『♪~』
───音が、流れる。
凪いだ海をイメージしたライブ衣装を身に纏ったノクチルの4人がステージに姿を現す。
『♪~~』
───歌が、響く。
彼女たちの歌声に、休憩目的で座っていた女性が姿勢を正し、耳を澄ます。
『♪~♪~』
───海が、舞う。
彼女たちの踊る姿を、携帯を弄っていた男性が画面から目を離し、ジッと見つめる。
『『『『♪~~』』』』
透き通る歌声を披露し、軽快にステップを踏み、心を込めて唄い、楽しそうに舞い踊る4人の姿はキラキラと輝いていた。
そんな彼女たちのステージに、多くの観客は釘付けとなる。
『───』
やがて、ノクチルの1曲目が終わりを迎える。
観客に向けてお辞儀をする彼女たちに対し、会場から拍手が起こる。
『パチパチパチ』
数人から始まった小さな拍手であったが、周りの人もそれに釣られるように拍手をする。
『パチパチパチパチパチ!』
拍手は次第に大きくなり、歓声も聞こえ始める。
『──────!!』
最後には会場を包むほどの拍手が沸き上がるのであった。
☆★☆★☆
「───本日はお越しくださいましてありがとうございます。次の曲を始める前に、簡単にですが自己紹介をしたいと思います。私はノクチルの樋口円香です。そして隣にいるのが…」
「あは~、ノクチルの市川雛菜で~す♡今日は最後まで楽しくしあわせでいてくださいね~!」
「お、同じくノクチルの福丸小糸です…!みなさん、今日は来てくださって本当にありがとうございます!よろしければ、もう1曲お付き合いください…!」
「ノクチルの浅倉透です。あー…やばい、考えてなかった、挨拶」
透の発言を受けて、会場から笑いがこぼれる。
「んー…楽しも、今この瞬間を。あそこのジェットコースターに負けないくらい」
透のその言葉を合図に、イベントライブは2曲目に移る。
『♪~』
多くの観客から注目を集めてライブするのは今回が初めてであり、ノクチルは期待という名の見えないプレッシャーを背負っていた。
レッスンのときよりも身体が重く感じる中、それでも、彼女たちはいつも通りに歌い、踊り続けた。
『♪~~』
(ふふ、進行の台詞は忘れても、もう歌詞は忘れない)
『♪~♪~~』
(本番でも変わらない…私はいつも通り歌うだけ)
『~~~~!』
(あは~、雛菜まだまだ踊れそう~♡)
『───!───!』
(大丈夫、あれだけいっぱい練習したんだもん…!)
ステージで舞う彼女たちは、目の前の観客を見据えながら、今までの練習を思い返す。
このライブイベントのためにレッスンを励んでいた円香たちにとって、翼が見学した2週間は大きな意味を持っていた。
下手な歌や踊りを見られたくない、上手に踊れたら褒めてほしい、自分のことをもっと見ていてほしい、等々。
今までのレッスンを真剣に取り組んでいなかったということでは決してないのだが、翼が見学し始めてからのレッスンは気合いの入り方が段違いだった。
練習でありながら本番に劣らないくらいの緊張感で取り組んだことで、ノクチルはライブ曲の完成度を劇的に高めていった。
ライブイベント前日の最終チェックでは、トレーナーから「私から言うことは何もないわ。1ヶ月間よく頑張ったわね」との言葉を頂いて、ノクチルは今回のライブに臨んでいた。
『───!!!』
そして、2曲目も終わりを迎え、歌い踊り終えた彼女たちに対して、先程を上回る拍手と歓声が沸き上がるのであった。
☆★☆★☆
「いやぁ、素晴らしいステージでしたねぇ。やはりノクチルさんに頼んでよかったですよ」
「ありがとうございます。そのように言っていただき光栄です」
「ハハ、年甲斐もなく夢中になってしまいましたよ。彼女たちはこれで新人なんですから、末恐ろしいですねぇ」
ノクチルのステージを見て絶賛するイベントの責任者に、プロデューサーの椿は笑顔で言葉を返す。
そのやり取りを見ていた男性職員は上司に見えないようにガッツポーズをとる。
彼の隣に控える女性職員は「子ども染みた真似して…」と呆れた表情を浮かべながらも、決して男性職員のその行動を咎めることはなかった。
一方、その頃。
出番を終えたノクチルの4人は舞台裏でスタッフから労いの言葉をかけられながら、マネージャーである翼の誘導で休憩室へと足を運んでいた。
「みんな、お疲れ。次の出番までまだ時間あるから、ゆっくり休んでくれ」
「雛菜、何か甘いものがほしい~」
「そう言うと思って、ちゃんと用意してあるぞ」
「ん~~、このチョコ、おいしい~♡」
「はは、雛菜の口に合ってよかったよ。他のみんなも好きなものを食べてくれ。もちろん、飲み物もあるぞ」
「あ、ありがとう、翼くんっ!」
「ふふ、あざーす」
「……」
「円香、冷やしてあるミネラルウォーターならそこのクーラーボックスに入っているぞ」
「ん」
今日は3回ライブイベントを行う予定であるため、円香たちは休憩して身体を休めることした。
そして2時間後。
しっかり体力を回復させた彼女たちは、本日2回目となるライブイベントを披露するために舞台袖へと移動する。
そして定刻になると、ノクチルは先程の倍以上埋まっている観客席──その中には先程観ていた人も多く混ざっている──に視線を向けて、再びステージで舞い始めた。
『♪~♪~♪~』
(頑張れ…!透、雛菜、小糸、円香…ッ!)
