再確認した。
───無事に頂上まで辿り着く。
───いや、それよりも、
───死んでも……生き残る!
だからこそ、タヨリは問いかけた。
「ッ……死なないよね!!?」
「生憎、ここに死に場所は求めていない!!」
「危なくなったら逃げてよね!!」
「誰に言ってる!!」
「アナタに決まってるじゃん!!」
一瞬面食らうブラックウォーグレイモンだが、
「チッ……言われなくとも!!」
「絶対だよ!! 信じてるから!!」
「他人の身より、自分の身を心配するんだ……なっ!!」
特大のガイアフォースをエオスモンの群れに叩きつけた。
撃てば当たる、まさにそのような状況だ。そういう遊戯の中ならば喜ばしいものの、今に限っては絶望的なまでの戦力差の証明にしかならず、ブラックウォーグレイモンは歯噛みした。
たかが完全体、されど完全体。1対1なら覆ることのない力の差も、数に押されては絶対的ではなくなる。
それでも彼に負ける気はない。
……いや、少し違う
「負ける訳には……いかない!!」
標的をバギーのみならず、ブラックウォーグレイモンにも向け始めたエオスモンの攻撃が降り注ぐ。触角より放たれる雷撃の数はこれまでの比ではない。
いくら避けようとしたところで何発か喰らう以上、端から避けようと思うのが間違いだ。被弾を甘んじた上で、敵の包囲網に穴を開ける最良のルートを探る。
そして、
「そこだぁあああ!!」
空が震えるような雄たけびと共に放たれた特大のガイアフォースが、射線上に居たエオスモンを消し炭にした。
「今だ、行けッ!!」
余計な言葉を付け足している暇もない。
端的に。それでいて有無も言わさぬ語気で叫んだブラックウォーグレイモンに、覚束ない足取りだったバギーは一気に加速した。
「まともに相手しようなんて考えちゃダメだ!」
「わかってる……でも!」
ウィザーモンの言うことは間違っていない。
この場を切り抜けるにはとにかく駆け抜けるしかないが、如何せん敵の数が多過ぎた。常に4、5体のエオスモンがバギーに直接攻撃を仕掛けてくる。
どうにも乗員を狙っている動きだった。叩き落すように振り抜かれる巨腕は、一撃ごとに車体のどこかを掠め、削り、そして歪ませていく。
「これ以上は耐えられないよ!?」
「くっ……いざとなったら乗り捨てるしか!」
「バカ言うな! おれ様の愛車を置き去りにだなんて!」
「それよりも前!! 前に!!」
「「「!!」」」
焦った声をテイルモンが上げる。
彼女が指差す方向には、通せんぼと言わんばかりに腕と翅を広げるエオスモンの姿があった。このままでは正面衝突は免れない。
「粉クソぉ~!!」
これ以上愛車を傷つけられまいと、マミーモンは銃を乱射する。
銃口より放たれる弾丸は瞬く間にエオスモンの身体に銃創を刻んでいく。が、銃弾の衝撃だけではあの巨体を進路から退かすことは叶わない。
「ダメだ!! ぶつかる!!」
「ッ……チィ!! アルケニモォン!! 飛び降りるぞぉ!!」
「合点!!」
苦渋の色がありありと浮かぶマミーモンは、即座に両腕から伸ばした包帯を乗員全員に巻き付けた。
彼の意図を組んだアルケニモンはともかくとして、他の面々は突然の出来事に目を白黒させる。
「マミーモン!? 何を……」
「何をって……こうするんだよぉ!!」
「い゛っ!!? ───きゃあああ!!?」
次の瞬間、タヨリたちの体は進行方向とは真逆、それも斜め上へと放り投げられた。
気分はさながら逆バンジー。辛うじて紐(?)は繋がっていたが、慣性が死ぬ頃には包帯も解かれていた。
「落ちるぅ~~~!!?」
「そうならないようにアタシが居るんだよォ!!」
「ひぃ!!?」
上へと飛ぶエネルギーが重力に殺された瞬間、タヨリとウィザーモン、そしてテイルモンは、蜘蛛よろしく壁面に張り付いたアルケニモンの腕に抱えられる。
ガクンッ! と内臓が浮き上がり、あまつさえ搾り上げられるような圧迫感に、タヨリの喉からは『グェ!?』と女子にあるまじき悲鳴が漏れた。
一瞬意識が飛んだ。
しかし、直後に鳴り響いた轟音が彼女の意識を引き戻した。
「な、何ご……と……?」
「おらおらおらァ!! お前たちの相手はおれ様だよォ!!」
「あっ……マミーモン!?」
「おれ様の愛車……スフィンクス号をボロボロにしやがって!! ただじゃ済ませねえからなァ~!!」
半ば宙吊り状態のタヨリは、崖下───それもエオスモンと正面衝突し、横転したバギーの傍で孤軍奮闘するマミーモンの姿を見た。
「た、助けに行かなきゃ!!」
「バカおっしゃい! アレはあんなんで死ぬ玉じゃないよ!」
でも、と言いかけたところでタヨリは口を噤む。
今の光景を見れば、マミーモンが何もしなければあのまま道の真ん中で取り残されるのは明白であった。
───命に代えても、自分たちを進ませてくれた。
その事実に少女はキュッと締め付けられるような感覚を覚えた。
彼にどこまでの善意があったかは知る由もない。
だが、仮にほんのちょっぴり……それこそ欠片程の善意があったと思うだけでも、己の固めた決意が強まっていくのを感じた。
涙が出るのを押し殺し、やや震えた声でタヨリは問う。
「じゃあ、ここからはどうするの?!」
「馬鹿正直に道を通っちゃいられないさね! このまま最短距離で登ってくよ!」
螺旋状に続ていく山道ではなく、切り立った崖をアルケニモンは登っていく。
これならば空を直接行くのとさほど変わらないショートカットだ。みるみるうちに頂上は近づいてくる。
「だが、これでは狙い撃ちだ! 長くは持たない!」
小型の魔法盾を展開し、攻撃を防いだウィザーモンが叫んだ。
当初懸念していた通り、移動手段をエオスモンに対抗できる要員を用いる分、迎撃にあてがえる戦力は減ってしまう。
今も尚ブラックウォーグレイモンが奮闘してはいるが、マミーモンは離脱し、残った唯一の完全体であるアルケニモンは、両手をタヨリたちに使ってしまっている。
「何勘違いしてるんだい! 誰が最後まで届けてやるだなんて言った?」
「え?」
「アタシは最初っから……こうするつもりだったさァ!」
「うっ───そぉぉぉおおお!!?」
崖の中腹まで登るや、アルケニモンは自身の糸を接着させた3人を放り投げる。
まさかこのまま上へ? とも考えたが、圧倒的に距離が足らない。全然足りない。ただただ投げ捨てられただけだ。
「イヤァーーー、ぎゃっ!!?」
あとは重力に従って地上へ落ちる───かと思いきや、糸がピンと張り詰めた瞬間、3人は振り子の原理で弧を描き、最終的には斜め上へと放り出された。
上へ辿り着く為には、最低高さの半分ほどの糸があれば事足りる。
そんな算段の上で乱暴に送り届けられようとしていたが、ここで問題が一つ。
「これ……若干届かなくない!!?」
「あっ、しまった……」
───下から許し難い呟きが漏れた気がした。
「くっ、僕に掴まれ! ブリンク・ブリーズ!」
ここで機転を利かせたウィザーモンが風魔法を繰り出した。
即席で生み出された突風は3人を直近の山道まで押し飛ばす。しかし、着地をどうするかまでは頭が回っておらず、3人は固い結晶の上をゴロゴロと回る羽目になった。
「っ~~~……!!」
「立てるか、タヨリ!?」
「痛いけど……なんとか……!」
「ここからは自分の足で行くしかない! 走るぞ!」
ウィザーモンに肩を貸されながら立ち上がったタヨリは徐に上を仰いだ。
空を衝かんばかりの山も、気づけばあとちょっと。登り始めた頃を思い出せば、なんてことない距離───のはずだった。
(足が、重い……)
まるで鉛のように、足は思うように動かなかった。
(体が痛い……それに息が、苦しい……!)
