タイクンが川に向かって走って行ってしまい、その場に取り残されたレイナとマリー。
何故かマリーはレイナに対して謝っていた。
「ごめんな、レイナさん。あいつデリカシーとか無いから……」
「大丈夫です…………フィールシットさんは彼の事、信頼しているんですね」
「ん、まあソレなりに」
「……水浴びでもしませんか? 正直身体がベトベトで」
「え? でも川はあっちに──」
「食べられるような大きさの魚もいませんけど、細い小川ならすぐ近くにあるんですよ。見つけ辛い場所なんですけどね」
ソレなら、とマリーも快諾して小川に向かう。それはモンスターと戦っていた方向やタイクンが走って行ったのとは違う方向にあった。
「こんなに近くに小川があったんだな……あ、魚だ」
レイナの発言通り、確かにそこには小川があった。泳いでいるのは稚魚ぐらいの大きさの魚だけで、とても腹の足しに出来そうにはなかった。
マリーはファルメンレオとの戦闘にはほとんど参加していなかった。それでも最初に村に到着するまでは走っていたし、遥か格上のモンスターへの恐怖で生じた色々な分泌物で、全身がかなり汚れていた。
服を脱いで、水に飛び込む。冷たさが全身を襲ったが、氷みたいに冷たいわけでは無く、暑さを感じる気温の中ではむしろ身が引き締まるような心地良さがあった。レイナも服を脱ぎ、マリーとは違ってそろそろと静かに入る。
「気持ち良いでしょう? 村のみんなも……前は良くここに水浴びに来ていたんですよ」
「そっか……とても良い村だったんだろうな」
「ええ……とても」
2人の間に沈黙が流れる。
それは、気まずさの発露では無かった。むしろ、互いに敬意を持っているからこその沈黙だった。
レイナは、凄惨な過去を乗り越えて生き延びてみせたマリーへの憧憬を。
マリーは、今、身を引き裂かれるような、魂が砕け散るような、そんな現実と向き合って、気丈に振舞っているレイナに対する尊敬を。
噛み締めていた──ソレは2人にしか分からない感情だった。
この場には何人たりとも犯すことのできない清浄な空気が漂っていた。
誰も、邪魔する物はいなかった。だからこそ、2人は長く語り合っていた。
「──あなた方は、どこからいらっしゃったんですか?」
レイナは、当然の疑問をぶつけていた。
30人もの精鋭の兵士をほぼ鏖殺した正体不明の怪物をあの青年は倒してみせたという。彼の肌に走る古傷が、潜ってきた修羅場の数を語ってはいたが、あの怪物を倒すのに対人の技術を積んだところで、何の意味もなさないだろうことは容易に想像出来る。
その場面を見たわけでは無いから分からないが、レイナは、不思議な雰囲気を纏う2人が怪物を倒したということに何の疑問も抱かなかった。
実は神様が遣わしたのでは無いかとすら考えていた。
「俺たちは……アドラント王国ってところから来た、ってのは話したっけ?」
「いいえ? 初めて聞きました」
ゆっくりと首を振るレイナは落ち着いて先を促す。全身の汚れを、身体を揉みほぐすことで、取れていなかった疲れと一緒に水に流しながら話を聞く。
「俺とタイクンは、アドラントの中のチプタっていう……なんて言えば良いのかな、北の国境にある村なんだけど。貿易、戦争、モンスター防衛、遺跡探索の全ての要衝地点だったんだ」
「モンスター……遺跡……?」
「この国ではあんまり馴染みが無いのか?」
「聞いたこともありません」
「困ったな……モンスターはあの化け物みたいなやつって言えば伝わるだろうけど、遺跡はあんまり知らないし」
「まあ兎に角、そういう不思議な事がいっぱいある場所から来られたんですね?」
「そうそう」
マリーは、身体を洗っているレイナの体と自分の体とを見比べる。
レイナはとても女性的な身体をしていた。豊かな胸と程よく引き締まってくびれた腰部、ソレに大きな尻を兼ね備えた、男の理想みたいな肉感を有していた。
一方の自分は、貧乳とまでは言わないがレイナには遠く及ばない胸、バキバキでは無いが割れた腹筋──そこまでで見るのをやめる。
思わず溜息が出る。
タイクンも、どうせならレイナみたいな身体の方がいいんだろうな……
少しいじけていると声が掛かる。
