それは、在りし日の思い出。
『じゃあさ、つぎはみんなでりょこう行こう』
『旅行…?』
『うん。車で行こうよ、みんなで』
『わ、ほんと~?じゃあ、パパの車で~?』
『ううん、うちらの』
『え、とおるちゃん、うちらのって…』
『買おう、うちらの車』
『はは、それはいいな』
『ん、でしょ?』
『つばさ、なに笑っているの。買えるわけがない』
『あは~、なんで~?』
『車はすごくたかいの。なん万もするっていってた』
『んー…ためればいいじゃん。おばあちゃんちでもらってくるから、おこづかい』
『わ、わたしもためる…!』
『じゃあ、ひななも~!』
『そんなにかんたんにたまらない。それに、運転めんきょがいるんだよ。おとなにならないと、運転できないんだから』
『だいじょうぶ、つばさがいるから』
『お、俺か…?まぁ今すぐには難しいけど、大人になったら運転は任せてくれ』
『え、えへへ、つばさくんがいればあんしんだね!』
『でも、おとなになるのはどれくらいかかるの~?』
『そうだな…後10年くらいかな。そのときまでにお金も貯めておこうか』
『うし、めざせマイカー、だね』
『…ちょきん箱、あったかな』
『それで、みんなは車を買ったら最初にどこに行きたいんだ?』
『───海に行こう』
…
……
………、
「───夢、か」
◆◇◆◇◆
学校終わりの夕方。
円香、透、雛菜、小糸の4人はノクチルにとって初仕事となる候補一覧が記載された資料を部屋に広げて話し合っていた。
「わ、私たちの初めてのお仕事、何がいいかな…?」
「雛菜、これがいい~!」
「それって、お菓子を食べて感想を言うお仕事だよね?」
「初仕事が食レポとか難易度高くない?」
「う、うん…私も自信ないかも…」
「えぇ~、雛菜、お菓子食べたい~!」
小糸の問いかけに雛菜が元気いっぱいの答えを返す。
ノクチルとしてではなく、自分が今やりたいことを基準にして初仕事を選ぶ自由な雛菜に、円香は思わず苦言を呈す。
「はぁ…雛菜、真面目に考えて」
「えぇ~!?雛菜、真面目に考えているのに~!」
「やっぱり、有名な番組を選んだ方がいいのかな…と、透ちゃんはどう思う?」
「んー…まずどれが有名かわからん」
「…椿さんから話聞いてなかったの?」
「え、樋口が聞いてると思ったから、大丈夫かなって流しちゃった」
「…はぁ、適当すぎでしょ」
透の発言に円香は呆れた表情を浮かべる。
そんな彼女をフォローするように小糸は床に広げている資料を指さしながら声をかける。
「えっとね、この中だとこれが1番知名度があるってプロデューサーさんが言ってたよ!」
「あは~、この番組って何だっけ~?」
「生配信で歌やダンス、おまけにトークを披露する番組」
雛菜の疑問に、円香が表情を変えずに答える。
「円香先輩、詳しい~」
「な、生配信…あまり自信ないかも」
「ん~…それじゃあ、小糸ちゃんが自信あるものから選ぶ~?」
「ぴゃあっ!?」
「ん、いいね」
「と、透ちゃんっ!?」
「小糸が決めた仕事なら問題ないし、いいんじゃない」
「ま、円香ちゃんも…!」
雛菜の提案に透と円香が追随する。
「も、もう…!みんなしてからかわないでよ…!」
4人がいつも通りのテンションで会話を続けていると、部屋の扉を開けて新たな人物が姿を見せた。
「ただいま、順調に話し合いは進んでいるか、みんな?」
「おかえり、翼」
「おかえりなさ~い、翼先輩~!」
透と雛菜が出迎えの言葉をかけ、彼女たちに続いて小糸が進捗を口にする。
「えっとね、話し合ってはいるんだけど、まだ決まってなくて…」
「ははっ、ゆっくり決めてもらえば大丈夫だよ。まだ期日までには時間があるしな」
「…別に私たちで決めなくても、そっちが決めればいいのに。時間の無駄じゃない?」
唯一、円香のみは棘がある言い方で翼に文句を言う。