舞台袖からライブを見守っている翼は、心の中で彼女たちを応援する。
4人の歌や踊りは確かに素晴らしいが、彼女たちよりも上手く歌い、より高レベルなダンスを踊るアイドルは他にもいるだろう。
曲と曲の間に挟まるトークだって、お世辞にも上手とは言えない。
透や雛菜は自分が言いたいことしか言わないし、円香は言葉数が少なく、小糸は緊張から噛んでしまうことだってあった。
それでも、彼女たちノクチルには人を惹きつける『何か』が確かに存在した。
それは透のオーラなのかもしれないし、円香の歌なのかもしれない。
雛菜のダンスなのかもしれないし、小糸の一生懸命頑張る姿なのかもしれない。
ずっと彼女たちを見守ってきた翼でさえ明確に言語化するのは難しい。
それでも、ノクチルが今この場で最も輝いているアイドルだというのは紛れもない事実であった。
───この日のライブイベントを契機に、ノクチルの名は全国へと知られることになる。
◇◆◇◆◇
予定されていた3回のライブイベントを無事に終えたノクチルは、最後にイベント責任者から直接称賛の言葉を頂いて、ユニット初仕事は幕を下ろした。
「あは~、雛菜すごく楽しかった~♡」
「う、うん…!私たちの歌と踊りで、あんなに喜んでくれるなんて夢みたい…!」
帰り支度をしながら、雛菜と小糸が興奮気味で初ライブの感想を口にする。
「……」
一方その頃、誰もいなくなったステージに戻ってきた透は、何をするわけでもなくただ立っていた。
「透、こんなところにいたんだな」
そんな彼女に向かって、翼は声をかける。
「ふふ…よく私がここにいるってわかったね」
「ずっと一緒にいるからな。…ただ、万が一のことがあるし、別行動するときは誰かに声をかけるようにしてほしいよ」
「えー、必要ないじゃん。こうして翼が見つけてくれるなら」
「あのな、透…」
「ふふ…ごめん、次からは気を付ける」
「まったく…それで透はもう帰る準備は終わったのか?」
「グー、いつでも帰れるよ」
「そうか…その、観覧車やジェットコースターに乗る時間はなかったけど、このまま帰って大丈夫か?」
「うん、大丈夫だけど…ん、翼は乗りたかったの?」
「いやいや、俺じゃなくて透たちだよ。だってみんなは──海が見たくてこの仕事を選んだんだろう?」
それは、ノクチルの4人がテーマパークのライブイベントを選んだ理由。
『───そうだ、海に行こう』
いつまで経っても4人の意見が一致しない中、突然飛び出た透の言葉。
最終的に彼女たちは海に行くという理由で意見が一致し、いくつかの候補の中で最も海が近い今回の仕事を選択したのだ。
「あー…そういえば、そうだった。ふふ、忘れてた」
「忘れてたって、透…」
「まぁいいじゃん、別に。海は逃げないし」
「確かに、海は逃げないけどな…」
「それにさっき偉い人に言われたじゃん、私たちにまたお願いしたいって」
「あぁ、そうだったな。…透はさ、今回の仕事を引き受けてよかったか?」
「え…うん、ライブは楽しかったし、それに…」
「それに?」
「アイドルになったんだって、この仕事で初めて実感できたから」
「そうか……そうかっ…!」
透の口からその言葉を聞いたとき、翼は嬉しさのあまり大声を出す。
「っ…ビックリした…どうしたの、いきなり?」
「ごめん、つい嬉しくてな…なぁ透」
「んー?」
「頑張ろうな、次の仕事も」
「ふふ、了解」
◇◆◇◆◇
その後、行きと同じく椿の運転で自宅へと帰ることにした翼たちは、多くのスタッフに笑顔で見送られながら帰路に着いた。
その中には翼と熱心に打ち合わせしてくれた男性職員もおり、「上の会議が終わったらまたすぐ候補日を連絡入れるのでよろしくっす!」と最後までテンション高いまま別れを告げた。
自宅へと送ってもらった頃にはすっかり夜になっており、翼たちは椿にお礼を告げて各々の家へと戻るのであった。
「円香、今日のライブイベントはどうだった?」
自宅にあがり、翼は円香に今日の感想を尋ねる。
