W.I.N.G.への挑戦
翼が283プロのマネージャーになることを決心した日の夜。
事務所の社長室で2人の男女───天井努と羽鳥椿が話し合っていた。
『───社長、凄く頼りになる男の子をマネージャーに勧誘しましたので、都合が良い日に会ってもらえませんか?』
『わかった。明日の18時からなら時間を作れるが、それで構わないかね?』
『ありがとうございます!それでは、彼には私の方から連絡を入れておきます』
『…すまないな、椿。プロデューサーとしての業務も忙しい中、このようなことまで君に任せてしまって』
283プロダクションは売れっ子アイドルを多く抱える芸能事務所なのに関わらず、プロデューサーと事務員が各々1人ずつという、明らかな人員不足であった。
スタッフについては常に募集をかけているが、天井が求める人柄・能力を持つ人材は簡単には見付からず、残念ながら椿とはづきに負担がかかっているのが現状である。
そんな人材不足を解消するため、プロデューサーの椿もアイドルスカウトと並行しながら、自分の同僚となるスタッフを探していたのだ。
『いえ、社長が機会を与えてくださったおかげで、素晴らしい人材をマネージャーにスカウトできました。ふふ、きっと社長も彼のことを気に入ると思いますよ』
『ほう、君がそこまで評価するとはな。久しぶりに明日を待ち遠しく感じるよ』
2人がそんなやり取りをした翌日、翼は283プロの事務所に訪れ、社長である天井と面接を行うことになった。
「───御社に所属しております樋口円香の兄で『樋口翼』と申します」
「ふむ、樋口翼くん…椿が先日スカウトした彼女のご兄弟か。なるほど、確かに瓜二つだな……ん?確か彼女には
「はい、自分がその兄になります」
「そ、そうだったのか」
(つまり彼は妹の樋口円香と同じ17歳…まだ未成年だったのか…)
急な採用なため、翼は履歴書などを送ることができず、283プロ側は翼についての細かい情報を事前に用意できていなかった。
また、283プロのスタッフで1番彼の情報を把握している椿が本来なら同席しているはずであったが、営業先のトラブルで急に呼び出されてしまったため、天井に情報共有できずにいたのだ。
そのような事情があり、翼についてはとても優秀な男性だとしか情報がないまま面接を行っていた天井であったが、流石に未成年であることを知って動揺を隠せずにいた。
「…高校には通っているのかね?」
「はい、妹の円香と同じ高校に通っています」
(───ふむ、確かに年齢にしては落ち着いた雰囲気を有しているが、それでもまだ未成年なのには変わりない)
実際に対面して少し言葉を交わしただけでも、樋口翼という少年が優秀なことを、天井は察することができた。
しかし、283プロのマネージャーとして相応しいかといえば、そう話は単純ではない。
例えば17歳という若さだと、自分より年上のアイドルをサポートすることが多くなる。
また、営業先で出会う人はほとんど年上のため、スタッフ同士で気楽に話すことは難しい。
普通の高校生にはアイドルのマネージャーという業務は荷が重いと天井は考えていた。
(さて、いくら椿が認めているとはいえ、マネージャーをまだ高校生の少年に任せていいものか…)
「それでは、次の質問だが───」
「はい、それに関して自分は───」
目の前の少年を283プロのマネージャーとして採用するかを深く迷いながらも、天井は問答を続けていく。
「昨今の社会情勢で───」
「自分はそれについて───」
ときには社会経験のない高校生には難しい質問をすることもあったが、翼は自分なりの答えをしっかり述べていく。
(───この少年、本当に17歳か疑いたくなるほど受け答えがしっかりしている。何より驚くべき点は、アイドルたちを支えたいという強い意志を彼から感じられることだ)
天井は長年芸能界を生き抜いてきただけあって、人を見る目には自信があった。
樋口翼───外見はアイドルとして活躍してもおかしくないほど整っているが、彼の本質はそこではない。
高校生とは思えないほどに大人びいた振る舞いをする彼は、その内面に確固たる『意志』を持っていた。
