Elementary, my dear Harry. 作:Hamish
A Strange Visiter
メアリー・カーソンの朝は早い。
午前六時きっかりに自室で目を覚まし、身支度もそこそこに早速仕事に取り掛かる。支給された旧式のメイド服を足で蹴飛ばしながら、渡り歩く廊下中のカーテンを開け、朝の陽射しを取り込む。
住み込みで働いているスウィングラー邸は英国が一の高級住宅街、ロンドンのベルグレーヴィア地区の一角に聳え立つ豪邸だ。ルネサンス美術のあれやこれで潰された部屋の数たるや片手では足りず、壁に掛けられた絵画の素晴らしさたるやどの美術館にも負けぬ。
しかし、無償で毎日その無防備で荘厳な作品たちを見ていても、メアリーが欲に駆られることは無いのか?
ない。無欲であるのがメアリーがこの屋敷の主、スウィングラー婦人に買われている理由である。
やっとの事で辿り着いた玄関をあけると、庭には五冊の新聞紙が投げ込まれていた。メアリーにとっては新聞なんて一社で事足りるものであったが、この屋敷の坊ちゃんが考えていることはよく分からない。五社読むべきと言うのなら、そうなのだろう。彼はメアリーより頭がいい。何十も歳下であっても、彼の異常性には目を見張るものがある。
次に彼女がつま先を向けたのはこれまた屋敷の最奥に近い部屋だった。元来た道をメアリーは早足で戻る。
効率が悪い?効率性なんてこの屋敷の主たちには関係ない。メアリーの朝一番の仕事とは、屋敷中のカーテンを開き、新聞を持って坊ちゃんの元に届ける事だ。まだ足を踏み入れていなかった廊下のカーテンも開きながらメアリーは急ぐ。
メアリーの足が一つの扉の前で止まった。やっと目的の部屋に辿り着いたらしい。胡桃で作られた重厚な扉は金色に縁取られて、真ん中に填められた金版には“Hervey.J.Swingler”という文字が入れられている。深呼吸をして息を整え、きっかり三回ノックをして、メアリーは口を開いた。
「朝でございますわ、坊っちゃま」
手元の腕時計で確認すると、時刻は丁度六時半。坊ちゃん―――ハーヴェイが時間に厳しいことを知っていた為、メアリーはいつも気を張らせていた。中から呻き声が聞こえる。メアリーはいつもの事だと瞬きをした後、扉をそっと開けた。
部屋の中は酷く整然としている。ブルーに染った壁にはメアリーが想像出来ないような値段の絵画が掛けられて、四つある本棚にはまるでインテリアかのような小難しい分厚い本や数百のレコードが差し詰められている。棚にはアンティーク調の小物が並び、年代物の蓄音機が存在を主張している。書斎のようなその部屋は、見たところティーンが使う様な部屋では無い。さしづめ大学の教授辺りが住んでいる構成だ。
―――それとは正反対に、酷く荒れた天蓋付きのベッド。何枚もの乱れた掛け布団と、乱雑に散りばめられた何個もの枕。床に落ちているものもある。贅沢に柔らかなものを使ったその小山の中から、一つの青白い手が挙げられた。その手の主の姿は未だ毛布に埋まっている。
「……新聞」
「こちらに」
不機嫌そうな声にメアリーが五つある新聞の一つ、タイムズを彼の手に収めると、ハーヴェイ・J・スウィングラーはバネのように身体を起こした。やっと姿を見せたハーヴェイは、バーガンディのシルク生地の寝間着の腕を捲り、眠たげな目のまま新聞に目を通し始めた。
くしゃくしゃのブルネットの髪、少し細い切れ長の青い目。面長で頬が角張ってはいるが、ハンサムと言えばハンサムだ。メアリーはハーヴェイの意識が完全に覚醒したことを確認して、彼の今日の服をクローゼットから出し始めた。
ハーヴェイの目が新聞を飛ぶように移動する。今頃彼のスーパーコンピュータの様な脳味噌が沢山の情報を処理している事だろう。メアリーは口元に手を当てながら文字を追っているハーヴェイを一瞥して、今度は靴を選び始めた。
「お支度が出来ましたわ」
「私も丁度読み終わりました。棄てて良いですよ」
間髪を入れずにハーヴェイが、持っていた新聞全てをメアリーに押し付けた。この数分の間に五社全てを読み終えたらしい。メアリーの持っていた服を受け取ったハーヴェイは、そのまま着替え始める。メイドに見られながら着替える、というのももうすっかり慣れているらしい。メアリーが老女であるということも起因するだろうが……恐らくメアリーが年頃の女性でも、ハーヴェイは恥ずかしがらずに着替えるだろう。妙な確信がある。
