「……い……おい! 起きろ! タイクン!」
いやに焦ったような声色で叫ぶ声にハッ、と脳が一瞬で覚醒する。
「モンスターか!」
左手にかかる重みが、そこにある長剣の存在を教えてくれる。立ち上がる瞬間、側においてあったソレを掴んで鞘から抜き放っていたようだ。
「何もいない……フィールシット、何があった!」
「いや……違う、これは、違う」
「何かがあるってことか……」
吹き飛んだ眠気を追いかけるように周囲を見回してもやはりモンスターはいない。だが、フィールシットの声音から警戒は消えず、何かが起きているという緊張感だけが伝わってくる。
しかし、いくら待っても何も起きない。
警戒を解くか否か判断に迷っていると、フィールシットが告げる。
「いや……すまん、警戒は解いていい」
「なんだ、どうしたんだ? お前、昨日から大丈夫か? ちゃんと寝たんだろうな?
「ああ……俺もさっき起きたところなんだが」
「は? 火の番は?」
火を見てみるとちゃんと燃えている。俺が寝る直前にフィールシットを起こした時よりも灰の量が増えていた。
「火の番はしていたんだが……あれ?」
「何言ってんだ、お前。寝てたんじゃねえのか?」
「何でだ? 俺は、火の番をしてたけど、今目が覚めて……って、アレ、馬は?」
「え?」
昨日確かに馬を繋いでおいたところに目を向けると、何もいなかった。
「な、なんだ!? ぐっ、あああああああ!!」
「お、落ち着け! フィールシット!」
「うぐうううう!! 頭が割れる!!」
大丈夫なのか、フィールシットは……昨日の食材探しの後から様子がおかしいし、コッソリ瞑想薬でも使ってるんじゃねえだろうな……
瞑想薬ってのは、頭の中を空っぽにするときに使う薬のことで、戦争だと高速詠唱に集中するために大量に使われたらしい。代償として、瞑想薬にハマっちまう奴が多いっていうのと、この世ならざるものを見たり、言ってることがおかしくなるってのがある。
とりあえずフィールシットは放っといて、馬を繋いでおいたところを見よう。
「確か、ここら辺の木に繋いでおいたはずなんだが……」
辺りを探すと奇妙な点がいくつもあった。
「蹄の跡が無い……暴れたような形跡も無ければ、ロープを引きちぎった残り滓みたいなのも無い……」
何も痕跡が無いのだ。
地面は荒れた形跡が無く、野党がこっそり馬だけ取ったにしても地面を均した跡さえ無い。元からここには何も無かったかのようだ。
そしてもう一つ妙な点がある。
「なんだこれは……」
「タイクン、どうだ?」
「フィールシット、これを見ろ」
捜索した結果を伝える。
フィールシットはソレに納得しなかったのか、馬を繋いでいたはずの辺りだけで無く辺り一体を隈無く調べた。
しかし俺だって適当に調べたわけでは無い。馬を盗まれる可能性だって一応考えて、野営地の配置を作っていた。場所を間違えるはずがない。
当然、フィールシットの探索は無駄に終わった。
「だから言ったろ? なんも見つからないって」
「そんな……じゃあアレは……」
フィールシットの様子はやはりおかしいが、それは一旦置いといてもう一つの妙な点を伝えようとした。
「もう一つ、妙な点がある」
「木の配置がおかしい、だろ?」
「気付いていたのか」
「ソレに樹種も違う。一つ確認なんだけど、俺らはアレハンドロ大密林に向かうためにチプタから南に向かっていた。そしてその為にまずは中間の町、リア=マトを目指していたな?」
「そうだ」
いきなり饒舌になったが、状況を判断するだけの冷静さは取り戻してくれたのか。
フィールシットは考察を続ける。
「この木……これは、アレハンドロ大密林で良く見られるネコノキだ。木の根本を見ろ、でかいコブが何個も付いてるだろ。ネコノキはこのコブの中に栄養を溜めるんだ」