そして、彼の『意志』は、天井にとってあまりにも眩しく映った。
(なるほど、椿が評した通りの人物か……これほどの逸材に出会えるとはな)
初めは翼が未成年ということで難色を示した天井だったが、言葉を交わしていく内に否定的な思いは消えていく。
面接が終わる頃には、現プロデューサーである羽鳥椿、そして今は亡き親友にどこか似ている彼に強い興味を抱くようになった。
(彼も椿と共にプロデューサーになってくれたら…いや、流石に年齢を考えると難しいか。今は彼女の提案通り、マネージャーを任せてみるのが妥当だな)
「───樋口翼くん。君に283プロダクションのマネージャーを任せたい」
「っ!」
「引き受けてくれるかね?」
「はい、もちろんです!よろしくお願いします、天井社長!」
「こちらこそよろしく頼む。さて、詳しい契約内容についてだが───」
こうして、天井は283プロダクションのマネージャーとして翼を雇うことを決め、面接終了後に彼を283プロのマネージャーとして採用することを告げるのであった。
◇◆◇◆◇
正式に283プロのマネージャーに採用された翼であったが、すぐにマネージャーとして働き始めることはできなかった。
当たり前だが一般人である高校生をすぐに現場で働かせるわけがなく、翼は研修を受けることになったのだ。
その研修期間で翼は、3人の人物から様々な知識や技術について教わっていくことになった。
基本的にはプロデューサーである椿と行動を共にすることが多く、実際の現場を体験することで必要な知識・技能を身に付けていった。
プロデューサーである椿が忙しいときは、天井社長と共に仕事先に出向いて知識を深めていった。
また、天井の時間が空いているときは社長室にて様々な指導を受けることもあった。
そして、事務員のはづきからは、スケジュール管理や会計関係など、細やかな業務を一緒に行うことで学んでいった。
仕事中、事務所に訪れたアイドルたちとコミュニケーションを積極的にとったことで*1、一部のアイドルたちとは休憩時間に談笑するほど仲を深めることができたのであった。
前世にて283プロで働いていた翼は、自分が担当した業務内容をまだ身体が覚えていたため、とてもスムーズに研修期間は過ぎていった。
もちろん研修期間中であっても、まだ17歳の翼は高校に通う必要がある。
この1ヶ月、翼は学校がある平日は放課後に事務所へ顔を出し、学校がない日は朝から事務所に出勤し、日が沈むまで仕事をこなす日々を送った。
翼自身、充実した毎日過ごしているつもりであったが、気楽にそう考えているのは彼だけであった。
どう考えてもアイドルになった自分たちより多忙な翼を、円香や透たち幼馴染は心配するようになった。
彼女たちが心配していることに気付いた翼は、不安を払拭させるために爽やかな笑顔でこう告げた。
───ははっ、このくらい問題ないさ。むしろ、まだまだ働き足りないくらいかな、と。
その発言をしてすぐ、ビシッと場の空気が凍る。
ついでに円香たちの表情も凍るのを翼は感じた。
円香たちを心配をさせまいとそのような発言を口にしたのだが、*2それが余計に彼女たちを心配させたのは言うまでもない。
彼は周囲から完璧超人と評されることもあるが、自分のことを客観的に見ることができないという大きな欠点があったのだ。
「自分すら満足に管理できないのにどうやって私たちを管理するの?ミスター・ワーカホリック」と円香から罵倒された翼は、最低週1日は必ず家で身体を休ませるよう幼馴染たちに注意を受けるのであった。
◇◆◇◆◇
1ヶ月間の研修期間を終えた翼は、出勤して早々に社長室に呼ばれることになった。
部屋に入ると、天井と椿が向き合って座っているのが彼の目に入る。
挨拶を交わした後、天井から座るよう促された翼は、椿の隣に腰を下ろす。
「さて、今日から君には283プロのマネージャーとして正式に働いてもらう。現時点で何か分からないことはあるかね?」
「いえ、今のところはありません」
「ふむ、頼もしい言葉だ。ただ、何かあれば遠慮なく私や椿を頼るように……君はまだ未成年だ。気負いすぎることはないぞ」
「天井社長…!はい、ありがとうございますっ!」
