第1話のみ円香視点で進行となります。
よろしくお願いします。
私──樋口円香には双子の兄がいる。
彼は幼い頃から勉学、運動の両方に優れており、その文武両道ぶりに周りの大人から神童と評されていた。
小さい頃から甘やかされて育った彼は次第に驕った態度を見せる…なんてことはなく、誰に対しても謙虚な姿勢で接していた。
優秀でありながら無駄に優しい兄が老若男女に好かれるのは、当たり前といえば当たり前の話であった。
そして年頃の女子はその感情を恋と思い込むようで、翼はよく告白されていた。
小学生の時には上級生の女の子からも告白されることもあったが、不思議なことに翼が彼女たちの想いに応えることは一度たりともなかった。
一貫して恋人を作ろうとしない翼に、気になった透たちはその理由を尋ねたことが何度もあったが、兄は困った顔ではぐらかすだけであった。
いつもは幼馴染たちに甘い顔をする彼であるが、今回だけはいつもと様子が違った。
透がどんなにねだっても。
雛菜がどんなに甘えても。
小糸がどんなにお願いしても。
──決して翼が本心を話すことはなかった。
私はそんな態度が気に食わず、兄と2人きりのときにその理由を問いただしたことがあった。
初めは適当に話を流そうとした翼であったが、私が何度も何度も聞き返す内に観念したのかようやく本心の一部を口にした。
『──俺と彼女たちでは、見えている景色が…世界が違うんだ』
『どういうこと…?』
『……俺は普通じゃないから、こんな自分と付き合ってもお互い不幸になる未来しか見えない。だから告白してくれた子たちには申し訳ないけど、全て断っているんだ』
ようやく話してくれたその言葉は、紛れもなく兄の本心であると私は直感した。
しかし、当時の小学生である私にはその言葉の真意がよく分からなかった。
もっと分かりやすく教えてほしいと伝えたが、あろうことか「これ以上のことは家族の円香でも言うことはできない…本当にごめんな」と断られてしまった。
『なにそれ…!』
その言葉を聞いて、幼い私は激怒した。
『家族なのに、どうして教えてくれないの!私のことが嫌いなの!?』
そして感情的に心に浮かんだ言葉を彼にいくつもぶつけていった。
…精神衛生上、当時のことは二度と思い出したくないのが本音であるが、最後のやり取りだけは今になっても鮮明に覚えている。
子どもみたいに怒りの感情を乱暴な言葉に変えてぶつけた私に、何一つ反論してこない兄。
彼は申し訳なそうな、それでいて辛そうな表情を浮かべながら頭を下げる。
『本当にごめんな、円香。俺は最低の兄だ、幼馴染に、身内に…そして妹に打ち明けられない秘密がある。そしてそれは死ぬまで誰にも明かすつもりはない』
『だけどな、俺は円香のことを大切な家族だと心から想っている。それだけは、どうか信じてほしい』
そんな兄の姿を見て、私は条件付きで許すことにしてあげた。
……あのときの自分は本当にどうかしていた。
『強く抱きしめながら、もう一度言ってくれたら許す』という頭がおかしい条件を提案するなんて…。
何より問題なのが、兄が私の妄言を真に受けたことだ。
私の言葉を聞いて翼は一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐにいつもの優しい表情に切り替わる。
そして私を優しく抱き寄せ、馬鹿みたいに同じ台詞を繰り返した。
『俺は円香のことを大切な家族だと心から想っているよ』
『っ…嘘だったら、許さないから…!』
『嘘じゃないよ。この言葉だけは…嘘じゃない』
あぁ…。
どうして…どうして…当時の私はあんなことを…ぅぐあああぁ……!