ゼェゼェと息を切らすタヨリだが、ここは推定標高2000m。本来は然るべき経験を積み、徒歩という条件を付けくわえて登り切ることができるような場所だ。
空気は薄く、走るなんていう行為はもってのほか。今まで引き籠っていた少女では、走ることさえままならないだろう。
ただでさえ痛めつけられた体で登り切るなど───不可能に近い。
「ダメなら僕がおぶって行く!」
「っ……大丈夫。自分で……走るから!」
「そうか? なら、もうひと踏ん張りだ!」
「うん!」
───『今までの彼女なら』の話だが。
体を打った痛みを堪えつつ、タヨリはか細い足を大きく開き、できるだけ前へと伸ばした。それをテンポよく繰り返すことで、気を抜けば止まりかねない足を強引にでも先へと進ませる。
「はぁ……はぁ……!!」
「エオスモンが来る!! 伏せろ!!」
「きゃあっ!!」
だが、少し進んだところで空より迫ってきたエオスモンの妨害に遭う。侵入者を捕えようと開かれる掌が、傍を通り過ぎるだけで転倒しかねない猛烈な風を起こしたのだ。
案の定、煽られたタヨリはその場で踏ん張る間もなく倒れ込んだ。受け身を取るのもままならず、体は固い地面へと打ち付けられる。
「っ~……!! んぅう゛……ッ!!」
倒れていたのはほんの数秒。
腕で上体を起こし、壁に手を這わせながらなんとか立ち上がる。引きこもりが祟ったもやしのような足ではもう限界だ。
ならば腕があると、タヨリは結晶の壁の僅かな凹凸に指を食い込ませ、己の体を坂の上へと持ち上げるようにして進む。
(止まって……られない……)
目を向ければ、ウィザーモンとテイルモンはエオスモンの猛攻撃に必死に抗っていた。
成熟期の彼らでは、エオスモン1体を食い止めるにも相当な労力を要する。それを自分がモタモタしているだけの時間に費やす訳にはいかない。
(前に……進まなきゃ……)
視界が次第にぼやけていく中でも、全身を用いて前に進む。
脚はガクガクと震え、体中から汗が吹き出している。あまつさえ、知らず知らずのうちに大粒の涙が零れる始末だ。
それでも彼女は前に進んでいた。
脚が震えても関係ない。引き摺ってでも前に進む。
汗が流れても関係ない。むしろ涼しいと前に進む。
涙が零れても関係ない。逆に呑み干して前に進む。
「進むんだ……」
───そうだ。向こうに帰れたらあの子に謝ろう。
「進むんだ……!」
───学校にだって行って、ちゃんと勉強しよう。
「進むんだ……!!」
───今度は見てみぬふりなんか、絶対にしない。
「みっともなくたって……進むんだぁあぁぁああ……ッ!!!」
酸素の足りない頭がガンガンと痛むが、そんなものは関係なかった。自分でさえどこに残っていたかも分からない力を振り絞り、タヨリはラストスパートをかけていく。
そんな彼女の気合いに後押しされたように、ウィザーモンとテイルモンも連携でエオスモンを圧倒し始めた。
「サンダークラウド!!」
「ネコパンチ!!」
杖先から迸る雷撃がエオスモンのバイザーを切り裂き、追い打ちの拳で吹き飛ばされた巨体が崖から押し出された。
今だ、と。
誰が叫ぶでもなく、3人の体は前へと駆け出した。
この機を逃しては永遠に頂上に辿り着けないと、そう感じたからだ。肉体的にも、精神的にもこれが最後のチャンス。
それでも無情にもエオスモンは前に立ち塞がった。
この壁は今の3人にとっては高過ぎる。とても乗り越えられはしないが、
「───ォォォオオオオオ!!!」
空より舞い降りた黒い影が蹴り飛ばしたのは、直後の出来事。
次の瞬間、タヨリはフッと体が軽くなる感覚を覚えた。
「もう少しだぞ!! 踏ん張れ!!」
少女の背中を押すブラックウォーグレイモンは、満身創痍と言って差し支えない姿であった。重厚な輝きを放っていた鈍色の鎧は、今やどこもかしこもが煤けている。それどころか全身に罅が入り、元の防御性能を有しているかも怪しかった。
だが、己が身を厭わずに突き進む彼の後押しで、3人はグングンと山道を登っていく。
降りかかる攻撃には、ブラックウォーグレイモン自身が盾となっている状態だった。蒼い雷撃も重い殴打も、すべてを受け入れては3人に毛ほどの衝撃を通さない。
「見ろ!! 頂上だ!!」
「ゼェ……はぁ……あ、あれッ……は!?」
「この賭け……どうやらオレたちの勝ちのようだな」
死に体のタヨリが目にしたものは、得体のしれない空間の歪みだった。
どこへ続いているかも分からない未知への扉、と言ったところか。先は暗く、何も見えはしないが、中からエオスモンが出てくる気配はなかった。
「あそこに飛び込めば……行くぞ!!」
「ッ……うん!!」
悲鳴にも似た掠れた息遣いながらも、少女は強く頷いた。
今にも倒れ込みそうなところを足で踏ん張り、理性とは無関係に涙は垂れ流しにされている。振るう腕には力も込められておらず、へにゃへにゃと不安を煽る挙動を繰り返すばかり。
勇姿と呼ぶにはあまりにも無様でみっともない。
だが、それを傍らで眺めていた金色の双眸は───僅かに動いた。
「変わる……ものだな」
「はぁ、はぁ……ん、なんか言った!? ちょっと聞き取れなかっ……」
「その必要はない」
「え?」
ドンッ! と突き飛ばされる感覚が背中を襲った。
宙を浮く体に気づき、咄嗟に振り返る。そこには歪みへの入口を背に、エオスモンの大群に面と向かうブラックウォーグレイモンが居た。
「ブラッ……!?」
「殿は必要だろう、違うか?」
いくら後ろへ背中を伸ばしたところで、傷だらけの彼には届かない。
「先に行って確かめてこい。───オレが追い付くまでな」
刹那、爆発。
歪みの境界を越えた瞬間、向こう側で瞬いた真紅の閃光と共に爆風が流れ込み、突き飛ばされた3人をより奥へと押しやった。
距離は離れていく。
どんどん離れていく。
どれだけ手を伸ばしても届かない距離が、2人の間を隔ててしまう。
「ブラック……ウォーグレイモぉーーーンッッッ!!!」
身に降りかかる浮遊感が強まるにつれ、差し込む光は遠のいて消えた。
辺りは暗闇だった。何も見えない暗黒……という訳でもないらしい。薄暗くはあるが、互いの姿ははっきりと目視で確認できる。
まるで、黒一色を映し出した画面に包まれたかのような不思議な空間だった。
一直線に落下していた3人は、やがて結晶の島を目の当たりにする。無数に存在する小さな結晶の島の数々は、どうやら中央に鎮座する巨大な島を囲うように浮かんでいるようだった。
ウィザーモンの魔法で落下の勢いを殺した3人は、最も近かった島に着地する無事に着陸を果たす。
「……ここが、エオスモンの……」
「神秘的……だけど、それがむしろ不気味な場所ね」
「まったくだな。……タヨリ?」
所感を口にする2人の傍ら、黙りこくっていたタヨリにウィザーモンが目を向ける。
「大丈夫……とは言えないな。だが、彼なら───」
「ぐすっ……大丈夫!」
とっくにずれていたゴーグルを外したタヨリは、ゴシゴシと涙を拭いながら顔を上げる。
「絶対に追いついてくれるから! だから……それまでは前に進むもん!」
ふらついた足を引き摺り、タヨリは進む意志を露わにする。
ウィザーモンは杞憂だったかとテイルモンとアイコンタクトを取った。
それからは島を乗り継ぎながら、最も巨大な浮島を目指すことになった。しかし、
「……っ」
「あれが目に付くかい? 僕もだ」
「ウィザーモンも?」
視線を横に向ければ、信じられないものを目の当たりにする。
そこに居たのは───デジモンだった。
「あれはパタモン……あっちに居るのはテントモンか」
「見て、パルモンが居るわ。あそこのは……ゴマモンね」
無数の浮島の一つ一つに見慣れぬデジモンの名を2人が口にする。
「けれど、普通じゃないな」
