80%のミライ(円香)
W.I.N.G.第2シーズンは終わりを迎え、283プロの事務所に審査連絡が届いた。
その結果は──ノクチル全員が予選突破という大金星であった。
テーマパークでのライブイベントで知名度が一気に高くなり、ファンが急増したことが予選通過の大きな理由である。
まだまだ技術は未熟であるが、勢いのある新人アイドルとしてノクチルは世間から認識されていた。
しかし、そんな周囲の評価を気にすることもなく、彼女たちは今まで通り自分たちが進みたい方向へと進んでいくのであった。
◇◆◇
W.I.N.G.も第3シーズンが始まり、彼女たちに舞い込む仕事量も増えてきた。
その内訳を見ると、ユニットでのオファー数は落ち着きを見せ、個人への依頼が多くなってきていた。
(このオファー、円香にどう伝えようか…)
営業先で新しい仕事のオファーを頂いた翼は、事務所に戻りながら思考を巡らす。
仕事の内容が内容だけに、いつものように円香へ伝えていいものか彼は迷っていた。
(円香は今レッスン中…いや、終わっている頃か。どちらにしても事務所には寄らないはずだし、家で話を切り出すか…?)
事務所の玄関で靴を履き替えながらあれこれ考える翼の背中から、聞き覚えのある声が届く。
「何か考え事?」
「今貰った仕事のオファーのことでな…って円香!?」
慌てて振り向いた翼の視線の先にいたのは、今まさに自分が考えていた人物──妹の円香が腕を組んで怪訝そうな表情を浮かべながら立っていた。
「は?何でそんなに驚いているの」
「すまない、今日の円香の予定はレッスンだけだったから、事務所にいるとは思わなくてな」
「レッスンは無事に終わったし、事務所には忘れ物を取りに来ただけ。もしかして私がいたら不都合なことでもあった?」
「いや、むしろ事務所に居てくれて都合がよかった。円香、この後少しだけ時間をもらえないか?」
「…まぁ、少しだけなら」
翼は不機嫌気味な円香を連れて、ちょうど誰も利用していなかった休憩室で話をすることにした。
「実はな円香、新しい仕事の相談なんだけど…水着のグラビア撮影のオファーが来ているんだ」
「ふーん、水着…」
「もちろん円香がやりたくないなら断ってもらって大丈夫!たくさんのオファーをもらえることは嬉しいけど、それでアイドルの意思をないがしろにするのは違うから」
「あぁ、そういう綺麗事はいらないから」
思春期真っ盛りの円香に水着のグラビア撮影を提案するにあたり、翼なりに言葉を選んだつもりであった。
しかし、その心遣いもむなしくバッサリ両断されてしまった。
「き、綺麗事…」
「それで、貴方は私にどうしてほしいの?」
「え、俺か…?うーん、円香が興味あるのならオファーを受けるべきだし、嫌なら断るべきだと思うよ」
「そういう受動的な回答は今求めていない。私が聞きたいのは、貴方の本心」
少し悩んでから答えた翼であったが、またしても彼の発言は冷たく切り捨てられた。
「いや、今のは俺の本心なんだが…」
「じゃあ質問を変えてあげる。兄の貴方が妹の私に水着を着させて撮影をしてもらいたいか…イエスかノーで答えて」
「その言い方だと語弊があるような…」
「いいから、早くして」
有無を言わせない円香の問いかけに、翼は最適な答えを導くために頭脳をフル稼働させる。
(考えろ、ここで下手な発言したら大変なことになるぞ。まず、肯定した場合に円香の考えられる反応は──)
『あぁ、やっぱり。いつも耳障りのいい言葉ばかり言って、本心では低俗なことを考えている。周りの男子と何も変わらない』
『ち、違うぞ円香っ…!』
『貴方からこの仕事を持って来たのに何が違うの、ミスター・変態。金輪際私に近づかないで』
(──こうなる可能性80%…!)
17年間プラスアルファ円香と接してきた翼が、今までの経験から基づいて彼独自の計算式で導き出したパーセンテージ。
8割という確率は、円香の機嫌が悪い場合にほぼ確実で起こりうる未来であった。
(肯定は危険、か…それなら否定すれば──)
『あぁ、やっぱり。貴方はいつも綺麗事しか言わない。そんなに自分は大層な人間だと思われたいの?』
『ち、違うぞ円香っ…!』
『貴方からこの仕事を持って来たのに何が違うの、ミスター・嘘つき。金輪際私に話しかけないで』
(──こうなる可能性80%…!)
8割という確率は、円香の機嫌が(以下略)。
(マズイ、どちらを選んでも高確率で円香に罵倒される未来しか見えない…!)
