ソードアート・オンライン -The Dream of a Butterfly-   作:楪 

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連続投稿失礼します。


間章 彼女の役目

その日、直葉はいつもより早く帰宅の途についていた。部活は通常通りあったものの、なるべく早く道具の片付けをし、道場の掃除をし、着替えを済ませて、電車に飛び乗る。

車内は存外に空いていたが、直葉の通う高校の最寄り駅から自宅のある川越駅までは数駅ほどで、大した時間はかからない。ならば、駅に着いたらすぐに駆け出せるようにと、直葉は立ったまま電車に揺られることを選んだ。

 

直葉がここまで急いでいる理由は、ただ一つ。きっと張り切って夕食を作っているであろう、和人を手伝うためだ。

 

直葉は、毎日の食事の時間を楽しみにしていた。それは、食事が好きだからと言うよりは──勿論、その理由もあるのだけれど──和人との繋がりを感じられるからである。

和人がSAOに囚われる前は、単身赴任中の父と、不規則な生活の母、どこか家族を避けるように過ごしていた和人となれば、食事の時間は一人になることも多かった。たまに家族で一緒に食べたとしてもその雰囲気は重く、とても食事を楽しむ、という余裕はなかったものだ。

 

しかし、今は違う。時間が合えば出来る限り一緒に食事を摂り、食事中は和やかな会話が繰り広げられ、買い出しから食事を一緒に作ることすらままある。直葉にはその時間こそが、何にも代えがたい宝物だった。

電車が僅かに揺れて停止し、プシューと空気の減圧と共にドアが開いた。完全に開ききる前に隙間から飛び出し、改札の奏でるタッチ音すら置き去りにする勢いで、家までの道を駆ける。

 

夕飯はがんばる、と言ったからには、和人は本当に時間をかけて作るのだろう。本人は自分のことをテキトーな人間だと思っているようだが、あの兄は案外気にしいで律儀な人なのだ。ダッシュ中、今朝のしょんぼりした顔と、キッチンで四苦八苦しているであろう和人の姿を思い浮かべて、直葉の顔に笑みが零れた。

 

「ただいまー! ……あれ?」

 

ようやく辿り着いた玄関で、言葉と共に引き戸を開けようとするも、ガチッと音がして止まってしまう。鍵が空いていないのだ。首を捻りながらも指定カバンのポケットから鍵を引っ張り出し、電子錠が主流となった今では少々古めかしい方法で鍵を開ける。

鍵がかかっていた時点で予想はついていたが、和人はまだ帰宅していなかった。

 

「おっかしいなあ……絶対もう台所にいると思ったのに」

 

寂しさを誤魔化すように独りごちるが、応えの返ってこない言葉に虚しさが増すだけだった。

一つ嘆息して部屋に着替えに戻る。待っていれば、そのうち帰ってくるだろう。既に薄闇に包まれ始めた外の景色が、少しだけ切なかった。

和人が帰ってきたのは、それからたっぷり一時間後のことだった。

 

「お兄ちゃんおそーい」

 

両手いっぱいに抱えた荷物を上がり框に下ろした和人に、不満を顔に貼り付けて言う。時刻は既に、いつも夕食を食べ始める時間を過ぎていた。

顔を上げた和人は、まるでここが家であることを初めて認識したかのように目を瞬かせ、なんとも形容しがたい表情をした。眩しいものを見るかのように目を細め、唇を歪めて───ひょっとしたら、このまま泣いてしまうのではないか、と直葉は思った。

 

「ただいま、スグ。遅くなってごめん」

 

お兄ちゃん、と直葉が問いかけるより先に、和人は笑みを形作った。ぎこちなく、無理をしているのがありありと分かる表情だ。

 

「東京駅でこれ、買ってきたんだ。温め直して食べようぜ」

 

和人の言葉で、直葉はあっと今朝の言葉を思い出した。東京駅の駅ナカスイーツ、というのはあまりにしょぼくれた和人に対する助け舟のつもりだったのだが、まさか自分の首を締めることになろうとは。着替えてくる、と直葉に袋を渡した和人の背中を見送ってから、直葉は一つ息をつき、考えた。

自分には、和人になにをしてあげられるのだろう、と。

 

和人の帰りが遅くなったのは、東京駅に寄ったから、という理由だけではないことを、直葉は理解していた。

同時に、兄は今のところ、妹に踏み込ませるつもりはないのだということも。

こうなった和人はそれはもう頑固だ。問い質せば多少のことは答えてくれるだろうが、核心的な部分には触れないのだろう。あの、妖精郷や銃の世界での出来事のように。

 

……それなら、痛みを生んでいるのであろう傷には触れずに、一時だけでも忘れられるよう、自分は笑顔でいよう。玄関に置いてある大きな姿見の前で、直葉はむいむいと自分の頬を抓り、笑顔を作った。

一旦足元に置いた袋からは、なんとも食欲をそそるいい匂いがする。さて、和人が着替えているうちに、これを電子レンジで温めてしまおう。そして、いつものように、楽しい食事の時間にするのだ。未だほんのりと温かいお惣菜入りの袋と、ケーキの入った箱を傾けないように気をつけながら、直葉は駆け出した。

 

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