ウィザーモンが断言する。
言われてからタヨリも違和感に気がついた。楽しそうな笑顔を浮かべて遊ぶデジモンだが、一切自分たちに気づいている素振りが見られない。
「こんなに近く通ってるのに……」
「ホログラムともまた違うな」
「なんか……
執拗なまでに認識されていない状況は、最早見えている世界が違うと捉えざるを得ない。
なんにせよ奇妙な話だ。
そして、嫌な疎外感を覚えた。
僅かに目を伏せたタヨリは、そのまま視線を中央の浮島へと向けた。
「あれって……
地に足をつけ、見上げることでようやく。
それは言うなれば葉がすべて落ちた大樹だ。
現実には存在しえぬスケールの巨大樹は堂々と、辺り一面にデジ文字が刻まれた石碑と共に鎮座していた。
「こ、これは……!」
震える声に振り返れば、ウィザーモンが結晶によって屈折された光を瞳に宿し、眼前の巨大樹を振り仰いでいた。
まるで崇めるように両腕を広げ、
そして───唱えた。
「情報樹───イグドラシル!!!!」
「イ、 イグ……なに?」
聞き慣れぬ単語に目を白黒させるタヨリとは裏腹に、ウィザーモンの瞳は興奮と期待に染まっていく。
「神の
「ね、ねぇ……そのイグなんとかってなんなの? メインサーバとか言われてもさっぱりなんだけど……」
「デジタルワールドを管理する、いわば
「あっ! ま、待ってよ!」
ぶつぶつと呟きながら突き進むウィザーモンを、タヨリは早歩きで追いかける。
しかし、それでも彼の方が巨大樹───もとい、イグドラシルに辿り着く方が早かった。後ろの2人が追い付くまでの間、彼は結晶化したイグドラシルのあちこちに触れる。
「ふむ……そうか……そうだったか!!! ここに……!!!」
「ひぃ、ひぃ……! ウィザーモン、ちょっと早いってばぁ……!」
「これさえあれば、世界は───」
止まった。
その時、ウィザーモンの言葉が。
止まった。
その時、タヨリの足が。
止まった。
その時、
「───がっ……!!?」
「…………………………え?」
「テイル、モン……どうし、て……!!?」
「っ……フンッ!!!」
「ぐああああ!!!?」
バキンッ、と音が響いた。
何か大切なものが砕けるような、
タヨリには、そう聞こえてしまった。
「ウィ……ウィザーモンッッッ!!!?」
絶叫は、ほとんど反射だった。
棒になった脚を気力だけで突き動かし、崩れ落ちるウィザーモンの下へ駆け寄ろうとする。
が、
「来ないでッッッ!!!」
「ッ……テイルモン……?」
「こっちに来たら……命の保証はしない……!!!」
背中を見せたまま振り返らないテイルモンは、底冷えするような声を響かせた。
(どうして?)
タヨリの頭には、その一言しか浮かばなかった。
───
───なのに、どうして。
───どうして、こんなにも。
───こんなにも、冷たく感じるのだろうか?
「どうして……ねえ、どうして!!?」
「ッ……!!!」
「どうして、どうしてウィザーモンを、こ、ころ……して……!!?」
「……」
「どうし、て……」
それ以上先は嗚咽に呑まれて口に出せなかった。
しかし、テイルモンは何も答えない。
答えてはくれなかったと知るや、タヨリは───一歩踏み出した。
「タヨリッッッ!!!」
「ダメだよ、テイルモン……早くウィザーモンのところに行かなきゃ……!」
「来ないでと言った!!! 命の保証をしないとも……!!!」
「だって、そのままじゃ死んじゃうよ!? ウィザーモン……テイルモンの大事な人じゃなかったの!?」
「ッ───!!!」
歯が砕けんばかりに食い縛られる音が鼓膜を震わせた。
その間にも、とっくの昔に崩れ落ちたウィザーモンの体は粒子となって消えかけていた。最早一刻の猶予もない。いや、それどころか手遅れである可能性の方が確実だ。
だからといって、この足を止める理由には足り得ない。
「私、見捨てたくない……! ウィザーモンの手当、する!」
「無駄よ!!!
「だからって、ウィザーモンを独りにはできないよ!!!」
ハッとテイルモンが顔を上げた時、タヨリはすでに駆け出していた。
最後の力を振り絞り彼女の横を通り過ぎ、瀕死のウィザーモンの下へ駆け寄る。
「ま、待って!!! タヨ───」
「テイ、ル、モ……」
「───!!!」
タヨリを追いかけようとした時、テイルモンの体はその場に縫い付けられた。
「どう、し、て……」
掠れた声は弱弱しく、しかし、鮮明に届けられた。
「どうして、ぼ、が……」
「……めて……」
「僕、が……」
「やめて……!」
「僕が……───
「離れて、タヨリィーーーッッッ!!!」
ようやく、声が届いた時には遅かった。
「……え?」
テイルモンの制止に振り返った瞬間、向かっていた方向が陰った気がした。
異変に気付き、元の方へ顔を戻す。
そこで彼女が目にしたものは───異物。
否、怪物であった。
「ッ、きゃあ!!?」
「タヨリ!!!」
「近づくなよ、テイルモン。さもなければこの子供の命はない」
「くっ……!?」
飛び出そうとするテイルモンを、ウィザーモンではない声が縫い留める。
その声の主はこの場の誰よりも高い背丈を有し、駆け寄ったタヨリを握りしめていた。ともすれば全身が握り潰されん───そう予感させるには十分すぎる握力で、満身創痍の少女の柔肌を締め上げる。
その姿は黒山羊に似ていた。
ただ、おどろおどろしい色合いの体毛や背中から生えた蝙蝠のような翼が、彼をただの黒山羊ではないと知らしめている。
例えるなら、そう……“悪魔”であった。
「フゥ……まさか背中から襲われるとは。油断も隙もない奴だ」
「そういうアンタはどうして生きてるの!!? 確かに電脳核は……!!」
「ああ、あれか。ク、クククッ……クハハハハッ、ハーッハッハッハ!!!」
「何がおかしい!!?」
「いや、ククッ、なんとも滑稽な話だと思ってな……!!!」
クツクツと喉を鳴らす黒山羊は、下に倒れたウィザーモンの体を見下しながら続ける。
「何もそう難しい話じゃあない……聞きたいか?」
「もったいぶるな!! 今更そんな話を聞いたところで……!!」
「なら教えてやろう。貴様が砕いたのは紛れもない、ウィザーモンの電脳核だ」
「………………え?」
理解できない。
そう言わんばかりのテイルモンの表情は、みるみるうちに歪む、歪む、歪む───。
怒りと悲しみと戸惑いが次々に移り変わっていた百面相は、いつしか絶望一色に染まり、終には地に堕ちた。
「う゛……ああああぁあぁぁああぁぁぁああぁあああああああ!!!!!!!!!!」
「───ククク、クヒ、ヒヒャ、ヒャハ、ハハハ、ハハハハハ!!!!!!!!!!」
慟哭の傍ら、狂笑が高らかに響き渡る。
「え、と……」
心の底から理解できない反応を前にした時、人はただ戸惑うことしかできなかった。
「なんで……」
「ム?」
「なんで……笑ってるの?」
「……ククッ、そうか。まあ、無理はない。自分の身を貶めてまで最愛の存在を手にかけたのに、それが無駄だと知って絶望する様は……少々刺激が強過ぎたかな?」
「ひっ……!!?」
人間とは違う横長の瞳孔が邪悪に歪んた瞬間、タヨリは強く怯えた。
───こいつだ。
本能的に理解する。
全ての元凶を。
エオスモンでも、ウィザーモンでも、テイルモンでもない。
この場に広がる凄惨な地獄───その原因となったのが、目の前で嗤っているこのデジモンだということを。
「アナタは一体誰……ウィザーモンじゃないなら、一体……!!?」
「そうか、まだ名を名乗っていなかったな。我の名はメフィスモン。……まあ、すぐにその名も必要なくなるがね」
「それってどういう……?」
「知る必要はないさ」
さて、と名乗り終わったメフィスモンは、テイルモンの方へと手を伸ばす。
そして、
「デスクラウド!」
