鳰紫の贖罪   作:常世さん

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 箱庭二一〇五三八〇外門。ペリベッド通り。

 石畳を踏みながら、鳰紫は特に理由も無く街並みを散策していた。

 “常世の蟲”との再会を経て、その内心の靄は晴れてはいないが少しはマシになった。とくれば、次に必要になるのは情報。

 周りの道行く人々に声を掛けるという方法もあるが、紫の場合はその前に自分の中で疑問の明確化を図っていた。

 具体的には、この街の観察。

 

(異種族、と言うべきか。頭に耳があり、臀部にしっぽ。そもそも、人型をしていても肌の質感が爬虫類の様な場合もある、と)

 

 怪しくない程度に視線を走らせながら、紫は内心で感嘆していた。

 巨大蟲が跋扈する超常の世界で生きてきた彼だが、ここまでの人種の多様性は無かった。蟲人に関しても特徴的な部分はあれども基本は日本人ばかり。

 その点で言えば、肌の色のみならず通常人間にはついていないだろう付属品(耳や尻尾など)が付いているというのは目新しい。

 街並みに関しても、江戸の木造と瓦葺の建物とは違って石造りが多い。地面も、石畳と称したが規則正しいレンガと言うよりは切り出した自然石を組み合わせた様な見た目だ。

 石畳と言うのは、存外整備というものに手が掛かる。アスファルトなどと比べて、石と言うのは砕けてしまうからだ。

 しかし、草履で歩く道には突っかかるような欠けの一つも無かった。

 

(文化の発展度合いは、江戸の比じゃない。そもそも、様式が違う。にも拘らず言語は通じる、読める、と)

 

 不思議なものだ。同時に、千年以上の年月を生きてきて、ほんの少し胸が高鳴っていたりもする。

 

 だが、そんな紫の心に冷や水をぶっかける光景が飛び込んできた。

 

「…………ん?」

 

 それは、街の周囲の壁。その一部に設けられた出入り可能なゲート部分近く。

 よくよく目を凝らせば、子供たちの集団とそれから、そんな子供たちを取り囲むガラの悪い連中がそこに居た。

 その姿を認識し、紫の目がキュッと細まる。同時に、常に浮かべていた柔和な、しかしどこか人を食った様な笑みを浮かべると徐にその集団へと足を向けた。

 近付けば、自然と状況も見えてくる。

 どうやら子供たちは水の入ったバケツを守っているようで、そこにチンピラ共が絡んでいるらしい。

 

「おいおい、何だよその目は」

「…………」

「“名無し(ノーネーム)”の分際で、随分と躾がなってねぇじゃねぇか?」

 

 ニヤニヤと見下ろすリーダー格なのだろう、赤毛のチンピラが嘲えば、その取り巻きも同じように嘲笑を浮かべる。

 同時に、その周りの誰も子供たちを助けようとしない。

 チンピラが十人単位の徒党を組んでいるというのと、それから子供たちの立場の問題があっての事だ。

 

「なあ、何とか言えよ、オイ」

 

 上から見下ろすように凄むチンピラ。

 彼らがこうして絡んでいるのは、偏にストレスの発散だった。

 強者には阿る、弱者には暴力を。

 この点で言えば、子供たちの方は正しい。言葉を交わさず、自分たちの財産を守る様に動くだけだ。変に言葉を返せば、どうなるか分からない。

 ただ、この手の輩は相手が反撃してこないと調子に乗る。

 

「目障りなんだよな、オマエ等。その癖、“ウサギ”手元においてよォ。寄生虫共がよォ」

「ッ……」

「お、泣く?泣いちゃうか?良いぜ、泣けよォ。泣けば、ウサギが助けに来るかもなぁ?ギャハハハ!」

 

 嘯くチンピラだが、今この街に件の“ウサギ”が居ない事は知っているのだ。その辺りも、何というか小物。

 だからこそだろう。気が大きくなったチンピラが子供の一人に右手を伸ばしていた。

 その指先が、胸ぐらを――――

 

「――――はい、そこまで」

 

 掴もうとしたチンピラの手首辺りをまた別の手が掴んで止めていた。

 反射的に凄んで見上げれば、そこに居たのは藤色の着物に黒い袴の柔和な笑みを浮かべた一人の青年。

 優男だ。少なくとも、荒事とは無縁そうな、うらなり青瓢箪。

 

「んだ、テメェ」

「ただの通行人ですよ」

 

