鳰紫の贖罪 作:常世さん
だがしかし、同時に運命の被害者でもあった。
そもそも、鳰紫という名前は偽名。その正体は、千年以上を生きる
だが、それだけではない。彼には、所謂ところの前世と呼ばれる知識を有していた。
彼は、その物語の中で自身が悪役となる事を知っていた。一度はその運命に抗おうとしたが、その試みは失敗。彼なりに物語の終結へと向かうべく行動することを強いられることになる。
結果、彼は死亡した。その魂は、信仰していた神と共に、常世へと送られたはずだった。
だが、
「こ、こは……?」
気付けば、紫は街の中に立っていた。
格好は、鳰紫の格好としてよく来ていた藤色の着物に黒い袴、更に南蛮渡来の厚みのある襟のある外套。
切支丹のような格好だが、生憎と彼は宗教にそこまで入れ込んではいない。教祖だろうと言われても、それは彼の意図したものではなかった。
紫は、周囲を見渡して首を傾げた。
まるで南蛮の街並みだが、しかし同時に違和感もある。
それは、周囲を行く人種。自身に向けられる視線に関しても気になるが、何より彼らはただの人間ばかりではなかった。
(蟲人……じゃないな。いや、そもそも
顎を擦っていた右手をさりげなく動かして、首筋を指先で撫でながら脈を確認すれば確かな振動が感じられた。
だが、鳰紫は確かに死んだはずなのだ。その体に分不相応の力を宿して崩壊した筈なのだ。
にもかかわらず、自分は生きている。それどころか、無くなった筈の力すら自分の中に感じていた。
(“常世の蟲”が私の魂を放り出した?……いや、あの方は約束を反故にはしない。それも、
周りなど気にも留めず思考に耽っていた紫は、不意に違和感を覚えて辺りを見渡した。
いつの間にか、世界から色が失われていた。
それだけではない。音も消え去り、更には道行く人々はそのままの姿勢と表情で固まっている。
「何が……」
『それは、我が説明するとしよう』
荘厳の声と共に、紫の背後に気配が一つ現れる。
反射的に振り返ってその気配の姿を確認し、彼はその目を大きく見開いた。
「“常世の蟲”……」
『久しい……とは、言えぬか。時間も無い故、手短に済ますとしよう』
「……待ってください」
思わぬ相手との再会に、しかし紫は頭を抱えた。
「貴方は、私の魂をもって常世へと向かったはず…………何より、
後半部分が、本当に聞きたい部分。
正直な話をすれば、紫はその生い立ちから自分の全く知らな場所に飛ばされたとしても平気だったりする。現代社会から、古代日本へと吹っ飛ばされればその辺りに図太さも養われるというもの。
だが、彼も人だ。自分を恨んでいるであろう、ましてや神を相手に聞かない訳にはいかなかった。
果たして、
『――――……恨んでは、いない』
「ッ、ですが……!」
『ただ………そうだな。我の軽率な行動が、お主を追い込んでしまった事は、悔やんでいるか…………』
思わぬ言葉に、紫の目が見開かれた。同時に、胸の内が渦を巻く。
「~~~ッ!私が、私たちが居なければ!貴方はあんな思いをする事はなかったんですよ!?ましてや、私は貴方からの信頼を裏切り!貴方が最も大切に思っていた奈阿姫を傷つける事すらした!なのに、どうして――――」
『全てを見たからだ』
慟哭の様な懺悔は、しかし静かな言葉に止められる。
『あの刀、塵外刀であったか。あの刀に吸収されてから、我とあの中に居た者たちは、お主と月島仁兵衛のやり取りを見ていた』
「なっ……!?ど、どういう…………」
『お主と我には、奈阿程ではないが繋がりがある。力の大半を失っていたとはいえ、その繋がりを辿る程度ならば可能だ』
「…………ならば、分かる筈です。私は、私欲のためにあらゆる全てを欺き、利用し、使い捨ててきた」
俯く紫。握った拳からは血が滴る。
悲劇のヒーローを気取る気はない。無いが、しかし後悔を一切抱えていない訳では無いのだ。それどころか、彼の
だからこそ、彼は恨んでほしい、憎んでほしい。そして、許されたくなかった。
『――――それでも、お主の幸せを願った者達が居る』
ハッと紫は顔を上げた。
蝶の踊る真っ直ぐな視線が彼を貫く。
『大罪なのだろう、大悪なのだろう。お主に恨み言を吐いた者も居た――――……それでも、許しを口にしたのだ』
「ッ……」
『故に、我はお主をこの世界へと飛ばした。この世界に、お主を知る者は存在しない。蟲も、蟲人も存在しない』
「…………ここで、何を成せと?」
『それは、お主次第だ。だが、彼らが望むは
「私の……?」
『好きに、良きよ。善行を成すも、良し。悪行を成すも、良し。全てが、お主の自由だ』
目を丸くして、紫は“常世の蟲”を見た。
凡そ千年以上、無縁だった言葉だ。
唖然とする紫だが、時計の針は進む。そもそも、時間は限られているのだ。
『そろそろ、時間だ
「ッ、“常世の蟲”様っ……!」
『これは、我からの罪滅ぼしだ……すまない、多よ』
それだけ言って、元々薄かった常世の蟲の姿は更に薄れていく。
もう引き留められない。触れる事すらできない。そして、二度と会えないかもしれない。
だからこそ、紫の口は動いていた。
「“常世の蟲”様!貴方は、誰も幸せに出来ないと言った!だが!私は、私たちは!あの日、あの時、あの瞬間!確かに、幸せだった!!!」
『――――』
言葉が届いたのかは、分からない。
だが、“常世の蟲”は確かにその表情を僅かにだが緩ませていた。
こうして、鳰紫の命の続きは始まった。
舞台は、箱庭。修羅神仏の跋扈する、超常世界。
人でなしは、何を成せるのか。