アドラント王国 王都スチレス 王城 玉座の間
それはまさに、この世の財の粋を極めた部屋だった。様々な遺跡から齎された、この世界には存在しない宝。巨大なモンスターのマナクリスタルから削り出された、人の身長を超えるほどの王冠。
扉から玉座まで繋がるカーペットの両脇には近衛兵とともに、見せつけるようにそれらが配置されていた。
ともすれば悪趣味とすら呼べるだろう光景の中心には当然のように国王がいた。
名をリチャードと言う。
でっぷりと肥え太った腹と脂に塗れた顔面を惜しげもなく晒し、絢爛な装飾品と使えもしない剣を身につけていた。
普段ならば美女を侍らせて悦に入っているところだが、それをできない理由があった。
国王にとって、これから来る相手は目の上のたんこぶとも言うべき存在だった。肩書きだけならば、ただギルドに登録しているだけの探索者でしかない。
一介の探索者に対して国王が感じるべきものなど「精々役に立つものを発掘してこい」程度のものだ。
だが、奴は──
────―
侍らせていた美女が悲鳴を上げて逃げた。
近衛兵は全員武具を砕かれ、一撃の元に倒れ伏した。
背後から首を切ろうとした隠密はその腕をへし折られ、阻む者はいなくなった。
リチャードは震える声で叫んだ。
「お、俺を誰だと思ってるんだ!」
意味の無い虚勢であっても彼に出来るのはそれだけで、それ以外をしてこなかった彼に選択肢は無かった。
「アドラント王国国王、リチャード様だぞ!」
「吠えるな」
左腕に熱が走った。
「……あ、あ、う、うあああああああああ!! だ、誰か! ぐぅぅぅぅうああああああ!!!」
左腕がひしゃげていた。
皮膚を突き出た骨から血が滴り、リチャードはこれまでに感じたことの無い苦しみを味わっていた。
痛みで明滅する視界の中で、国王たる己は男を見上げていた。
リチャードには何も無かった。
リチャードは、腕力も、権力も、自らが持つ力の全てが通用しない世界があることを理解した。
「ご、ごんな……俺は……」
「これは宣言だ、お前が今の醜い魂のまま異物を消費し続けるならば、俺はお前を殺し尽くそう」
「あああああああ!!!」
地面に崩れ落ちた砕けた左腕を掴んで無理やり立たされたリチャードは、まさに絶叫した。
その声は王城全体に響き渡り、衛兵達はすぐさま集まった。
廊下を鳴らす足音はジュラの耳にも届き、見せつけるようにリチャードを持ち上げる。
衛兵は絶句した。
近衛兵は各地の学院を卒業した騎士上がりではない。冒険者・探索者からスカウトされた名うての強者達だ。忠義では無く、名誉と待遇によって雇われた彼らがいる限り、仮に3級のモンスターが攻め込んできても国王に触れること叶わないだろう。
そんな彼らがいれば己はどんな敵が来ても大丈夫。
それは王国の共通認識だった。
しかし目の前に広がる光景はどうした事だろう。一人一人が一騎当千、万夫不当の近衛兵は全て倒され、集められた宝飾品は薙ぎ倒され、玉座は割られていた。
「誰だ!」
「陛下を離せ!」
「おい見ろ! 陛下の腕が!」
ジュラから見た時、衛兵とアリの強さに大した差は無かった。
それ故に、彼らが放つ言葉にも意味は見出されなかった。
その上で彼は言葉を返す。
「こんな……こんなモノに従って、国がどうなるかも分からないのか?」
「世迷言を! 陛下を離せ!」
それは衛兵達の言葉としては正解で、だからこそこの場ではあまりにも場違いな発言だった。
「コイツが死んだところで、この国に何の変化が起きる?」
ジュラは酷薄に言い切った。リチャードに価値は無く、今すぐに殺す事も考えていると。
そしてジュラも分かっていたことではあるが、たかが衛兵に聞いたところで意味のある問答になどなりはしない。
「だずげで、ぐだざい……だずげで……」
痛みで朦朧としながらも、リチャードは生まれて初めて命乞いをした。
蝶よ花よと育てられたリチャードは、あらゆる物を与えて育てられたリチャードは、自分の命と栄華が永遠のものであると信じて疑わなかった。
だからこそリチャードは、自らの腕の燃える感覚を忘れていなかった。
自らの目の前から消え失せた美女たちを忘れなかった。
その場に倒れ伏した近衛兵たちの姿を目に焼き付けていた。
──────
ゾワリ
自らの体毛が逆立つのを認識したリチャードは、扉の向こう側にアイツがいる事を確信した。
それは玉座の間にいる近衛兵達も同様だった。
かつて煮湯を飲まされた相手だが、己らもあれから研鑽を積んだ。今度は遅れを取らない。
そんな覚悟は、開いた扉の向こう側から現れた光景に砕かれた。
「おいっ、離せ! いい加減にしろ! 陛下の御前だぞ!」
女性が一人、お姫様抱っこをされていた。
誰だ?