 凄んで問えば、笑みを浮かべたままに静かな言葉が返ってくる。

 どこか余裕を感じさせるその態度に、元々血の気の多いチンピラの瞳孔が細まり、同時に剣呑な気配が増す。

 

「だったらなんだ?ヒーロー気取りの痛い奴ってか?第一、このガキどもの味方を何でする。こんな“名無し(ノーネーム)”のクズ共を」

「さあて。生憎と、私はこの街に来たばかりで文化に疎い。貴方が言う蔑称についても存じ上げません」

「ハッ!新入りかよ……なら、覚えとけ。こいつら“ノーネーム”の連中は、この箱庭の世界で、名前も旗印も無いクズ共なのさ!」

 

 再び嘲うチンピラに、取り巻きも続いて嗤う。

 青年、紫はチンピラの腕を掴んだままに、内心で成程と頷いていた。

 

(この街……箱庭、か。この箱庭では、名無しと言うのは侮蔑の意味がある上に周りもそれを黙認している、と)

 

 どの世界にも、蔑称は存在する。それに関しては、紫も糾弾する気はない。社会生活というものが存在する限りついて回る問題であるからだ。

 もっとも、それを受け入れるかどうかは本人次第なのだが。

 一頻り嗤ったチンピラは、少し息を整えて腕を見る。

 

「おい、いい加減放せよ」

「はい?」

「その手……ッ!は、放せって……!」

 

 握られている手を示しチンピラの表情が変わる。

 

「どうかしましたか?随分と、顔色が悪いようですが…………」

「て、めぇのせいだろうが……!は、放せ……っ!」

「さて、何の事でしょうかね」

 

 紫が放す気が無いと分かったのか、チンピラは必死に彼の手に掴まれている己の右手首を解放させようと藻掻く。

 その異変にようやく気付いたのか、周りの取り巻きが動こうとするが、

 

「……」

「「「ッ……!?」」」

 

 一瞥してきた紫によってその足はその場に縫い止められたように動けない。

 まるで、()()()()()()()に見られてしまったかのような恐怖が、その足を前へと踏み出させる事躊躇わせた。

 動けない彼らを尻目に、紫はチンピラの手首を握った右手を上へと持ち上げる。自然と、腕に引かれてチンピラの体も起き上がった。

 

「あ、ぐっ……!?」

「私は、貴方の言うように新参者です。この街の、箱庭でしたか。箱庭に存在する価値観など知りません。ですが――――」

 

 グイッと紫はそこでチンピラの目を覗き込む様に、顔を近づけた。

 

「私自身の価値観に照らし合わせれば、無力な子供に凄んで、剰え暴力を加えようとする者は、間違いなく“悪”です。生憎と、私はそんな“悪”を糾弾できるような立場ではありませんが……好きに生きろと言われましてね」

「はあ……!?」

「君たちがどこの誰だろうと、関係ありません。私は私の、基準で動かせてもらいます」

 

 言うなり、紫は右腕を振り被り、チンピラを文字通りぶん投げる。

 その先は、噴水だ。派手な水しぶきと共に、その赤毛が水面に消える。

 衝撃映像に我に返った取り巻きたちは、慌てて噴水の方へと走って行ってしまった。

 唖然とする周囲を一睨みして、紫はスルリと子供たちの方へと向き直り、膝を折ってしゃがみ込む。

 

「すみません。ついつい、頭に血が昇ってしまっていた様です。君たち、怪我はありませんか?」

「あ、えっと……」

「助けてくれてありがとう兄ちゃん!」

「助けた何て、とんでもない。私はただ、気に入らないから八つ当たりをしたに過ぎませんよ」

「で、でも!本当に助かりました!お水、持っていかないといけないし……」

「そーそー!アイツらにバケツ蹴られたらまた汲みにいかないといけないし」

「えーやだー」

「でもでも、黒うさの姉ちゃんにお風呂は入ってほしいだろ?」

「疲れたー」

 

 わいわいがやがやと口々に言う子供たちに、紫はその表情を緩める。

 懐かしい、と思ってしまった。同時に、そんな資格は無いだろうと、心の隅が嘯く。

 緊張感が抜けてくるが、それも長くは続かない。

 

「テメェ!!!」

 

 鋭い声が飛ぶ。振り返れば、怒髪衝天と言わんばかりの形相でびしょ濡れの赤毛のチンピラが紫の事を睨みつけていた。

 

「おや、まだ居たんですか」

「ふざけやがって……!テメェ、“バンディローグ”に喧嘩売って、ただで済むと思ってんのか!?」

「さて……どうでしょうかね」

「この……!」

「ただ、子供に絡んで悦に浸るような人間を恐れろ、と言う方が土台無理な話では?」

 

