異聞 黒の剣士   作:こしあん

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 続きました。
 全体的な流れとしては原作通りに行く予定です。

 ほぼプロローグ的なアレなのでちょっと(?)長めです。



第2話 始まりの日

 

 Sword Art Online(SAO)の舞台となる浮遊城アインクラッドに降り立ってから数分後、街中を駆けていたアルトリアは背後から呼び止められた。

 

「序盤のコツ、先っちょだけでいいんで俺にレクチャーしてくれませんか⁉︎」

 

 ナンパである。

 それこそ星の数ほど口説かれてきたアルトリアであるが、まさか仮想空間の中でまでそれを経験することになるとは思っていなかった。

 

「⋯⋯知っているか? このゲームには、デュエルというシステムがあるという。よくある、相手のHPがゼロになるまでのPvPだ。当然仮想の斬撃に痛みは無いが、全身を輪切りにされる感覚はなかなか面白そうだとは思わないか?」

 

 殺気を全身に滾らせて睨め付けると、件の男は狼狽した様子で必死に手を振った。

 

「いや、いやいやいや勘違いだ! おりゃあただ、幸運なるβテスター様のご教示を頂きたかっただけで!邪な気持ちとかは一切持ち合わせておりません!」

 

 ────なんでも、迷いなく路地裏目かげて疾走するアルトリアの姿に、こいつはベータテスト経験者だと当たりをつけて声をかけてきたらしい。

 まあ、よく考えたら容姿を見て食いついてくるはずがない。何せアルトリアのアバターの容姿は、身長以外は女性プレイヤーのデフォルト設定のままなのだから。それでも現実世界基準であればクラスのアイドルくらいの顔立ちだが、この世界ではそこら辺のNPCと大差ない。勿論リアルでのアルトリアとは比べるべくもない。

 

「なるほど、そういうことでしたか。しかし、残念ながら私はテスターではありません。カズ───弟がβテスト参加者で、私はその攻略情報を聞き齧っていたに過ぎません」

「そ、そうなんですか⋯⋯。いや、それでも十分! 右も左もわからない訳じゃないんだろ? ちょっとだけ一緒にどう⋯⋯です?」

 

 男はパンっと手を叩いて拝むように頭を下げる。言ってることは割と図々しいのだが、愛嬌のある言動やぎこちない敬語がどこか憎めない。肩の力が自然と抜けた。

 

「敬語は不要です。私でよければ、喜んで。これも何かの縁と考えましょう」

「マジか! サンキュー。オレはクライン。よろしくな!」

「私の名前は、【セイバー】。よろしくお願いします、クライン」

 

 

 

 

 

 

 

 この世界(ゲーム)にはファンタジー系RPGの鉄板とも言える〝魔法〟がない。この世界での戦闘とは、須く武器による物理攻撃によるものだ。先ほど路地裏の武器屋で購入したアルトリア(セイバー)の片手剣やクラインの曲刀なんかがいい例だ。

 

 しかし、それだけでモンスターと渡り合うのは困難だ。武器を持っていたところで、殆どのプレイヤーが現実世界で武道の経験がない。さらに、例え剣道が得意な人間がVRの戦闘でも強いかと言えばそんなこともない。当たり前だが、SAOの戦闘にはルールも型もなく、面だろうが小手だろうが敵のHPをゼロにすることだけが勝利条件なのだから。

 

 

 

「そこでキーになるのが、剣技(ソードスキル)です」

 

 最低限の物資を調達し、はじまりの街から飛び出した二人は、初期フィールドでの初戦闘に望んでいた。目前にいるのは、イノシシ型モンスター《フレンジーボア》だ。

 

 レクチャーするという約束通り、まずはセイバーがお手本を見せることになっている。

 ベータでは最前線で戦っていたという弟分の解説を反芻しながら、剣を構えて敵を注視する。

 

「はぁッ!」

 

 弾丸のように一直線に突進してきたボアの横をすり抜けながら、直剣を横凪に振う。ステータスが許す限界の速度で斬撃が腹部に叩き込まれ、血飛沫じみたライトエフェクトが撒き散った。

 獣らしい悲鳴をあげながら青イノシシは数メートル先で急停止する。

 

 同時に、モンスターの頭上に可視化されたHPバーが滑らかに目減りした。今の一撃で与えられたのは、総量のうち30%程度だろう。

 

「今のは普通に斬っただけです。予備動作(プレモーション)によるシステムアシストの発生。いわば、ボディコマンドによる〝技〟の発動がソードスキルです」

 

