鳰紫の贖罪 作:常世さん
黒ウサギがその場に居合わせたのは、本当に偶然だった。
彼女は、自身の特権を生かして生きる糧を稼いでいたが、如何せん百人を超える子供たちを養い続けるには足りない。家計は常に火の車だった。
その日も、黒ウサギは稼業を熟して帰路についていた。予定よりも早く帰れたのは、相手側がこちらの事情を汲んでくれたから。
急いで帰ろうと足を回して暫く。ペリベッド通りへと差し掛かったところで、彼女の高性能なウサミミが聞き慣れた声を掬い上げる。同時に、ここ最近幅を利かせている柄の悪い輩の声も。
慌てて人混みをかき分けて向かえば、そこに居たのは自身の同士達であり同時に、庇護対象でもある子供たちの姿。
そして、子供たちを背に庇ってチンピラと相対する和装の青年。
黒ウサギの知らない男性だ。というか、この一帯では見た事が無い。
ただ、悪い気配はなかった。寧ろ、周りが見て見ぬふりをする子供たちを庇っているだけで、既に好感度が僅かに上がっている辺り、彼女たちの境遇が伺い知れるというもの。
程なくして絡んでいたチンピラへと、毒舌を投げて撃退した青年は子供たちへと振り返ってしゃがみ込み何やら話し込んでいる。
どうやら子供たちが彼を引き留めようとしている、と聞き取り黒ウサギの足は前へと進んでいた。
*
自身の周囲を駆け回り、更にはよじ登ってくる小さい子に手を添えながら
その隣では連れだって歩く黒ウサギが申し訳なさそうな表情で、眉を下げている。
何より目を引くのが、二人の後方。積み上げられたバケツが微動だにする事無く、黒い六角形の板の様なものに乗せられ、浮いて後をついてくるのだ。
持ち運ぶバケツから解放されて、子供たちは元気に駆け回りながら紫を遊具にしている。
「こら!皆さま、少しはしゃぎ過ぎです!」
窘める黒ウサギ。だが、そんな彼女を止めるのは、あろうことか遊具にされている紫の方だった。
「ふふっ、気にしないでください黒ウサギ君。私は気にしませんから」
「ですが……恩人への態度では…………」
「そこを曲げてください。私としても、一夜の宿を借りられるだけで十分ですから。それに、こうして元気印の子供たちと関わるとこちらも元気を貰えますからね」
そう言って微笑みながら、紫は登れない、と膨れる子供を大きく持ち上げ抱き上げた。
余談だが、彼の身長は黒ウサギよりも頭一つ分以上高い。ウサミミは抜きにして。
キャラキャラと笑う子供に、他の子たちも抱っこを求めてくる。
「はいはい、順番ですよ」
紫は手慣れた様子で抱え上げていた子供を、何処から呼び出したのか浮かせた六角形の漆黒の板に乗せると次の子を抱き上げる。
ゆったりとした着物姿である事から分かりにくいが、彼は存外鍛えている。パワフルな子供たち相手にも余裕が感じられた。
そんな姿を横目に、黒ウサギは考える。
(もしも、紫さんが私たちのコミュニティに…………いえ、ダメですね。御話を聞く限り、今日箱庭に召喚されたばかりの様ですし…………)
交わした会話もそれ程多くは無いが、しかし彼女から見て紫の為人は何となくつかめた気がする。
穏やかな善人。それが表面上である可能性も無きにしも非ずだが、それならば態々子供たちを助けるためにチンピラに絡むことは無い。
嘘を吐くにしてもメリットが無い。黒ウサギを狙っていたとしても、彼女は一度として紫からそう言う視線を受けてはいなかった。
女性というのは視線に敏感だ。加えて、黒ウサギは美少女で、同時に垂涎ものの肢体をしており、尚且つ露出の、フェティシズムが刺激されるような格好をしている。
だが、胸元にも、足にも視線を向けず、黒ウサギと話している時は真っすぐに目を見て会話していた。
黙り込んだ黒ウサギに、悩みがあるのかと考える紫だったが声を掛けるような事はしなかった。代わりに、子供たちの相手を続ける。
そして、辿り着くのは門の前。
「あの、紫さん」
「はいなんでしょう?」
「その……私たちがお連れしましたが、紫さんがお断りをされると言うなら我々も止めませんので」
唐突にそんな事を言う黒ウサギに、紫は首を傾げた。
先の通り、彼としては一夜の宿が借りれるのならそれで良い。最悪軒の下にでも放り込まれても一切文句は言わなかっただろう。
そう本心を伝えれば、黒ウサギも腹を括ったのか門が開かれた。
