時間は少し巻き戻り、283プロの面接会場にて。
雛菜と小糸の面接は無事に終わり、プロデューサーである椿から直接結果を伝えられることになった。
2人ともアイドルとして十分な魅力を持っていると判断した彼女は「283プロのアイドルとしてこれからよろしくね」と笑顔でそう告げた。
その結果に喜びを露わにした雛菜と小糸は、真っ先に別室で待っている翼にアイドルになったことを伝えに行くのであった。
◇◆◇◆◇
「おめでとう、雛菜、小糸。心配してなかったと言ったら嘘になるけど、2人なら絶対に合格すると思ってたよ」
「あ、ありがとう、翼くんっ!その、翼くんが勇気をくれたから、私も透ちゃんたちと同じアイドルになることができたよ!」
「小糸…」
「あは~、翼先輩、すっごく嬉しそう~!」
「ははっ、今の俺は雛菜より幸せだぞ」
「あは~!翼先輩がしあわせなら、雛菜はもっとしあわせ~~♡」
自分のことのようにとても喜んでくれた彼の様子を見て、雛菜と小糸は笑顔を見せ、喜びを共有するのであった。
しばらく会話を続けた後、雛菜たちはアイドルになったことを家族に報告するためその場を離れる。
電話をかけに行った雛菜たちと入れ替わる形で、椿が待合室に入ってきた。
「お疲れ様、翼くん」
「椿さん、本日はありがとうございました」
翼と椿はお互いに笑顔で挨拶を交わし、本題へと移る。
「雛菜さんと小糸さんには先ほどお伝えましたが、彼女たちは今日から283プロ所属のアイドルになりました」
「はい、今2人から聞きました。彼女たちを選んでくださり、本当にありがとうございます」
「いえいえ、雛菜さんと小糸さんにアイドルとしての素質があるのは書類選考の時点でわかっていましたから。面接する前は心構えができているか心配していましたけれど、結局は私の杞憂でした」
「心構え、ですか?」
「えぇ、彼女たちには既にアイドルとして活動していく覚悟ができていました。…ふふ、私も改めてプロデューサーとして気合が入ったわ」
凛々しい表情で話していた椿であったが、最後は砕けた口調で翼に優しく微笑んだ。
「雛菜さんと小糸さんは親御さんに連絡しに行ったのよね?」
「はい、ご家族の方が心配していたので。…椿さんに声をかけずにすみません」
社会人としての常識を待つ翼は、申し訳なさそうな表情を浮かべて頭を下げる。
「いいえ、私の方から2人にそうするよう提案したのよ。だから翼くんが謝る必要はないわ」
「そうだったんですね」
「えぇ…それにしても、翼くんは高校生なのにしっかりしているね。バイトの経験があったりするの?」
椿はフレンドリーな雰囲気で翼に質問をする。
「いえ、バイトの経験はないですね」
「そうなの?じゃあ上下関係の厳しい部活に所属していたとか…」
「いえ、自分はずっと帰宅部でした。時々、陸上部にヘルプとして呼ばれることはありましたけれど、それくらいですね」
翼の返答に、椿は「意外だわ」と驚きを口にする。
「体幹がしっかりしているから、てっきり運動部に所属していると思ったのだけれど…」
「一応、毎朝ジョギングをしているので、体力は人並みにあると思いますよ」
翼は体力作りの一環で、毎朝1時間ほどジョギングを欠かさず行っている。
そのため、学校行事のマラソン大会で上位入賞を毎回果たしており、陸上部から頻繁にスカウトされたりしている。
ただ、彼には部活よりも大切なものがあったため、入部はせず欠員が出たときのみヘルプとして参加するだけにとどめていた。
「透さんから学年1位をとるほど翼くんは勉強ができるって聞いたのだけど、勉学に力を入れている感じかな?」
「と、透がそんなことを言っていたのですか?」
「えぇ、分からないことは翼くんに聞けば何でも教えてくれるって、事務所で自慢していたのだけど…」
翼は「透、あれは偶然だって何度も言ったのに」と内心でため息をつきながら、恥ずかしそうに口を開く。
「いえ、学年1位をとれたのは運が良かっただけですよ。医学部などの大学を目指している同級生に比べたら勉強時間は全然少ないですし」
「ふふ、翼くんは本当に謙虚な子ね」
柔らかく微笑んだ椿は、言葉を続けていく。
「翼くんは、放課後とかは何をして過ごしているの?もちろん、言いたくなければ言わなくても大丈夫よ」
「あはは、別に問題ないですよ。放課後は円香たちと一緒に過ごすことが多いですかね。まぁ、これからは自分1人で過ごす時間が多くなるでしょうけれど」
円香たちがアイドルになることは純粋に喜ばしいことであったが、それと同時に一抹の寂しさを翼は感じていた。
