ギリギリと歯が擦れる。握った刀の何と心細い事か。いいや、違う──拙いのは俺の心だ。
バケモノに出会ったくらいで揺らぐ精神に、アキトが己の不甲斐無さを痛感しているとバケモノが言葉を発する。
「いや……うん……何で警戒されてるのかよく分からないけど、お前達はレアメト王国の兵士か?」
「だったらなんだ!」
「だからそのマナクリスタルを返して欲しいって事と……これ」
そう言うと拳を握った右手をこちらに差し出す。何かのフェイントか? コイツがその拳を振るっただけで後ろの2人は……
肌が粟立つ感覚を覚えながらも堪えて続きを待っているとそいつは拳を開いた。
「グンナール、という男から預かったものだ」
それは首飾りだった。特に目立つ所の無い、鉄製だろうか。アキトはグンナールという名前に聞き覚えがあるような気がしたが、正確には思い出す事が出来なかった。
しかし、ウェッジが反応し、アキトに耳打ちする。
「今回の偵察に送り込んだ部隊の隊長の名前だ」
「そうか……つまり、グンナールの家族の事も知っているという事だな?」
小さく告げたのが、目の前のバケモノには離れた距離でも聞こえたらしい。
ウェッジはもちろんグンナールの家族構成も知っている。だがそれを口に出したところで、この緊迫した状況は改善するのだろうか? ウェッジにはこういった経験が足りなかった。
「これを、グンナールの家族に返してやって欲しい」
「……」
「少なくとも俺が渡すよりはお前らが渡した方が良いだろう」
アキトは困惑するしかなかった。正直な話、目の前の、男性の姿をしたバケモノがあの惨状を作り出したものだと思っていた。だが、こうまで理性的な対応をされると自身の今の状態が滑稽に思えてしまう。
「戦う気は無いってこと?」
ここまで黙っていたリンは敢えて核心を突いた。結局のところ、それが大事なのだ。この場で戦うのかそうでないのか、味方なのか敵なのか、あまり状況を飲み込めてない部分もあるが故の無遠慮な質問だった。
「何の話か知らないけど、戦友の同胞をいたずらに傷付けるような真似はしない」
「じゃあ良いじゃない! ね? アキトさん!」
「……ふぅ、そうだな」
構えていた刀を納め、アキトは一息吐き出した。
「リン、ソレをアイツに返してやってくれ」
アキトは光る玉を指差した。
「えー? こんな綺麗なのにー……」
「今度なんか買ってやるから」
「ほんとー!? じゃあこれ返す!」
トテトテと男に近寄ったリンはハイと手渡した。そしてその代わりに首飾りをもらって戻ってくる。
「ああ、それと!」
不意に思い出したのか、男は叫んだ。
「危うく聞きそびれるところだぜ。レイナ、レイモンド、この名前に聞き覚えは?」
「レイモンドだと!?」
ウェッジがソレに大袈裟に反応する。いや、大袈裟では無かった。レイナはともかく、レイモンドという名前は、今回の顛末を知りたがっている人間なら誰もが知っていた。
「知っているのか」
「……」
ウェッジは逡巡した。果たして、部外者、少なくとも国外の人間な事は間違いないこの男に対して情報を開示して良いものか。
しかし、この男はやはり何か知っている。それも今回の騒動に関してとびきり重要な事を。
悩んだのは一瞬だった。
「兵士の名前だ」
「生きているのか?」
「なぜ?」
「レイナってやつの弟なんだ。探しに行きたかったんだが体調を崩しちまってな」
「そういうことか……ちなみにどれくらいここに留まってたんだ?」
「あ──……半月ぐらい、か」
「その間なにを?」
「なにをってお前そりゃ、看病だろ……飯を取ってきたり身体拭いたり。それにモンスターがまた出ないとも限らんし野盗だって出ないとは言えないじゃねえか」
ソレはその通りと言えばそうだったが、若干的外れでもあった。ここら辺は辺鄙な田舎村ではあるが、盗賊などが悪さを働いたという話は聞かない穏やかな土地だった。そしてそれは多少なり旅をするものなら当然のように仕入れる情報でもあった。
三人は後ろを向いて話し合う。
「先生……正直な話、アイツを味方にするのがこの騒動の最短距離を突っ切る方法だと思うんだが」
「ううむ……素性がなあ」
「少なくとも俺は絶対にアイツには勝てないぞ」
「──それほどか」
「アキトさんより強いなんて……」
だが話はすぐまとまった。とりわけ険しい表情のアキトから齎された情報──彼の感覚を信じるならの話だが──によれば目の前の男は、アキトを凌ぐ強さを誇っているということだ。ソレが事実なら、この国で最強の個とはあの男に他ならない。
そんな男を野放しにして王都に帰ってきた、なんて報告をしようものならウェッジは即座に任を解かれるだろう。
「──よし、一つ提案があるんだが」
ウェッジは男に問いを投げた。
「いや、待ってくれ」
しかし神妙な顔をした男は待ったをかける。なぜそんな顔をしているのかこちらも不思議に思っていると男は続けた。
「まず、俺たちは自己紹介から始めるべきじゃ無いか? なんで名前も知らないのに次に進もうとしているんだ。俺はアドラントの冒険者タイクン、あんた達は?」
至極真っ当な発言だった。王国側の3人が警戒心を強く持ちすぎたせいでお互いの素性、名前すらはっきりしないまま話を進めてしまうところだった。
「あ、ああ……俺はアキト、こっちはせんせ、じゃなくてウェッジ、そんでこいつは──」