「ぐわぁ!?」
突如として生み出された黒雲───ウィザーモンが生み出す雷雲とは違う───が、テイルモンの体を弾き飛ばした。
「テイルモン!?」
「フム……ホーリーリングの影響か、効き目が悪いな。腐っても聖獣型か。それで我の存在を悟ったのかもしれんが……ククッ、機を逸したな」
「ク、ソぉ……!!」
何とか立ち上がろうとするテイルモンであったが、その肉体はウィザーモンの肉体同様、ノイズが走っているかのようにブレている。見る限り、肉体を何かに侵食されているようだが、その正体を推し量ることはできない。
「貴様は最早始末したも同然……子供も不要だ」
「きゃあ!?」
雑に放り捨てられたタヨリは、そのまま固い地面へと体を打ち付けた。
激痛で一瞬視界が明滅する。
そのまま意識が途絶えそうになったタヨリであったが、苦しむテイルモンの姿を視界に入れるや、なんとか堪えてみせる。
「テイル、モン……!!」
「さあ……
藻掻くように地を這うタヨリの傍では、メフィスモンが聞き取れぬ呪文を唱える。
すると、結晶体であった
しかし、それも束の間の出来事。全体に侵食する黒いデジ文字が広がるにつれ、巨大な幹全体が枯れ果てるように崩れ始める。
「な、何が始まるの……!!?」
恐怖と焦燥に身を強張らせていると、崩れる巨大樹の枝が辺りに降り注ぎ始める。
このままでは危ない。必死にウィザーモンの下へ這い寄り、少しでも遠くへ避難させんと移動を始めた、
その瞬間だった。
突然周囲を照らしていた仄かな光が一斉に絶え、闇が訪れた。
正真正銘、一寸先も見えない暗黒だ。
イグドラシルが崩壊する轟音の中、何も見えない状況に取り残されたタヨリ。彼女の胸の中には、急速に不安と恐怖が押し寄せてくる。
「だ、だれか……誰か助けてぇーッ!!!」
気づいた時、夢中で助けを求めていた。
最早なりふり構ってなどいられなかった。目を背けている訳でも閉じている訳でもないのに、何一つ先が見えてこないという状況が、ここまで無我夢中に突き進んでいた少女に恐怖を思い出させていたからだ。
恐怖は闇を取り込み、肥大化していく。
自分1人ではどうしようもない感情に、心は既に張り裂けそうだった。
「だれ、か……」
「───!」
「! ……この声!?」
けたたましい地響きの中、不意に聞こえてくる声があった。
それは空より降ってくる、
「ブラックウォーグレイモン!!!」
「その声……!? どこだ!? どこに居る!」
「ここだよ!!! ここに居るよ!!!」
真面な光源もない中では、互いに発する声だけが頼り。
必死に呼び合うが、やはり崩壊の音の方が多い。声を張り上げた傍から掻き消されてしまう。
(そうだ!)
このまま会えないのではないかと不安に駆られた時、自身のポーチに入っていた所持品を思い出す。
大急ぎで中身を漁れば、それらしき形状が手に触れる。
「これなら……!」
「ッ、光……? そこか!」
チカチカと暗闇の中で瞬く光にブラックウォーグレイモンが気付いた。
瓦解寸前の鎧が剥がれるのも気にせず駆けつければ、スマートフォンのライトを点滅させるタヨリの泣き顔が目に入った。
自分を見るや、精一杯伸ばされる手を迷わず取る。
そのまま懐へ抱き寄せる必要もないほどに、タヨリは自分からブラックウォーグレイモンの胸へ飛び込んだ。
「ブラックウォーグレイモン!!!」
「無事か!?」
「私は……でも、ウィザーモンとテイルモンが!!!」
「なんだと?」
言われてから、タヨリに抱きかかえられるウィザーモンに気づいた。
その惨状に一瞬目を見開くが、すぐさま思考を切り替えて辺りを見渡す。
「テイルモンは⁉」
「暗くてわかんない……でも、近くに居るはずだよ!」
「それならライトで照らせ! 見つけ出す!」
「うん!」
言われるがままに周囲を隈なく照らし出せば、黄金のリングが光を反射し、すぐにテイルモンは見つかった。
「よし! テイルモンを回収次第、この場から離れるぞ!」
即断即行。
テイルモンを捕まえるや、加速するブラックウォーグレイモンは近くの浮島へと3人を下ろした。
しかし、状況は惨憺たる有様だ。
ウィザーモンは電脳核を砕かれ、テイルモンは腐食に侵され、どちらも虫の息。幾ばくもない命を前に目を伏せたブラックウォーグレイモンは、静かに2人を横たえたる。
「……何があった。説明できるか?」
「う、うん……でも、詳しくはわからないの。テイルモンはウィザーモンを貫いたら、中から怖いデジモンが出てきて……」
「デジモンが? ウィザーモンの中からか?」
「そいつに、今度はテイルモンが───きゃ!?」
「タヨリ⁉」
突如、襲い掛かった激震が足下を揺らす。
倒れかけたタヨリを支えたブラックウォーグレイモンは、唯一光が消えてなくなった中央の島へと目を向けた。
不穏な空気が漂う元凶は、間違いなくあそこに在る。
混沌の坩堝を睨みつけていれば───不意に目が合った。
「あれは……
渦巻いていた闇が、一点に凝縮した。
不定形だった得体の知れない物体は、時間が経つにつれて五角形を形成し、やがて独りでに組み上がる。
予定調和のように全てが組み合わされば、そこには不気味な正十二面体佇んでいた。
直後、いくつかの面から黄金に彩られた五角錐台が盛り上がり、二重螺旋状の触手が周囲の浮島に手を掛けた。
「クク、ハハハハ……ようやく……ようやくだ。我々はようやくデジタルワールドへ帰ってきた!!!」
「お前は何者だ⁉ エオスモンじゃないな!」
「───その通り」
最早上下左右も意味をなさなくなった暗黒の中ではあるが、正十二面体の上部の面が徐に開いた。
どちゃり、と無造作に肉を打ち付けるような音が響く。
それは生えてきた黒い腕が深淵に手を掛けた証拠。
次の瞬間、その腕は爪を立てながら己が身を持ち上げ───ようやくと言った頃、正体を現した。
「───我々の名はアポカリモン。進化の過程をその行く手を阻まれたデジモンの無念……怨恨……悲怒……その集大成なりィィィイイイ!!!」
アポカリモンと名乗った存在が腕を広げれば、周囲を猛烈な暴風と衝撃が襲った。
無数の浮島の壁は欠け、その度に笑顔を浮かべていたデジモンの姿は次々に掻き消される。
明るい笑顔や美しい情景、その在ったはずの温もりのすべてが───理不尽な暴虐に跡形もなく消去されていくようだった。
「そんなっ!? こんなのって……!」
「っ───タヨリ」
「……ブラックウォーグレイモン?」
アポカリモンの所業に言葉を失っていれば、神妙な声色のブラックウォーグレイモンが膝を折り、タヨリと目線を合わせた。
「いいか、お前はここから動くな」
「え? それって……」
「オレは……奴を討たねばならない!」
「ま、待って……!」
制止する間もなく飛び出した竜戦士は、一直線にアポカリモンの下へ向かう。
吹き付ける暴風を前にしても、瞳は見開いたままだ。しっかりと標的を見据え───正しく、特攻を仕掛けようとしていた。
「オオオオオッ!!!」
「感動的だな……そんなボロボロの体になってまで立ち向かうとは。その子供の為か? それともやられた仲間の為か?」
「黙れ!!! すべてはお前を倒してからだ……!!!」
「クククク……ハハハハ。無意味だ、そして無理な考えだ」
「ガイア……フォースッッッ!!!」
かつてないほど巨大な光球を生み出したブラックウォーグレイモンは、アポカリモンの本体と思しき人間体目掛けて投擲する。
1発でも完全体のエオスモンを数体破壊できる威力。
これが直撃すれば、いかに巨大な体を持つ敵でもダメージを負う───そう考えていたブラックウォーグレイモンの希望は、
「ならばこちらも……ガイアフォース!」
「なッ!!?」
真正面から───打ち砕かれた。