彼女たちがアイドルになったことで、5人で共にいる時間は減っていく。
さらにアイドルとして活躍するにつれ、翼1人だけで過ごす時間が増えていくのは間違いなかった。
「…答えてくれてありがとね。実は、翼くんに提案したいことがあるの」
「提案、ですか?」
「えぇ、翼くん───283プロに所属してみる気はない?」
◇◆◇◆◇
その後、家族への電話を終えて戻ってきた雛菜と小糸は、昼食をとってから283プロの事務所に向かうことになった。
4人は近くの喫茶店で昼食をとった後、急用ができたということで翼のみ喫茶店で別れることになる。
一緒に事務所へ行かないことに不満を漏らす雛菜と不安そうな表情をする小糸であったが、どうにか2人を納得させて、翼は自宅へと戻っていくのであった。
そして時刻は19時。
自室のベランダで夜空をぼんやりと見ていた翼の耳に、聞き慣れた声が届く。
「何してるの」
「星が綺麗だなって眺めていただけかな……おかえり、円香」
「ん、ただいま」
円香が部屋に帰ってきたことで、翼もベランダから部屋に戻り、窓を閉める。
「星を眺めるのはもういいの?」
「いや、別に星を見たかったわけじゃないんだ。それより、雛菜たちも自宅に帰ったのか?」
「ん…時間も遅いし、羽鳥さんが全員家まで送ってくれた」
「そうだったのか。それで、椿さんは…」
「もう事務所に戻っている途中。それより、急に帰ったみたいだけど、何の用事だったの?」
「…いや、急に友達から課題を教えてほしいと連絡があってな。雛菜たちには悪いと思ったけど、先に帰らせてもらったんだ」
「ふーん」
翼の下手な嘘に円香は気付いているようであったが、すぐに追及することはなかった。
円香は自分の椅子に座ると、ペンを取り出して何かを書き始める。
「ん、何書いているんだ?」
「家族にも秘密が多い人には教えない」
円香は素っ気なく答える。
それを聞いた翼は何も言い返せず、苦笑いしか浮かべることができなかった。
(俺はどう答えるべきかなのか…)
昼間に
雛菜たちに嘘をついてまで1人になり、今の時間まで悩んだのだが、結局納得いく答えが見付からずにいたのだ。
翼も円香と同じように自分の椅子に座り、ぼんやりと辺りを見ながら思い返す。
想起するのは数時間前に交わした椿との会話であった。
『翼くん、283プロに所属してみる気はない?』
『えっと…283プロに所属とは具体的にどういう意味ですか?』
『あっ、言葉が足りなかったわね。翼くんも円香さんたちと一緒にアイドルになってみないっていう意味よ』
『自分をアイドルにスカウト…本気ですか?』
『えぇ、翼くんにはアイドルとしての才能があると思う。それも、円香さんたちに比肩するくらい』
『…自分のことをそこまで評価してくれるのは大変光栄です。ですが、自分はアイドルになる気はありません。申し訳ありません、椿さん』
『あぁ、謝らないで!翼くんならこの提案は断るだろうなと思っていたのに、スカウトしてしまった私が悪いのだから』
『自分が断ることを予想していたんですか?』
『えぇ、翼くんには自分が輝くことよりも大切なことがあるように思えたから。まぁ、ダイヤの原石を前にして我慢できずにスカウトしちゃったんだけどね』
………。
「…いつまで見ているつもり?」
椿との会話を思い出していた翼の意識は、円香の言葉で現実に戻ってくる。
どうやら長いこと円香を眺めながら考え事をしていたせいで、円香の気に障ったようであった。
悪いと思い謝ろうとした翼であったが、開いた口から出た言葉はまったく別のものだった。
「なぁ円香───歌ってくれないか?」
「は?突然なに」
「…ごめん、ちょっとぼんやりしてた。今の言葉は忘れてくれ」
思わず自分の口から飛び出した言葉に、翼自身が1番戸惑っていた。
(『自分が輝くことよりも大切なこと』、椿さんの言葉を思い出したら、なぜか円香の歌声が聴きたくなった…何て恥ずかしくて言えるわけない)
かぶりを振って力なく言葉を口にする翼。
長年一緒にいても、滅多に見る機会がなかった兄の弱った姿を見て、円香は持っていたペンをそっと机の上に置いて立ち上がった。
「…交換条件」
「えっ?」
「翼が今悩んでいること、教えてくれたら歌ってあげてもいい」
翼の目の前まで移動した円香はそう言って、彼の瞳を真っ直ぐ見つめる。
兄妹だからこそ、円香が心から
(円香にここまで気を遣われるなんて…まったく、俺の方がずっと年上なのに情けないな…!)