 青イノシシが体勢を立て直し、反転したのを見計らって剣を水平に構えグッと腰を落とす。事前にステータスメニューのスキル欄から確認しておいた規定モーションの〝構え〟を意識する。

 

 僅かな溜め。正直セイバー自身半信半疑だったのだが、事前情報通り刀身にブルーのライトエフェクトが迸る。それと同時に、目に見えない強烈な推進力で全身が押し出されるのを感じる。

 

 これこそがソードスキルの最大のウリ。システムのモーション・アシストだ。慣れない感覚に不快感が過ぎるが、意識的に無視して不可視の力に身を任せる。何せここで驚いて急ブレーキをかけようものなら、さらに不愉快な強制ディレイを食らってしまうからだ。

 

 先ほどの一閃と同等の───いや、体感ではさらに速い───スピードで駆け出し、燐光を放つ剣が目にも止まらぬ速度で軌跡を描く。その全てが、セイバーの意思とは無関係だ。

 

「せやァッ──!」

 

 猛烈な速度で右腕が瞬き、青色の軌跡がモンスターの体を一文字に斬り裂く。剣越しに感じるポリゴンの肉体の抵抗感も、先の一撃より遥かに軽かった。

 

 これぞ《ソードスキル》。

 一般人でも、決められた予備動作を行うだけで達人級の挙動を再現することが可能な、革新的なシステムだ。VRゲームにおける近接戦闘の一つのデファクトスタンダードと言えた。

 

 そして、セイバーのような超ハイレベルな技倆の持ち主にとってもソードスキルの使用はメリットが多い。何せ、スキル使用時の動きは明らかに敏捷ステータスの上限を超えているし、威力もずっと上に設定されているからだ。

 その証左に、HPが黄色ゲージ(半減状態)に差し掛かったばかりのフレンジーボアは、哀れな断末魔とともにガラスのように砕け散っていた。このゲーム内におけるモンスターの死亡エフェクトだ。

 

「お、おおおおおっ! すっげぇっ!今のがソードスキルか⁉︎ くぅ、カッコいいなあ!」

「ええ。片手直剣単発ソードスキル《ホリゾンタル》。⋯⋯しかし、やはり現実とは全く勝手が違いますね」

「そりゃあ、そうだろうよ!ゲームの中なんだしよお。向こうじゃこんな動きできるわけねぇぜ!」

「⋯⋯⋯⋯ああ、いえ。そういう意味では無いんですが⋯⋯」

 

 怪しい手つきで曲刀を振り回すクラインに苦笑を漏らす。セイバーの言わんとするところは、彼の想像とは全くもって正反対だったからだ。

 

 体捌き、剣技、ソードスキル。そのどれもが現実のセイバーのそれと比べればあまりにも遅く、貧弱だった。最大加速になる前にシステムによって強制的にブレーキをかけられるような感覚は、ある種の不快感すら伴っていた。

 リアルと遜色ない挙動をするには、果たして一体いくらレベルを上げてステータスの補正を強化すればいいのか。見当もつかなかった。

 

 

「いよぉし! オレも! くらえ、《リーパー》!ぅおおお!」

 

 よほど舞い上がっているのか、セイバーのぼやきを気にも留めず、クラインは傍でリポップした青イノシシに元気に突撃していく。

 

「ぐぇっ⁉︎ ぬわぁぁあッ!」

 

 が、案の定華麗に吹き飛ばされ、地面をコミカルにバウンドしながらセイバーの足元まで転がってきた。

 

「ふっ。クライン、ソードスキルにボイスコマンドはありませんよ? 発動に重要なのは()()をつくることです。初動でほんの少し溜めを入れて────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 《はじまりの街》の西側に広がるフィールドで雑魚エネミーをバッタバッタと斬り倒し続けること数時間。

 クラインもソードスキルの使い方に慣れ、ソロでフレンジーボアを相手取れるまで成長していた。セイバーの方はというと、システムアシストに合わせて身体を動かすことで速度と威力をブーストするテクニックを自然と自分のものにするに至っていた。

 

 周囲の雑魚mobをあらかた狩り尽くしたのを確認すると、草原の上にクラインが勢いよく寝転がった。

 

「しっかしよ⋯⋯何度見ても信じられねえな。ここが《ゲームの中》だなんてよう」

「同感です。ある種、現実よりも現実らしいというか。イメージしていたファンタジー世界そのものです」

「すっげえよなあ。マジ、この時代に生きててよかったぜ」

 

 それはセイバーもこの地に降り立ってから痛感していたことだった。

 