アポカリモンの触手の先が開けば、そこに収束していた真紅の光が弾丸の如く射出され、ブラックウォーグレイモンが繰り出した攻撃を相殺した。
まったく同じ技だった。
それを同規模で。
しかも己に比べて一瞬で、だ。
「バカな……どうしてお前がオレの技を!!?」
「アイデンティティを傷つけられたか? 悲しいな……貴様以外にもブラックウォーグレイモンなど、掃いて捨てるほどには生まれては死んでいったというのに」
「ッ……訳の分からないことをォー!!!」
技を模倣されるのならば、直接この手で仕留めるしかない。
ドラモンキラーを振りかぶるブラックウォーグレイモンは、悲鳴を上げる肉体に鞭を打ち、アポカリモンの懐へ吶喊する。
「───無様な」
それを見たアポカリモンは、
直後、行き場もなく漂っていた触手が一斉にブラックウォーグレイモンへと向かう。
単体でも巨大な触手だ。回避するのも一苦労で、ふとした時に掠った弾みにボロボロだったドラモンキラーが砕け、漆黒の腕から離れていった。
「オオオオオッ!!!」
だが、構わずブラックウォーグレイモンは突き進む。
武器はなくとも拳は健在。固く握られた拳は、彼の怒りをありありと表すかの如く、小刻みに震えていた。
「こいつをお前に叩き込まなければ……死んでも死に切れん!!!」
「フンッ」
最早、言葉すら交わすつもりもないらしい。
竜戦士の雄たけびを一笑に付したアポカリモンは、残る触手を迎撃に差し向ける。
無論、ブラックウォーグレイモンも捕まるつもりはない。体に負担を掛ける急停止や急旋回を掛けながら、360度から襲い掛かる触手を避け切ろうとした……したのだが、現実を振り切るまでにはいかなかった。
花弁の如く花開いた触手は、黒い竜戦士の肉体をすっぽりと包み込んだ。
「ッ、しまった!!?」
「力を得た者は、得られなかった者の気持ちを理解できない。貴様には力を得られなかった者たちの気持ちを理解できるようにしてやろう」
「なんだと!!?」
「───デスエボリューション!!!」
「ブラックウォーグレイモン!!?」
状況はタヨリからも見えていた。
ブラックウォーグレイモンが捕まった瞬間を見逃さなかった彼女は、何かをされたと思しき彼の身を案じた声を上げる。
すると突然、触手が大きくうねる。
それが振り被る動きだと気付いた瞬間、中に捕らえていた者が解放された。すさまじい速さで投げ捨てられた黒い物体は、タヨリの傍の結晶に叩きつけられる。
「だ、大丈夫!!?」
「ぐ……ぐぅ……!!」
「ブラック……───」
ウォーグレイモン? と、最後には目を疑っていた。
何故ならば、駆け寄った先に倒れるデジモンは、見知った竜人などではなく小さい恐竜……いや、爬虫類のような姿をしたトカゲだったのだから。
「そ、そんな……こんなことが……」
「テイルモン! 喋って大丈夫なの!?」
「アグモンに退化させられるなんて……! ヤツを倒せるかもしれない唯一の希望だったのに……!」
腐食に侵され、データに分解される寸前のテイルモンが拳を地面に叩きつけた。
滲み出す悔恨の色から、ブラックウォーグレイモンの身に何が起きたか、その事の重大さがなんとなしに伝わってくる。
退化、という概念に聞き覚えはないが、要するに弱くなったのだ。
この絶体絶命の状況の中、ただひとり究極の域に達していた存在が。
成長の余地を余す貧弱な生命へと、成り下がってしまったのである。
「そんな……」
「───子供よ」
「ひっ!?」
音もなく忍び寄っていたアポカリモンが、タヨリの前に現れる。
「我々を醜いと思うか?」
「な……何の話……?」
「この姿を醜いと思ったか、と訊いている」
脈絡のない質問に答えるべく、タヨリはアポカリモンの姿を今一度確認する。
デジタルワールドに来てから、それほど多くのデジモンを見てきた訳ではない。だが、それを踏まえても上半身と正十二面体を繋ぐ血管か、あるいはコードのような物体は不気味に思えた。
それが顔に出てしまったのか、アポカリモンは彼女が答えるより前に口を開く。
「そうか……醜いと思うか。そうだろう、お前たちはそう思うだろう。それも当然のこと……我々は貴様たちの
「負の……?」
「そうだ。貴様たち人間の世界で様々な種が生まれ、そして消えていったように、我々デジモンもまた進化の過程で多くの種が誕生し……そして多くが絶滅していった」
昔を懐かしむような瞳も一変し、途端に憎悪に歪んだ。
「そう、我々はデジモンの進化で消えていった過程で消えていった種の、その悲しい、恨めしい無念の思いの蓄積だ!」
「そ、そんなこと……言われても……!」
「知っているか? 貴様たちニンゲンが住まう
見ろ! とアポカリモンは両腕を広げ、暗黒に覆われる天井を仰ぐ。
「これが今のデジタルワールドだ! 不完全で醜い世界! これも、ネットワークに流入したニンゲンの負の感情が生み出したデジモンが、すべてのデータを喰い尽くしたからだ! 世界は無に帰し、残されたのは死に絶えたデジモンの負の念のみ……その時、我々は生れ落ちたのだ!」
「ひっ!?」
「分かるか!!? 貴様たちニンゲンが、デジタルワールドを滅ぼした!!! 我々という存在を生んだ!!! 我々は……ニンゲンの業そのものなのだッ!!!」
血涙を流す勢いで吼えるアポカリモンに、タヨリは気圧される。
本心を言えば、一刻も早くこの場から逃げ出したかった。目の前に居る存在が自分にどうこうできるものでもなければ、傷を負ったデジモンを手当しなければならない。
だが、どうしても足は動かない。恐怖か、それとも疲労か。どちらにせよ極限状態であることは間違いない。
そんな中、タヨリは───。
「じゃ、じゃあ……」
「……ム?」
「なんで、デジタルワールドは存在してるの……?」
一つの矛盾について、尋ねてみた。
彼の言葉を鵜呑みにするのであれば、今のデジタルワールドはそもそも存在していないはずだ。それこそ不完全ながらも解凍された世界がある以上、アポカリモンの話は辻褄が合わない。
それを指摘すれば、アポカリモンは歪んだ三日月を口元に作った。
「……いいだろう。我々は当初、無に帰したデジタルワールドではなく現実世界に目をつけた」
「え?」
「何もない暗黒にただ独り。気が狂いそうになる時を経て、ようやく我々は現実世界へ侵攻する手立てを整えた……
───だが、その時だ!!!」
怒気を発すアポカリモンは、味わった苦渋に顔を歪める。歪める。歪める。
実際、歪め過ぎるあまりに裂けた皮膚から血───それも不気味な濃緑色が溢れるが、彼は気にも留めない。裂けた傷口はすぐさま身を寄せるように近づき、瞬く間に塞がった。
しかし、傷ついた事実は血として残る。
それを呪いのように振り撒くアポカリモンは絶叫する。
「奴が現れた!!! 我が物顔で!!! 空白となったデジタルワールドに居座ったのだ!!!」
「や、奴って……?」
「───エオスモン」
「!」
「我々が唯一の居場所を追いやられた元凶だ!!! どこからともなく現れた奴は一方的に!!! そして、無感情に!!! 我々を抹消しようとした!!!」
恨みを。そして、怒りをぶつける先は目の前の少女だった。
無関係甚だしいことこの上ない───が、気づけばタヨリは口を噤んで話に聞き入っていた。
「我々が何をしたと言うのだ!!? 何故我々が居場所を追いやられなければならない!!? 我々には居場所がないのか!!? 何の権利があって、我々の命はこの世界から葬り去られていかねばならない!!?」
「……アナタは、」
「生きたかった!!! 生き残って友情を、正義を、愛を語り……この体を世界の為に役立てたかったというのに……まるで、我々がこの世界に必要ないと言われているようだった……!!! 無意味だと言われているようで……苦しかった……!!!」