「フィールシットさんは、タイクンさんとお付き合いをされているんですか?」
「え、いや、それは、うーん……分かんないや」
「ええ? でもタイクンさんは、フィールシットさんの事をとても大事に思ってらっしゃいますよね? 今朝だって手を繋いで……」
やっぱり覚えていたか、と顔が赤くなる。
レイナは優しく微笑んだ。
「タイクンさんはきっと、フィールシットさんの事をこれからも大事にしてくださると思いますよ?」
「それは、うん……アイツはそういう奴だから」
「でも男の人なんて、フラフラとあっちを見たりそっちを見たりしていつの間にかいなくなっちゃうんですからね? ちゃんと捕まえとかないとダメですよ?」
「う、うん……でも昨日、ちょっと正気じゃ無かったけど、また今度ちゃんと告白してくれるって言ってくれたんだ」
「男の人のまた今度何て信用しちゃダメですよ」
「そ、そういうレイナさんは誰か好きな人は居ないのかよ?」
とても悲しそうな、だけど少しだけ複雑そうな笑顔を浮かべ、レイナはこう言い放った。
「……レイモンドが、私の初恋なんです」
マリーは何と言えば良いか分からなかった。自分のような人間が生きようと思えるようになるまでに付き添ってくれた奇特な人間がいるのだから、弟のことを好きになる姉がいてもおかしくはないだろう。
だが、彼女の状況を思うとソレを口にするのも違う気がした。
「おかしいのは分かってるんですけど……子供の頃、猪に襲われた時に駆け付けて助けてくれて、そこから……」
彼女の濡れた身体でも光目立つ、大粒の涙が静かに伝わり落ちる。
「今度も助けてくれたのに……レイモンド…………」
だから彼女は泣いていたのだ、何度も、何度も。不安だっただろう。
自分だって何度もタイクンに助けられてきた。タイクンは自らの傷を顧みない。お前を守れたならソレでいいと笑って頭を撫でる。だけどいつか、あの笑顔のまま死んでしまうのでは無いかと、そんな気分になることがある。
レイナは、ソレすら通り越した絶望を昨日からずっと味わっていたのだ。
マリーは何を言っても気休めにしかならない事を理解した。だから、手を握る。
口下手な自分には同じ事しかできない。
「…………」
彼女が泣き止むまでそうしていた。
──────
「何度もすみません……」
「──火を焚こうか」
水から上がった2人は布で身体を拭いて、焚き火に当たっていた。
パチッと木が弾ける音がたまに鳴るのみで2人とも火を見つめていた。
涙を流すというのは体力が奪われる行為だ。レイナは昨夜から何度も泣いて、元々あまり無かった体力をすり減らしていた。
ソレに彼女はファルメンレオに投げられた際に地面と激突していた。マリーも薬を渡しているのだが効き目が薄いのか治らず、右腕が腫れ上がっていた。
「はあ……はあ……」
「大丈夫か? レイナさん」
「ちょっと……辛いです……」
「ちょっといいか? ……熱いな」
息が荒くなっているレイナの体調を心配したマリーが額に手を当てるとかなりの高熱だった。
「腕の痛みは……あんまり無いん……ですけど……」
「薬自体は効いている、のか?」
「なんだか、身体が重くて……」
グラグラと身体が揺れ始める。レイナには上体を支えられるほどの力も残っていなかった。
マリーはその両肩を支えはしたものの、どうすべきか判断を迷っていた。
そこに助け舟が出される。
「おーい! フィールシット!」
「あ、タイクン! どれだけ取れたんだ? ──じゃなくてちょうど良かった、大変なんだ!」
レイナの体調を説明し、意識がはっきりとしない様子を見せる。
「──まずいな、これじゃあ王都に行くなんて無理だぞ」
タイクンはレイナの状態を見て眉を顰めた。
「しばらくはここで看病するしか無いな」
レイナをベッドに連れて行き、取ってきた魚や果実を適当に焼いたり煮たりと調理をする。
「はあ……はあ……」
「ほら、レイナさん。栄養を取ったほうがいい、少しだけでも食べてくれ」
マリーがそれらを口元に運び、レイナも辛そうにはしているが栄養を取らないといけないことがわかっているのかゆっくりと食べる。
結局、レイナの体調が良くなるまでに、おおよそ2週間も村での看病が必要だった。