 顔を赤くして憤怒に塗れるチンピラに、紫は余裕の態度を崩すことは無い。さりげなく子供たちを庇っているが、自分にヘイトが向く分には欠片も気にしていなかった。

 そもそも、周りのチンピラは揃いも揃って三流揃い。赤毛は精々二流程度。紫の見立てでしかないが、仮に袋叩きに遭ったとしても余裕で全員伸す事が出来るだろう。寧ろ、相手から手を出してくれば、反撃の理由にもなる。

 チンピラの方も知能は低いが、単なる馬鹿ではないらしく歯噛みはすれども襲い掛かるような愚を犯そうとはしなかった。歯が砕けそうなほどに歯軋りしているが。

 

「その面、覚えたからな……!後悔させてやるよ……!!」

「そうですか。では、サヨウナラ赤毛猿君」

 

 ビキリ、とチンピラの蟀谷に青筋が浮かぶか、片手で軽々と人一人投げ飛ばすような相手に挑みかかるような度胸は無いらしい。

 唾を吐き去っていく背中。

 完全に見えなくなった所で、改めて紫は子供たちへと向き直って膝を付いた。

 

「重ね重ねすみません。私も、もう行きますが皆さん気を付けてくださいね」

「行っちゃうの?」

「兄ちゃん、外から来たんだろ?黒うさの姉ちゃんにお願いして、ホームに来る?」

「うんうん!それが良い!」

「兄ちゃんあそぼー」

「疲れたー」

 

 きゃいきゃいと騒ぐ子供たち。紫は困った様に眉根を寄せる。

 

「こらこら君たち?そう簡単に、見ず知らずの人間を家に招くような真似をするんじゃありません。家の人も困ってしまいますし、迷惑になりますからね?」

「「ええー」」

「不満を漏らさない。その君たちのお姉さんも、いきなり見ず知らずの、それも大の男を連れて来れば困ってしまいます。ここは大人しくお家に――――」

「――――その必要はございません!」

 

 再度帰宅を促す紫だったが、そんな彼へと横合いから高い声が響く。

 そちらを見れば、十代半ば程の少女が一人、人混みをかき分けて現れていた。

 中々奇抜な格好ではあるが、紫としては特に気になるようなものでもない。どちらかと言うと興味を引いたのは、その頭か。

 ウサミミ。遠目からでも毛並みの良さが分かる耳がピンと二つ立っていた。

 

「君は……」

「私は、黒ウサギと申します。この度は、私のコミュニティの同士達を助けていただき感謝します」

 

 深々と頭を下げる黒ウサギに、紫は手を振った。

 

「いえいえ、気にしないでください…………ああ、成程。君が、この子たちに言っていたお姉さんですね」

「ええっと、そうにございます」

「では、丁度良かった。この子たちも帰る所ですし、私もお暇するとしましょうか」

 

 やんわりと、自身の外套掴んだ小さな手を外しながら紫は立ち上がる。

 偶々手を出してしまったが、保護者が居るのなら問題ないだろう、と。ついでに、黒ウサギ自身もある程度戦えることを彼は見抜いていた。

 だが、

 

「お待ちいただいても?」

「……まだ、何か?」

 

 黒ウサギが、踵を返そうとした彼を引き留める。

 

「実は、黒ウサギの素敵耳はとても高性能なのです。それで、少しお話を耳にしまして」

「はあ……」

「子供たちも世話になった事ですし、どうでしょうか。我らがホームを一晩の宿としてみては、如何ですか?」

 

 ある意味では予想通りの言葉に、紫は頭を掻く。

 確かに、宿は必要だ。生憎と今の彼は、無一文。伝手なども特になく、最悪適当な場所で野宿する事も考えていた。

 誘いは、正直有り難い。が、ソレはソレとしてのこのこ付いていくリスクもある。

 頭の中で算盤を弾いていた紫。その視線が、不意に袴を引かれた事で止まり、視線が下へと向けられた。

 

「「…………」」

 

 無垢な瞳が見上げてくる。助けたからか、どうにも懐かれてしまったらしい。

 一つ息を吐き出して、紫は徐に先程から疲れたと連呼する小柄な子を左腕で抱き上げていた。

 

「…………では、ご厚意に甘えさせてもらいましょう。そちらの水のバケツを取ってもらえますか?」

 

 折れた紫は、せめてもの手伝いとしてそう切り出すのだった。

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