メアリーは渡された新聞の一つに目を通した。正直言って、メアリーがこれを読み終えるのには数十分の時間を要するだろう。見ただけで目が痛くなってくる。
……実は、以前彼を試してみたことがある。信じられないと言って。
因みに結果は、言わずもがな。少しばかり得意げな顔をしながら、ハーヴェイはメアリーの全ての問いに完璧に答えた。紙の端に書かれてあったコラムまで網羅されていた。
メアリーが新聞に気を取られている間に、ハーヴェイは身支度を済ませたらしい。姿見を見ながらシャツの襟を整えている彼に、メアリーは一応といつもの問いを投げ掛ける。
「奥様の朝のご起床ですが、坊っちゃまが起こされますか?」
紺のベストの前を閉め終えたハーヴェイは振り向いて、切れ長の瞳を妖しく細めながら、少しばかり微笑んだ。
「私の仕事ですから」
……因みに
退廃的な関係でないというのは分かっているのだが―――メアリーはため息を押し殺して、畏まりました、と腰を折った。
傍から見れば、少々犯罪チックなのだ。
そんなことを考えながら。
シャンデリアが煌めくベッドに横たわる巨体。丸々と、まるでボールのような身体はベッドのスプリングを軋ませている。大きないびきをかきながら、件のスウィングラー婦人は睡眠を貪っていた。
「ママ、ママ」
ハーヴェイはそのベッドの淵に腰掛けながら、豚の蹄のような膨れた手を両手の中にとって囁いた。ワックスで整えられた髪の一房が彼の額に影を落とす。大ぶりなダイヤモンドが嵌め込まれた指輪を、ハーヴェイの少し骨ばった青白い手がなぞった。
「……ハーヴェイ……私の愛しい、完璧の子……」
夢見るように、スウィングラー婦人は呟いた。定まらぬ視線はハーヴェイその人に注がれている。彼女はもう夢から覚めているのだが、彼女にとっては現実も夢に同じ。こんな“完璧”なハーヴェイがいるのだ。どうして夢でないと否定出来るだろう。
少なくとも、婦人自身には無理だった。
柔らかくハーヴェイは言葉を紡ぐ。
「朝ですよ、ママ。鐘の音が聞こえますか。教会の鐘です」
「私の愛しいハーヴェイ。きちんと聞こえるわ。今日はいい夢を見ちゃった」
「どんな夢を?」
「ああ、ハーヴェイ。貴方とお花畑を眺める夢よ。馬車に乗って風に吹かれるの」
「夢ではありませんよ、ママ。夏休みですから、私はいつでも貴方のものです。アルプスの方に旅行に出ませんか?今の時期ならば気候も十分でしょう」
耳障りの良いクイーンズ・イングリッシュがハーヴェイの口からクリアに聞こえる。
キャッと婦人は声を上げた。頬を乙女のように紅潮させて目を細める。ハーヴェイは微笑みながらベッドから立ち上がり、脇に据え付けられている大きなドレッサーの小さな宝箱から、真珠のネックレスを取り出した。
「あら、ハーヴェイ。今日はそれにするの?」
「目覚めたママの瞳が真珠のようだったから」
婦人は手の少ない筋肉を目一杯使って身体を起こした。脇に手を着くのにも精一杯だと言うのにハーヴェイの手を借りたくないのは、乙女心というものだろう。ハーヴェイはカールした夫人の金髪を撫で付けると、首に真珠のネックレスを掛けた。項まで手を回して金色の輪に鈎を引っ掛ける様は、息子と言うよりお気に入りの恋人のようだった。
その後もハーヴェイがドレッサーからメイク道具を出し、婦人に化粧を施していく。誠、他人の化粧ということを考えても、彼は手馴れすぎていた。
最後に赤赤しい口紅を塗って、ハーヴェイは一息つく。
「行きましょう、メアリーが朝食を作り終えたようですから」
「そうね、お腹がすいたわ」
ハーヴェイに差し出された手を取って、スウィングラー婦人は寝巻きのワンピースのまま、赤いヒールを履いた。その巨体に見合わぬ細い足が収まったのを確認すると、ハーヴェイは彼女をリードし始めた。
彼女は例え寝起きでも、どんな時でも赤いヒールを履いている。二インチ程の高さを持つそれはいつもピカピカに磨かれて、光を反射している。
「ハーヴェイ、貴方にプレゼントがあるの!」