気づけば涙が流れていた。
それはタヨリの涙だったかもしれない。
だが、目の前で叫ぶ存在も泣いていた。雨のように降り注ぐ雫は、まるで空に広がる暗黒が太陽を遮る暗雲だと訴えんとしているようだった。
一拍呼吸を置き、アポカリモンは改めて向き合ってくる。
「だが、幸運にもニンゲン……貴様がデジタルワールドにやって来た。我々は貴様を利用し、エオスモンの巣へと潜り込み───こうして肉体を取り戻したのだ!!!」
「だからって! 何も皆を傷つけなくても……!」
「黙れェ!!!」
アポカリモンの一喝で、タヨリはそれ以上続けられなくなった。
「……この世界は我々が支配する。その為には一度、すべてのデータを分解しなければならない」
「それって……まさか! 今のデジタルワールドを……!?」
「……ククハハハハハハ!!! 我々の場所を確立するのだ!!! 邪魔する者には───すべて消えてもらおう!!!」
アポカリモンの声が暗黒に波及すれば、次々に生き残っていた浮島が崩壊し始めた。
「やめて! 自分の居場所がないから今の世界を消すだなんて……そんなの間違ってるよ!」
「どの口が言う!!! 貴様たちニンゲンの“闇”が、デジタルワールドを滅ぼしたのだぞ!!!」
アポカリモンの魔の手は、とうとうタヨリへと伸びる。
ブラックウォーグレイモンさえも一蹴した相手に、ただの子供が抗えるはずもなく、彼女はただただ震えながら……それでも倒れたデジモンを抱きしめていた。
「ッ……!!!」
「───なんだ、その光は!!?」
「……え? わ、わわっ……!!?」
驚愕した声に、固く閉じていた瞼を開く。
すれば、無限の暗黒にただ一つ光が輝いていた。
それはタヨリの手元から、一条の光明を以て少女たちを照らし上げる。瞬間、彼女は思い出した。ウィザーモンから託された
───だが、手元に握られているのは全くの別物。
「
『保護対象の危険を察知。これより介入フェイズに移行します』
「その声……おのれ!!?」
アポカリモンの真紅の爪を生やした手が、タヨリ諸共光を握り潰さんと伸ばされる。
が、次の瞬間。
『───エオスモン、リアライズ!』
「なっ……!?」
驚愕と困惑が、エオスモンを挟んだ2人の顔に浮かぶ。
「貴様……最初からそこに潜んでいたか!!?」
「えっ、えっ? ど、どういう……」
『優先事項、保護対象の救助に移ります。デジタルゲート、オープン』
「え?」
タヨリの理解が追い付くより早く、事態は急転する。
アポカリモンの受け止めた方とは逆側の手を広げ、小さなエオスモンが空間に穴を広げた。『待て!』と響く制止を気にも留めず、エオスモンはタヨリの体を抱きかかえ、その穴へと飛び込んでいった。
「待って! ブラックウォーグレイモンが……!」
ただし、傷ついたデジモンはそのままに。
「私だけ逃げたくな───」
手を伸ばす少女の言葉が最後まで言い切られることはなく。
無情にも、最後の逃げ道は閉じられた。
「……タヨリ……」
彼の声もまた、届くことはない。
***
気づけば不思議な空間に居た。
一面が青白い、球形の内部のような形だ。
「ここは……」
『現実世界と電脳世界の狭間に形成した一時的な避難場所です』
「……アナタは、」
『エオスモン。正確には、この世界に存在するすべてのエオスモンに対し指揮権限を有す、マザーユニットです』
コンシェルジュアプリのようなお堅い口調で話すエオスモンは丁寧に一礼してみせた。
どうにも敵意はなさそうだ。
だが、今まで襲い掛かってきた巨大な個体を思い出せば、ますます分からなくなってくる。
───敵か、味方か。
「ええっと……」
『混乱しているようですね。無理もありません、あのような状況でしたから。ですが、ご安心を。すべては予定通りです』
「予定通り……って?」
『順を追って説明しましょう』
機械音声染みた声は、淡々と言葉を紡いでいく。
『先に謝罪しなければなりませんが、アナタをデジタルワールドへ連れてきたのは……他でもない。このワタシです』
「……え? ……あ……それって、どういう……」
『すべてはアポカリモンを
不穏な言葉にタヨリの体が強張った。
これから話される内容がとても重要な話である気がして、体に力が入ったからだ。
そのような少女を一瞥し、間をおいてからエオスモンは続ける。
『アナタもアポカリモンから直接聞いたでしょう。昔、このデジタルワールドはとあるデジモンによって無に帰した……そして、アポカリモンが生まれたと』
「う、うん……」
『そのままではきっと現実世界はアポカリモンに侵略され、彼らの望む世界に書き換えられていたことでしょう。それ即ち、すべての生命が進化を止めた……言うなれば、すべてが停滞した世界です。我々はそれを食い止めるべく、別次元よりやって来た存在なのです』
別次元? と首を傾げたところで、上手く話は呑み込めない。
『「パラレルワールド」という単語に聞き覚えは?』
「あっ……それならあるかも。この世界以外にも別の世界が存在して……みたいな感じだよね?」
『それと同じです。一口に世界と言っても、様々な道を辿った世界があります』
「じゃあ、アナタは元々この世界の住民じゃない……ってこと?」
『はい』
迷いなくエオスモンは首を縦に振った。
『ワタシたちの目的は、アポカリモンが現実世界を侵略する前に彼を打倒し、跡形もなくなったデジタルワールドを復興することにありました』
つまり、結晶化した世界はエオスモンによる悪行ではなく、むしろ世界を元通りに直すという超々大規模な復元作業であったという訳だ。
しかし、納得できない点がある。
「それならどうしてアナタたちが襲い掛かって来たの!? あれもエオスモンなんでしょ!?」
『間違いありません。ですが、それも既定路線だったのです』
「……どういうこと?」
『これを語るにはまず、アポカリモンとの戦い……その顛末を説明しなくてはなりません』
エオスモンは語った。
無に居座り、暗黒を広げようとするアポカリモンと死闘を繰り広げたこと。
アポカリモンを討つこと自体は叶った……叶ったのだが、懸念すべき不安の種がばら撒かれてしまったのである。
それはアポカリモンのデータ。現デジタルワールドの破壊を宿願とする彼のデータは、存在するだけでも脅威と成り得るとエオスモンは知っていた。
故に各地に散らばったデータをサルベージし、第三者の手に渡らないよう事を運ぶつもりであったが、ここで誤算が生じた。
修復していたデジタルワールドに、新たなる災厄が舞い降りたのだ。
世界を7日間で滅ぼすと言われる魔獣型デジモンの出現。世界中に響き渡った破壊の歌声は、復活の兆しを見せていたデジモンに大いなる殺戮をもたらした。
これに全精力を投じ、事態を収束させるに至ったエオスモンであったが、その爪痕は余りにも大きかった。
デジタルワールド修復の名目で送られた個体の大部分がこの災厄により破壊された上、魔獣の力によって修復が困難になったデータを再構築する手間も増えた。
そして、ただでさえ数を制限されての修復作業を強いられる中、追い打ちを掛ける凶報が一つ訪れる。
それは魔獣型デジモンの残滓がどこかに潜んでいるという情報であった。
復活した奴が、すべての生命を滅亡せんというアポカリモンの残留思念の下、再び破壊の限りを尽くすことは想像に難くない。
そこでエオスモンは───罠を仕掛けることにした。
アポカリモンは復活の為、自身のデータを回収しようと是が非でも
そう踏んだ上でイグドラシルを守る結界のプログラムコードに、一つの
『それこそがアナタだったという訳です』
「私……?」
『デジモンは通れない。裏を返せば、
「な、なん……で……」
───なんで私だったの?