それに対し、彼は気にした様子を見せないで円香に返答する。
「いいや、この時間は決して無駄にならないよ。それにやっぱり初仕事はみんなが選んだものにしたいからな」
「…私たちにとってはいい迷惑」
「それはすまない。だけど、椿さんからも言われていると思うが、俺もみんなから相談があれば答えるつもりだ。何か分からないことがあったらいつでも聞いてほしい」
「…私たちがどんな仕事を選んでも本当に後悔しない?」
「あぁ、後悔はしないし、させるつもりはない。それが円香、透、雛菜、小糸の選択なら、俺は全力でその意思を尊重するよ」
円香の詰問に真摯な態度で答えていく翼。
そんな彼の言葉が嘘でないことを誰よりも知っている円香は、それ以上この話題をぶり返すことはなかった。
兄妹の会話が一段落ついた後、小さな笑みを浮かべた透がある提案を口にする。
「ふふ、じゃあこうしよう。いっせーので指をさして、みんなが同じものを選んだら、それに決定」
透の提案を聞いて、彼女以外はポカンとした表情を浮かべる。
だが、面食らった表情をするのも一瞬、雛菜は破顔し、小糸は困り笑顔を浮かべ、円香は静かに口角を上げる。
「あは~、雛菜は透先輩に賛成~!」
「こ、こんな決め方でいいのかな…?」
「まぁ、私たちらしい決め方でいいんじゃない?…こんな決め方でもプロデューサーやマネージャーは文句は言わないらしいしね」
「…あぁ、もちろんだ。しかし、この決め方は流石に予想外だったよ」
円香の挑戦的な言い方に、翼は困った表情を浮かべながらも彼女たちの選択方法を決して否定することはなかった。
そして透たち4人は、床に広げられた資料…その中から各々1つを選ぶ。
「「「「せーの」」」」
「──ははっ!」
選び終えた4人が掛け声と共に指差した結果を見て、翼は思わず笑いをこぼすのであった。
◆◇◆◇◆
「それで、4人とも意見が一致する…なんてことはなく、全員バラバラだったのね」
「はい、それはもう見事なほどに。結局4人の意見が一致するまで10回は繰り返しましたよ」
ノクチルの初仕事が決まってから一週間後。
翼は283プロの専属トレーナーの女性とレッスン室の外で談笑していた。
「ふふっ、長年一緒にいる幼馴染なのに、誰とも被らないのは逆に凄いんじゃない?」
「えぇ、本当にそうですね」
「でもまぁ、あの子たちらしいといえばらしいわね。…そうそう、本題の進捗だけれどボーカル、ダンス、ビジュアルともに順調の仕上がりよ」
「っ!…詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか」
「えぇ、もちろんよ」
トレーナーは、ノクチルのレッスン進捗の詳細について翼に話す。
「ボーカルに関しては、円香さんが頭一つ抜けているわね。雛菜さんと小糸さんの2人はこの調子でレッスンを続けていれば本番は大丈夫よ。透さんは…素晴らしい歌声だけど歌詞を忘れることがあるのが大きな問題ね」
「…透には後で話しておきます。それで、ダンスの方はどうでしょうか?」
「ダンスに関しては、雛菜さんのセンスが飛び抜けているわね。透さんと円香さんも彼女には劣るけど、素晴らしいセンスを持っているわ。小糸さんは…彼女たちのようなセンスはないけれど、安定感は一番あるわね」
「安定感ですか。やっぱりそれは…」
「翼くんの察した通り練習量の差ね。雛菜さんは小糸さんに比べると練習量が少ないからスタミナが心配なの。本番のステージは練習と違って体力の消費が激しいから、終盤にダンスのキレが落ちる可能性があるわ」
「なるほど…円香と透の方はどうでしょうか?」
「円香さんは小糸さんの次に練習量が多くて、しかも最近ではランニングによる体力強化を行っているから問題ないわ。透さんは一見スタミナがあるように見えるけれど、所々で力をセーブしているのが問題ね。見る人が見たら手を抜いているのがわかってしまうわ」