 ぐるりと辺りを見渡す。

 赤みがかった陽光を浴びて煌めく大海原のような草原、金色の雲の群れが霞む無穹の空、遥か北に鬱蒼と広がる森のシルエット、斜陽を浴びて煌めきをたたえる湖面、遠目に薄く望む街の城壁────。

 

 その全てが否応なしに胸を打つ。ゲーマーの心象風景そのものを前に、どこか郷愁じみた感傷すら感じた。

 しばし二人して景色に魅入っていると、クラインがアクロバティックに跳ね起きた。これもまた仮想空間ならではの挙動だ。

 

「────さて、そろそろ一度落ちてメシ食わねぇとなんだよな。ピザの宅配、五時半に指定してっからよ」

「あぁ⋯⋯もうそんな時間ですか」

 

 視界の端に視線を向ければ、デジタルの数値は17を超えていた。部活に行っていた直葉もそろそろ帰ってくる頃合いだろう。

 

「オレ、その後他のゲームで知り合いだった奴らと《はじまりの街》で落ち合う約束してるんだよな。どうだ、あいつらともフレンド登録しねえか?」

「え、あー⋯⋯」

 

 思わず言葉に窮する。そう言えば、彼には大事なことを伝えるのを忘れていた。歯切れの悪い返事にクラインは慌てて首を振った。

 

「あ、いや勿論無理にとは言わねえよ。そのうち紹介する機会もあるだろうしな」

「いえ、違うんです。言い出すタイミングがなかったんですが⋯⋯。ベータには弟が参加したと言ったでしょう? 実は私が今装着しているナーヴギアもソフトも、その弟のものなんです。今日はたまたま彼が体調不良だったので拝借しているだけなのです」

 

 和人に頼めば貸してもらうこともできるだろうが、そもそもゲーム機自体彼のものだ。そんな風にせがむなんて事はあまりにも卑しいし、する気もない。

 

「なので、ひょっとしたらこのアカウントでログインすることはこれが最初で最後かもしれません」

「そう、か⋯⋯⋯」

 

 そう告げると、クラインは俯いて寂しそうな表情を浮かべる。

 たった数時間一緒にゲームをしただけなのに、彼の表情はあまりにも悲しそうだ。そんな顔をされると、こっちまで惜しくなってしまう。

 

「⋯⋯とはいえ、それはこのアカウントでの話です。いずれSAOのソフトが2ロット、3ロットと出てきたときには必ずゲットして、この世界に戻ってきます。⋯⋯⋯その時は、またよろしくお願いしますね、クライン」

 

「ッ、おうっ‼︎ 勿論だ。そんときはオレがオメェをキャリーしてやらぁ!」

「ふふっ、楽しみにしています」

 

 すっと手を出すとクラインは少し驚いた様子だったが、すぐにニカっと笑って握り返してきた。

 

 

 ────この世界が、SAOが遊び(ゲーム)だったのはこの瞬間までだった。そしてその終焉が何を齎すのか、この時はまだ誰も知らなかった。

 

 右手の人差し指と中指を揃えて振り下ろし、《メインメニュー・ウィンドウ》を呼び出す。鈴を鳴らすようなサウンドとともに現れた半透明の紫色の矩形の左端にずらりと並ぶメニュータブの一番下に指先を滑らせ、《LOG OUT》のボタンを────。

 

「あれっ」

 

 そんな素っ頓狂な声が漏れたのは殆ど同時だった。

 

「⋯⋯ない。クライン、ログアウトボタンがありますか?」

「いや、こっちもねえよ。どうなってんだ、こりゃ? 」

 

 説明書でもデモムービーでも、和人の話でも確かにそこにあった筈のログアウトボタンが、綺麗に消滅していたのである。ボタンの配列的に奇妙なブランクがそこにあるだけだった。

 

「ま、今日は正式サービス初日だかんな。こんなバグも出るだろ。今頃GMコールが殺到して運営は半泣きだろうなあ」

「数分後に届くピザが加速度的に冷めていくであろうというのに、呑気ですね」

「うおっ、そうだった‼︎」

 

 頭を抱えて何やら喚き出したクラインを尻目に、メニューの中からGMコールを鳴らす。

 しかし、いくら待っても反応はない。本来であれば、FAQをインプットされたAIか、それで解決しない場合は運営側の担当者とチャットでサポートを受けられる筈なのに。

 

「おいおい、もう五時二十五分じゃん! なあ、他にログアウトする方法って何かなかったっけ?」

 

 クラインの質問に、たっぷり十秒記憶を巡らせ────。

 

「──────」

 

