メイヤーは家出をしていた。前までの自分だったら、絶対に一人で行く事はなかったであろう南の平原まで。
最近、彼女の身の回りで変化が起きすぎて、心がついていけなかったのだ。
なんでかいきなりカタナが学校に通う事になったし、マックはどこか遠くに行っちゃいそうな雰囲気を出していた。それで、何も無い自分が不安になって、勢いのままにカタナと同じ学校通いたいなんて言ってしまった。
正直、そこまで通いたいわけでは無いけど、ここまで来てしまったらもうそんな事を言い出すのは遅すぎた。
カタナの服や文具を買うのを手伝うついでに自分の分も買えば決心が付くかと思ったけど、やっぱり不安なままだった。
「なんだか……疲れちゃった」
元々、引っ込み思案だった私を引っ張り出してくれたのはマックだった。何でか分からないけど外に出るのが怖かった私は、いつも家の中で本を読むか、時々お母さんに連れられて買い物に付いて行くぐらいしか外出なんてほとんど無かった。
そんな私の殻を壊してくれたのがマックだった。孤児だという彼は、そんな事を感じさせないぐらい明るかった。
最初は村長と話をしに来た、と言って村長宅を訪れた彼は隠れていた私を見つけると、折角だからと私に遊びに行こうと誘ってくれた。同年代の男の子に遊びに誘われるなんて初めてだったから恥ずかしくて断った私を無理やりおんぶして連れ出した彼は、そのまま村中を走り回って、色々なものを見せてくれた。
――見ろ、こんなに色々なモノがこの世界には満ちている。それを見て、触って、自分で確かめなきゃ勿体無いだろ!――
そんなふうに考えたことなんて一度も無かった。だって外は怖いところだったから。
渋る私を何度も連れ出すマックの周りにはカタナもいるようになって、振り回される同士の苦労を分かち合ったりして、いつの間にか外に出るのが怖くなっていた。
彼はよく分からない理由でよく分からない事を始めるけど、カタナの学校の話を進めてしまったのは本当に驚いた。
そこで、自分が本当は昔から変わっていなかったことに気付いた。
知らない物が怖い。今より外側に行くのが怖い。
どうしたら良いんだろう。
このまま進めば、私はカタナと同じで学校に通う事になる。
……じゃあ卒業したら?そのまま騎士になるのだろうか。
いっその事こと、家に閉じこもったままのあの頃の方が楽だったかもしれない。
鬱々と地面を見ていた。
「おや、レクス君のところのお嬢ちゃんじゃ無いかね」
顔を上げると、門衛をやっているお爺さんがいた。
「こ、こんにちは……」
お爺さんは私の顔をじっと見る。
「ふむ……何か悩み事かね?」
なんで分かったんだろう、驚きながら頷くと、微笑んだ。
「無駄に歳だけ取るとな、顔を見れば大体分かるようになるんじゃよ。どうじゃ、親しい人には話せないようなことでも、こんなジジイ相手なら話せることもあるじゃろう。聞かせてはくれんか?」
そう言われたので、ポツリポツリと、思っていた事を話す。
お爺さんは何にも言わずに、黙って聞いててくれた。
「…………そうか、そんな事がのう。最近やけにアイツが引き戻そうとして来ると思ったわい」
「私は、どうしたら良いんですか?」
「お嬢ちゃんはどうしたいんだい」
「……分かんない」
それが分からないから相談してるのに……
「そうかい。じゃあまずは、自分が何をしたいかを見つける事から始めないとな」
「どうやって?」
「これが面倒でな、色々やってみないと、自分が本当にやりたいことって見つからないんじゃよ」
「色々って?」
「何でも良いんじゃよ。それこそ街を散歩してみるでもよし、学校に行くもよし、こうしてジジイの話を聞くもよし、とにかく知らない事に触れて行くのが大事なんじゃ」
「知らない事に触れる……」
それは、私が一番怖い事だ。
想像しただけで体が固まってしまう。
「マック、あやつとお嬢ちゃんは正反対の性格をしておるのう……それにしてもアレほど荒ぶる魂を持つ物も珍しいが、あやつに振り回された事で、多少は世界を見ることができたのではないか?」
「そうかも……しれないです」
「あやつ自身はお主らの未来が見たいと常に口にしておるだろうが、それは、常にそばにいる事は意味しない」
確かにそうだと思う。ほっといたら勝手にどっかに行ってしまうだろうという確信がある。
「あの手のやつが厄介なのは、口だけじゃない事じゃな。ワシも、かつては似たようなやつに振り回された事もあった」
「お爺さんも?じゃあその時はどうしたの?」