朝食を食べ終わり、二人とも珈琲を嗜んでいた頃―――スウィングラー婦人はがぶがぶに砂糖とミルクを入れていたが―――婦人は、突然そう言った。ハーヴェイは目を少しばかり見開くと、メアリーの方を振り向いた。メアリーは丁度箱を持ってきていたところで、気配を気が付かれた事に少しばかり硬直した後、高級そうな包み紙に包まれた小さな箱をハーヴェイの前に置いた。
ハーヴェイは珈琲のカップをソーサーに置き、そのソーサーをテーブルの遠くの方に置いて、婦人に向き直った。少しばかりの笑顔を添えて。
「ありがとう、ママ」
「いいのよハーヴェイ」
スウィングラー家では、プレゼントというのは別段珍しいものでもない。記念日でもないのにポンと目が飛び出でるようなものを渡す。腐るほど資産がある婦人は溺愛しているハーヴェイにしょっちゅう贈り物をするし、彼も拒まなかった。お金持ちの子供にありがちな反抗期というのもなく、酷く従順だ。
「さあハーヴェイ……気に入ってくれるといいんだけれど」
スウィングラー婦人はワクワクとした表情で彼を見た。しかしハーヴェイはその箱の包み紙を剥がすことなく、婦人をちらりと見る。婦人はニンマリと笑った。
実は、彼女の“プレゼント”は、彼を喜ばせるためだけのものでは無い。勿論彼に喜ばれることを第一にしているのだろうが―――他にも、目的がある。彼女自身の欲の為だ。
「貴方の推理を、聞かせて頂戴」
そう、スウィングラー婦人は、ハーヴェイの推理を見る事が、何よりも大好物だったのだ。
ハーヴェイはひとくち珈琲を口に含んだ。ブラック特有の珈琲豆特有の苦さが舌に染み渡る。背筋を伸ばし、視界と思考をクリアにした。足を組んで、口元に手を当てる。見定めるようにその箱を見つめた後、スウィングラー婦人に向き直った。
「持っても?」
「良いわよ」
「ならば、私はもうこの中身が分かったと言っても差し支えないでしょう、ママ」
「言ってみて」
箱に一切触れずに、ハーヴェイは豪語した。スウィングラー婦人の心は踊っている。彼の推理を、今か今かと待ち望んでいるのだ。
「まず」
ハーヴェイはそう前置きをした。
「この箱の小ささから言って恐らくは身に付けるアクセサリー、高さからして指輪かブローチかカフスかピアスかイヤリング」
ハーヴェイは五つ指を折った。
「持ってもいいということは揺れる物が特徴的ではないか、そもそもシンプルな形状か」
「この時点でイヤリングは外れる」
ママは大きな宝石が揺れるイヤリングが好きでしょう?とハーヴェイはウインクし、小指を元に戻した。
「ママはここ一週間家を出ていないしテレビもあまり見ないから、買うとしたら外商が送ってくるカタログに載っているもの。しかしお気に入りのカフスと指輪の外商はまだ送ってきていない。よってブローチかピアスに絞られる……」
ハーヴェイは薬指と中指を戻しながら席を立つ。ソファ前に置いてあった数個のカタログを手に取ると、パラパラと捲り、一つだけテーブルに持ってきた。
「先週ママのお気に入りのブローチが壊れてしまったでしょう?まだ修理が帰ってきていないはず」
「自分の大切なものを失っている時に人に与えようとは普通思わないですから、残ったのはピアスだけ」
人差し指を戻し、ハーヴェイが折っているのは親指のみになった。思っていた通りのページを見つけたらしく、片眉を吊り上げてハーヴェイはテーブルに開いたままのカタログを置いた。
「つまり、これはバルベロットの真珠のピアス」
カタログの中央に輝く金色の真珠。小さく書かれた値段は普通の人間には手が出しずらい桁だ。サラリーマン四人合わせた年収程ある。
スウィングラー婦人は目を見開いた。
「素晴らしい推理だわハーヴェイ。つまり貴方はこの箱の中身がピアスだと……」
「ママは言わせたがっている」
ハーヴェイはにやりと笑った。
「どういう事?ハーヴェイ」
「恐らく中身は隕石の欠片」
ハーヴェイがそう言うと、スウィングラー婦人は真ん丸な目をもっと見開いた。
「メアリー、五日前のタイムズを」
メアリーはハーヴェイと婦人に視線を往復させると、キッチンの棚から隠されていたらしい新聞紙を取り出した。ハーヴェイが笑みを深める。普段だったら即座に捨てられているはずのそれが、メアリーの領域であるキッチンに隠されていた。推理の裏付けも同然だった。
「ママはタイムズ紙を読んでいますから、当然知っているはず」