思わず頭を抱えそうになった翼であるが、そんな情けない姿を円香に見せるわけにはいかないため、希望を捨てずに考え続ける。
そして、思考を巡らせた結果──、
(よし決めた、当たって砕けろの精神だ。俺の気持ちを正直に伝える…それでダメだったとしても仕方がないさ)
翼は素直に本心を告げることにした。
「円香がこういった仕事に抵抗がないのなら受けてほしい。でも、少しでも嫌だと感じているなら断ってほしい…それが俺の本音だ」
「また他人任せの答え…それじゃあ、私がこの仕事を嫌だと言ったら貴方は本当に断れるの?」
「もちろんだ。すぐに先方に断りの連絡を入れるよ」
迷いなくそう発言する翼に、円香は少し考え込んでから言葉を返す。
「…それで相手の不興を買って、二度と仕事を貰えなくなったらどうする気?」
「そのときはまた別の仕事を貰えるよう売り込みに行くだけだ。まぁ事務所には迷惑をかけることになるけどな…はは」
そう言って笑う翼を、円香は冷たい視線で見つめる。
「笑い事じゃない…アイドルはそんなに簡単な職業じゃないって言い続けてきたのは貴方でしょう」
それは彼女達がアイドルを目指し、走り始めようとしていた頃。
円香を含め、ノクチル全員に対して翼はアイドルの世界は甘くないと強く念を押してきた。
その言葉を胸に刻んでいた円香は、真逆のことを口にする兄の矛盾を突いていく。
「…確かにアイドルの世界は甘くないよ。売れるためにはオファーされた仕事に対して好き嫌いを言っている場合じゃない。そのことはもちろん理解している」
「それなら…」
何かを言おうとする円香の言葉を遮って、翼は言葉を続ける。
「それでも俺は、アイドルの──円香の気持ちを大切にしていきたいんだ」
口に出された翼の言葉には、強い意志が宿っていた。
彼の真っ直ぐな瞳を見れば、それが嘘偽りのない思いであるのが嫌でも伝わる。
(本当にこの人は…)
これがよく知らない人間なら、綺麗事ばかり述べて自分を善人だと見られたい人なんだと考えることもできただろう。
しかし、彼は違う。
樋口翼は、類を見ないくらいのお人好し…真性の善人なのだ。
「…椿さんや社長に怒られても私は知らないから」
「もちろん、椿さんや天井社長にはしっかり説明するよ。円香は気にしなくても大丈夫さ」
本心を語り終えた翼は、そっと円香の反応を伺う。
「………はぁ、馬鹿みたい」
溜息と共に吐いた言葉は罵倒であったが、先程まであった棘はなく、ほのかな笑みを浮かべていた。
「わかった、貴方の仕事を増やすのも可哀想なので引き受けてあげる」
「い、いいのか?別に無理しなくていいんだぞ?」
「無理なんかしてない。元々私は、オファーがあれば引き受けるつもりだったから」
「なんだ、そうだったのか…はは、俺の早とちりだったみたいだな」
「えぇ、まったく」
(ん…だったら、どうして俺の意思をわざわざ聞いてきたんだ…?)
疑問に思った翼であったが、そのタイミングでポケットに入っている携帯から着信音が鳴る。
携帯を手に取って画面を確認すると、営業先からの電話であった。
「仕事の電話?」
「あぁ、そうみたいだ。悪い円香、話の途中だけど席を外すな」
「もう話は終わったんだから、そのまま自分の仕事に集中すれば?」
「はは、気遣いありがとう。それじゃあまた後でな、円香」
そう言うと、翼は足早に休憩室を去っていく。
「はぁ、本当に馬鹿な人…自分のことより他人を優先するなんて…うちの兄はどんだけ人がいいんだか」
「…それとも、私だからか……いや、ないか」
遠ざかっていく彼には届かない独り言。
そう口にする円香は心底呆れた表情浮かべていたが、その頬が緩んでいることに本人さえも気付くことはないのであった。
☆★☆★☆
───W.I.N.G.第3シーズン終了まで、残り8週。
おまけ ソファーの裏の甜花ちゃん
(お仕事疲れた…そうだ、休憩室で一休みしよう…!)
(ソファーで寝ると少し暑い…ゆ、床ならどうかな…?)
(おぉ~、ひんやりしてる…!これならよく眠れそう…)
(Zzz…Zzz…)
「…オファー…なら……思う」
「…そう……回答……ない」
(ん…あれ、人の声…?)
「私が聞きたいのは、貴方の本心」
(この声は…樋口さん、かな?)
「いや、今のは俺の本心なんだが…」
(あ、この声は翼さんだ。兄妹で会話中かな…?)
「じゃあ質問を変えてあげる。兄の貴方が妹の私に水着を着させて撮影をしてもらいたいか…イエスかノーで答えて」
(!?)
…
……
………
「はは、気遣いありがとう。それじゃあまた後でな、円香」
(翼さん、出て行ったみたい。甜花、そろそろゲームしたいけど、このタイミングで声を掛けるのは難易度高い…!)
「はぁ、本当に馬鹿な人……自分のことより他人を優先するなんて…うちの兄はどんだけ人がいいんだか」
「…それとも、私だからか……いや、ないか」
(ひ、独り言かな?でも、言葉と違って樋口さん嬉しそうな表情している…怖い人だと思ったけど、そうでもないのかな…?)
ちなみに、後1分で彼女の携帯からゲームの通知音が鳴り響くのだが、現時点の甜花ちゃんには知る由もなかった。
第3部『W.I.N.G.(後編)』スタートです。
果たして甜花ちゃんの運命はいかに…。
【追記】
試しに活動報告で意見募集してみることにしました。
お時間がある方は、ぜひご回答よろしくお願いします。