「…円香には敵わないな」
円香の言葉に背中を押される形で、翼は悩みを打ち明けることにした。
「実は今日、椿さんからアイドルにならないかスカウトされたんだ」
「!…それで、何て答えたの?」
「断ったよ、自分にはアイドルという職業は向いていないしな」
今までも街中を歩いていると、芸能事務所からスカウトされることが何度かあったが、翼は全て断ってきた。
どうしても自分が表舞台で輝く姿を想像できなかったし、両親から受け継いだ容姿はともかく、中身の方はアイドル向きではないと自己分析していたからだ。
「それで、話はまだ終わりじゃないでしょ?」
円香の言う通り、翼と椿の会話には続きがあった。
『私と翼くんは根っこの部分が似ていると感じたの。私は自分が輝くことよりも、誰かを輝かせる方が好き。翼くんもそうなんじゃないかしら?』
『…確かにそうかもしれません』
『そんな翼くんに提案があるのだけれど、283プロのプロデ……ううん、マネージャーになってみる気はないかしら?』
『マネージャー、ですか?』
『えぇ、仕事の内容してはアイドルたちのスケジュールを管理したり、仕事先まで一緒に行ってフォローしたり…とにかく色々やることはあるのだけれど、分からないことは私が教えるから安心して!』
『…すみません、ご提案はありがたいのですが、その…』
『あ、ごめんね。そうよね、いきなりマネージャーにならないかって言われても困るわよね。えっとね、私の話になるけどプロデューサーになる前の私はマネージャーをやっていたの』
『そう、だったんですね。椿さんが、マネージャー…』
『えぇ、そしてこの2つの職業は共通する部分が多い。何より彼女たちが常に最高のパフォーマンスを発揮できるよう支えるという根本の部分は変わらないわ……今の話を聞いて、少しでも興味が出たのなら、ぜひ翼くんには283プロのマネージャーになってほしい』
『椿さん、自分は───』
…
……
………、
「───翼?」
「えっと、話の途中だったのに突然黙って悪い。実は、椿さんからマネージャーになってみる気はないかって誘われているんだ」
「…具体的に誰のマネージャー?」
「ん、それは283プロのアイドルたちだけど……最初は円香たち4人を任せたいって話をされたな」
「それで、返答は?」
「保留にさせてもらった」
「はぁ?」
今まで穏やかに聞いていた円香であったが、保留にしたと言う翼の言葉に思わず聞き返す。
その言葉の中に、抑えきれない怒気が含まれているのは明らかであった。
「それって、私たちのマネージャーするのが嫌ってこと?」
「違う、違う!決して円香たちのマネージャーをするのが嫌ってわけじゃないよ」
「じゃあ、どうして保留にしたの?」
「何と言うか、これは俺の心の問題というか…」
「その問題を私にも説明して」
「いや、だからこれは俺の…」
「うるさい。同じことを2回も言わせないで」
「はい…」
有無を言わせない様子の円香に、翼は言葉を選びながら説明していく。
「情けない話だけど、自分の進むべき道が分からなくなってしまったんだ」
円香は黙って、彼の言葉に耳を傾ける。
「高校までは将来の夢がなくても進めるけど、それ以降は明確な進路が必要となる。俺にはそれがない…いや、ないと言うより、自分が何をしたいのかを考えるのを避けてきたんだ」
(今の自分がどう頑張っても前の自分になれない…そのことを認めるのを、無意識に俺は恐れていたんだ)
流石に前世のことは円香に話せないため、そこだけ伏せて自身の本心を打ち明ける。
「自分が最初に夢見た道は、もう進むことはできない。そして、次に進むべき道はまだ見つからない」
この世界の283プロのプロデューサーは椿だ。自分ではない。
そもそも、既に多くのアイドルが羽ばたき始めている。
自分が前世でプロデューサーになった年齢に成長する頃には、彼女たちはトップアイドルになっているはずだ。
それなら、283プロ所属ではない別のアイドルをプロデュースするか?
