初日の顔合わせ兼合同練習会を終えた翌日から、早速スケジュール調整できたグループから練習を行っていくことになった。
本番まで残り2ヶ月。
各グループは真摯に練習を取り組んでいた。
そして1週間が経過した現在、3つのグループの中でもっとも順調であるのは、円香・冬優子のグループであった。
「円香ちゃん、このタイミングでの腕の振り、もっと大胆でいいかも」
今、レッスン室にいるのは円香と冬優子のみ。
円香のダンスを真剣に観察していた冬優子は、パチパチと控え目に拍手しながらも、パフォーマンス向上のために、撮影していたビデオを該当部分まで巻き戻し、指摘すべきところはしっかり口にする。
「なるほど、確かにそうですね……これでどうですか?」
「うん、さっきよりいいと思うよ(今の助言ですぐ修正できるなんて…樋口円香、思ったよりもやるわね)」
「冬優子さんは具体的なアドバイスをくださるのでその…本当に助かります」
踊り終えた円香は、少し疲れた顔を見せていた。
彼女が思い出すのは、あさひにダンスのアドバイスをもらったときのこと。
『こう…手はシュパパ!ってやって、足はシュシュ!っとやるっす』
彼女の指導は、お世辞にも分かりやすいとは言えないものであった。
「あははー…あさひちゃんは独特な言い回しをするからね~(そういえばこの子、あさひに教えられたこともあったのよね…うん、その気持ち…とっても分かるわよ、樋口円香)」
冬優子は少し困った笑みを浮かべながらも、その内心では腕を組んで首を何度もうんうんと縦に振っていた。
「…まぁはい。それでは次は冬優子さんの番ですね。カメラをセッティングするので、少しお待ちください」
「うん、よろしくね(しかし、本当にスムーズに進むわね。いつもはあさひと愛依と一緒に練習していたけど…こういうのもいい刺激になるわ)」
最初、ノクチルとのコラボと聞いて冬優子には不安な気持ちが少なからずあった。
自分を高めるために何でも利用しようと考えている彼女であるが、まだ所属して日が浅く未知数なノクチルに対し、どう接していいものか悩む部分もあったのだ。
しかし、蓋を開けてみたらノクチル…というか、円香とは普通に付き合えていた。
練習に真面目に取り組み、協調性もあり、何より冬優子と同じ感性を持つように思えた。
兄である翼が関わってくると面倒なキャラに変貌するのは玉に瑕だが、それにさえ目を瞑れば互いに実力を高め合うパートナーとして悪くなかったのだ。
練習量なら小糸・愛依のグループが一番多い。
しかし、小糸・愛依たちには練習時間こそ劣るが、円香と冬優子は他のグループにはない強みがあった。
それはメンバー同士で切磋琢磨し、お互いのパフォーマンスを高めるやり方。
椿や翼がストレイライトとノクチルをコラボさせた目的の1つ。観察力に優れている円香と冬優子はその意図に気付き、互いに協力して技術力を上げるために今日も努力し続けている。
その中で、冬優子は円香の抱える問題について薄々気付き始めていた。
観察力に優れ、似た思考を持つ彼女だからこそ察することができた円香の問題───それは彼女の自己評価の低さ。
冬優子から見て、円香には間違いなく才能があった。
けれど円香自身、そう思っていないことを一緒に練習していれば何となく伝わってきてしまう。
(まぁ今のところ支障もないし、無闇に触れてなくてもいいわよね。ふゆには関係ない…そう、関係ないんだから)
そんな冬優子の心情とは裏腹に、時は進んでいく。
初顔合わせから2週間経って行われた合同練習会。
全員合わせで行われたコラボ楽曲の披露。
最後まで踊り終わった後、トレーナーからはあさひ・透・雛菜は動きがバラバラであることを、小糸・愛依は細かいミスを指摘された。
対して、円香・冬優子はダンスの完成度の高さを称賛され、全体での成功を考えるのなら、今後は他のグループのフォローにも手を回してみるのもいいかもしれないことをトレーナーから伝えられるのであった。
◇◆◇
そして合同練習会を終えた翌日。
『ごめんね、円香ちゃん。電車が遅延してるみたいで、1時間くらい遅れるかも』
『それは災難でしたね。もしよければ待ちますが…』
『ううん、円香ちゃんの時間を奪っちゃうのは申し訳ないから、ふゆのことを待たないで先に練習を始めていいよ』
『…それでは、そうさせてもらいます』
『ありがとう、円香ちゃん。ふゆもできるだけ早く行くようにするからね!』
「……っ、……!」
少し前にそんなやり取りをした円香は、1人でレッスン室で練習に励んでいた。
脳裏に浮かべるのは完成されたダンス。
最初に見たお手本の動画、そしてダンストレーナーの振り付け通りに円香は踊る。
(…正しいかたち)
いち、に。
(正しいかたちを、なぞっていく)
いち、に、さん。
(ただ、それだけなのに…息が苦しい)
『円香さんは、本当に美しく踊れているわね』
思い浮かべるのは、昨日のトレーナーの言葉。
円香のダンスを純粋に称賛しているだけだが、どうしてもその言葉が心に引っ掛かっていた。
(美しい?私のダンスが?)