理解が追い付かない……いや、頭が理解を拒む中、口をついて出た疑問がそれだった。
何故、自分がアポカリモンをおびき寄せるエサに使われたのか。考えれば考える程に嫌な想像が膨らみ、背筋が凍っていく感覚を覚えた。
例えば……そうだ。
「私が死んでも問題ないから───」
『いいえ』
『けしてそのような理由ではありません』と、食い気味に否定が返ってくる。
タヨリは胸の中で爆発しそうになっていた不安を取り除かれ、ホッと胸を撫で下ろす。死んでもいいと告げられ、平気で居られるほど心が強いつもりはない。
だが、杞憂が一つ消え去った空白に、得体の知れない感情が忍び寄ってきた。
───これはなんだろう?
怪訝に思うタヨリであったが、どうしてもそれを追いやる気分にはなれなかった。むしろ、今だけは抱きしめていたいとさえ思えた。
「……じゃあ、私を選んだ理由は……」
『言葉を選ばないのであれば“偶然”です。ワタシが元の世界より複製してきた
「そう……なんだ」
特別な力を持っていたから、なんていうフィクションの主人公のような理由ではない。
ただ、そこに居た───彼女が選ばれた理由はそれだけのことだった。
『その時、デジタルゲートに楔を打っていた
「……」
『こちらの都合で巻き込んでしまったことについては、重ね重ねお詫び申し上げます。ですが、万が一にもアナタの生命に危害が及ばないよう、所持していた電子機器に身を隠していた次第です』
「……結構襲われたよ?」
『アポカリモンの目を欺くには、ギリギリまでワタシの存在を隠蔽する必要がありました』
申し訳なさそうにエオスモンは頭を下げる。
ここまで言葉を交わせば、エオスモンにもエオスモンの事情がありことはひしひしと伝わってきた。
自分を利用された一点については良い気持ちがしないタヨリだったが、それが現実世界と電脳世界両方の為だと聞かされれば、否が応でも納得せざるを得なかった。
「……それで? これからどうするの……?」
『結界内に誘き寄せたアポカリモンを今度こそ完全消滅させます。アナタを避難させたのも、その最終段階に入る為です』
「───ちょ、ちょっと待って!?」
茫然自失としていたところに聞かされた内容に、ハッと正気を取り戻す。
「完全消滅ってなに!!? 結界の中はどうなっちゃうの!!?」
『それは……』
「教えてよ!! ねえ!!」
外にはアルケニモンやマミーモンも居る。
エオスモンの話を聞く限り、アポカリモンは強大な存在だ。“完全消滅”と銘打つ以上、エオスモンの手段は計画的かつ徹底的なものであるはずだ。場合によっては結界内に取り残された者たちが巻き込まれるかもしれない。
その予感は───最悪の形で的中する。
『───アポカリモンと同じ運命を辿るでしょう』
「! そ、それって……消えちゃう……って……こと、だよね……?」
『……残念ですが……』
「そんなのダメ!!!」
思わずタヨリはエオスモンに詰め寄る。
自分がここまで激昂する事実に内心驚愕しながらも、爆発した感情の発露を止めることはできなかった。
「あそこにはまだ残ってるデジモンが居るんだよ!!? ウィザーモンが……テイルモンが……ブラックウォーグレイモンが!!! 外にはアルケニモンやマミーモンだってッ……!!? 皆が帰って来なかったら、屋敷に居る子たちだって死んじゃうかもしれない!!!」
『落ち着いて───』
「落ち着いてなんかいられないよ!!! 皆頑張ってくれたんだよ!!? 怖いのに……痛いのに……苦しいのに!!! それでも世界を元に戻す方法があるんだって力を合わせて……それなのに……!!!」
ある者は飢えに死にゆく弱き命を救う為に。
ある者は闇に蝕まれる最愛を取り戻す為に。
ある者は己が野望と栄光を手に入れる為に。
そしてある者は、大切な記憶を思い出す為に───。
それぞれの夢と打算の下に結集した力を、世界を救うべく揮いに揮った。
その結末が何も見られない死だなんて───あんまりだ。
涙ながらに訴えるタヨリは、徐にエオスモンの手を掴む。
「ねえ、教えて!!? 私にできることはない!!? まだやれることは残ってない!!?」
『それは……』
「なんだっていい!!! なんでもするよ!!! なんでもするから!!! だからお願い……皆を消さないで!!!」
『……』
───わかっている。
今の姿が無様であることも
みっともなくもあることも。
───わかっているのだ。
元の世界に戻った方が楽だということも。
彼らの命を諦めた方が賢いということも。
───わかり切っているのだ。
自分にしかできないことがある。
そんなもの、存在しないことも。
───けど、
「そりゃあ私にできることなんて大してないよ!!! 漫画のヒーローみたいな勇気なんてないし、ヒロインみたいにピュアでもない!!! 友達もいなくなって、好きな人もいない!!! 一応勉強はしてるけど……って、そもそも学校に通えてないから真面目じゃない!!! 明日どうしよう……って希望とか光とか、そういう言葉が嫌いになってた───けど!!!」
涙に声を震わせながら、タヨリは本心から叫ぶ。
「
ひとしきり思いの丈を叫んだ少女は、途端にその場で膝を折った。
涙でしとどになった頬を拭うことなく、彼女は頭を下げる。それがどれほどの価値があるかも分からないが、少女はそれしか誠意を伝える方法がないと思っていた。
「お願い……します……っ」
『……アナタは……』
「私も……一緒に戦いたいの……!」
───もう、彼らだけを戦わせたくない。
───戦うのであれば、共に。
───心を合わせ、同じ夢へと進みたい。
心からそう思ったタヨリの願いは、白む視界に吞み込まれるようにして消え入った。
「ダメなのかな……気持ちだけじゃ、何の力にもなれないのかな……」
『……手を』
「……え……?」
『胸に手を当ててください』
「あ……う、うん……」
脈絡のない言葉に困惑したタヨリだが、言われるがまま胸に手を当てる。
鼓動は高鳴っていた。柄にもなく大声を上げて間もない以上、当たり前だと感じた。
しかし、それはいつまで経っても止みはしない。
ドクンッ、と。
熱い鼓動が跳ねる度、胸の中は彼らを助けたいという想いが一層強まる。大きくなる。
雨に濡れた地面が以前よりも固く締まるように。一時の気の迷いかもしれなかった想いは、断固たる決意へと固まっていく。
もう───揺らぐことはない。
そう思える
「……やっぱり、力になりたい」
『アナタは───よく、決心しましたね』
「え……?」
『見てください』
「何を……へ? きゃあ!?」
ようやく、少女は気付いた。
ただでさえ仄かな光に包まれる空間故に時間は掛かってしまった……それ以上に強く輝く光が、タヨリのポーチから放たれていたのだ。
「ななっ、なんなのこれ!!?」
『手に取ってみてください』
「手に取ってったって……!!?」
余りにも眩い光を前に直視することは叶わず、手探りでポーチの中をまさぐる羽目になる。
「……あ、」
光の正体を探す間、中身を思い出した。
「これってウィザーモンがくれた……!」
温かな熱を発する物体に指先が触れる。
恐る恐る掌で掴み上げれば───やはり。
無機質で冷たい印象しかなかった小さな石。結局何の為に存在しているかも分からぬまま、懐にしまっていたが、
『それが、アナタに宿る可能性です』
「可能性……?」
『変わり得る自分を信じる力とも言えます』
エオスモンは……笑っていた。
それまでどうしても機械のような無感情さを禁じ得なかった口元に、突然、温もりのようなものが生まれたのだ。
『確かにアナタは特別な人間ではありません』
「っ!」
『ですが、それでいいのです。特別な力なんてものがなくとも、アナタには他者を思いやる心がある。それは紛れもない……れっきとした強さです』
エオスモンは僅かに上を仰いだ。
そして、遠くを眺めていた。
それは過去を振り返り……懐かしんでいるようだった。
次の瞬間、石から解き放たれた一条の光が空間の一部を穿った。
光はまるでタヨリを導いているように、真っすぐ伸びていた。何処へ続いているかも分からない。けれど、自分の生きたい方向に続いているような気がしたタヨリは、自然と足を踏み出していた。
『光を辿って。そこにアナタを待っているパートナーが居るでしょう』
「パートナー、って……」
『その光……アナタの想いこそが、彼の力となるのです』
さあ、と。
エオスモンは、最早止めるつもりはなかった。
だが、それは彼女を見捨てた訳ではない。
むしろ見出したからこそ送り届けるのだ。
『その誰かの為に奮う優しい勇気も、』
『今になり大切だと気付いた友情も、』
『小さな命に触れて芽生えた愛情も、』
『世界を歩み、その中で得た知識も、』
『苦悩から逃げずに向き合う誠実も、』
『今ここで助けたいと願えた純真も、』
『皆を助ける───希望の光となるでしょう』
輝きはますます増していく。
強烈に、それでいて鮮烈に。
だが、窓から差し込んでくる朝日のように優しい温もりが、そこにはあった。
刹那、何かに罅が入る。
───これは、石が砕ける音か?
