ノクチルの初仕事を終えた翌週。
テーマパークでのライブイベントを契機に、右肩上がりでノクチルへの営業依頼が増えてきた。
そのため、翼はノクチルのマネージャーとして、毎日定時ギリギリまで仕事をこなす日々を送っていた。
本当は前世のプロデューサー時代のように、夜遅くまで残って仕事をできたらよかったのだが、今の彼は現役の高校生である。
高校生に遅くまで残ってもらうわけにはいかないとプロデューサーの椿や事務員のはづきに半強制的に事務所から追い出されてしまうので、健全な労働時間の範囲内で働いていた。
また、どうしても期日が近い仕事がある場合は、椿やはづき、時には天井社長が手伝ってくれるので、翼が事務所で残業することはほとんどなかったりする。
ここまで退勤時間を徹底している理由として、年若い翼が働き過ぎないよう大人組が気にかけているのもあるが、彼が夜の遅くまで働いてしまうと、283プロが未成年者を遅くまで働かせるブラック企業だと勘違いされる恐れがあるためだ。
実は数ケ月前に、とある記者から『あの283プロダクションにブラック企業疑い!?』と記事にされたことで、天井社長を主導に労働環境には気を付けるようになっていた。
もちろんその記事は大部分が根も葉もない内容*1であったのであまり話題にならなかった。
しかし、その後も事務所にその悪徳記者が取材に来ることもあり、下手に弱みを握られないためにも未成年者には残業をさせないよう事務所一丸となって取り組んでいるのであった。
閑話休題。
翼は今日も事務所のデスクで、次のノクチルの仕事書類を作成していた。
(よし、キリがいいところまで仕事も進んだし、コーヒーでも飲んで一息吐こうかな)
デスクから離れた翼はキッチンに寄って慣れた手つきでコーヒーを淹れる。
そしてできたコーヒーを片手に休憩室へ足を運ぶと、既に先客がいた。
入ってきた翼に気付いていないのか、机に向かってうんうん唸っている金髪の女の子───八宮めぐるに声を掛けることにした。
「めぐる、お疲れ様。勉強中か?」
「あ、お疲れ翼~!うん、次の仕事まで時間があるから勉強しているんだ!」
声を掛けられためぐるは一瞬驚いた表情を浮かべたが、声の主が翼だとわかるとすぐにいつもの快活な笑顔で答えてくれた。
めぐるの手元を見れば机に教科書やノートが広げられており、どうやら数学を勉強中のようであった。
「仕事も忙しいのに、しっかり勉強もしていてめぐるは偉いな」
「えへへ、そんなことないよ。あ、ここでコーヒー飲む?テーブルの上占領しててゴメンね、今場所を空けるね!」
「いや、大丈夫だよ。めぐるの勉強の邪魔になってしまうし、俺は別の場所でコーヒーを飲むとするよ」
自分がいると勉強に集中できないだろうと考えての発言であったが、そんな翼の気遣いにめぐるは不満げな表情を浮かべる。
「も~、そんな寂しいこと言わないでよ」
「でも…」
「わたしは気にしないし、むしろ勉強が得意な翼が隣にいてくれたらアドバイスもらえるかもって期待してるんだっ」
「…ははっ、めぐるがそう言うなら、期待に応えようかな」
「やった!あのね、この問題がわからなくて悩んでたの!」
「ん、この問題か……なるほど」
めぐるが指差した問題を読んだ翼は、高校1年生の内容であったため難なく答えを導いた。
そしてめぐるに分かりやすいよう解説を入れながら教えていく。
「───と、いう感じだな。今の説明で何か分からないところはあるか、めぐる?」
「ううん、しっかり理解できたよ!」
「それはよかった。めぐるは理解するのが早いんだな」
「えぇ~、わたしじゃなくて翼が教えるの上手なだけだよ!数学の先生のより説明わかりやすかったし」
「はは、それは言い過ぎだと思うが…めぐるの役に立ててよかったよ」
「えへへ、翼は優しいね!あのね、実はまだ何個かわからない問題があるんだけど…まだ時間あるかな?」
「ん、後20分くらいなら大丈夫かな」
透や雛菜に勉強を教える機会が多い彼にとって、解き方を分かりやすく教えるのは慣れているため、その後も特に苦戦することなくめぐるに勉強を教えていった。
そして20分後、翼の解説付き勉強を終えためぐるは、頭をフル回転させたことで少し疲れた様子を見せながらも、達成感に満ち溢れた表情を浮かべていた。
「勉強教えてくれてありがとね、翼!おかげで次の数学の試験はバッチリだよ」
「それはよかった。ちなみに次の試験はいつ頃なんだ?」
「それがね、実は来週からなんだ。うぅ、今から気が重いよ~」
「はは、うちの高校も来週からだな」
「そうなんだ!どこの高校も来週試験なんだね~」
めぐると会話中に翼の携帯から着信音が鳴る。
