『三冠の一つ目! まずはルドルフに軍配が上がった!』
『しかしこれは、二度ほど接触があったように見えましたが』
『……ちょっと身体を併せ過ぎた所があったかもしれませんね。しかしお互い譲れない皐月の勝利を手にしたのはシンボリルドルフ! ここから続く皇帝の道を踏み出しました!』
走り終えたウマ娘たちを割れんばかりの歓声が包んだ。そしてそれに混じるどよめき。ほとんどのファンは何が起こっていたのか認識すらしていないようだった。
……汗が次々に落ちる。私は自らの影の中で項垂れ、顔を上げられずにいた。
最後の直線での斜行。
その要因はいくつか考えられた。体重を落とした弊害か、あるいは今まで以上の全力を出し切ったからか……スピードに振り回されるなど、私たちにあってはならないのに。他のウマ娘の未熟を語っておいて、私も己自身、未知の部分や癖があることを理解していなかった。度し難い傲慢さ。愚劣の極みとしか言いようがない。
半バ身の差は、意図せぬ妨害によって生じた差に等しかった。
何ていうことをしてしまったんだ私は……改めて事態の重大さを感じ始める。この大舞台で、衆目の面前で、トゥインクルシリーズに泥を塗るような行為を。出走したウマ娘たちに申し訳が立たない。そしてなによりも……
「ふざけるなッ!」
悲痛な叫び声がターフに響いた。
はじかれたように振り返ると、リキサンパワーが長い丈の勝負服を揺らして詰め寄って来る。目には涙を溜めて、その悔しさを滲ませていた。
「卑怯な手ェ使って、それで満足かよ!? 何が皇帝だ。クラシック三冠を、ファンを、アタシたちを……ビゼンを! 裏切りやがって……ッ!」
「……わ、私は」
「姉御が、どれだけこのレースにかけたと……お前に! お前が……」
なおも感情をぶつけてくる視線を遮るように、彼女が私たちの間に立つ。
弥生賞の時と全く同じ、涼し気な顔をしていた。
「よせ。もういい」
「いいわけ無いだろビゼンの姉御ォ! 黙っていられるか……今なら抗議すれば降着、いや失格の可能性まである……それだけの事をこいつはやったんです」
「肩がぶつかっただけだ。それに、あの程度で動きが鈍る私だと思うか?」
「思わない。けどそういう問題じゃなくて、進路妨害をしたんだからその分の処罰を受けなくちゃいけないでしょ? それがルールだし、アタシたち以外の仲間の誰かが同じ事されたら、姉御だって抗議するはず。いまアタシはそれをしているだけ。邪魔しないで」
「ああ、お前は正しい。だが抗議の権利は私にあることもまたルールの内だ」
「卑怯者を庇う道理なんてあるかッ! 走り合いで負けたなら、どんなに嫌いな奴のコーラスだっていくらでも後ろでやってやる! でも、
リキサンパワーが目を閉じると、溜めに溜めた涙がぽろぽろと零れた。顔を拭う手の間からは弱弱しい嗚咽が漏れた。観客席もそんな彼女に同調するように、疑問や不安の声が徐々に大きくなっていく。
「リキ……」
「こんなのイヤだよ……納得いかないよぉ……ビゼンに、ひどいことした奴が皐月賞ウマ娘なんて」
「ほら、泣くな」
「誰が喚いたって、ビゼンは決めたことを変えないって、知ってる、のに……アタシは……」
「お前の気持ちは分かっている」
「でもっ……でもさぁ……ッ!」
「この後ライブに出よう。私の準備もしておいてくれるか?」
彼女は頷くと、顔を上に向けたまま検量所へ歩き出した。
ビゼンニシキはそれを無言で見送りこちらの方へ視線を戻す。私がいま最も顔を合わせられない相手、ビゼンニシキ……その瞳は琥珀色に輝き、ひそやかに燃えていた。
静かな怒りを感じる。
自分の被った被害に対してではなく、仲間の悲しみに報いるために。起こしたことの意図云々よりも
「シンボリルドルフ。聞きたいことがある」
「……答えよう」
「お前は真剣にレースに臨み、本気で私を負かしに来た。間違いないか?」
「そうだ」
「全身全霊を込めて走ったように思えた。余力すら残らないほどに。つまり悪意をもって斜行を起こした訳でない、と……?」
「その通りだ」
「……失礼な詮索だったな。だが確かめたかった」
その目に灯った陽炎が揺れる。リキサンパワーの泣き顔をいまも映しているかのようだった。文字通り、私の悪質な行為は白日の下に晒された形になる。ルールに則った抗議の申請をするための最終確認だろう。故意でも過失でも妨害行為だったことは明らか。正当なる処分が必要だ。私は説明責任を果たさなければならない。その後レースに出たウマ娘一人一人に謝罪をする。当然、ビゼンニシキにも。
「手を出してくれ」
「握手、か? それよりも今は……」
言われた通りに右手を伸ばすと、ぐっと引き寄せられる。彼女は私の手をそのまま空へ向かって高く突き上げた。雲間から光が広がるように、観客席のどよめきが勝者を称える大歓声に替わっていく。それが出来るのは彼女しかいない。だが、どうして?