 思わず、押し黙った。

 和人からはメニュータブからのログアウトボタンの押下以外には聞いていない。ナーヴギアの仕様書にはそれぞれのゲームシステムによるとしか記載されていなかったし、SAOのマニュアルにも非常時の緊急切断方法は一切載っていなかった。

 

 全身が総毛立つような気がして、二の腕を摩る。ゲームの中だというのに、嫌な汗が背筋を伝うのがわかった。

 

「ない、です。ナーヴギアに脳波をインタラプトされてる以上、私たちは自力でナーヴギアを取り外すことは不可能なのです。このゲームのシステムに則った方法以外に、ログアウトの手段はありません」

「おいおい⋯⋯嘘だろ、信じられねぇよ。今、ゲームから出られないんだぜ、オレたち!」

 

 クラインが乾いた笑い声を上げた。その表情は硬い。彼も同様にこの状況の恐ろしさに気づき始めているに違いない。

 

「自力でログアウトできない⋯⋯ってことは、向こうで誰かがナーヴギアを外してくれるまで待つしかねぇってことかよ。でも、オレ一人暮らしだぜ。おめぇは⋯⋯、あ、弟さんいるんだっけ」

「ええ、私は家族と暮らしています。なので、夕食の時間になれば気づいてもらえると思いますが⋯⋯。あっ」

 

 ふと閃いたことがあり、セイバーは言葉を切った。この現象がもしバグでなく仕様であるとするなら、一つだけ説明がつくものがあったからだ。

 

「ここが圏外だから、という可能性があるんじゃないでしょうか? ベータでは一定のペナルティの下許可されていたそうですが、正式サービスで仕様変更になった可能性があります」

「おおっ、なるほど‼︎」

 

 戦闘フィールドでのゲーム終了の禁止。RPG、特にオンラインゲームではありふれたなシステムだ。言わずもがな、戦闘が不利になった瞬間の切断による〝逃げ〟を防止するためである。

 

「んだよ、無駄に焦っちゃったじゃねえか」

「急いだ方がいいのは確かですけどね。こうしている間にも貴方のピザは刻一刻と冷めているのですから」

「冷めたピッツァなんてネバらない納豆以下だぜ⋯⋯」

 

 意味不明な呻き声を上げるクラインの顔には先ほどまでの悲壮感は薄れている。何を思ったのか、突然勢いよく駆け出した。

 

「よし、じゃあ街まで競争な! 先に着いた方が今度会った時飯奢るってことで!」

「んなっ。敏捷値は変わらないのですから、先に走った方が有利に決まっているでしょう!」

 

 一瞬虚を突かれたセイバーも慌てて足に力を込める。

 しかし、その一歩が踏み出されることは無かった。

 

 突然、リンゴーン、リンゴーンという鐘のような大ボリュームのサウンドが鳴り響き、二人して前につんのめった。

 

「んなっ」

「なん、だ? ⋯⋯ッ」

 

 クラインと顔を見合わせ、さらに驚愕する。二人の身体を、鮮やかなブルーの光の柱が包み込んだのだ。しかも、目が眩むような光の膜の奥に草原の風景がみるみるうちに薄れていく────。

 

 

「⋯⋯ッ!あれ、ここは⋯⋯?」

 

 一際強い光に眩んだ目を開けると、そこに広がっていたのは中世ファンタジー風の街並み───《はじまりの街》の景色だった。しかも、周囲には夥しい数のプレイヤーが犇めいている。

 

 眉目秀麗な男女の群れ。数千を超える群衆が中央広場に結集しているようだった。

 隣で同じように惚けた顔で眺めているクラインの様子から、恐らく現在SAOにログインしているすべてのプレイヤーが強制転移でここに集められたのだろうと当たりをつけた。

 

 ざわざわと喧騒がボリュームアップしていく。切れ切れに届く声は「どうなってるの?」「これでログアウトできるのか?」などの困惑が殆どだったが、待てど暮らせど変化のない状況に苛立ちの色合いが増していく。一部では運営へ不満をぶつけるような喚き声も散見された。

 

 

 ────と、不意に。謎の気配を感じて顔を上げる。一拍遅れて誰かが叫び、殆どのプレイヤーが〝ソレ〟を見た。

 上空、第二層の底を染め上げていく真紅の【Warning】【System Announcement 】のパターン。そして、そこから垂れ下がるように空中で零れ落ちた血のような液体が形を変えた、巨人の姿を。

 

 身長は目算で二十メートルほどもある。真紅のフード付きのローブを纏った巨人の姿は、先ほどウィンドウ上で見ていたGMの姿に酷似している。しかし、本来顔のある筈の場所には薄暗い闇が鎮座していた。