「…漠然とした質問。何が聞きたいの?」
「えっと、楽しかったとか、嬉しかったとか…」
「なにそれ、小学生みたいな感想」
円香の冷たい反応に翼は言葉が詰まりながらも口を開く。
「うっ…えっとな、円香がユニットでの初仕事を終えてどう思っているのか俺は知りたいんだ」
「……」
「ダメか?」
翼の問いかけに、円香は重く閉じていた口を開く。
「…翼が期待している感想が出ないとしても、聞きたい?」
「あぁ、聞きたい。円香のマネージャーとして…そして兄として、円香の言葉で俺は聞きたい」
「───中途半端」
「え…?」
「今の私は何もかも中途半端。歌もダンスも、理想に届いていない。今回はたまたま盛り上がったけど、そんな幸運は何度も続かない」
「……」
円香の言葉を、翼は口を挟まず黙って耳を傾ける。
「私は透たちと違ってアイドルになるつもりはなかった。アイドルになれば嫌でも自分の限界を思い知らされることになる。それがわかっていたのに私は……」
最後まで言葉は続かず、途中で口を閉ざす。
それでも、彼女が言いたいことを翼は理解できた。
「後悔しているのか、アイドルになったことを」
「…よくわからない」
「そうか…話してくれてありがとう、円香。そして、これだけは言わせてくれ───アイドルになったことを絶対に後悔させたりしない」
「…歯の浮くような台詞」
「はは、かもな。…円香の歌やダンスは素晴らしいよ。実際に今日ライブを観てくれた人も同じことを思ったはずだ」
「そんなの、翼の都合のいい願望でしょ」
「いいや、残念ながら現実だ。これを見てくれ、円香」
翼はそう言って、円香に自分の携帯電話の画面を見せる。
「え、これって…」
そこには今日のライブイベントに来てくれた人の感想がネットに書き込まれていた。
『ノクチルって今日初めて知ったけど、ライブ見て秒でファンになったわ』
『樋口円香さんの歌が素敵だった!また聴きたくてアトラクションそっちのけで何度も見に行っちゃった』
『これで無名とかビックリ。樋口円香、この子は大物になるな~』
『いやいや、円香ちゃんだけでなく、みんな大物になる未来が見えたね、俺は!』
『樋口さんの歌声また聴きたいな~。ノクチルのライブ、またやらないかね』
「これはほんの一部だけど、今日ライブイベントを見てくれた人たちの偽りのない感想だ。どうだ、これだけ円香の歌声を、ダンスを見てファンになってくれた人がいるんだ」
「この人たちが、私の…私たちのファン…」
「あぁ。あの歓声は嘘じゃない。あの盛り上がりは幸運なんかじゃない。円香の、そしてノクチルみんなの実力で勝ち取ったものだよ」
「ッ……本当、キザな台詞…っ」
キッと翼を睨む円香であったが、いつもよりもその眼に力はなかった。
そんな彼女に、翼は優しい表情を浮かべながら言葉を掛ける。
「円香が本気で望めば何にでもなれる。だから、円香自身の理想に届く手伝いを俺にもさせてくれないか?」
「……」
その言葉を聞いて、円香はしばらく沈黙を続ける。
そしてしばらくすると、答えを返さずに彼から離れて行く。
「円香…」
何も言わずに去って行く妹の背中に、翼は心配そうな眼差しを向ける。
どうするべきか悩む彼の携帯に着信が入った。
(今のはチェインの通知音…椿さんからの連絡かな?)
翼は自身の携帯を確認する。
チェインの送り主は意外な人物からであり、翼は急いでコメントに目を通す。
『甘い言葉だけ吐く人を私は頼れない』
『だから行動で示して』
『その言葉が嘘じゃないことを、無理矢理にでも私に信じさせて』
たったの三行の言葉。
それは紛れもない彼女自身の本心が綴られていた。
「───任せろ、円香」
☆★☆★☆
───W.I.N.G.第2シーズン終了まで、残り4週。
これにて、ノクチル初仕事イベント『天游』終了です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。