…当時の出来事を思い出す度に羞恥心で変な呻き声をあげて、消えていなくなりたい気分に陥る。
それなら思い出さなければいいだけの話なのだが、翼が女子に告白されたことを知る度に、どうしても連鎖的に思い出してしまうのだ。
透や雛菜たちと違い、翼が誰と付き合おうと私にはまったく関係ないし、興味もない……のだが、妹として兄が変な女に騙されるのは勘弁してほしいので、少しは気に掛けている。
それ以外に他意はない。
時間は進み、中学生になっても女子の告白を断り続けてきた翼であったが、高校生に進学すると異変が生じた。
いつの間にか特定のアイドルグループに強い関心を抱いていたのだ。
翼本人は誤魔化しているようであったが、283プロダクションに所属しているアイドルが出ている雑誌を購入し、彼女たちが出演したTV番組を毎回録画している時点で相当入れ込んでいるのは明らかだ。
兄が女性アイドルのファンになったのを知ったとき、正直軽い失望を覚えた。
高校生になったばかりの私は、アイドルのことを笑っているだけでチヤホヤされる存在と考えており、そんな存在に熱中する男子たちを馬鹿みたいと思っていたからである。
しかし、雑誌やテレビを見る翼の表情は、私が知る一般的なファンとは何かが決定的に違う気がした。
翼が私や透たちに向ける視線と同じものを、283プロのアイドルたちにも向けているように感じたのだ。
けれど、話を聞く限り兄と彼女たちには接点がない。
どんなに調べても翼と283プロのアイドルを結びつける『何か』は見つからなかった。
面識のないはずの相手に、あの翼が特別な感情を抱いている…そのことに、何故か胸の中にでモヤモヤとした気持ちが生まれた。
『ねぇ、最近アイドルが出演しているテレビをよく見ているけど、彼女たちのどこがいいの?』
『ん、どこがと言ってもな……彼女たちを見ていると、自然と応援したくなるんだ』
『ふーん…』
翼に直接聞いてみたが、抽象的な答えしか返ってこなかった。
私と同じように透や雛菜、小糸も気になって聞いてみたようだが、全て同じ回答が返ってきたようであった。
その後も兄は熱心に283プロのアイドルたちを応援しているようであったが、ふとしたときに寂しそうな表情を浮かべていることに私はもちろん幼馴染たちも気づいていた。
透たちは具体的にどの部分が好きなのか深く聞いているようであったが、私はどうしてもそれ以上深く尋ねる気にはならなかった。
そして月日は流れ、透が283プロのプロデューサーにスカウトされ、その事務所のアイドルになった。
それを知った雛菜と小糸も、透と同じ283プロのアイドルになるために動き始めた。
──透は、歩み出してしまった。
──雛菜と小糸も、彼女に続いて歩き出そうとしている。
──今までみたいに、5人で過ごす日々はもう戻って来ないかもしれない。
それでも、前に踏み出すことで彼が見ている世界を自分も見ることができるのしたら、私は──。
……気づいたら283プロダクションの事務所の場所を検索し、私はその場所へと足を運んでいた。
そこでプロデューサーである椿さんに出会い、彼女にスカウトされて私もアイドルになった。
いや、アイドルになってしまったという言い方が正しいのだろう。
なぜなら、私はアイドルに───。
◇◆◇◆◇
「───それで、円香さんはどちらの仕事がいいと思う?」
声をかけられたことにより、私の意識は現実に戻される。
場所は事務所の一室。時間は平日の夕方。
今日は仕事ではなく、プロデューサーである椿さんとの打ち合わせであったのを思い出す。
彼女が作成してくれた資料に目を通している間に、いつの間にか過去を思い返していたようであった。
「…すみません、少し別のことを考えていました」
「ふふ、円香さんにしては珍しいわね。一体何を考えていたの?」
私の言葉を聞いて特に気を悪くした様子を見せない椿さんは、優しい表情でそう聞いてきた。
「……」
椿さんがプロデューサーとして、私のことを知ろうとしてくれるのは理解できた。
数ヶ月接したことで、彼女が能力、人格ともに優秀で、私たちのプロデューサーとして信頼に値するのはわかっていた。