 

 GMによる緊急招集。普通に考えれば、ログアウト不可となっている状況の原因説明や保証の話が飛び出してくるハズ。しかし、セイバーは脳内で警鐘が響いているのを感じた。まるでつい先ほどまで鳴り響いていた鐘の音の残響のように。

 

 中身のないローブの両腕が掲げられる。直後、よく通る男の声が降り注いだ。

 

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 

 

 

 

 

 

 真紅のフードマン───このゲームの設計者である天才・茅場晶彦の口から語られたのは、とても受け入れ難いこのゲームの〝真実〟だった。

 

 曰く、自発的なログアウト不可は仕様。

 曰く、外部からのナーヴギアの解除は不可能。それを実行した瞬間、ナーヴギアの発する高出力マイクロウェーブが装着者の脳を焼き切る。

 曰く、既にナーヴギアの強制解除による脳破壊シークエンスによって213人が死亡した。

 曰く、この状況や脳を焼く条件については各メディアは繰り返し報道しているため、今後ナーヴギアの強制除装は起こり得ない。

 曰く、このゲーム内でヒットポイントがゼロになった瞬間、脳がナーヴギアによって破壊されて死に至る。

 曰く、このゲームから解放される条件はただ一つ。アインクラッド第100層に辿り着き、ラスボスを倒すこと。

 

 

 

「────ふっ。ふ、ふふふっ」

 

 思わず、笑ってしまう。勿論、期待に胸を躍らせている訳ではない。荒唐無稽な説明に思わず呆れたような笑い声が漏れ出てしまったのだ。

 

「クリア⋯⋯第百層だとぉ⁉︎ で、できるわきゃねぇだろうが! ベータじゃロクに上がれなかったって聞いたぞ‼︎」

 

 クラインが喚き声を上げる。

 

 そう。和人から聞いた話ではβテストでクリアしたのは二ヶ月かけて僅か第10層まで。単純計算でクリアまで三年近くかかることになる。

 いや。ベータの十倍の人数のプレイヤーが参加しているとはいえ、本当に死ぬリスクを承知で戦闘エリアに赴くようなプレイヤーが多いとは考えにくい。加えてリスポーンしない以上〝死んで覚える〟というアクションRPGの基本が実践できないのだ。さらに時間を費やす可能性すらある。

 

 三年、あるいはそれ以上の間現実世界に帰れない? いや、その過程でHP全損とともに本当に死ぬかもしれない?

 

 ⋯⋯有り得ない。とてもこの状況が現実だとは信じられなかった。というより、理解することを脳が拒否していた。

 そんな全プレイヤーの思考を先回りした赤ローブが、機械的な声で告げた。

 

『それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の〝現実〟であるという証拠を見せよう。アイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれたまえ』

 

 言われるがまま、右手を振るいストレージからアイテムを選択する。茅場の話が真実であれば、彼は世界史に名を残す稀代の殺人者だ。当然警戒すべきだったのかもしれないが、今はそんな抵抗を示す気力も湧かなかった。

 

 アイテム名は《手鏡》。オブジェクト化したアイテムは、その名の通り長方形の小さくシンプルな鏡だった。

 鏡面に映っているのは、セイバーの平凡なアバターだ。茶髪をショートボブに切り揃えた童顔な少女が困惑した表情でこちらを覗き返している。

 

 首を傾げ、クラインの方を向くと驚くべき光景を目の当たりにした。

 クラインや周囲のプレイヤーの全身が発光していたのだ。驚愕に声を上げそうになった瞬間、自身のアバターも同様の白光に飲み込まれ、視界がホワイトアウトした。

 

 

 視界はほんの数秒で復帰した。幸いにも仮想世界ゆえか視力の喪失は断絶的で、すぐに元の風景が現れる────。

 

「⋯⋯?」

 

 ────ことはなかった。目の前にあったのはここ数時間で見慣れたクラインの顔ではなかったのだ。

 

 確かに装備は先程までと一寸も変わっていない。しかし、その顔だけは凛々しい若武者然とした美形から、野武士か山賊のようなむさ苦しい顔に変貌していた。

 

「誰、だ⋯⋯?」

「⋯⋯──────」

 

 対して、向こうはこちらを向いて全身を硬直させていた。大きく目を見開き、口をぽっかりと開けて声にならない声をあげている。絵に描いたような放心状態だった。

 

「いったい、何が⋯⋯。ん、あれ、こえが⋯⋯?」

 

