瞬間、部屋にいる者達が全身から血を噴き出した。
先ほど飲んでいたピリジャ茶に毒でも仕込んであったのか、ガイストはそんな事を考えながら倒れ込む。
調度品が赤く染まっていき、参加者は身体を痙攣させながら芋虫のように床に這いつくばっている。
そんな中で立ったままいるのはやはりロウとレクスの2人であった。
冷たい眼でもってこの惨状を観察し、少しの落胆と安堵を合わせたようなため息を吐いた。
「あ……が……」
「やはり無理じゃったか、悲しむべきか喜ぶべきか……」
「これまでで最高の設定だったんだが、まだそこまで段階が進んでいなかったか」
「うむ、頼むぞレクス」
「はい」
レクスは元からこの事態に対して準備してあったのか、胸元から懐中時計を取り出した。そしてそれを部屋の中央に置くと、祈りを唱え始めた。
「恐らく『剛腕』めはここまで予想済みなのじゃろうな、忌々しい事じゃ」
レクスが祈祷を唱えている間に、ロウは一人一人の状態を観察し、それを紙に記述していく。
「しかしなあ、ワシとしてはここまで引き延ばしてくれているだけで感謝極まるぞ。本来ならば世界はもっと早く終わっていたんじゃからな。本人は嬉しく無いだろうがの、なあレクスよ」
レクスはまるで聞こえていないかのように無反応で祈祷を続けた。
カリカリと紙にペンを走らせる音も止み、暫くして祈祷は終わりを迎えた。
『願わくば、大地と海に眠る神に祝福されますように……戻る刻に言葉は無く、神に従い消え去れ!』
まるで押さえ付けていたものが外れたかのように時計から光が溢れ出る。溢れ出た光は意思を持ったかのように細長く纏まり、その身をくねらせた。部屋の中を縦横無尽に飛び回った後、一斉に動きを止めたその光は血溜まりに沈む彼らを包み込み、肉体に入り込んでいった。
「前はだいぶ時間がかかったが、今回はそこまでじゃろうな」
「ええ、皮肉な事にかなり縛りは緩くなっているようですからね」
その言葉通り、1時間ほど経った頃、倒れていた者達は誰もがビクリと大きく身体を跳ねさせた後、口から黒い塊を吐き出すと、意識を取り戻した。
「ゲホッ! ゴホッ! ……な、なんだこの黒いやつは」
すぐさま黒い塊は崩壊していき、跡形も無くなってしまった。
よろよろと立ち上がった彼らは一瞬の頭痛に頭を抑えるが、少しすれば良くなったのか自分の今の状態について疑問を持ち始めたようだ。
「ギルドマスター、我々はここで何をしていたのですか? そして彼は?」
「……俺は一体ここで何を? 今日は確か入学式のはずで、酒場に…………グッ!」
ガイストのみ、頭痛が一度で収まらずに何度も苦しんでいた。
ロウはソレを見ていた。
「やはり、あやつでは足りなかったか……せめてレクス、お主が実際に体験したならば」
「それは贅沢というものでしょう。呪いが発動する前に我々がその情報を知れただけでも儲け物です」
「ハア……だからいつも言っとるじゃろうが。冒険者でなくて探索者を採用しろ、と」
「んなこと言ったって探索者は全然応募してくれねえし……スカウトしても全然じゃん……」
少なくとも探索者と冒険者だったら、圧倒的に多いのは冒険者の方だ。ソレというのも、親が探索者になるのはやめろと自分の子供に言って聞かせるからだ。
「クソが! 何が『探索者はよく分からない所に連れていかれちゃうからダメよ』だ! 聞こえてんだよ! よく分からないなら分かるように勉強しろクソが!」
立ち上がったばかりの、先ほどまで気絶していた幹部達が驚いて顔を見合わせていた。
「冒険者だろうが探索者だろうが死ぬ時は死ぬんだよ! だったら世界が終わる前に俺に貢献しやがれ!」
「ギ、ギルドマスター落ち着いてください……」
「…………はあ、見苦しい所を見せたな」
偶に発狂することがよく知られているレクスだが、実際、ギルドマスター兼村長として名実共にチプタ村の最高責任者であるレクスの重圧は生半可なものではない。北のバゲットとの間で戦争が起きたりしたらチプタの全戦力が彼の元で一堂に会し、戦略を練らなければならない。