だけど…。
「…椿さんに初めて会ったときのことを思い出していました」
嘘ではない。しかし全てではない。
「ふふ、懐かしいわね。夜遅くに円香さんが事務所の前で待っていたのは凄く驚いたわ」
「あのときはご迷惑おかけしました」
「いいの、いいの。おかげで円香さんをスカウトすることができたしね」
そう言って椿さんは嬉しそうに私に笑いかける。
…どうしてこの人は私なんかをアイドルにスカウトしたことを嬉しそうに話すのだろう。
「ありがとうございます」
内心に生じた疑問を口には出さずに感謝の言葉を告げる。
「それで、資料の方は読み終わったかしら?」
「はい、大丈夫です」
椿さんから渡された資料には、私個人ではなくユニットとしての今後について記載されていた。
「幸運なことに、ノクチルとしての初仕事はたくさんの選択肢があるわ。私はこの中から、みんなの魅力が最大限発揮できるものを選ぶつもりよ」
私はもちろん、透や雛菜、小糸は個人としての仕事を既にこなしているが、ノクチルとして4人で仕事を引き受けることはまだ1度もなかった。
結成されたばかりのユニット…それも全員が素人の女子高生だから話題にならないのも当然で、ユニットとしての仕事のオファーは全くなく、ノクチルというユニットは名ばかりのものであった。
もっとも、それは少し前までの話である。
「これもみんなが頑張ってくれたおかげよ。特に透さんと円香さんの仕事の評判の良さが大きいわ」
つい最近、ノクチルというユニットへの初仕事の打診が一気に舞い込んだ。
椿さんによると、私と透は仕事先からの評価が高く、中には他の営業先に紹介してくれている人もいるらしい。
「期待の新人アイドルが所属するユニットとして話題になり、仕事のオファーが一気に増えたわ。同時に悩ましい問題が生まれてしまったけれどね」
その話は既に翼から聞いている。
『ノクチルさんの初仕事をぜひうちで!』と複数の営業先から熱烈なオファーを受けたのは兄だからである。
嬉しそうな表情で私に話してくれたことは記憶に新しい。
「もちろん全て引き受けるのがベストだけれど、いくつかの営業先から初仕事はぜひ自分のところでと熱烈なオファーを受けているの」
「それは…光栄なことですね」
「そう、とても光栄なことよ!…だけど残念なことに、初仕事として引き受けることができるのは1つだけ。だからね、円香さんは他のユニットメンバーである透さん、雛菜さん、小糸さんとよく相談して初仕事を決めてほしいの」
「いいんですか?椿さんが望む仕事を選ばないかもしれませんが…」
「ふふ、私のことは気にしなくていいわ。それにね、貴女たち4人が選んだことにきっと意味があると思うの」
「意味、ですか…」
「もちろん、完全に丸投げするわけではないわ。オファーされた仕事の詳細を聞きたい場合はいつでも説明するし、それ以外の相談もいつでも乗るしね。でも、最後に選択するのはあくまでノクチルのみんなよ」
「…期限はいつまでですか?」
「今週末までよ。あまり時間がなくて申し訳ないけれど…」
「いえ、大丈夫です。ちなみにこの話は他のメンバーには…」
「えぇ、透さんたちにも1人ずつ呼んで既に話をさせてもらったわ」
「…わかりました。どんな結果になるかわかりませんが、4人で話し合ってみます」
「ありがとう。…しつこいようだけど、私のことは考えなくていいからね。円香さんたちがどんな仕事を選択しても、それを成し遂げるために今まで通り全力でサポートするわ」
椿さんは頼もしい発言を口にしながら、真っ直ぐな瞳で私のことを見つめてくる。
彼女のその言葉に嘘はないだろう。
たとえ私たちがつまらない仕事を選んでも、嫌な顔を見せず笑顔で支えてくれるのは容易に想像できる。
……椿さんと話していると、なぜか兄の姿が脳裏をよぎる。
「ありがとうございます、椿さん。それで、いくつか聞きたいことがあるのですが───」
その後、間違っても大変な仕事を選ばないために、資料には記載されていない部分などを椿さんに質問するのであった。