めぐるに断りをいれて携帯の画面を確認すると、雛菜からのチェインであった。
「仕事の連絡だった?」
「いや、雛菜からだ。さっき話した通り試験が近いから、明日勉強を教えてほしいみたいだ」
「そうなんだ!翼、引っ張りだこだね~」
「ははっ、そうでもないさ。さて、小糸にも明日来るか聞いてみないとな」
「なになに、雛菜以外も参加するの?」
「あぁ、用事がなければ透、小糸、円香も集まって勉強しているんだ。まぁ明日は透と円香の2人は仕事だから参加できないけどな」
「勉強会だ!いいな、わたしもやりたいな~」
「よければ、めぐるも参加するか?」
「え、いいの!?迷惑じゃないかな」
「雛菜に聞いてみるけど大丈夫だと思うよ。明日の透と円香の仕事の付き添いは椿さんがしてくれるから、俺も参加できるしな」
仕事が増えたノクチルメンバーの仕事に全て翼が付き添うと、彼が休める日がなくなってしまう。
そのため椿が付き添いで行ける日は、透や円香が仕事でも翼は休んでいるという場合も増えてきていた。
「じゃあじゃあ、真乃と灯織も誘っていいかな!?」
「もちろん。それも合わせて雛菜に今からメッセージ送ってみるけど、今回は透と円香がいなくて人数的に寂しかったから、来てくれると嬉しいよ」
(それに、雛菜や小糸にはこの機会に他のユニットと仲良くなってほしいしな)
透と円香が既にイルミネのメンバーと親交を深めているのは翼も知っていた。
しかし、雛菜と小糸はイルミネと親交が少ないようなので、機会があれば仲良くなってほしいと翼は考えていたのだ。
「雛菜から返信来たけど、お菓子持参ならオッケーとのことだ」
「こっちも真乃と灯織は明日参加できるって!ちなみに場所は誰かの家かな?」
「あぁ、円香は参加しないけど樋口家で行う予定だ。住所はチェインで送るけど、駅まで迎えに行こうか?」
「ちょっと待ってね、2人にも聞いてみる!」
めぐるはチェインでメッセージを送ると、程なくして真乃と灯織から返信が来たようであった。
「えっとね、迎えに来てもらわなくても大丈夫かな。ただ、道に迷ったら電話するかも」
「あぁ、そのときは遠慮なく電話してきてくれ。いざというときは迎えに行くから」
「ありがとう翼!それじゃあ明日はよろしくねっ」
こうして、イルミネ・ノクチルメンバーでの勉強会が急遽開催されることになった。
翼はこのとき、参加者が彼以外全員高校1年生であることに「はは、凄い偶然だな」程度しか思っていなかった。
まさかこの勉強会が283プロに波乱を巻き起こすことになるとは、今はまだ誰も知らないのであった。
◆◇◆◇◆
翌日。
仕事に出かける円香と透を翼は無事に送り出した。
その際、透にはずるいと何度も言われ、円香には何回も睨み付けられたのだが、帰ってきたら勉強をみると約束することで、どうにか納得してもらうというやり取りがあった。
もっとも最後まで円香は不服そうであり、その表情はまるで『私がいない間に部屋に女を連れ込むとかふざけてるの』と言っているようであったが、翼は見間違いだと思うことにした。
彼も伊達に十数年円香と兄妹をやっていない。
今下手に突っ込むと大変なことになるという予感をビンビンに感じていたので、彼女の逆鱗に触れないよう言動に細心の注意を払いながら最後まで2人を見送った。
朝から冷や汗をかいた翼は、その後みんなで勉強できるよう大きなテーブルと人数分のクッションを用意し、勉強会の準備を進めていく。
準備が終わり、時間通りに小糸と雛菜が姿を見せ、その後少し遅れて真乃、灯織、めぐるも迷うことなく樋口家に到着した。
そして、全員が翼(と円香)の部屋に揃ったところで勉強会が始まるのであった。
今回の勉強会は、得意科目がある人が教師役となって他の人に教え、定期的に科目を入れ替えて進めるスタイルを採用した。
ただし1人だけ学年が上の翼は、みんなからの要望もあって常に教師役として勉強を教えることになった。
「こ、この公式を使うと導き出せるので、そうしたらこれを…」
「あは~、小糸ちゃん、教えるの相変わらず上手だね~」
「こ、このくらい普通だよ…!」
「ふふ、凄くわかりやすかったよ、小糸ちゃん」
「あ、えっと…ありがとうございます」
「あは~、小糸ちゃん照れてる~」
「も、もう!からかわないでよ、雛菜ちゃん…っ!」
「あは~、雛菜本当のことを言っただけなのに~」
「ふふっ」
小糸が真乃と雛菜に数学を教えていく。
元より理解力がある2人であったため、丁寧な小糸の説明にスラスラと問題を解いていった。
「めぐるは歴史が苦手なんだな」
「うん、年号や名前が覚えられなくて…何かいい方法ないかな?」