違う。
これだけは断言できる。
これは美しい『もの』ではない。
これっぽっちも。
本当に美しい『もの』を目にしたとき、人は目を離せなくなる。
理屈なんてない。心が惹かれる。近くにいるだけで、魂が焼かれる。
そして、焼かれながらもその存在を追い求めるのだ。
一度は夢を見るのを諦めた。
空を翔んで、自分の背に翼がないことに途中で気付き、地に墜ちていくのが怖かった。
『───そのために、俺がいる』
でも、翼は諦めるのを許してくれない。
『前にも言っただろう?円香を支えるのがマネージャーである俺の役目だって』
あぁ、本当に残酷な人。まだ気付いていないの?
『大丈夫、円香が空に飛び出す決心がつくまで…そして空へ飛んだ後も、俺はずっと支え続けるよ』
私は『透』に追い付きたい。
果てしない空に翔び始めた彼女に置いていかれないように。
でも、それだけじゃない。
私は『翼』の隣に在りたい。
透き通った心を持つ彼を理解し、一緒の景色を見るために───。
「───お疲れさま、円香ちゃん。遅れてごめんね」
突然聞こえた声に、思考は中断されて意識は現実に戻る。
振り向くと、ジャージ姿の冬優子さんが手を合わせて謝罪していた。
「…冬優子さん、お疲れさまです。遅れると聞いてましたが早かったですね」
「えっ、そうかな?電車の遅延で1時間は遅れちゃったと思うけど…?」
そんな馬鹿な。まだ練習を始めてせいぜい十数分のはず。
そう思ってレッスン室の時計を確認すると、確かに彼女の言う通り1時間経過していた。
「…いつのまに」
「ふふっ、それほど円香ちゃんが集中して取り組めていたってことじゃないかな?実際、ふゆも声を掛けるタイミングに迷ったくらいだもん」
「…集中、していたんでしょうか、私は」
冬優子さんの言葉に、私は素直に受け入れることができなかった。
正直目の前の躍りよりも、別のことに気を取られていた。
さぞみっともないダンスになっていたことだろう。
「───円香ちゃん、ふゆから1ついいかな」
そんな私の心を見透かしたように、冬優子さんはじっと私の目を見つめながら口を開く。
「なんでしょうか?」
「円香ちゃんはどんなアイドルを目指しているのかな?」
「………」
冬優子さんの問い掛けに、言葉が詰まる。
すぐに答えることができない私を見て、彼女は先に自分の答えを口にする。
「ふゆはね、完璧なアイドルを目指しているの」
「完璧な、アイドル…」
「ふゆにはなりたい理想のアイドルの形がある。それを目指して、今日もこうして練習しているの。円香ちゃんは違うのかな?」
「…私には冬優子さんのような、目指すアイドルというものはありません」
私は少し嘘をついた。
でも、冬優子さんは私を逃がしてくれない。
「じゃあ円香ちゃんは、何を目指しているのかな?」
「……」
冬優子さんの再度の問い掛けに、答えることができない。
私は何を目指しているのか。
答えは持っている。ただし、それを言葉にしたくない。
だってそれは、冬優子さんが目指すものに比べて、あまりにもみっともないものだから。
「困らせちゃってごめんね。言いたくないなら、無理に言わなくていいよ」
そんな私の思考を読んだかのように、冬優子さんは優しく微笑みながらそう声を掛ける。
「でも、円香ちゃんだけはその答えを否定しないであげて」
「…冬優子さんに、何が分かるんですか?」
会ったばかりの貴女に私の何が分かるというのか。
苛ついた私は、気付けばそんな言葉が自分の口から漏れていた。
刺がある生意気な私の反応に、冬優子さんは少し驚きながらも、控え目な笑顔を崩さずに口を開く。
「ふゆには円香ちゃんの気持ちが分かる…とは言えないよ。でも、ふゆと円香ちゃんは少し似ている気がするの」
冬優子さんと私が似ている?
可愛らしくて、キラキラしている冬優子さんと私が?