「ビゼンニシキ。これは」
「ん? ああ、誰が皐月賞ウマ娘なのかファンが迷っていたからな」
「そうじゃない……この賞賛は、君こそが受けるべきだッ!」
「あれくらいの接触はウマ娘の職業病的なもの、だろう? お互いにケガもなかったようだし」
「弥生賞で傷を負わせたことに責任を感じているのか!? 借りを返すということなら愚かな勘違いだ。そんなこと、私は……!」
「勘違いをしているのはお前だぞシンボリルドルフ。皇帝の勝利を私が信じた。不利があっても無くてもな。この気持ちよりも優先するものなんてないよ。それに何も一着の奴だけが賞賛されてるワケじゃない」
周囲を見回すと、他のウマ娘たちも声援に応えていた。
ルーミナスレイサーが手を振っている。アサカジャンボは深々と頭を下げ、ニッポースワローは大きな声で感謝を届ける。スズパレードは涙交じりの笑顔を向けて、スズマッハは嬉しさ半分、悔しさ半分といった顔でスズパレードにしがみ付きわんわん泣いていた。それぞれが結果を受け入れて、ファンに気持ちを伝えているのが分かる。
その様子に反応するかのように、点滅していた電光掲示板も数字が確定した。
遠くから着順を見るリキサンパワーの表情は分からない。施設内へすぐ入っていってしまった。
「さて、そろそろ支えなくてもいいな? 私もファンや応援してくれている仲間の所に行きたい。リキのフォローもしてあげないと」
「正直、まだ気持ちを切り替えられないが……分かった」
「お前もファンに応えてやれ。人差し指の一本でも立ててみたらどうだ?」
「こうか? ……おおっ!?」
天を指さすポーズをとると、スタンド全体からファンの歓声がさらに膨れ上がって、ターフさえ揺らしているようだった。他のウマ娘たちも、胸中はどうあれ私たちに向けて拍手をしている。
「お前はこれからGⅠで勝利を重ね、皇帝の名に恥じないだけの栄光を掴まなければならない。そうだな、少なくとも指5本は立ててもらわないと困る。この皐月賞で私に勝ったのだから」
「五冠ウマ娘、神と呼ばれたあの人に並べと?」
「誰も越えたことのない困難な道……三冠も簡単には獲らせない。日本ダービーでは私が勝つ」
「ビゼンニシキ……」
「予感がするんだ。今年のクラシックレースから何もかもが大きく変わっていくような。お前と私でなら、ウマ娘の未来さえ動かしていけるかもしれない」
まさか。
ともすればGⅠ5勝の最多記録を塗り替えるよりも、途方もない夢だ。
信じられない……彼女が、ビゼンニシキが。本当に同じ想いでいたなんて!
「リキや仲間たちと走るのは楽しい。だがお前と走るのとは格別な違いがある。今日のレースもそうだ。全力以上のスピードと身体中から込み上げる楽しさ。あんなのは初めてだった。ホントは単純な話、お前と競い合いたいってだけな気もするよ」
「……」
「また走ろう。シンボリルドルフ」
「ああ。次はダービーで」
私も楽しかった、と言いたい気持ちをぐっと堪える。
今はそれを口にする資格がないから。
正々堂々と彼女と戦い、対等の立場になったときに伝えたい。君と共に駆ける喜びを。
そして夢を語ろう。未だ絵空事でしかない私たちの夢を。その世界ではきっと誰もが……
皐月の空には、人とウマ娘の声が響き渡っている。