あの男はかつての姿のまま。だが、近衛兵達はその女性の姿を見たことが一度も無かった。
当然ではあった。
隠密は王国の裏の側面だ。
表の側面である近衛兵が知る意味など無いのだから。
「リチャード! もっとまともな人材はいないのか!」
しかしジュラは大声を張り上げて国王を叱りつけた。己に対してこんな練度しか有さない隠密を寄越すなどと侮辱でしか無い、と。
「ヒィッ! い、い、い、いない!」
リチャードは辛うじて気絶を逃れた。手は震え、歯はカチカチと鳴っていたがそれでも辛うじて答えを返すことが出来た。
近衛兵達は雇い主である国王のその滑稽さに対して、心中でさえ笑うことは無かった。
これはどうした事だと仰天していた。
目の前の男から感じる圧が、以前よりも強くなっている。
男が口を開くと身体が固まる。
こんな筈では……と、誰もが思っていた。
王の為の玉座の間で、最も場を支配しているのはジュラだった。
「何故、時間停止ボタンをみすみす奪わせた! レックスは何度も忠告していた筈だ! あんな軟弱な警備で守れるものか、と!」
「モモモモンスター出現はおまえがい、言っていた事だろう! そ、そこに人員を割いたのだ!」
「結果で示せ! バカが!」
圧力の矢面に立たされているリチャードは必死だった。前回現れたジュラの忠告通り、モンスターの対処の為に王国から辺境へ冒険者、探索者を派遣したのだ。
その決定に、各地の長は驚いた。
チプタに次ぐ遺跡の出現地域であるスチレスはその発展度合いに反して排他的であり、それまでは救難要請を突っぱねていたのだ。
その皺寄せはチプタに行っていたわけだが、ともかく、ジュラの言うとおりにした筈だった。
しかし、リチャードは時間停止ボタンの重要性を知らなかった。
知っていたとて対策していたかは不明だが、リチャードは時間停止ボタンについて大した知識を持っていなかった。
時間を停止出来るなど聞かされても、元から全てを持っていたリチャードに取ってはそんなものどうでも良かったのだ。
「あのレックスが何故忠告したか、どうして誰も考えようとしない! おい、お前! そこのお前だ!」
「……え、あ、はい」
甲冑に身を包んだ近衛兵が一人指差される。青天の霹靂、まさか自分が標的になるなどと思っていなかった為に露骨に動揺していた。
ジュラはツカツカと近寄ると問いを投げかけた。
「この世界で最も遺跡の多いチプタの長、レックスが何故、何度も忠告したか、考えたことはあるのか!?」
「い、遺跡に関わっている、とか……」
「ふざけてんのか!? ああ!?」
ジュラは正直キレていた。ワンダーレガシーの中でも最も危険で、使い道の多い道具をこれ見よがしに配置した挙句に奪われるなど。
あれは超越者に管理させるべき物だったのだ。
本来なら己が出しゃばるべきではないので見逃していたが、こんな結果ではあんまりではないか。
かつて護り抜いた世界を、愚かさによって破滅に追い込もうとしているなど。
「バカどもが!」
ジュラは抱えていた女を下ろし、リチャードに近付いて行く。
「あ…………あ…………あ……あ……」
自らに音を立てて近付いて来る死を前にして、リチャードは間抜けたように声を漏らすことしかできなかった。
「なあ、言ったよな。国を導け、と」
