「次はいよいよ皐月賞ですか」
「いや、ビゼンニシキは更にレースを挟み、スプリングSに向かった」
「トライアル二連戦!? 現在はあまり主流でないルートな気が」
「少し前までは私のローテーションこそ異端視されていたんだ。彼女は皐月賞まですでに6戦。かたやこちらは4戦。ウマ娘は短期間の連闘に足が耐えられない、というデータが常識となっている……夥しいウマ娘の犠牲の上でね」
「……つまり当時の前提がそうさせた、と」
「いや、彼女はそのレースを走る理由があったのさ」
『スズマッハ外から来る! しかし先頭は依然ビゼンニシキ!』
『ビゼンニシキ笑っているぞ! 逃げても強い! 前も後ろも自由自在の脚! ビゼンだ! ビゼンニシキが微笑みを浮かべて、いま1着でゴールイン!』
『強い強い! まさかの逃げ! その素晴らしいスピードを見せつけ、自らの影すら置き去りにするような、快速の走り! スタートからゴールまで最短で駆け抜け、スプリングステークスを制しました!』
なんて彼女は楽しそうに走るんだ。
観客席で始めに抱いた印象はそれだった。私の好位追走から先頭に立つ王道の勝ち方をつまらないと揶揄する者はいるが……ビゼンニシキのこの姿を見てしまうと一理あるように思えてならない。事実今日のレースで彼女の魅力に惹き付けられ、ファンになる者も多いだろう。感動を与え、次も応援したくなる光が確かに存在する。
私にはない輝きだ。素直に眩しさを認めよう。
完治した左足に弥生賞の焼けつくような熱が蘇ってくる。すぐにでも学園まで駆け出したいほどの、じっとしていられない衝動を理性で抑えつける。やはり観戦に来て正解だった。あの天性のスピードを凌ぐにはどうするか、困難だが挑み甲斐がある。それは至極当然……何故なら三冠ウマ娘を目指す私のライバルなのだから。
* *
夕暮れの練習コースに、彼女はいた。
うっすら汗を滲ませながら数名のウマ娘にアドバイスを送っている。仲間たちの敬意のまなざしを受けながらしばらく指導に熱が入っていたが、その耳が私の芝を踏む音に反応すると、こちらを向いた。
「調子はどうかな?」
「ああ、シンボリルドルフ。傷の具合は……?」
「つい先日コースでの練習を解禁したところだ」
「よかった。なら走っていくか?」
「申し出は有難いが、用事を……いや、特に用事ということでもないんだ。視察、とも違うし。ふむ、何と表現すれば偽りのない言葉になる……」
「……? なら少し歩かないか? 私のクールダウンに付き合え」
「うん。そうさせて貰うよ」
練習場の大外を回って、二人で芝生をゆっくりと踏みしめる。
オレンジ色に染まる道を歩いていると、並走する子やランニングをする子が次々に通り過ぎた。リキサンパワーも向こう正面で何本目かの直線練習をしているようだった。中長距離に比べてマイル以下は未だ予約の隔たりはあるが、生徒たちは適宜柔軟に対応している。コースの増設、短距離マイルの立場向上……どちらも憂慮すべき課題だが、ウマ娘たちが切磋琢磨する光景は私の理想にしっかり繋がっている。
私の満たされた気持ちとは裏腹に、ビゼンニシキは不安な表情を浮かべた。
「見ないうちに痩せたな。ちゃんと食べてるのか?」
「ここのところ少し食事制限をしていてね」
「もしかして左足の傷が……」
「ビゼンニシキ。君とて知っているだろう? 皐月賞は……」
「【最も速いウマ娘が勝つ】しかしそのために身を削るとはストイック過ぎる」
「そっちこそレースと厳しい練習で、上手に身体を絞っているようだが」
「私はよく食べるからな。間を置かずレースに出ないと太る体質なんだ。勝負服を纏う晴れ舞台でだらしない姿じゃ、サマにならないだろ」
「ふふっ……確かに。だが半分冗談だね。少なくとも先日のスプリングSを走ったのは、自身の課題を消すためだ。違うか?」
「ああ。スタートと右回りのコーナーリングに不安があったんだが、感覚はもう掴んだぞ。特にスタートは上手く行き過ぎて先行の走りを憶える予定が、そのまま逃げを打ってしまった。逃げも気持ちいいものだな」
「楽しそうに映ったよ。危うく私も君のファンになるところだった」
「それは困る……お前に挑むウマ娘としては」
彼女は快活に笑った。どこまでも明るくて陰のかけらもない笑顔。
才能に恵まれるだけではない、繰り返し鍛え抜いた体躯から汗が流れ、嗅ぎなれた匂いがする。芝生と夢を駆ける匂い。勝つことだけを目指す者の……ウマ娘としての抗い難い本能に、ぶるりと震えた。
同時にここへ来た理由がはっきりした形になり、心から溢れ出して来た。
「シンボリルドルフ。気持ちはわかる」
「え……?」
「我慢しろ。本当は今すぐにでもお前と戦いたい」
「そうだ。私もそう思っていた……レースを見てからずっと!」
「だが、この練習場は800mほど……お互い準備が万全だとしても私が必ず先着する。そしてそれは皐月賞でも同じだ。この足のスピードを殺す不安要素は潰した。すべてはお前に勝つために……!」
ビゼンニシキは歩みを止めて向き合い、息を吐いた。
太陽が彼女の背後に沈み、その明るい髪をさらにオレンジ色へと染める。涼し気な笑顔は普段と違い端々に凄みという灼熱を滲ませていた。訓練を積み、獲物を狩る獣のような笑み。
「お前の本音が知れて嬉しかった。仕上がりを楽しみにしている」
「うん。あとは本番だな……ビゼンニシキ」
そう言って笑顔で応える。
こちらも彼女のように気高く牙を磨くとしよう。
私たちはウマ娘。理性無き猛獣の類ではないのだから。