「リンでーす!」
イェーイ、とテンション高めに自己主張をするリン。
「なるほどな。それで? 提案ってのはなんだ?」
「ああ、私たちと一緒に王都に来ないか? 色々話が聞きたいところでな」
「…………その前に一つ、いや、二つ」
「なんだ?」
「まず、レイモンドは生きているのか?」
「──ああ、生きているとも。今は王都で治療をしている」
「そうか……ソレは良かった。ソレじゃもう一つ、王都にはレイナともう1人俺の仲間を連れて行く。それが条件だ」
「もちろん構わない」
「──よしっ! それじゃ、俺たちは今から仲間だ!」
タイクンが差し出してきた右手を握る。ニカッと明るく笑ったその顔からは、裏表などない人物のように見えた。
──────
よし、とりあえず今後の旅程が楽になったな。
タイクンはそんなことを考えていた。
2週間、レイナの看病に時間を費やした事で彼女の体調は良くなった。だが、次の足を踏み出すタイミングを失ってしまったのだ。
そんな折、ゴタゴタで忘れていたマナクリスタルの回収をしようと、終着の一撃であった氷刃の爪痕に来てみたらこの三人組と会うことが出来た。
なぜかアキトとやらには強く警戒されてしまっているようで、それに伴いあとの2人からも警戒されてしまったが、まずはレイナを安全なところに届けなければならない。グンナールの形見は渡せたし、まずは次の目標であるそれを成し遂げることに集中しよう。
そういうわけで三人をレイナとマリーのところに連れて来た。
「フィールシットー、レイナさーん、戻ったぞー」
「タイクン! 見つかったか?」
「ああ、それともう2つ大収穫だ」
後ろをクイッと親指で指し示す。
それを見たレイナは少し固まると、パクパクと口を開けたり閉じたりしながら人差し指を向けた。
「お、王都の……」
震える声でレイナは言葉を紡いだ。
「ああ、王都から来たらしいんだけど知ってるのか?」
「え、ええ……王様の隣を歩いているのを見たことが……」
それ、知ってるって言うのか?
──ん?
「王様の隣? ……あんた偉い人だったのか」
全然気付かなかったな、雰囲気が普通のおっさんでしか無い。
「一応事務の統括長をやらせてもらっている」
「あー……よく分からんが文官って事か」
「統括長は文官のトップなんだよ!」
こちらのタイクン、マリー、レイナの3人は全員頭の上に疑問符が浮かんでいた。
なんで文官のトップがこんな現場に出張ってきてるんだ?
「……まあそれは良い、一旦置いておこう。レイナさん、これは伝えておかなければならない……レイモンドは生きている」
「えっ…………」
何の脈絡もなく放たれたその発言にレイナの頭は、瞬間に真っ白になった。
「王都で治療しているそうだ。どうやら、あの馬車は無事に辿り着けたようだな」
2週間前に轍のみを残してどこかへ消えてしまった馬車。それはレイナの大切な家族を確実に安全な場所へと運んでくれていたのだ。
しかしてそれを聞いてもレイナは何の感情も浮かんでくる事はなかった。聞いた言葉を咀嚼して飲み込むだけの余裕が無かったのだ。
そして高速で詰め込まれた情報に、体力の落ちたレイナの意識は保たなかった。
「あ……はあ……」
「お、おおおちょちょちょい」
失神してしまったレイナが倒れる寸前にマリーが抱きとめる。
「おいタイクン! レイナさんは病み上がりなんだから刺激の多い情報をいきなり渡すなよ! いや、そりゃ真っ先に伝えてあげたくなるのはわかるけどさ」
「おいおいその子大丈夫なのか?」
アキトが倒れたレイナを心配して声を掛ける。
王国の3人は、この場に連れてこられたと思ったらいきなり目の前で失神されて面食らっていた。
「全く……ホントにタイクンはデリカシーが……」
ぶつぶつと言いながらレイナを地面にそっと横たえると、マリーは立ち上がって改めて三人の方を向く。
「それで? 何でお偉いさんがこんなところに来たんだ?」
「ふむ……まあ、概ね察しは付いているだろうが、我々は正体不明の怪物を調査するためにここにやってきた」
「正体不明の怪物……」
「兵士も含め、王国全体で甚大な被害が出ている。何としても食い止めなければならない」
冒険者がいない。そんな状況でモンスターが出現すれば、確かに国は簡単に滅んでしまうだろう。それはタイクン、そしてマリーにとってはまさに実感したばかりの事であった。
アドラント王国ではチプタ村や王都スチレスを筆頭に、多くの村や街に冒険者や探索者が常駐しており、危険性の高いモンスターが出現すれば即座に対応できる体制というのが整っている。それが常識の世界で生きていた2人にとっては、それこそ、この地に迷い込んでしまう前ならばモンスター1匹で国が滅びるなどあり得ないと茶化していただろう。
だがファルメンレオとの戦闘、グンナールの発言と兵士たちの振る舞いは、この世界に冒険者がいない事の証明であった。
「あの夜」にマリーが見たもの、モンスターを知らず冒険者が存在しない世界、そこに迷い込んだ俺とマリー。何か、尋常ならざる事態が動き始めていることを否応なしに予感させた。
王都に進むのが吉と出るか凶と出るか。
俺たちはいずれにせよ一つの選択を済ませた。
ここから先は道なき道、一つ間違えれば元の場所に帰る事能わずに尽き果てるだろう。
だからこそ、成し遂げなければならない。
そう、強く拳を握りしめた。