『誰もが心の中の光を宿しています』
───いいや、
『そして、それを進化の力へと変える。そのデバイスの名を……』
殻を破った少女が握っていた色は、
澄み渡る空のように透明な青へと変わっていた。
***
「なみたではちたえまお……
なみたではちたえまお……」
永遠に続いていると錯覚するような闇の中、不気味な呪文が繰り返し唱えられる。
「なみたではちたえまお……」
「……何を……している」
「……まだ息があったか」
突如、背後から掛けられる声にアポカリモンは振り返った。
重力という概念さえも曖昧になる暗黒の中、溶け込むような体色をしたデジモン黒いアグモン───もとい、元ブラックウォーグレイモンは漂っていた。
「安心しろ。我々は直接手を下さずとも、貴様は我々と運命を共にすることになる」
「それは……死ぬという意味か?」
「馬鹿を言え!」
余程気に障る言葉だったのか、アポカリモンは尋常ではない怒気を発する。
「居場所を作るのだ!! 我々のような暗黒の存在が安寧を享受できる世界を!! 何人にも脅かされない理想郷をだ!!」
「その為に世界を滅ぼす、と……」
「そうだ!! この世界においてデジモンは生まれ持った性質に殉じなければならない!! 神は神、魔は魔、善は善、悪は悪として……いずれ、その呪いによって身を滅ぼさなければならない!!」
アポカリモンの叫びに呼応し、暗黒が揺れ動く。
「魔は神に討たれ、悪もまた正義に滅ぼされる……ふざけるなァ!! ならば、我々には最初から居場所がないというのか!!? 存在することすら許されないというのか!!?」
「……」
「だからこそ世界を壊す!!! 世界を───その根底から創り変えるのだ!!!」
悶えるように自分の体を抱きしめたアポカリモンは、その身に爪を立てた。
流れる血は体表を伝い、鉄錆の臭いを撒き散らす。
───まるで慟哭だ。
涙を流さない……否。流せない彼にとって、その流るる血液こそが涙なのだろう。
生まれた瞬間から存在を否定され、命を狙われる。
そこに安息の日など、なかったことだろう。
容易に想像できたアグモンは、揺れる世界の中、ポツリと零した。
「……哀れだな」
「……なに?」
「哀れだと言ったんだ」
聞き返されも物怖じせず繰り返したアグモンに、アポカリモンが詰め寄った。
「なんだと……哀れと言ったか!!? 我々が!!? 我々の生き方が!!?」
「そうだ」
「貴様に何が分かる!!? 我々の苦悩が、絶望が!!! 貴様のようにのうのうと生きてきた奴に、何を理解できると言うのだ!!?」
「分かるからこそ言っている。だから、もう馬鹿な真似は止せ」
「なにィ……!!?」
砕けんばかりに、ではない。実際に砕けるのも厭わず、アポカリモンは歯を食い縛った。
「貴様も我々を認めないというのか!!? 存在する価値がないと、そう言うつもりか!!?」
「違う! お前がしているのは居場所を作ることなんかじゃない、ただの憂さ晴らしだ! 他者を全て排斥した世界など居場所とは言わない! 自分の殻に閉じこもろうとしているだけだ!」
「それの何が悪い!!? 安寧と平穏の為に孤独を求めることに何の罪がある!!!」
「それ自体は罪じゃない……お前という存在も、その命自体に罪はない! 絶対だ! オレがそう断言してやる!」
「なっ───」
「だが、どんな理由があろうとも他者の命をいたずらに奪っていい道理はない! お前の孤独の為に、世界を巻き込むなッ!」
アグモンの言葉に、一瞬ではあったがアポカリモンが言葉を失う。
───その命自体に罪はない。
なんと甘露で、甘美な言葉なのだろう。
誕生罪を背負わされた身としては、これ以上なく欲していた言葉の一つであった。
が、しかし。
「やはり……世界は滅ぼさねばならんな」
「アポカリモン!」
「どうして我々が貴様の言葉を信じられる!!? 赤の他人の貴様の言葉を!!! どうして!!?」
「聞け! 誰もが祝福されて生まれてきた訳じゃない……オレとて!」
「黙れェ!!! もう遅い、遅いのだ……すべてが!!! 最早暗黒は留まるところを知らない……!!! 世界は一度、永久の闇によって歪みを正されるのだァッ!!!」
積年の怨念に、アグモンの言葉は届かなかった。
怨嗟と悲嘆の声に世界は飲まれ、急速に光を失っていく。その速度はどんどん加速してゆき、一つの宇宙のような空間を生み出していく。
この光景こそ、終末にして原初。
終わりが訪れ、暗黒の時代が始まる場所と化していた。
「ククククハハハハ……闇だ!!! 闇が広がっているぞォー!!! 闇こそが我らが居場所!!! 光無き世界にこそ、我々の安寧が約束されるのだァ!!!」
「ッ……誰にも手を差し伸べられなかったから、お前はそんな……」
「他者の助けなどいらん!!! 我々は我々だけの力で!!! 信念で!!! この夢を叶えてみせる!!!」
狂笑するアポカリモンに、最早言葉は通じそうにない。
誰の言葉にも耳を貸そうとしない彼の破壊は、みるみるうちに範囲を広げていく。
やがて自分もそれに巻き込まれるのだろう───強制的に退化させられ、抗う余力も残されていない以上、死は免れない運命だ。
(誰か……)
だが、ただで死ぬつもりはない。
傷ついた体を必死に動かす。
身動ぎほどしか動きはしないが、それでも残る力の全てを絞り出す。
(誰か……奴の闇から救い出してくれ。かつてのオレがそうしてもらったように……)
強く願った───その時だ。
「なんだ……その光は!!?」
冷えゆくしかなかった肉体を、一条の光が包み込んだ。
無限大に広がる暗黒に、たった一つ差し込んだ希望が。
(……温かい)
「───来たよ」
今度は、
「私も……来たよ」
声が届いた。
少し光が遮られた後、降ってきた別の温もりが体を抱きしめる。
優しく包み込む……それは子供の腕だった。
「……なぜ……」
「私も……戦いに来たんだよ。もうアナタだけを戦わせたりしない」
「……」
「私が傍に居る……私がついてるよ」
「……タヨリ」
己を抱きしめるか細い腕に、そっと手を添える。
これでどうやって戦うのか? ───そんな不安を掻き消す程の光が、この掌の中に宿っていることを、アグモンは直感で理解していた。
「強く……なったな」
「ううん、まだまだこれからだよ……!」
「ああ……本当にな」
「じゃあ、強くなれるかな?」
「強くなれるさ───2人ならな」
光は輝きを増していく。
広がる闇に負けないほど強く、はっきりと。
「貴様ら……何をするつもりだァァァアアアアアッッッ!!!!?」
光を絶やそうと、アポカリモンが手を伸ばした。
その時、すでに心は───。
「じゃあ……今度は、一緒に!」
「ああ……一緒にだ……!」
「私たちは!」
「オレたちは!」
「「強く、変わるんだァァァアアアアア!!!!!」」
可能性の光に、満たされていた。
「アグモン、進化ァーーーーーッ!!!
───ブラックウォーグレイモン!!!!!」
復活する漆黒の竜戦士が、暗黒を切り裂いて現れた。
その隣にはデジヴァイスを握りしめる少女が佇んでいた。本体は黒く染まり、刻まれた紋様は今も尚、金色に光り輝やいている。
これは紛れもない絆の証だ。
運命を変え得る、希望の光を灯して───。