そんな彼が少し喚いたところで誰もおかしいとは思わないし、正気を一時的に失ってもむしろ当然だと皆が思っている。
というのは彼の擬態であり、どうせ真相を大声で語ったところで世人の認識をすり抜けていくだけなのでストレス発散に本当のことを大声でぶち撒けているのだ。
つまり発狂したりなどしていないわけだが、ソレでもかかるプレッシャーそのものの大きさは変わらない。
彼の精神耐性の高さもさることながら、ロウがいるというのが非常に大きい。困ったら取り敢えずロウに丸投げすれば解決するため、今回のように相談を持ち込むこともしばしば。
そんなロウですらどうしようもないと言う。
今回の案件に関しては自分で出来ることは何も無く、ジンやマック、敵であるゴルディウスも含めた外部の人間に完全に任せないといけないのだ。
全くコントロールが出来ないソレらの結果をただ待つのみというのは不安要素が大きすぎるとレクスは考えていた。
力が欲しい。
ただ、力が欲しかった。
この欲の高まりは……ああ、かつての探索が懐かしい。今も心の中で昂りを保ったままの、モンスターとのやり取り。マッピングの進んでいない遺跡の深部や、未知の遺跡の探索、ゲートの異常で迷い込んだ空間を彼ら彼女らと共に緊張しながら、笑いながら進んでいったあの日々が愛おしい。
未知の探求はまるで麻薬のようだった。
まだ解き明かされていないモノを仲間達と共に見つけ出す。報酬や結果物が尊いのでは無い。それを見つけるために仲間達と走り回るその過程が楽しかった。
まさかそんな、現役の時には求めなかった純粋な力を、現役を引退した今になって求めるようになるなどとは予想もできなかった。
この状況を打破するには、限界を超えた力が必要だった。
そしてソレは、肉体の全盛を過ぎた今の俺にはあまりにも過ぎた望みだった。しかし、それを叶え得る物がある。
俺は、チプタの村長として決断しなければならない。
いずれ来たるその時までに。
「…………」
「何も言わないでくれ」
それこそが、俺のなすべき事。
────
ロウは心を痛めていた。
何故なら彼は知っていたから。
このような状況に追い込まれた者達が最後に選ぶ手段の正体を。
そしてその力が莫大であるという事も。
しかし、今回は殊更に悲惨だった。
たといレクスの想像の通りに異物を用いて自らの限界を超えた力を手に入れたとしても、用意された枠を超えることは出来ないのだ。
何度も同じような者達を看取ってきた。
遺跡の深層で、他国との戦争で、愛する者を守るために、明日へと繋ぐために、誇りと想いを抱いてその手段を用いた者達を。
自らが討ち取ったのだ。
目的を達成した後も暴走を続ける彼らを。
しかし、冷たい言い方をすれば彼らは目的を達成しさえすれば死んでも良かった。レクスは……恐らく目的を達成する事すら出来ないだろう。
悲しい事に、レクスも魂の質や量は自らに比べれば低い。そこの差が、認識の差を生んでいた。そして、それを指摘しても彼はそれを理解する事が出来ない。
恐らく彼は無謀な戦いに挑むのだろう。
弱い、それでも、心が強い者達の最後の輝き、それをロウは咎める事が出来なかった。
家族を置いて行くのか、と安い言葉で止める事は出来るかもしれない。
しかし、村を護る者としての自らと、戦う者としての自らの両方が、彼らの覚悟に水をさす事を許さなかった。
「それでも、儂は……」
だからこそ、ロウは一つの希望を見出していた。レクスが見つけ、ガイストが見定め、自らが見護り、子供らが未来を見せた、あの怪物に。
超越者とは違う、人間に潜む力を見捨てなかった者。
心から願おう。
大地と海に眠る神に。
世界は天と大地と海で出来ていた。
大地と海は眠りについた。
大地と海は徐々に実りを失っている。
それでも人々は大地と海に祈る。
天に揺蕩うのは遺骸だけだ。
天は堕ちなかった。
もう天に祈る者は誰もいない。
何でだろう。
何でだろうね。