ハーヴェイは一面に載った、イングランドに落ちた小さな隕石の写真を婦人に見せた。
「なぜ隕石だと?」
「アクセサリーにしては包み方が拙すぎるし―――何より、テープの間に一粒だけ砂が紛れ込んでいる。爪の中に入っていたんでしょう。普通の人間は爪に砂なんか滅多に入りませんからね、包んだ人間は箱を包むことに慣れていない、爪に砂が入りうる人間―――必然的にこの記事が頭に浮かんだのです」
ハーヴェイはそう言い終えて、包み紙を剥がした。
出てきたのは―――透明なガラスに入った、固定された隕石の欠片。
「学者の方に包んでもらったの。私には手際がよく見えたけれど、ハーヴェイは気が付いたのね!」
「ええ、確かに綺麗ですが、若干折り方が幾何学的すぎましたから。…………因みに」
ハーヴェイはスウィングラー婦人をじっと見る。
「真珠のピアスも、買っているんでしょう?」
スウィングラー婦人は固まった。ハーヴェイは笑みを深める。
「その首元のネックレス、ロゴがバルベロットでしたが、昨日の朝はアクセサリーボックスの中に無かった」
それに同じ金色の真珠でフィリピン産、とハーヴェイは言った。
ハーヴェイにアクセサリーを買ったら、目移りして他のものも買ってしまったのだ。スウィングラー婦人は全て推理されていたことに気付いて、歓声をあげた。
こうしてハーヴェイは、珍しい隕石の欠片と、金色の真珠のピアス。両方を手に入れた。
締めて、十万飛んで三百七十五ポンド。現在の日本円に直すと、約二千四百万円に上る。
昼頃、スウィングラー邸の呼び鈴が鳴らされた。
メアリーが庭をぬけた先の門の方へ歩いていったのを窓から見ながら、ハーヴェイは眉を顰める。その様子を不思議そうに見ながらスウィングラー婦人はハーヴェイに声を掛けた。
「ハーヴェイ、何かあったの?」
「……ヴァルトロミア校以外に、申請していた学校ありました?寮制で恐らくカトリック、お金持ち御用達の」
「無いと思うわ。どうして?」
「来訪者が」
「ハーヴェイ、貴方でも推理出来ないの?」
「……何処と無く違和感があるので」
門の前に佇む緑のローブを纏った女性。メアリーが鉄の門に備え付けられた受話器に手を伸ばしたのを見て、ハーヴェイはベルが知らせる前にリビングの対となる受話器を取った。
「ハーヴェイ」
「ああ坊っちゃま、アポイントメントをお取りでないお客様がお出でです。どうも早急にお話しなければならない事があるとか」
メアリーの声も何処と無く警戒を孕んでいる。数多の芸術品が飾られている豪邸だ、盗みに入ろうとする者も珍しくない。基本的にアポを取っていない人は後日、という形にしているし……というか、それを知らないのはスウィングラーにあまり関わりのない者だ。ここはお引き取り頂くというのがセオリーだろう。
しかしその後に続いたメアリーの言葉に、ハーヴェイは固まった。
「何やらお客様が、『不思議な力を感じた事は無いか』と」
「……教会の回し者……いや、寧ろ反対……」
「坊っちゃま?」
「……いえ、なんでもありません。お通しして下さい」
「よろしいのですか?」
「ええ。あとはこちらで引き受けます」
目を細めながらハーヴェイは暫し考えを巡らせ、受話器を置いた。メアリーが女性を中に招き入れたのが彼の視界に入る。口元に手を当てて考えている最中、心配そうに眉を下げるスウィングラー婦人の姿が目に入り、ハーヴェイはにこりと微笑んだ。
「どんな方なの?今からいらっしゃるのは……」
「馬鹿馬鹿しい事を言っても?」
ハーヴェイは婦人に向き直った。
「恐らく、魔法学校からの入学のお誘いですよ」
スウィングラー婦人は目を丸くした。魔法なんて―――そんなもの、実在する訳がない!呆気に取られている婦人を一瞥し、ハーヴェイはすぐさま自身の推測を撤回した。
なんてね?なんておどけて見せたが、ハーヴェイの目は依然として鋭い。口元の人差し指が、短くカウントを打っていた。
どうか自分の推測は間違っていてくれ―――そう、願いながら。
「私が応対を……確かめたいことがあります。映画は先に見ていて下さい」
質のいいオーダーメイドのベストを正して、くるりと踵を返しハーヴェイはリビングから出て行った。スウィングラー婦人は不思議そうにそれを眺める。
それにしても、何故“魔法学校”なんて突拍子も無いことを言ったのかしら?
