シャニP、樋口円香の兄に転生する   作:リィンP

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ハート・ブレイク(円香)

 

 しばらく廊下を歩き、娯楽室にたどり着いた翼であったが、そこに円香の姿はなかった。

 

(誰もいない、か…)

 

 娯楽室の奥は男湯女湯で入口が別れており、この時間でも温泉に入ることができる。

 

(流石に温泉に入っているか確認するわけにもいかないよな…仕方ない、来た道を戻ってみるか)

 

 翼はそのまま踵を返そうとしたが、ふと視界に屋外へとつながる扉を見つけた。

 

(このドアの先は…外の空気を浴びながら景色を見て休むことができる屋外休憩所か)

 

 扉の近くにある張り紙に目を通すと、どうやら定員が6名までの小さなベランダのようだ。

 中に入ればベンチが2つ設置してあるようで、そこに座って景色を眺めるのがおすすめだと記載されていた。

 

 こんな深夜にそこで景色を見ながら涼んでいる人はいないと思うが、どうしてもその場所が気になってしまい、扉に手を掛ける。

 

「───」

 

 扉を開けた先には、先客がいた。

 月明かりに照らされたせいか、いつもより神秘的に見えたその横顔は、とても見覚えのある少女のものであった。

 

「円香…?」

 

 ベンチに座りながら真っ暗な空を眺めていた彼女は、翼の声に反応して視線をこちらに移す。

 

「え…」

 

 彼の存在に気付いた円香の表情は驚きに満ちており、きょとんと目を真ん丸にして口を開く。

 

「どうして…翼がここに…」

 

「どうしてって、目を覚ましたら隣に円香がいなくて、全然戻って来る気配がなかったから探していたんだ。でも、見つかってよかったよ」

 

「は……」

 

 翼の言葉を聞いて、すぐに円香は何か言い返そうと口を開けたが、結局言葉が見付からなかったのか静かに口を閉じる。

 

「円香…?」

 

「……眠れないから夜風を浴びてただけ。もう少ししたら戻るつもりだった」

 

 その様子を不審に思った翼が問い返すと、彼女はいつものクールな表情でそう答えた。

 

「そうだったのか。でもよかったよ、円香に何もなくて」

 

「…別に私のことなんか探さなくてもよかったのに」

 

「えっ?」

 

「聞こえなかった?貴重な睡眠時間を削ってまで、私を探す価値なんてなかったって言っているの」

 

 円香の表情には苛立ちが浮かんでおり、口から出た言葉には怒気が込められていた。

 しかしそれは翼に対しての怒りではなく、まるで円香自身に向けられているように感じられた。

 

「そんなこと言わないでくれ。円香は俺にとって大切な──」

 

「大切な妹?それともアイドル?」

 

「…どっちもだよ」

 

「模範的回答ありがとう。だけどいい加減、優しい言葉で…優しい態度で私を惑わすのはやめて…!」

 

(円香…もしかして…)

 

 悲痛な叫びをあげる目の前の少女に、翼は一言断りを入れて隣に座ると、円香と同じ視線で向き合い、不安げに揺れている彼女の瞳を覗き込む。

 

「円香が今、何を悩んでいるのか…俺にも教えてくれないか?」

 

「…今の私の言葉を聞いたうえで、第一声がそれ?八つ当たりされてもそんな態度を続けるなんて、本当に貴方は甘すぎる…!」

 

「言っておくけど、本当に理不尽な行動を円香が取ったら俺だって怒るよ。甘いだけではいけないって教わったからな」

 

(もっとも、そのことを教えてくれたのは過去の円香なんだけどな)

 

 翼は過去にプロデュースしていた頃の円香とのやり取りを想起しながら、今ここにいる円香を真っすぐ見つめる。

 

「…じゃあ、何で今は怒らないの?」

 

「円香が悩み苦しんで、誰かに助けを求めているように俺には見えたから」

 

「!」

 

 自身の胸の内を言い当てられた円香は、驚きの表情を彼に向ける。

 

「もし本当に悩んでいるようなら教えてくれないか?」

 

「……言いたくない」

 