「…………」
最早何も言えないリチャードを前にジュラはポツポツと語りかける。
「ヒューマンが霊長として君臨するこの時代、あらゆる物を遺跡から調達する時代、導く役目を与えられたのは?」
ジュラはリチャードにのみ問いを投げ掛けているわけでは無かった。いや、その場の誰にも聞いてなどいなかった。
それはタダの確認作業であり、答えは初めから用意されていた。
だからこそそれは先ほどまでの暴力性を感じさせない、理性的な行動であった。
「世界で最も遺跡が多い国、アドラントに生まれ、王として君臨しているのは?」
自らを覗き込む黄金の瞳に吸い込まれるような感覚を覚えたリチャードは、自然と口を開いていた。
「国王リチャード……」
「そうだ、認識しろ。この世界はお前らが思うほど安定してなんかいねえ」
「ああ…………」
──────
リチャードは、かつてパーティに現れた「明け星」のジンを思い出した。
彗星の如く現れた最新の超越者。遺跡での探索を繰り返し、人の殻を脱ぎ捨てた存在。
パーティに現れたジンは別に目立とうとしていないのに、そこにいるだけで巨城のような存在感が主賓すら飲み込んでいた。
国王である自身の元では無くジンの元にばかり集まる客に腹が立ち、彼らを退けてジンに話しかけに行った。
『ふん、「明け星」とか言ったか。良さげな装備を身に付けているじゃないか』
彼はまるで羽衣のような薄さで虹色に煌めく革鎧を身に付けていた。
それが探索で手に入れたものであることは明白で、宝石など見慣れているリチャードにとっては名品である事などすぐさま分かった。
『ソレを渡せば領地をくれてやろう』
尊大にもそう言い放ったリチャードに対して、ジンは路傍の石を見るのと同じ視線をチラッと寄越しただけだった。
一言も発さずにその場から離れた無礼千万なジンを、しかし暴力の頂点たる超越者を誰も止められなかった。
──────
リチャードは唐突に全てが繋がったような気がした。正体を追っても全くその履歴が見つからない不明の存在ジュラ。
近衛兵達を木の葉のように蹴散らす戦闘力と傲岸不遜な振る舞い。
「お、お前はまさか…………超越者…………」
その場の全員が息を呑む。
完全な盲点だった。
超越者とは一級モンスターを討伐する事が可能なモノに与えられる称号と同義であると考えられている。
現在知られている超越者4名の二つ名である「明け星」「剛腕」「前進」「紅鎧」は、それぞれがかつてその名を冠していた一級モンスターを討伐した事から与えられたものだ。
しかし、仮にそれと同程度の実力者がいたとして、それをギルドに報告していなかったなら。
そんな意味の無い事をする奴がいるならば。
超越者でありながら在野に埋もれている者が存在しうるという事になる。
「否」
しかしジュラはその推測を一言で切って捨てた。
「どこまでも遺跡に依存した世界。異物に頼り、モンスターを狩り、その資源を消費する事でしか維持できない世界。文明の進歩が無くなった、まさに時間の停止した世界。お前らがそうあり続ける限り、俺に辿り着くことはないだろう」
「そして、俺の正体が分かろうがそうでなかろうが世界に変化は無い。それよりも──」
リチャードは固唾を飲んで次の言葉を待った。
「『聖櫃』から『彼ら』を目覚めさせろ」