私も彼も、魔法は使えないわ?
スウィングラー婦人は少しばかり考えていたが、また直ぐにテレビのリモコンを手繰り寄せ、再生ボタンを押した。お気に入りの映画を見ているうち、すっかり婦人は来訪者の事を忘れていた。
「ご機嫌よう」
緑色のローブを来た女性―――ミネルバ・マクゴナガルが赤い絨毯の敷かれた廊下を歩いていた時、不意に声を掛けられた。振り向いてみると、そこには壁に寄りかかった一人の少年が立っていた。十一にしてはひょろりと高い身長、綺麗にワックスで整えられたブルネットの髪、如何にも金持ちらしい高級なスラックスとベスト。手首に輝く金色のカフスは、窓からの光を反射してキラキラと輝いていた。
少年は口元に手を当てながら、鋭い目でミネルバを探っている。
ミネルバは姿勢を正して―――いや、正すまでもなく背は伸びていたが―――その少年に向き直った。
「私の名前はミネルバ・マクゴナガル。突然の訪問、申し訳ありません」
「魔法学校から遥々ご苦労様です」
ミネルバは驚いたように口をぱくぱくと開閉した。何故って?勿論、ハーヴェイ・J・スウィングラーはマグル生まれとされているからだ。
「
ハーヴェイは少しばかり怒ったような……不機嫌そうな表情で笑った。
「貴女の姿勢、歩き方、髪型、手のペンだこ、目の配り方……何処ぞの教授か、或いは
滑るようにペラペラと推理がハーヴェイの口を抜けていく。推理を始めると止まらないのが彼の悪癖だ。
「よって貴女は、ミネルバ・マクゴナガルさんは魔法学校からの使者。違いますか?いえ、合っているでしょう。先程の表情が是と言っていた」
ミネルバに主導権を渡すまいとハーヴェイは言葉を紡ぎ続けている。一方のミネルバは呆然とハーヴェイを見つめるだけだ。
「困るんですよ」
ハーヴェイは言った。
「私は既にロンドンのヴァルトロミア校に通うことになっていますから。それに、寮制学校なんて、このロンドンから離れるのは婦人が心配です」
「しかし、魔法使いの適性がある者は必ず魔法学校に附属せねばなりません。それが英国魔法界の決まりです」
「英国魔法界?」
ハーヴェイは鼻で笑った。が、すぐにその笑みは消える。そして口元に手を当てて少しばかり考えた後、小さく溜息をついた。諦めに近い。
「……分かりました。婦人に会わせましょう」
ミネルバは薄々、このハーヴェイの家庭の並々ならぬ特殊性に気付いていた。まるでこの家の執事のように振る舞う様は、今まで訪ねてきたどの生徒よりも落ち着いている。普通“魔法使い”と言われたら、動揺したり、喜んだりするはずなのだが。一つ前の子なんかは跳ね回っていた。
「婦人は私に甘いですから、魔法に対して不信感を抱くことは無いでしょう。しかし彼女は敬虔なクリスチャンです。イギリス国教会に多額の寄付をするぐらいには」
説明の仕方には十分な注意を、とハーヴェイは言った。ミネルバは神妙に頷く。長い教師人生色々な家庭を見てきた。ハーヴェイの家庭も、予想の範囲内ではある。彼自身は予想の範囲外だが。
「では、ご案内します」
ハーヴェイは手でスっと指し示すと、洗練された歩き方で廊下を歩き始めた。
やはりこの子は
まるでこの家を、自分の家だと見なしていないみたいだ。
自分の勤める先だと、言わんだばかりに。