それは一体、どんな冗談なんだろう。
いや、そういえば兄が私と彼女のことについて、以前話していた気がする。
確か私がアイドルになってから少し経ったある日。283プロのアイドルについての話題になったときのことだ。
『円香は他のアイドルの子と話したりするのか?』
『なに突然…あまり話したりしないけど』
『そうか、まだ283プロに所属して日も浅いからな。みんないい子だけど…特に円香は冬優子さんと話が合いそうな気がするよ』
『は?ストレイライトの黛さんと私が…?事務的な会話ならともかく、それ以外の話題で盛り上がる気がしないけど』
『はは。まぁ最初は難しいかもしれないけど、似た者同士の2人なら自然と仲良くなると思うよ』
『…参考までに聞くけど、私と黛さんのどこら辺が似ているの?』
『そうだな…努力家で自分にストイックだけど、面倒見がよいところかな』
『…いや、全然違うと思うけど。冬優子さんはともかく、私は絶対に違う』
『うーん、そんなことないと思うけど…』
そうだ、翼は確かに言っていた───私と冬優子さんが似ていると。
冬優子さんも兄と同じように思っていたってこと?
「ふゆはね、円香ちゃんはアイドルとして才能があると思う。でも、円香ちゃんは自分に才能があるとは思っていない…違うかな?」
冬優子さんの問い掛けで、過去の回想から現実に戻ってくる。
私にアイドルの才能がある?
そんなわけがない。
確かに私は何でもそれなりにできる。
でも、それはあくまでそれなりに過ぎない。
上には上がいる。私程度の実力を持つ者なんて、いくらでもいるだろう。
だって私は、彼女たち透と翼と違って特別ではないのだから。
「そうですね、それが何か?」
心が冷たく、重くなっていく。
そんな胸の内をぶつけるように、生意気な言葉が口から飛び出す。
目上の先輩に失礼な態度であったが、「そっか、教えてくれてありがとうね」と冬優子さんは優しく答えてくれる。
「ふゆもね、自分にはアイドルとしての才能なんかないと思っていたの」
「!」
青天の霹靂というべきか。
冬優子さんの突然の告白に、私はただ驚くことしできなかった。
ストレイライトの黛冬優子と言ったら、正真正銘人気アイドルだ。
可憐で清楚でありながら、ステージに立てば完成度の高いパフォーマンスを披露する彼女のことを、私は尊敬している。
もっとも、本人にそのことを伝えるつもりは決してないが。
「ふふ、信じられないかな?」
「…はい、とても」
ようやく口にした私の言葉を聞いて「んー…これは喜んでいいのかな?」と冬優子さんは可笑しそうに小さく微笑む。
「アイドルになった最初の頃はね、他のアイドルに比べて自分は魅力が無いって思っていたの。そんな自分が誰かに好きになってもらうためには、可愛くあり続けなければいけないって…そう思っていたんだ」
「……」
「でも、アイドルとして活動していく中で、ふゆは自分の考えの誤りに気付くことができたの」
「誤り…」
「今のふゆは、理想のアイドル像を自信を持って目指すことができている。だから円香ちゃんにも、自信を持って自分の求める理想を目指してほしいんだ」
私の求める理想。
それは澄んだ空を翔んでいる、透と翼の隣に立つこと。
2人だけが先に行き、私はただその背を眺めている…そんなのは絶対許せない。
今までは心の奥底に閉まっていたその感情…気付かないようにしていたみっともないと思っていた気持ち。
冬優子さんは、この想いを否定しないでという。
まったく、この人もなんて残酷の人だろう。
ただなぜだろう。不思議と悪くないように思えてきた。
それが美しい『もの』ではないのは確かだけど。
だからと言って、自分の中にある『答え』を貶める必要もない。
「偉そうなことを言ってごめんね。気を悪くしちゃったかな?」
「…いえ、ありがとうございます。冬優子さんのおかげで、考えを改める部分もありました。とりあえず直近の目標として…」
「目標として…?」
「今回のストレイライトとのコラボ、完璧なパフォーマンスを披露したいと思います」
「…!ふふっ、一緒に頑張ろうね、円香ちゃん」
私のその宣言を聞いて、冬優子さんは今まで見た中で一番綺麗な笑顔を見せてくれる。
同性の私すら惹き付けるキラキラした笑顔は、改めて黛冬優子というアイドルに尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
「それでは直近の問題として、センターとライトのフォローですが…私がライトで冬優子さんがセンターを手分けするのはどうでしょうか?」
「一緒に頑張ろうね、円香ちゃん(
何故だろう、先程と同じ言葉のはずなのに、込められた感情がまったく違う気がする。
その後、電話越しであるがプロデューサーの椿さん(とついでに兄)も交えて、改めてスケジュール調整を行うのであった。