それも何か違う気がして、そのうち自身が何をやりたいのかを考えるのを止めてしまったのだ。
「円香たちのマネージャーになることが、本当に自分が進んでいきたい道なのか…それが分からなくなってしまったんだ」
「なにそれ。翼は真面目すぎ…少しは浅倉や雛菜を見習えば?」
「ははっ、そうかもしれないな。でも、中途半端な覚悟でマネージャーになって、円香たちや283プロに迷惑をかけるのだけは嫌なんだ」
「それで保留にしたの?」
「あぁ、椿さんには悪いと思ったけど、時間をかけてよく考えたかったんだ」
翼の悩みを聞き終えた円香は、一旦自分の椅子に座り直すと、目を閉じて何かを考える。
そして30秒ほど目を瞑って考えていた円香は、徐に口を開く。
「ねぇ、翼にとって1番の夢はなに?」
「俺の夢か?そうだな…今は円香たちがトップアイドルになることが1番の夢かな」
「翼の夢なのに、自分自身はそこに含まれていないの?」
「それは…」
円香に指摘された翼は言葉に詰まる。
そんな翼に向けて、円香は言葉を紡いでいく。
「雛菜は、翼と一緒にトップアイドルを目指していきたいと言っていた」
後に彼女たちは翼に語る。
彼と一緒に進んでいけることが最高の幸せなんだと。
「小糸は、翼と一緒ならアイドルとして頑張っていけると言っていた」
彼が隣にいればどんなに困難な道でも歩いていけると。
「浅倉は、翼と一緒じゃないとアイドルになった意味がないと言っていた」
彼と共に
「みんな、
「…それは違う。俺はこの手で円香たちを支えたい。できることなら、みんなが耀く姿を隣でずっと見ていたい」
「それが翼のやりたいことなら、アイドルを側で支えるマネージャーほど向いている職業はないと思うけど」
円香の真っ直ぐな言葉を聞き、自分の中にある迷いが晴れいくのを確かに感じた。
(そうだ、何を勘違いしてんだ。プロデューサーでなくなっても、俺がやりたかったことは変わらないのに)
プロデューサーであるかどうかなんて関係ない。
役職や立場はあくまで飾り。重要なのはあくまで中身なのだ。
「あぁ、円香の言う通りだ。決めたよ、俺は283プロのマネージャーを引き受ける。そして、みんなを側で支えていくよ」
「ん」
「ありがとう、円香。きっと俺1人だけだったら、まだ悩んでいたと思う」
「別に。ずっと辛気臭い顔されて隣に居られるのが嫌だっただけ」
円香の不器用な優しさに思わず翼の口から笑いがこぼれる。
「ははっ」
「なに、いきなり笑って」
不機嫌な顔をして睨んでくる円香に、翼は適当に誤魔化して話を変える。
「いや、何でもないよ。そういえば、いつ歌を聞かせてくれるんだ?」
「…今思ったけど、私が歌う意味ある?」
「俺が聞きたいって理由じゃダメか?円香の歌を聞けば今日はいい夢を見れる気がするんだ」
「…なにそれ、馬鹿みたいな理由」
そう言って椅子から立ち上がった円香は部屋の外に向かって歩いていく。
「円香…?」
翼の問い掛けに答えずに円香はドアノブを掴む。
そして、後ろにいる彼を見ずに言葉を告げる。
「一緒に歩いていくなら、私の歌を聞く機会なんて今後いくらでもあるんでしょ───ミスターパートナー」
心なしか優しい声色でそう呟いた円香は、そのままドアを開けると、翼の返答を待たずに1階へと降りていった。
「あぁ、そうだったな───これからもよろしく、円香」
去っていく妹の背中にそう告げた翼は、昼に教えてもらった椿の携帯電話に電話をかけるのであった。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
これにて、第1部「Re start」編は終了になります。
第2部「W.I.N.G.」編も、宜しければお付き合いください。