「…わかりました。最後にビジュアルレッスンの方はどうでしょうか?」
「そうね…今回の初仕事には関係ないからここ1週間はボーカル、ダンスを重点的に鍛えているわ。なので、ビジュアルレッスンは最低限しかやっていないけれど、それでもみんな順調に成長していっているわ」
「そうですか…よく指導してくださり、本当にありがとうございます。イベント当日まで残り2週間を切りましたが、これからもノクチルのことをよろしくお願いします」
「えぇ、こちらこそよろしくお願いね。ノクチルの初仕事が無事に成功するようお互い頑張りましょう」
「……」
(ノクチルの初仕事…前回は俺のせいで『失敗』してしまった初仕事か…)
トレーナーのその言葉に、翼は思わずプロデューサー時代のノクチル初仕事を思い返し、万感胸に迫って言葉が一瞬出て来なかった。
「翼くん、大丈夫…?」
「あ…少しぼーっとしてしまいました。す、すみません…!」
「いやいや、私は全然大丈夫だよ。でも、そっか…翼くんも人並みに思いつめたりするんだね」
いつもとは違う翼の表情からトレーナーは悩みがあるのを見抜き、心配で声をかけた。
「…恥ずかしい話、彼女たちの初仕事が成功するか不安で最近はあまり眠れていないかもしれません」
「そうだったのね…翼くんは高校生というのが信じられないくらい立派だから、そういう感情とは無縁だと思ったけれど…ちなみに具体的に何が不安なのかしら?」
「えっと…初仕事で問題を起こしてしまい、今後の仕事に支障が出たりしないかと…」
「なるほどね、翼くんの考え過ぎだとは思うけれど、絶対にそんなことが起こらないという保証はないもんね」
前回、翼がプロデューサーだったときのノクチルの初仕事は盛大にやらかした。
生ライブのため取り繕うこともできず、芸能業界と世間から大バッシングを受けて干されてしまった。
そんな大失敗してしまった苦い経験を持つ彼にとって、2度目となるノクチル初仕事は何としても成功させたいという思いが強い。
しかし同時に、また前回と同じことになってしまい彼女たちを傷つける結果になるのではないかという不安を抱かずにはいられなかった。
「私がここで何を言っても翼くんの不安はなくならないと思うわ。それなら、私が言えることはただ1つ。それは…」
「それは…?」
「ノクチルのレッスンを見学しなさい!それが不安の払拭につながると私は思うわ」
「ノクチルのレッスンの見学ですか…?」
「えぇ、時間が許される限り彼女たちのレッスンを見ていてほしい。そこでアドバイスがあれば口を出してくれても大丈夫だし、何ならトレーナーの私にも要望を言ってくれて構わないわ」
「え、流石にそれは…」
「遠慮しないで。私としては翼くんがいた方がレッスンの効率が上がると判断しただけよ。そして完成されていく彼女たちの姿を見ていけば、きっと君も安心するはずよ。これほど歌えて踊ることができるんだがら、本番も絶対大丈夫だってね」
トレーナーは力強くそう言うと、最後に場の雰囲気を和ませるために翼へウインクする。
「トレーナーさん…ありがとうございます。それではお言葉に甘えて、明日から見学したいと思います」
「えぇ、プロデューサーさんやノクチルへの連絡は任せても大丈夫かしら?」
「はい、任せてください!」
その言葉通り、次の日から翼はノクチルのレッスンに顔を出すようになった。
彼の見学については、ノクチルの一部のメンバーから反対意見も飛び出したが、最終的には多数決で許可された。
そしてレッスンを実際に目にした彼は、時には助言や褒め言葉を伝え、またある時には苦言を呈したり、叱ったりして4人と真剣に向き合った。
後にトレーナーが「彼がいるとノクチルの輝きが増すわね」と思わず言葉をこぼすほど、レッスン効率が伸びるのであった。