「そうか」

 

 悩んだ末にそう答えた円香に、翼はそれ以上追求することはなかった。

 円香の隣に座ったまま、黙って空を見上げる。

 

(円香はこの夜空を見ながら、何を考えていたんだろうか…)

 

 円香が先程まで見ていた景色を眺め、この星が輝く夜空に彼女は何を想っていたのかを想像する。

 

 しばらく静寂な夜の時間が続く中、口火を切ったのは円香の方であった。

 

「…ねぇ、初めての雑誌撮影帰りに見たアイドルのこと覚えてる?」

 

「確か、ミニライブをしていた子かな」

 

「そう…貴方が将来有望なアイドルだと言っていた子だけど、この前のオーディションで一緒だった」

 

「そうだったのか…その子がどうかしたのか?」

 

 翼の問いかけに円香は数秒押し黙る。そして複雑な表情を浮かべながら言葉を続ける。

 

「……オーディションが終わった後、大声で泣いてた。失敗した、悔しい、情けないって」

 

「それは…」

 

「将来有望なアイドル…なんて素敵な言葉。同時にあまりにも残酷な言葉」

 

「……」

 

「彼女はアイドルにならなければ…きっとあんな必死にならずに済んだ。泣くこともなかった」

 

 円香はそのときの光景を思い出しているのか、視線を虚空に向けながら話し続ける。

 

「気軽な気持ちでアイドルになってしまい、そこで自分の身の程を嫌というほど知ってしまった。きっと彼女は、もう飛べない…」

 

「…この世界は優しいけど、残酷なのも事実だ。一握りの子しかトップアイドルになれず、すべてのアイドルたちが空に羽ばたけるわけではない。それは円香の言う通りだと思う」

 

 それは前の世界で翼がプロデューサーだったからこそ、アイドルたちが苦しんでいる姿を見たことがあるからこそ、自分自身が挫折したことがあるからこそ、その言葉には重みがあった。

 

「なら…!」

 

「───でも、円香なら自分が望む空に羽ばたける」

 

「っ、いい加減なことを言わないで…!」

 

「いいや、ずっと側で見てきたからわかるよ。円香にはアイドルの才能がある…それは間違いない」

 

 前世において、円香は持ち前の才能を努力により磨き続けることで絶大な人気を誇るアイドルになった。

 そして今世においても、円香の才能は変わらず存在し、周囲に隠しながらも努力を続けているのを知っている。

 

 だからこそ翼は、そう言い切ることができた。

 

「貴方の目は節穴、私なんかにアイドルの才能があるはずない」

 

「円香はどうして自分に才能がないって言い切れるんだ?」

 

「どうしてって…自分のことは自分が一番わかっている。私に空は飛べない」

 

 頑なに自分の才能を認めようとしない円香に、翼は核心をぶつけることにした。

 

「少し違う、円香は空を飛ぶつもりがない…違うか?」

 

「っ!貴方にはわからないでしょうね、私のこの気持ちは…ッ!」

 

「円香…」

 

「アイドルになって、何度も何度も…何度も何度も『樋口円香』の実力が試される。それを乗り越える度に周りの期待も大きくなっていく」

 

「うん」

 

「でも私には空を飛べる力がないから、いつかみんなが期待する『樋口円香』に届かなくなる。夢見た空から地に落ちる……そんな未来が、私は怖い」

 

 円香が空へと飛ぼうとしないのは、空に飛んだ後に地へ落ちることを怖れているから。

 彼女には才能あるのに、自己評価の低さが縛りとなっている。

 

 思えば前世でもそうだった。円香はどうしてか自身に強い劣等感を抱いており、それを打ち破るために人知れず努力を続けていた。

 だいだいのことはできる、透にできることで自分にできないことはないと普段から口にする円香であるが、その裏には弱い自分を隠しそうとする意図があった。

 

「───そのために、俺がいる」

 

 仲がいい幼馴染にさえも決して見せようとしなった円香の弱み───それを知った翼は、気付けば心から思った気持ちを言葉にする。

 

「え…?」

 