 先程までの特徴のない平々凡々とした声と違って、今自分の喉から漏れているのは否が応でも人を惹きつける美声。玲瓏で高貴な、涼やかな声。中性的でありながらもどこか艶やかな印象を受ける。

 

 自画自賛ではない。だって、そんなことは前世からずっと感じていたこと(事実)で────。

 

「ッ⁉︎ ま、まさか⋯⋯」

 

 脳裏を駆け抜ける稲妻の如き予感に駆られて、震える手で手鏡を覗き込んだ。

 

 しかし、当たって欲しくない予想ほど的中するもので。

 

 シミ一つない白磁の肌、少しくすんだ金糸の髪、寒気がするほどに整った顔立ち。小さな鏡の中からこちらを見返していたのは、紛うことなくセイバーオルタ────現実のアルトリア・ペンドラゴン本人であったのだ。

 肌の質感はポリゴンくさいし頬のラインなどに違和感を感じるが、それも本当にごく僅か。凄まじい再現度だ。

 

「うぉっ⋯⋯オレじゃん⋯⋯⋯。て、てこたぁ⋯⋯」

 

 隣で同じように鏡を覗いた落武者が仰け反った。と、いうことは⋯⋯。

 

「貴方がクライン、ですか?」

「貴方がセイバーですか⁉︎」

 

 なぜかクラインの口調が敬語になっているせいで、奇しくも殆ど同じセリフが重なる。

 

 改めて周囲を見渡すと、予想通り様相は一変している。美男美女の群れからただの街の群衆に様変わりし、性別も見渡す限り殆ど男性ばかりだ。

 

 摩訶不思議な現象に思考を回転させる。

 セイバーやクライン、そして周りのプレイヤーは精緻なパラメータ操作で作り上げた〝アバター〟から現実の姿に変化している。しかも、顔だけでなく身長や体格まで変わってしまっている。全体的に縦に下がり、横に広がっているのがその証拠だ。

 一体どんなカラクリがあるのか。ナーヴギアやSAOの初期設定で現実の顔や性別、身長なんてものを入力した覚えはないというのに⋯⋯。

 

「あ、ああっ。そういうこと、ですか。なるほど、確かにそれなら⋯⋯」

「ど、どういうことだ?」

「先ほどカヤバが言っていた通り、ナーヴギアは高密度の信号素子で頭部を覆っています。本来の用途は脳波を正確にトラップするためのものですが、副次的に顔の造形や喉の形などを精細に把握できるのでしょう」

「で、でもよ。身長とか⋯⋯体格はどうなんだよ」

「キャリブレーションです。あれは体表面感覚を再現するための設定ですが、現実の私たちの体格をデータ化することと同義です」

 

 そして、その意図も既に茅場の口から語られている。この世界が〝現実〟であることを、強制的に認識させるためなのだろう。

 

 セイバーの背筋に薄寒いものが這う。

 つまり、SAOどころか、ナーヴギアすらも初めからこの状況を作り出すためだけに設計されていたということか。この恐るべき犯罪は、一体何年前から計画されていたというのだろうか。

 

「でも⋯⋯でもよぉ。なんでだ⁉︎ そもそも、なんでこんなことを⋯⋯⁉︎」

 

 その質問に、セイバーは答えを持ち合わせていない。いや、それは恐らくこの世界でただ一人しか知り得ない解だ。

 そして腹立たしいことに、茅場晶彦はまたしても思考を先回りした。厳かな声が天から降り注いでくる。

 

『諸君は今、なぜ、と思っているだろう。なぜ、SAO及びナーヴギア開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか? 大規模なテロか、あるいは身代金目的の誘拐事件なのか? と。

 私の目的はそのどちらでもない。この状況こそが、私の最終的な目的なのだから。この世界を創り出し、鑑賞するためにのみ私はナーヴギアを、SAOを生み出した。

 ────そして今、全ては達成せしめられた』

 

 その声に灯る熱は、成果を誇示するようでも、誰かを貶めるようなものでもなかった。

 場違いにも、夢を語る子どものような印象を受けた。

 

 少しの間に続いて聞こえてきた茅場の声は、しかしそんな声音が嘘だったかのように無機質だった。

 

『⋯⋯以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の、健闘を祈る』

 

 理不尽な言葉だけを一方的に告げ、赤ローブのアバターは消失した。同時に、天空を埋め尽くしていた赤い絨毯もまた綺麗に消え去っていた。

 

 市街地のBGMが元に戻り、鼓膜を優しく擽る。ゲームが本来の姿を取り戻したのだ。

 一万のプレイヤーを置いてきぼりにして。

 