その先に広がる光景に、紫の目が見開かれる。
「こ、れは…………」
風化された街並みがそこに広がっていた。
整備されていたであろう道には砂が降り積もり、崩れた家屋の木材などには腐蝕を通り越して風化してしまっている。金属の柱や釘などは錆び切って風が服だけでも軋み、抜ける風は何処か埃の様なニオイを鼻へと届けてきた。
抱えていた子供を下して、紫は徐に家屋の一つへと歩を進めた。
指で木材を摘まめば、割れるのではなく崩れてしまう。
「…………いったい、何が?」
「……事の始まりは、二年前にあります」
「二年、前……?」
この光景が?と紫の態度が問う。
二年どころか、数百年単位で年月が経過しましたと言われても納得できるような惨状が、この街並みには広がっているのだ。
「まずは、本拠へ。そちらで、この箱庭の世界について詳しく説明させていただきます」
「え?あ、ああ……そう、ですね」
面食らっていた紫は、子供たちに手を引かれ風化した街並みへと足を踏み入れる。
そして知る事になるこの世界の残酷さを。
*
“ノーネーム”本拠の宛がわれた部屋にて、紫は一人ため息を吐いていた。
「異世界、箱庭、ギフトゲーム……そして、魔王」
黒ウサギと、それからもう一人居たこのコミュニティの代表である少年からの説明を受けて彼は考える。
元の世界でも、地獄の様な場所ではあった。
人の命など、紙切れの様に軽く。己の命一つ守る事すら難しい。
奪ってきた側である彼としては、自分の命が脅かされる事にはそれほど関心はない。寧ろ、惨たらしく死ぬべきだろう、と考えてすらいる。
逸れた思考を頭を振って戻して、再び考えるのは今晩世話になっているコミュニティの事。
「“ノーネーム”、その他大勢か……」
名も無く、旗印も無く、主力に至っても二人のみで、残りの百二十人は全て子供。この二年間で一人も餓死した者を出さなかっただけ立派なものだ。
端的に言うと、紫は彼らの現状に同情していた。安っぽい憐憫を覚えていた。
かといって、彼に何が出来るのか。
一つ補足をすると、今の鳰紫という男は、側こそ人間だがその中身は人類とは隔絶した存在に成り果てている。
具体的には、“常世神”。そもそも、“常世の蟲”と呼ばれた存在は、人々の願いによって召喚された神であるのだから。
今の紫は、この常世神とイコールで結ぶことが出来る。もう少し、その繋がりは面倒なものではあるが、とにかく神同然だった。
元の世界ならば、あらゆる全てをそれこそ星ごと滅ぼす事が出来るだろう力を持つ。
だがしかし、ここは巨大蟲ではなく、“修羅神仏”や“悪魔”などの超常の存在が跋扈する箱庭の世界。
如何に神と同じ力を振るおうとも、それで全ての障害を排除できると楽観視できるほど、紫は楽天的ではなかった。
何より、“魔王”という存在。
(時間に干渉できるのなら……)
窓の外から眺めた風化した風景。僅か二年前の襲撃であるにもかかわらず、数百年規模で時が進んでしまったかのような世界。
現状の、紫の寿命は彼自身も分からない。一応千年以上生きてきたが、そこから先どれだけ生きていられるか。
悶々と考えながら、ふと目を閉じる。
思い出すのは、昼間の子供たちの事。
情を抱いてしまった以上、見捨てることはあまりにも後味が悪すぎた。だが、同時に罪悪感がそのもう一歩を阻んでいる。
どの面下げて、子供たちを守りたいなど考えているのか。そんな冷めた頭の片隅で、誰かが嗤う。
忘れない事が、償いだ。例えこれから千年、万年生き続ける事になったとしても、彼はその手に掛けた命を、感触を忘れるつもりはない。
深く沈んでいく意識。不意に鼓膜を、幻聴が打つ。
――――『先生、少しは自由に生きたら?』
ハッとして目を開けるが、そこに広がるのは借り受けた部屋だけ。
しかし、その声の主に関して紫には思い当たる節があった。
「…………君は、相変わらずですね――――空君」
一つのキッカケを作った一人の少女。病弱だった彼女を忘れた事は一度も無い。
都合の良い夢だったのかもしれないが、それでもほんの少しだけ紫の胸の内に渦巻いていた気持ちの靄が薄らいだような気がした。
「次に聞こえる時には、恨み言の一つや二つ投げてくれると、良いんですけどね」
記憶の中の笑顔を思い出しながら、紫は呟いて天井を見上げるのだった。