「もうワシなんか覚悟決めてずーっと振り回されとったぞ」
「えー?ふふっ、大変じゃなかったのー?」
「ぜーんぜん、だって、好きじゃったからな」
「そーなのー!?」
「そうとも、今でも思い出すわい――あの煌めく星々のように、色褪せることのない日々の事をな」
お爺さんはそう言って、遠いところを見るような眼をしていた。偶にマックがしている眼と同じだった。このお爺さんはきっと思い出しているんだ、その好きだった人と過ごした日々を。
「だから……お嬢ちゃんも、悔いが無いようにしなさい」
『悔いが無いように』その言葉はなんだか、すんなり頭に入ってきた。
「――分かった!」
「そうとも、後悔が無いように、な……さっ、こんなところでいつまでも歩いていたら疲れてしまうよ。一旦室内に入ろうか」
チプタ村に向けて歩き出すお爺さんに着いて行く。
お爺さんは背筋がすらっと伸びていて、村の中で見かけるお爺さんやお婆さんとは違うように見える。
なんでだろう。
「ワシの背筋がとおってる理由?そうさな……それは、紳士のひ・み・つじゃ」
「えー?ずるーい」
「ほっほっほ」
最初来た時はあんなに不安な気持ちだったのに、今はこんなに明るい気分になれた。知らない人と触れ合うことって、こんなに楽しくて良いことだったんだ。
「お爺さん、ありがとう!」
「――ああ、やっぱり、女の子は笑っているのが一番綺麗だ」
「お爺さん?」
今、一瞬、凄い若く見えたんだけど気のせいかな?
「あ、いや、どういたしまして」
ホホホと誤魔化すように笑うのを見ていると、先程よりも少し歩調を上げるので、置いていかれないようについて行く。
「ほれ、ここじゃ」
門の脇にある扉を開けると、簡素な部屋があった。
椅子に促されるままに座ると、すぐにお爺さんがミルクを出してくれた。
「ありがとうございます、でも、お邪魔でしょうからすぐに帰ります」
「いやいや、もう遅いからの。若い女の子を一人で帰したりはせんよ。それに、ワシの勘が正しければすぐにあやつがな」
「?」
「まあ直ぐに迎えが来るじゃろ」
よく分からないけど大丈夫だそうなので、ミルクをちびちびと飲む。
「少しぐらい時間もあるだろうしちょっと聞かせて欲しいんじゃが、レクス君はお嬢ちゃんが学校に通う事についてなんて言っていたんだい?」
「お父さんは――」
「なるほどのお、可愛い子にはなんとやらと言うし彼も変わったのかのお」
そうして雑談をして過ごしていると、お爺さんがスッと立ち上がる。
「来たかの」
誰が来たんだろうと思って外に出て行ったお爺さんに着いて行くと、お爺さんは何故か門の真下で立ち止まった。
お爺さんが向いている方を見てみるとマックがいて、咄嗟にお爺さんの後ろに隠れてしまう。
「ほっほっほ」
「ロウさん、どうしたんすか」
「ほれ、出ておいで」
マックは探しに来てくれたのかな、多分そうに違いない。何だか悪いことしちゃったかな……
「これは一体?」
家出していたって言うのが恥ずかしくて、何も答えられずにいるとお爺さんが代わりに答えてくれた。
「まあ、アレじゃ、チョイとした相談事に乗っておっただけじゃ」
「あぁ、そういう……」
「もう夜になる、お嬢ちゃんを連れて急いで帰りなさい」
「はい、ほらメイヤー、おぶさって」
マックがいつもみたいに背中を差し出してくる。でも、こうやっていつまでもマックに頼りきりだから私は臆病だったのかもしれない。
「メイヤー?」
「歩いて帰る……」
「え、そう?」
また少しだけ変われた気がしてニヤニヤしちゃったから、その顔を見られないようにしてマックを追い越す。
「どうしたんだよ?いつもならすぐ乗ってくるじゃんか」
「……」
「メイヤー?」
「……今日はいいの」
原っぱから家まで歩いて帰ったのは初めてだった。
家に帰ると、お母さんに今日あった出来事を話した。
「そう、ロウさんが……」
柔らかく微笑むお母さんに告げる。
「それでね、髪をね、切りたいの!」
「ええ?どうして?折角綺麗な長髪なのに……」
「どうしても!」
口には出せなかったけど、変わろうと決めたこの日を忘れない為に、髪を触るたびにこの決心を思い出す為に、切りたいと思った。
次の日、家に来たマックに見せつける。
「どう、マック!」
「お、お前……それ……」
ちょっと恥ずかしいけど、あのマックを驚かせてやったのが嬉しかった。
「似合う?」
「似合ってるけど、どうしたんだ?」
「ふふっ、ひ、み、つ!」
ここから変わっていくんだー!