 そして、ことここに至ってようやく、誰もが然るべき反応を見せた。誰かの手鏡のオブジェクトの落下と破壊のサウンドエフェクトを皮切りに、広大な広場の至る所から多重の音声が鳴り響く。

 

 

「嘘だろ⋯⋯なんだよこれ、嘘だろ!」

「ふざけるなよ! 出せ! ここから出せよ!」

「こんなの困る! この後約束があるのよ!」

「嫌ああ! 帰して! 帰してよぉぉぉ!!」

 

 悲鳴、怒号、絶叫、懇願、咆哮。誰もが頭を抱え、泣き叫び、両手を突き上げ、罵り、へたり込んだ。

 

 当たり前だがセイバーにもそういった感情はある。当然、死の恐怖も。本当なら、彼ら彼女らのように恐怖のまま感情を爆発させてしまいたい。

 

 しかし、それ以上に胸中を満たしていたのは途方もない怒りだった。

 即ち、突如降りかかった理不尽に対する怒り。茅場晶彦に対する怒り。この不条理に屈してはならないという憤り。

 

 小さく深呼吸をして、努めて冷静を装って口を開く。

 

「クライン、ちょっと来てください」

 

 男性にしてもかなり高身長なクラインの袖を引き、荒れ狂う人の波を潜り抜ける。立ち尽くすプレイヤーにどかどかとぶつかるが、誰も彼もがそんなことを気にしている余裕もないのか反応は皆無だ。

 

 人の輪を脱し、暗い街路の一本に入る。ここなら会話も明瞭に行えるはずだ。

 

「⋯⋯クライン。貴方、これからどうするつもりですか?」

「え、ど、どうって⋯⋯」

 

 魂が抜けたように立ち尽くすクラインは、どうやらまだ現実を受け止め切れていない様子だった。

 

「私は、ゲーム攻略に臨みます。カヤバの言っていることが全て真実なのだとしたら、ここから脱出する手段はそれしかありません」

 

 静謐さを讃えた黄金の瞳を吸い寄せられるように見つめていたクラインは、小さく息を呑んだ。自分より一回りも若そうな少女が、リスクを承知の上で死地に赴くと宣言したのだから、その動揺も当然だった。

 

「⋯⋯おりゃ、他のゲームでダチだった奴らと一緒に徹夜で並んでソフトを買ったんだ。アイツらももうログインして、さっきの広場にいるはずだ。置いてはいけねぇ」

「そう、ですか」

 

 少し思考を巡らせる。答えはすぐに出た。

 

「────分かりました。では、まずはその人たちと合流しましょう。圏内で助けを待つか、攻略に乗り出すかは、それから決めるとしましょうか」

 

 安心させるように微笑むと、クラインは驚いたように顔を上げた。

 

「なっ、い、いいのか⋯⋯?」

「? 当然ではありませんか。ゲーム攻略は当然しなくてはいけませんが、他のプレイヤーを見捨てるようでは本末転倒というものです」

「そ、そうか! じゃあ⋯⋯⋯」

 

 クラインの顔が綻び、セイバーを伴って広場に戻ろうとして────すぐに、歩を止めた。

 不自然にぶつ切りになった台詞に訝しんでいると、クラインは苦笑いを浮かべながら、かぶりを振った。

 

「⋯⋯いや。やっぱダメだな。セイバー、ここでサヨナラだ」

「なッ⁉︎ ⋯⋯なぜです? 伝聞とはいえ、弟から聞いたβテストの攻略情報はしっかりと記憶しています。足手纏いにはならないと思いますが。それとも、私になにか不満がありましたか?」

「ちげぇ、ちげえんだよ、セイバー」

 

 感情の読めない視線に、悲しみと苛立ちが積もる。勝手に友情を感じていたのはセイバーだけだったのだろうか。彼にとってはもう利用価値もないというのか。

 

「では、なぜ」

「⋯⋯出会ってからまだ半日も経ってないけどよぉ。おりゃあ、お前がマジの天才だって確信してるんだ。VR初心者のオレでも分かる。剣の振り一つ、踏み込み一つとってみてもおめぇは他のヤツらとは、なんつーか⋯⋯格が違った」

 

 耳朶を打ったのは、想像だにしていない言葉だった。知らず知らずのうちに険の篭っていた目元を消し大きく見開く。

 

「オレはな、おめえならSAOをクリアしてくれるかもって、本気で思ってるんだ。オレらがいたって足手まといになるだけだ。だから⋯⋯⋯オレに気にしてねぇで、往け」

 