「もっとも、研修期間で大変素晴らしい結果を修めた君には余計な心配だったかな?」
「いえ!天井社長を含め、多くの方のご指導があったからこそ研修期間を無事に終えることができたと考えています」
「それはよかった。プレッシャーをかけるわけではないが、素晴らしい結果を期待させてもらう」
「はいっ、よろしくお願いします!」
「いい返事だ。では、仕事の説明は椿に任せる」
「はい、社長。翼くんには以前お話した通り、透さん、円香さん、雛菜さん、小糸さんの4人を担当してもらうわ。彼女たちのことをしっかりサポートしてあげてね」
「もちろん、全力を尽くして支えていくつもりです」
「ふふ、頼もしい返事ね。4人の担当が慣れてきたら、他のアイドルたちのサポートも任せるつもりだから、よろしくね」
「わかりました。もし椿さんの手が回らない場合、自分でよければ手を貸しますので、遠慮なく声をかけてください」
「本当?それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわね。それで、今日の仕事に入る前に翼くんに伝えておきたいことがあるの」
「もしかして、円香たちのユニットについてですか?」
「ふふ、察しがいいわね」
283プロでは、アイドルをソロで売り出すことはせず、ユニットを組ませて活動させる方針であった。
それは円香、透、雛菜、小糸も例外ではなく、幼馴染4人でユニットを組むことが既に決まっていたのだ。
「ユニットメンバーは決まったのに、その名前はまだ決まっていなかったでしょ?それがね、昨日ようやく決まったの」
「円香たちのユニット名、決まったんですね!」
嬉しそうな反応をする翼。
それに頷いた椿は、決まったばかりのユニット名を口にする。
「『ノクチル』───それが彼女たち4人のユニット名よ」
「!」
(他のユニット名が変わっていなかったから、きっとそうなるだろうとは予感していたけど……本当に、よかった)
ノクチル───前世とまったく同じユニット名に決まったことを受けて、翼は内心で安堵した。
もちろん違うユニット名になったことで何かが変わるわけではなかったが、円香、透、雛菜、小糸の4人にはノクチルというユニットで羽ばたいてほしいという元プロデューサーとしての願望が残っていた。
「ノクチル……彼女たちのイメージに合ったユニット名ですね」
「本当っ?翼くんも気に入ってくれたようでよかったわ」
優しく微笑んだ椿は、そのユニット名に決めた理由ついて説明をする。
「彼女たちを近くで見て思い浮かんだ2つのワード『チルアウト・ノクチルカ』…これらを組み合わせて『ノクチル』というユニット名にしたの。社長にもアドバイスをいただいたおかけで、彼女たちにピッタリな名前を付けられたと思うわ。彼女たちも気に入ってくれるといいのだけれど…」
「心配はいらないと思います。きっと円香たちは喜んでくれますよ」
「そう?でも、身内の翼くんがそう言うなら安心ね…こほん、では本日の業務に移りましょうか」
そう言って椿は綺麗にまとめられた資料を翼に渡す。
その表紙にかかれている内容を見た翼は、緩んでいた気持ちを引き締めた。
「『W.I.N.G.』出場について…なるほど、彼女たちの最初の目標がこれですか」
「その通りよ。ワンダーアイドルノヴァ・グランプリ…通称『W.I.N.G.』への出場をノクチルのみんなには目指してもらうわ」
『W.I.N.G.』とは新人アイドルの祭典とも言われる大規模なライブであり、エントリーしてから出場するまでに4回の審査を受ける。
ボーカルやダンスなどの実力はもちろん重要だが、知名度や人気がなければ簡単に落選してしまうほど審査が厳しく、ここで初めての挫折を味わうアイドルも少なくはないのだ。
「力を合わせて彼女たちを精一杯サポートしていきましょう。それで、早速仕事の依頼が来ていて───」
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───W.I.N.G.第1シーズン終了まで、残り8週。
お待たせ致しました。第2部「W.I.N.G.」編の開幕です。