ナイフで傷をつけると黄色い液が傷口から垂れてくる。
ソレを見てフィールシットは一つ頷いた。
「これは一つ仮説だが、ここは既にアレハンドロ大密林なんじゃないか?」
ソレを聞いて少し考えるが、すぐに却下する。アレハンドロ大密林には何度も行った事がある。初日の速さから考えてもアレハンドロ大密林には辿り着いていない筈だ。そもそもチプタからリア=マトまでの道のりで一週間、リア=マトからアレハンドロ大密林に行くまで更に一週間かかるんだぞ。
「あり得ない。俺としては、ネコノキが偶々ここに生えていて、昨日は見逃しただけという話の方が現実的だ」
「……まあ仮説は仮説だ、一旦保留しよう。問題は、この先の行き道だ。リア=マトまで歩いて行くか? チプタに戻るというのも一応案としてはあるんだが」
冒険者が依頼を受けた際、依頼のために一旦チプタを出たら、目標を達成する前に戻ると基本的には失敗扱いとなる。ギルドに聞いても「規則です」としか言ってくれないのでロウさんに愚痴ったら、冒険者は冒険しなければ強くならないとか言われた。要するに、問題が起こるたびに一々拠点に戻らないで対処してみろって事だろう。
そしてもう一つ、町から町、国から国への移動に際して、馬車や船、飛行艇に乗り合わせた人員は全て皆、生命の危機に際して当該機体の長の指示に従うものとしなければならない。あるいは、同乗者はお互いに協力しなければならない、と言われている。
つまり、俺だけチプタに戻ってフィールシットはリア=マトに行くと、お互いにチプタとリア=マトのギルドで乗り合い者の安全・所在確認を取らされるし、他人と協力出来ない奴だと評価される。
ソレらを踏まえて、俺の判断を話す。
「俺らの脚なら馬と同じペースぐらいで行けるだろう。リア=マトで少し体を休めてから、新しい馬を探すしかない」
「俺も同じ判断だ」
「よし……行くか」
一抹の不安を抱えながらではあるけど、この場は抑えて各々の目標の為に先を急ぐ事にした。
──────
「やはり変だぞ!」
「ああ! 俺も今更だが感じたぞ! この違和感を!」
フィールシットの声に対して、駆ける衝撃で武具が鳴る音に負けないように声を張り上げて意思疎通を取る。
「何故、道が無い! 何故、モンスターが全くいないんだ!」
最初は全く気付かなかった。でも、走っているうちに段々と周囲の違和感というものが視界内で目立ち始めたというか、兎に角、全てがおかしい。明らかに、今走っている場所は密林だ。そしてソレにしては全くモンスターが見当たらない。ここがアレハンドロ大密林かは分からないけど、少なくとも前回アレハンドロ大密林に行った際にはモンスターとかなりの頻度で出会したのにだ。昨日馬車に乗っていた時もそこそこの数のモンスターが遠目に発見できたし、道路近くにいて戦闘する事もあった。
こうなると、太陽の位置を目印に南を目指してはいるが、当てになるかどうか。
「だが、落ち着け! 俺ら2人だけは変わっていないはずだ! だから、俺らはお互いを基準として、認識と平静を保つ必要がある!」
「クソ、探索者ならこういう状況に慣れてるだろうに!」
探索者は遺跡という場所に行って攻略してくるらしい。駆け出しの頃の俺は文字を読めないから、探索者の試験を受ける気すら無かった。今なら少しは興味もあるけど、もう冒険者として結構良いところまで来てるから辞める気はない。
遺跡では訳の分からないコトがたくさん起きるらしく、大地の無い遺跡もあるらしい。意味が分からないけど、意味の分からなさでは今の状況も似たようなものだ。
今度からは案内役として一人探索者を雇うか?