「そうだな…歴史は流れで覚えることが大切だから、いきなり全て暗記しようとしても難しい。まずは大まかな流れから覚えていこう」
「うん!」
「あとは語呂合わせや替え歌で覚えるのも1つの手だけど、メジャーなものしか俺は知らないしな…」
「あの、翼さん!こ、これを…!」
「灯織、これは…歴史の語呂合わせか。でもこれは、見覚えのないものばかりだな」
「はい、私なりに語呂合わせを作ってみたのですが、どうでしょうか…?」
「そうだったのか。凄いな灯織は…うん、覚えやすくていい語呂合わせだと思うよ」
「ありがとね、灯織~!」
翼がめぐると灯織に歴史を教えていく。
めぐるは年号や単語などを、灯織は勉強不足な範囲を覚えていった。
そして一旦、休憩という名のお菓子タイムを挟み、科目を変えて勉強を続けていく。
「めぐるちゃん、ここの英語が分からなくて…」
「えっとね、この文章は回りくどい言い方をしているけど、簡単に言うと──」
「は、八宮さん…この英語の発音なんですけど…」
「もう小糸、めぐるでいいって~。それでね、ここの発音は──」
今度はめぐるが教師役となり、真乃と小糸に英語を教えていく。
小糸は最初ガチガチに緊張しながらめぐるに分からない部分を聞いていたが、彼女のフレンドリーさに触発され、最後には「め、めぐるさん」と名前を呼べるくらいには仲を深めることができた。
「雛菜、古文は全然わからない~」
「そうだな…とりあえず重要な古文単語から覚えてみよう」
「市川さん、よければこれを使ってください」
「ん~、これって語呂合わせ~?しかも絵がついてる~」
「は、はい。イメージしやすいよう絵を添えてみました。その、あまり絵心はないので逆に分かりにくいかもしれませんが、よければ使ってください…!」
「あは~、ありがとうございます~。これなら覚えられそ~」
「ありがとうな、灯織。俺はこういうのを作るのが苦手だから凄く助かるよ」
「い、いえ!みなさんのお役に立ててよかったですっ」
翼が教師役なのは変わらず、雛菜と灯織に古文を教えていく。
ときには灯織も教える立場に回りながら勉強を進めていった。
こうして、283プロ高校1年組勉強会は夕方まで行われた。
そして辺りが暗くなる前にイルミネの3人は翼たちにお礼を告げて、帰路に就くのであった。
おまけ① 帰り道のイルミネ
「今日の勉強会、楽しかったね」
「うん!これなら次のテストは高得点間違いなし…だといいなぁ」
「そこは断言しないんだね、めぐる」
「あはは、でも翼や小糸がわかりやすく教えてくれたから、いつもよりいい点数をとれると思う!」
「うん、翼さんと小糸ちゃん、教えるの上手だったね。あっ、灯織ちゃんも凄くわかりやすかったよ」
「真乃…ありがとう。でも、翼さんには敵わないよ」
「あ~、翼の説明は本当にわかりやすいよね~。何かね、教え慣れている感じがした!」
「わ、私たちより年上だから慣れているのかな?」
「うーん、どうだろう。高校2年生がみんな教え慣れているとは限らないし、翼さんが特別教えるのが上手いんじゃないかな」
「また教えてもらいたいなぁ」
「うん、今度は透ちゃんと円香ちゃんも一緒に勉強できるといいね」
おまけ② 放クラin事務所(果穂不在)
「最近イルミネとノクチルで勉強会を開いたみたいだけど、みんなは知ってたかしら?」
「あぁ、翼から話は聞いたぜ。アイツの部屋にみんな集まって勉強したんだってな」
「あ、私も知ってるよ!この前めぐるちゃんに会ったときに『凄く楽しい勉強会だった!』って嬉しそうに話していたから」
「あら、樹里と智代子も既に知っていたのね。どうやら高校の試験が近いから1年生メンバーが集まって互いに教え合ったそうよ。同じ仲間で切磋琢磨するのは素晴らしいことね!」
「……」
「ん?凛世、どうかしたのか」
「凛世は…声をかけられませんでした…」
「そ、そういえば凛世も高校1年生だったわね」
(翼ったら、凛世が高校1年生なのを失念していたのかしら…)
「はい…凛世も同じ1年生として…参加したかったです」
「凛世…」
(アイツ、何やってんだよ…)
「マネージャーさまは…凛世のことを忘れてしまったのでしょうか…」
「そ、そんなことないよ凛世ちゃん!翼くんが凛世ちゃんのことを忘れるはずないよ…!」
(翼くんにはいつもチョコをもらっ…ごほん、お世話になってるし、ここは私が何とかしないと…!)
「智代子さん…それではどうして…凛世は誘われなかったのでしょうか…」
「そ、それは…」
(翼くん、ごめん!これはどう頑張っても庇いきれないよ…!)
その後、しょんぼりしてしまった凛世をみんなで必死に慰めるのであった。
外回り中の翼はまだ知らない。帰宅後に夏葉、樹里、智代子に責められる未来を───。