「前にも言っただろう?円香を支えるのがマネージャーである俺の役目だって。大丈夫、円香が空に飛び出す決心がつくまで…そして空へ飛んだ後も、俺はずっと支え続けるよ」

 

「……本当に?」

 

「あぁ!だからもう一度、この手をとってくれないか?」

 

 そう言って、翼は円香へと右手を差し伸べる。

 伸ばされた手を数秒黙って見つめていた彼女は、ポツリと呟く。

 

「もし、空へと飛んだ後……途中で飛べなくなって、地面へと墜ちることになったら…?」

 

「そのときは地上にいる俺が、円香のことを受け止めるよ」

 

「ふふっ、2人ともぺしゃんこになりそう…でもそんな終わり方もいいかもしれない…

 

「…?すまない、もう一度言ってくれるか」

 

 最後の方が声量が小さくて聞こえなかったため、改めて聞き直した翼であるが、円香は首を軽く振って誤魔化した。

 

「独り言だから気にしないで。それより決めた──今挑戦しているW.I.N.G.が予選で落ちるようなら、私はアイドルをやめる」

 

「えっ…?円香、それは…」

 

「私が本気で望めばどこにだって飛べるんでしょ?それなのに、もし本選に進むことができないようなら、その言葉は嘘ってことになる」

 

「いや、それは少し違うよ。W.I.N.G.は激戦だ、実力があるアイドルでも時の運で落選することがある」

 

「本物のトップアイドルなら実力だけでなく、運だって持っているはず。違う?」

 

「…違わない」

 

「ん、誤魔化さないで答えてくれてありがとう」

 

 今の円香の表情はとても真剣で、本気の覚悟が伺える。

 

(あぁ、円香はようやく本気で空へと飛び出す決意をしたんだ。本気だからこそ、自身の退路を断った)

 

 そんな彼女の大きな決意に、自身も本気で応えなければ失礼だと翼は感じた。

 だからこそ、彼も決断することにした。

 

「…円香の決意は分かった。それなら、もしそのときが来たら俺もマネージャーをやめるよ」

 

「は?」

 

「言っただろう、もし円香が空から落ちるようなら受け止めるって」

 

「確かに言ったけど…流石に無責任すぎない?事務所にも怒られるし、多くの人たちに迷惑をかけることになる。そもそも浅倉たちにどう説明するの?」

 

「それは俺の方がどうにかするよ。円香が責任を感じる必要はない」

 

「いや、そうなったら私も責任を感じないわけにはいかないでしょ」

 

「はは…ごめん」

 

「ごめんって…はぁ、本当貴方ってダメな人…ふふっ」

 

 円香は呆れた表情を見せながらも、僅かに口元に笑みが浮かんでいた。

 

「今後のスケジュールだけど、もっとレッスン多めでお願い」

 

「えっ、それって…」

 

「…やるからには全力を尽くしたい。ただ、それだけ」

 

「っ!り、了解だ!部屋に戻ったらすぐに確認してみるよ」

 

「今は旅行中だから、帰ってからでいいんじゃない?」

 

「でも…」

 

「この旅行では仕事のことを忘れて楽しもうと言ったのは貴方でしょ?…まぁ私もその言葉を守れたとは言い難いけど、家に帰るまでは旅行を楽しんでもいいでしょ」

 

「はは、確かにそうだったな。よし、それじゃあ今日はもう寝て明日に備えようか」

 

「ふふ、日付的にはもう今日になっているけどね」

 

「ま、まぁ細かいことは置いておいて、早く部屋に戻ろうか」

 

 立ち上がって、旅館の中に戻ろうとする翼。そんな彼の背中を追いながら、円香は小さな声でポツンと呟く。

 

「本気で望めばどこでも飛べる、か…」

「それなら私は、透のように美しく空を飛びたい」

「ん、ごめん円香、今何か言ったか?」

 

 振り向いた彼に、円香は「何でもない」と答えて歩き始める。

 そして2人は部屋に戻った後、すぐに布団の中に入って眠りにつくのであった。

 

 

 

 

 

 

☆★☆★☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───W.I.N.G.第3シーズン終了まで、残り3週。

 

 

 

 

 

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