「タイクン、とりあえず目標を一つに絞るぞ! リア=マトに到達すること、それだけを考えろ!」
「おう! …………ん? いや、待て! 何か聞こえるぞ!」
俺たちの強化された聴覚が聞き取ったのは、喧騒と衝撃。数キロ先で何かが起きている。
フィールシットと同時にスペルを唱える。
『早駆け!』
脚部を赤茶けた光が包み込み、脚にかかる負荷がほぼ無くなる。大地に跡が残るほどの踏み込みが可能になり、喧騒の元に向けて、より加速する。
──────
とある国の王城にて、人の影が回廊を慌ただしく動いていた。厚手のカーペット敷の廊下にも関わらずカツカツとヒールが鳴っているのは、その靴の持ち主の勝気さを表しての事だろうか。
「エリナ様! いけません!」
「いいえ! 私が参りますわ!」
「いけません! 既に調査隊の編成が検討されています! エリナ様が向かわれる意味はありません!」
「遅い! 検討段階にあるモノを成果物のように私に報告なさらないでいただけますか!」
二人が、というよりエリナという人物が向かっているのは厩舎だった。
「なんとしても行かせません!」
もう一人はエリナの前に立ち塞がる。
エリナは一度立ち止まり、目の前の人物を指差す。
「ではウェッジ統括長、正体不明の怪物が出現した現状で、一ヶ月も立っているにも関わらず検討段階でしか無いのは何故ですか? 統括長としてあなたが責任を取りなさい。私の代わりに今すぐに調査に赴くのです! もちろん、護衛はつけなさい」
「…………承知いたしました。それで姫様の気が済むのでしたら、私が直接調査に赴きます」
統括長は城の雑務に関することを纏める役職であり、軍事的な実務に携わる軍団長とは本来なら何の関係も無く、責任も無い。だが、ウェッジは引き受けた。
エリナはジッ、とウェッジの目を見つめ、ウェッジも寸毫ほどの揺るぎすらない目線を返す。
先に目線を逸らしたエリナは踵を返してその場を去り、今通ってきた通路を戻って行った。ウェッジはエリナが通路の角を通って姿が見えなくなってもその場から動かない。その代わりにブツブツと何事か呟いている。
「王城の警備は据え置き。馬車……いらないから馬の手配を3人分、連れてくとしたら…………あいつらか」
ウェッジは生粋の文官であり、戦闘の才能はカケラも無いが調査に必要なモノが何かを即座に見極めた。己に足りない武力を補う。その為に、とある部屋に向かう。
「今から例の怪物の調査に行くぅ? しかも先生が?」
「ええ、エリナ姫から直々のご命令でね、アキト殿に是非ともご協力いただきたく」
「ソレは良いけど……」
ゴニョゴニョと何か言っているアキトははるか東から旅をしてきた剣士だ。空腹で倒れているところをウェッジが見つけ、助けた恩としてしばらく下に付いてくれるという約束になっている。この国の事をいろいろ教えていたらいつの間にか先生と呼ばれていた。
「はいはーい! 私もついていきたいでーす!」
そしてこれまたいつの間にすけこましたのか、近衛兵の一人であるリンが懐いていた。元気よく手を挙げる彼女は規律に厳しい近衛兵の中では珍しく緩い性格の人間で、私としては一人くらいこういう人材も必要だと思っていたので一応気に入っている。緑髪と豊満な胸を揺らしながらじゃれ付いてくるリンに、アキトは紅い髪をガシガシと掻いて、なんだかなあという顔をする。
「いやあの、俺はそんな長くここにいるわけじゃないから……嬉しいけどね?」
「私がついて行きたいからついて行くのだ! 関係な〜い!」
ワチャワチャと乳繰り合っている光景を眺めているのも楽しいが、私としては決まった事はすぐにやり遂げたいので中断させる。
「君たち、そういうのは終わってからならどれだけやっても構わないから、今日のところはとりあえず手伝っていただけないか?」
「おいおい先生、他人事だと思って」
「後ならどれだけでも良いんだって! 統括長、すぐ行きましょう!」
「馬は厩舎から連れて行くから。目的地は北の密林だよ」
「正体不明の怪物だろ? 俺らだけで大丈夫かよ……」
「大きな被害が出ていないからね、そこまでの危険性じゃ無いと予想している」
「つっても先生も実際に見たわけじゃ無いんでしょお? 俺はなーんか嫌な予感するんだよな……」
「その剣の切れ味とアキト殿の腕があれば大丈夫だろう」
「そうですよ! アキトさんなら大丈夫ですよ!」
「う、うーん……」
大きな被害が出ていないというのは嘘だ。王国では既に4つの村が滅ぼされ、交流のある国のうちの一つ、北のヴァーリア帝国からの連絡が完全に途絶えている。まあ、己とアキトが死んでも特に影響は無い。リンが死ぬのは少し勿体無いが、軽微な被害だ。誰かが成果を持ち帰ればソレでいい。