 思わず唇を噛み締める。セイバーを排そうとする悪意ではなく、本心からそう思ってくれているのが伝わったからだ。

 

「⋯⋯貴方は私を買い被りすぎです。あんなもの、ただのテクニックです。私は一般人ですから、ヒーローだなんて荷が重すぎますよ」

「⋯⋯⋯まっ、実際はオメェの教え方が下手すぎて指南役に向いてねーってだけだけどな。ずきゅーんとかズバッとか擬音ばっかだし、大事なところの説明を省くし、終いにゃ身体で覚えろとか言うし。オレんとこのパワハラ上司とおんなじだっつーの」

「ぐっ、言いたい放題言ってくれますね⋯⋯」

 

 茶化すような酷評がクラインの優しさであることは言うまでもなかった。しかしそれを指摘するほどに野暮でもない。セイバーは感謝を込めて掌を差し出した。

 

「⋯⋯分かりました。クライン、残念ですがここで一度別れましょう。前線での攻略情報は余さずフレンドメッセージで送ります。そして、必ずや近いうちに第一層突破の報告を《はじまりの街》に届けると約束しましょう」

「おうっ。オレだって前のゲームじゃギルドのアタマ張ってたんだしよ。大丈夫だ、すぐに追いついてやらぁ」

 

 クラインも右手を差し出し、固く握手を交わした。見上げるほどの身長差、そして恐らくはそれなりの年齢差もあるだろうが、それらを超えた友情が確かにそこにはあった。

 

「────では」

「おう」

 

 自然と手が解け、踵を返す。

 

 ⋯⋯これでよかったのだろうか。状況だけ見れば、セイバーはクラインたち───即ち初心者を見捨てて自己強化に走った卑怯者だ。

 もしかしたら、自分はいつの日かこの選択を後悔するのかもしれない。グレーアウトしたフレンド欄を見て、果たしてその時自分は自分を赦せるだろうか。

 

 次々と脳裏に浮かぶ逡巡に足を止める。

 

「クライン、やはり────」

「そうだ、一個言い忘れてたぜ。

 セイバー、オメェ本物はメチャクチャ美人じゃねえか! 超どタイプだぜ、オレ!」

 

 ぐっ、と胸に巨大な感情が渡来する。仮想空間なのに、涙腺が緩みそうになった。

 

「ふっ⋯⋯。貴方こそ、そっちの顔の方がずっと()()()ですよ!」

 

 人好きのする笑みを目に焼き付け、今度こそ友に背を向けて駆け出した。目指すは遥か北西の村《ホルンカ》だ。

 

 振り返ることはもう無い。敏捷力が許す限りの速度で街を踏破し、草原を駆け抜けていく。道中を遮る雑魚モンスターを一刃に斬り伏せつつ、脇目も振らず一直線に。

 

 

 

 

 2022年11月6日。世界を震撼させた《SAO事件》が幕を開けたその日。

 

 黄昏の輝きに包まれる世界で、一人の英雄が産声をあげた。

 

 

 





ご覧いただきありがとうございます。厳しいお言葉でも結構ですので、是非感想いただければ幸いです。

以下、本編の副音声的なやつ

先っちょだけ
→先っちょだけ(レクチャー)してあげた。

アバターの容姿
→今日だけのプレイのつもりだったため、特にキャラメイクせずデフォルトのまま参加。

弟の和人くん
→勿論血は繋がっていないが、初対面の相手にわざわざ説明するようなことでもなかった。

セイバー
剣士(セイバー)という安直すぎるネーミングにクラインには笑われた。SAOにいるプレイヤー全員が剣士のため。

あっという間にシステム外スキルを習得する我らが王様
→騎士王スペック。

声の変化
→独自解釈。原作1巻でもアバターから現実の体に戻った時点でキリトが声色の変化に気づいている描写があったが、特に説明がなかった。多分ナーヴギアは顔の形と同じように声帯の形状も模倣したものと思われる。

現実の容姿の再現に即座に気づく主人公
→キリトと違い、キャリブレーションなどの初期設定を行った直後のため。

クラインに着いていこうとするセイバー
→キリトとのモチベーションの違い。本音ベースでは寂しさという理由も多少あった。

セイバーを突っぱねるクライン
→本人も仲間の命と天秤にかけた上での決断。セイバーを利用する、という選択は彼の漢気が許さなかった。

どタイプだぜ、オレ!
→もし乳上だったら全力で求婚していた⋯⋯かもしれない。

一層攻略後、今後の展開は⋯⋯

  • アニメ版の構成で飛ばし飛ばし進む
  • プログレッシブをなぞる(エタる可能性大)
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